2012年04月30日

御前山1405m

 ヤッホー君のこのブログ、この前の4月24日の日記「カタクリが鹿の食害に」でこんなことを書きました:

『われわれはさっそく今月30日の月曜日、調査隊を派遣することにしました!!』
 
 ですので、さっそく報告しなければいけませんね。

 はっちゃんの言葉で言うと、keep your word です!(my/sb's word=a sincere promise)。
 国際協力、国際貢献、国際化を標榜してやまないこの国で、はっちゃんは自分のテーマである商品テストについて、途上国のマレーシアの市民団体(NGO)に協力してくれる団体を一生懸命さがしました。
 会えば、この国の市民団体は、にこやかな笑顔で、オウ、イエス、イエスとオームのように頷いてばかり、議論になりませんし、質問もありません。
 その後しばらく経ってお手紙で、そーリーそーリーノーサンキュウと返事が来るのはいいほうで、ほとんど、音沙汰なし、梨のつぶて、音なしの構え…、まるで無視されたような。
 この国の人びとはいったい何を考えているか分からない、と申しています、皮肉っぽく、アメリカ人がイエス、といえばイエスなんだよね、とあきれ返られています、何も言えないニホン人、何も言わないニホン人、言うべき何も持ち合わせていないニホン人、にやにやしているばかり、めがねかけ、小造りで、太っちょのメタボ人、アジア、アジアなんて言うけど、そんな風にしか見られていないことをどっか片隅に入れておいたほうがよろしいかと。

 さて、山歩クラブの仲間の皆さんに番外編のご報告:

皆さん、こんばんは。
 今日30日は「昭和の日」の振り替え休日ですが、皆さんそれぞれ、ゴールデンウイークをお楽しみのこととお慶び申上げます。
 われわれは3人でマイカーをとばし、今朝5時に下町を出発、7時に奥多摩湖の湖畔着!
 新緑に萌える季節が巡ってきましたね、緑のグラデュエーションに、ピンクの山桜が上塗りをかけた春の景色! すばらしい山肌に息をのんで、うっとりしながら登山を開始しました。
 10時に御前山1405m山頂到着しました。
 サス沢山から大ブナ尾根を辿る山路には、カタクリはもちろんのこと、ヤマブキ、キブシ、ハシリドコロ… もう春のお花の饗宴にびっくり、お花畑に感動。
 極めつけは冨士山! 霞んではいましたが、目を凝らすとしっかり大きく堂々のお姿が見えました。
 帰りは惣岳山から小河内峠に向かい、そこで多摩湖に下るバリエーションルートをとりまして、駐車場帰着は1時。
 「もえぎの湯(東京都西多摩郡奥多摩町氷川119-1 Tel 0428-82-7770)」では、福ちゃん荘から大菩薩嶺、そしてから三条の湯、そして雲取山から鴨沢と2泊3日の山中でテント生活をしながらの山旅を敢行した大学2年生と3年生の3人組とおしゃべりしながら順番待ち。でも行列のできる日帰り温泉、なかなか入れない「もえぎの湯」で汗を流すことができました。
 特段、渋滞もなく、下町に戻ったのが5時、とまあ、びっくりすぎるほど、順調に過ぎた良き一日、満足いく良い日帰り山行ができましたので、ここに謹んでご報告します。
 また「歩こ、歩こメール」が行くと思いますので、こりずにお付き合いのほどよろしくね。
 山はやっぱりいいですね。

 写真を添付します。一葉はもちろん、カタクリ、もう一葉は、御前山山頂


カタクリ.jpg

御前山.jpg

 

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2012年04月29日

みどりフェスタ

 なんで急に mottainai? って聞かれましたので、ご報告。
 
 「このかけがえのない地球に暮らしている生き物は人間だけじゃないんですよ、いったい何種類いると思いますか? @ 100万 A 3000 B 3000千万」

 「宇宙は何億万年前にできましたか、地球は? @ 2012年前 A 46億年前 B 137億年前」

 「人類は何年前に誕生しましたか? @ 46億年前 A 3億年前 B 500万年前」

 「絶滅した生き物はどれ? @ 日本オオカミ A オガサワラカラスバト B ツシマラン」

 そうなんですう。今日4月29日日曜日「昭和の日」、ヤッホー君は山歩クラブの仲間と地下鉄千代田線「表参道」駅を下りて、外苑西通りをゆっくりお散歩して北上、「千駄ヶ谷門」から入って、新宿御苑にいたのです。
 なんでも「元気な森を、みんなのチカラで取りもどそう! フォレスト・サポーターズ」運営事務局から「おいで、おいで」の連絡メールをもらったんだそうです。それで、4月24日に一斉メールを流して、山歩クラブの仲間にも参加を呼びかけたんですって:

『来る日曜日29日は新宿御苑です。「2012新宿御苑みどりフェスタ」が開催されます! 「みどりフェスタ」では、「みどり」に関する活動をしている団体などが出展し、自然観察会やクラフトなどの体験、NGO・NPOの活動紹介、生物多様性保全に関する情報発信などが行われます。ルー大柴さんによるトークショーや、新宿エコレンジャーによるショーも予定されていますよ!広々とした新宿御苑で身近な「みどり」に触れてみませんか?』
 
 ぴんぽぉ〜ん、大当たり。最初のあの問題、これはルー大柴さんのリードによるクイズ大会の一こまだったんですねえ。そしてクイズの最後に皆んな、椅子から立って、ルー大柴さんといっしょに MOTTAINAI を歌って踊った、とそういうことで…

『「国民一人ひとりが自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむこと」を目的に定められた「みどりの月間」にちなみ、新宿御苑では、4月29日(日)に「2012新宿御苑みどりフェスタ」を開催するとともに、当日は無料開園日となります』
http://fng.blog.ocn.ne.jp/shinjukugyoen/2012/04/post_4a27-2.html

 「みどりフェスタ」は主唱、環境省。

 クイズ大会では、正解するとお土産がプレゼントされました。ルー大柴さんの絵本をゲットした子ども、も。そうなんです、絵本も出版しておりました:

動物たちが大活躍する、南の島のエコストーリー!
 タレントのルー大柴と、人気画家の樋上公実子が贈る、大人のための絵本。
 南の島に流れついた不思議な木の実。「MOTTAINAI(モッタイナイ)」と名づけられたその木の実を、森の動物たちは大切に育てます。やがて、木の実は芽を出しますが……!?
 NHKみんなのうた「MOTTAINAI」の歌やユニセフでの活動など、環境問題への取り組みでも知られる、タレントのルー大柴と、本の装画やお菓子のパッケージなどで人気の画家、樋上公実子のコラボレーションによる、大人のための絵本です

(『MOTTAINAIの木の実』(2010年9月、実業之日本社)
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-10869-8

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MOTTAINAI 

 もったいない、勿体無い、mottainai… ムカシじいちゃんやばあちゃんの口からよく聞かれた言葉でした。「これからは使い捨ての時代」って学校で先生が言われたお言葉と大分違う、きっと目の前の出来事には、お互いに違う、相反する両面があって、どっちも見なきゃいかんのだろうなって、ヤッホー君は地上に追放される前のプリンス時代のときから、感じ取っていたそうです。

 2002年と言いますから10年前、山歩クラブが誕生した10年前のこと、こんな動画がありました:
http://www.youtube.com/user/EGIEKU

 『もったいない』は、2002年にWeb上での動画配信の実験的作品として製作されたものです。
 『このままじゃあ もったいないよー。さあ、はじけてみようじゃあないかあ』と人とちょっとだけ違うことを、ちょっとだけ自慢げに、でも町んなかじゃ除け者にされるだけだから、誰も見ていない山ん中でおどけて歌って踊ってみせる、ってやり方で自己主張、自己表現、自己実現している映像ですね。

A funny japanese girl sings and dances in this clip. and...nice location!  

 作者は中村未来歩。
 『映像製作やったり、アウトドアで楽しんだり、テニスにはまってみたり、人生を楽しむをモットーに生きております。原発移住により東京→北海道千歳市で新たな人生を歩み始めます。先天性サイトメガロウイルス感染症による高度難聴&発達障害&高機能脳障害の息子とてんやわんやの毎日…』
http://www.future-walker.com/

 もったいない、勿体無い…、これがローマ字で mottainai となると、山歩クラブのこのブログでも何回か紹介しております。
 たとえばもう一年も前のこと、2011年4月9日付けの日記「真鶴町の御林」でも紹介しています。ぜひお読みくださいね。

 そうなんです。ワンガリ・マータイさんです。

グリーンベルト運動創設者。ケニア共和国元環境・天然資源省副大臣。生物学博士。MOTTAINAIキャンペーン提唱者。国連平和大使。旭日大綬章受章者。
 1940年、ケニアの中部、ニエリの農家に生まれました。
 6人兄弟で家は決して裕福ではなく、他の多くのアフリカ女性と同じように教育を受けられる環境にありませんでしたが、兄が両親を説得して学校に通い、60年に政府留学生に選ばれました。
 その後、米ピッツバーグ大学で修士号を取得。ドイツ留学を経て、71年にナイロビ大学で生物分析学の博士号を取得。
 一方でマータイさんは、祖国の貧困や環境破壊に心を痛め、1977年貧しい女性たちと「グリーンベルト運動」という植林活動を開始。
 政府の弾圧を受けながらも、運動にはこれまでに延べ10万人が参加し、植えた苗木は4500万本に上ります。
 マータイさんは、2002年に国会議員に初当選。03年には環境副大臣に任命されました。04年、環境や人権に対する長年の貢献が評価され、環境分野で初めて、アフリカの女性としても初めて、ノーベル平和賞を受賞しました

http://mottainai.info/
 
 ザンネンながらもうお亡くなりになっております:

ケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさんが2011年9月25日夜(日本時間26日未明)、がんのため首都ナイロビの病院で死去した。71歳だった。家族が病院を通じて明らかにした。
 1940年にケニア中部の農村で生まれた。米国の大学で生物学を学び、ナイロビ大学で博士号を取得。77年に環境保護と貧困女性の社会進出を目的に、非政府組織(NGO)「グリーンベルト運動」を始めた。7本の植樹で始まった運動は、アフリカ20ヶ国以上で計3000万本に及ぶ植樹に広がった。
 2002年に国会議員に当選し、翌年には環境副大臣を務めた。04年、環境分野で初めて、また、アフリカ人女性として初めてノーベル平和賞を受賞。「環境は平和を守る重要な要素です」と意義を語っていた

http://www.asahi.com/obituaries/update/0926/TKY201109260205.html

 そして2007年4月1日から、NHKの歌番組『みんなのうた』で放送された歌が『MOTTAINAI』!

 るんるん♪ラーメン チャーハン シューマイ ギョーザ あれもこれも全部食べたいけど
 食べきれないなら1個にしよっと のこしちゃったら もったいない

 ティッシュペーパーもったいないなー 必要以上に使いすぎんな
 鼻かんだら 折りたたんで もう一回くらい使わなあかんで かんで かんで 
 鼻かんで

 まんまる夜空のお月さまも ピカピカ街の灯まぶしそう
 あれこれ全部食べるなんて 怪獣でもムリさ
 
 もったいないと思う気持ち (それは) ムダにしない 心がけ♪時計

http://www.youtube.com/watch?v=34f6kaz7C4s

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2012年04月28日

アホウドリ

 ボードレール(1821-1867)の詩「アルバトロス」は一体、いつころ書かれたと思いますか?
 こういうのは諸説あって当然でしょうけど、1842年インド洋航海の頃、という説があります。1842年って詩人が何歳のときでしょうか?は・た・ち!!

  
雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、
  暴風雨を笑ひ、風凌ぎ獵男の弓をあざみしも、
  地の下界にやらはれて、勢子の叫に煩へば、
  太しき双の羽根さへも起居妨ぐ足まとひ。


 ヤッホー君が「詩人」と言ったフランス語は、上田敏(1874-1916)の訳では「歌人」です。
 ほかにも難しい訳で何がなんだか、優等生ではない落ちこぼれのヤッホー君にはちんぷんかんぷんで、むしろ原語のままのほうが良いって、言ってますよ、皆さま。
 
 この詩を浪漫派、象徴主義派との関連でどのように解すべきか…解されてきたか…ボードレールの実人生で、20歳と言うと…こういうことは学者先生たちが論文にして稼ぐんでしょうかね。そしていったん得た地位の安泰を図り、いったんついたら老害といわれようと教授職を解かれることもないでしょうし、その教え子達がシュウカツで忙しく、授業がつまんなく、出席できないとなれば、近頃の若者は…、なんて説教を垂れるのでしょうし、ま、彼等にお任せして、と。
 単なる一読者に過ぎない、自分では「詩人」と思い込んでやまないヤッホー君(違います、ヤッホー君は「詩人」ではありません、まわりにはモク拾い、って言ってますよ)がいうには、極めて身近に、難解な難しい訳に惑わされることもなく、原語のまんま、す〜っと詩の言葉が腑に落ちてきたと言います。

 ムカシ地上を見晴るかして鳥瞰図、山座同定もでき良い気分、王位を継承できるなんの憂いもない王子様だったのが、ある日突然、鉈で断ち切られるかのように、地上に「追放されました」。
 地上では、人間からはやし立てられ、蔑まれ、嘲笑の的となり、かつて大空に羽ばたいて、自由に雲間を往来できていた翼も地上では何の役にも立たず、人間のように歩けって言われたって、翼がじゃまで歩けやしない。

 船旅で見かけたアルバトロスと20歳の若者とはどこかで意気投合するものがあったんですかねぇ〜、言葉での相互理解はできなくとも、通い合う心が通じあったのでしょうね。それだけでも感嘆します。今年もっと、ボードレールにこだわってみようかな、とヤッホー君は思ったそうです。

 ちょっとぉ〜、ボードレールに飛んで行くのは早すぎ、その前にさ、実は昨日の日記で紹介した山階鳥類研究所研究員の出口智広さんが昨日27日金曜日の早朝、4時台のNHKラジオ「ラジオ深夜便」で、「明日へのことば アホウドリ復活を見守って」に登場なさっていたのです。

翼長2m半、巨大な翼を大きく広げ悠然と太平洋上空を滑空するアホウドリ。第二次世界大戦後、伊豆諸島・鳥島では絶滅が報じられましたが、現在、わずかながら個体数を回復しつつあります。
 山階(やましな)鳥類研究所が、アホウドリを守るため、5年計画で進めてきたヒナの引っ越し作戦がことし仕上げの年を迎えます。この作戦は、生息地の伊豆諸島・鳥島が火山島で噴火のおそれがあるため、350Km離れた小笠原諸島の無人島・聟島(むこしま)へヒナを移住させ、新しい繁殖地を作ろうという計画で進めてきたものでした。これまでに聟島で育てた55羽のヒナは、みな無事に巣立ち、去年は7羽が聟島に戻って来ました。予想以上の成果だといわれています。
 研究員の出口智広さん(38歳)は、ヒナの飼育チームの一員として、5年計画の最初からアホウドリの復活に努めてきました。ことしも聟島に15羽のヒナを運び、5月の巣立ちまで現地で飼育に当たっています。聟島ではテント生活をしながら交代で飼育をしますが、春先に多い雨や湿気もヒナたちの育つ様子を見ていれば少しも苦にならないといいます。出口さんにとって、アザラシや海鳥などの観察を続けた北海道大学時代から野生動物の行動研究はライフワークです。5年計画の最初の年に育てたヒナが、若い成長となって帰ってきた1年前の感動は忘れがたい、と出口さんは振り返ります。
 番組では、現地でヒナの巣立ちまでを見守っている出口さんに、飼育の苦労やアホウドリ復活に寄せる思いを伺います

http://www.nhk.or.jp/r1-blog/050/117340.html

 悲しいお話もあるのです。

 ひとつ目は、ね、繁殖地って島の高地ではないんですって出口さんが語ってくれました。
 だから地球温暖化で海面が上昇すると、住めなくなるのは南の島の南洋人ばかりでなく、アルバトロスもそうですって。
 なんとあの3.11の大震災の津波は、繁殖地まで襲っていたんだって:

三陸沿岸から約4000キロ離れた北太平洋のミッドウェー諸島(米ハワイ州)を、3月11日の東日本大震災の津波が襲い、コアホウドリなどのヒナ11万羽以上が犠牲になったことが、このほど現地を訪れた海洋写真家、杉森雄幸さん(40)の取材で明らかになった…。
 平坦な島々に生息するコアホウドリやクロアシアホウドリのヒナが流されるなどして大量に死んだ。
 4月上旬の調査では今年生育中のヒナの約22%に当たる11万羽以上が失われた。イースタン島では昨年11月、伊豆諸島の鳥島を巣立ったアホウドリのつがいが初めて産卵し、ヒナ1羽が成長。ヒナは津波で流されたが、現地関係者に救出され、6月17日までに巣立ったことが米魚類野生生物局(FWS)によって確認された

(2011年6月30日14時35分更新 読売新聞 編集委員 藤野彰)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110630-OYT1T00629.htm

 二つ目は、ね、餌。洋上はゴミで汚れてきているって、出口さんはおっしゃっていました。
 人工繁殖地の給餌にも気を使っているのに、痛いたしげな事故が起こるんですから、成鳥だって、ね。これは4月17日付け山階鳥類研究所発表(環境省自然環境局も同時発表)の「聟島に移送したアホウドリのヒナの死亡原因について」、岐阜大学応用生物科学部検査によりますと、3月7日水曜日の給餌時までは体調の異常を感じさせる様子はみられませんでしたが、翌8日御前8時、既にうつぶせの状態で死亡していましたって。

直接的な死因は、消化されず胃に残っていた食べ物が、何か事故的な原因により、それを吐き戻した際に気管内混入したことによる窒息と推測されました。
 死亡の背景となる要因については明確には特定できませんでしたが、栄養的な脂肪代謝異常(代謝速度の低下)や、種々の臓器及び組織の変性と過剰なミネラル沈着が見られ、これらが背景となった可能性があります

http://www.yamashina.or.jp/hp/p_release/images/20120417_prelease.pdf

 ね、デリケート、センシティブでしょ、ボードレールがはたちで見抜いたように≪プリンス≫ですからね!このヒナに合掌。
 その移送大作戦は下↓の画像をクリックして想像をたくましくしてご覧遊ばせ、そして、このかけがいのないこの地球の、生きとし生けるもの、すべての生き物に、幸せと平安を祈りましょうよ…
http://www.yomiuri.co.jp/eco/graph/albatross/

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2012年04月27日

アルバトロス カルバドス

 カルバドス(calvados)って知っています?

