2012年02月29日

春告げる雪

 2月最後の日29日水曜日は雪。長靴を履いての出勤となりました。

東京都立高校の2012年度入試で、全日制など186校の合格発表が2月29日午前9時に各校であり、降りしきる雪の中、合格した中学生らは受験勉強からの解放感と高校生活への期待で歓声を上げた
(2012年2月29日 東京新聞夕刊 雪の中歓声 都立高校合格発表)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012022902000184.html

 いただいたメール:

『こんにちは! 全国的な厳しい冷え込みにより、東京でもこの冬2回目の本格的な降雪となりましたが、この時期に特有な湿り気の多い雪でした。
 また、早咲きの桜で有名な伊豆半島の「河津桜」の開花時期が遅れていましたが、ようやく2〜3分咲きとなったようです。
 季節が確実に春に向かっていることが感じられます。

 国際森林年を記念して設けられた「フォレスト・ヒーローズ」に、「森は海の恋人」をキャッチフレーズに森づくりを進められてきた畠山重篤さんが選ばれ、先日国連本部で表彰されました。
 東日本大震災による深刻な被害を受けながらも漁場である海を守るための活動を現在も続けておられる畠山さんの活動が高く評価されたのではないでしょうか? 同じ日本人として共に喜びたいと思います。

 「フォレ・サポ」のWEBサイトでも皆さまの活動から春の訪れが感じられます。
 引き続き、活動の情報・報告ををよろしくお願いいたします!』


 ヤッホー君のこのブログ、2011年4月9日付け日記「真鶴町の御林」で紹介しました森海の畠山重篤が、受賞したのです!おめでとうございます!!

畠山は津波で、母小雪さんを亡くした。
 養殖業を継いだ畠山を、陰に日向(ひなた)に支え続けてくれた小雪さん。
 その母の言葉が、壁に突き当たった畠山の背中を押し続けてきた。
 植樹活動を始めた畠山だったが、その直後、気仙沼湾に注ぐ川をせき止める、ダム計画が持ち上がる。
 「海を守るために森を守る」と声を上げても、聞いてくれる人はわずかだった。
 活動を広げるための資金も無く、取り組みを裏付けるための科学的な根拠も無い。
 家族に心配をかけまいと、何も話していなかった畠山だったが、ある日小雪さんに呼ばれ、声をかけられた。
 「自分のやり方を貫きなさい」
 畠山は、見守っているという母の思いと同時に、自分でやり始めた事は、最後まで自分の責任でやり通しなさいという2つの思いを、その言葉から受け取った

(2011年12月12日NHK番組「プロフェッショナル」 それでも海を信じている)
http://www.nhk.or.jp/professional/2011/1212/index.html

 『世界41ヶ国から90名の応募があり、2月8日(現地時間)、2名の特別表彰者(故人)を含む8名の受賞者が発表され、アジア地域からは、農林水産省が推薦した畠山重篤氏(宮城県)が選出されました。
 受賞者は、2月9日(現地時間)に国連本部(アメリカ合衆国ニューヨーク市)で開催される国際森林年クロージングセレモニーにおいて表彰され、今後、映像等を通じて全世界に活動が紹介されます。
※UNFF:United Nations Forum on Forests』

(平成24年2月9日農林水産省)
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/kaigai/120209.html

国連森林フォーラム(UNFF)が森林の育成や林業の健全な発展などに貢献した人物に対して表彰する「フォレスト・ヒーローズ]を、理事長 畠山重篤が受賞いたしました!
 2011年の国際森林年に当たり、国連は世界の5地域それぞれから最も森林の育成や林業の健全な発展などに貢献した人物を「フォレスト・ヒーロー」として選ぶ作業を進めてきており、アジア地区のフォレスト・ヒーローとして畠山重篤が選定されました。
 2月9日の授賞式の様子などについて、追ってお知らせしていければと思います

http://www.mori-umi.org/

Shigeatsu Hatakeyama is a fisherman turned environmentalist who has cultivated his oyster business by planting trees in the forest surrounding Kesennuma Bay in Miyagi, an area of Japan devastated by the March 2011 tsunami. He is known as “Grandpa Oyster,” after spending more than twenty years developing the forest environment that keeps the Okawa River clean and his oysters healthy.http://www.un.org/en/events/iyof2011/
http://www.un.org/en/events/iyof2011/forests-for-people/awards-and-contests/award-winners/

 あっ、今日のメールの送付元は「フォレ・サポ」でした。
 皆さんもぜひサポーターになって、この国の森を守っていきませんか? ≪森の守人≫です!
 ヤッホー君のご近所さんも:
 
株式会社GREEN 相談役 納谷幸喜:
 私は相撲界に入る前、北海道弟子屈町の営林署で働いた経験があります。
 海抜800mの山で雑草を刈り、1日200〜300本ほどの苗木を植えていました。
 50年が経ち、その木々も力強く生きています。
 相撲界で残してきたさまざまな記録と同様にこの手で増やした“緑”は私の大切な財産です。
 緑をなくさない社会づくりへ今後も協力していきたいと思います。

 株式会社GREEN 顧問 納谷芳子
 私の生まれた秋田市の家の前には千秋公園がありました。明治時代から続く、さくら・つつじの咲く広大で美しい公園です。
 横綱大鵬のもとに嫁ぎ、住み慣れた相撲部屋と今の自宅の前にも清澄公園・庭園があります。
 こうして身近に緑があったことで私の心はずいぶんと癒されました。
 今後も緑を眺めながら生きていきたいと思います

http://www.mori-zukuri.jp/contents/supporters/talent.php?1330513832&p=2

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2012年02月28日

福島県三春町

 ヤッホー君のこのブログで、何度か登場したのが三春町にお住まいの芥川賞作家の玄侑宗久さん。ヤッホー君はおずおずと武藤類子さんに玄侑宗久さんのことを訊ねたら、武藤さんは玄侑さんの奥さまとお友達でした。
 絆がありそうで、絆を強めるのでなく絆を鉈で断ち切るのは「簡単」なことなのです。それは、首長や地方議会の議員を選ぶ住民たちのチェック能力なんでしょうね、「簡単」…、しかし「簡単」ではないから問題をますます複雑にさせてしまうのでしょうね。

3月13日あたりから事情は変わった。
 読売新聞はこの日、原子力安全・保安院の発表を受け、朝刊で「炉心溶融」という表現を使った。
 しかも福島第一原発6基の不具合が次々に明らかになり、14日午前11時1分、1号機に続いて3号機も水素爆発を起こし、原子炉の建屋が吹きとんだ。
 炉心の温度もどんどん上がっているというのである。
 しかしほとんどの国民が、この時点ではまださほど深刻には受け止めていなかっただろうと思う。
 実際、テレビ報道からもあまり緊迫感は感じられなかった。
 炉内の蒸気を抜く弁がなんらかの理由で閉じてしまい、高圧になっているため、弁を開ければいい、などと言っていたのである。
 驚いたことに、この時点で、原発でのプルサーマル使用に反対運動をしていた友人は、福島県を出ている。
 危険性について、人一倍詳しかったということだろうか。
 じつは3号機にはMOX燃料がすでに原子炉で使われており、そのことは大熊町や富岡町など、当該地区の人びとの多くは知っていた。
 しかもその両町の役場課長たちが、三春町には避難民と一緒に来ていたのである。

 3号機の水素爆発を知った両町の課長たちは、事前に県からもらっていた「ヨウ化カリウム丸」(いわゆる安定ヨウ素剤)という薬を飲もうと決意した。
 それを見た三春町の当局も、町民にも飲ませるべきだと合議の上決断して県庁に分与を願い出たのである。

 三春町は、20キロ圏外では逸早く14日に薬を約1万5千粒入手し、役場職員が徹夜で家庭ごとの分配作業を行ない、翌15日には町内8ヶ所に取りに来てもらう形で40歳未満の7248人のうち凡そ95%に手渡された。
 その日の朝6時14分、3つ目の2号機付近でも爆発音が上がった。
 それ以前、町では東の端に当たる沢石地区に風向きを見るための幟を立てていた。
 15日の朝、風は少なくとも三春町には真東から吹いた。
 しかも福島第一原発から100キロ以上離れた茨城県東海村での観測データでさえ、朝8時には5.8マイクロシーベルト/時という高い値を示していた(ちなみに、原子力災害対策特別措置法に定められたギリギリの安全基準値が5マイクロシーベルト/時)。
 それらを確認した町当局は、薬の配布時に「すぐに飲んでください」と指示したのである

(玄侑宗久「解毒用安定ヨウ素剤を飲む決断-国や県の迷走にわれわれは独自の決断をした-」文藝春秋2011年5月号)
http://www.genyusokyu.com/essay11/bungeishunjyu/201105.html

 もうひとつ玄侑宗久さんの文を紹介します。
 最近の毎日新聞の記事ですが、これも削除される前にプリントアウトしておいたほうがいい、と思います。
 というのは、反原発とか脱原発とかの前にある、ある考え方、ですね、これに耳を傾けておいた方がいいからなのです。武藤類子さんも分断、それにこころの分列のことをおっしゃっておられましたね:

墨色の被布−作家の玄侑宗久さんは、福島県三春町にある福聚寺(ふくじゅうじ)の住職でもある。
 寺は福島第1原発から西へわずか45キロ。
 震災直後の2ヶ月で、玄侑さんの寺の檀家だけでも5人が自殺した。

 「福島県民の間で、いくつもの心の分裂が深刻化している」と言う。
 放射能から逃れるため福島から出る、出ない。残ったとしても地元の米や野菜を食べる、食べない。子どもに食べさせる、食べさせない。それらはまるで「踏み絵」のような苦痛を伴う

(山寺香 毎日新聞記者 2012年2月3日 東京夕刊◇「閉じる」こと考えよう−玄侑宗久さん(55)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120203dde012040010000c.html

 ところでもう遅いのですが、「ヨウ素剤」を配られたところは三春町だけって言いますし、当初のもたもたはなんなのでしょうかねぇ〜:

アメリカにお住まいの人から、アメリカの医師が日本にいった人にヨウ素剤を飲むようにすすめているというメールがありました。アメリカでは事故直後から日本にいった旅行客にヨウ素を配っています。チェルノブイリ事故の時にヨウ素を服用した子供には甲状腺ガンが出なかったのです。すでに現在は事故から5ヶ月を経ていますので、ヨウ素剤の効果はほとんど無いと考えられます。
 また、ご家庭でヨウ素剤を用意するのは、原発が再開されるところでは必要と考えられます。ポーランドのように自治体がヨウ素剤を各家庭に配るように市役所に強く要望するのが適当です

(平成23年8月21日付け中部大学武田邦彦教授ブログ「メールのご質問への答え」)
http://takedanet.com/2011/08/post_25b7.html

 これも長いのですが、削除される前に記録しておきます:

山野邉さんはいわき市から、甲状腺への被ばくを抑える薬を配られていました。
 「安定ヨウ素剤」です。

 甲状腺にあつまるヨウ素剤を、あらかじめ飲んでおけば、放射性ヨウ素が取り込まれにくくなり、被ばくを抑えられるのです。
 しかし、兼介君がヨウ素剤を飲むことはありませんでした。
 いつまでたっても服用の指示がなかったからです。

【山野邉美智子さん】
「市から指示があるまで一切服用しないでくださいと言われてましたし、お兄ちゃんが0.03マイクロシーベルト/時で、ほんとにこれ飲ませることによって0だったら、飲ませてあげたかったですよね」

 住民の被ばく対策の「切り札」として配られるはずだったヨウ素剤。
 しかし、今回の事故では、被ばくの恐れが高かった、原発から20キロ圏内の住民に対してほとんど活用されませんでした。
 福島第一原発を抱え、すべての住民が避難した大熊町では、倉庫には4千人分のヨウ素剤が眠ったままです。
 住民に配布する準備をしていましたが、国の指示が一切なかったからだと言います。

 最も被ばくの危険が高まったのは水素爆発で放射性物質が大量に放出された3月12日から15日。
 しかしこの間、国はヨウ素剤の服用の指示を出しませんでした。

 国からの指示がなく、子どもにヨウ素剤を飲ませられなかった山野邉さん。
 子どもの健康への不安が消えないと言います。

【山野邉美智子さん】
「10年後とか20年後に子どもたちが発症する可能性がまったくないとは言い切ってくれないからそれが怖いですよね。本当に子どもたちのことを考えてくれていたんでしょうかということ以外にないです」

(2011年9月27日火曜日NHK「かぶん」ブログ特集 田中陽子記者「原発事故でヨウソ剤はなぜ生かされなかったのか」)
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/600/96404.html

 ことほどさように、住民への対応には自治体を預かる人の思いでぜんぜん違うようですね。次は印西市の小児科のお医者様の2月26日日曜日のブログより:

原発事故直後、食料も医薬品も入らなくなった相馬市で、「こめと梅干があれば生き延びられる」と発言し、市役所に「籠城」された相馬市、立谷秀清市長。彼の最近のメルマガでの発言がある。
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/melma/20120223_melma.html

 彼のような行政のトップであれば、信頼を置いて、任せられる。
 事故直後、政府当局は情報を隠ぺいし、一部の住民を被曝させた。
 また、相馬市のように比較的被曝の少ない地域では、政府による同心円状の避難指示のため物資流通が止まった。
 こうした政府・国の行政当局と、相馬市、相馬市長の住民への対応は、方向性がまるで違う。

 立谷市長は、医師であるという。同業の者として、立谷市長を誇りに思う

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2012年02月27日

福島県双葉町

 『福島県双葉町井戸川町長が問題視したのは、中間貯蔵施設の建設予定地を国が震災前の価格で買い上げるとした政府提案や、東日本大震災前に東京電力などが文部科学省に働きかけて津波の想定を書き換えさせたとする報道。
 井戸川町長は「丁寧な議論をしたいと思っていたのに、政府が一方的に決めていくのは恐ろしい。こちらが聞いていない話が次々に出てくるようでは、首長として住民に説明責任が果たせなくなる」と語った。
 意見交換会は郡山市のホテルで開催予定だったが、双葉郡8町村のうち、双葉、広野、浪江の3町長が欠席した。
 欠席した山田基星広野町長は「大事なことを決めようとするとき、政府から相談もなく報道で知らされるのは、(原発事故の)屋内待避のときからずっとだ」と語り、不快感を示した。
 一方、会議に出席した首長からは井戸川町長の手法に批判の声も上がった。遠藤勝也富岡町長は「8町村の足並みが乱れて残念。一方的に欠席するのは許せない」と話した。
 先月1月31日に帰村宣言を出し、帰還に向けた準備を進める川内村の遠藤雄幸村長は「政府に不信感があったとしても中間貯蔵施設の問題をないがしろにはできない。置かれている状況は町村ごとに違うが、逃げてはいけない」と強調した

(2012年2月27日月曜日付け河北新報「国との意見交換会、3町長欠席≪国は一方的 恐ろしい≫)
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120227t61014.htm

 いきなり、またぁ〜、いやぁ〜ね、昨日の武藤類子さんのお話で印象に残ったことは、「絆」のこと…この報道記事のように、「絆」だと喧伝される一方で、こんなふうに「分断」が進行、浸透、画策されている、ということでした。

 この井戸川町長は「避難先の埼玉県加須市で緊急の記者会見を開き、政府の対応を批判した」のです。故郷を鉈でぶった切られて戻れない、帰れない、住めない避難民となった井戸川克隆双葉町長の心痛を思ってヤッホー君は涙ぐんでいます。
 この町は、といいますと:

双葉町は平成20年度決算で実質公債費比率が29.4%と早期健全化基準(25%)以上となったため、地方公共団体の財政の健全化に関する法律に基づく財政健全化計画を策定し、財政の健全化に取り組んできました。このたび、平成22年度決算において早期健全化基準(25%)を下回り、財政健全化計画を完了することとなりました。このため県に計画完了の報告がありましたので、概要をお知らせします
…平成23年10月5日福島県総務部市町村財政課

東日本大震災並びに原子力発電所の事故から帰宅できる見通しが示されないまま、新しい年を迎えるに至りました。そして、町民の皆さまが生活不安と健康不安から一時も逃れられない日々を送られている苦難の重さを思うとき、「なぜこのような事故が起きたのか」「どうすれば復興できるのか」と、行政を預かる者としての試練を痛感しているところであります。
 双葉町は、「早期健全化団体」から脱却するため、町民の皆さまの深いご理解とご支援のもと、昨年は財政的にも明るい見通しがつき、今までにないほどの良い年を迎えることができることを町民の皆さまとお約束してまいりました。しかし、その矢先の3月11日、マグニチュード9.0の地震と大津波に襲われ、多くの人たちが犠牲となり、さらに安全・安心と言われていた原子力発電所の水素爆発は、放射能汚染というかたちで私たちを震撼させ続けています。このような苦境の中で、避難生活を支えていただきました川俣町、そして埼玉県や加須市をはじめ、多くの皆さんに心から感謝申し上げる次第であります

(双葉町役場埼玉支所、埼玉県加須市騎西598-1 旧埼玉県立騎西高校内からの町長の元旦のあいさつ)

 いったい何を言っているのか、武藤さんのお話しでは、国から交付金を貰ってどんどんハコモノを建設し、いかにも町は潤っているかのように見せ掛けはしたが、内実は維持費がかかりすぎ、町の財政は破綻寸前、地中海はギリシャのような状態になりました。そこで町は、フクシマゲンパツの増設を求め、議会で決議した、ということ、ミンシュシュギのルールに従っているわけです:

原発は町づくりに欠かせない存在となっていた。だが、運転開始から年を経るにつれ、期限付きの交付金は支払われなくなり、固定資産税も減価償却によって目減りした。
 岩本(前町長)が2期目の任期に入っていた平成3年、町議会は福島第一原発の増設を決議する。岩本が先頭に立って町は7、8号機増設の要望を始めた

(2011年12月1日付け福島民報「3.11大震災・福島と原発 増設の必要性訴え 脱原発に複雑な思い)
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/12/post_2638.html

原発を推進した岩本前町長は社会党出身で、一時は「双葉地方原発反対同盟」委員長として反原発の先頭に立った人物。71年4月に県議に初当選し、原発作業員の被ばくなどを厳しく追及した。しかし、原発マネーが地域を潤すようになると反対運動は急激に勢いを弱め、岩本氏も85年の町長選では反原発は掲げず、初当選後も原発との共生を重視する姿勢に転じた。引退後も「転向」の理由を語ることは無かったが、地域振興には原発に頼らざるを得ない立地地域の現実が浮かび上がる。

 県も原発と共生してきた。02年の東電のトラブル隠し発覚を受け、佐藤栄佐久前知事が第1原発3号機のプルサーマル計画を白紙撤回するなど、反原発、反東電の機運が高まったこともあったが、廃炉を求める声が上がったことはなかった。06年に当選した佐藤雄平知事は慎重な姿勢を見せながらも、10年8月にプルサーマルの実施を認め、翌9月には発電が始まっている。原発はますます地域に根を張った

(2012年1月10日付け毎日新聞「日本の岐路 フクシマ」)
http://mainichi.jp/select/seiji/forum/special/news/20120105org00m010014000c.html

 これって、磯村毅先生の「依存症」の話しなんですねえ〜。ドーパミンを強制的に出そうと思って自業自得で罠に陥る失敗例そのものです!

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2012年02月26日

武藤類子

 2月26日日曜日。昨日は平原綾香の「明日」をお聞きいただけたでしょうか。
 多分、どんなに辛い、悲しい、打ちのめされたような日であっても、明日、お日様がまた昇って夜が明ければ、頑張れる、と思うのが、大方の人間なのでしょう、なんて、一般化してはいけません、少なくともヤッホー君にはそう思える節があって、それは、もう少しまとまれば(まとめる必要はないですよねえ、このブログは論文でなく日記ですので、進展があったついでにまた書き記していきます!)、また綴ることにして、墨田区では:
 
1984年4月24日、翌年に竣工する両国国技館の歓迎祝賀行事メインイベントとして L.V.ベートーヴェンの第九を大合唱するために「国技館すみだ第九を歌う会」が発足しました。以後「国技館5000人の第九コンサート」の感動と喜びをより多くの人びとに伝え、ベートーヴェンが「第九」に託した自由、平等、友愛、平和を世界に広めるために歌い続けております
http://www.5000dai9.com/Kouen.htm

 その第28回「国技館5000人の第九コンサート」」が両国の国技館(墨田区横網1-3-28)で開催されました。今回のテーマは「復活の祈り〜第九とともに〜」でした。

 ほかに下町では、「東京マラソン」!

レースは、都庁をスタートして江東区の東京ビッグサイトをゴールとするコースで争われ、前の世界記録保持者でエチオピアのハイレ・ゲブレシラシエ選手などアフリカ勢が先頭集団を作り、代表選考がかかる日本勢は第2集団で進みました。注目された川内選手(埼玉県の高校に勤める公務員ランナー)は、23キロ過ぎから遅れ始め、この大会で2回2位に入っている藤原新選手が25キロを過ぎて、日本勢の集団から抜け出しました。藤原新選手は、自己ベストを更新する2時間7分48秒の好タイムで日本勢トップの2位に入り、代表へ大きく近づきました
(2月26日11時46分 NHKニュース「東京マラソン 藤原新が2位」)

 ここで問題! では藤原新選手の時速は何キロだったのでしょうか?

 たしかにヤッホー君の住まいの近くでは交通整理のお巡りさんがでて交通規制をしておりました。警視庁の公式サイトにも『浜町中ノ橋〜東日本橋、清洲橋通り、9:30〜14:35』は清洲橋通りを渡って都心に入ることはできませんでした!じゃあ、せっかくの日曜日、ヤッホー君はどうしたか、と言いますと、世田谷区の経堂地区会館(世田谷区経堂3-37-13)に行っておりました。

昨年の9.19脱原発集会での武藤類子さんのスピーチは、たくさんの人びとの魂を揺さぶりました。
 そんな武藤さんをお招きし、もうすぐ原発事故から一年になる福島の現状や、今の想いを語っていただき、これから私たちに何ができるのか、つながりゆくための模索のヒントをいただけたらと思っています。
●当日会場で、武藤さんのご著書『福島からあなたへ』(大月書店、1200円)も販売致します。
●主催:小田急線ベーシックインカムシスターズ&ベーシックインカムを考える会
●協賛:安全な労働と所得保障を求める女性介護労働者の会他


 武藤類子さん、昨年9月、明治公園でどんなスピーチをなさって人びとに感動を与えたのか、以下に引用します:

皆さん、福島はとても美しいところです。
 東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。
 桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。
 猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。
 そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。

 3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
 大混乱の中で、私たちにはさまざまなことが起こりました。
 すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。
 地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人びとが悩み悲しんだことでしょう。
 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。
 逃げる、逃げない? 食べる、食べない? 洗濯物を外に干す、干さない? 子どもにマスクをさせる、させない? 畑をたがやす、たがやさない? なにかに物申す、だまる? さまざまな苦渋の選択がありました。

 そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは:
・真実は隠されるのだ
・国は国民を守らないのだ
・事故はいまだに終わらないのだ
・福島県民は核の実験材料にされるのだ
・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
・私たちは棄てられたのだ

 私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
 でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。

 福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・
・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・
・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが・・・
・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・
・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・
・ひとりひとりの市民が・・・
国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。

 私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。
 私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。
 私たちとつながってください。
 私たちが起こしているアクションに注目してください。
 政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び、そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。
 今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
 思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。
 私たちを助けてください。
 どうか福島を忘れないでください。

 もうひとつ、お話したいことがあります。
 それは私たち自身の生き方、暮らし方です。
 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。
 便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。
 原発はその向こうにあるのです。
 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。
 自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。
 私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。
 ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
 どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。
 誰にも明確な答えはわかりません。
 できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、一人ひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。
 一人ひとりにその力があることを思いだしましょう。

 私たちは誰でも変わる勇気を持っています。
 奪われてきた自信を取り戻しましょう。
 そして、つながること。
 原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。

 たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。
 見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。
 怒りと涙を許しあいましょう。
 今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
 私たち一人ひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう

(9.19さようなら原発・武藤類子さんスピーチ 2011年9月20日 5:00PM 「ハイロアクション 福島原発40年」公式サイトより)
https://blog.dion.ne.jp/pages/my/blog/article/regist/input

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2012年02月25日

藤波心

 大竹しのぶ(1957年、東京都品川区に生まれる)が2月25日土曜日、NHK BSプレミアム「武田鉄矢のショータイム」に出演していましたね。ご覧になった方も多かった、と思います:

主演舞台、主演映画、ドラマに続々と出演、今最も輝く女性。その魅力・すごさを水川あさみ、平原綾香、蜷川幸雄、宮本亜門が語る。100歳の映画監督・新藤兼人とのトークは圧巻! 阿川佐和子と渡辺えりとの50代ガールズトークでは爆笑! もはや歌をこえ、芝居の領域か!? 圧倒的表現力で歌唱する大竹の歌の数々は心を揺さぶる! 「愛の讃歌」「ヨイトマケの唄」…平原とは初デュエットで「明日」を披露
http://www.nhk.or.jp/bs/showtime/

 平原綾香(1984年東京都生まれ)と、平原綾香のヒット曲「明日」が大好きといっしょに歌っておりました。
http://www.youtube.com/watch?v=eYPV-rB50sE
(音声付ですので回りへのご配慮をお願いします(久しぶりの歌付き日記となりました)

 この歌は平原綾香の2004年、二枚目のシングルでヒット、2005年に紅白歌合戦に出場。一枚目のシングルはもちろん2003年のJupiter。

http://www.otake-shinobu.com/
http://www.ayaka-hirahara.com/

 大竹しのぶは、『一枚のハガキ』で主演していますが、この映画の監督は100歳の新藤兼人で、今年第35回日本アカデミー賞 優秀監督賞を貰うことになっております:
http://www.ichimai-no-hagaki.jp/

 アカデミー賞といえば、ハリウッドの第84回アカデミー賞授賞式は明日、2月26日(日本時間27日)にコダックシアターで開催されます。

After the Oscars have been handed out, arguably the most body-conscious group of millionaires will gather, winners and waifs alike, for the mighty feast that is the Governors Ball. This year’s menu, by chef Wolfgang Puck, has been released and, as expected, it’s a Hollywood-sized spectacle.
(Dave Mcginn, Oscar’s dinner menu: 25 pounds of gold dust and 1,250 crab claws,
Globe and Mail Blog, Posted on Friday, February 24, 2012 12:59PM EST)

 どんなお料理がでてくるのか Globe and Mail紙を読んでください。

 ところで、東京はグランドプリンスホテル新高輪でも、ハリウッドでもなく、ベルリン映画祭というのがあって、ここで上映された作品を今日はご紹介しないと眠れません:

上映前のあいさつに立った藤波心は
「福島原発の事故からもうすぐ1年がたちます。
 人類の歴史上に残るような大変なことなのに、日本は何事もなかったかのように事故を小さく見せようとしています。
 基準もとてもゆるいです。
 事故周辺の農作物や魚を食べて応援しようというキャンペーンをしています。
 (放射)線量の高い地域に、子どもたちも住んでいます。
 日本で脱原発デモにも参加しましたが、おとなしい国民性のせいか全然人が集まりませんでした。
 事故の被害者であり、加害者でもある日本、なぜいまだに脱原発できないんでしょうか?
 ≪日本って、こんな国だったんだ≫ととても残念な気持ちになりました」
と心境を明かす。

 劇中、被災地で涙を見せる藤波は、
「この映画で実際に被災地に行き、あたりまえのありがたさに気づかされました。
 あたりまえに暮らせる日常が、一番の宝物なんだと。
 ドイツのみなさん、ヨーロッパのみなさん、今日本で線量の高い地域に住んでいる人々、子どもたちを助けることに協力をお願いします」
と当時を思い出すのか、声を詰まらせながらも必死に訴えた

(2012年2月20日6時3分シネマトゥディ取材・文:山口ゆかり/ 岩井俊二監督『friends after 3.11』ベルリンで上映、藤波心が涙の訴え【第62回ベルリン国際映画祭】)
http://www.cinematoday.jp/page/N0039550

 岩井俊二監督は、1963年宮城県仙台市出身。公式サイトは、http://iwaiff.com/index.php
 ここっぴー、藤波心は、1996年兵庫県出身。公式ブログは、http://ameblo.jp/cocoro2008/

 いったいどんな映画で、日本の公開はいつ?
http://iwaiff.com/fa311/
 3月10日から「オーディトリウム渋谷」で公開されます。
 渋谷でお会いしましょう!!

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木附千晶

 ダイエットのあげくに餓死するお話しを昨日、致しましたが、貧困で餓死や凍死する例も最近多くって…びっくり:

厚生労働省は2月24日、各地で相次ぐ「孤立死」を防ぐため、電気、ガスなどの約款に、非常時には個人情報を関係機関に提供する可能性があることを記載し、事前に契約者の承諾を得ることができないか、検討を始めた。
 さいたま市や札幌市で発覚した孤立死で、公共料金の滞納情報が生かされていなかったためで、料金支払いが止まり生命の危機にひんしている恐れがあると判断した場合を想定している。資源エネルギー庁などとも協議する方針。
 二つのケースでは、滞納で数カ月間にわたり、ガスなどが止められていた

(2012年2月24日22時15分付け東京新聞「孤立死防止に電気、ガス情報を 厚労省検討」)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012022401002311.html

 立川市の例:
東京都立川市の中心部にあるマンションで今月中旬、死後約2ヶ月が過ぎた成人女性と男児の遺体が見つかった。警視庁立川署によると、遺体は二人暮らしの無職の母親(45)と知的障害のある息子(4つ)とみられ、母親がくも膜下出血で死亡した後、息子が何も食べられず、助けも呼べず、衰弱死した可能性が高い。息子の死因は特定されていないが、胃の中が空っぽで脱水症状を起こしていた。体重は4歳6ヶ月の男児の平均約17キロを下回る9キロだった
(2012年2月23日7時32分付け東京新聞)

 さいたま市の例:
2月20日午後1時10分ごろ、さいたま市北区吉野町2のアパート1階の一室を管理会社の男性従業員が訪れ、応答がないため室内を確かめたところ、男女3人の遺体を見つけた。遺体はこの部屋の賃貸契約を結ぶ男性(64)と60代の妻、30代の息子とみられ、埼玉県警大宮署は遺体がやせ細り、外傷がないことから餓死の可能性もあるとみて調べている。
 同署によると、死後2ヶ月ほどが経過しているとみられる。六畳和室に夫婦、四畳半和室に息子とみられる遺体が、いずれも布団の中であおむけになっていた。食料はなく、財布の中に現金は数円しかなかった。男性は無職、息子は工務店の下請けの仕事をしていた。月約6万円の家賃を半年間滞納し、電気やガスは止まっていたという。部屋は施錠され、荒らされた形跡はなかった。管理会社の従業員が昨年11月に訪れた際、妻が「夫の体調が悪い」などと話していたという

(2012年2月21日東京新聞朝刊)

 札幌市の例
札幌市白石区のマンションでは先月1月、無職の女性(42)と知的障害のある妹(40)が遺体で発見された。姉の死因は脳内血腫、妹は凍死で死後5日〜2週間たっていた。2人の収入は妹の障害年金・月約7万円だけだったといい、料金滞納でガスは11月末に止められていた。姉は昨年6月に区役所を訪れ、生活保護の相談をしたが申請せず、職探しもしていたという。
 貧困や生活保護の問題に詳しい尾藤廣喜弁護士は「韓国などでは公共料金が滞納された場合に行政に知らせるシステムがあり、日本でも行政がシグナルを把握する仕組みが必要だ」と訴える。北海道も同様の仕組み作りの検討を始めた。尾藤弁護士は北九州市で2007年、独居男性が生活保護の打ち切り後に孤独死した事例に触れ「当時、地域住民が異変に気づき福祉事務所に訴えたが保護は打ち切られたままだった。住民同士の監視だけでは解決できず、地域ネットワークの問題として矮小化すべきではない」と指摘する

(2012年2月21日12時31分付け毎日新聞 喜浦遊、田中龍士、中川聡子署名記事)

 うんざるするくらい、「絆」だ、「繋がり」だ、とかが異常にいま、喧伝されているってことは、絆とか繋がりとかが分断され、個別化されてきて、「自己実現」とかがもてはやされ、「自己責任」ばかりが問われ、絆も繋がりもだんだんと消えて、無くなってきているその現れなんだい、ムカシあったはずのスクラムを組むとか、力を合わせるとか、集団行動、団体交渉を「群れ」とかいって蔑む風潮がでて、できなくなってきている、その裏っ返しだい、とヤッホー君はこれまで何度も呟いてきましたが、生き辛い世の中になったもんです。
 その後には、原発の賛否を問う住民投票の実施を目指す市民団体が、投票実施に必要な条例制定を市長に請求したことに対し、市長は2月20日の市議会運営委員会に意見書を提示し、「投票を実施する必要性は乏しい」と指摘し、条例制定に反対する意向を明らかにしたのに、今度は自分で、「憲法第9条の改正の是非を問う国民投票を実施すべきだ」とか、アンケートを実施し、組合活動や政治活動に参加した経験があるか、それが自己の意思によるのか、職場で選挙のことが話題になったか否か等について業務命令により実名で回答を求めるとともに、組合活動や政治活動への参加を勧誘した者の氏名について無記名での通報を勧奨し、また、アンケート内容により回答者に対し処分を行なうとする憲法第21条を無視する思想調査ですかい…???…
 いまですらフクシマの山はあきらめているのに、この国では国軍ができ、軍人が大手を振るう軍事国家にして、もう山歩きも山登りもできなくなってしまう、そんなドア呆連中こそ、消えて、無くなってくれぇ〜とヤッホー君は今日のお天気のようにもう、うんざり:

今、社会で喧伝されている「絆」は、はたして私たちに安心感や安全感をもたらすものになっているでしょうか。
 しがらみや支配から解放して自由にさせてくれるものだと言ってよいでしょうか。

 もしかして少数の者だけが富を手にする格差社会にも物を言わず、和を乱さず(長いものにまかれて)、「すべきこと」を率先して行う(空気を読む)人間をつくり出そうとする「新しい公共」のように、私たちを縛るものにはなっていませんか。

 本当であれば、社会で引き受けるべき子育てや介護を個人に押しつけるための方便になっていたり、「地域力」などの言葉で、相互監視社会を築き異端者をはじき出すものになってしまってはいないでしょうか。

 東日本大震災以降、だれもが「つながりの大切さ」を実感している今だからこそ、「人間を豊かにする≪絆≫」の本質を見失わずにいたいものです

(2012年2月22日≪絆≫って何?(7)カウンセラー木附が語る『子どもと社会』)

 と語った木附千晶さんは、1970年生まれのジャーナリスト。DCI日本運営委員。機関誌『子どもの権利モニター』編集長。(株)アイエフエフ IFF 相談室カウンセラー。著書に『迷子のミーちゃん――地域猫と商店街再生のものがたり』(扶桑社)、『「こどもの権利条約」絵事典』(共著、PHP研究所)、『お笑い裁判傍聴記』(共著、自由国民社)など。
(『教育を子どもたちのために』(岩波書店、2009年8月)の著者プロフィルより)
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0094640/top.html

 (株)アイエフエフ所属のカウンセラーですが、この会社は、アダルトチルドレン、依存症、トラウマなどの治療に取り組む精神科医、斎藤学(家族機能研究所代表)による総合的なメンタルケアの会社。
http://www.iff.co.jp/kizuki/index.html
 
 ほかに本をあげますと、これ↓。ぜひお買い求めのうえ、お読みください:
 NHKクローズアップ現代取材班編集『助けてと言えない−いま30代に何が−』(文藝春秋、2010年10月)

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2012年02月24日

拒食症

 ヤッホー君のこのブログで何回かご登壇をお願いした磯村毅先生。メールをいただきましたので、拡散します:

『予防医療研究所・ゆるーい思春期ネットワークの磯村です(転載・転送歓迎です)。
 思春期外来に、拒食症の女性が受診されることがあります。
 そんな時に、こんなウェブを見つけました。
 痩せようとする少女たちを揶揄するような書き込みも気分が悪いのですが、このモデルを使ってダイエットを促そうとする会社も断じて許せません。
 雑誌『小悪魔ageha』のダイエット広告

http://matome.naver.jp/odai/2132728510543549201

 今の少女たちはこういう広告にさらされているとは…。
 摂食障害を含めた依存症のメカニズムに対する教育を普及させて、1人でも多く、子供たちを守らなくては!』


 こういう摂食障害って以外に多いのです。警鐘を鳴らしている精神科の先生に林公一先生がおられます。

ダイエットをきっかけに拒食症になる人が増えています:

 スリム志向の現代、ダイエットをする人はとても多くなりました。
 ダイエットをしてもなかなかうまくいかないのがむしろ普通ですが、反対に体重が減りすぎてしまうことがあります。
 そうして栄養失調の状態になってもほとんど食べることができず、それどころかさらに体重を落とすことにこだわるのが拒食症です。

 拒食症は命にかかわる病気です:

 自分の意志で食べずにいてやせていくのを病気といわれてもピンとこないかもしれません。
 ご家族が拒食症かな、と思ってもまさかそれが餓死につながるとは考えないでしょう。
 甘いです。
 拒食症の数パーセントは飢えのために亡くなります。
 死には至らない場合でも、成長期の栄養失調はあとあとの障害につながります。
 拒食症は若い命にかかわる重大な病気なのです。

 一見元気にみえても安心できません:

 外見は重病のイメージとはだいぶ違います。
 本人は寝込むどころか活動的で、学校の勉強や仕事もふつう以上にやっているので、つい軽く考えてしまいがちです。
 拒食症の人は体重が増えることへの強い恐怖心があり、少しでもやせようとして積極的に運動することもよくあります。
 ところが実際には、心臓や血液などにたくさんの障害があり、全身ボロボロといってもいい状態になっています。
 からだを維持するための基本である食べ物をとらないのですから当然のことです。

 拒食症になると自分のからだが見えなくなります:

 いくら元気に見えても、文字どおり骨と皮のようになったからだは危機感を抱かせます。
 ところがそれを見ても本人は自分がやせているとは思いません。
 自分のからだが見えないのです。 それどころかもっとやせようとして、食べたものを吐いたり、下剤をたくさんのんだりします。
 からだは悲鳴をあげています。
 こころも悲鳴をあげているのかもしれません。
 それが見えないのです。
 行動療法や精神療法が必要です

http://kokoro.squares.net/eat0.html

戦争でこの貧しさがなんとかなるんじゃないか、少しは救われるんじゃないかと、一縷の望みをかけていたんだな。
 それほど貧乏がつらかったということです…
 
 大義とか何とか、そんなものはないんだ。
 着任したばかりのころ、わたしは若くて馬鹿だったから、こんな南の最前線まで来た人たちなんだから、戦争をするつもりで来たんだと思い込んでいた。
 でもそうじゃないと、だんだんわかってきた。
 もっと本能的に、ただ生きるために、流れ流れて南の果てまでやってきた人たちだった。

 そういう人たちがね、食うものがなくて、枯れ木のようにやせ細って死んでいった。 
 食い物の調達が仕事である主計科の自分が、部下を飢えで死なせたこと、これはわたしには非常にこたえました。
 つらかったねえ

(金子兜太「賭博、男色、殺人−南の島で私の部下は、何でもありの荒くれ男たち。でもわたしはかれらが好きだった」、梯久美子『昭和20年夏、僕は兵士だった』(角川文庫、2001年6月)所収)

 俳人金子氏のトラック島での経験、もちろんこれは戦争中の話しですが、ダイエットから拒食、過食などの摂食障害を引き起こしたり、ダイエットのあげくに餓死するお話しって、アフリカでも最貧国の話しでもなく、いまどきのこの国にある出来事なんですよねぇ〜。
 磯村毅先生の「予防医療研究所・ゆるーい思春期ネットワーク」は、こちら↓をご参照くださいね:
http://cleanair.air-nifty.com/private/2007/10/post_b0d3.html
 さっそくヤッホー君は礼状をさしあげたようで…

『先生、おひさしぶりです。「ダイエットに誘い込む刷り込みPR作戦にご用心」メールをお送りくださいましてありがとうございます。ところで、先生、面白くってためになり、健康に自分で気づいてしまう、先生のメールを仲間にも伝えていきたく思います。
 今冬は寒い毎日が続いております。どうぞお体ご自愛のうえお過ごしくださいますように、山歩きを通していつまでもこころもからだも健やかに、山歩クラブ』

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2012年02月23日

長尾治助

 2月23日木曜日、ヤッホー君はブログ更新にあたり絶句、絶食、気絶。
 と申しますのは、「アクセス解析」という機能がありまして、要は訪問者数、ページヴューアーとかアクセス数のほかに、「検索ワード」つまりどんな言葉からヤッホー君のこのブログにたどり着いたのかが解るんですう。
 なにげなく、ふむふむとか良いながらカーソルを下していったら、「長尾治助先生訃報」という言葉があったのでびっくり。
 この言葉で検索したら、ヤッホー君のブログにたどり着いたわけですが、えっ、亡くなったのかな、と、あわてふためいて、口からあわ立ち、あわててもう一度、あわをごっくんしてしまい、硬直してしまいました。
 そういえば、いつも先生から元旦に賀状代わりに頂く所属事務所「弁護士法人・みやこ法律事務所(京都市中京区堺町通御池下ル吉岡御池ビル8F Tel 075-211-4433)」の小冊子「Lawyer's Newsletter 大文字」が、2012年元旦に送られてこなかったのです。
http://www.miyako-law.gr.jp/