 これはフランスの calvados 地方で作られている、りんごから作った発泡酒であるシードル(cider)から作る蒸留酒なのです。

 ぶどうから作ったワインを蒸留して作れば、ブランデー。
 リンゴから作ったシードルを蒸留して作れば、カルバドス。

って覚えておれば大丈夫!これをヤッホー君はヨーロッパに出かけた友人に『お土産、空港の免税店で買ってきて、重くなってごめんな』って頼みました。ところが、帰国した友人は「店員に聞いてもなかったよ、首をかしげ笑われたよ」って言ったことを思い出しています。

フランスの酒といえば誰でも世界に冠たるワインとその蒸留酒ブランデーを上げるだろう。
 確かにシャンパンやコニャックはフランスを代表する銘酒である。
 しかし酒の薀蓄を披露したくてうずうずしている好事家達はカルバドスを上げるかも知れない。
 カルバドスは往年の映画「凱旋門」で日本に広く紹介され、愛好家を増したもう1つの銘酒である。
 フランスの北西部、大西洋に面したノルマンジー地方とブルターニュ地方周辺ではリンゴを原料とした三種類の酒が製造されている。
 リンゴ果汁をそのまま発酵させたシードル(cidre)、これを蒸留し樽詰め熟成したカルバドス(calvados)、もう1つは果汁とカルバドスを混合し樽で熟成した食前酒ポモウ(pommeau)である

(境博成「フランスのリンゴ酒シードルとその蒸留酒カルバドスの歴史と現状」)
http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jbrewsocjapan1988&cdvol=102&noissue=5&startpage=339&lang=ja&from=jnlabstract

 そのね、友人が笑われた理由って、ヤッホー君が分かったのは友人が日本を離れた後、もう訂正の仕様がなかったんだって。それは、「カルバトス」とヤッホー君が頼んでそう言ったと思っていたのでしたが、友人が手帳に書いたメモ書きには、カタカナで「アルバトロス」って書いてあったんですって。

 アルバトロス(albatros)って知っています?

2008年12月20日(土)船の科学館本館において、長谷川博・東邦大学理学部生物学科教授による講演会、東邦大学理学部公開講座/船の科学館特別講演会「鳥島アホウドリ調査100回記念講演会≪アホウドリ:未来への飛び立ち≫」が開催されます。
 このイベントは、長谷川教授が1976年に初めて鳥島に渡り、アホウドリの保護研究・調査を行ってから、今年11-12月の調査で100回になることを記念して企画されたものです。
 羽毛を採るために乱獲され、一時、「絶滅」したと考えられた大型海鳥アホウドリは、長谷川教授の活動をはじめとする人間による長年の積極的保護活動が実を結び、全体で約500つがい、およそ2500羽に回復しました。
 さらに、今年の春、鳥島から10羽のひなが小笠原諸島に運ばれ、そこに繁殖地を形成する大計画が国際協力によってはじめられ、保護活動に新たな展開をむかえました。
 講演会では、「個体数10倍:鳥島における保護の成功」と題し、30年にもわたるアホウドリの保護調査・研究のこれまでの軌跡とこれからの展望についてお話しいただきます。
 また、ひなの小笠原諸島への移住計画に携わっている出口智広氏(山階鳥類研究所)による講演「新たな挑戦:小笠原諸島聟島への移住」、そして総合討論も行われます

http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/index.html
http://www.toho-u.ac.jp/press/press20091120.html

 いったいどんな鳥で、なんで変な名前がつけられたのかな、どこに住んでいるのかな、などなど詳しくはその東邦大学の公式サイトを開いて学習しましょうね。以下↓を参照のこと:
http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/information/QA/Q&A.html

アホウドリは全長92cm、翼開長(全幅)2.4mの大型の海鳥で、体重は約7kg ににもなります。
 グライダーのように細く(翼の幅は約17cm)長い翼を持ち、海上を吹く風を巧みに利用して、ほどんど羽ばたかずに滑るように飛翔します。
 
 10月下旬から11月中旬に、一腹にただ1個の卵を産みます。
 大きさは、長径11.8cm、短径 7.4cm、重さ約 375g です。

 アホウドリはなぜ、ずーっと鳥島に住まないのですか?夏は餌が無くなるのですか、それとも暑すぎるのですか?難問で、分かりません。
 それは、なぜ、10月から5月にかけて鳥島で繁殖し、そのあとベーリング海やアリューシャン列島近海、アラスカ湾まで渡るのかについても説明しなければ、本当の答にならないからです。いま、私は、これに答えることができません。
 ただ、鳥は1年のうちに、必ず繁殖・換羽(「かんう」と読み、羽毛を生えかわらせる)・越冬のサイクルを送らなければなりません。他の動物に比べて優れた移動力をもっている鳥は、場所をかえてこれらの「年中行事」をすることができます。
 そのために、毎年定まった時期に決まった場所の間を移動します。それが渡りです。このように移動するのは、そのほうが移動しないで1箇所にとどまるよりも生存するのに有利だからです。
 ですから、アホウドリが渡りをするのは、たぶん、そのことで少しエネルギーを必要としたとしても、餌の豊富な海域(白夜の夏に高緯度地方の海は植物プランクトンが大発生し、それを食べる動物プランクトン、さらにそれらを餌とする魚類やイカ類が大増殖します)に移動して換羽するほうが、生き残るチャンスが増したからでしょう。
 アホウドリと同じように、たとえばザトウクジラなどの大型クジラ類も、夏に餌の豊富な北太平洋北部に移動します


 いまホットな話題スポットとなっている尖閣諸島もアルバトロスにとっては大事な繁殖の場所なのですが、アルバトロスをつかまえないで!

L'Albatros

Souvent, pour s'amuser, les hommes d'équipage
Prennent des albatros, vastes oiseaux des mers,
Qui suivent, indolents compagnons de voyage,
Le navire glissant sur les gouffres amers.

À peine les ont-ils déposés sur les planches,
Que ces rois de l'azur, maladroits et honteux,
Laissent piteusement leurs grandes ailes blanches
Comme des avirons traîner à côté d'eux.

Ce voyageur ailé, comme il est gauche et veule!
Lui, naguère si beau, qu'il est comique et laid!
L'un agace son bec avec un brûle-gueule,
L'autre mime, en boitant, l'infirme qui volait!

Le Poète est semblable au prince des nuées
Qui hante la tempête et se rit de l'archer;
Exilé sur le sol au milieu des huées,
Ses ailes de géant l'empêchent de marcher.

Charles Baudelaire

 
 あの、ね、アルバトロスって「詩人」、Le Poète qui est semblable au prince des nuées なんですう。尖閣諸島、鳥島、聟島から『悪の華』まで飛んでしまったようで。

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2012年04月26日

カレーはバナナの葉の上に

 『今、わたしたちはカレーライスといっていますが、明治時代には「ライスカレー」とよばれていました。
 このライスカレーという言葉の生みの親は、札幌農学校のクラーク博士だという説があります。
 1876(明治9)年、アメリカから札幌にやってきたクラーク博士は、日本の青年たちの体格が貧弱なことに驚き、肉食と洋食を積極的に奨励しました。
 そして寮の食事に
「生徒は米飯を食すべからず。ただし、らいすかれいはこの限りにあらず」
という規則をつくったというのです

(出処 ibid 『世界が見えてくる、身近なもののはじまり』)

 そうでしたか…。
 ところで、インド。

皿の代りにバナナの葉の上に食べ物が盛られる。
 食べ物を包んで持ち運ぶときにも用いられる。
 特に南インドのヒンドウー教徒の婚礼ではバナナの葉が欠かせないものである…
 第一に大きい。
 光沢があって水分をはじく。
 ご飯におかずを混ぜ、スープをかけて手ですくい、口に運ぶ南インドの食事に最適である…

 バナナの葉には殺菌効果も知られている…

 葉皿は洗って再利用することはない。
 食べ終わったら残飯とともに棄てるだけである。
 使い捨てで清潔だし、唾液に伴うケガレも移らないで済む。
 葉皿と残飯は牛などが余すところなく処理してくれる…
 
 バナナの木は、吉祥の象徴として祭事や婚礼の際に会場の装飾にも用いられる…。

 南インドやスリランカのタミル社会では、初潮儀礼の際にも家の入り口に飾られる。
 豊穣や多産のシンボルだからである

(山下博史・岡光信子『インドを知る辞典』2007年、東京堂出版)

『インドのカレーは日本のそれとは大きく違い、さらさらと水気が多く、スパイシーなスープといったようなものが多い。
 チキンやマトンなどの肉のカレーや、魚やエビなどが入った魚介カレーのほか、思いのほか多いのが、ほうれん草やジャガイモ、それにオクラといった野菜のカレーや、ヒヨコマメや大豆を使った豆のカレーだ。
 11億人が毎日、「いわゆるカレー」を少なくとも一日一回は口にするインド。
 しかし、国中のどこを探しても、日本にあるような「カレールウ」のようなものは存在しない…
 
 毎日の食事を作る際に、家庭では女性が、レストランでは調理人たちが、このスパイスボックスから慣れた手つきで数種類のスパイスを選んでフライパンの中に投入し、手間隙をかけて、その日のメインディッシュであるカレーを作るのだ。
 ちなみにインドでは基本的にカレーを作り置きしない。
「カレーは毎食毎に作り、熱いうちに全部平らげる。それが正しいインドの食文化なのだ」』

(NHKスペシャル取材班編著『インドの衝撃』2007年、文藝春秋)

 CAP はっちゃんが来週、5月2日水曜日にキャセーパシフィック航空で来日します。
 またカレーパーティしなくっちゃ…

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2012年04月25日

殺生禁断

 今からちょうど140年前のこと、なんですねえ〜。ライスカレーかカレーライスかは別にして、こんなことが:

1872(明治5)年、日本で最初にカレーの調理法を紹介した『西洋料理指南』や『西洋料理通』には、鶏肉や牛肉が使われていました。
 ところが、日本ではなんと幕末まで、肉食が禁止されていたのです。
 古代の日本人は動物の肉を食べていましたが、仏教が日本にはいってきた飛鳥時代、殺生禁断の教えにもとづいて、肉食が禁止されるようになります。
 675年、天武天皇は牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を禁じる勅令を発布しました・
 これ以後、1200年間にわたって、日本では肉食がタブーとされ、日本人は肉にかわって魚をたんぱく源としてきたのです

(文・井田ゆき子、監修・吉田よし子『世界が見えてくる、身近なもののはじまり、第二期、カレーライス、はじめはどこで生まれたの?』PHP研究所、2002年)

『(3)動物の愛護管理に対するわが国の考え方の特徴
@アニミズムや仏教思想の影響
わが国における人と動物(自然)との関係に関する考え方や態度は、アニミズムと融合して日本化した仏教の影響を強く受けているものであると言われている。また、その特徴は、次のとおりであるとされている。
@「不殺生戒」に基づく動物の殺傷の罪悪視
A「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」思想による、人間と動物とは生命的に平等であるという考え方
B「輪廻転生」思想による、人間と動物とは生命的に連続であるという考え方』

(環境省 資料4「動物の愛護管理の歴史的変遷」)
http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/arikata/h16_01/mat04.pdf

『「草木塔(山形県「風雅の国」)
 「草木搭の建立によせて」
 梅原猛(国際日本文化研究センター所長)
 草木搭というものが山形県にたくさんあることを聞いて、私は一種の感動を禁じ得なかった。
 それは、少なくとも私の住んでいる近畿地方には存在しないが、まさにそれは日本仏教の山川草木悉皆成仏という思想を具現化したものである。
 私は日本に仏教が入って山川草木悉皆成仏というような思想がでてきたのは、もともと日本には草や木に生きた神を見る思想が合ったからだと思う。
 山形にこのような草木搭が多いのは、そこには多分に一木一草の中に神性を見る土着思想が強く残っていたからであろう。
 今ここに新しい現代の草木搭が建立されるという。
 それは目立たないけれど、甚だ時世にそった快挙であると思う。
 今、世界の人はもう一度人間の生命がいかに草木の生命とつながっていて、草木とのつながり無くして人間の生命がありえないことを深く認識しなければならない。
 この時にあたって、新しい草木搭の建立は、時代に一つの警鐘を与えるものだろう。

 出典:山形県HP』
…出処ibid

 そうなんです、どこまでも日本人になろうとしているヤッホー君の思いは、大好きなおじいちゃんから教え込まれた「山川草木悉皆成仏」が身にしみついているようで。
 今晩、開かれたヤッホー君家の「修繕委員会」の委員長に選ばれてしまいました。理由は、いま住んでいるお家を「愛しているから」だそうです。
 玄関を入ってすぐのお部屋から眺める朝焼けは、紫から、橙色、赤色、そして晴れていれば青空、と色が七変化する素晴らしい筆舌に尽しがたい空模様を刻々と見せてくれるし、スカイツリーは見えるし、隅田川の花火大会の煙も見せてくれるし、3.11はがんばって耐えてくれて、よしよし、と何度も撫で撫でして、褒め称えてあげました山小屋、いや、集合住宅、まさしく、下町のオアシスなんですって。

☆ 資産価値は年々減っていったっていい、住んでて良かったという住価値はあげていきます。
☆ 住んでいる人通しが笑顔で挨拶できるコミュニティづくりに貢献します。
☆ 住んでいる人からの修繕の依頼に皆んなで知恵をしぼって応えていきます。 

 がんばりまぁ〜す!!

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2012年04月24日

カタクリが鹿の食害に

 今日も八ヶ岳、ですかねえ〜。
 アルピコバスで茅野駅から湯みち街道を渋の湯まで走っていた4月13日金曜日、もう10日も前になるのですね、車内は路線バスであるにもかかわらず山歩クラブの「春の雪山を楽しむ山旅」企画参加者の4名のみ、貸切でしたが、その車窓からわれわれはバスと並行して走る鹿の群れに遭遇します!あんな鹿の軍団に遭遇したのは初めてです。それも一群れだけではないのです。その先にも、そしてその先にも。びっくりしましたねえ。

 今日4月24日火曜日は、まず長野日報の記事からご報告します:

岡谷市長地の出早公園に群生するカタクリが、鹿の食害に遭っていたことが4月23日分かった。
 食害は2010年に初めて確認され、被害が年々拡大している。
 園内では4月30日まで「かたくり祭り」を開催中で、ようやく見頃を迎えただけに、関係者が頭を抱えている

(長野日報2012-4-24 6:01更新「岡谷の出早公園のカタクリ 鹿の食害に」)
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=24786

 昨年のニュースですが、
南アルプスに関係する伊那市や富士見町、南信森林管理署、信州大学農学部などでつくる南アルプス食害対策協議会(会長・白鳥孝伊那市長)は2011年11月16日、高山植物に深刻な影響を与えているニホンジカの個体数調整を図るため、捕獲用のわなを南アルプス国立公園内に設置した。同協議会によると、国立公園内での野生鳥獣の捕獲事業は県内初の取り組み。
 同協議会は2008年度から、南アでのシカによる食害の実態や行動範囲などの調査を実施、仙丈ケ岳馬の背周辺で防鹿柵を設置してきた。食害の直接的な原因になっている高山・亜高山帯に生息するシカの数を減らし、希少な高山植物を保護、復活させるため、新たに捕獲へと踏み込んだ

(長野日報2011-11-17 6:00更新「国立公園でシカ捕獲へ 南ア食害対策協が「わな」設置)
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=23224

 仙丈ケ岳馬の背って標高2736mです。
 山歩クラブは、南アルプスの女王仙丈ヶ岳にご挨拶しないといけないねとなり、キャップのはっちゃんも含めて2003年夏に登って、馬の背ヒュッテに泊まり、そこでカレーライスを食べたことがありました。
 クロユリもシナノキンバイも、ヨツバシオガマも、マルバタケブキもお花畑は満開でした。
 これがいま、鹿の食害にあってるって??
 しかもカタクリが大好きって??
 われわれはさっそく今月30日の月曜日、調査隊を派遣することにしました!!

『亜高山帯上部におけるニホンジカによる採食は、1990年代から報告されるようになり、最近の5、6年で急速に拡大している。
 中部森林管理局の報告によれば、南アルプス北部では、仙丈ヶ岳の馬の背周辺、北沢峠周辺、北岳の草すべり、北荒川岳周辺、塩見岳周辺、三伏峠の登山道沿いにあるほとんどの高山植物群落が壊滅的な状態である。
 また、南アルプス南部では同様の状況が、三伏峠から烏帽子岳、聖平、上河内岳、茶臼岳などで認められている。
 例えば、シナノキンバイやハクサンイチゲ、クロユリなどの高山植物はニホンジカの採食によりほとんど確認できなくなり、ニホンジカの嗜好性が低いバイケイソウやマルバダケブキが優占している(なお秋にはこれらの高山植物も採食される)』

(信州大学農学部准教授竹田謙一「くらしの森」第12号、2009年3月30日発行 巻頭言集)
http://swcc-web.org/kanntougen.html

ニホンジカ被害対策合同シンポジウム(南アルプス食害対策協議会主催、信州大学農学部・南北八ケ岳保護管理運営協議会・霧ケ峰自然環境保全協議会共催)は2011年2月19日、伊那市生涯学習センターで開いた。
 京都大学大学院農学研究科の藤崎憲治教授が「シカの増加が昆虫の多様性に及ぼす影響」と題して講演し、各協議会が南ア、八ケ岳、霧ケ峰におけるシカの食害から高山帯を守る取り組みを報告し合った…。
 信大調査チームは▽植物▽治山▽生物多様性▽動物の4分野からシカが南アに及ぼす影響を解説した。
 竹田謙一准教授は小仙丈カールのシカの行動調査について「移動ではなく、生活の場として住み着いている」とした

(長野日報2011-2-20 6:01更新)
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=20589

 そんなこんななかで、ヤッホー君は帰京する前、地酒「高天」を求め立ち寄った、茅野駅エキナカ「ベルビア」内観光案内所で、この「南北八ヶ岳保護管理運営協議会(茅野市役所観光課)」が信州大学農学部南アルプス食害対策研究グループに制作をお願いしたパンフレット「高山植物が危ない-シカの脅威-」をいただいてきました。

 やっぱり、そうなんだ、みたいな。…で、どうする?

 今日、全労済のお知らせを見ていましたら、茅野市在にてオーベルジュ「エスポワール(茅野市北山蓼科中央高原 Tel & Fax 0266-67-4250)」を経営しているシェフ藤木徳彦さんのお話が載っていましたので、ご紹介。
 ぜひクリックして読んでください。
 山歩クラブの10周年記念の交流会会場の候補のひとつ、おじゃましてみましようかねぇ〜。
 なお、シェフの藤木さんは、農林水産省が選定する「地産地消の仕事人」です。

長野県では、野生鹿の生息数は10万頭を超えています。適正な数は3万頭といわれていて、7万頭を駆除しないと高山植物や農作物の被害はさらに拡大することになります。これに対し、最近は年間2〜3万頭が駆除されていますが、そのうちジビエ食材として利用されているのはわずか6%程度です。
 では、残りはどうしているかというと、埋設処分はまだましなほうで、大半はそのまま放置です。それをイタチやテン、ハクビシンなどが食べて数が増えています。また、熊も冬場の餌にするため、冬眠しない熊が増えています。つまり食物連鎖が狂ってきているのです

(全労済『暮らしのお役立ち情報』2012年2月号「スローフードという生き方」第10回)
http://www.zenrosai.coop/kurashi/osusume/2012/02index.php

 その藤木さんが広く声かけをして、今度立ちあげるのが「日本ジビエ振興協議会」!活動を見守っていきましょう。協力できることは協力していきませんか!

主な目的は、次の3点です。
・野生鳥獣の資源化による農業・農村の活性化
・国産ジビエのブランド化を通じた農山村での新産業・雇用の創出(6次産業化)
・ジビエを切り口とした新たな都市農村交流事業の開拓』

…出典ibid

鹿やイノシシなど国産のジビエを普及・拡大し、中山間地域の農林業や産業を守り地域を活性化するため、「日本ジビエ振興協議会」が5月31日に発足する。
 ジビエ料理の第一人者・藤木徳彦シェフがオーナーを務めるレストラン「オーベルジュ・エスポワール」(長野県茅野市)や大手旅行会社のJTBなど9社が発起人となり設立。
 同日はジビエ振興セミナーを開催する。
 併せて説明会を開き地方自治体や関連企業、個人に向けて参加を呼び掛ける

(4月19日付け日本農業新聞「日本ジビエ振興協議会 5月に発足」)
http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=13790

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2012年04月23日

CAP はっちゃん

 あのお〜、今日の月曜日4月23日は、ナイトキャップでなくキャップの話しです。

CAP(Consumer's Association of Penang)
 ペナンの消費者組織(NGO)を訪問。アジアでも早い時期に設立されたそうだ。1年に3000件もの案件に丁寧に対応しており、広報も積極的になされており、政府との関係もよいようで、マレーシアにこんな素晴らしい団体があったことがうれしかったです。
 広報の仕方も、マレー語、英語、中国語と多民族に対応しており、そこまで行なわれていることに感激しました。多民族が一緒に暮らすには、このような策を取ることが必要なのだと思いました。
 一般大衆の意識がまだ低く、立ち上がらせることが一番の問題とおっしゃていました。
 副所長マーシャルさんが言われた「Simple Living High Thinking」…High Livingになりがちな日本人として少々見直さなければならない言葉でした

(中部大学 国際関係学部 国際文化学科 吉原ゆう子「学生が語る海外体験」)
http://www3.chubu.ac.jp/international_exchange/voice/6/

 はっちゃんは、ここで商品テストのヘッドなのか、キャップなのか、問題点があれば記者会見を開き、地元テレビに出て、また北の都会(まち)ペナンから、首都クアラルンプールに月に何度も出かけ、政府の消費者保護のためのさまざまな分科会に消費者を代表して出席し、発言しております。

 先週は、インド人の大好きな、カレーライスを盛るバナナの葉について、「こりゃあ〜、大変だ」と発表したところいまだに波紋が収まっておりません。

 まずは昨日、日曜日の英字紙ザスター紙から:

Sunday April 22, 2012
I WRITE in support of “Health Ministry to check safety of fake banana leaves” (The Star, April 19).

I’d like to share an experience that left me very unhappy. I was shocked to be served lunch on a fake banana leaf.

When I asked why the fake leaf, the answer was simply susah mau cari daun pisang (banana leaves are hard to come by), and the waiter just smiled and walked away.

The cashier also merely smiled when I told him that we patronised his restaurant because we wanted to savour and feast on authentic south Indian banana leaf rice, not on a fake leaf.

To top it all, even roti canai was served on fake banana leaf paper! That was an awful experience.

We felt degraded being served on paper and still have to pay the same price. Since we had our children with us, we had no choice but to have our lunch there.

In using fake banana leaf paper, the restaurant saves a lot – fewer plates to wash, less water usage, less labour and less work overall.

All they need to do is throw the used fake banana leaf into the garbage bin. Imagine the effect this will have on the environment. What will our next generation have if this is prolonged and if we don’t make every effort to save the trees?

The Indian culture and tradition of serving food on banana leaf may slowly diminish and our next generation will lose out on this. Can money replace such values?

(Fake leaves eating into Indian culture)
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2012/4/22/focus/11147543&sec=focus

 その前の土曜日は違う意見も載っております

Saturday April 21, 2012
PETALING JAYA: “We prefer the real banana leaves” this is what a number of customers of a popular Indian restaurant here said about fake or paper leaves that are being used to serve food on.

For Lily Chin. 63, food tastes better when served on real banana leaves.

“We grew up eating it that way. It is the authentic and original Indian banana leaf meal,” she said at the Kanna Curry House outlet at Section 17 here yesterday.

However, she believed the paper leaves could be more hygienic as the real ones may not be cleaned well or have pesticide residue.

(Customers prefer to have their meals on real banana leaves)
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2012/4/21/nation/11146348&sec=nation

 その元になった記者会見とは、以下↓参照:

Updated: Wednesday April 18, 2012 MYT 4:29:22 PM
GEORGE TOWN: The "fake banana leaf" used by restaurants can be a health risk because it emits a chemical leach from the plasticisers used in its manufacture, the Consumers Association of Penang (CAP) claims.

CAP president S.M. Mohamed Idris said the "banana leaf" was actually made of recycled newspapers which had been dyed green, adding that it may also contain harmful leftover inks.

('Fake' banana leaf a health hazard, claims CAP)
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2012/4/18/nation/20120418164054&sec=nation
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2012年04月22日

山行記

 山から里に戻ってもまだ山の気が息づいているって感覚があって、からだのどっかがまだ山に残っている、それを抱え込んだまんま、日常生活は表面上、なにもなかったし、なにもないよって見せ掛けて、知らん振りして里の空気を吸っています。
 しゃべらない、けっしてその二重生活を話したくない、大きな声で「実はね、氷と雪の世界があってね…」とか言ってきかせたいのだけど、口に出して言えば、その二重生活がシャボン玉のようにぱち〜んと弾けて、壊れて消えてしまうような気がして。
 口数がもっとすくなくなり、じっとうつむいたり、頬杖ついたり、ホームのベンチでひとつ電車をやりすごしても、ヤッホー君のこころは温ったくって、濃密な自分の時間が流れて、ま、都心の木の葉も枯れ葉から新芽にすっかり入れ替わったし、そんな時間をゆったりと味わっているそうです。

 『若き日の友情』って良かったでしょ、「あとがき」で奥さまの佐保子先生がこんなことを言ってましたね:

『最終回のみが未完に終わった「のちの思いに」(日本経済新聞社、1999年12月刊)では、私たちの出会いから結婚まで(国分寺時代)、さらに「二度と帰らないアルカディアの日々」となった北八ヶ岳山麓での一夏をなつかしく回想している。
 そのころは、中央線をわたる国分寺の陸橋から西の方角をいつも眺めていた。

 「私にとって、まっすぐ山脈の方に消えてゆく銀色のレールは、松本に魅惑された時以来の残映でもあり、…若かった私の憧れを結晶させていた。
 このように地平線の遠くに伸びてゆく力からこそが、私に何かを創らせる原動力だったのではなかろうか」』


 これはヤッホー君のこのブログ、4月17日付け日記「北八っ・辻邦生」でも長野大学名誉教授の佐々木とおる先生の筆にて紹介したばかりです。

 ヤッホー君の言葉に置き換えて言えば、代々木病院の眼科で山城先生から治していただいたあの細い目ん玉は、政治に反応するな、現実を見ても現実にあわせてコピーしたり、フォローしたり、アップルポリッシュ(apple polish)するのを止せ、そんな時間があれば、目ん玉のなかを磨け、膨らませ、研ぎ澄ませ、ってことでしょう。

 多分、ヤッホー君も多分、雑文、駄文でも毎日書くことによって現実を自分の目で再構成して、生き延びてみる試み、きっと永遠の試行錯誤なんでしょうけど。
 いまひとり、ヤッホー君の大好きなお医者さんを兼ねている物書きの南木佳士でしたら、こんな風にも言うでしょう:

『(山の気に)溶けたからだを寄せ集め、濃縮、再生し、俗世仕様にもどさねばならない。
 こういう作業を無意識のうちに淡々とこなせるようなら、おそらく多くの人たちはそうなのだろうけれど、山行記なんて書く必要はない。
 書くという行為はいまの「わたし」を確認する作業だ。
 書いているうちに、じぶんの一部があるいは大部分が、山に残ったままだと知ってしまったら、
 「わたし」が分裂してしまっているのを認識したら、
 山をさまよっている「わたし」を言葉の担架に乗せ、静かに運び下ろさねばならない

…南木佳士『山行記』(山と渓谷社、2011年4月)

 逆もあるのです。
 ヤッホー君がなぜ山で歌うのか? きっとそれもまた「わたし」を確認する作業なのです。
 山路で、ヤッホー君が記録をつけているところを見たこともありません。山を下りて里に帰って山行記をつけるために、小休止のたびごとにボールペンと紙をだして書くことをしません。
 時計さえ腕にしていません。
 「どこそこを何時に通過」を書いてしまえば、山の気に溶けない「わたし」、俗世仕様にまみれた「わたし」がぬっと顔を出しているようで、とても我慢ができない、と言います。
 ですので、山路の途中、突然立ち止まって、ほら上を見て、あの声の持ち主はどこにいるんだろう、とか、仲間の顔を上げさせたり、ね、この花はな〜に?とか聞き出そうとしたり、音程がはずれた下手糞な声で急にわめきだしたり(歌じゃないですよね)、あれはきっと、山のなかに「わたし」を溶け込ませようとしているんですね。

大好きなスキマスイッチの歌を口ずさんでみることにしました。
 するととたんに、それまでの疲れがスッと消えていきます。
 ウソのようにラクに足が前に出るようになってきました。
 呼吸もラクです。
 すごい。
 ちなみに、この数日後、偶然、テレビで田部井さんが「歌うといい」と言っていました。
 高山で体を慣れさせる方法のひとつとして、歌は、声を出して息を吐くことによって自然に空気を取り込めるのでとてもいい、というのです。
 田部井さんは、ルー大柴さんといっしょいに楽しそうに歌っていました

…「懐かしい山、福島県 磐梯山」、華恵(1991年アメリカ生まれ、6歳から日本に住む)『華恵、山に行く』(山と渓谷社、2010年7月刊)所収

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野上ふさ子

 一晩寝ましたら、だんだんと「ヒグマ哀れ」の実態が分かってきました、4月22日日曜日「アースデー」の日。
 
 このかけがえのないわれわれの住み家である地球には、人間だけが住んでいるのではありません。
 地球が人間のために存在しているのでもありません。
 たくさんの生き物がいて、大きな空に鳥が飛び、広い海に魚が泳ぎ、高い山にも黄色い花や季節ごとに羽毛の色を替える鳥まで、いろんな動植物が暮らしています。人間だって服なんか着ていられないところから、服を着こんでも寒さで震える寒いところまで、環境に順応しながら生きています。

 ですので、人間以外のそんな動植物や自然や環境を、人間だけが利用するなんてのはもってのほか、ましてや山にAクラスから序列をつけるのが変なように、人間にも序列ができていくのはおかしい、皆んな「仲間」だ! 「仲間」でわいわいがやがや顔を見ながら話しあい、肩を組みあい、手をとりあい、あるときは取っ組みあいしながら、あるときは笑い興じながら、同じ目線で、同じ空気を吸うこと…、そんなことが山歩クラブ活動を10年を経過して学びえた、とりあえずの結論といたしましょう、とヤッホー君。

 それだけに、原発で生家に戻れない難民と化した人の群れ、中国産の鹿を山形県の個人が飼育(?)していた哀しい話し、昨日びっくりした北海道産のヒグマを業者が飼育(?)していた話しとか、増えすぎた(生態系が混乱してきている)鹿の群れ、山ビルを浴びて歩けない山路とか、秋でもないのに真っ赤に染め上がっているナラ枯れ、松くい虫にやられた尾根筋の哀れな樹木たち、そんな何か訴えかけてきている、聴こえない声に遭遇するたびに、ヤッホー君の耳はぴくっと動き、さっそくこのブログで、「山日記」として雑文を認めてきています。

 「ヒグマ哀れ」続編のはじまりぃ、〜はじまり(注記)。

 大阪の弁護士でヤッホー君が現役のころ、たいへんお世話になった先生が植田勝博氏でした。この先生は、弁護士ですが、動物法ニュース事務局長、ザ・ペット法塾代表、消費者法ニュース代表と肩書きがわんさかおありになりますが、そのネットワークでつながりのある方が野上ふさ子さん( 1949年新潟県生まれ)です。

もし地球の生きものたちにも声があるなら、私たちにどんなことを訴えるでしょうか?

 傷付け、苦しめ、殺さないでほしい、
 一生の間、檻の中に閉じこめないでほしい、
 新鮮な水や食べ物が得られるようにしてほしい、
 自由に歩けるようにしてほしい、
 住み家の森の木を切らないでほしい、
 生息地を壊さないでほしい、
 絶滅させないでほしい…
 じっと耳を傾ければ、このような嘆きの声がいたるところから聞こえるのではないでしょうか?

 私たちは、これらの生きものたちの声に耳を傾け、生きとし生けるものみな(個体・種・生態系)がそれぞれ多種多様なままに尊重され、共に平和に暮らせる調和ある社会の構築を目指して活動します


 NPO地球生物会議ALIVEの公式サイトからです。
http://www.alive-net.net/

八幡平クマ牧場では、給餌に問題があります。
 病院給食の残飯とリンゴ・野菜等を1日おきに1頭あたり残飯10キロ、リンゴ(野菜)を2キロ給餌しているそうですが、この内容はクマの自然生態系における食生活とは大幅に異なっています。

 また狭いスペースに多頭飼育していることから、力関係が生じて十分に食べられず、衰弱しているクマがいることは歴然としています。前回の調査では、極度に削痩したクマや、他のクマに威嚇されて食べられないクマを目の当たりにしてきました。 

 冬の間は閉園になりますが、「冬眠前に十分な体力をもたせることができないために」冬眠はさせていません。寝る場所も天井もないことからも、クマの習性への配慮が一切見られません


 公式サイトから、この飼育舎の様子、ヒグマの哀れな姿をごらんになってください。
 問題の根っこが同じってさ、人間も狭い檻のなかに閉じ込められ(閉じ込める人、閉じ込められる人、見物する人、見世物にする人って分断され、別れ、そのことをオブラートに包んで現実を見えなくして、あたかも絆とかつながりとか元気とかあるように幻想を垂れ流す輩もいる、だって人生、商売だもん)、力関係が生じて十分に食べられず、衰弱している人間もでてきていることは歴然としています」じゃないのかな。

 実は野上さんのところのNPOは昨年、この問題に付き、2011年11月15日付けにて、お手紙を出しておりましたが、選民たちに届いたのでしょうか、ね。
秋田県知事 佐竹敬久様
所轄:生活環境部生活衛生課御中
秋田県内のクマ牧場の飼養状況等に関する公開質問書


 野上さんは機関紙の最新号(ALIVE No.102 2012.4.1)の巻頭言ではこんなことも書いておられました:

動物「愛護」から「福祉」へ 脱・「動物虐待国・日本」

 1973年に日本で初めて動物保護管理法が制定されたきっかけの一つは、実験動物たちの取扱いがあまりにひどく国際的に批難を受けたからでした。
 保健所から払い下げられた何万頭もの犬たちが、さまざまな実験に使われ、世話もされず放置されている惨状が普通の光景だったからです。
 急きょ、英国女王の来日を前に「動物虐待国・日本」の汚名を払拭し、文明国の仲間入りをするという目的で、この法律が制定されたのでした


 ヒグマもよわったってきっと業者に払い下げられるのかな、肉、毛皮、剥製だけじゃなくってさ、ヒグマの胆嚢ってさ、小金持ちの人間が欲しいんだって、なんでも熊胆と書いて『ゆうたん』って言うんだって、へぇ〜。


(注記) 2012年08月25日土曜日付け河北新報「鹿角・死亡事故の牧場クマ全頭、北秋田市が引き受け検討」
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/08/20120825t43016.htm
『秋田県北秋田市は8月24日、女性従業員2人がヒグマに襲われ死亡する事故が発生し、廃業届を出した「秋田八幡平クマ牧場」(鹿角市)のクマ全27頭を、北秋田市内にある「阿仁熊牧場」で引き受ける考えを明らかにした。津谷永光市長が同日、秋田県の堀井啓一副知事に電話で「全頭の引き取りを検討する」と伝えた。
 八幡平クマ牧場に残されたクマはヒグマ21頭、ツキノワグマ6頭。北秋田市はこれまで、ツキノワグマ6頭に限り、受け入れを表明していた。
 同市によると、クマ全頭の受け入れは施設改修費など県の協力が前提。今後、県と協議を進めるという。
 津谷市長は「仮に殺処分ということになれば、県全体のイメージダウンにつながり、観光業に悪影響が出る。動物愛護の観点からも力になりたい」と話している。
 阿仁熊牧場は北秋田市の施設で、現在、ツキノワグマ83頭、ヒグマ1頭を飼育している。
 秋田八幡平クマ牧場は県に提出した廃業届が6月7日に受理され、現在、県が残されたクマの餌代などを支援している。
 県は支援の期限を10月末としているが、施設改修などで北秋田市による引き受けが今冬以降となる場合は、支援の延長を検討するという。
 県生活衛生課は「大変ありがたい話をもらった。条件を一つ一つ詰めていきたい」と話している』
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2012年04月21日

茅野駅

 1週間前になるのですね、4月14日土曜日。
 渋の湯を3時5分前に発ったアルピコバスは、茅野駅に1時間後に着きました。
 この茅野駅前バス停はまた、「ベルビア(茅野市ちの3502-1 Tel 0266-73-0077)」という商業施設前にもなるのです。
http://www.lcv.ne.jp/~bellvia/index.html
 バス停のまん前に、そば処「茶屋Tel 0266-73-0026)」が。

 ヤッホー君は「ところてん」まで別腹で注文しましたが美味。

 茅野駅は「寒天の里」とも言われています。皆さん、ベルビアのなかのお店「新鮮一番 さいとう屋」でお土産に「寒天」をお買い求めに行きます。しかし、ところてんと寒天の違いも分からないヤッホー君は別のお買い物。

諏訪地方で寒天の製造が始まったのは、茅野市玉川が発祥の地で170年ほどの歴史があります。冬の高原地帯の寒気を利用した天然角寒天づくりは、長野県を代表とする地場産業であり「信州寒天」づくりは冬の風物詩。冬の寒い気候を利用して古くから天然の製造方法にこだわった「角寒天」は、全国一のシェアを誇っています。毎年2月16日を「寒天の日」に制定しています
http://www.chinocci.or.jp/project/kanten/

ところ天も寒天も、てん草やおごのりなどの海藻が原料です。違いは、ところ天は干した海藻に水を加えて煮だし、不純物や繊維を除いて固めたものですが、寒天はところ天を脱水乾燥させたものです。
 江戸時代、京都の旅館の主人が、ところ天の食べ残しを寒い戸外に出しておいたところ、自然に凍って日中に解け、これを繰り返しているうちに脱水乾燥した寒天ができたと言われています。寒天の名も「寒ざらしのところ天」の意味でつけられました。
 寒天の主産地は長野県、岐阜県、京都府などの寒冷地で、昔ながらの方法で凍結乾燥させていますが、粉寒天やフレーク、タブレットなどの寒天は工業的に作られています。
 寒天はところ天を加工したものですが、ところ天を寒天のように使ったり、逆に寒天を突いてところ天として利用することもできます

http://home.tokyo-gas.co.jp/shoku110/chie/343.html

寒天の食物繊維は、腸内環境を整える水溶性食物繊維と、腸のぜん動運動を活発にする不溶性食物繊維の両方の性質をもっており、便秘の解消に役立ちます。この食物繊維は消化されることなく、水分を吸収して膨らむという性質があるため満腹感が得られ、肥満の予防にも役立ちます。また、血糖値の上昇を抑える効果があるため、糖尿病の予防やコレステロール値を抑える効果もあると言われています
http://www.kan-etsu.com/knowledge/qa.html

 皆さんがお買い物に行っている間にヤッホー君がやりたかったお仕事、その一。それは、山歩クラブで信州を訪れる度に寄ったおそば屋さん探し。しかし、これは「茅野駅」ではなく、さらに岡谷、諏訪を通って松本の手前にある、「塩尻駅」のおそば屋さんでした。

塩尻市手打ちそば切り協議会加盟店「ほっとして ざわ 塩尻駅1階
 同協議会には、そば切り発祥の里としてのこだわりの<とことん>10ヶ条というのがあります。
 1.とことん 地粉を使用します
 2.とことん そばは純手打ちとします
 3.とことん そばは打ち立てとします
 4.とことん そばは茹でたてとします
 5.とことん つゆにこだわります
 6.とことん お客様の声は大切にします
 7.とことん 安心・安全をモットーにします
 8.とことん 匠の技を磨き合います
 9.とことん 地域の産業振興に寄与します
10.とことん そばを愛します

http://www.tokimeguri.jp/feeling/2009/08/26-224546.php

 そして、お仕事その二は地酒を求めて酒屋さん探し、です。
 これは「ほっとして ざわ」を探して西口から東口へ行ったり、戻ったり、うろうろしてしまい、結局茅野駅にはないことがわかって、今度は酒屋さんを探して、またうろうろきょろきょろしましたが、なんのことはない、さきほどのおそば屋さん、「そば処茶屋」のお隣にありました。
 その名も「山のおみやげ店」。買い求めた一升瓶は、「高天」!
 「スーパーあづさ」に乗車するまでの間、ところ天に寒天に高天、と実に満点のぶらぶら駅前お散歩でした!