 2011年 Summer(Vol 35)に記載がありました:
『当事務所に在籍しておりました長尾治助弁護士が、病気療養中のところ、去る4月6日に永眠されました。
 所員一同、深い哀しみに言葉もありません。
 ご遺族様には心よりお悔やみ申し上げるとともに、ここに先生のご生前のご遺徳を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます』
http://www.miyako-law.gr.jp/data/jimusyoho/daimonji35.pdf
 
『現代消費者法 No.13(民事法研究会、2011年12月15日発行)には、慶応義塾大学教授鹿野菜穂子先生が、【長尾治助先生追悼】長尾治助先生のご逝去を悼んでなる文をご寄稿なさっておられました!
http://www.minjiho.com/wp/wp-content/themes/custom/euc/new_detail.php?isbn=9784896287462
 
 ヤッホー君のブログで、2011年5月18日付け日記「鞍馬山」で長尾先生のことを紹介していましたが、そのときにはもうお亡くなりになっていたのですね…(涙)…。
 というか、先生がヤッホー君になんか書け、と叫んで呼んでおられたのかも知れません。

 合掌

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2012年02月22日

天羽道子

 館山の続き、昨夜ご紹介したNPO「安房文化遺産フォーラム」は地域密着型でがんばっていらっしゃいますね。ぜひ近いうち、ヤッホー君は一度訪れてお話しをお伺いしたいものだ、とますます思っておりまする。
 今日は二つばかりですが、ご紹介します。

 ひとつ目は、この館山市に市指定史跡なのですが、「赤山地下壕」というのがあります。
 NPOでは案内する事業活動をしております。

現在の海上自衛隊館山基地のすぐ南側に、通称「赤山」と呼ばれる標高60mの小高い山がある。
 凝灰岩質砂岩などからできた岩山のなかには、総延長2km近い地下壕と、巨大な燃料タンク基地跡などが残っている

(館山市教育委員会公式サイト「毎月第1日曜日の午前10時〜12時は、個人・小グループを対象にNPO法人安房文化遺産フォーラムによる無料ガイドがあります」)
http://www2.city.tateyama.chiba.jp/Guide/?stoid=1892
 館山駅からバスで10分、「宮城バス停」下車、徒歩3分。
http://www2.city.tateyama.chiba.jp/Fbox/cache/tmp/11599img098.jpg

 ふたつ目は、1956年売春防止法が成立したのを機に、1965年4月1日に創設した婦人保護長期収容施設「かにた婦人の村(館山市大賀594 Tel 0470-22-2280)」。
 JR館山駅からバスで「市営住宅前」下車、徒歩7分。
 毎年、終戦記念日の8月15日に鎮魂祭を行っている。同市のNPO法人安房文化遺産フォーラムが団体向けに、慰安婦碑を含めた館山市の戦争遺跡に関する平和学習ツアーを実施している。
http://bunka-isan.awa.jp/News/item.htm?cid=4&iid=60

 この村の天羽道子施設長(85歳)が次のような挨拶をなさっているとの報告がありますので、聴いてみませんか?

挨拶の依頼を受け躊躇いたしましたが、社会福祉にたずさわる庶民の一人として、戦中を生きてきた者として、日ごろ、現在の社会にたいへん危惧を抱いておりました。ことに政治の流れが変わらねばならないと思っておりましたので、お断りすることなくお受けしました。

 二つのことをお話したいと思います。
 一つは平和のことです。戦争は絶対に放棄しなければなりません。憲法九条に定められていることですが、これがあやしくなってきています。どうしても声をあげていかなければならないと思っています。

 お集まりのみなさまの中にも、「かにた婦人の村」をご存じの方もおられると思いますが、国有地を払い下げていただいた施設の中に戦跡の地下壕があり、また、敷地内の丘の頂きには「従軍慰安婦の碑」が建てられたこともあり、平和を発信していかなければならないと思っています。

 先の戦争で、日本は害を受けたこともありますが、他国へ害を加えもしました。
 被害と加害の両面を経験しました。今もなおその負の歴史を負い続けています。殊に日本の過ちのために、他国で苦しんでいらっしゃる方々がおり、日本でも被害を受け苦しんでおられる方々もいます。その痛みを共有し、記憶していかなければならないと申し上げたいのです。

 もう一点は、「品格」という言葉がはやっていますが、「国の品格」「国の在りよう」はどうあらねばならないのか、ということです。
 今日の社会を見て、人間が見捨てられている、とくに弱い立場の人たちがモノのように扱われている現状に痛みを感じています。

 平和を大切にし、自然も動物も草木も、すべての命を大切にする国として、世界に誇れる国になってもらいたい、と思います。

 その国をつくるのは誰でしょうか。
 私たちが選ぶ政治をつかさどる人たちにゆだねる部分が多いでしょう。でもその人たちを選ぶのは、私たち一人ひとりです。世界に誇れる国になるように、みなさまといっしょに念願して、挨拶とさせていただきます

(平本紀久雄「館山の自然と漁業、そして戦争と平和」より)
http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=527

 この天羽道子さん、「創設者深津文雄牧師の夢の実現」と題して2010年10月10日付けでこんな文を残しております。これもじっくり読んでみませんか?

『「人間、地上に生を享けている限り、無用なものは存在しない」との信念をもって始められた村には、門もなく、塀もなく、テレビもなく、また禁酒禁煙。しかし、集団生活に必要な日課と、最小限の約束以外に規則はなく、できる限り一人ひとりの主体性を生かすことを目指した。

 なぜ門も塀もないのか、なぜテレビもないのか(週1回のビデオ教室はあるが)、なぜ禁酒禁煙なのか、なぜ規則は少ない方がよいのか。
 一人ひとりがそれまで悪習を断ち切って新しくなるため、生まれたときの清純さを取り戻すためである。
 信じ得ぬときにもなお信じ、その信頼関係を築くためにも。

 恵まれた自然環境の中で、おいしい食事、美しい歌・音楽・絵画・作業・共同作業・行事など、それにゆったりしたリズムの中で一人ひとりが、確かに生き生きと、しかも誇りをもって生きている』

http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=525

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2012年02月21日

矢部初子

 房州アルプスへの下見山行を終えて、ヤッホー君がなんで『ばんや(鋸南町保田漁協直営)』でなく、『ふれあい市場(館山船形漁協直営)』にこだわったのか、実は館山市をもう少し歩きたかった、らしいのです。

 まず、館山白百合学園。

『1911(明治44)年、平塚らいてふらが「青鞜社」を結成し、機関誌『青鞜』を発行して女性解放を唱えた。
 1920(大正9)年には平塚らいてふや奥むめお、市川房枝、矢部初子らが「新婦人協会」を組織して、女性参政権獲得運動をすすめていった。

 このなかで矢部初子(1895−1985)とは、戦後船形において「学校法人館山白百合学園」を設立した島野初子のことである。
 1895(明治28)年に山梨県谷村町で出生した矢部初子は、高女在学中から兄の影響で社会主義思想にふれ、津田英学塾に進学するとともに社会主義的な学生運動に入っていった。

 卒業すると奥むめおらと「職業婦人社」という結社をつくり、機関誌『職業婦人』『婦人と職業』などの編集に携わっていった。
 原稿執筆の傍ら思想研究会に関わり、「赤瀾会」という日本で最初の社会主義を信条とする女性たちの組織を結成した。
 その後、有島武雄らの「種蒔くひと」の呼びかけにより、1923(大正12)年3月8日には、日本で初めて「国際婦人デー」の集いの主催者となり、開会の辞を担当した矢部は、マスコミから注目される存在となった。
 社会主義者であった大杉栄らは、関東大震災の際に虐殺されているが、その翌日に矢部初子も憲兵隊に連行されたが、危うく難を逃れ命拾いをしたと後年語っている。

 初子の夫である島野禎祥は、船形にある「西行寺」住職の長男として、1902(明治35)年に出生し、後に住職を継ぐため大正大学に進学した。
 社会主義的な立場で学生運動をやっていたなかで、矢部初子と出会った…』

(NPO安房文化遺産フォーラム、館山市館山95 小高記念館内、公式サイト「安房のあらまし」より)
http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=395

 この「西行寺」というのは:

浄土宗のお寺。その昔西行法師の妻「呉葉の前」が夫を探して船形へ来て亡くなりました。里人が葬ってその塚に柳を植えたのでこの地を柳塚といいます。後日訪れた西行がこれを聞いて西行寺を建てたと言う伝説があります。裏山は戦国時代の船形城跡です

 この近くに、運転手役のヤッホー君は同乗者の仲間たちから「運転が危ないから見ちゃ駄目!」って言われた「崖の観音」もあります。駐車場には観光バスも停まっていました。ここは:

船形山の絶壁に舞台造りの観音堂が崖にはりつくように建っています。十一面観世音菩薩を覆う観音堂は、断崖の中段に飛び出すように建てられていることから「崖の観音」と呼ばれ親しまれています。美しい眺望は「ちば眺望100景」に選ばれました
http://etabi.boso.net/e-data.php?lngCode=189

 さらには館山船形漁港の南に北条海岸もありますし、実は、ね:

平塚らいてふにとって、房総はとても身近でした。『青鞜』3周年記念号の後、奥村博史とともに御宿海岸へ、「新婦人協会」の活動で体調をくずし、2人の子どもと竹岡海岸へ。らいてふの父、定二郎は退官後、北条海岸に住みました。この北条海岸からは、天気が良ければ、「鏡ヶ浦」と言われる館山湾の向こうに冨士山が見えるかもしれません

 これは、らいてふ忌2012企画として「らいてふゆかりの地を訪ね、平和と歴史を考える 南房総 館山日帰りの旅」が5月19日土曜日に予定されております。参加費8800円。
 「たてやま夕日海岸ホテル」の会議室での「NPO安房文化遺産フォーラム」によります座学、交流では館山白百合幼稚園の園長先生、高橋銑十郎さん(谷部初子と島野禎祥の次女、潮の夫でもあります)お話もあります。
 お問い合わせは、NPO「らいてふの会(文京区小石川5-10-20-5F Tel 03-3818-8626)」まで。

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2012年02月20日

石内都

 昨晩、その房州アルプスから戻って、ほどほどの疲れ具合で寝ようかな、と思っていたヤッホー君、なにげなく点けたテレビで衝撃が走ったそうです。

 それはNHKBSの番組『地球アゴラ』。これにアメリカ人のリンダ・ホーグランド監督、そして彼女が撮った原爆を題材としたドキュメンタリー≪dear Hiroshima≫が紹介されていたのです。

 このリンダ・ホーグランド監督は、フランス人のフランス・ボルドー第三大学教授クリスチーヌ・レヴィさん同様、日本語がぺらぺら、どうして?と思ったら、ドキュメンタリー映画『ANPO』の作家へのインタヴュー記事で、こんな紹介が:

もし政治に一石投じたければ、もっと批判的な映画を作ったでしょう。
 むしろ政治に対する関心より、いろんな矛盾や悲惨な戦争の遺産に対して、直視して自分の中で消化してものすごい文化として発信しているアーティストたちこそが、私には輝く英雄として見える。
 特に今回の発見のなかで大きかったのは画家たちです。
 中村宏さん、山下菊二さん、石井茂雄さん。それと井上長三郎さんはもうちょっとフィーチャーしたかった。
 あの人たちは一枚も売れないのに、ああいった絵画を50枚も60枚も100枚も描き続けているんです。
 彼らは、お金のためにある今のアメリカの腐ったようなアート業界と全然違う。
 
 本作に登場する唯一のアメリカ人、ジャーナリストのティム・ワイナー(著書「CIA秘録」)をあえて登場させようと考えた理由は、CIA資金を日本の自民党政治家に流したことをアメリカ人がちゃんと責任とって事実だと日本人に言い切る必要があったし、聞いて欲しかった。
 ああいう外交は娼婦とヒモ(自民党政治家と米国の間柄)だと私も思ったんだけど、ティムが本にも書いていないことを喋ってくれたんです。
 本音はやっぱり響きが違うんですよね

(日本に生まれた。山口県と愛媛県で宣教師の娘として育ち、アメリカの大学を卒業後、日本映画を海外に紹介するために、黒澤明や宮崎駿や深作欣二、大島渚など200作品以上の英語字幕を手がけ、今年ついにドキュメンタリー映画『ANPO』で監督デビュー。
 敗戦から15年目の日米安全保障条約をめぐる、日本人の怒りは芸術分野にたずさわる人々をも突き動かしました。
 あれから半世紀たった今、そこに大なり小なり関って生き方の原点を求めた人々の言葉を、作品は丹念に拾い集めていきます。
 当時の誇り高いアーティストたちに今も声援を送るリンダ・ホーグランドに『ANPO』制作の想いを聞きました)
(2010.9.24 UP 聞き手:瀬戸山玄)
http://www.imagef.jp/interview/library/032/index.html

 昨夜のNHK番組のなかで、リンダ・ホーグランド監督は、写真家石内都さんの写真展のことをとりあげていました。
 なんでも、悲惨なヒロシマの街、黒焦げの死体、瓦礫だらけの街並みではなく、写真は女の子が着ていた洋服とかを綺麗に丹念に摂っていた、というのです。
 しかも、写真の下にキャプション、説明書きがいっさい無いのだそうです。
 こうしてヒロシマと言うとモノクロの世界ばかりがひろがって涙、涙、涙なのですが、ようやくカラーでイメージが、この洋服を着ていた女の子、女性、へとひろがっていくようなのですって。

実は展示には懸念もあったと、ブリティッシュコロンビア大学人類学博物館(MOA)の学芸員カレン・デュフェックさんは打ち明ける。
 バンクーバーのあるブリティッシュコロンビア州は、かつて根強い反日感情が渦巻いた土地柄だからだ。

 太平洋戦争開戦前から日系カナダ人への弾圧を強めたカナダ政府は、真珠湾攻撃の直後、日系人約2万2000人の財産を没収。
 日系人は州沿岸から100マイル(約160キロ)以遠へ追いやられ、強制収容所に収容された。
 1945年春には日本への帰国か、ロッキー山脈以東への再移住を強いられた。
 日系人の移動の自由が回復したのは1949年になってからだ。

 バンクーバーで1980年代に原爆展が開かれた時には「真珠湾を忘れたか」と抗議があったという。

 「幸い、今回は反発はほとんどありませんでした」とデュフェックさんは胸をなでおろす。
 地元紙が原爆投下を「恥ずべき日」と記述したことに「そうではない。戦争を終わらせた歓迎すべき日だ」と反論の投書があった程度だったという。

 原爆へのさまざまな思いが交錯するこの地で、写真展「ひろしま」来年2012年2月12日まで開かれている

(カナダ西部のバンクーバーで原爆を題材にした写真展「ひろしま」が開かれ、衝撃を与えている。
 紹介されているのは、被爆時に犠牲者が身につけていた色鮮やかな衣服の数々で、写真家の石内都(みやこ)さんの作品だ。
 この写真展の海外開催は初めて。
 原爆雲の下にいた被爆者に思いが及ばなかった人びとに、かつて生身の人間がそこに存在したことを強烈に伝えている【バンクーバーで毎日新聞、山科武司】)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20111226ddm012030172000c.html

 もう毎日新聞のサイトからは削除されていますが、次のサイトより転載:
http://spacef.blog32.fc2.com/blog-entry-832.html
 
 日本でも写真展はもちろん開催されています。例えば:
石内都(1947〜)さんは、2005年、ヴェネチア・ビエンナーレ美術展において日本代表として個展を開くなど、国内外から高い評価を得ている写真家です。
 2008年に発表された「ひろしま」は、広島平和記念資料館の資料から、肌身に直接触れた品物を中心に選んで撮影された作品群であり、ワンピースやブラウス、上着、ズボンなどが透視光によって縫い目や形、しわなどの細部を立体感をもって浮き上がらせ、それらを愛用していた一人ひとりの存在、生と死の物語を豊かに語っています

(2011年7月23日(土)〜8月7日(日)、ホクト文化ホールギャラリー(長野県県民文化会館、長野市若里1−1−3 Tel 026-226-0008)で作品展を開いていました。そして初日の7月23日には、「石内都×梯久美子トークショー」もあったのです)
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/shashinbu35/details.php?blog_id=471
 
 房州アルプスの前日に聴きに行き、買った文庫本2冊に署名までしていただいた梯さんも、土曜日、リンダ・ホーグランド監督と同んなじことをおっしゃっていました。

 そんなわけでなおさら、昨晩はヤッホー君に衝撃が走った、とまあ、こういうわけでした:
写真家の石内都さんの写真集「ひろしま」に衝撃を受けた。
 「被爆死した若い女性が身に着けていた衣服を美しく、可憐(かれん)に撮っている。60年以上たって初めて出来たアプローチだと思う」。
 活字でも、今だからこそ成立する表現があるはずだと気づいた

(2010年8月13日付け読売新聞「戦後世代が書く戦争 活躍する3人川村湊、梯久美子、こうの史代に聞く」)
http://www.yomiuri.co.jp/book/feature/20100813bk01.htm

ぜひ次の2冊もお買い求めの上、じっくりお読み下さい:
☆ 梯久美子『昭和20年夏、女たちの戦争』(角川書店、2010/7/9)
☆ 石内都『ひろしま[大型本]』(集英社、2008/4/25)

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2012年02月19日

房州アルプス

 2月19日日曜日、4名でマイカーで番外編ですが下見山行に東京湾アクアラインを経て房総半島へ。
 実は2月12日、長瀞アルプスから宝登山を目指しましたが、房総半島にもアルプスがあると聞いちゃっちゃ、じっとしておられません、どこどこ、どんなとこ、と他に3名の仲間をお誘いし、愛車を駆った、というわけです。
 8時半にはヤッホー君、一斉メールを発信、ご報告済みだったようです:

日本スイセン.jpg

皆様さぞやすばらしいウイークエンドをお過ごしだったことでしょう。
 われわれはインフルもなんのその、花粉症もなんのその、高性能のマスクを装着し、房総は富津市、鋸南保田ICから県道34号線を東へ進み、鋸南町市井原の「鋸東コミュニティセンター」、さらに横根峠を過ぎ、県道182号を北上、「山中区公民館」を目指しました。
 鹿原林道から房州アルプスに分け入ったのが8時半、下山したのが12時15分、そして登山口にデポした愛車までさらに1時間、県道を北上し歩いてきた、というわけです。アルプス1万尺を2万歩!
 群馬県の高崎からは20名弱のハイキングクラブが訪れていました。雪のあるところから雪のないところ、活きの良い魚のあがるところ(鋸南町保田漁協直営の海鮮料理店「ばんや」に立ち寄るそうです)、房州アルプスをお選びになっているよう。
 われわれは、「道の駅きょなん(鋸南町吉浜517−1 Tel 0470-55-4518)」、休暇村館山(館山市見物725 Tel 0470-29-0211)」を目指しましたが、時計は2時半を回り、立ち寄り湯は、近くの旅館「海紅豆(かいこうず、館山市大賀85-1 Tel 0470-23-1212)」へ。
 そして最後のお買い物は、フレッシュフィッシュマーケット、館山船形漁港直営の「ふれあい市場(館山市船形1452 Tel 0470-27-2111)」。
 ヤッホー君は「黒磯のり(有限会社鈴正S Tel 0120-124-153)、いかの一夜干し3枚組!
 今日のわれわれは下見山行で番外編としましたが、ぜひ新年度、本番で歩きにきてみましょう。


 写真は、アルプス山中の山路にひっそりと咲く日本スイセン(上)!
 そして文末にもう一葉、もう咲きはじめていたスミレ(下)!


 ただし今日の下見は、霜柱が解けて山道が泥んこのところがあったり、房州アルプスの最高峰、三角点もあるピークも見過ごしてタッチできなかったこと、立ち寄り湯に寄った時間が2時半までなのに、予習の際見逃していたこと等々、反省点も多々、数々ありました。ごめんなさい!

 しかしこれに懲りず、3月1日の木曜日、「暖ったか千葉」企画にて房州再訪を菅野さんと企てています。いますぐ参加申し込みください!』

スミレ.jpg

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2012年02月18日

梯久美子

 宝登山の帰り、おまけに、なんて言っちゃっちゃだめ、おまいりに立ち寄った秩父札所34番の「水潜寺」、ここに金子兜太の句碑があります:

 『曼珠沙華 どれも腹出し 秩父の子

 いい句ですねえ、ヤッホー君のこのブログ、2010年11月3日付け日記「曼珠沙華」で金子兜太のことを記していますので、ぜひ訪れて読んでくださいね。

 なにを突然、ハイキングのハイクじゃなくって俳句なのかっていうと、過日の「旧新井家住宅」でも書いたのですが、新井家は養蚕家と言いましたが、それとも関係するお話しなんですう。
 秩父生まれで熊谷市にお住まいの反戦平和の俳人、金子兜太さんにインタヴューし、実に良い作品を発表した作家に、梯久美子さんがおられます。

 ヤッホー君、今日2月18日土曜日、その梯さんの講演会に出かけ、本を(と言っても困民党のヤッホー君、文庫版しか買えるお金がなくって、ごめんなさい、梯さん!)、それでも薄ぺったらな財布をながめすがめつつ、著者のサインももらえるというので、おもいっきって購入した2冊があります:

 一冊は『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道』(2005年新潮社刊、2006年大宅荘一ノンフィクション賞受賞、2008年新潮文庫入り)、
 モウ一冊は『昭和20年夏、僕は兵士だった』(2009年角川出版、2011年角川文庫入り)。

 梯さんは1961年、というから昭和36年熊本市生まれ、つまり、アンポ闘争のあとにお生まれになっておられ、50歳になったばっかりのお若い、とても美しい方でしたね、北海道大学文学部卒であらせられます。

 どこにお見えになったのかというと、これが『青鞜(1911年、明治44年9月に創刊)』、その青鞜100周年に、NPO「平塚らいてふの会(文京区小石川5-10-20-5F Tel 3818-8626)」が主催した「2012年らいてふ講座」(於東京ウイメンズプラザ視聴覚室)だったのです。
 平塚らいてふは、1886年っていうから、明治時代です、明治19年2月10日に生まれ、1971(昭和46)年没しています。
 「平塚らいてふの会」には公式サイトもあります:
http://homepage3.nifty.com/raichou/

 ところで、今日の「らいてふ講座」の演題は、「戦争と女性たち-過去からの声を聴く-」。

 質疑応答の際、一様にご出席の皆さまから、「私の娘のような若い世代が、若い世代に届くような言葉で伝えてくださり、たいへん、意を強くもちました」との現在の声があがりました!

 その梯さん、金子兜太について、ではどのように聞き書きで作品に仕上げたのかと言いますと:

金子氏が育った埼玉県秩父は、山里で耕地が少なく、かつては養蚕で現金収入を補っていた。しかし、繭の価格の変動は激しく、生活は不安定。特に、金子氏が小学校に入ったころは、昭和の大恐慌の始まりで不況のどん底だった。

− もちろん、うちも貧乏だった。わたしの父親は医者だったんだが、患者を診ても、盆暮れで集金をするとき以外はほとんどカネを払ってもらえない。健康保険の制度ができるまでは、現金はほとんど入ってこなかった…

− 戦争でこの貧しさがなんとかなるんじゃないか、少しは救われるんじゃないかと、一縷の望みをかけていたんだな、それほど貧乏がつらかったということです

 
 軍人や選民、エライ人だったら記録にも残っているでしょうから調べれば分かることがたくさんあるのでしょうが、名もなき大ぜいの民の声を集めていく、明瞭に表現しない、くぐもった声を拾い集めていくのは大変な作業でしょうし、それを代弁者、触媒、媒介者となって表現していくとなったら、なお一層のこと大変な仕事で、それを裏打ちする十分で、並大抵ではない、感性と持続力と努力が必要なんだろうとヤッホー君、思います。
 梯さんはこうして、金子兜太の次のような声を絞り出させ、記録するのですから:

『朝はじまる海へ突込む鴎の死
 トラック島でわたしは、零戦が米軍機の攻撃を受けて海に落ちるのを見たことがある。鴎の姿が、それと重なったんだ。その瞬間、わたしは一度死んで出直すんだと思った。死んで生きる−それは、社会的な出世や栄達を捨てて、俳句に生きるということです

戦争の理不尽とはわたしにとって、かれらの、木の葉のような顔です。ひからびて、小さく小さくなった仏さまのような顔。
 教養も何もない人たちです。わたしの田舎の人たちと同じように、この戦争をどこかで頼みに思っていた人たちが、何もわからず、飢えて死んでいった。虫が踏みつぶされるように−。これ以上、みじめな死がありますか


 ぜひお買い求めのうえ、お読み下さい。

 それと今日は、平塚らいてう賞の受賞式がある日。
 ですので、「平塚らいてふの会」会長米田佐代子さんは中座して、式のある日本女子大に向かいました。
http://www.jwu.ac.jp/st/grp/raiteu/
  
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2012年02月17日

インフルエンザ

 風邪が大流行しています!

 仲間からも:
『自分は至って元気なのですが、妻がインフルになり、子供の面倒を見なくてはならなくなりました』

 都内には流行警報発令中!
都内419インフルエンザ定点医療機関からの第4週(1月23日から1月29日)の患者報告数が1医療機関あたり32.2人になり、流行警報基準(※)に達しました。
 この報告数は1999年の感染症発生動向調査開始以来、2004-2005年シーズンに次いで2番目に多くなっています。手洗いを徹底し人混みを避けるなど、予防を心がけてください。
※流行警報基準:30人/定点を超えた保健所の管内人口の合計が、東京都全体の30%を超えた場合。10人/定点以下になるまで警報状態が継続します

(2012(平成24)年2月2日東京都福祉保健局発表)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2012/02/20m22500.htm

※※・6週(2月6日〜12日)のインフルエンザ患者報告数は18,210人、定点当り43.67人(昨年同期定点当り20.41人)

インフルエンザの予防のポイントは、「手洗い」、「咳エチケット」、「ワクチン」の3つです。ワクチンは主に重症化の予防を目的として行ないます。
☆ インフルエンザワクチンに関する情報
 季節性インフルエンザのワクチン接種は、例年10月頃から開始します。インフルエンザワクチンは、免疫をつけ死亡者や重症者の発生をできる限り減らすことを目的に接種するものです。早めに受けるようにしましょう。

☆ 手を洗いましょう
 手洗いは、個人衛生の基本です。外から帰ったときなど、こまめに手を洗いましょう。また、咳やくしゃみを手でおおったときにも洗いましょう。
 流水で手を洗えないとき、手指にすり込むタイプのアルコール製剤も有効です。しかし、手に目で見えるような汚れがある場合は消毒効果が低下するため、その場合は流水・石鹸での手洗いを行いましょう。

☆ 咳エチケット
 咳やくしゃみをする時はティッシュやマスクを口と鼻にあて、他の人に直接飛まつがかからないようにしましょう

(東京都感染症情報センター「インフルエンザ」更新日2011年3月31日)
http://idsc.tokyo-eiken.go.jp/diseases/swine-flu/information/swine-flu.html#yobo

 全国的には、というと:
2011年10月中旬以降、増加が続いていたインフルエンザの患者報告数が、12年2月6日-12日の週に減少に転じた。
 国立感染症研究所感染症情報センターのまとめによると、この週の全国約5000か所のインフルエンザ定点医療機関当たりの患者報告数は40.34で、前週の42.62人を下回った。
 ただ、この値を基に推計した定点以外も含む全医療機関の受診患者数は約201万人に上り、依然として200万人を超えている。
 都道府県別では、大分の60.88人が最も多く、以下、石川(53.92人)、岩手(52.63人)、宮崎(52.15人)、鹿児島(52.09人)、埼玉(50.04人)、秋田(50.00人)などの順。
 推計患者数を年齢層別に見ると、5-9歳が最も多い25.9%だったほか、0-4歳と10-14歳が15.4%と、小児科が担当する14歳以下が半数以上を占めた。このほか、30歳代が10.9%、60歳以上が8.5%、40歳代が8.0%などとなっている。
 1月2日-2月5日の5週間に検出されたインフルエンザウイルスはA香港型が8割強で、B型が1割強。インフルエンザ2009は0.1%程度だった

(2012年2月17日12:19 キャリアブレイン「インフル流行ピーク超えか-推計患者数は201万人で高止まり)
http://news.cabrain.net/article.do?newsId=36633

 北海道からは2月15日付けで、寒中お見舞いも:
『皆さん、お元気そうで、かつ雪が無くて山を歩けて羨ましいです…。
 こちらは27年ぶりの大雪で、雪が深くて、か弱い足では前には進めず、男性も除雪でくたびれているこの頃です。函館山しか歩けません!!
 2月13日月曜日は久々にカンジキウオーキングで楽しんできました。スノ−シュで方向転換の際転んだ所の写真を添付します(^_^.)
 今日も-6度で風が冷たく、家に籠っております・・雪のない東京はイイナ−〜。
 
 5月の連休明けのころ佐渡行きを目論んでいるのですが…縦走と。
 以前山行したと聞き及んでおりますが、現地ガイドなしでも歩けますか?』


 ヤッホー君からお返しのお見舞い状が:
おひさしぶりです。佐渡はいいですね、ぜひ行って歩いてきてください、もちろん、ガイドなしで、自分たちのアタマとアシとアゴで!参考書は田中澄江さんの『新・花の百名山』だと思います。
 さ、予習、スタート!雪に覆われた今ならではの銀世界での楽しみは、山の本に囲まれた読書三昧です!どうぞ雪の北海道をお楽しみ下さい、雪のない関東地方にはいつ遠征してこられますかね。また


 そうしたらさっそく今日、17日金曜日にこだまが帰ってきました:
『アドバイス有難うございました!田中さんの本で調べてみます。
 昨夜のプラタモリのテレビで江東区の小名木川運河の探索で清澄通りが映り、山歩クラブの定例山行(バスは行く)の停車場がある所だと… 是非界隈を散策したいです… 仲間の住んでる町を歩きたいですね。
 5月の連休明けの5月8日、9日とかを佐渡に予定してます。
 佐渡の帰りには、瑞牆山と金峰山にでも登りたいです。
 6月には八ヶ岳に花を見ながら縦走をしたいと夢みているこの頃です。
 山歩クラブの新年度計画にも入れて下さいね
…!』

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2012年02月16日

旧新井家住宅

 いえ、ね、ヤッホー君、旧新井家住宅に寄った理由は質問があったのです!
 「あ、いけない!板葺きって言ってたよね、じゃあ、なんの木?」
 管理棟のおばさまに向かって「ごめんください!」って叫んでいました。
 「あのお、10人で来て、宝登山から今降りてきたばっかりなんですね。時間がなくって申し訳ございません、中に入って見学できないんですけど、ひとつだけ、質問があります。屋根は茅葺きじゃないと分かるんですが、では何で葺いているんでしょうか、教えていただけませんか?」
 おばさまが、中から出てきて説明しようとします。あわてて、帰ろうとしていた仲間に手招きします。
 「ね、もったいないお話しです、皆さんで聞きましょう!」

旧新井家住宅は、もと長瀞町大字中野上にありましたが、特主の新井正之氏から町に寄贈され、1975(昭和50)年3月に、この場所に移築されました。
 新井家は江戸時代に名主をつとめた旧家と言われていますが、それを裏づける文書等は発見されていません。
 移築に伴う解体修理により、この住宅には三度の改築が行われたことが判明しましたが、移築にさいして、おおむね建築当初の姿に復元しました。
 住宅が建設された年は、はっきりとはわかりません。
 しかし、ここには三峰山高雲寺(三峰神社)の祈とう札が多数残されており、最も古いものには延享2年の銘があります。延享2年は西暦1745年ですから、江戸時代の中期で、今から250年ほど前になります。
 従って、旧新井家住宅が建設された年もこの頃と考えられます。
 建物の構造は、かつて長瀞に多く見られた養蚕農家の姿をよく表していると言われています。
 大きな特徴は、屋根が板葺だということです。
 下地となる竹の上に長方形の薄い栗板を重ね、この上に漬物石くらいの大きさの石を置いて板を押さえます。
 天井がないので、室内から見上げれば竹と栗板がまるみえです。
 栗板が使われたのは、これが他の木にくらべて雨に強いからです。
 板葺屋根は、秩父地方では麦わらとならんでよく見かけられましたが、現在はこの旧新井家住宅を残すのみとなりました。
 そのほか、馬屋が建物の中に設けられていること、屋根裏の「もや」をアケビのつるで結んでいることなどが特徴としてあげられます。
 馬屋が家の中にあるのは、この地方の一般的な特徴です。
 また、軒下にはしゃれた関西風の格子が取り付けられています。
 隣接して便所がありますが、これは江戸時代のものではなく、明治時代の建築です


 この1971(昭和46)年、国の重要文化財に指定された旧新井家住居は、長瀞郷土資料館に隣接しています。
 『国指定重要文化財 旧新井家住宅と長瀞町郷土資料館
 旧新井家住宅は260年ほど前に建てられた養蚕農家です。
 この住宅の最も注目すべき特徴は、屋根が板葺であるということです。
 また、太さが35cmもある大黒柱や家の中にある馬屋、仕切りのない風呂場、土間に接した囲炉裏など、現代の住宅とは異なるところがたくさんあり、家の中に入れば、気分は江戸時代です。
 隣接する長瀞町郷土資料館は1980(昭和55)年に開館しました。
 ここには長瀞町で出土した土器や石器、そして江戸時代から昭和にかけての民具、秩父銘仙に関する資料等が展示されています。
 旧新井家住宅は郷土資料館の奥にあります。郷土資料館の入口からお入り下さい

(現地案内板説明文より)

 こうして、疑問が解けて満足、満足。クリの木だったのかあ。

 次は群馬県上野村にある古民家、これも国指定重要文化財ですが旧黒澤家住居もクリの板葺き:

旧黒澤家住宅は、18世紀中頃の建築と考えられ、間口22m、奥行16mの総二階の切妻造り。その規模の大きさや座敷の数、玄関の設備など、当時の旧家の面影をよくあらわしています。
 1970(昭和45)年、国の重要文化財に指定されました。
 深い山の中のため、屋根には割れやすい瓦ではなく、水に強く簡単に手に入る栗の木を使っていました。
 長さ1尺(約30p)厚さ2分(約6o)の栗の割板を並べ、強風で飛ばされないように石が置かれました。
 展示されている住宅の屋根には、栗板約1100束、押さえの石3400個が使用されています

http://www.vill.ueno.gunma.jp/kanko/dento/kurosawa.html

 こうして皆んなでまたこの「宝登山並木参道」にでて、長瀞駅前に向かいます。国道140号線との交差点は「長瀞駅前」交差点ですが、ここに宝登山神社の一の鳥居が立っています。
 そして、国道を横切って、鳥居から長瀞駅までの「表参道」を行きます。

 大ぜいの観光客で賑わっています。ヤッホー君はストックを掲げて先頭を歩いたとさ、石畳に向かって。…と思ったら、曲がってしまいました。
 「ん?もしかしてバスはこの駐車場にいるかもしれないから…」

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2012年02月15日

鎮守の森

 宝登山神社。
 
標高497m。「宝の山」とも言われる宝登山は、ダイダラボッチという伝説の巨人がこの山を、かついできたと言われています。日本武尊を山火事から救った神犬の霊力と、火防・盗難除けの霊験をうたわれ、参拝に訪れる人があとをたちません
(秩父鉄道 沿線観光のご案内 秩父三社 宝登山神社)
http://www.chichibu-railway.co.jp/kanko/sansha/hodosan.html

 神社には公式サイトがあります。その「ご由緒物語」をぜひクリックしてみて下さい。下↓:
http://www.hodosan-jinja.or.jp/yuisho/index.htm

 立派なお社に、お山、鎮守の森が保存されております。でも、『ワシントンハイツ』の著者、秋尾沙戸子さんは、この鎮守の森がこの国より消えて行く、と嘆いていましたよね。今日の御題みっつは、この秋尾さんのブログより:
http://www.akiosatoko.com/blog/

☆ 「いのちを守る緑の堤防」(2011年4月24日)
『「サンデーフロントライン」で復興策を提言したが、時間が限られ、コメントは短くというのが原則なので、ブログで補いたい。 
 「緑の堤防」構想は、世界で4万本の植樹を指導してきた横浜国立大学名誉教授の宮脇昭先生が提唱されている。宮脇氏は鎮守の森の価値を説かれている生態学の専門家だ。政府はぜひ、宮脇先生と組んで、これを実行に移して欲しいと私は考えている。国民の多くが賛同し、政府を動かせることが理想だ。
 今回の震災で私たちは津波の本当の恐ろしさを知った。コンクリートの堤防だと跳ね返され、かえって、その威力は倍増するのだ。しかし、「緑の堤防(=森)」を築けば、津波が木々の間を抜けるために威力は半減する。その間に人々は逃げる時間が稼げるし、水が引くときにも森に引っかかって、海にもっていかれない。今回、松が流されたのは、松は根が横に広がり、浅いからである。しかし、タブノキなら、砂地でも根がまっすぐに深く伸びるので波に負けない。三陸海岸に合った木を植えればいい。
 なぜ政府か、といえば、これを「国民植樹プロジェクト」にする必要があるからだ。私自身は宮脇先生の指導される植樹祭に参加して、感動したことがある。先生の指導の下、必死で目の前の苗を植えていくうちに、知らない人たちとも不思議な連帯感が生まれ、涙が出るほど心を揺さぶられる。日本人がひとつになる好機になる。
 なにより、植樹を通して被災した人々の心が癒される。木々が成長する過程を見て、自分も前に進もうと思える。子どもたちは、自分が苗を植えた森を誇りに思う。自信がつく。全国から集まった人々も、東北への愛着がわく。ずっと復興を応援しようと考える。
 震災以来、東北は世界一有名な地域になった。植樹祭は間違いなく、世界中でニュースになる。美しい景観は将来、東北の観光資源になるのである。
 息の長い復興のために、シンボルが必要だ。津波にも強い「緑の堤防」プロジェクトは、その役割を担うことができる。しかも、苗は数百円で済むのだから、コストが低いことも魅力のひとつだ。全国からの参加者が参加費を払えばいい。ただ義援金を送るよりも、ずっと付加価値が高くて達成感がある。財源など捻出せぬとも、国民を束ね、世界の注目を集め、政府の汚名挽回、支持率を上げる唯一のチャンスとなるはずである』


☆ 「太陽エネルギーは東北発で」(2011年5月7日)
この場に及んでもまだ、原発推進という人が多くて、びっくりする。
 震災以降、恐怖心でいっぱいになったのは、これが地球から人類へのメッセージだと私が考えているからだ。だとすれば、これを機に日本が最初に太陽エネルギーにシフトすべきである。そうでなければ、津波にさらわれた人々の無念をはらすことにならない。
 東北の復興は、新しいエネルギーの発信以外に考えられない。原発はこれ以上増やさず、自然エネルギーを使った街づくりを考えるべきである。なかでも私が関心を抱いているのは、バイオマスだ。津波被害にあった地域は、東北でも日照時間が長く、海藻が豊富に獲れる。その海藻を使ってオイルを作るのである。
 海藻に太陽を当てると、ものすごい勢いで増える。いわゆる光合成である。そこに悪者と言われている二酸化酸素CO2をどんどん送り込むと、結果、オイルを精製できる。そもそも石油は、それが化石になったものだと考えれば、わかりやすい。
 原発一基分を補うのに、バイオマスがどれほど必要かまだ掴んでいないが、少なくとも政府は即、バイオマスに舵を切り、原発に替わるエネルギーを国策として開発すべきである。
 日本人のすばらしさは、鎮守の森にある。自然を畏れ、感謝を知っていることに集約される。戦後65年、世界潮流に乗り遅れまいとひた走ってきたが、被災したいまこそ日本が新しい社会のありようを提示して、世界をリードすべきなのである。金儲けの亡者は別として、心ある人々は、被災した日本がどう立ち居振舞うのか注目しているのだ。日本人の美徳とは、自然に対して謙虚になることであり、自然に感謝することであると私は考えている


☆ 祭りの復活を(2011年7月24日)
来週火曜日の講演会に備え、新潮社で拙著に署名をする。折りしも神楽坂祭りと聞いて、絽のきものを着ていった。
 2、3年前にも見ているが、商店街を行く「連」の若者たちの笑顔が美しい。気持ちいいんだろうなあ、と思う。踊りは決して簡単ではないだろうが、見る阿呆でいるより、踊る阿呆になりたい。若いときに、こうした機会を得られて、実に羨ましい。
 虐待する親もされる子どもも、祭りに参加できると何かが変わるのではないか。内なるエナジーを発散できて、見られて興奮して、自信がついて、地域の人とつながって、そういう経験が日本人を支えてきたはずなのだが、鎮守の森の消滅とともに都会からはそうしたチャンスが消えてしまった。祭りの復活は、日本社会を立て直す手段のひとつに思えてならない