1871(明治4)年現在地にて、初代高橋巳喜之助により創業。「地元で愛される酒」をモットーに今日に至っています。銘柄の「高天」は祖先の戒名<高天良橋禅定門>に由来します。
 1928(昭和3)年、全国清酒品評会において清酒高天は長野県で初めて<名誉賞>に輝き、信州清酒の名声を高からしめ信州が銘醸地として全国に認められる基を築きました。
 それは絶えず酒質の向上をはかり、幾多の困難をのりこえてきた努力の賜ものに他なりません。その輝かしい伝統と技術は今日に受継がれ「ふるさとの心が生きている本物の酒造り」を目指し更に研鑽を重ねています

http://www.koten-sake.co.jp/kuramoto-rekishi.html#

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ヒグマ哀れ

 4月21日土曜日、一週間前の夕方は茅野駅から新宿に向かうあずさのなかだったのでしたが、まだ、日記に記さねばならないことがたくさんあります。
 なのに、今朝からヤッホー君の気分はかなりダウンバッド(下向き矢印)しています。

 いつか何年前だったか…。
 山歩クラブのバスのなかで高地順応訓練も済ませてヒマラヤに「仕事で」取材に向かったにもかかわらず、里では配下の者、部下が亡くなったことを得意気に車内のマイクを使って、述べる会員がいました。
 なあ、あんた、そんなことしゃべりはる前に、労務提供者の体調管理、健康管理、ヒマラヤに向かうまでの業務・仕事量の管理に配慮、考慮、熟慮する義務があるのが、あんたがもし社長か何も専務か知らんけど、管理監督者のやんなきゃいけないことなんやないの、と諭しました。
 そうしたら怒りはってな、無類の酒好きの御方なんやけど、もひとつ、プライドもけっこう高い御方だったらしいんだけど、怒りはってな、えらい剣幕で「あんたに諭されるいわれはない!」と酔った勢いでからんできました。里での序列を偉そうに持ち出してきやはりましてなあ、オウジョウしましたっせ、あんときゃぁ〜。
 そりゃぁ〜、労災適用で会社に落ち度はないとされたとして、道徳的、倫理的、信義誠実に照らして、なんて難しいこと言わなくったって、人間として許されることはないはず。そんな人間なもんで、同じ酒好きな会員を引き連れて、独立しましたんや、まるでお客さんつかんで独立する駅前不動産屋みたいなもんや。
 クラブの会員は公募なんで、いろんな方が来られますよって、人間観察に、今時の社会を観るには、良い勉強になりますやってヤッホー君。

 選民なら国民を守るのが義務でしょうが、停電が怖い(ホントかねえ)産業界に配慮して、トイレのないゲンパツの再稼動を急ぐ輩、消費税をあげるから大丈夫、インフレになるから大したことないとばかりに、IMFに国別では最大の600億ドル(約5兆円)を、米国にグアム移転規模を当初の8千人から4200人に縮小することを決めているのに、負担額を現行の28億ドルから31億ドルに見直してプレゼントする輩。

 根っこは同じ。
   
 2012年4月21日朝日新聞デジタル> マイタウン> 秋田版をご紹介。コンピュータでいくら検索しても記事が削除され、胡散霧消する前に書きとめておきたいことがでてまいりました。

 ヒグマが可哀想、飼育係りの高齢者が可哀想。

クマ牧場事件「いつ飼育舎の外に」
 牧場で飼われているクマが、人を襲った。20日、鹿角市の「秋田八幡平クマ牧場」で、ヒグマ6頭がおりから逃げ出し、飼育員の女性2人が体中をかまれるなどして亡くなった。6頭は地元猟友会に射殺されたがクマ牧場をめぐっては、2011年に東京都の動物愛護団体が、「飼育環境が劣悪だ」として改善を求め、県に公開質問状を出したこともある。
◇事件の経緯
8:00ごろ 75歳と69歳の女性飼育員と、男性飼育員(69)が牧場でえさやりと雪かきを開始。
10:00ごろ 女性飼育員(75)がヒグマが逃げ出しているのを発見。
10:05 経営者の男性(68)が「飼育員がクマにかまれたようだ」と119番。
10:26 救急隊らが現場到着。
12:00ごろ ヒグマ4頭を地元猟友会が射殺。
13:59 飼育舎近くで飼育員(75)とみられる遺体を収容。
14:50 ヒグマ2頭を射殺。
15:48 女性飼育員(69)とみられる遺体を収容

http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000001204210005

 ヒグマって秋田県に棲息しているのかな。北海道から連れてきて見世物にしているって、クマは冬は冬眠しないのかな。
 ヒグマが逃げ出したって、逃げていないんじゃないの、「牧場」のまわりをただ何時間もうろうろきょろきょろしているばかり、逃げる時間があったのにね。どうして逃げなかったのかな。
 ヒグマへの餌やりって、冬でも食べるのかな、秋田も遅い春で冬眠から醒めたのかな、そうしたらおなかが空いているんじゃないかな、十分なえさがあったのかな。餌代ってどうしてるのかな、食糧管理とか、飼育手帳とか、動物園じゃないし、民間の場合は、書類の整備って必要じゃないのかな。県の指導っていっても、人員不足とかあるのかな。

県によると、同牧場は1987年に設立された。経営者が相次いで変わり、現在は通算で7番目。県生活衛生課によると、ピークの1995年は133頭を飼育していた。経営者のほか、男性1人と、死亡したとみられる女性2人の計4人で運営していた
(2012年4月21日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20120421-OYT8T00118.htm

 亡くなった数が二人、こちらも二人。合掌。

東日本大震災で東京都町田市の大型スーパー「コストコ多摩境店」の立体駐車場スロープが崩落して夫婦2人が死亡するなどした事故は設計ミスによる耐震強度低下が原因だったとして、警視庁捜査1課が業務上過失致死傷容疑で設計士ら数人を立件する方向で捜査を進めていることが21日、分かった。
 東日本大震災による建物崩落が刑事事件として立件されるのは初めてとみられる

(2012年4月21日 14時14分 東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012042101001777.html

 鉈でふるさとの家も土地も草木も景色もご近所づきあいも仕事もすべて断ち切っておいてトウデンフクシマゲンパツ事故は、どこまで捜査がすすんでいるのでしょうか、ね。
 大飯原子力発電所3号機及び4号機の運転再開についての昨日20日金曜日に公表された日弁連の以下の声って、選民に届くのでしょうかね。なんか弁護士先生の政治家ってのもいるはずだよねえ〜。どうなってるんでしょ。
 いっとき金儲けすれば、いっとき自分さえ良い思いをすれば事足れり、あとは事なかれ主義、見ざる聴かざる言わざるになっちゃうの?

そもそも、福島原子力発電所事故は、事故が起きないようにするためには原子力発電所の耐震安全性の確保こそが重要であることを示したにもかかわらず、その耐震設計審査指針などの見直しは全く実現していない。
 また、上記の新しい安全性の基準なるものは、経済産業省及び原子力安全・保安院が実質的に主導し、これに基づき首相及び関係三閣僚によって決定されたものである。公正な専門家による検討や国民的議論を経たものではなく、当然、原子力発電所周辺、さらに広域の地方自治体の合意と理解も得られていない。
 さらに、原子力発電所の再稼働が必要な理由、すなわち、原子力発電所を再稼働しなければならない電力需要上の必要性があるのか、利用可能な電源設備、夏の電力使用ピーク時の電力使用削減策など他の代替手段は全くないのかについての検討も真剣になされたとはいい難い。
 以上のとおり、大飯原子力発電所3号機及び4号機についての運転再開は時期尚早であり、原子力発電所の安全規制の仕組みからみても手続的に正当なものといえない。よって、当連合会は、政府に対し、再稼働を妥当とする判断を直ちに撤回し、同原子力発電所の運転再開をしないよう強く求めるものである

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120420_2.html

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2012年04月20日

渋御殿湯

 さて、登山口と下山口になった奥蓼科温泉・渋の湯ですが、アルピコバスの走る「湯みち街道」の終点になります。
 写真は1週間前、4月14日土曜日の「渋の湯橋」。雪が絶えず舞い降りてきています。
 ここまでわれわれは、雪路を「雪山讃歌」「雪は降る」「山のロザリア」「雪」「雪の降る町を」…大きな声で歌いながら歩いてきました…

渋の湯橋.jpg 

 こうして、高見石からおりてきてわれわれのやった大一番の大仕事は、お昼の準備。
 午後1時ころ。場所はこの温泉郷の一番奥、一番山路に近い「渋の湯ホテル」の前だったのです。もう硫黄の匂いでいかにも湯治場、温泉場と言う雰囲気が漂っております。

渋の湯でランチ.jpg

山小屋が多く、“小屋ヶ岳”と称される八ヶ岳には、山小屋の数だけ温泉や鉱泉があるような気がしていました。さすがにそれはおおげさですが、火山ですから、森の中にたくさんの湯壷が散在しています。本沢温泉、夏沢鉱泉、唐沢鉱泉、稲子湯、赤岳鉱泉……、みな登山基地ですね。

 奥蓼科温泉郷は蓼科山の南西に細長く広がる冷鉱泉地帯。いずれの宿も源泉とわかし湯を交互に入るスタイルです。西から明治温泉に始まって、保科館、渋・辰野館、渋御殿湯、渋の湯ホテルという宿が県道191号線に沿ってぽつんぽつんと位置しています


<足元湧出の湯玉にイチコロ>
 2002年の秋、この奥蓼科温泉郷に最初の旅をして味を占めたのでした。この時は明治温泉を日帰り入浴で入って、渋御殿湯で1泊。宿泊しないと入れない「渋長寿湯」を楽しんだのです。
 渋い木造の湯殿に入って、左が足元源泉湧出の「渋長寿湯」。パウダー状の湯の花が薄くつもった浴槽は、まるでうっすら光を発しているよう! 神々しいまでのレモン泉です。底がスノコ状になっていて、その真下から新鮮な源泉が湧き上がっているのです。たいへん興味深いことに、ガスも出ているのでしょう、ころころと優しい湯玉がとだえることなく体を伝っていきます。湯温は31度、かなりぬるめですが、湯玉マッサージとあいまって、妙な心地よさがあります。


<冷泉に後ろ髪をひかれながら…>
 こういう湯には、なかなかお目にかかれません。しかし、この湯は男湯だけ。女湯になる時間交代があるわけでなく、女性のかたにはちょっと申し訳なかったですね。この宿、冬も営業しているそうで、冬の湯玉&ぬる湯はどうなっているのか気になります。
 渋御殿湯のさらに奥にあるのが渋の湯ホテル、ここから先は岳人の世界。ホテルというより、手作りの山小屋に近く、興味津々でしたが、人のいる気配がなく、仕方なしにパスしてしまいました。そのあと、帰りがけに渋・辰野館に日帰り入浴をしたのですが、自慢の「信玄の薬湯」がこれまたよかった! この宿に泊まってこの湯を存分に味わいたいと思いつつ、下界におりたのでした

(体の底から活力「信玄の薬湯」…奥蓼科温泉 取材2002年9月、2003年8月)
http://www.yomiuri.co.jp/otona/spa/05/nagano/20110927-OYT8T01322.htm

 そうなんです。渋の湯ホテルには10年後の4月14日も人の気配がまったくしないのです。冬季休業っていうのか、通年廃業しちゃったのか、どうなんでしょうね。
 われわれの立ち寄り湯はその隣、バスの発着所のちょうどまん前、天下の霊湯「渋御殿湯(茅野市奥蓼科温泉 Tel 0266-67-2733)」。
http://www.gotenyu.com/
 
 上述の「渋長寿湯」って泊り客しか入浴できません。日帰りの立ち寄り客が利用できるのは、「西の湯」になります。白濁した冷泉に入っていいものかどうか…、ヤッホー君は熟慮、考慮、遠慮したそうです。
 そして暖かい湯のあと、冷たい源泉をあたまから浴びて、また暖かい湯につかる、このように4回も5回も、という方法で、プチ湯治を楽しんだそうです。とてもいい気分です。まさに山旅を終えた後の満足感と達成感、安堵感といっしょに、くつろぎの「至福のとき」です。

 ところで立ち寄り湯におじゃましたときから、玄関でがさごそがさごそと大きな段ボール(ハブラシと書いてあるのですが)が、音を立てて動いていました。どうしたのでしょう。何がいるのかな、さらにお風呂を小一時間ほどいただいて、階段を上って玄関に通じる長い廊下にでたときも、廊下の端にままたしても段ボールが。まるでヤッホー君が階段を上ってくるのを待ちわびていたように、またしてもがさごそと、大歓迎を受けたのです。

 なんと中には小学校4年生のお姉ちゃんと保育園「さくら組」の妹が入って遊んでいたのです。段ボールには小さい窓も切り抜いてありました。にこにこ顔に、笑い声が絶えませんでした!

 バスの出る時間まで玄関ロビーで、湯上りにくつろいでいましたが、もうすっかり姉妹とはお友達に!
 姉妹はバスがでる時間になったら、長靴を履いて雪の舞う表にでてきて、いつまでも手を振って見送ってくれました。そしてバスがでると、橋のかかる渓谷沿いに、われわれが見えなくなるまで走りながら、手を振り続けてくれたのです。

 氷と雪の山は初体験、温泉も良かった、何よりも子どもたちがかわいかった、いつか今度は泊まりがけで来ようと心底、思ったことでした。

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2012年04月19日

白駒池・上田貞次郎

 ヤッホー君が学んだキャンパスに胸像が建てられており、1936〜1940年と学長さんをお勤めになったのが、「上田貞次郎」先生(1879-1940)です。
 
 今日4月19日木曜日は、その胸像にも刻まれている次の名言を噛み締めておきたいと思います:

学者は実際を知らず、
 実際家は学問を知らず、
 政治は産業を離れ、
 産業は社会にそむく、
 これじつに産業革命の波涛に漂える現代日本の悩みではないか。
 吾人はこの混沌裡にあって、企業より社会を望み、社会より企業を覗い、
 眼前の細事に捉われずまた空想の影を逐わず、
 大所高所より滔々たる時勢の潮流を凝視して、世界における新日本建設の原理を探らんとする。
 吾人のにくむところは虚偽と雷同とであり、
 吾人の戒むるところは煩瑣と冗長とである。
 吾人が訴うるところの読者は純真にしてかつ聡明なる満天下の青年識者である

(雑誌『企業と社会』宣言)
上村泰裕=上田貞次郎先生のひ孫にあたります= 名古屋大学大学院環境学研究科(社会学)「上田貞次郎の見た夢」2008年7月31日 一橋大学福田徳三研究会にて)
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~kamimura/uyedadream.pdf

 この雑誌『企業と社会』は1926(大正15)年に創刊された個人雑誌というから、ムカシの学者ってなんと骨太だったか、と思いません?
http://www.hit-press.jp/kikaku/kunitachist/university_us.html

 この個人雑誌は1926年4月から27年3月にかけて、社会運動として≪新自由主義≫の考えを教え広めようとしたわけですが、どのような主張だったのか、ヤッホー君は原典にあたって読んでみようと本当に思っているそうです!
 ところで、上田先生は「夜雨荘(1925年建設、軽井沢千ヶ滝に現存)」に夏、高原生活を送られていました。そのときの日記、1934年夏、8月20日に「単身八ヶ岳方面へ徒歩旅行に出かけた」ときの山旅がことこまかに書かれています。その骨子だけをみてどんな行程でムカシの学者は山歩きをしたのか、見たいと思います。服装については描いてありませんが、教授先生ですので、三つ揃いに山高帽かな…

20日 3時頃松原湖畔に着、松湖屋に投ず
 22日 勇五から借りたリュックサックを背負ひ、先日草津で買った杖をついて朝9時に出発。
   稲子の渋鉱泉といふのは山中に孤立したきたない宿屋であった。
   稲子の湯から2時間で緑の池といふ小さい池の端へ出た。この池の先で道が二に分れ、左は本沢温泉に通ずる。右は更に上り坂で唐沢峠となる。
   余は欲を出して唐沢峠へ登り…、道は非常な険坂である。一里に足らぬ距離を2時間かかって上った…余は峠を越えて諏訪の渋温泉に向った。江口君(彦根高商の教授)の話で、天狗の縦走は非常に時間を要することが分ったから止めたのだ。
   急坂を下った谷底が渋温泉である。これも山中の一軒屋であるが稲子と違って頗る大きい稍清潔な宿屋である。着いたのはすでに6時であった。
 23日 朝起きてみると曇りで雨模様であったから少々躊躇したが9時半、意を決して再び山道をあるくことにした。
   今日は高見石へ上り白駒池を見て昨日泊った松原湖まで帰るのだ。
   白駒の池は2100米の高いところにあって松原湖と同じ大きさをもってゐる。全く無人郷である。
   白駒からさきの道はやはり一位の森を貫く青苔の道で実に美しいけれども昨日と同じようなばかり歩いてるからあきてしまった。
   松原へ着いたのは7時近かった。
 24日 朝ゆっくり立って沓掛へ帰った。二日間の峠越えで自分の脚が思ったより強いことを知った。初日は五里半、翌日は六里以上あったろう。時間は長くかかったけれども疲れてゐなかった


 さらに翌1935年の夏、8月も八ヶ岳で遊んでおります。これが山の魅力なんですが、先生も魅せられたのです。19日から2泊3日の山旅です。

『19日 本沢温泉へ泊る。
 20日 登山(硫黄岳、横岳)
    冨士と浅間を近くに見て、日本アルプス、御嶽、榛名、赤城、日光、秩父の山々を見る。日本一の山岳展望である。
    この日下山。松原湖へ一泊、翌日帰荘』

http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/da/bitstream/123456789/5841/7/HIT0600700.pdf

 北海道の仲間が上京、八ヶ岳を歩きたいのだそうだけど、どうでしょう、「日本一の山岳展望」を歩くこのコースは。

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2012年04月18日

北八つ・白駒池

 ね、こんなに素晴らしい北八つ、高見石に白駒池、過日言いましたように土曜日の4月14日、高見石小屋から白駒池におりました。多分、無雪期よりは、雪に山路が厚く覆われた頃のほうが、結果的には歩きやすかったのかもしれませんよね。
 山路の写真を掲載しないわけにはいけません:

P4145630.jpg

 そして氷結した白駒池ってどんな池かって言いますと、これも写真を添えますのでどうぞ:

P4145634.jpg

 池については佐久穂町(さくほまち)のウエブサイトより:

白駒池は紅葉の名所として有名で、標高2000メートルを越える湖沼の中では日本一(標高2,115メートル)で、周辺に広がる原生林は日本三大原生林の一つに数えられています。
 緑濃く苔むしたシラビソやコメツガなどの原生林が広がり幻想的な世界に出会います。
 池の周りを1.8キロメートルの木道が整備され40分ほどで一周できます。
 秋の訪れは早く9月下旬になると湖畔の木々が徐々に色づき始め、例年10月の上旬には紅葉のピークを迎え、ドウダンツツジやナナカマドが真っ赤に、ダケカンバが黄色に美しく染まり、湖面に映え美しさがより一層増します。
 白駒池の名前は、白馬とともに湖に消えた悲恋の娘の伝説にちなんでつけられました

http://www.town.sakuho.nagano.jp/kankou/midokoromap/map_34.html

 なに、なに、伝説ですって? どんな?

昔、長者の娘と作男が恋をしたが、長者は作男を山へ追い払ってしまった。
 悲しんだ娘は、作男を捜して山へ入ったが、深い霧で道に迷ってしまった。
 そこへ1頭の白馬が現れたので、その後を追っていくと池の淵に出た。
 白馬が「あなたの捜している人はこの池の奥にいる。会いたければ私の背に乗りなさい」というので、娘がそのようにすると、そのまま池の中に沈んでしまい、二度と姿を現さなかった。
 白馬にちなんで今でも「白駒の池」と呼んでいる

http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/C2010208-000.shtml

 行きは茅野駅からわれわれは渋の湯までのバスを使いました。
 帰りも、茅野駅までも渋の湯で温泉につかってからバスに乗りましたが、白駒池までもバスの運行があります。
 茅野駅から白駒池入り口までは、麦草峠までの諏訪バスで登って、そこから白駒池までの歩きとなるのかな。
 ところで、この諏訪バスは「アルピコ交通」の一角になっております。このアルピコ交通をはじめとするアルピコグループってじつは、大変な経営危機に陥っていたようです:

弊社は、2008年3月より取引金融機関を始めとする核債権者様にご同意頂きました「私的整理に関するガイドライン」に基づく事業再生計画の実行に全社一丸となって取り組んでまいりました。
 御陰様をもちまして、本事業再生計画は順調に推移し、安定的に利益を計上できる収益基盤を確立、当初604億円あった借入金は、取引金融機関様から173億円の債務免除等の金融支援を頂いたことに加え、3年間で約118億円の返済より、約313億円まで圧縮することができました。
 そして本日、株式会社八十二銀行をアレンジャー(主幹事)とするシンジケートローンの組成等により既存借入金309億円のリファイナンスを実施し、2年前倒しで本事業再生計画を終結させたことを、ここにご報告させて頂きます

(2011年3月31日アルピコホールディングス株式会社代表取締役 堀籠義雄)
http://www.alpico.co.jp/news/docs/pdf_03.pdf


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2012年04月17日

北八つ・辻邦生

 今日4月17日火曜日も八ヶ岳のこと。八ヶ岳が大好きだった恩師、辻邦生さんのことを想っておりました、というではありませんか。北八っから戻ってからというもの、ヤッホー君はあの強烈な魔法の呪縛から解き放たれることはなく、いまだに醒めやらず、山を想い、山を慕い、山を憧れています。

 つたないヤッホー君の筆力よりは、ここは愛弟子だったという佐々木(とおる)さんの描写の紹介ですすめさせていただきます。
 佐々木先生は、八ヶ岳の麓にある佐久・八千穂村に生まれ育って、故郷を留守にすること10年。その後、長野大学に勤務して二十有余年が経過。2010年8月10日には長野大学より名誉教授の称号を授与されております。

『辻邦生の稲子滞在。
 辻邦生(1925〜1999)がフランスに渡る前後に稲子に家を借りて小説を書くことに没頭していた時期がある。その時のことを一昨年(1998)の日本経済新聞に掲載した。その一部を紹介しよう。
 
私たちは地図をひろげ胸をふくらませながら、あれこれ話し合った。八ヶ岳登山口の一つであるその稲子と呼ばれる集落は、松原湖や旅館などから少し離れ、周りに散在するのは農家ばかりとのことだった。本家は集落の中にあるが、トラックの運転手をしている次男坊のために建築中の新家が村の入口にあり、そこの二階ならば畳を敷いて貸してあげてもよいという返事がきた。……略……
 翌日、簡単な台所道具と本やノートだけを持って、超満員の中央線の列車に乗ったが、塩山あたりの暑さはものすごく、はたして本当に信州は涼しいのかと、リスちゃんは不安そうだった。
 しかし小淵沢で、貨車と客車を混成した小海線に乗り換えると、あたりの風景は一変した。小海線は八ヶ岳を大きく囲みながら、蓼科山系に続く大小の谷や森を抱えこむようにのんびりと進んでゆく。客席もがら空きだった。窓の下には千曲川の渓谷が深く切り込み、ゆっくりした速度で進む五両ほどの列車の窓の中には、ときどき霧が流れこんでくる。窓から首を出すと、機関車がふと霧にかき消きれ、しばらくするとまた姿を現すのが見える。私たちは、まるで遊園地のおとぎの国の電車に乗っているような気分になった。渓谷にのしかかるようにテーブル状の台地が突き出し、ところどころに農園のサイロが見え、屋根に小石をのせた小さな民家が線路近くに軒を寄せ合ったりしていた。松原湖の駅は、深く切り込んだ渓谷にしがみつくようにして一番低いところに建っており、駅前からすぐに急な坂道が始まっていた。同じ駅で降りてバス停まで歩く人たちの中から、牧師さんらしい人の英語が聞こえてきた

(「信州へ」 辻邦生『のちの思いに』日本経済新聞社 1999.12 所収)
 
 ここに登場するリスちゃんとは辻夫人のことである。
 さらに他のどんな作品にも書かれていないので稲子から見た夕景色の八ヶ岳と尋ねてきた母親と白駒の池を訪れた部分を見ておこう。
 
夕方になると、八ヶ岳の方角が夕焼けになった。赤岳の率いる連峰が重々しい夕影の中に入ろうとする時、赤岳の崩落した斜面は文字通り赤々と夕陽に焼けた。私とリスちゃんは家の前の草地に出て、間もなくやってくる夕闇の壮麗さを息をひそめて待つのだった。
 ここから少し登ったところには農事試験場があって、主に緬羊の飼育が行われていた。誰も人のいない広い高原には、松虫草をはじめ沢山の夏の花々が咲き乱れ、けむくじゃらの羊や毛を刈った羊たちが夕方になると群をなして小屋に帰っていった。私たちはまだ北欧もスイスも知らなかったが、この草原に寝そべっていた時ほど、静かな浄福感に包まれたことはなかった

(「アルカディアの夏」 同書)
 
≪「よく歩けるね」
 私が言うと、「もっと険しいかと思った」と母は答えた。全体の傾斜はやわらかで円味をおびていたが、原生林の中に一歩踏み込むと、火山性の岩があちこちに荒々しい地肌を見せ、巨大な倒木の上には苔が幾重にも覆いかぶさっていた。私たちが目標の白駒の池に着いたのは、正午すごし過ぎだった。池はやや黒みを帯びた神秘的な色合いを見せ、松原湖よりもずっと小ぶりだった。周りには荒れた小屋が一軒あるだけで、全く人気もなかった。
 「一人できたら、やはり不気味だな」池を見ながら思わずつぶやいた。岸のすぐそばまで白樺が生い茂っていた。
 「そうね、こんな山の中の池に一人で残されたら怖いでしょうね」……略……
 「こんなきれいな池にきたことがないわ」
 昔、母が私は特別にいい星の下に生まれたのだと言ったことを思いだした。母のその言葉がつくづく本当のような気がした。こうして湖畔に横たわって空を見ていると、自分にはもう何もかも全ての「よきもの」が与えられているのだと、心底から信じることができた。
 昼すぎに風が出て、池のそばの白樺がざわざわ揺れはじめた。私たちは池のそばを離れた。私は白駒の池を離れるとき、ふと、母とこの池を見にくることは二度とあるまいと思った。母がこんな山奥にまで登ってきたことは、この生の一回きりの営みなのであり、母もこれを両手で受けとめるように喜んだに違いない。私たちは原生林の中をまっすぐに下った。午後になって吹き出した風が森をざわめかせていた。……略……≫

(「不意のおとずれ」 同書)
 
 稲子の集落から見えるのは赤岳ではなく、硫黄岳であるはずだし、白駒の周辺にはブナはないはずだが辻邦生の思い違いだろう。
 辻邦生が稲子で書いていたのは小説論である『小説への序章』と『回廊にて』(近代文学賞受賞作品)『夏の砦』が中心であった』
http://www2.nagano.ac.jp/sasaki/saku.htm

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2012年04月16日

八ヶ岳・美咲

http://misaki.naganoblog.jp/
 を開いて読んでください。
 左の欄に、<What'美咲?>というのをクリックして、美咲の人となりを歌と共によく聴いてみてくださいね。音声付きの動画です。

ここ良いんじゃないということになった場所が、茅野の縄文遺跡・尖石縄文考古館のすぐちかくの竜神池。
 池の水が静かなので、石をポンと投げたら、波紋がどこまでも広がりました。
 身近にあった異空間。空気が澄んでいました


 2012年4月15日付けブログですので、昨日。山は雪、里は雨と言う土曜日のお天気が回復していたころ、場所は茅野駅から渋の湯まで向かうバスも途中、通過する尖石縄文考古館(豊平)のところです。
 でも、さ、この池は尖石遺跡から歩いて10分くらいの場所なんですが、三井の森別荘地の敷地内にあるのです。私有地なのかな、ということは会社にほかに転売する権利があるんですよね。

 2012年4月5日付けになりますと美咲はこんなすごいことを書いておりました:

5月3日〜5月11日にかけて、韓国に行きます。
 私が黒曜石ふるさと親善大使を務めてる長和町(信州)は、旧石器〜縄文にかけての黒耀石採掘遺跡を中心にしたまちづくりを展開しています。
 韓国38度線、北朝鮮との国境付近に、30万年前旧石器時代の全谷里遺跡(チョンゴンリ)を中心に置いたまちづくりをしている漣川郡 全谷邑という地域があります。そこで毎年5月、大きな旧石器祭りがあり、長和町と全谷里の文化交流事業が展開しています。
 そこに私も黒耀石ふるさと親善大使として参加します。
 楽しみです♪


 えっ、「黒耀石ふるさと親善大使」ですか…。

 え〜、ヤッホー君がうなってしまったのは、北八つ・高見石小屋から下りて茅野駅で5時28分のスーパーあずさ新宿駅行き自由席に乗り込むべく、ホームで待っていたときのこと、「黒耀石」の原石を見てしまったからでした:

黒曜石
 昭和30年頃、地元笹原の両角重幸氏が八ヶ岳冷山から黒曜石の巨岩を運び出し地元の小学校に寄贈されました。
 その一つが茅野駅に展示されているものです。
【信州産黒曜石】は、和田峠や八ヶ岳冷山等に産出し、旧石器時代から縄文時代まで槍や矢尻などの狩猟道具や、ナイフなどの調理道具として珍重され、信州産の黒曜石は交易品として関東地方や遠くは青森県三内丸山遺跡までへも運ばれています


 これは、ヤッホー君が大好きな本、手塚宗求『わが高原 霧が峰』(2006、山と渓谷社)でも言及されています:

石器時代、縄文時代共に長野県はもっとも人口が多かったこととは別に、黒曜石を大規模に産出する八ヶ岳、蓼科山麓、とりわけ霧が峰の東北麓は人の出入りが非常に頻繁だったと思う。
 つまり黒曜石が人を呼び、人を定住させるきっかけになったのだろう。
 今の八島ヶ原湿原を池に見たてて空想をすると、黒曜石を求めて各地から入山してきた、大きな皮袋などを背負った人たちが池のほとりで水を飲み休息し、あるいは草葺きの仮の小屋を建てて泊まり、狩猟をしながらしばらく生活しただろうと思えるのだ。
 そしてさらに北や西、東の黒曜石の地帯に向かったであろうと思う…
 現在ハイキングコースになっている男女倉道、男女倉越え、車山湿原北側から沢渡に下りる道は古道で、交易路だったと想像できる

 
 8月の山歩クラブのお山歩会プランに入れようかな、提案しようっと。

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2012年04月15日

若き日の友情

 小屋、と言えば山歩クラブの懐かしい小屋は「雲の平小屋」でしょうね。2006年の夏、8月9日〜14日の山旅でした。

2009年〜2011年にかけて行なわれていた改修工事はすべて終わり、48年ぶりに木の香りがする木造建築に生まれ変わりました。南側の広いテラスからはギリシャ庭園の広がりが、2階正面のテラスからは水晶、祖父岳の姿が朝日とともに楽しめます
http://kumonodaira.net/

 この小屋の事務所、三俣山荘事務所(安曇野市穂高町有明5718-116 Tel 0263-83-5735)で発行している機関誌に『ななかまど』があります。その第3号(2002年6月20日発行)に、辻邦生「わが信州」(『小説への序章』所収)の一節が紹介されています:

新緑に光る上高地の森の奥をこぼれる光りを浴びながら白樺の倒木や湿った苔を踏んだ一日。
 三俣蓮華岳の山小屋で寝起きした一ヶ月余りの山住まい。
 寒月の冴える長野善光寺。
 豪雨のなか、熊笹の群落を横切っていった志賀高原の旅。
 暴風雨に閉じ込められた槍ヶ岳の幾日。
 りんごを買いに歩いた豊科の村々。
 風に吹かれ一人旅をした浅間山麓の秋。
 こうした信州は、青春の日々に織り込まれて、何か貴重な布地のような輝きを今なお失わない
』 

 そうなんです。渋の湯から稲子湯。
 旧制松本高校生の姿が今回の高見石小屋泊の山旅のあいだ、ヤッホー君の想像力を刺激していた、と言うております。こんなメールを仲間に送っておりましたって:

八ヶ岳は渋の湯から稲子湯までという、信州は旧制松本高校出身の作家辻邦生や北壮夫たちが歩いて好きだったコースです。おおいに楽しんで、彼らの高校生時代にワープ、タイムスリップして歩いてきたいな、と思っています
(April 09, 2012 9:52PM ヤッホー君の送信メール)

僕は、今、はじめて、自然のなかに育まれようとする自分を見出したんだ。
 僕にはあの冷えた空気と山々と清潔な自然が必要なのだ

(March 27. 1948 湯河原在辻邦生、22歳より世田谷区代田在北杜夫、21歳宛封書)

あの山とも決別しなけりゃならないのは寂しい。
 みどりが萌える頃の上高地で、冷めたすぎる梓川の水をむすばなけりゃ虚だ。
 徳沢小屋の前にある水の鏡の昏れてゆくのを見つめなけりゃ虚だ。
 でもすべて夏まであづかり。
 まあ、蔵王で我慢しよう。
 でもせめて今度行った時だけでも、目玉がこわれる位、山々を見つめてやりたい

(April 1, 1948 北杜夫より辻邦生宛て封書)

 辻さんは奥様の辻佐保子さんの注釈によると、湯河原、というのは戦時中、強制疎開のため文京区西片町から移転していたのであり、当時、出席日数不足により2度目の留年が決まったときの書簡らしいです。
…辻邦生、北杜夫『若き日の友情、往復書簡』(2010年7月、新潮社)
 
 なお、この往復書簡の前に、北杜夫の船医(船はもちろん水産庁の照洋丸600トン、マグロ調査船)時分、1958年秋の貴重な船上での写真が載っております。
 辻さんは、フランス留学生試験に合格した奥様について、私費でいっしょにフランスに旅立ったのがその1年前、1957年秋のことでした。
 船旅でした。

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北八つ・ホシガラス

 昨日4月14日土曜日の朝8時、アイゼンを再び装着、小屋を出ました。
 前夜、仲間からシナモンを割ってと言われて何にするんだろうと思ったらホットワイン!アイスワインってカナダから大事に運んできた思い出はあるのですが、ホットワインなんて…、しかしナイトキャップにすっかりこころもホットして、からだもホットになって、すっかりご機嫌でこたつに足を突っ込みながらヤッホー君はすぐに寝息をたてていたそうです。
 たしかに造りのしっかりしているきれいな小屋、隙間風なんてちっとも入らず、風の音もなく、布団も毛布も暖ったかくって、明け方までぐっすりと眠ることができました。
 起きたら、雪!雪が舞っています!
 前日、アイゼンを装着したのは、渋の湯から沢を渡って入った登山口の傾斜地、しかし今度ばかりは、小屋の玄関前のテラスでしっかりと装着することができました。

 小屋のスタッフ、いわもとさんにしっかりと道を聞きました。中山峠、お天気だったら天狗岳を往復、黒百合平から渋の湯へ戻る案、あるいは白駒池から麦草峠、五辻を経てピタラス蓼科ロープウエイで下りる案、とかお仲間は考えていたらしいのですが、このお天気をみて、鶴首協議をし、スタッフいわもとさんにお聞きし、ルートの変更とあいなったのです。

 南歩道(無雪期は岩がごろごろして急峻がつづく山路らしい)を伝って白駒池にでて、北歩道(無雪期は緩やかな登りだが樹林で眺めなし、という山路らしい)をのぼって、昨日の丸山との分岐を越して、渋の湯へと同じ路を今度は下る、と。お昼、お風呂、茅野駅までのバス時間を考えて、1時には渋の湯に到着することを目標として設定しました。

 ところで、パン食の朝ごはんのとき、小屋の玄関テラスに野鳥が。そうなんです、小屋では餌場としてパンくずを提供しているんです。
「あ、あの鳥はなんですか?」
「ホシガラスって言います!」

『ホシガラスは、北海道から本州、四国にかけての亜高山帯から高山帯にすむカラスの仲間で、大きさはハトと同じくらい、体はチョコレート色をしていて、体を覆う羽毛の先が白色をしており、星をちりばめたように見えるところからホシガラスという名前がつけられました。また、ホシガラスは先のとがった丈夫なくちばしで硬いハイマツなどの実をこじ開け、種を上手に取り出して食べるところから、英名で「木の実を割る鳥」ナッツクラッカー Nutcracker と呼ばれます。
 ホシガラスの姿はとてもきれいですが、鳴き声はカラス譲りで、ガーガーとよく響く声で鳴き、お世辞にもきれいとはいえません…』

(ゆうふつ原野自然情報センター・村井雅之 苫小牧民報 2002年11月11日)
http://www.tomamin.co.jp/you/02you/021111.htm

 高見石小屋のホシガラス−、ぜひ下↓の動画でご覧下さい。あっ、いつものように音声付です!小屋のプロモーションビデオか? と思いましたが、高見石小屋の大好きな登山客がお撮りになり、編集したようです。なんとまあ、すぐれものなんでしょう!!
http://www.youtube.com/watch?v=aekV8NvhxEg

 もちろん高見石小屋には素敵なホームページがございます。さまざまなイベントも企画されていますので、ぜひ一度、訪れてみてくださいね。 
http://www.yatsu-akadake.com/takami-k.html

 このホシガラスにヤッホー君は土曜日に二度も会うことができました。
 一度目は、賽の河原もおりて、雪解をまつシラビソの森のなかでのことでした。つがいでした。2羽のホシガラスが、ヤッホー君のよびかけに一緒について歩きました。

ホシガラス.jpg

 そういえば、房州アルプスを歩いていたときも、あれは何の鳥でしたっけ、岩波さん、離れないのです。別れがいとおしく、またお昼、弁当食べているときにおいで、今度はご馳走やるからって、日本語で声を出して鳥に言いました。そうしたら、本当に現れたのですよ。鳥仲間でCメールを使ったのかな?
 