 2月1日付け日経新聞にも。宮脇昭先生は登場しています。先生は1928年、昭和3年岡山県川上郡成羽町(現・高梁市成羽町)出身、生態学者、地球環境戦略研究機関国際生態学センター長、横浜国立大学名誉教授:
『「東北地方の潜在自然植生であるタブノキやカシ、シイ類などは根が真っすぐに深く地下に入る直根性・深根性の木であるため容易に倒れず波砕効果を持つ。
 背後の市街地の被害を和らげ、引き波に対してはフェンスとなって海に流される人命を救うこともできる」

――タブノキなどは常緑広葉樹ですが、東北地方の海岸で育つのですか。

「人の手が加わらない自然の森を形づくる樹種を潜在自然植生と呼ぶ。
 岩手県釜石の北までタブノキなどの常緑広葉樹が自生できる環境だ。
 日本人が農耕生活を始める以前には常緑広葉樹の森があった。
 私たちの祖先が定住生活を始め耕作地をたくさん必要にするようになったため古来の森を伐採した。
 また古い森を伐採した後にスギやヒノキなどを植林したりもした」

 「しかし賢明であったのは、土地本来の森を全部なくしてしまわずに一部を残してきたことだ。
 各地に残る鎮守の森こそ日本の潜在自然植生を残した森だ。
 タブやカシ、シイを主木とし、ヤブツバキやシロダモ、ヤツデなど様々な樹種が混在して育つ多様性の高い森だ。

 東北の海岸線に南北300〜400キロ、幅30〜100メートルほどの鎮守の森を再生できれば、緑の防波堤となるだけでなく、鎮魂の場にもなり、後世の人々が緑を満喫できる自然公園にもなる」
――取材を終えて…
 宮脇さんを「4000万本の木を植えた人」と呼ぶ人もいる。
 日本国内各地や中国、インドネシア、ブラジル、アフリカなどで植樹による森林の回復に力を尽くしてきた。
 その手法はインタビューの中でも再三言及された「潜在自然植生」という考え方に基づく。
 本来その土地で持続的に育つ樹種を選び出し多数の樹種を群生させることによって、人の手入れがなくても長期に存続する森を目指す。
 国内では三菱商事や新日本製鉄、横浜ゴム、トヨタ自動車などの企業が工場や自社の土地の緑化に「宮脇方式」を採用している。
 また東日本大震災後は、千葉県浦安市の松崎秀樹市長が宮脇さんを招き、その指導の下で海岸線に「緑の防波堤」づくりを始めている』

(震災がれきを活用、東北に「森の防波堤」を、横国大の宮脇氏に聞く 日経編集委員 滝順一、2012年2月1日)

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2012年02月14日

氷池

 氷3題。

『「こりゃ大変だ。急いで掃除しないと」

 昨年2011年12月中旬、長瀞町の宝登山の中腹にある氷池。うっすらと氷が張り始めた水面に、強風で落ちた葉が大量に浮かんでいた。皆野町の製氷業「阿左美冷蔵」社長の阿左美哲男さん(61)は、慌てて竹ブラシを伸ばして落ち葉をかき集めた。氷池の水は、山の腐葉土の層を1〜2ヶ月間かけて通り濾過された伏流水。ミネラルが豊富で、かすかに甘みもある。

 阿左美冷蔵の創業は1890(明治23)年。冬の厳しい寒さを利用し、保冷用や食用の氷を製造してきた。しかし、1970年代、電気冷蔵庫の普及で保冷用氷の需要が激減。食用も保健所の指導の強化で、販売の許可がなかなか下りなくなり、同業者が次々と店じまいする中、伝統の製法を守ってきた。

 5代目社長として阿左美さんが家業をついだのは1992年。秘策があった。山中でゆっくり凍る天然氷は、急速冷凍した氷よりも結晶が大きい。硬くて解けにくく、かき氷にすれば、まろやかで甘い天然水の味をそのまま味わえる。「自前でかき氷を作れば必ず売れる」

 だが、当時はバブル期。氷池の脇を通る町道の舗装化や、ゴルフ場の建設計画が持ち上がった。「このままじゃ天然水が駄目になる」。町や農林公社などを奔走し、清流を守りきった。

 製氷作業は、池周辺の草むしりや清掃作業で始まる。11月中旬に伏流水を引き込んだ後は、3月まで毎日通い、氷を丁寧に磨き続ける。落ち葉などが一緒に凍るのを防ぐためだ。

 例年1月中旬頃、氷が厚さ15センチほどになると、切り出し作業を行う。その量は毎年40〜50トン。毎年夏、長瀞町と皆野町の2店舗には、天然氷のかき氷を求める人たちが、300メートルにもわたって行列をつくる…』

(2012年1月8日付け 読売新聞「かき氷、こんにゃく…伏流水が支える秩父の味」)
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20120106-OYT8T00385.htm

 例年になく寒い今冬。諏訪湖には≪おみわたり≫が:

長野県の諏訪湖で立春の2月4日、湖面に張った氷に亀裂が入ってせり上がる「御神渡(おみわた)り」が確認された。昼夜の寒暖差で氷が収縮・膨張を繰り返し起きる自然現象で、2008年1月以来4年ぶり。

 御神渡りの判定と神事をつかさどる八剱(やつるぎ)神社(諏訪市)が4日朝、高さ約10センチの氷の隆起と筋道を確認した。諏訪湖は最低気温が氷点下11度以下になった1月末に全面結氷。宮坂清宮司(61)は、「亀裂と盛り上がりが見られた。4年ぶりに見られてうれしい」と話した。

 御神渡りは地元では、諏訪大社上社(諏訪市)の男神が下社(下諏訪町)の女神の元へ通う「恋路」と言い伝えられる

(2012年2月4日付け毎日新聞東京夕刊 諏訪湖:「恋路」4年ぶり 御神渡り確認−長野)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120204dde041040031000c.html?inb=yt

 しかし、悲しいかな、群馬の赤城大沼でも榛名湖でも。

県では、水産物の放射性物質の安全確認検査を行ないました。赤城大沼から1月29日ワカサギ(2ヶ所)、イワナを採捕して検査を行なったところ、1月30日に結果が判明ました。
 結果は、放射性セシウムが、ワカサギについては暫定規制値を下回り、イワナついては暫定規制値を上回りました。
 県では、引き続き安全性が確認されるまでワカサギの解禁延期とそれ以外に食用に用られる可能性のある魚種(ウグイ、コイ、マス類)の採捕自粛の要請を継続することにしました。

ワカサギ 放射性セシウム134 205Bq/kg セシウム137 268Bq/kg 放射性ヨウ素検出せず
ワカサギ 放射性セシウム134 201Bq/kg セシウム137 279Bq/kg 放射性ヨウ素検出せず
イワナ 放射性セシウム134 328Bq/kg セシウム137 440 Bq/kg 放射性ヨウ素検出せず
(ワカサギについては沼西部と沼東部の2ヶ所で採捕)』 

【1月30日】放射性物質に対する水産物の安全検査について(群馬県蚕糸園芸課)
http://www.pref.gunma.jp/houdou/f2300110.html

榛名湖漁業協同組合(群馬県高崎市)は1月28日、氷上ワカサギ釣りの解禁を今シーズンは見送ることを決めた。東京電力福島第1原発事故の影響で、解禁にあたってはワカサギの放射線量を調べる必要があるが、不漁で検査に必要な量を確保できないためだという。

 群馬県内では昨年8月、赤城大沼(前橋市)のワカサギから国の暫定規制値を上回る放射性セシウムを検出。県は榛名湖など計17湖沼でワカサギ漁の自粛を要請した。榛名湖漁協は今季の解禁に向け、検査用のワカサギの捕獲を試みたが、必要量(約100匹)を集められなかったという

(2012年1月29日5時41分更新 毎日新聞「氷上ワカサギ釣り:不漁で線量検査できず榛名湖解禁見送り」)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120129k0000m040050000c.html

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2012年02月13日

宝の山

『皆さん、こんばんは。今日の2月山行、長瀞アルプスから宝登山、はいかがでしたか?丁度いい山だったでしょ。アルプス一万尺もなんのその、きちんとロープウエィなんぞ使わずに自力で下山できました。帰りはロープウエイかな、とも思いましたが、霜が解けて田んぼのようになったあの最初の下りも無事に下りて、全員、完歩!かつ旧新井家住居、岩畳、水潜寺、と年の功と同んなじくらいの味わいある七味唐辛子のような歴史散歩も加味した月例山行でした。
 写真を添付します。一枚目は山頂。二枚目は宝登山神社奥宮。

山頂.jpg

奥宮.jpg

 では、どちらさまも、風邪にやられることなきよう、暖ったかい格好、美味しい食事、無理無駄無茶なことのない穏やかな暮らしをお楽しみくださいね。では、またお会いするときまでごきげんよう!』

今日はお世話になりました。早速の写真有難うございました。ちょうど良い汗をかいてきました。まだ 風邪が抜けきれていないご様子、どうぞお大事に。お疲れ様でした

こんばんは。今日は良い天候に恵まれ、楽しいお山歩ができましたね。私事ですが、昨日、今日と実は、北陸の方へ出かけていまして、先程帰った所です。向こうでは雪も降らずに、雪を楽しんで来ました。宝登山の歴史散歩は良かったですね

本日は大変ありがとうございました。いい天気で見晴らしもよく、温泉も良かったですね。実は今、花粉症で目が痛く、頭が重いです




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2012年02月12日

宝登山497.1m


 今日、2012年2月12日は山歩クラブのお山歩会(バスは行く)だったのです。

『☆ 「歩くほどに、飲むもほどほどに、宝登は春」
 オトタチバナヒメは海を鎮めるために投身、ヤマトタケルノミコトは吾妻山(1月定例山行)で嘆き悲しみつつ、宝の山(2月定例山行)まで進んだものの、山火事に包まれ、火の勢いは一命を落とさんばかりの強さ、激しさだったと古文書に記されております。ところが…、そこに現れたのが、山歩クラブの面々だったというわけです。
 火を止めにバスは…、1時間早い8時25分の長瀞アルプス入りとなりました。今日も天気晴朗で波静か。心ワクワクのお山歩日和となりました。

 ☆ 「宝の山は蝋梅が満開」
 ヤッホー君の行程表では、直接宝の山アタックは控え、中野上地域の萬福寺脇から天狗山分岐320m、野上峠、小鳥峠の静かな尾根道を辿って、木段を登る裏コースをとることにしてあります。氷池への分岐も何箇所か出てきました。そっちに行ってみたいという気持ちを静めるのに苦労しました。ヤッホー!
 この裏コースこそ長瀞アルプスと呼ばれているものです。昨夏、山歩クラブの勇士で仙丈岳を歩きましたが、勇士でなく全員で南アルプス、北アルプス、中央アルプスを歩いてみたい、欧州アルプスにも、と思っているので、今年はいろんなアルプスに挑戦します。

 ☆ 「浅間もほどよく顔を出し」
 あっという間の頂上入り。蝋梅に心奪われ、蝋梅を鑑賞しながらの昼食会となりました。山頂からは右から両神、甲武信、和名倉、飛竜(大洞)、雲取(残念見えませんでした!)、武甲山と並ぶのです。満足していたら、浅間を見ないと、と教えられました。

 ☆ 「三銃士もほどよく顔を出し」
 今日もお疲れ様。お水さんにも昼食時間とか、時間係りで指揮していただきました。マダムにはいつもきっちり清算で感謝しています。はしもっちゃんは今日も笑い声がアルプス中に響いておりました。

 ☆ 「ぽっかぽっか陽気に包まれ、宝の山」
 風邪で3人も欠席されました。ヤナさんには前日、ぼくらは萬福寺脇からアルプスに入って歩くけど、風邪引いているんだったら、長瀞からロープウエイで登って蝋梅園、梅百花園、動物園で写真をいっぱいとって、レストハウスで名物「瀞ろめし」を食べたりして遊んでて待ってたら、って言ってあったんだけど、残念でした。やっぱり朝早く起きるのは、熱があるとつらいもんね。

 ☆ 「氷柱おり、荒川もほどよく流れ」
 心地よい陽だまりの尾根歩きから、宝登山まで一気にのぼって梅を愛でながらのお弁当を広げたら、やっぱり締めは、長瀞渓谷の岩畳です。…今日の「長瀞アルプス」のあとの予定は、新人さんを主な対象にしたもうひとつのアルプス、「鎌倉アルプス」ですぞ』


 これは2004年2月8日のこと、ですのでもう8年も前!

 上の記述から削除、消去して日記に載せられなかった数行があるそうです。それはお昼!今年とは大違いの贅沢三昧!

長瀞渓谷の岩畳です。そして待ちに待った鮎の塩焼きを秩父館でいただきました
 秩父館は、秩父郡長瀞町岩畳通り川寄(Tel 0494-66-0010)に所在し、秩父の機屋宿で歴史に残る旧野上館を前身に100年前、2012(明治35)年「秩父館」として創業致した長瀞でもっとも旧いお宿です。

 それからもう8年も経つのですね。あのころがとバブルとしたら、あのころのことは、ハッブル宇宙望遠鏡を借りても、もう、泡と水蒸気と湯気で何も見えなくなりましたねぇ〜。

 今日、2月12日の山歩クラブのお山歩会(バスは行く)の昼食は、山上の野天だったのです。 
 お風呂も今回は、『満願の湯』(秩父郡皆野町大字下日野沢4000 Tel 0494-62-3026)!

願いは必ず満る、すなわち満願である。秩父温泉満願の湯はここから名づけられたのです。
 秩父で本格的温泉として湧出に成功した秩父温泉満願の湯は、浅間・富士火山からなる山中地溝帯線の石英閃緑岩の裂け目にそって長い年月をかけ地下数百メートルで育まれた最高の温泉です。
 こんこんと湧き出る源泉はきわめて豊富であり、秩父礼場34番日澤山水潜寺地下深くの断裂がもたらしたロマンあふれる大地の恵みです。
 自然の雪雨が幾重からなるこの山塊を数百メートル浸水するには一般的に、何千年もの歳月がかかると言われており、まさに悠久の時を刻み磨きぬかれた貴重な天然の資源です。
 満願の湯の特徴は、その高いアルカリ性とまろやかさにあります。水素イオン濃度(ph)9.5という全国有数の極めて高いアルカリ温泉で世界的にもたいへんユニークな温泉です

http://www.chichibuonsen.co.jp/

 満願、というくらいだろうからと、秩父札所34番全て歩き収めた重田さんに先導をお願いして、近くの「水潜寺」にお参りをしてきました:

秩父札所34番寺の前に、結願の御砂ふみがある。平らな黒御影石に二つの足形が揃えて彫ってあり、「足形の上で拝めば、百観音巡礼の功徳がある」と刻まれています。
 この上に乗って手を合わせると、西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所の合わせて日本百観音巡礼を果たしたという爽快な気分になるから不思議です。
 秩父札所34番の観音堂は、寛政の頃(1789〜1800)、江戸在住の人々の寄進によって再建されたと伝えられる方形屋根、四間四面の建物で、周囲の環境と調和して結願の寺にふさわしい森厳な寺域であります。
 観音堂に向かって右奥の岩下に、自然の岩窟があり、清水が湧き、かたわらに石仏がまつってあります。
 秩父34ヶ所の巡礼を終えた人達が、ここで結願の水垢離をとって、笈を解いたところである。秩父札所34番の寺名はこの行事に由来します。
 苔むした大きな水鉢にあふれる清水を口に含むと、山の霊気がこもったようなすずやかな味で、身も心も清冽な気分に満たされます

http://www.geocities.jp/fudasyo34_jp/temple-34.htm

 ごめんね、こういう何がおこるか分からない、このハプニングに胸わくわくするヤッホー君。ですので、今日のほうがサイコウ、だそうです!
 「旧新井家住宅」でご親切にも由来をご説明いただいたし、「宝登山神社奥宮」でオオカミにも、ロウバイにもお会いし、「水潜寺」のお砂踏みで西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所の合わせて日本百観音巡礼も無事に果たし、しかもこの寺の地下深く、浅間・富士火山からなる山中地溝帯線の石英閃緑岩の裂け目にそって長い年月をかけ地下数百メートルで育まれた最高の温泉の恵みを「満願の湯」でいただいたし、満足、満足!
 もうすっかり悪霊を追い出し、精霊を呼び込み、2012年はサイコウの年になるような気持ちをもったということですから、めでたし、めでたし。
 ん? いっつも「サイコウの年になるような気持ちをもった」で終わってません? ん?(キョロキョロ…)

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2012年02月11日

高峰秀子

 日本アカデミー賞の授賞式が3月2日金曜日にグランドプリンスホテル新高輪にて行なわれます。当日は日本テレビ系列28局で21時からテレビ放送され、ラジオではニッポン放送で22時から放送される予定になっております。
 
 今日2月11日土曜日〜17日金曜日まで、品川プリンスシネマにて日本アカデミー優秀作品上映会もありますので、ぜひ見逃した方々はいまがチャンス!会場まで足を運んで映画を楽しんできてくださいね。

 詳細については、受賞作品、受賞者も決まっておりますのでそのリストとともに、下をクリックしてご覧下さい:
http://www.japan-academy-prize.jp/news/35preview_schedule.php

 いやあ。そこ、そのリストにね、『サイレント・トーキー・カラーという映画の発展とともに日本映画を代表するあまたの名作(「浮雲」「二十四の瞳」)に主演、生涯を通じての出演作品は、300本に上る。その映画女優としての50年間の類まれな功績に対して』「高嶺秀子」の名前が、「会長特別賞」として載っていたんでびっくりしたんですう!

 こんなブログも:

キネマ旬報第一位に輝いた不朽の名作「二十四の瞳」は今から57年前、1954年9月15日、全国上映されました。
 昨日、2011年9月15日、この記念すべき日に古びた木造校舎、小豆島の岬の分教場で「高峰秀子さんを偲ぶ会」を開催しました。
 今回の偲ぶ会は昨年、2010年末にお亡くなりになった高峰秀子さんと映画「二十四の瞳」という縁で結ばれていた方達にお集まり頂きました。
 高峰秀子さん・松山善三さんの養女の斎藤明美さんにお越しいただき、講演をして頂きました。
 そして、この偲ぶ会に平日にもかかわらず、当時の子役、竹下竹一・岡田磯吉、香川マスノ、西口ミサコ、大石並木役、大石大吉役の方々がご出席したくれました

http://ameblo.jp/24hitomi-eigamura/entry-11017493907.html

 ヤッホー君のこのブログ、2月9日付け日記「孤立から連帯へ」で『私の梅原龍三郎』を取り上げた際、高峰秀子が亡くなっていたことを露知らず、知りえたのは今日になってから、2月11日土曜日のこと、教えてくださった友だちがいたからこそのことです:

 秋尾沙戸子『ワシントンハイツ』の文庫版を買おうと訪ねた本屋さんで、没後1周年の高峰秀子の文庫本のコーナーがあったのだそうです。
 『それにしても、ワシントンハイツの「あとがき」が特に良かったですね。今日、2月11日、なんで2月11日なんでしょうね、偶然ですか、ね。「建国記念の日」だから ? 「2.11全国一斉!さようなら原発1000万人アクション」だから? と思いながら、一気に読み込んでいます

東京電力福島第1原発事故を受け、脱原発を目指して作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発1000万人アクション」集会が11日、東京都と新潟県であり、東京・代々木公園には市民ら約1万2千人(主催者発表)が集まった。

 大江さんは「原発が出す核廃棄物を、私たちは孫の代まで残すことになる。それは人間が決してやってはいけないことで、倫理に反するものだ」と脱原発を訴えた。

 俳優の山本太郎さんは「もし大きな地震があれば、国が終わってしまう。終わらせないために、原発を再稼働させるわけにはいかない」と主張した

(2012年2月11日19時13分 東京新聞「大江さん≪核廃棄物残すな≫脱原発集会で訴え」)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012021101001679.html

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2012年02月10日

原発稼動の是非を問う都民投票

 人を見下したものの言いかた、立て板に水のおしゃべり、歯に衣着せずに難癖をつけるのに長けた罵倒の仕方、こういう輩、物言い、同調する笑いに遭遇すると、ヤッホー君は背中に虫唾が走るようで、耳を閉ざして唇に太陽を、と微笑んでばかりいるか、逆に負けずに怒りはじめるか、するようです。
 しようがないね、神様でなく人間だもん。

 今日2月10日金曜日、二例をご紹介。

 第一例は慎太炉。

東京都の石原慎太郎知事は2月10日の記者会見で、原発稼働の是非を問うとの住民投票条例制定を目指して市民団体が集めた署名が必要数を上回る見通しになったことについて「(市民団体は)手続きを出したらいい。条例つくれるわけないし、つくるつもりもない」と述べ、条例制定に否定的な見解を示した。
 知事は「原発も原爆のトラウマがあるから、みんな一種のセンチメントで恐怖感を抱いている。人間が技術を開発し、挫折や事故を体験しながら克服することで文明が進歩してきた」と持論を述べた

(2012年2月10日 19時6分 東京新聞「石原知事、原発住民投票を否定「条例つくれるわけない」)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012021001002143.html

 トラウマ、センチメント、恐怖感ときました。オチは文明の進歩への礼賛です。
 数の力、金の力に、口舌の徒であれば権力者になれますね、ヤッホー君の住む地の首長は何を言ってもクビになりません、任命責任は有権者にあるからなのかなあ。このお方、原爆をある朝、突然落とされいのちを落とした住民、焼夷弾を深夜、無差別に落とされ焼け死んだ住民、原発が爆発し、故郷を鉈(なた)で断ち切られるように追い出され難民化して彷徨している住民、こうした住民の目線に立って発言しているわけではないのです。
 そうしたら、はっきりといえばいいのにね、原発じゃないんだ、核兵器を作ってそれを武器に、米中露にNO!と言うんだ、と。それで有権者に問えばいいんじゃん、そのほうが障子に穴を開けたマッチョに相応しい、と思うヤッホー君。

 もう一例。

脱原発を訴え、昨年9月に東京・明治公園で「さようなら原発5万人集会」を開いた作家の大江健三郎さんらが2月8日、都内で記者会見し、7月16日にも東京・代々木公園で10万人規模の「さようなら原発集会」を開催すると発表した。また、既存の原発の計画的廃止などを求める要請文を、立地自治体の首長らに近く届ける。
 呼び掛け人は他に、ルポライターの鎌田慧さんや作家の落合恵子さんら。要請文では
「福島原発事故から明白になったことは、『安全な原子力発電』などないという厳然たる事実。核と人類は共存できない」
「決して再稼働を認めることなく、代替エネルギーの道をともに考え、原発のない社会へ向かいましょう」
と訴えている。

 現在、全国の原発のうち51基が停止中。鎌田さんは「原発がなくても困らない現実があるのに、政府はなんとかして再稼働させようとしている」と指摘。
 大江さんは「事故はまた起きると思う。明日の子どもたちに倫理的な責任を取ろうと思うなら、原発を今廃止するという決意しかない」と述べた。

 昨年9月の集会には約6万人(主催者発表)が参加。メンバーは脱原発を求める1000万人分の署名も呼び掛けており、既に約500万人分が集まった。今月11日(明日の土曜日!)にも代々木公園で署名活動を行なう

(2012年2月9日付け東京新聞 朝刊 「脱原発 7月に10万人集会」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012020902000028.html

 でもよかったですね、原発都民投票!お見事です、成立しました。地道にキャンペーン活動してくださった皆さん、お疲れさまでした!

原発稼働の是非を問う都民投票の条例制定を目指す市民グループによる署名活動が2月9日、八王子市など3市1村を除き、終了した。
 署名数は条例案の提出に必要な21万4236人を超え、最終的に目標の30万人に達する見通しだ。各区市町村の選挙管理委員会で署名の有効性が確認されれば、5月の連休明けには、条例制定を都知事に直接請求でき、条例案が都議会に諮られる
』 
(2012年2月10日付け 東京新聞朝刊 「原発投票 30万人達成へ」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012021002000040.html

 そうそう、この投票呼びかけの顛末記は市民団体の公式ブログをクリック:
http://tomintohyo.blog.fc2.com/

 それと、「原発立地自治体の首長らに近く届ける要請文」はこちらをクリック:
http://sayonara-nukes.org/

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2012年02月09日

孤立から連帯へ

 今日2月9日木曜日もお医者さまは怒っています:

今回の診療報酬改定で、精神科診療所に365日24時間、自らのところで診ている患者の救急対応をすることが求められる、と聞いた。精神科病院の救急が大変なのに、診療所では夜間救急対応をしないのはけしからんという議論らしい。
 自院で診ている患者の救急対応を診療所にも求めることはある程度理解はできる。が、24時間365日というと、それはあまりに過酷な負担である。精神科救急は、診療所外来ではなじまない。様々な処置、治療、投薬を夜間人数が圧倒的に少ない診療所でどうするのだろうか。元来、診療所を開業する医師は、大学・病院等で経験を積んだ医師であり、そこで積んだ経験を地域医療に生かす立場にある。若い時代に一睡もせずに当直業務をこなし、相当の年齢に達した医師達である。そのような精神科医に、勤務医以上にハードな負担を求めることは、社会的な公序良俗に反する医療行政と言わなければならない。診療所院長が、管理者の立場にあり、労働基準法に守られる立場にないことを良いことに、こうした過大な負担を、医療現場に平気な顔をして要求する行政がここにある。
 これは行政による反社会的な施策だ


 しかし、この怒り、どうにかなるのでしょうか、とヤッホー君は今日午後からずう〜っと考えこんでいたんですう、結論は、見出せません。

 まず、ヤッホー君が自問自答を迫る『どうにかなるのでしょうか?』という設問事態が曲者だと思いません?
 「孤軍奮闘」なわけで。。。だったら少数意見でほかに流通せず、ま、そういう意見もお伺いしたし、十二分に汲み取ったということで、と当局からチョンチョンと幕が下ろされ、その後、お弁当付き「幕間の歓談タイム」となるのでしょうか?
 闘う労働者組合とかいうのがあれば、「連帯を求め孤立を恐れず」とか「スタンドアローン」を矜持を持って貫くというのもありでしょうが、いまどきの「長いものに巻かれろシュギ」「ムダ儲け資本シュギ」にたかるシロアリ、クロアリ、ピンクアリが大手をふるって表通りを歩くご時勢には、ね。でないと、メンタル不調になってしまいます。

 「歓談タイム」といえば、ヤッホー君が思い浮かぶは19世紀末、というからこれも100年前のことですね、ヨーロッパ風の「サロン」です。
 高峰秀子(1924年北海道生まれ)に『私の梅原龍三郎』(初出は1987年1月潮出版社、ヤッホー君は2010年8月刊文春文庫版、第4刷に依拠しています)があります。

『梅原サロンは楽しかった。メンバーはいずれ気心の知れた友人知人ばかりなので、話しをする人、将棋盤を囲む人、画集に見入る人、お酒を飲む人、とそれぞれが勝手にくつろぎ、梅原先生はその真ん中のゆったりと腰を下ろして人びとのお喋りに耳を傾けながらお酒を楽しんでいた…
 二人の女のお孫さんの結婚相手には、ぜひとも一匹狼を、と本気で考えているらしかった…』


 これに高峰秀子はどう答えたか、といいますと:

一匹狼はね、カッコはいいけど辛いんですからね、順子ちゃんやルリ子ちゃんが苦労するよ

 このショートストーリーの落ちは、といいますと:
残念ながら二人のお嬢さんは、一人は外交官、一人は保険会社に勤める男性と結婚してしまった

 山歩クラブの「スローフードと山の会」、なんて仰々しい名前は表ざた的には「ウチ来て飲も飲も会」なんて現代(いま)風の名前にしていますが、そんな「サロン」をイメージしておりました。でも、参集者に振る舞うだけの資金力の失せたヤッホー君、椀、皿、コップ、箸のみならず、飲み物食べ物も持ち込み式のポトラック式とかって言ってますけど。。。

 この「サロン」で、こういう対話が成立し、こう記録してくれている参会者がいることに、不思議でしようがないのが、ジャックウルフスキンのマウンテンギアの愛好家、ヤッホー君なのです。ま、Kassyに言わせるとハゲタカでもオオカミでもなく、ハイエナかな、と侮られておりまするが。それほど、3.11以来、魚介類や鶏肉以外の肉類に箸をつけていないヤッホー君なので、お腹ぺこぺこ!

 第一の例示は、お上に対して:
 これは国民主権の立場から、有権者として、変だ、おかしい、間違っている、と思ったら、言うべきだ、発言すべきだ、同じ気持ちの仲間を集め、声を大きくすることしかないんだろう、と。でもこれが物事が決まる「雲上人」に届くには、スケールプレッシャーが必要で、でなければ、茶坊主どもからマニュアルに乗っ取り、「ありがたく拝聴いたしました。必ずや反映されることとなるでしょう(あ、これも期待を持たせるような言い方は避けるべし、とマニュアルに書いてありましたなあ)」で終わるんでしょうね、うんざり!
 
 第二の例示は、前提となるメンバーが「気心の知れた友人知人」というメンバーシップ制のなか。
 山歩クラブもメンバーシップ制の小さな団体。だからこそ許される言った言われた関係、しかし、そこには4つのルールがあるとヤッホー君は仲間に語り継いできました:

@ 透明性、公開性
 会の運営は、密室会議で決めません。全員、決定に参加できる権利が保証されています。わいわい、がやがや、最後は大っきな笑顔!
A 自主性
言いたい放題は、飲み放題、食べ放題以下。言ったことは、積極的に実行しよう!
B 参加性
 山歩は、スロウ・イズ・ビューティフル、足の遅い人、自信のない人が真ん中!これまでのあなたの山への知識や経験は、かえって邪魔です。
C 連帯性
 協力しよう、協同しよう、相手に手を差し伸べよう!肩を組もう! 人間とは人の間と書きます。半ばは我が身のため、残りの半ばは他人のため。


 こうした運営原則があったからこそ10年もクラブを運営してこれたのか、あるいは、この原則にこだわりすぎた結果、人数もこの程度でスケールメリットも果たせないままでいるのか、今日も風邪でアタマが重いのに、なお一層、重たい課題につぶれてしまいそうですけど、ヤッホー君、さ、立ちあがりました。明日の弁当作りです:

 「モンスターペアレント」ってご存知でしょう!

授業中皆おしゃべりばかりしており、中には「立ち歩き」する子もいるので「おしゃべりはやめなさい」と注意したところ、「ウザイ」という言葉が返ってきた。やがて、毎朝、黒板に「クソババア死ね」と書かれるようになった。おまけに、給食のパンの中にはゴミを入れられたこともあったので、「誰が入れたのですか?」と尋ねたのだが、皆クスクス笑っているだけで誰も答えなかった

 続きはぜひ、片田珠美「一億総ガキ社会-「成熟拒否」という病-(光文社新書、2010年7月)』をぜひお買い求めいただきお読み下さいね。これは教育現場だけではないんです。
 そうした悩む教員が相談できる「はず」の、労働組合も機能不全か機能停止か、それで、たしか民主党の幹事長って、その県教組執行員長までつとめあげた人なんでしょうって、あんたがたの国政が、労働現場では希望の星になっていない好事例なんですよねえ:

日教組の組織率が昨年10月1日時点で前年より0.4ポイント減の26.2%で、過去最低を更新したことが2012年1月16日、文部科学省の調査で分かった。
 教職員団体全体の加入率は1.0ポイント減の40.2%で36年連続の低下だった。
 新規採用者の日教組加入率も2.4ポイント減の17.7%で過去最低

(共同通信2012/1/16 16:56更新「日教組組織率は26.2% 過去最低を更新」)
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012011601001867.html
 
 つまり教職員労働組合にも、声を代弁する圧力団体が年々先細りしているって、こういう事態をまず直視し、時代に擦り寄るのか、闘うのか、ビジョンとミッションを明示し、改善すべきところは改善し、駄目であれば次のリーダーに委ねる、とヤッホー君はこの襤褸具で強くお願いするわけですよ、ミンシュシュギだったらね。
 支持基盤の運動の前進と組織強化ができないならば、しようがないんだけど、せっかく頂点まで登ったんでしょうと、そうしたらもう少し、どんな眺望が見晴るかせているのか教えてくれませんか、とお願いしているわけなんですけど、できない相談なんですかね〜、とまたアタマを抱えて布団に潜り込みます。
 明日は出勤しないと。

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2012年02月08日

孤軍奮闘

 2月8日水曜日、針供養。
 ムカシ、ヤッホー君が小さい頃、田舎の家ではムラの嫁入り前の娘さんがたくさん来ていて、母が裁縫教室をしておりました。
 この日、ヤッホー君は雪道を長靴を履いて、豆腐屋まで豆腐を買いに行かされていましたね。
 その豆腐(半分は途中でかじって無くなっていたんでは…)に、使い古した針をさして、娘さんがお祈りをしていた光景が、つい昨日のことのように思いだされます。

 一番、歯切れ良く語っているいま旬の政治家は、田中康夫ではないのか、と思っていますヤッホー君ですが、1月27日の衆議院本会議で「代表質問」にたっています。
 しかし所詮、少数派。利害調整たってさ、圧力団体っていったってさ、結局は価値ではない、数が勝負をいうようで、数の多い方に流れる、逆に言えば数をとること、これが何事においても現実のミンシュシュギの戦法になるわけです。テレビのあっははおっほほ番組を見ても、これでもかこれでもか、と一億総白痴化を目指すわけです、権力側は。

世論調査で8割もの有権者が「賛同」する国会議員定数と国家公務員給与の削減は、必要条件の1つに過ぎず、十分条件では有りません。
 可及的速やかに実施すべき「のりしろ」程度の話。
 政治の迷走と官僚の横暴に対する怨嗟の声を見誤ってはいけません。

 パステルカラーに彩られた「一億総中流社会」の復権を、2年以上前に新党日本は掲げました。
 分厚い筈の「中間層」は疲弊し切っています。
 なのに、「社会保障と税の一体改革」は相も変わらず、労使のベア交渉の如き数字と時期の議論に留まっています。
 年金生活者より恵まれる生活保護受給者は昨年末に206万人を超え、総額3兆円を突破。4県に1県で最低賃金との逆転現象も生じています。
 他方、国立社会保障・人口問題研究所の予測に拠れば、日本の人口は7年前から減り続け、20年後には1500万人も減少。
 人口構成が富士山型だから維持し得た日本の年金制度を、今こそ大転換せねばなりません。

 乳幼児から高齢者まで毎月一定の金額を一律に、世帯単位でなく個人単位で配当するベーシック・インカム=最低所得保障の導入を提唱してきた理由です。
 地域密着型の事業で全ての成人に週20時間の就労と賃金を最低保証する「ベーシック・ワーク」という概念も提起され始めています。

 昨年末、国民新党の亀井静香代表と野田佳彦首相の会談に同席した僕は、国民の多くが疑問や不安を抱く「大増税・TPP・放射能」を念頭に、「フェア(公正)なタックス・トレード・エナジー(税制・通商・資源=TTE)」の確立が大前提、と僭越ながら諫言しました。

 日本の株式会社の7割、連結決算を導入する超大企業でも66%が、国税の法人税と地方税の法人事業税を1円も納付していません。
 利益に課税する仕組みだからです。
 一票の格差を上回る「不条理」。
 支出に対して課税する外形標準課税の全面導入が不可欠です。
 生産に掛かった国内での消費税額を海外への商品輸出に際し還付する、輸出戻し税の「不公正」を改善する上で、取引明細書=インヴォイスの導入も急務。
 総額年間3兆円に上る輸出戻し税は現在、最終販売業者の自動車、電子機器等の超大企業に還付され、材料や部品の中小納入業者には戻っていません。
 仮に消費税率10%になれば、大手企業へ還付される輸出戻し税は6兆円にも膨らみます。

 日米合作の中国包囲網と喧伝されるTPPこそ、公正な通商とは対極。
 対抗手段で中国がEUとFTAを締結したなら、モノ作り産業で日本と張り合うドイツは、部品や機械等の中間財を関税ゼロで中国に輸出し、現地生産の自動車市場で日本は大敗します。
 中韓、インド、豪州等を加えたASEAN+6で自由貿易協定を結び、その上でアメリカとも協調する戦略こそが必要です。

 「フウシマ」での除染は「移染」に過ぎず、更なる被曝の悲劇を生み出します。
 原発の周囲30km圏は「放射能に占領された領土」と冷徹に捉え、最終処分場として居住禁止区域に設定し、当該住民には国家が新たな住居と職業を保証すべき。
 役員総退陣のみでは、東京電力への巨額の税金投入に国民は納得しません。
 一時国有化でなく、往時の国鉄分割民営化に学んで、新社・旧社に分割処理する公正な気概こそ必要なのです

(12/1/23付け TPPより、公正なTTEを◆共同Weekly)
http://www.nippon-dream.com/?p=6833

 除染か移染か、そうなんですね。どんと祭のことでヤッホー君のこのブログ、2月6日付け日記「Mountain Equipment Co-operative」で名前をだした長野県議(無所属)今井正子さんはどんな質問をしたのか、と思いましたら:

放射能汚染への対策について

2011年3月東京電力福島第一原子力発電所の事故により、複数の原子炉がメトルダウンし、それによって膨大な量の放射性物質が日本中に拡散致しました。
8ヶ月たった11月11日、文科省は航空機で測定した汚染マップを公表し、北は岩手南部、西は群馬+長野県境(軽井沢・御代田・佐久・佐久穂)の一部で汚染の広がりは留まったと見ています。

 これを、福島第一原発を中心として円にすると、県境は250Kmの線上となります。
 ちなみに、円の半分は太平洋にはみ出ていて、(昨日の新聞のように)目にも見えなければ、航空機で測れもせずに放置されている。
 恐ろしい限りである。

 放射能汚染が強いと感じ、6月から軽井沢を中心に「子供たちが危ない!命が危ない!」と、立ち上がった「キッズアース」のお母さんたちを先頭に浅間山麓で放射能を考える人びとが増え、町にも県にも行動を始めた。
 時を同じくして、近接した小諸市御影の産業廃棄物業者に放射性物質を含む焼却灰が県の認可の下に埋められていることが発覚しました。

 福島を見据え困った国が突然「8000ベクレル以下ならOK」と発表したので、今まで500ベクレル以下の認可施設が、何の改装もなく、「今やっているコンクリートに混ぜる工法はとてもすばらしく、それなら放射性物質も安全だ」と、途端にお墨付きをもらったのです。

 放射性物質を除く産廃処分場として莫大な土地を買い、大きな地下都市のように掘ってあった場所が、突然5000ベクレルまでOKの放射性物質の処理場に変身してしまい、「許可を取り消せないか、ベクレル下げられないか、せめて県外は受け入れないとか、総量を規制しないと」と、住民はあわて出しました。
 このままでは、この地域は中部地方の「福島原発」になりかねないと、移住(避難)を考える人さえ出てきました。
 町や県も真剣に取り組み、測定や除染、子供たちの施設や給食の基準の見直し等をする中、10月に入り落ち葉の問題が起きました。
 軽井沢町の調査では、3200ベクレルという高い数値も出る中、県は11月14日、全県に落ち葉の野外焼却自粛を打ち出しました(ただでもセシウムの高い落ち葉ですが、燃やすと更に10倍から33倍くらいに濃縮するとのことでした)。

 環境部長に質問致します。
@ 腐葉土堆肥化の生産出荷禁止に加え、県は野外焼却自粛をしましたが、焼き芋や農業の剪定枝、お正月のどんど焼き、土手焼き、薪ストーブ等の規制・自粛についてはどうか。
A 一般ゴミとして焼却することによって灰に放射性物質が高濃度に濃縮されるのではないか、そうした灰の処理はどうするのか。
B 焼却施設のバグフィルターで、99.9%除去されるとのことですが、本当に安全なのでしょうか。逆に、0.01%程度煙突から出て行く可能性があり、日に120トンを処理すると、1200ベクレルとなります(心配です)。
C フィルターには放射能物質が蓄積されていくと思われますが、フィルターの交換の頻度、そして、交換したフィルターはどう処理されるのか。
D (軽井沢町は昨日、落ち葉排出用のボランティアのごみ袋を1世帯10枚まで無料で配布する通知を出しました。量によっては大変な金額になることと思いますが)場所によっては焼却を行った市町村に対し、財政面や処理方法の相談等について、県はどのように支援されるのでしょうか。

 また、除染基準や総量の厳格化等、国に対してはどのように働きかけをするのでしょうか。
 以上5点、環境部長にご答弁をいただき、内部被爆の恐ろしさが知らされているだけに、食品に対し不安を持っている県民に対し、その食品を持ち込んで検査できる体制を県で作ることはできないのか、健康福祉部長にお尋ねします。ちなみに軽井沢町は昨日購入の方向を示しました。

 続いて、もう一つ大きな問題となっています、放射性物質を含む焼却灰の受け入れについて、許認可権者である環境部長に5点お尋ねします。
@ 県は周辺住民への説明会を行うと言われていますが、すでに4ヶ月が過ぎます。いつ、どのような方法で行うのでしょうか。
A 施設内や周辺でのモニタリング調査はどのような頻度で行っていくのか。
B 前回、「万が一、周辺環境に影響が出た場合は厳格に対応する」と答弁されましたが、具体的にどのような対応を想定しているのか。想定される全てをお答え下さい。
C 降雨や融雪、地震や噴火の際、地下水等周辺環境が汚染されないか。また、されるとしたら、どのような対処を考えているか。
D 廃棄物処理法による、廃棄物には「放射性物質は除く」と定義されて作られたその法律で、作った以前からある廃棄物処理施設で原発事故後、現在放射性物質を処理していることに問題はないのでしょうか?