 ホシガラスとの出会いを30年もこころに暖め続けてこられた方が、こんな感動的な文をお書きになっておられます:

夏の暑い日が続くと思い出すことがあるのです。
 まだ学生時代のことで九段に住んでおりましたが、あまりに暑いので夕方に家を発って、高原列車の小海線で佐久地方の松原湖駅に遅くに着き、長椅子に寝転んで夜を明かしました。
 高原駅は涼しくてまさに別天地でした。
 始発のバスで北八ヶ岳に足を運び、2000m級の森を散策するという気まぐれな遊びです。中央線の茅野駅に出るルートでの行動です。

  北八ヶ岳の森は気持ちがいいところで、森林限界を出たり入ったりで、空気が乾燥していることも手伝って気持ちが自然に明るくなります。
 倒木樹にびっしりとコケが生えたシラビソの林でぬ っと現れたのがホシガラスでした。
 その姿は白いまだら模様が強烈で思わず息を飲みました。周囲に人はおらず、一瞬ではありますが、私とホシガラスの間にコミュニケーションがあったような気がします。私はオッとして「ホシガラスだ」と叫びました。そしてジンワリと嬉しさがこみあげて来ました。そういえば、昨夜駅の警邏にきた警察官に身分を確かめられた以後、誰とも会話をしていなかったのです。つまらないことを自問自答したり、時には心が空っぽになったりする半日を楽しんでいたのです。

 焦げ茶に白の斑点のホシガラスはカケスの仲間ですから、人を食ったところがあると言いますか、どこかに愛嬌があるのです。
 ホシガラスを見ていた時間は5分もなかったでしょう。
 ですがこの日私は小さな宝物を拾った気分になって心が弾んだのです。それは家に帰って以後も続いており、このようにたまに思い出すと幸せな気分になるのです。
 たった5分のホシガラスとの邂逅が30年以上の経た今日の私に幸せを運ぶとは思いも寄らないことでした

(日本野鳥の会会員 横田俊英「ホシガラス」)
http://www.keiryou-keisoku.co.jp/other/yachou/hosigara.html

 二度目は、立ち寄り湯におじゃましました渋の湯「渋御殿湯」で。
 剥製になってショーケースに収められていました!

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2012年04月14日

北八つ・高見石

 皆さん、こんばんは。山歩クラブ番外編「春の雪遊びを北八つで」1泊2日の山旅を4人で無事終えましたのでご報告します。
 4月13日金曜日の特急あずさ3号(新宿駅発7時30分)の車窓からは、甲州路の桜、そして桃の花咲く素晴らしい春爛漫の風景を楽しみ、茅野駅で降りました。
 10時25分発のアルピコバスに乗った4人様、渋の湯に向かったのですが、ほかに乗客はなく車内は貸切のようでした。
 さて、雪解(ゆきげ)の初春の山旅にるんるん気分で山路に入ったヤッホー君。
 それも束の間、山に入ることはできませんでした。
 体が強張り、足ががくがく、口数も少なくなり、というか突然、魔法にかかったようになり、恐怖心で動けなくなり、固まってしまったのです。
 それもそのはず、森はまだ白い雪にすっぽりと包まれて、山路はてかてかと光り、アイスバーンのよう、氷と雪の下だったのです。
 つまり、アイゼンを装着しないことには、とても歩ける状態ではありません。
 足にアイゼンを履き、手にはピッケル、そうなんです、仲間はピッケルまで用意してくれました。
 沢を何度も渡渉した1時ころ、河原で、欠食児童のヤッホー君、お待ちかねのお昼の時間です。
 ヤッホー君が木曜日夜、自分で握った特大の海苔巻きおにぎりを2個も頬張りました(1っ個は明日のために残しておいたのだそうです)。
 さらに…、仲間がコンロでつくってくれた仙台の油麩の入った暖かいお味噌汁をいただき、おにぎりでも足らず、フランスパンにチーズをもらってもまだ足りず、大笑いしながらいつものお昼をして、からだもぽっかぽか、また元気をいただいて、歩みを進めます。
 賽の河原にでます。
 黒い帽子をちょこんと載せて、赤いおべべをつけた賽の河原のお地蔵さんに深々とごあいさつし、ずぼっずぼっと何度も深い雪を踏み抜き、足が嵌まり込んでしまったりしながらも、通過。
 深い静かな森にまた入っていきます。さ、森を抜けますと、目指す今宵の小屋、高見石小屋(標高2300m)です。
 きっと今晩のわれわれの宴会のため、食材と濁り酒のはいった樽をスノーモービルで運んできてくれたに違いない、とキャタピラーの跡のついた小屋に向かう林道との分岐に荷をデポして丸山2330mの山頂を往復しました。

丸山.jpg

 山頂は標識を雪でかきわけてようやく「丸」の字発見!
 天狗岳(西峰2646m)、蓼科山、美ヶ原を仰ぎ、「ヤッホー」とご挨拶。
 
 こうして小屋へ、小屋へとアプローチしていきました。
 小屋に入ってから今度は、空身で裏手にある大きな岩が積み重なった白駒池好展望の岩山、高見石に向かいます。今度も山頂で、どこまでも広い大きな空と八ッ、そして白い雪景色と、素晴らしい眺望を堪能してきました。
 写真に並んでいるお三方の、まんなかの方がじゃましていますが、この後ろに、真っ白に見える原っぱみたいなのが見えますよね、これが実は、白駒池なんですよ。
 氷結!実際は、真っ白でなく、白のグラデュエーション、とても綺麗な白色の色使い!

高見石.jpg

 小屋も貸切でした。アイゼンを外したら、軽い軽い、足がすっかり喜んでヤッホー君は走ってしまったそうです!
 2階にあがり、ストーブに暖まりながら、こたつに温まって、一角を陣取った4人様以外に、宿泊客はだれひとりおりませんでした。
 小屋に入った後、消灯時間の8時半までどうしてたかって、また明日、ご報告します。
 今日は金曜日の小屋入りまで、としておきます。
 
 お天気にも恵まれ、すばらしい雪遊びをこころゆくまで楽しんできた初日でした。おやすみなさい!

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2012年04月12日

スマトラ島沖大地震・余震

 キャメロン英国首相はこの国の後は、マレーシアに入って商談を続けております。
 今日4月12日木曜日の英字新聞「ニューストレーツタイムズ(NST)」紙は、こう伝えております(12 April 2012, Last updated at 07:14PM):

Last year, the UK was Malaysia's fourth largest trading partner among European Union countries with a total trade of RM13.03 billion (US$4.23 billion) while Malaysia was UK's second largest trading partner in Asean.

Cameron, who also spoke at the press conference, said that trade between the two countries was expected to hit eight billion pounds (about RM39.16 billion) by 2016.
(Malaysia, UK to double bilateral trade by 2016:PM -New Straits Times http://www.nst.com.my/top-news/malaysia-uk-to-double-bilateral-trade-by-2016-pm-1.73347#ixzz1rpZa7Qhj)

 マレーシアは昨日の11日水曜日、国民の祝日、お休みでした。

KUALA LUMPUR: The Sultan of Kedah, Tuanku Abdul Halim Mu'adzam Shah, has been installed as the 14th Yang di-Pertuan Agong in a ceremony steeped in royal tradition at the new Istana Negara here.

The 84-year-old monarch took the Oath of Installation in the Balairong Seri or Throne Hall to mark the formal commencement of his reign as the Supreme Head of the Federation

(Kedah Sultan installed as King, Thursday April 12, 2012)
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2012/4/12/nation/11091479&sec=nation

 夕方、インドネシア・スマトラ島沖大地震が襲った、というわけです。
 今日になっても余震が続いております。

 マレーシアのペナンの様子も入ってきております:

n_06police[1].jpg

High-rise residents shaken, Tursday April 12, 2012
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2012/4/12/nation/11091421&sec=nation

 マレーシア・ペナンのはっちゃんは?と言えば:

The quake was at 4.30pm.

I was lying on the floor and suddenly I felt like the floor hitting me. Kak Minah was on the chair and all of us felt the tremors.

But it was not strong like the onces I felt in Japan.

Luckily there was no Tsunami. As Mak house is on higher ground we should be OK even in the case of a Tsunami.


 台湾・台北からも問い合わせがありました。ありがとうございます!

Dear Shuei, How was Jah doing yesterday?

Great to get your email, and I am happy that FOM is celebrating your 10th Anniv.

We had had our General Assembly in Mar. 18. Our organization is celebrating her 25th Anniv. in Mar.

We joined the Mar. 11 anti-nuke march in Taipei.

April is also a busy month for us.

I will join a small group to visit rural villages in Banda Aceh, Sumatra where our fair trade coffee was planted. My first trip to Indonesia.


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2012年04月11日

インドネシア・スマトラ島沖で大地震

 ヤッホー君のこのブログ、昨年2011年2月26日付け日記「Ma, naambakan ako」でも記したことがありましたが、「カンタベリー地震」!
 これは2011年2月22日12時51分(現地時間)に ニュージーランドのカンタベリー地方で発生したマグニチュード6.1の地震があり、その後3.11東日本大震災が起こりました。
 今年2012年元旦に鳥島付近で地震(M7.2)、M7と結構大きな地震だったのですが、震源が遠い上に深かったため、被害はありませんでした。しかし山歩クラブの初歩き、1月2日月曜日秩父・釜伏山582mの下山路で、道に大岩がごろごろ落ちているのを目撃しました。

 実は今日、4月11日夕方、インドネシアで大地震が起こりました:

JAKARTA: The magnitude of the earthquake that struck off Indonesia on Wednesday has been revised downward to 8.7, according to the US Geological Survey (USGS).

Earlier, it was reported that Indonesia had issued a tsunami warning after a quake with a preliminary magnitude of 8.9 hit waters off westernmost Aceh province.

The USGS said the quake was centred 33km beneath the ocean floor around 434km from the provincial capital of Banda Aceh.

Said, an official at Indonesia's Meteorology and Geophysics Agency who goes by only one name, said a tsunami warning has been issued.

Indonesia straddles a series of fault lines that makes the vast island nation prone to volcanic and seismic activity.

A giant 9.1-magnitude quake off the country on Dec 26, 2004, triggered a tsunami in the Indian Ocean that killed 230,000 people, nearly three quarter of them in Aceh.

Meanwhile, in Penang, mild tremors lasting about a minute were felt in Seberang Prai around 4.45pm, sending people scurrying out of their homes and public places.

Tremors were also felt in the Klang Valley.

According to Bernama, several states in the west coast of Peninsular Malaysia experienced tremors following the earthquake.

Kuala Lumpur Fire and Rescue Department assistant operations director Azizan Ismail said the tremors were felt in Kuala Lumpur, Penang and Perak.

In Bangkok, a tsunami warning and evacuation order were issued by disaster prevention authorities in the southern Thai provinces of Phuket and Phangnga.

"The province has turned on the warning sirens and asked people all over Phuket island to move to a safe place," an official from the Phuket Disaster Prevention and Mitigation Centre told Reuters by telephone.

An official from the warning centre Phangnga said: "We warn people in every district to evacuate immediately because there is a possibility of a tsunami."

Phuket and Phangnga are provinces popular with tourists and were among those hit by the 2004 Indian Ocena tsunami that killed more than 5,000 people in Thailand.

(Updated: Wednesday April 11, 2012 MYT 5:51:37PM, 8.7 quake off Aceh, Indonesia issues tsunami alert)
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2012/4/11/nation/20120411165828&sec=nation

 マレーシア英字紙ザスターからでした。

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2012年04月10日

武器輸出三原則

 キャメロン英国首相が来日しましたね。
 明日になるとその目的が、マスメディアが報道してくれて、その全貌が明らかにされるのでしょうか、あるいは庶民はつんぼ桟敷におかれっぱなし?
 いまのところ「天皇陛下 皇居で英首相と会見」とか、「日産、英工場に160億円を投資 キャメロン首相「誇りに」なんてのしかニュースになっていないようです。

日産自動車は10日、英国最大の自動車工場となっているサンダーランド工場に1億2700ポンド(約164億円)を投じ、2014年に新たな中型ハッチバックの生産を始めると発表した。横浜市の日産本社を表敬訪問したキャメロン英首相に志賀俊之最高執行責任者が伝えた。
 キャメロン首相は社員にあいさつし、「英国で生産される3台に1台は日産車だ。われわれは製造業の復活を目指しており、投資を誇りに思う」と語った

(2012年4月10日 18時16分付け東京新聞)

 しかし…、英国紙ガーディアン紙は、誇りとかいう主観的な≪気持ち表現≫でなく、こんなふうに現実的に「報道」しております:

In December last year Japan lifted the ban – a move technically outside the terms of the postwar constitution, enacted in 1947, which banned "land, sea, and air forces, as well as other war potential". Japan has traditionally circumvented the ban by building up its armed forces with the help of the most formidable of the allied powers in 1945, the US.

Downing Street believes in recent years Britain has overlooked its relationship with Japan, which is the world's third largest economy and whose investments in the UK come to more than £26bn, accounting for 130,000 jobs. Japan is only the 14th largest export market for UK goods, though this grew by 7% last year.


(Prime minister accompanied by executives from six defence firms after Japan relaxes postwar procurement rules, Nicholas Watt, chief political correspondent, The Guardian, Tuesday 10 April 2012)
http://www.guardian.co.uk/politics/2012/apr/10/david-cameron-japan-defence-contracts
 
 なんとまあ、さらっと外国メディアに書かれてしまっていますが、いいんですかね、この国の最も大事な憲法に関わることであるにもかかわらず、ですよ。

 こんな大事なこと、こればっかりではありませんよね、消費税率アップとか、原発再稼動とか、大事なことが民主党政権になった途端に、すいすいと(拙速、早すぎ)、しかも有権者に、「私めが首相でよろしいや?」という選挙の「洗礼」も受けていない野田ぶたの「政治判断」で通ってしまう、という恐ろしい事態を迎えています。いいんでしょうか。
 不安げにかられたヤッホー君、生藤山のことを日記に認めようとしているのに、また政治ネタになっています。
 だってぇ〜、平和で穏やかな日々を過ごせて、山歩きができる健康があってこそ、はじめて、われわれは、愛してやまないこの美しい日本の各地の山々を訪れることができるのです。
 人任せにはできません!

 だってさ、キャメロン首相はまさか一人で来日しているわけではないでしょう?
 取り巻き連中って誰なのか、興味はありませんかね。
 ぜひ、上述の記事をクリックして辞書をひきひき、あるいはお子さまに聞きつつ、英語でお読みになってくださいね。
 学校教育からして英語圏に組み込もうとしているのに、投票権のある大人が英語が苦手でなんてぼやているうちに、あっという間に流されてしまいます、大衆居酒屋で溜飲を下げている庶民階級は…:

 まずは、こんな警告表示を発していたのが日本弁護士連合会で、法律を専門にしている実務家先生たちの公式意見書です。
 額に飾って床の間に掲げておきたいほどの格調高い名文です:

世界各地で果てしなく繰り返される戦争や地域紛争、そしてテロ行為は、いかに強大な軍事力をもってしても平和の構築が困難であることを示している。
 また、全世界に広がる深刻な貧困や飢餓、そして頻発する大災害は、人々が平和のうちに生きるという目標を達成するために、軍事力は無力であり、平和的な国際協力こそが求められていることを教えている。
 日本国憲法は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」とし(前文)、戦争と武力による威嚇又は武力の行使を放棄し、戦力を保持せず、交戦権を否認し(9条)、武力によることのない平和を追求している。こうした憲法の徹底した平和主義の先駆的意義、今日的意義は、今まさに明らかとなっている。
 立憲主義の原理から、憲法は統治原理として政府を規範的に統制するものであるから、その安全保障・防衛政策は、あくまで憲法前文および9条に立脚し、軍事力に頼ることなく平和主義に根ざしたものとして立案されなければならない。
 しかるに、政府が2010年12月17日、閣議及び安全保障会議で決定した「防衛計画の大綱」は、「基盤的防衛力構想」を排斥して「動的防衛力」を構築することとし、PKO参加五原則などの見直しを検討するなど、これまでの安全保障・防衛政策の根幹を大きく変容させ、憲法前文および9条からさらに乖離させるおそれのある内容を含むものである。
 当連合会は、安全保障・防衛政策の在り方について、憲法に立脚した国民的議論が行われるよう呼びかけるとともに、「防衛計画の大綱」について、国会において慎重な検討、審議がなされることを求めるものである

(2011(平成23)年9月15日付け 日弁連 新防衛計画大綱についての意見書)
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/110915_2.pdf
 
 日弁連が政治に圧力団体として、議員や選民を通してロビー活動の成果が発揮できるのか、となると、この崇高な理念といまの政治勢力は乖離していませんか?