 また知事に対しまして、今回放射能施策担当部署を設置しましたが、具体的にはどのような任務で、県庁内、また市町村との連携はどのようにされるのでしょうか。お願い致します

(2011/12/5 月曜日「光る今井議員質問」)
http://cgvinsan.naganoblog.jp/e711421.html

 この少数派にあった議員は落選の憂き目にあいました。どうしてあの教育県でこの県議とつながり、彼女の奮闘を応援しようとする支持の絆が生まれなかったのか、ヤッホー君には不思議でならないのです:

4月10日の長野県議会議員選挙で、妻、北山早苗が負けました。
 三期目に挑戦した北山早苗は、信州・田中改革を引き継ぐ唯一の、無党派・草の根県議でした。
 8年前、デタラメな大政翼賛型の長野県政を変えるため、田中康夫氏と二人三脚で変革をして、大きな成果はあったものの、その後田中康夫氏は長野県を追われました。
 信州・田中改革は形を変えて、宮崎〜大阪〜名古屋改革へと波及しましたが、当の長野は、田中知事後、村井知事(自民)〜阿部知事(民主)の大政翼賛県政へと完全に後戻りしていきます。
 そんな中、北山早苗は孤軍奮闘し、「既成政党のしがらみにとらわれない」議員活動をしてきました。
 実際に、一般市民・草の根市民の支持を得て、理不尽な扱いを受けて来た県民の応援団として、身を粉にして働いて来ました。
 8年間全ての本会議で議場に立ち、徹底的な調査、裏付けの上で討論、質問をしてきました。
 長野県議会では、討論も議論もほとんどしない、できない議員が今回もトップ当選、上位当選しています。
 これが長野県の現実なのです

(VINSANCHI ビンサンチ 4月14日「信州・田中改革の終焉。県議選、北山早苗敗れる!」)
http://cgvinsan.naganoblog.jp/e711421.html

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2012年02月07日

UK Co-operatives

 あのさ、何度も繰り返すけど、組織のお偉いさんが飛行機に乗って、組合員の剰余金で茶坊主どもを従えて大名旅行、おまけに日当までもらって海外出張したって無理、無理、人と人との交流なんてできないんじゃないんですかって、ヤッホー君は叫んできました。

 北関東でヤッホー君がもっとも尊敬しているお医者さんは怒っていますよ:

がんセンター理事長の選び方というのも、今回初めて知ったのだが、厚生労働省の主催する選考委員会が決める。
 ただし、その委員会は、非公表であり、当然人選は行政が行なっているのだろう…ということは、行政にとって都合の良いような人物を、独立行政法人理事長としていると想像できる。
 行政に批判的な人物、行政の天下りを渋るような人物を排除する選任制度になっているのだろう。
 この制度は、独立行政法人全般に適用されているらしい。
 今回、幾つかの独立行政法人理事長の改選が行なわれたが、嘉山氏以外は再任だった様子。

 独立行政法人が、官僚の支配下に置かれている状況を示す出来事なのだろう。
 これではいけない。
 官僚機構という固定化し、自己増殖を目的とする組織が、国の制度を侵食している


 これはムラ社会の典型例でね、組合員、構成員なんて、どうにでもなるもんだよっていう独占的、専制的、非民主的な北朝鮮みたいな組織論が跋扈しているんですね。
 これが今の政局をだめにしているところですよね。
 少なくとも政策論争をして、ミッションとゴールを語り、だから私が最もその達成に相応しい任務を遂行するんだと、ならないといけないのに、何もかもどこか雲の上で決まってしまうもんです。
 これが若者の閉塞感のひろがりとも関連しているわけですよ。
 
 飛行機のなかで、無料だ、というので浴びるようにワインを飲んで意識不明になった専務理事なんていましたね、ホントあほやぁ、それ以来、この御方とは交際を絶っています。

 ところでイギリスは、というと:

The UK co-operative sector is diverse and vibrant. There are 5,450 independent co-operative businesses in the UK, working in all parts of the economy.

Together they have a combined turnover of over £33 billion and have outperformed the UK economy as a whole, growing by 21% since the start of the credit crunch in 2008 to create a thriving co-operative economy.

Co-operative businesses in the UK employ 236,000 people and are owned by 12.8 million people, that’s over one in five of the UK population.

 そのなかでは、こんな協同組合も:

This publication can be downloaded for free from www.uk.coop/simplystartup Co-operatives UK, Holyoake House. Hanover Street, Manchester, M60 0AS
http://www.uk.coop/sites/default/files/docs/SimplyStartUp_0.pdf

 いろいろ。

 このイギリスでもっともいまはぶりのいいのは、The Co-operative Groupでしょう:

The Co-operative Group is the UK’s largest mutual business, owned not by private shareholders but by over six million consumers. It is the UK’s fifth biggest food retailer, the leading convenience store operator and a major financial services provider, operating The Co-operative Bank, Britannia and The Co-operative Insurance. Among its other businesses are the number one funeral services provider and Britain’s largest farming operation. As well as having clear financial and operational objectives, the Group has also set out its social and sustainability goals in its groundbreaking Ethical Plan, which specifies almost 50 commitments in these areas.

The Group operates 4,800 retail trading outlets, employs more than 106,000 people and has an annual turnover of more than £13bn.

http://www.co-operative.coop/corporate/aboutus/

 そうなんです。歴史は1844年までさかのぼります。いま国連協同組合年に併せて、ドキュメンタリフィルムを上映中です。イギリスは協同組合発祥の地なんですね:
http://www.co-operative.coop/2012/men-of-rochdale/could-you-be-an-extra1/

Rochdale Pioneers Society established, starting a period of phenomenal co-operative growth. Based on their eight 'Rochdale rules', including distributing a share of profits according to purchases that came to be known as 'the divi'.

The Rochdale Equitable Pioneers Society was formed by 28 workers - ten of them were flannel weavers whilst others were cloggers, shoemakers, joiners or cabinet makers.

There had been earlier co-operatives, many of which had run into difficulties and ceased trading. The Pioneers learned from those experiences and from the writing of people like Robert Owen, George Jacob Holyoake and William King and built a workable model of co-operation that could be replicated by other groups of people.

The 1840s was known as the “Hungry Forties” with high levels of unemployment and those who were in work had seen their wages reduced by large amounts. Retailers at the time often did not give fair weights of goods bought and food adulteration for example adding chalk to flour was common. The Pioneers’ society promised to sell good quality produce at full weight and fair prices.


http://www.co-operative.coop/2012/men-of-rochdale/could-you-be-an-extra1/

 さ、多分この国では、こういう市民がつくる連帯の経済、協同の経済なんて、要するにウザッタイ、官僚諸君はそんなウザッタイ設立を難しくすることだけにして、既存の協同組合を保護しつつ指導し、新規参入を困難にしているだけだと、思いますが、若者よ、ぜひ海外に目を向いて、交流、連帯、交換を深めてくださいね。
 へんなところがあったら、打破していきましょうよ!ヤッホー君もがんばるって!

 TPPに反対するだけでなく、国境を越えた資本の提携でない、人と人の提携による経済と、剰余金の最大化でなく、価値の最大化に向けて力をあわせていきませんか。ね、皆の衆!

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2012年02月06日

Mountain Equipment Co-operative

 2月6日月曜日、小正月です。
小正月に火祭りを行う「どんど焼き」行事の名称は…地域によっては、北陸、東海地方、そして京都府で「左義長」、大阪府で「とんど焼き」、九州では「鬼火焚き」と呼ばれる。静岡県では「さいと焼き」という地域もある(全国では20種以上の呼び名がある)…

 どんど焼きはOKと放射性物質への懸念について長野県が見解(2011年12月3日)

 長野県では、福島原発事故の影響で放射性物質が蓄積しやすい落ち葉のたき火を自粛するよう県民に呼び掛けているが、正月飾りなどを燃やす「どんど焼き」や土手焼きについては「通常通りの実施で差し支えない」との見解を示した。一方、農家が行う剪定作業で出た剪定枝については、国から基準が示されておらず、当面、焼却せずに農地で保管するよう要請する。
 同日の県議会一般質問での今井正子氏(無所属)への県側が答弁した。どんど焼きで主に使われる稲わらは、県が9月上旬まで県内5カ所で実施した検査で放射性物質が検出されなかったことから問題ないとした

(NPO法人地域資料デジタル化研究会)
http://www.digi-ken.org/~archive/koshogatu.html

 この法人格はNPOとあります。NPOって、今年の国連・協同組合年とどう関連するのかな? そもそもの概念が違うからって、関連はしないのかな? じゃあ、国連・NPO年ってあるのかな? 別途つくろうとしているのかな?
 
社会に競争は付きものだし、切磋琢磨を否定するわけにはいかない。だが、行き過ぎた競争がひずみを生むのも確かである。今の社会に必要なのは人々との「協同」であり、連帯に根差した社会づくりである。
 極限に達した感のある市場原理主義の中で、非正規雇用、ワーキングプア、あるいは勝ち組や負け組といった言葉が生まれた。そんな温かみのない、理不尽な社会を私たちは目指したのだろうか。
 単なる金もうけ主義ではない経済活動を。そんな意味から、「連帯経済」という言葉も使われるようになりつつある。これまでの経済が疎外してきた弱い立場の人々を、社会的な連帯で救っていこうという考え方だ。
 その一翼を担うのが協同組合組織である。国際協同組合年に合わせ、国内の生協や農協などが加わって国際協同組合年全国実行委員会が組織化され、記念行事や啓発活動が繰り広げられる。
 そうした活動を通じて、人に優しい経済、社会の仕組みが少しでも広がることに期待し、エールを送りたい

(2012年2月4日土曜日付け河北新報社説「国際協同組合年/共助組織の意義、再評価」)

 この協同組合って、そのなかでも生協って、どうするとできるのかな? って法律を読んだら:

『(設立者)
第54条  消費生活協同組合を設立するにはその組合員になろうとする者20以上が、連合会を設立するには2以上の組合が発起人となり、設立趣意書、定款案、事業計画書及び発起人名簿を作成し、賛成者を募らなければならない。
(創立総会の招集)
第55条
2 前項の賛成者の数は、消費生活協同組合にあつては、少なくとも300人を必要とする。ただし、特別の理由があるときは、この限りでない』


 一方で、NPOの設立要件の人数は、というと:

『(認証の基準等)
第12条
4 当該申請に係る特定非営利活動法人が10人以上の社員を有するものであること』


 ヤッホー君は、カナダ在住の折り、MEC(Mountain Equipment Co-operative)の組合員になりました。ここはでっかいけど、しっかり信用を勝ち取っております:

MEC was born in a storm in the backcountry. In 1970, four mountain climbers, students at the University of British Columbia, were hunkered down during inclement weather in their tent at the base of a glacier on Mount Baker in Washington state. They’d been buying their gear in Seattle and were tired of it. They talked of their percolating idea to open an outfitter in Vancouver to sell quality backcountry goods at a reasonable price, and decided to take action.

Four decades later, MEC has just opened its 14th store, in Barrie, Ont., north of Toronto, and boasts 3.3 million members and annual sales of more than $260-million. The cost for a lifetime membership in the co-op – required to make a purchase – remains $5, the original price.

(Mountain Equipment Co-op: Reinventing an outdoors icon
David Ebner, VANCOUVER− From Tuesday's Globe and Mail, Last updated Thursday, Apr. 14, 2011 5:06PM EDT)

 つまり、4人の山男たちではじめた協同組合なのですが、「でっかい」と思わずヤッホー君が言ってしまった理由は;

カナダには約8、800の協同組合があり、組合員総数は1700万人で、カナダ人の3人にひとりが組合員になっています
(世界の生協MAP)
http://jccu.coop/world_coop/n_america/canada.html

 あのお、1700万人を8800で割ると、1931人、つまり平均してひとつの協同組合あたりの組合員数は1932人(?)、もう一度計算してもそうなんですね、つまり、この国では、シュウカツが大変だと言われていますが、その一方で起業家になれば、という論も識者よりなされます。だけどそんな個々人に向かって言うのでなく、シュウカツが大変だと思う若者が、そや、はじめよか、と思うときに、この国では、法律が足枷となって、協同組合とかNPOが道具になっていないのでは、ということなんですねえ。

 カナダの場合、協同組合ってどうやったらできるんでしたっけ。さ、勉強しようってヤッホー君、思い立つが吉日、なんでしょうが、もう10時過ぎ、ぉ寝んねの時間なんですね、明日の仕事にも差しさわりがあるといけないって、ね、これだからヤッホー君、せっかくいい所までいくんですが、なんでもいっつも中途半端で終わってしまうようで、おやすみなさいって言っています、ごめんねぇ眠い(睡眠)

The Canadian Co-operative Association provides leadership to promote, develop and unite co-operatives and credit unions for the benefit of people in Canada and around the world. Our members come from many sectors of the economy, including finance, insurance, agri-food and supply, wholesale and retail, housing, health, and the service sector.
http://www.coopscanada.coop/

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2012年02月05日

代々木公園

 ヤッホー君、やっぱりお出かけしていました。
 どうしても代々木公園へ!秋尾沙戸子『ワシントンハイツ』を手に持って。
 「渋谷門」より入場、「南門」近くの「日本航空発始の碑」を目指しました:

日本初飛行の地.jpg

7時50分これなら十分なりといよいよ飛行に取り掛からんとせし頃、東方雲破れて燃ゆるが如き旭日出でたり、風全く凪ぎて焚火の煙は低く周囲に棚引く。
 発動機回転を初めて数秒時分は好しと徳川大尉が左手を上げて、出発の合図を為すと共に、機械の出動を抑えていた数名の兵士はパラパラと分かれて飛行機の後に続く2台の自動車に急ぎ乗る。
 滑走30米早くも飛行機は地上を離れて悠然として梯子なき宙高く、登りつつ進む…。
 富士の雪紅燃えるが如きをめがけて飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ

(2010年(明治43)年12月19日付け朝日新聞記事より)

 そうなんです。代々木公園は国策によって翻弄されます:

江戸時代、現在の代々木公園一帯は、甲州街道と大山街道に近い、江戸城防衛のために置かれた大名や旗本の屋敷群の連なる武家地であった。
 その後2009(明治42)年には陸軍の練兵場になり「代々木の原」と呼ばれるようになった。
 明治天皇薨去後、練兵場に隣接する南豊島御料地に明治神宮を造営することが決定。1915(大正4)年から工事が開始された。全国から献木された約10万本の樹木が新たに植えられ、今ある明治神宮の森が形作られた。
 隣接する練兵場は、当初は草原であったが、演習などでその使用頻度が高くなるにつれ、砂ぼこりが舞い立つ荒地となり、周辺住民にはその被害をもたらした…。
 現在代々木公園がある場所が、都市計画公園として計画されたのは、実は1945(昭和20)年12月、戦災復興の基本計画が決定された時であった。
 しかし、その土地は連合国により接収され、ワシントンハイツとなり、その後、返還されて東京オリンピックの選手村になるという変遷を経たのである。
 ワシントンハイツとは、米軍将校家族宿舎であり、敷地面積2万7000坪、住宅戸数827戸、学校、教会、劇場、クラブ、診療所などの施設も含む大規模施設。
 代々木練兵場跡地に建設され、東京都が全建設費用の約40%を負担、東京都内における占領下の最優先事業として行われた。工事が開始されたのは1946(昭和21)年8月、そして翌1947(昭和22)年9月に竣工している。
 その後、1960(昭和35)年に、1964(昭和39)年の東京オリンピックの開催が正式に決定。メイン会場である神宮地区に位置するワシントンハイツが選手村の用地として嘱望された。
 各方面の努力の結果、昭和36年には接収が解除され、オリンピックの選手村は、ワシントンハイツ時代の施設をほぼそのまま活用しつつ建設された。
 その時点は、ワシントンハイツ内には、249棟543戸の木造住宅と、4階建て鉄筋の14棟のアパートがあり、それらをそのまま転用して、選手のための宿舎に充てた

(2008年2月号『東建月報』、『東京人』副編集長鈴木伸子「東京オリンピック選手村という歴史を経てできた都心の森林公園代々木公園」)
http://token.or.jp/magazine/g200802.html

日本で初めてエンジン付き飛行機の飛行実験に成功した徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉のフライトから100年を迎えるのを祝い、記念式典が2010年12月19日、初飛行の地、渋谷区の代々木公園で開かれた。
 式典は、初飛行30周年の1940(昭和15)年に朝日新聞社と大日本飛行協会が建立した「日本航空発始之地」記念碑の前であった。
 徳川大尉の長男豪英さん(88)=神奈川県横須賀市=、日野大尉の長男虎雄さん(99)=同県藤沢市=のほか、日野大尉の故郷、熊本県人吉市や渋谷区の関係者ら約70人が出席した。
 豪英さんは「もともと私の父は飛行機は素人。兄のような日野大尉がいたから、初飛行を成し遂げることができた」とあいさつした。
 徳川大尉はフランス製の複葉機に、日野大尉はドイツ製の単葉機に搭乗し、1910(明治43)年12月14日から19日にかけて当時の代々木練兵場で飛行実験に取り組んだ。
 壮挙をひと目見ようと数十万人が集まったという

(2010年12月20日付け朝日新聞「国内初飛行100年、偉業しのぶ 代々木公園で記念式典」)
http://mytown.asahi.com/areanews/tokyo/TKY201012190251.html

日野大尉の碑の横にはこのような格調高い歌が:

限りなき大空
限りある人生
限りなき代々の祖国のために

限りある現世の定命をささぐ


 それからヤッホー君、「西門」に向かいますが、青テントムラにびっくり。この小路は「思索の道」と呼ばれているようですが、なかなかどうして、「勝ち組」によって「負け組」に追いやられ、抗議も主張もせず、ただ「自己責任」という名で諦念しきっている大ぜいの人間たちの生活の場がありました。今年は寒いでしょうに、ね。

青テント.jpg

 そして「西門」から、「中央広場」に向かい、次なる碑と出合うことができました。「十四烈士の碑」です。

十四烈士の碑.jpg


建碑由来 十四烈士自刃当時、当地は代々木練兵場であったが、米占領軍は進駐直後にこれを接収、将校宿舎ワシントンハイツを建設。
 日本人の立ち入りを禁止した。
 1952(昭和27)年講和条約が発効するや、景山正治塾長はこの自刃現場の返還を求めたが、交渉は難航した。
 しかし諸方諸氏の献身的努力により1958(昭和33)年に到り、建立する碑の高さ大きさに制限を付して漸く許可となり、翌1959(昭和34)年、この碑が建立された。
 1964(昭和39)年、東京オリンピックに当り、この全域はその選手村として米軍より日本に返還され、その終了後、東京都は代々木公園を造成、開園。
 漸く日本国民が自由に参拝できるやうになった。
 当地は以上の如き経緯を有するが、建碑に当っては米軍進駐前に採取した血染めの砂が碑の下に納められてゐる


 ヤッホー君は深々とアタマを垂れて烈士のご冥福と世界平和と山歩クラブの前進とを、お祈りしてきました。

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クリスティーヌ・レヴィ

 「日曜あさいちばん」というNHKラジオ番組が日曜の早朝、午前5時〜7時55分にあります。

最新のニュースや、気象、交通情報をベースにしながら、名作を旬の俳優が朗読する「文学のしずく」、全国各地の思い出の音を紹介する「音に会いたい」、さまざまな分野で活躍する第一線の方に話を聞く「日曜訪問」など、 日曜の朝の時間帯にゆったりとくつろげる多彩なコーナーをお届けします。
 キャスターは古谷敏郎アナウンサー。
 12年ぶりに朝のキャスターを務めます。しかもラジオの長時間生放送は、初めての経験です。「役立つ番組」「楽しめる番組」そして「参加できる番組」をめざします

http://www.nhk.or.jp/r-asa/bansho.html
 
 今朝の「文学のしずく」のコーナーは、夏目漱石『こころ』(朗読は内田朝陽、1982年東京出身、著書に『もしもお月さまがさくらのようなももいろで(2008年、講談社)』があります)。

 ね、本って、眼で字を追って読むのもいいけど、音で聴くのもいいですね。
 寒い冬の朝に、暖ったかい布団にネコみたいにくるまって、聴くぞ、と身構えているのでなく、たまたま手をラジオに伸ばしてスイッチを入れたら、静かに朗読が流れてくる、というシチュエーションの力も大きいのでしょうが。。。

 読むのもいいですね、この朗読者の若い俳優さんのその本に収められている『ピーマンくん』というのがあって、これもまた良いんで、本屋さんの児童書コーナーで見つけてぜひお買い求めのうえ、お子様と声を出してお読みくださいね:

きゅうしょくにでてくるきみは
ティッシュにつつまれてかくされていたり
学校のごみばこにすてられていたり
ランドセルの中にかくされていたり
ちょっと見えるだけで
『きらい』っていわれたり
(中略)
ピーマンくんに、
もしもこころがあったなら
どんなにかなしくおもうだろう
ピーマンくんがきみだったら
きみは、なんておこるだろう
(中略)
『げんきになるぜ』ってたべようよ
『にこにこ』わらってたべようよ
ピーマンくんもわらってる
(丸善:著者インタビュー)
http://www.maruzen.co.jp/Blog/Blog/maruzen05/P/11372.aspx

 実は、そんな朝が昨日の土曜日にもあったんですよ、敗戦直後のすさんだ風景に「こころ」を絡めとられ、『ワシントンハイツ』との出会いで日記にできませんでしたけど。

 それは、ヤッホー君のこのブログで何度も取り上げてきた理不尽な暴政、冤罪にもかかわらず権力におもねる司法、大本営発表しか報道しないジャーナリスト不在のメディアの象徴ともいえる「大逆事件」のことでした。ヤッホー君の9月10日付け日記「秋の歌」、11月15日付け日記「墓前祭」に記してあります。

 「明日へのことば」でした!「大逆事件・フランスの反響」と題してお話ししてくださったのが、フランス・ボルドー大学教授、クリスティーヌ・レヴィさんでした。
 これってラジオだけでなく、先月1月29日には、テレビETVで放送されていたんですね:

日露戦争にあたって非戦を唱えた幸徳秋水、堺利彦。
 二人は日本の社会主義思想の始まりをリードしたが、1910年の大逆事件で幸徳秋水は処刑される。

 近年、大逆事件で処刑された人々の復権が熊野、岡山など日本各地で進むなか、非戦と平等を唱えた幸徳と堺の再評価の動きがひろがっている。
 フランス・ボルドー第3大学教授のクリスチーヌ・レヴィさんもその一人だ。
 ユダヤ人の伯父を第2次世界大戦で失ったレヴィさんは、帝国主義の時代が始まろうとする時、「非戦」を唱えた幸徳と堺の存在は世界的に評価されると考える。
 レヴィさんは幸徳の主著『廿世之怪物帝国主義』をフランス語に翻訳。二人が非戦と平等の思想を生み出した背景を探っている。

 大逆事件は当時、アメリカやフランスでも注目され抗議が行われたが、幸徳ら12人が処刑される。
 残された堺は遺族を訪ね歩き、「社会主義・冬の時代」を生き抜いていく。
 文筆でなお「非戦」を唱え続けた堺にも新たな光が当てられようとしている。

 番組ではフランス人レヴィさんの目で、非戦を唱えた幸徳と堺の思想を世界史の中で見つめていく。
【出演】クリスチーヌ・レヴィ(フランス・ボルドー第三大学教授)、山泉進(明治大学教授・副学長)、三宅民夫アナウンサー

(昨年2011年12月21日 NHK広報局報道資料 Eテレ特集シリーズ『日本人は何を考えてきたのか』) 

 お話しなさった言葉はフランス語ではないのです、とても流暢な日本語でした!