 そしてこんな大事なことをはっきりと言い続けているのはなんと地方新聞:

年末のどさくさ。
 しかも世間の目が、米軍普天間飛行場の移設計画に伴う、環境影響評価書の沖縄県庁への強行搬入をめぐるドタバタ騒ぎに注目しているさなかにである。
 まるで狙ったかのようなタイミングだ。
 
 政府は、武器と関連技術の輸出を原則として禁じる「武器輸出三原則」を大幅に緩和することを決めた。

 武器輸出三原則は平和国家ニッポンの象徴で国是ともいえる。
 専守防衛に徹し、他国の脅威とならないという防衛政策の柱である。
 非核三原則とともに戦後の日本を支えてきた看板の一つともいえる。

 根本的な問題は、そんな大事な国の骨格について国会で議論されず、なおかつ国民に対して説明がなされなかったことだ。

 協議は非公開で、関係する防衛、外務、経済産業3省の副大臣級が11〜12月に3回行っただけ。
 これでは国民不在の密室政治と言われてもしかたがない。拙速のそしりは免れまい。

 防衛産業に配慮した揚げ句に待っているのが武器輸出国へのなし崩し的な転換では許されない。
 平和国家の理念を骨抜きにしかねない以上、政府は武器輸出三原則緩和を撤回すべきだ

(2012年1月6日金曜日付け 東奥日報社説「国民不在の緩和策撤回を/武器輸出三原則」)
http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2012/sha20120106.html

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2012年04月09日

白簱史朗

近年はニホンジカの異常繁殖による食害が南アルプスのみならず、日本全国の山にひろがってきて私たちを悩ませて居ります。
 その対策として、当協会は日本オオカミ協会と提携して、その導入に努力しております。オオカミというと、人はいわれのない恐怖と危惧を抱いて、ただ反対に走ります。そもそも日本の野生界に於ける植物連鎖の最高峰に位置するオオカミを絶滅させた明治政府時代に始まった政策が、この現在の未曽有ともいえる野生生物界の混乱を招いたのであり、同様の政策でその誤りに気付いたアメリカ、カナダやドイツ、フランスなどのヨーロッパ諸国は率先してオオカミを再導入し、着々とそれを成功に導いています。
 私たちも出来得る限り早急に、オオカミ再導入を図り、日本の自然界を昔日のように正常な姿に戻したいと決意しました。
 どうか、会員の皆様も等しくご賛同頂き、一日も早い自然の復元に力を併せて進もうではありませんか

(NPO法人 日本高山植物保護協会 JAFPA 会長 白簱史朗「新年への抱負 新しい出発」)
http://www.jafpa.gr.jp/modules/jafpanews/index.php?content_id=23

 白旗史朗氏(1933年生まれ)は大月市の出身で、猿橋の近く、「大月市郷土資料館(大月市猿橋町猿橋313-2 Tel 0554-23-1511)」では、白旗史郎の珠玉の富士12景の写真を常設しています。

 ここへ、山歩クラブはこれまでも何度か訪れています。だって、かつてNHKで放送された「日本の名峰」以来、白旗史朗氏より山岳写真の構図の決め方を習っておりましたもん。
http://www.nhk.or.jp/meihou/backnum.html
 そしてヤッホー君宅(カッシー曰く「山小屋」だそうですが)には、「特種東海製紙グループ」のカレンダーが居間にさがっており、これは南アルプスの白旗史朗氏の写真6葉が付いております。

 ところでこの白旗史朗氏は軍刀利神社とも縁があったのでございました:

山岳写真家・白旗史朗氏が信仰している山梨県軍刀利神社と元社にある2ヶ所の鳥居に対し、白旗史朗氏と地元のボランティアの参加で塗装作業を実施しました。
 山梨県軍刀利神社の鳥居は白旗史朗氏が寄贈したもので、10年経ち鳥居を保護するために企画したもので、(昨年2011年の)平成23年3月20日に25名のボランティアで作業し、白銀に輝く鳥居に生まれ変わりました。
 この作業は白旗大月後援会、地元上野原市の東斐山岳会、相模原市の藤野山岳会、NPO北丹沢山岳センターの手で実施したものです。
 これまでに、ボランティアの皆様の協力で、平成22年に軍刀利元社山頂までの男坂の登山道工事を完成しました。
 白旗史朗氏と杉本憲昭氏(藤野山岳協会)は例年開催されている軍刀利神社の大祭(4月19日と10月19日)での再会を確認すると共に、ボランティア参加者への感謝と大祭の参加を呼び掛けて解散しました

(北丹沢山岳センター 2011年3月21日)
http://www.justmystage.com/home/northtanzawa/newtop.html

『世界の著名な山岳写真家白旗史朗氏の呼びかけで軍刀利神社表参道「男坂」の再建ボランティア工事は2010年3月20〜22日の3日間、天候に恵まれ80名のボランティア活動により登山道が完成しました。
 登山道は軍刀利神社奥の院より、正面に冨士山を望み、「男坂」の往復コース(登り60分、下り45分)として再建ができました。
 軍刀利神社は白旗史朗氏の父上の時代からの信仰の神社です…』

(同 2010年3月23日 北丹沢山岳センター、軍刀利神社、白旗史朗ボランティア活動事務局)
http://www.justmystage.com/home/northtanzawa/gundarisaikenkansei.html

 風景が変わったのは「井戸」集落だけではありませんでした。
 2003年ヤッホー君が軍刀利神社から生藤山まで目指した山路には「男坂」なんて名前はありませんでした。しかしいま、「奥の院」から小一時間、ジグザクと急坂を登りつめると「女坂」との分岐が出てきます。
 たしかに奥の院の奥から三国山と軍刀利山(元社)への分岐点があって、左側の「女坂」を進む、という記述も登られた方の記述にでてきましたが、4月8日山歩クラブご一行様は、その分岐に気づかずに、道なりに「男坂」を登りつめていったことになります。もっとも、気づいていたとしても、「女坂」のほうが険しく、分け入らなかったはずですけど…

 ところで、軍刀利神社のご由緒とは:

祭神は日本武尊。
 人皇七十代後冷泉天皇御字、永承3年(1049年)5月創立。
 当初三国山頭に座し、武州桧原郷、相州佐野川郷並びに棡原郷の総鎮守と称せられたが、野火による火災で消失。延徳年間現社地へ遷座する。
 「甲斐国志」には別当寺の修験大正院の記述がある事からも明治の神仏分離令以前は修験道系の社で有った事が伺える。
 甲斐守護武田氏を始め、配下の岩殿城主小山田家の崇敬厚く奉納の記録が残る。
 また軍神として広く信仰され郡内一円に講を中心とする信者を持つ。
 明治6年村社に列せられる


 軍刀利神社元社にも由緒が記されています:

由来。
 第12代景行天皇の御代、東方の12道の荒ぶる神、服従しない人達を平らげて来いとの詔による御東征を成し遂げられた日本武尊が、帰国の途中、率いる兵士を整え、草薙剣を神実として御親祭された処です。
 その後、原始祭祀の祭場とし、又永承3年5月、社が創建され、天文7年7月、北条氏康の軍率の狼藉により社殿が破却されたため、今の奥の院の処に御遷宮されるまで祭典が続けられた処です。
 現在此の地は軍刀利神社神奈備の中枢であり、東京・神奈川・山梨のまほろばであります


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2012年04月08日

生藤山991m

皆さん、こんにちは、今日はいかがでしたか?
 山歩クラブ2012年度第一回目山行は佐藤さんご推薦の生藤山、帰りの立ち寄り湯は菅野さんご推薦の東尾垂の湯(相模原市緑区牧野8114-4、Tel 042-689-2360)でした。
 初回でいきなりでしたが、一生懸命登って完歩した新人、浅川さんお疲れ様でした。面倒みてくださった杉山さん、ありがとうございました。川上さん、会計もしていただきありがとう!これからもよろしく。
 山路には春の日差しがそそぎ晴れ、木の枝には鳥が歌い始め、すみれが顔を覗かせ、さくらも開花の準備に忙しいという風情でした。
 季節の変化を敏感に受け止め、暖ったかい春を待ちわびている山に生きる動植物の歌声に山はあふれ、緑の芽をいっぱい芽吹こうとしている樹々の姿にふれてきました。
 われわれ山歩クラブの仲間たちも、いっぱい、いっぱい山の気をいただき、体の気も入れ替わったような気がしております。
 参加された仲間の皆さま、山歩クラブお得意のわいわいがやがやで楽しかったですね。
 山はきっと、われわれの笑い声でびっくりなさったかもしれません。これは目覚ましの合図と思ってお許しを。
 今年度もたくさん元気に、あっちこっち大っきな笑顔で、賑やかに歩いていきましょうね


 こだまがすぐに返ってきました;

山に触れ、仲間とワイワイ楽しかったですね。又お願いします

お世話になりました。お天気に恵まれた山行で、桜が咲いていればと それのみが残念でした。でも 富士山が見えました。以て良し…です。有難うございました

今日はよい天気の中、会長さんのいうように素晴らしい山歩ができましたこと、大変お世話になりました。ゆっくりとしたペース だったため、息切れをせずに登ることができ、なんとかついていけました。ありがとうございました!楽しい一日でした

 8時半回っていましたかね(2003年4月歩いた井戸集落とは景色がすっかり変わっておりました。8時ちょい過ぎに到着していたのですが、登山口を探してうろうろしてしまったのです)。
 添えた写真は、登山口の軍刀利神社の登山口です。皆んなどこを向いているかといいますと、この正面になんと雪をまだ被った冨士山がくっきりお姿を現していたのです。
 神社は、4月19日の大祭日の準備で、氏子が総出で大掃除をしておられました。おつかさまでございます:

登山口の軍刀利神社.jpg

 この奥社に大桂があります。何の木?と聞かれたヤッホー君、帽子をとって愚禿をおみせしましたら、『あ、そう、アイゼンカツラ?』と答えありまして、こういう、ほんわか会話が心を暖っためる仲間内のコミュニケーションなんでしょうね、山歩クラブ万歳!!グッド(上向き矢印)

大桂.jpg

軍刀利神社奥宮の社殿前にあり、山梨県県内同種のうち最大です。
 推定樹齢500年、高さ33m、目通り9m、根回り14m。
 この木の根元から冷たい清水が絶えることなく湧き出ることから「水の木」と呼ばれています

http://www.city.uenohara.yamanashi.jp/shakai-kyoiku/bunkazai-gundari.html

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2012年04月07日

照洋丸

 4月7日土曜日、さくら満開!しかし:

東京消防庁は7日、東京で桜(ソメイヨシノ)の開花発表があった3月31日から4月7日午前までに、都内で花見客36人が急性アルコール中毒で救急搬送されたと発表した。
 東日本大震災で自粛ムードが広がった昨年同時期は8人。一昨年は20人だったため、2倍近くに達している。ことしの36人の搬送者のうち、20代が19人を占め、10代も4人いた

(2012年4月7日 18時44分東京新聞「東京、花見の救急搬送急増 急性アルコール中毒に注意」)

 ヤッホー君は9時半にはイーチャリ。JR山手線御徒町駅前、多慶屋(Tel 3835-7777)へコメを仕入れに行ったのですが、3900円/10Kg(ヤッホー君のこのブログでも紹介しましたが、2月26日で3480円/10Kg)。財布を見たら千円札3枚と500円玉一個に100円玉、10円玉、1円玉が何個か…これではおコメは買えません。すげぇすげぇ、とぶつぶつぶつ呟きながら、すごすごと戻ってきたそうです。
 消費税が10%なんて言うてはりますなぁ、んだげんども、ムカシの物品税のようにしてよ、庶民対策として食料品などの生活必需品にはいまの5%も撤廃にして、税金なんてとらんでほしい、食べていけませんわ。ぷんぷん…

 午後はクルマで、わかす、はるみと回ってきました。ガソリンも値上がりしてますね。レギュラーで156円/l。

 わかすでは、「東京ゲートブリッジ」へ向かう道がもうできていました。この橋の歩道を山歩クラブで渡ろうと企画提案しないと、ね。

東京港に架かる開通直前の大橋を舞台にした「東京ゲートブリッジ完成記念スポーツフェスタ」(東京新聞・東京中日スポーツ、東京都など主催)2日目の5日、ウオーキング部門が行われ、ブリッジを往復する約8キロのコースを約8千人が歩いた。
 ブリッジは東京都江東区若洲と中央防波堤外側埋立地を結び、全長約2.6キロ。海面から路面までの高さが最大約60メートルある。参加者らは、東京スカイツリーや東京タワーなどお気に入りの景色を見つけては、笑顔で記念撮影していた。
 ブリッジは11日に開通式が行われ、12日午前10時から供用が始まる

(2012年2月6日付け 東京新聞)

 わかすから、はるみへと回りました。そこの埠頭に水産庁所属の照洋丸が停泊中。
 北杜夫、という作家がいました。
 1927年東京都生、東北大学医学部卒、医学博士。歌人斎藤茂吉の次男。1960年『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーとなり作家に転身。同年『夜と霧の隅で』にて芥川賞、64年『楡家の人びと』にて毎日出版文化賞、『輝ける碧き空の下で』にて日本文学大賞、99年斎藤茂吉の評伝4部作にて大佛次郎賞を受賞。2011年10月死去。
 この北杜夫が船医として1958年11月から翌年4月にかけて乗り込んだ船が水産庁の調査船、照洋丸だったのです。寄稿先のヨーロッパはドイツの港町ハンブルクで奥様とも出会います。
 
『北杜夫の「ドクトルマンボウ航海記」をお読みになった方は多いと思います。彼は水産庁の調査船、初代照洋丸に乗船した経験を基にこの小説を書きました。その孫にあたる3代目照洋丸の船中で、現在、この原稿を書いています。3代目照洋丸は,水産庁の誇る最新鋭の調査船です。総トン数2,118トン、航海速力16ノット、調査機器は、現在日本で入手できる最高の機器を装備するハイテクノロジーの塊のような調査船です。
 今回の私の調査は、サケ類の資源調査です。サケ類の資源量は、孵化放流事業にも助けられ、世界的に増大している一方で、母川に回帰して来る親魚の高齢化や小型化も報告されています。この高齢化や小型化の要因解明が、今回の調査の最終的な目的です。調査は流網による漁獲試験が主体です。毎年同じ場所、同じ時期、同じ方法で調査を行い、調査結果を積み上げ、海の中で何が起きているのかを知ること、これをモニタリング調査といいます…』

(水産総合研究センター 北海道区水産研究所 北の漁火第106号)
http://hnf.fra.affrc.go.jp/H-jouhou/mini/mini106.html

 そう、ヤッホー君が今日お会いした調査船は三代目でした。春の東京湾3葉を添えます。
三代目
照洋丸.jpg

ゲートブリッジではなく、ベイブリッジ
ベイブリッジ.jpg

晴海のさくら
晴海.jpg


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2012年04月06日

文部科学副大臣辞任

 昨晩の続き、ハナキンの4月6日金曜日も日がな一日、机に頬杖ついて考え込んでいます。
 しかしサイキン、考えれば考えるほど、わけがわからなくなっていくような気がして…、だそうで、老化現象が目立つようになってきたヤッホー君です:

『「トリムタブ」となれ、ってか…?!?…、
@ 「なる」って思い込んだらやるっきゃないのか。その評価とか、影響力、波及効果とか考えずに、いまはやりの言葉で言えば、「自分の立ち位置」を「トリムタブ」って決めちゃえば、気持ちが楽なんだよ。
A 「なる」ための条件整備を家のものともよく話し合っておかないとな、要は父ちゃんは(あるいは母ちゃんは)、下級武士だから出世はこれ以上ないし、給料だってもう上らないんだから、と自己確認し、家族の了解もえておくことだよね。
B 「なる」、なったら、下級武士の意地もみせ、やるときには刀を抜くこと、だよね。そのために刀も腕も磨いておかないと。だって歴史を見て歩いてきて、なんか気がついたことがあったでしょ。彰義隊となって死骸は埋葬もされずに、カラスについばまれたり、ねずみに舐められたり、犬ネコの餌になったり、と。バンザイ岬から飛び降りたり、代々木公園で腹をかっさばいて己の力不足をお詫びし謝ったとて、雲上人は次の権力者に子孫を絶やすまいとして命乞いし、貴族になったり、象徴になったりして生き延びているわけ。下級武士の最後は、自分で決しないといけないよね。
C 大きな軸にならなくともいい、「トリムタブ」だけで動けるなら、その範囲内で動く、その範囲内に皆んながのびのびできる楽園を作ってしまうのも良しとする』

 遭難だよねぇ〜と、ヤッホー君、やっと落ち着いたような…。
 会員名簿から外してください、と来たお手紙への回答にそういえば、こんな返事を仲間宛に先月末、書いていたことをヤッホー君は思い出しました:

『今日はヤッホー君の好きな作家お二人の言葉を以下に引用させていただきます:

「山がいいのは、大企業の社長の奥さんだろうと、どこの部長だろうと、そういう地上の社会的価値はいっさい無関係だということ。
 <誰か私の荷物を背負ってよ>と社長夫人が言って、部下が<はい、はい>と言って背負ったら、みんなその社長夫人を軽蔑しますよ。そして、その部下も卑屈だと軽蔑される」
(田中澄江「山では人間みな平等」『山はいのちをのばす』1997年、青春出版社所収)

「いきなり静かになった林のなかの、厚く積もった落葉の上に座り、汗だくで働いている間はまったく感知できなかった鳥の声や風の音を聴きながらゆっくりおにぎりを咀嚼していたら、からだの気が入れ代わってゆくのが体感できた」
(南木佳士「森の滑車」『生きてるかい?』2011年、文藝春秋所収)

山はとってもいいです!』

 
 そういえば、ヤッホー君だってムカシ幼い頃、大、大好きだった爺(祖父)ちゃんの膝の上で、あるときは囲炉裏のそばで、あるときは仏壇の前で、よくこんな言葉を聴いて育ってきました:

『額に汗をかけ(虚業でなく実業)』
『実れば実るほど垂れる稲穂かな(おかげさまで、を忘れるな、謙虚なこころ)』
『鶏口と為るも牛後と為る無かれ(寄らば大樹の蔭になるな)』
『縁の下の力持ち(大黒柱)』…


 そんな言葉を膝の上で教わったものですが、いま、スーパーアイスエイジのなかで難しいのでしょうね、現場は。
 トイレ掃除はずっとトイレ掃除、トイレを掃除しろと命じる人はキャリア組、と軍隊のように職階や身分が固定され、区別されてきていますもんね。
 軍隊どころか、どっかの国のようなカースト制度みたいで、低賃金で利用するだけ利用して(こういうのを「搾取」っていうんでしょ)、非正規から正規への門が閉ざされていたりするわけです。開かずの門でも門はあるモン、なんて倫理上、社会通念上、許せないっすよね。

 でもさ、そんな状況でも、きちんと「けじめ」をつける人もいました! 今日のヤッホー君、まだまだ日本人も捨てたもんじゃないぞ、とちょっぴり嬉しくなったそうです:

今回の消費税増税や原発事故、放射能の問題、そして「郵便不正事件」や「陸山会事件」に代表される検察と司法の問題も、その本質は、実は、同じであると私は考えています。
 既得権を守るために汲々とする勢力と闘うこともせずに、棄民政策とも言える、困難な状況に人びとを放置してきた政治そのものの問題であります。

 2009年の政権交代は、まさに、そのような勢力と闘い、国民が国民の手に政治を取り戻した平成の維新でありました。
 その原点である「国民の生活が第一」の政治を実現することはそう容易なことではありませんが、それこそ「命がけで」実現に全力を尽くすことを、民主党は国民の皆様にお約束いたしました。
 その実現のために不可欠な「政治主導」とは、「政治家が自らの責任で決断し、実行し、その責任を取ることであり、そのような覚悟と姿勢で政治家が事にあたれば官僚は必ず付いてくる」と小沢一郎元代表から教えられてまいりました。
 今回、文部科学副大臣として僅か7カ月ではありましたが、そのことを日々、実感してまいりました。
 特に、第3次補正予算で放射能から子どもたちを守るために、「安全・安心のための学校給食環境整備事業」を計上し、給食の安全確保事業を実施する過程で、いわゆる「原子力むら」から集中砲火を浴びましたが、担当した官僚たちは体を張って私を守りながら、事業の実施にこぎつけ、国の予算は1億円と少ないものの、全国の自治体が独自に取り組むなど、事業が拡大しています。

 今、野田内閣は、政権交代でお約束した「国民の生活が第一」の政治とは正反対の方向に向かっています。
 野田総理の大方針に従えない以上、内閣に留まる事はできません

(平成24年4月5日 参議院議員 森ゆうこ「文部科学副大臣辞任についてのご報告」)
http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/2012/04/post-d28f.html

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2012年04月05日

トイレの神様

『新年度になって、それぞれ環境が変わったりするけど、これからもより良い音楽を届けられるようにみんなで頑張っていくんで、またライブ遊びに来てね(*゚▽゚)ノ
 4月になって、新しい生活が始まる人も、そうじゃない人も、切磋琢磨しながらいっぱい笑ったり泣いたりして、人生楽しんでいこうねー☆☆☆』