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2012年02月04日

ワシントンハイツ

 土曜日、暦のうえでは「立春」ですが寒い日が続いております。
 昨晩の続き、うん、2月に入る前、1月31日の深夜に起こったある出来事がヤッホー君の不在の現在・過去・未来に凍てついたまんま現れてくるのです。
 もう65年も前のこと、1947(昭和22)年でした:

1月31日午前8時、ゼネストが強行された場合に備え、(米陸軍)第8軍は警戒態勢に入った。
 午後4時、マッカーサーは
「衰弱した現在の日本では、ゼネストは公共の福祉に反するものだから、これを許さない」として、ゼネストの中止を指令した。
 伊井委員長はGHQによって強制的に連行された。
 NHKラジオのマイクへ向かってスト中止の放送を要求された伊井は、午後9時15分に
声がかれていてよく聞こえないかもしれないが、緊急しかも重要ですからよく聞いて下さい。私はいま、マッカーサー連合国軍最高司令官の命により、ラジオをもって親愛なる全国の官吏、公吏、教員の皆様に、明日のゼネスト中止をお伝えいたしますが、実に、実に断腸の想いで組合員諸君に語ることをご諒解願います。
 敗戦後の日本は連合国から多くの物的援助を受けていますことは、日本の労働者として感謝しています。
 命令では遺憾ながらやむを得ませぬ。
 …一歩後退、二歩前進」と、マッカーサー指令によってゼネストを中止することを涙しながら発表し、
「日本の労働者および農民万歳、我々は団結せねばならない」と締めくくった。
 翌2月1日には全官公庁共闘と全闘が解散した。
 また、伊井は占領政策に違反したとして逮捕され、懲役2年を宣告された

(ウイキペエディア)

 オキュパイ運動って、実はもう65年以上も前にこの国には起こっていたのであります:

砂塵巻く代々木練兵場が、(1945年9月)8日進駐の米軍騎兵第一師団の手で一夜のうちに大幅街路が縦横に走る一大キャンプシティに化けた。
 惜しみなく投ずる資材と幾百万人力にとって代る機械力をもって、野でも山でも林森でもみるみる意志のままに征服してゆく快速ぶりに、残念ながら眼を瞠りつつ設営第一日のキャンプ市を訪問する

(「朝日新聞」昭和20年9月10日)

 ところが同新聞の前年、昭和19年4月30日では、同場所の取材記事にはこんなことが:

空の爆音、鉄輪の呻き、空地共鳴の立体交響楽の感激と興奮は極まりない。
 巨砲の隊列につづいて制空部隊が最新鋭鉄壁の備えを示し、軍楽隊の音律さらに一変して「速歩」を奏すれば、近衛騎兵が颯爽と紅白の槍旗をはためかして華麗絢爛の疾駆、その後には各種戦車隊約500輌が猛然快速、壮音を高ならせる。
 掩蓋上に起立して挙手敬礼申し上げる戦車長のもと、操縦桿を握る中には少年戦車兵も多く、御前行進の感激はいかばかりか。
 装甲車に連らなる自動車部隊を最後として分列式は終了した


 いずれもこれは、秋尾沙戸子(1957年名古屋市生まれ、東京女子大卒、ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師)の『ワシントンハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-(2009年、新潮社)…第58回日本エッセイスト・クラブ賞受賞、昨2011年8月新潮文庫入り)で引用されています。

今では想像もできないが、かつて東京の代々木公園、国立競技場、NHKなどの一帯にワシントンハイツと称する日本人立ち入り禁止区域があった。
 その敷地面積は「277,000坪」(「都政10年史」)に及び、住宅、病院、学校、劇場、教会、商店街、さらに変電所まで有していた。
 いわばそこは「日本の中のアメリカ」だった。

 日本は太平洋戦争に敗れてGHQの占領を受けいれるが、この地域はアメリカの将校とその家族が住む巨大な街である。
 1947年9月に完成、そして東京オリンピック前に日本に返還され選手村として使われた。
 1965年に解体されて現在の姿に変貌した。
 本書はこのワシントンハイツにかかわる歴史的な事件や事象を見つめ、この地に住んでいたアメリカ人家族、二世の人たち、生活、文化の交流をはかった日本人などに多角的に話を聞きまとめられている。
 ありていにいえば、「地理的空間」を軸に「歴史的時間」を交錯させた異色のノンフィクション作品である。

 この地は戦前には代々木練兵場であり、日本陸軍の中心地でもあった。
 2.26事件の青年将校の処刑された地。
 敗戦時には国家主義団体大東塾の青年らが自決している。
 つまりここはきわめて日本的な空間でもあった。
 アメリカ側はそこにアメリカンデモクラシーの旗を立てるとの意図もあった。
 著者の目はそのことを見抜き戦後を象徴する構図として筆を進める。

 登場する人物の多様性にも驚かされるが、とくに日本国憲法の草案づくりに加わった将校(M・エスマン氏)から占領政策の転換期にアメリカ側の再軍備要請に日本人が新憲法を支持して抵抗したことについて、戦前の日本社会にも民主主義の芽があったこと、国民が軍閥を恐れていたことを引きだしているのは特筆に値する。
 こうした新証言が随所に見られる。

 本書の魅力は、後半部での著者の分析にある。
 長年の国際派ジャーナリストの取材力を生かした歴史観は史実を整理したうえでの日本人論、アメリカ観でもあり、次代への先見性をもっているように思える

(2009年10月4日付け朝日新聞[レヴュー・書評]、評者:保阪正康)
http://book.asahi.com/review/TKY200910060160.html

 必読です。
 ヤッホー君は明日の日曜日、本書を携えて、イーチャリならぬイーメトロで、「代々木公園」駅下車して、徘徊することに決めたそうです。

 当時の東京人と会えるかな?

占領軍は代々木キャンプで出た残飯をキャンプの端のほうにアナをホってその中に捨てていた。
 食糧不足で空腹であった区民はその匂いに誘われて、夜になると有刺鉄線をくぐって盗みにいった。
 そういう区民が占領軍にみつかり、ゲリラの進入と間違われて射殺されたこともあったという

(同書で引用された「渋谷区議会史」)

昭和21年、発疹チフスの流行により全国で32000人以上の患者を出し、うち3300名が死亡している。
 東京では9864名の患者のうち、死者は914名だった…
 発疹チフスの患者がみつかると、その家族と近隣住民が100人を目安に予防接種を受けさせられた。
 また患者の家から150ヤード(約137m)の地域内の全居住者に対してDDTが散布され、集中的にシラミ駆除が行なわれた…。
 翌年(昭和22年)の東京都における発疹チフス感染者は、わずか1名となっている


 そんな時代背景のなかで生まれた「労働者福祉運動」だったのですね。

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2012年02月03日

節分

 仲間っていいですよね。
 以前、山形の仲間が天日干し、無農薬の感謝米「ひめの餅米」を送ってくれた、とヤッホー君のこのブログで紹介したら、さっそくご近所の仲間から、缶詰「炊飯器で炊ける赤飯の素」をいただきました。
 この缶詰の製造者は、岡山県和気郡和気町和気814にある「谷尾食糧工業(株)Tel 0120-75-8882」です。北海道十勝産大豆100%使用、海洋深層水塩使用とあります。
 こんなに和気が続くと訳あり、自然に和気あいあいとなりますから不思議。
 この製造者がお使いになる北海道十勝産大豆、とは:

『■ 安心安全なクリーン農業
 病害虫が発生しにくい気候や、広大な大地を活した「輪作」などによって、面積当たりの農薬使用量は、全国水準の半分程度になっています。
 さらに、農薬や化学肥料の使用を必要最小限にとどめて、より安全で高品質な農産物づくりを目指すクリーン農業を進めています。
 わが社の餡製品の多くはクリーン農業を行う『北海道産小豆』を使用しております

http://www.tanio.co.jp/index.html

 そうしましたら、今日の節分、2月3日金曜日には北海道の仲間からなんと、なんと「松前漬」をいただきました。
 食料品はありがたくお受けします。この製造者は、「あさみ商店・浅見千恵子(北海道松前郡松前町字福山1-15 Tel 0139-42-3500 Fax 兼用)」。「北海道松前藩観光奉行」のサイト、通信販売のコーナーに載っていますので、ご注文ください:

北海道松前町の沖の口公園の東側にある海産、珍味の店「あさみ商店」です。
 200年余り経つ石倉の中で、頑固親父と肝っ玉母さん夫婦で「安くて美味しいもの」をモットーに松前産の海産物を中心に商い中です。
 北海道松前産のするめと天然昆布を使用し数の子を入れ、真心こめて手造りした逸品です。保存料等の添加物は、一切使用しておりません

http://www.asobube.com/database.cgi?dbnum=18&dbkonum=0

 里山での山の幸、前浜で獲れた海の幸は、ヤッホー君の気持ちを落ち着けさせ、和気藹々とさせるにに十分です。山歩クラブの10周年記念交流・祝賀会に供しないといけませんね。

 ところで、昨晩のパーティ、もう一度、考えて見ましょうか。

 おさらいです。タイトルは、「温故知新」。まずは、≪ろうきん≫:

1950年、労働運動と生活協同組合運動の中から、岡山と兵庫にはじめて〈ろうきん〉が誕生しました。
 その後の5年間で沖縄を除く全国の都道府県に〈ろうきん〉が設立され、1953年には労働金庫法(昭和28年法律第227号)が制定されました。
 当時の〈ろうきん〉は、戦後の混乱した社会環境の中で、働く仲間の生活防衛に大きな役割を果たしてきました。
 当時、勤労者は社会的信用力が乏しかったために、銀行から融資を受けることが難しかったのですが、〈ろうきん〉は、そのような働く仲間の生活を守るために融資を行ってきました。
 また、災害時の緊急貸付け、不況時の賃金遅欠配対策貸付け、高利肩代わり貸付けなど、〈ろうきん〉は、広い意味での生活貸付けを積極的に行いました

http://www.rokinren.com/rokin/07-002.html

 ついで≪全労済≫:

戦後、労働組合や政党の活動が、自由に行えるようになり、協同組合においても、1945年には、「日本協同組合同盟」が結成され、賀川豊彦氏が会長になりました。
 1946年、金融制度の民主化の中で、「保険業法」改正に際し、協同組合にも保険事業を認めようという案が、いったんは文章化されます。
 しかし、隣接業界等の反対により、ついに「協同組合保険」は実現しませんでした。
 その後、協同組合関係者は、各種協同組合法の立法にあたり、「共済」という形で事業の根拠を創り出していきました。
 1947年農協法成立、1948年生協法成立、1949年中小企業等協同組合法成立。いずれにも「共済事業」が挿入されました。
 こうして、1950年前後から、労働組合や生協関係者の間にも、労働者福祉運動の一つとしての共済事業に関する関心が高まり、労働組合福祉対策中央協議会(中央労福協)や、日本生協連が共済事業を提唱します。
 労働組合を中心とした共済活動は、こうした時代を背景に、1954年12月に大阪で始まり…いずれも、発足にあたって、まず火災共済事業を手がけました。
 特に新潟では、発足のわずか5カ月後に大火災に遭遇しました(1955年)が、組合員の総力をあげて取り組んだ結果、掛金収入を上回る給付金の支払いという困錐を乗り越えることができ、共済事業の歴史に残る一歩を標すことになりました

http://www.zenrosai.coop/zenrosai/ayumi/index.php

 でも保険業界や銀行業は、おトモダチのご指導、構造調整の名のもとで、郵便局と同じように、ろうきんやZENROSAIに集まったこの国の勤労者、従業員、労働者、組合員の資金が唾がでるほど欲しいんですって。舌を出して近づいてきています!
 ほら、1950年になる前、あんなことがありましたよね、また明日!
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2012年02月02日

中央労金設立10周年記念

 山歩クラブも4月総会が第10回目。
 今日、2月2日はヤッホー君、中央労金の10周年行事として、「世田谷支店会員交流会・祝賀会」に参加してきたわけですが、大変参考になりました。
 ヤッホー君のことですから、また、いろいろとご報告していくかと思います。
 ま、考えていたのは、10年、というけどその前に「労働福祉運動」というのが50年あって、そのうえでの60年、つまり還暦。あの八ッ場ダム建築構想と同じくらいの時間軸がたっているわけです。
 それと、笹森清労福協の会長(2009年当時)さんの一橋大学でのお話しの文字起こししたものをもう少していねいに理解しないと一知半解とか言われてしまいますので、少々お待ち下さいませって。

労福協がコーディネートしながら働く人のための金融機関として労働金庫や企業別に実施していた小さな共済事業を全国に展開させた全労済を発足させます
…笹森清「連合運動の20年」、2009年7月4日一橋大学大学院社会学研究科フェアレイバー研究教育センター主催「社会運動ユニオニズム研究会」での報告。

 いつ、どこで、そして、ね、雪もシンシン降っていますが、ヤッホー君の興味もシンシンなのです!

 これまで述べてきたTPPについて、労働組合側が原発同様、推進派、支持表明しているわけですので、どれほどの危機感を労働組合側がもっているのか、ぜんぜんわかりませんが、「ろうきん」や「ZENROSAI」は、アメリカ型マネーゲームのM&Aによる買収、合併、消滅の格好のターゲットになっていますよね。さ、これも≪ウルトラアイコクシュギシャ≫のヤッホー君は今年、注視して警告表示をしていくことになるのでしょう。

 いずれにせよ今日は、楽しかったです:

第一部
「ルミネtheよしもと」にて会員交流会
第二部
京王プラザホテル43階「ムーンライト」にて祝賀会

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2012年02月01日

五之橋南詰

新たに企業の所有者になろうとする資本を全てハゲタカと呼んで忌み嫌い排除し、既存経営陣を温存し緩慢な経営が放置されることで、結局、企業は成長する機会を失ってしまいかねない。
 すなわち、既存の経営陣が存続し続けることが、企業全体や従業員にとって必ずしもプラスではなく、M&Aによって会社の所有者が変化することによって従業員が救われることも多いのではないだろうか。
 つまり、一概にハゲタカは白馬の騎士によって退治されるべきなのか、疑問の余地があるとは言えないだろうか

(柳川太一、財務総合政策研究所、平成19年東大大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻修士課程修了、「日本のM&Aを考える」『財務省広報誌・ファイナンス2011年5月号』所収)

 アタマの悪いヤッホー君、これも、よく分からない議論です。マネーゲームに対してなにも言っていない結論です:
(1) ハゲタカか白馬の騎士かの二者択一ではない
(2) 従業員のうつ病による休業や果ては自殺まで考えると、M&Aや成果主義導入で、この国の従業員が幸せになったか、不幸せになったか不明
(3) 所有者を規制するのは株主であろうし、従業員でいえば労働組合だろうし、こうした関係主体による経営参加の実態がみえない
と少なくともヤッホー君には思えるのです。

 もう古いデータなんでしょうが、総務省の2007年就業構造基本調査によると、2007年におけるパート・アルバイト・派遣労働者などの非正規労働者は、過去最多の1893万人に達し、労働者全体に占める割合も35.5%と過去最高になっています。いまや労働者のうち3人に1人以上が非正規労働者となっているわけです。
 そして非正規労働者の平均年収は、正規労働者の約5割にとどまっており、2006年の総務省の労働力調査では、年収200万円未満の非正規労働者は1260万人に上り、非正規労働者全体の77%を占めているということです。

 しかし、この国にはOccupy Movementは、他国に比べ静かなものです。
 今日2月1日水曜日、イーチャリで明治通り・五之橋までオリンパスのデジカメを持っていきましたが、江東区の職員でなく、公園整備事業を受注している企業が雇った派遣社員なんでしょうか、橋のたもとに、ロボットのような警備員が二人も立っていて、複数で通行人をじろじろ見ているので、チャリを止めて写真をとることも憚れ、この「日記」で報告しようと思ったのですが、チョウ臆病者のヤッホー君、結局よしました。

 「丸の内パークビルディング」や「パシフィックセンチュリープレイス丸の内」と川向こうの「竪川河川敷公園」、どうなるんでしょうね、選民でも貧民でもない、と思っているフツウーの住民、区民、市民、庶民は… M&Aにも、カタカナビルディングにもおよそ縁がない… とぼやいたり嘆いたり口篭っているしかないのですが…

なお、ここ数年の動きとして、中国(香港を含む)の企業が日本企業を取得するケースが増加しており、2010年1〜7月期には、日本企業を取得する外国企業の国別内訳の中で、ついに米国を抜いて中国がトップになったことが注目される
(柳川太一、同論文)
 
 こうした現実に対して、文学の力、言葉の力はどこにあるのでしょうか、ね。
 今日は佐多稲子(1904-1998)をとりだしています:

私の気持ちではそこは初めてきた家でしかない。
 たしかにそれだ、という家に、私の求めるものは何ひとつ見出せなかった。
 それはもう、過ぎた時の長さであったろうか。
 私は尚、私に残っているかつての家を追って、心の中で佇んでいる。
 しかしたしかにそれはあったことだ。
 私にとって、美しく思えたあのときは、たしかにあったことである

(『時に佇つ』、1975年1〜12月『文芸』に連載された短編連作形式の小説、「その一」末尾)

 ヤッホー君は丸の内の従業員でもないし、ましてや所有者でもないので、無関係、つまりその現実から不在なのです。といって、ヤッホー君に江戸城ができた頃の丸の内に思いを馳せるといっても、その過去にも不在なのです。
 現実を嘆くのは、したがって回想に浸ることと同じく、そこに「いない」自分を追惜して、佇つ姿なのでしょうね、きっと。
 言葉とか、言葉を紡ぐ物語とは、上述の小説の文章のように、きっと、あんなことがあった、こんあんこともあったというばかりでなく、「あったはずなのだがない、見出せない」という「不在をかこつこと」と言えなくもありませんね。

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