(2012-04-02 23:27:00「☆久々に全員集合!!!☆」)
http://ameblo.jp/uemurakana/

 これは、もちろんトイレ掃除を歌声に乗せて大ヒットさせた植村花菜の公式ブログからです。
 YouTube の次↓ の URL には、なんと今日、4月5日木曜日現在 13,276,927 回というお化けみたいなアクセス数を誇る『トイレの神様(植村花菜)』の歌声です。「何やってんのよ」なんてクレームがつかないよう、クリックするときは周りに十分に注意してください:
http://www.youtube.com/watch?v=Z2VoEN1iooE

 ま、これが自分ん家だったら、そうだねぇ〜で済むのですが、これが仕事場だったりすると問題が複雑化しません? 考えたことってありません?
 今日、ヤッホー君は午後からずう〜っと机に頬づえついて、トイレも我慢して考えていたそうです:

『トイレ清掃といっても、これが昇格・昇進・ベースアップなんて人事評価の対象になるのかな?
 ならないんじゃないかな、きっと。

@ 自ら目立たないところで率先してやることに意味を見出し、腕まくりして始業時間の30分前からトイレを磨いていたとして、それをみた上司が見上げたもんだ、となれば人事評価の対象になったり、抜擢人事とかになるのかなあ。

A それを見た上司が、この人だけでやるのはおかしいので、輪番制、当番制にしようと職場環境の改革に乗り出すのかな。

B 快適職場づくりに乗り出したとして、トイレ掃除が勤務時間に算入されるのか、されないのか、なんて論議になるのかな。

B-T. なったとして、人件費削減のため、「目標管理制度」のもと、目標を20分を15分で終わるようなんて組織目標が課せられるのかな。

B-U. ならない、だから業者にお願いしよう、トイレはその事業所のもうひとつの顔だから、いま流行りのアウトソーシングですよね、社会貢献とかで、障害者雇用だったりしてね。

C このトイレ掃除に入れ込んでいるのが上司だったりすると、取り巻き連中の茶坊主たちが競ってぞうきんとバケツを持って嬉しそうな顔をして、腰巾着連中が後をついて、部下に見習えと言いふらすのかな』
 
 その職場構成員の性格や人生観とかいった個別属性に拘わるのがトイレ清掃なんじゃないのかな、と。

 今春から、産能大学の通信研修に≪ビジネスに活かす〜「7つの習慣(R)≫がはじまります。
 そのDVD教材にトイレ掃除の事例が映像で流れます。ぜひ、この科目を受講して世界の警察国家となっているアメリカの「目標管理」への執念さを学んでみません? TPPにも参加して「国際貢献」するようですし…:

DVDの映像の中では、アメリカのある荒れた小学校に赴任してきた女性の校長先生の例が紹介されています。
 異臭が取れないトイレを、まず校長先生自ら掃除してきれいにすると、そのことは生徒や教職員、親たち、そして他の地域の人達にまですぐに知れ渡りました。
 彼女は毎日汚れた服を着てくる生徒が多いことに気付き、汚れたままで気にならないのでは学習にも影響するとして洗濯機を購入し、汚れた服を着てきた生徒がいると着替えさせて、スタッフやボランティアが下校時間までの間に洗濯してきれいに畳んで返すことにしました。
 時には生徒のために食料を調達したり、治療を受けさせたりもしました。
 そのように生徒の学びを妨げる小さな問題を次々解決していくと、行動を起こすという文化が教員やスタッフに次第に浸透し、学校全体の成績は飛躍的に伸び、学校は生まれ変わりました。
 彼女は、トリムタブとなって、周囲の人々に影響を与え、方向を変えたのです

http://www.hj.sanno.ac.jp/cp/page/8294

 ま、なんでもかんでもアメリカの属国ですし、アメリカの植民地となることに邁進することによってのみ、政権がどうなろうとも、この国の活路を見出すにはそれしかないという「刷り込み」ができているサイコウ指導者層ですので、なんら不思議ではないのですが、この国では、トリムタブになって早朝から額に汗している、職階層の高い管理監督者層(キャリア組)でない下位層(ノンキャリア組)、ましてや非正規やアルバイトの労働者への人事評価になんか影響を与えることって… ありますか、ねぇ〜…?…
 そして、ま、この国じゃあ、一度、管理監督者に登りつめれば、躓いたとしても下位層に転落するなんてことはないし、甘い汁は誰にも話さないし、離さないし渡さない、そんなこの国の保身主義の跋扈するムラ社会じぁ、ねぇ〜…

 このトリムタブ概念の提唱者は昨年、来日しておっしゃったそうですよ:

トリムタブになってください。
 トリムタブというのは小さなカジ、小さなカジが動くことで大きなカジが動くのです。
 そして大きなカジが船を動かすのです。
 ですから小さなカジになってください。
 家庭のなかでも、職場、会社においても

(2011年7月9日土曜日)
…www.franklincovey.co.jp/training/event/greatness-report.html

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2012年04月04日

心の掃除

おはようございます。今、私は足柄のアサヒビール工場にいます。桜見物のバス旅行「ミステリーツアー」でこちらにきてしまいました。バス旅の途中ですみません
 
 山歩クラブの用事に同行してもらえたらな、とお誘いしましたら、なに?ビール工場ですって…。

 ここのビール工場、アサヒビール園神奈川足柄店(南足柄市怒田1223、Tel 0465-70-5251)は山行の帰りにこれまでも幾度となく立ち寄ったヤッホ−君のお気に入りのところです。
http://www.asahibeer.co.jp/restaurant/garden/ashigara/ 

 南足柄市といえば、4月1日日曜日の早朝のことを思い出しました。

 山歩クラブ第10回総会の日。その日の早朝4時、なにげなくつけたラジオから流れてきたのが、『掃除をすれば何かが変わる(神奈川県南足柄市立岡本中学校 校長 中野敏治さん)』の教員生活を振り返る言葉でした:

中学生が2年になってから不登校になりました。家庭訪問をしても母親とだけしか会えず本人の気持ちが確かめられませんでした。
 クラスの同級生はそれでも交代でプリントを届けてくれていました。
 ある日、派手な服装で登校してきました。私は「無理しないで、普段の格好で来なさい」と帰しましたがクラスの子どもたちは、「先生、どうして帰しちゃったの」と心配して聞いてきました。
 学校で誕生会をした時は、窓を開け、彼女の家の方向に向かって全員でお祝いのハッピバースデーを歌ったりしました。
 卒業式になっても、式は粛々と進んだがやはり、彼女は来ませんでしたが、式の終了間際になって会場に入ってきました。
 校長先生は、「彼女のために、これから卒業式をします」と言ってくれて、改めて卒業証書を授与してくれました。
 彼女は「中野先生のクラスで良かった。クラスの仲間と友達になれて良かった」と感謝の言葉を言い、学校に来れなかったけど、出席できなかったけど、クラスの皆んなと心で繋がっていたんだなと感じました。
 教育はルールではなく思いやり。人として向き合うことなんだと気付いた時でした


 先生はラジオのマイクの前で言葉に詰まり泣いていらっしゃいました。その中野先生が一番、率先垂範しておやりになっているのは「清掃」なのです:

岡本中学校の校長を務める傍ら、岩原公園の清掃活動などに取り組む「中学校区を美しくする会」代表のほか、教員が中心となりボランティアで学校のトイレ掃除を行う「かながわ便教会」の代表世話人も務める。
 「掃除をする場には職業、年齢、性別は関係ない。1人の人間として付き合えるのはおもしろい」
 "掃除をする"という単純な行為を通して、企業経営者やベストセラー作家、歌手など、職業や立場に関係なくさまざまな人と出会えたことは自身にとっての財産だ

(2012年2月11日号タウンニュース足柄版 「中野敏治さん 開成町延沢在住 53歳、トイレ掃除は心磨き」
http://www.townnews.co.jp/0608/2012/02/11/134865.html

毎朝、少し早く出勤し、校舎周りを掃除するようになった。袋を持ち、落ちているごみを拾い集める。毎日、ごみを拾っていると、今まで気が付かなかった小さなゴミまで気が付くようになってきた。
 ほうきを持ち、落ち葉も掃くようになった。特に正門付近は、落ち葉一つ落ちていないように、きれいに掃くようにしていた。今日一日、この学校で生活をする生徒がここから入ってくると思うと、掃除にも力が入っていた

(2011/09/14 20:55 善の循環)
http://toshinoheya.at.webry.info/201109/article_2.html

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2012年04月03日

春の嵐

 4月3日火曜日、朝方は春らしい青空が広がっていたのですが、だんだんと春の嵐へ、と。

嵐の原因は、急速に発達する低気圧です。(温帯)低気圧は、寒気と暖気の境目で、その温度差を解消することを役目として生まれます。

 急発達するということは、それだけ温度差が大きいということ。寒気がしつこく残っている一方で、
南から着実に、春の空気が来ていることの裏返しです。

 また、冬は、冷気が地上付近にたまってバリアのようになるため、強い風が吹かないこともありますが、これだけ広範囲で強く吹くのは、冷気がなくなってきた証拠です。

 つまり、今回は春になってきたがゆえの暴風と言えます。

 交通機関の混乱など、影響は色々と考えられますが、一番は、危険な時間になるべく外に出ないなど、身を守ることです

(チーム森田の天気で斬る 増田雅昭「春がゆえの嵐」)
http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/61413041.html

 ヤッホー君が頼りにしているお天気解説からです。

 ヤッホー君は小田急線の豪徳寺駅前の歯医者、「こいぶち歯科医院(世田谷区豪徳寺1-22-3 ユアーズビル2F Tel 03-3427-4007)」で歯石取り。
 1988(昭和63)年に歯科医院開設、とありますから、それ以来、ず〜っとず〜っとお世話になっております。ですのでまだ、自前の歯。
 「80歳で20本」を目指しております。ヤッホー君がオオカミ、ウルフと称している歯で、なんでもばりばりと食べつくすことができるのは、ひとえに鯉渕隆文先生さまのおかげなのです。カッシーからウルフ?じゃない、ない、ハイエナだぁといわれるほどに。
 先生はホームページも開設していらっしゃいます。イギリス人がロンドンから出張して歯痛が痛くて困ったとき、先生のところに案内し治療していただいたことがあり、イギリス人からは、名医を紹介してくれたとどれほど感謝されたことか、世界一の歯医者さんです:
http://www.koibuchi-japan.com/index.html

 さて、歯医者をでて7時6分に仲間にこんなケイタイメールを送っていました:

『午後から嫌なお天気になりました。今、千代田線は神宮神宮前(原宿)駅に停まったまま。常磐線は運転見合わせ、だって。いまどこ?大丈夫ですか?気をつけてください!』
(東京メトロ千代田線19時08分運行情報【ダイヤ乱れ】小田急小田原線で強風のため、ダイヤが乱れています。この影響で、メトロホームウエイ41号の運転、JR常磐線各駅停車、小田急小田原線との直通運転を中止しています)

 7時12分、こだまが返ってきました:

山の手、京成は走ったり停まったりしながらなんとか動いています。もうちょっとで家につきそうです

 こんなこだまも:

大変荒れていますね。今日は荒れるということで静かに家におります。でも1日中家にいると 怠惰な生活になり困ってしまいます

 よほど電車のなかで退屈していたのか、こんなお返しを…

『食べすぎないように、ね。音楽鑑賞は気持ちよくなって、手持ちぶたさでついついお菓子のほうに手が伸びます。読書はいかがですか、本の重さで眠くなるし…、読んだら、感想文を書いて送ってください、ブログに転載します。宿題をだしておきます。これまで一番楽しかったこと、悲しかったこと。作文を綴ったら、これも提出が義務付けられております。だって、新学習指導要領にのっとった「思考力・判断力・表現力等の育成と言語活動の充実」を考査するのですから、ね。では』

≪(1)体験から感じ取ったことを表現する
(例)・日常生活や体験的な学習活動の中で感じ取ったことを言葉や歌,絵,身体などを用いて表現する≫
(新学習指導要領・生きる力 第1章 言語活動の充実に関する基本的な考え方 (1)学習指導要領における言語活動の充実…(4)思考力・判断力・表現力等の育成と言語活動 イ 思考力・判断力・表現力等の育成と言語活動の充実)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/gengo/1306118.htm

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2012年04月02日

新学習指導要領

 ヤッホー君の昨日の日記にさくら三葉を添付しましたが、その2葉目。
 さくらの花越しに見えた学園がありました。
 ヤッホー君のこのブログ、昨年2011年7月9日付け日記「中村学園」で紹介した「中村学園本館」でした。
 昨年2011年の4月、校長先生は入学式でこんな式辞をなさっておられました:

さあ、新入生のみなさん。
 12歳のあなたは、15歳のあなたはどうしたいですか。何ができますか。

 ボランティア活動もあるでしょう。節電は当たり前です。募金活動もできるでしょう。しかし、それが特別であってはいけない。被災地で耐えている日常に対して、私たちの日常で応援をするのです。
 今日も、明日も、明後日も、1年後も。

 だから敢えて言いましょう。
 日本復興の一員として、「志を持って勉強しなさい」。
 地震・津波が「自然界の猛威」ならば、あなたたち一人ひとり、唯一無二の存在は、まさに「自然界の奇跡」なのです。想定などというものは作らず、自らも知り得ない「未知なる自分」を求めて、強く深く学びを追求するのです。
 そしてこの困難に立ち向かう力をつけるのです。

 今日できることを「いつか」に先延ばししてはいけない。 
 自分でできることなら自分でしなさい。誰かと協力するのならば、言葉を発し想いを伝えなさい。大きく活動するならばネットワークを作りなさい。
 そしてこの志を中村の元気とし、街の元気とし、日本の元気とし、色と音と正常を取り戻してください…
 
 みなさんはできると、私は知っています。
 何故ならば、すべては人の心が決めるからです』
平成23年4月6日 中村中学校 中村高等学校 校長 梅沢辰也

(チャンネル校長室第二話「入学式」)
http://www.nakamura.ed.jp/principal/2011/04/index_3.html

 そして今年、2012年3月、卒業式で校長先生はこんな式辞を:

『…いっつも「先を先を」「次を次を」という生き方はしてほしくない。
 今をじっくり味わい、思い出も大切にしてほしい。
 東京体育館で、全員で円陣を組んだ「あの日」を大切にしてほしいのです。
 ちょっと振り返りたい時や、ポンと背中を押してもらいたい時があったっていい。
 そんな時は、新館の「カフェみやこどり」を訪ねて来ればいい。

 在原業平が伊勢物語でこんな唄を詠んでいます。
 「何しおわば いざこと問わむ 都鳥 我が想う人は ありやなしやと」

 さて、今日は3月9日。
 東日本大震災から1年が経とうとしています。
 愛する人を失った人たちに、希望なんてこれっぽっちもなかったはずです。
 しかし、悲しみ、絶望、怒りの涙でさえ、やがて蒸発し、大空へと舞い雲となり、雨となって、川・海・田畑に降り注ぎます。
 そして、「命」という希望になる日がくるのです。
 
 卒業生のみなさん、私たちは信じています。
 みなさんが誰か何かの希望となり、一隅を照らすLADYとなることを。

 何故ならば、全ては人の心が決めるからです。
平成24年3月9日中村高等学校校長梅沢辰也』

(第八十七話「(中高一貫教育)一期生卒業式」)
http://www.nakamura.ed.jp/principal/2012/03/

 ところで教育界のホットニュースといえば、今朝4月2日月曜日朝のNHKニュースでは:

ゆとり教育の転換で学ぶ内容が増えた新しい学習指導要領が、今年度から全国の中学校で全面的に実施されます。
 これに伴い「体育」で武道が必修化され、「理科」で放射線の授業が復活しますが、指導体制についての課題も指摘されています。
 
 今年度から中学校では、「脱ゆとり」の新しい学習指導要領が実施され、理科や数学などさまざまな教科で学ぶ内容が増えます。
 このうち「体育」では、柔道、剣道、相撲の武道が新たに必修化されますが、このうち柔道は、おととしまでの28年間に中学校や高校で114人の子どもが事故で死亡していることから、授業での安全確保が課題となっています

(4月2日 5時17分 NHK 「中学校で武道・放射線の授業」)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120402/k10014134091000.html

 ヤッホー君のこの日記、昨年2011年9月15日付け日記「中学校学習指導要領」でも<教育問題>はとりあげて書いておりました、為念。

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2012年04月01日

さくら開花

 ようやく、春がすぐそばまで近づいてきました。うれしいですね。 
 
 今日4月1日日曜日午前10時から「江東区芭蕉記念館分館」で山歩クラブの第10回総会を開催しました。そのときの資料にこんな唄の文句を載せておりました:

坊がつる賛歌(作詞:神尾明正、補作:松本征夫、作曲:竹山仙史、唄:芹洋子):

るんるん♪人みな花に酔うときも
残雪恋し山に入り
涙を流す山男
雪解(ゆきげ)の水に春を知る ♪るんるん

 今冬は雪多く、山にはまだ残雪深いのでしょうが、里にようやく、春。 

 春といえば、うぐいすですが、これは3月定例山行の伊豆・達磨山で登りは、峠は雨、山路は雪、そして伊豆の馬酔木に夢氷(若松さんの命名、良いですねぇ)、われわれは風を避けて頂上でのお昼は途中の登山道に切り替えましたよね。そこに陣どっていたわれわれの対面の灌木で、はるちゃんがうぐいすの初音を聞きつけ、教えてくれました。
 ほら、耳を澄ましてごらん、うぐいすが鳴いているよって。

うぐいすの初鳴は、2月下旬に九州地方、四国地方の一部や関東地方の一部で始まります。3月10日には中国地方〜東北地方南部太平洋側を結ぶ地域、3月20日に北陸地方北部から東北地方太平洋側を結ぶ地域に達します。その後、東北地方を北上し4月下旬に北海道地方に達します
(気象庁 生物季節観測の情報)
http://www.data.jma.go.jp/sakura/data/uguisu2010.pdf

 春といえば、さくら。総会のあと、清澄公園までお散歩。さくらの木の下で円陣、車座。

東京管区気象台は3月31日土曜日、東京で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。平年より5日、昨年より3日それぞれ遅い。
 気象庁が定点観測している千代田区の靖国神社の標本木で、開花の基準となる5〜6輪以上が咲いているのを確認した。満開は1週間から10日後とみられる

(2012年3月31日 13時36分付け東京新聞「東京で桜が開花 平年より5日遅く)

 4月1日の清澄公園でのさくら三葉:

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 映画『黒部の太陽』で飲み交わしていた「新政(秋田市)」を2012年度の出船の盃にし、はるちゃんの発声で乾杯。そして「坊がつる賛歌」を歌っていた午後、われわれの船出の歌に聞き惚れたさくらが、恥ずかしそうに嬉しがって、頬をピンクに染めて一輪、二輪と開花しはじめたではありませんか。

 それが一番目のさくら(ソメイヨシノ)。
 二番目のさくら越しに、新学期にあわせ、オープン間際の「新館LADY」が準備中の中村中学校・高等学校の本館。
 三番目のさくらは、寒緋桜!

 こうして山歩クラブも本日、仲間がお一人増えて、新財政年度、新活動年度の幕が開いたのです!

posted by fom_club at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする