2012年01月31日

竪川河川敷公園

 いっこうに腑に落ちないヤッホー君、今日もごにゃごにゃとひとり呟いていましたぞ:
≪06年にダヴィンチアドバイザーズが約2000億円で取得した…09年になると今度は、セキュアード・キャピタル・ジャパンが年内に取得額約1400億円で買収する…≫
 もともと東京駅八重洲口の一等地なので、旧国鉄、JRの所有地だ、とばっかり思っておりましたが、転がしていくんですねえ。しかもカタカナの会社同士で。

 この1400億円だ、2000億円だ、と一つのビルディングに一社で動かしているお金って、今朝1月31日付けの河北新報によると、宮城県と県内22の市と町が配分要求しているお金(ま、第一弾と言っていますが)、ま、ほぼ同じ額なんですねえ、びっくり:

宮城県と県内22市町が政府に第1弾として配分要求する「復興交付金」の総額が2000億円を超えることが30日、分かった。
 復興交付金は、被災自治体の防災集団移転や災害公営住宅整備、造成宅地滑動崩落緊急対策(地滑り対策)など40の基幹事業の実施費用に充てられるほか、関連する「効果促進事業」にも事業費相当額が交付される。
 2000億円超の要求額のうち、県事業は400億円前後。津波被害を後世に伝えるため、浸水した場所や高さを示す表示板を設置する「3.11伝承・減災プロジェクト」事業などに活用する』
 政府は復興交付金として2011年度第3次補正予算で1兆9000億円、12年度当初予算案で3600億円を確保した。
 事業計画の提出は31日でいったん締め切り、早ければ3月にも交付決定する

(2012年1月31日火曜日付け「復興交付金要求2000億円超 宮城県と22市町、第1弾分」)

 不動産ファンドか、ハゲタカ・ファンドか知らねども、マネーゲームに興じる資本主義がいまや世界中をグローバルに跋扈しておりまする。
 日本の企業だって:

日本企業による海外企業の合併・買収(M&A)が活発化している。
 調査会社のレコフデータ(東京)の集計では、2011年の買収額は前年比66.7%増の6兆2665億円と、調査を開始した1985年以降で3番目の高水準だった。
 歴史的な円高で収益悪化に苦しむ日本企業が、逆に「割安」となった海外企業を傘下に収める好機と捉え、販路や生産拠点を国外に求める動きが加速していることを裏付けた。
 件数でも22.6%増の455件と、90年(463件)に次ぐ多さだった。このうち、アジア企業へのM&Aは198件と、これまで最高だった05年の153件を上回った

(時事ドットコム[図解・経済産業]日本企業の海外M&A金額)
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_eco_company-ma

 丸の内パークビルディングの16〜19階にオフィスを構えている「森・濱田松本法律事務所」の業務内容も、M&A/企業再編だけに限った法務だけでも:

あらゆる種類・分野のM&A、組織再編、企業提携等を取り扱っております。
 これらの案件は、国内取引からクロスボーダー取引、上場会社間の取引からプライベート・エクイティ投資、友好的な取引から非友好的な取引、非公開化取引、MBO、買収ファイナンス、買収防衛策の策定や有事の際の買収防衛など多岐にわたり、また、その手法も、株式譲渡、公開買付け(TOB)、合併、会社分割、株式交換、株式移転、事業譲渡、第三者割当増資、種類株式や新株予約権・劣後ローン等の利用、あるいはこれらの複合的組み合わせ等、さまざまです

http://www.mhmjapan.com/ja

 もう様々(さまさま)なんでしょうね、強い味方と言うか何と言うか、ファンドの、ですので報酬金もすごい額なんでしょう。
 円高だし、法律事務所の海外進出も:

当事務所は、シンガポール政府当局より、昨年12月、現地における外国法法律事務所開設の許可を取得いたしました。
 業務開始は、2012年2月1日水曜日を予定しております』
 明日から、Mori Hamada & Matsumoto (Singapore) LLP
』!

 かと思えば、東京都江東区。屋外は凍てついていますが、ホームレスへの排除命令も:

『現在、公園では、施設の老朽化に対応するため、改修工事を行っております。
 このこともあり、区では当該工事区域内で起居している路上生活者に対しテント等を自主撤去し、区が指定する場所への移動等を勧告しましたが、受け入れられないばかりか、支援者と思われるテント等が、供用中の公園内にも不法に設置された状況にあります。
 このことから、公園利用者の安全を図るため、竪川河川敷公園を下記のとおり、しばらくの間、閉鎖させていただきます。
 同公園内の通行ができなくなるため、皆様には大変ご不便をおかけいたしますが、ご理解ご協力をお願いいたします。
・閉鎖日  平成24年1月27日(再開については、改めてご案内します)
・閉鎖区域 (亀島橋〜竪川人道橋間)』

http://www.city.koto.lg.jp/topics/2117/65304.html

そして、カナダ紙Globe and Mail はあの厳冬のスイス・ダヴォスからのリポートを載せております:

To keep the spotlight on jobs and poverty at the forum, the Occupy movement that began on Wall Street and spread to dozens of cities around the world set up a protest camp in igloos in Davos. They demonstrated in front of City Hall.

In a separate protest, three Ukrainian women were arrested when they stripped off their tops − despite temperatures around freezing − and tried to climb a fence surrounding the invitation-only gathering holding banners saying: “Poor, because of you” and “Gangsters party in Davos.”

…Euro crisis, protest movements shape Davos meeting
(EDITH M. LEDERER, DAVOS, Switzerland− The Associated Press, Last updated Sunday, Jan. 29, 2012 7:49PM EST)

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2012年01月30日

講義シラバス

 さ、今日はもう1月30日の月曜日。
 今日のヤツホー君のお仕事は都心。まずは千代田線「二重橋前」で下車。

 まずは、『丸の内 My Plaza』
『丸の内仲通りの真ん中に誕生した、丸の内 My Plaza、1934年に建てられた国の重要文化財である明治生命館と、2004年に完成した明治安田生命ビルからなる、伝統と最新が調和する空間です』
http://www.myplaza.jp/

 その次のブロックがまた、三菱ムラ。まずは「一号館広場」〜「丸の内パークビルディング」〜「三菱一号館美術館」歴史資料室。

 次いで、「東京ビル TOKIA」。

 そして「パシフィックセンチュリープレイス丸の内」へ。

米系大手不動産ファンドのセキュアード・キャピタル・ジャパンが東京・丸の内の大型複合ビル「パシフィックセンチュリープレイス(PCP)丸の内」を年内に買収することが14日分かった。
 取得額は約1400億円。
 5月に日本生命保険が取得した丸の内のAIGビル(1155億円)を抜き、金融危機後で国内最大の不動産取引となる。
 都心の優良不動産に投資マネーが回帰し始めた。

 米国の不動産ファンドを母体とするセキュアードは2007年に東証1部に上場。
 国内外の機関投資家から集めた資金を日本の不動産に投資。
 運用規模は6月末時点で約6000億円と国内大手に成長している。

 PCPビルはJR東京駅に隣接する32階建ての高層ビル。
 オフィスや商業施設に加え高級ホテルフォーシーズンズホテルが入居する。
 06年にダヴィンチアドバイザーズが約2000億円で取得した

(2009年12月15日付け日本経済新聞朝刊1面 「米系不動産ファンド ビル買収1400億円 東京駅近接 金融危機後で最大」)

 この「PCP丸の内」のなかに、GCAサヴィアン(株)という会社がありました。

 なんでしょう?いまだにちんぷんかんぷん、とんちんかん、あかん、やかんなんですが、2011年度後期の神戸大学大学院MBAプログラムで講義を受け持っていらっしゃいます。

シラバスとは、授業計画書のことです。
 講義名、授業担当者、単位数、教科書・参考書、講義の狙い、各回の講義内容や事前課題、講義終了時の到達目標、採点基準などが主な内容です。
 多くの大学院では、シラバスといえば、1ページ程度の授業紹介のことなのですが、神戸大学大学院MBAプログラムでは、ご覧頂けばおわかりいただけるように、そのコンテンツは豊富かつ大量です。
 講義開始前にシラバスを読めば、どのように授業が行われるかが手に取るようにわかります。
 シラバスをホームページで公開することで、受験を検討されている皆さんにも、事前に神戸大学大学院のMBAプログラムの様子や特徴を知っていただくことができるでしょう。
 授業はとてもタフです。
 それだけにやりがいがあるともいえるでしょう

http://mba.kobe-u.ac.jp/life/syllabus/

 で、この会社は?ってえ〜と:

「クライアントのために本物のM&Aアドバイスをしたい」という思いに共感した仲間が集まって2004年に創業した…
 2006年にGCASGは社会の公器として永続するためにM&A事業者としては日本初となる東証上場を果たし、さらに2008年には米国の独立系投資銀行であるサヴィアン社と経営統合し独立系上場M&Aファームとして世界でトップ5に入る規模となりました。
 M&Aでは事業の買い手と売り手が存在します。
 売り手が自社の事業をより強くすることができる買い手に事業を売却することであらたな事業価値(M&A価値)が創出されます。
 売り手と買い手はこのM&A価値をフェアに分け合うことでウインウインのM&Aが実現します。
 これがマネーゲームではない「良いM&A」の醍醐味であり、「人を幸せにするM&A」の社会的な価値創出です

http://mba.kobe-u.ac.jp/life/syllabus/

 ちんぷんかんぷんな方のために神戸大学の講義「M&A戦略応用研究」ではテキスト、参考書を指定してくれておりますので勉強しましょうか:
○ 渡辺章博『M&Aのグローバル実務(中央経済社)』
○ 渡辺章博、井上光太郎、佐山展生『M&Aとガバナンス(中央経済社)』
○ 佐山展生、山本礼二郎『バイアウト 産業と金融の複合実務(日本経済新聞出版社)』

 でもやっぱり山行書のほうがいいかな…ん?

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2012年01月29日

おできの神様

 神社めぐりも最後。
 2012年は皆さんに等しく繁栄がもたらされますように、と「繁栄稲荷神社」で締めくくったのに、だめえってヤッホー君は若干名のお仲間に言われてしまい、「余禄」じゃないですよ、「余録」をつけることにしたそうです。申し訳ございません、しばし足を止めてやってくださいまし:

 ひとつは、1月初歩きでおじゃました秩父の釜山神社です。奥の院ではなく、社務所のあるところ:

釜山神社.jpg

中間平を越えて山道を辿るとその頂上には釜山神社があり、入り口には一対の愛嬌のある山犬の石像が出迎えてくれます。
 この地方に見られる神社では狛犬でなく、山犬(おおかみ)が奉られており、神社の横手を登って行くと奥の院に行け、そこからやや険しい岩場を過ぎると日本水に行くことが出来ます

(寄居町の観光)
http://www.yorii.or.jp/~kanko/spot/index.html

 これね、実は塞神峠から神社への山路を分け入ると、<United Area>の≪Forest Trail≫という金網で囲いこまれた嫌なスポット側を通らなければいけないのだけど、囲い込みは冗談で、To rest、うん、なんか似つかわしくないコーヒーショップができたのか、くらいの軽い気持ちだったのが、ちゃうちゃう、Forestだよって気づいたんですって、でもtoo late! その日はついに現実にヤッホー君の細い両の目に『奪われる日本の森』が飛び込んできてしまい、さらにその先では荻根山パワースポットの看板もでてきてしまい、反吐がでそうでもう、すっかり気分が落ち込んでしまっていた、とま、こういう具合で、この日記にも書けなかったんだそうです!

私有地.jpg

 そして、山犬…

明治初期までは、わが国は世界中で最も野生動物が大切にされた国であった…。
 明治の初めに北海道開拓使として来日したエドウィン・ダンは、皇居の濠には水面が黒くなるほど水鳥があふれ、市中の草むらにはキジがおり、キツネが食卓のパンのバターをなめていったと驚いている…
 ところが、明治中期から様相は急変し、動物の楽園は幻想と化していった。
 富国強兵の国是のもとにひたすら近代化を急いだわが国では、野生動物は一挙に経済的観点からとらえられるようになり、激減するとともに絶滅する動物が現出した。
 その象徴はニホンオオカミで、明治38年に奈良県鷲家口で捕獲された一頭以後、発見の記録はない

(河合雅雄「里山と動物」、(財)森林文化協会『環境2007 動物反乱と森の崩壊(2007、朝日新聞社)』所収)

 激減していくもの、滅んでいくものへの共感から、山のウエアは≪Jack Wolfskin≫、飲み水は日本酒、食べ物はお米、聴くも歌うも演歌、「足るを知る」清貧を旨とし、背には二宮金次郎というウルトラ・アイコクシュギシャのヤッホー君、2012年、そして山歩クラブの10年の節目を終えて次のステップに足をかけている今日、1月29日日曜日、お正月最後の日曜日は、「正木稲荷神社」に願掛けしてきたそうです。

昔は柾木の大木があったので、この社名がつけられた。
 隅田川から小名木川へ入る目標として尊重されていた。
 また子供が柾木の果を丸めてピーピー鳴らしていたのである。その果が腫れ物によくきいたともいわれている。その祈願には全快迄「ソバ」を断ち、全快すれば「そば」を献じて奉斎する信仰があった。
 柾木はニシキギ科の常緑低木で、高さ3m、海岸近くに多く育ち庭木生垣になり、果は厚く滑らか、長楕円形、六月頃淡緑色の四弁花をたくさんつける。
 実は球形、開いて赤色の種子をだす。
 
 また当所の近くに芭蕉庵があって1921(大正10)年11月東京府が蕉翁古池の跡とし旧跡に指定した。しかし1981(昭和56)年、この旧跡は芭蕉記念館に移転した。
 江東区の地図にも当社は記載されており、昔より町内持(維持経営)である

…境内石碑より

 ここは深川萬年橋景観重点地区です。なぜって『萬年橋を中心とする地域は、かつて芭蕉が住み、北斎が浮世絵を描くなど、その歴史的・文化的な趣を背景に、粋で人情あふれる深川のまちを形づくっているところに特徴があります』(江東区の公式サイトより)。

 そして芭蕉は、「奥の細道」に出て、そして江戸に戻ってくるのですが。2012年で320年が過ぎたことになるんです。芭蕉庵はいま、「正木稲荷神社」の手前、「芭蕉稲荷神社」になっています。
 なんかこれも自分と、山歩クラブの新たな旅への門出、との不思議な縁を感じて…

俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して、延宝8年から、元禄7年に大阪で病没するまでここを本拠とし
 古池や蛙飛びこむ水の音
等の名句の数々を残し、またここより旅に出て「奥の細道」等の紀行文を著しました。
 ところが、芭蕉の没後、深川芭蕉庵は武家屋敷となり、幕末〜明治にかけて滅失してしまいました。
 たまたま大正6年津波来襲のあと、芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田源次郎氏等地元の人々の尽力により、ここに芭蕉稲荷を祀り、同10年東京府は常盤一丁目を旧跡に指定しました。
 昭和20年、戦災のため当所は荒廃しましたが、同30年地元の芭蕉遺蹟保存会が復旧に尽力しました。
 しかしながら、当所が狭隘であることから、旧跡を常盤北方の地に移転し、そこに芭蕉記念館を建設しました

…芭蕉遺蹟保存会 昭和56年3月設置案内板 「深川芭蕉旧地の由来」より

 確認でございます。没後320年ではございませぬ。奥の細道への旅から江戸に戻って320年でございます。ところで:

芭蕉百回忌は1793(寛政5)年であったが、その十年前から日本各地で芭蕉忌が行われる一大イベントであったとともに、蕪村を中心とする俳人らが出て、俳壇に一大ムーブメントを巻き起こした時期であった。
 そしてその百年後、1893(明治26年)の芭蕉二百回忌には,近世以来の俳諧宗匠たちのグループである旧派が主体となって追善会を行い、追善集を刊行して、百回忌と同様、一大イベントの様相を呈している。
 旧派と呼ばれる俳人の代表格には泮水園芹舎や三森幹雄、月の本為山がいる。
 一方で子規が『獺祭書屋俳話』を刊行し、旧派や芭蕉偶像化を批判したのもこの年であった。
 よって芭蕉二百回忌が明治期の俳壇におけるターニングポイントになったと言える

…鹿島美千代「明治期における美濃派―芭蕉二百回忌を中心として- 桜花学園大学研究紀要

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災禍

 おはようございます!
 お正月の神社めぐりのご報告もいよいよ最後です。
 ヤッホー君、なんとしてもみっつ、ご報告してけじめをつけたいとのことです、お付き合いくださいね。まずは昨日の洲崎神社、です。

洲崎神社.jpg

洲崎弁天社(現洲崎神社)は東京メトロ東西線木場駅近くにある弁財天で、広島の厳島神社の御分霊祭神市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)をお祀りしています。
 五代将軍徳川綱吉公の生母桂昌院の守り神として江戸城中に在りましたが、1700(元禄13)年に現在の地に遷座し、徳川家代々の守護神となっていました。
 洲崎弁天社は剣客商売シリーズ(池波正太郎著、新潮社)ではお馴染み…

(古地図とカメラ好きな商社マン、やすべえさんが江戸と東京を行ったり来たり、その名も江戸観光、というご自身のブログに投稿されてくれています)
http://edokanko.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/12/post_df6e.html

 どうしても「除波碑」のあとに報告しなければいけないところが、ふたつめ、錦糸町駅前、錦糸公園内にある「千種稲荷(ちぐさいなり)」でございます。

千種稲荷.jpg

 この神社は震災にも戦災にもあわなかった、という奇蹟の神社でございました!

徳川四代将軍家綱の時代(寛文〜延宝)に治水工事が行なわれ、その後、柳島村の守護神として祭られたと伝えられている。
 明治時代になっても、この稲荷神社は保護されて郷土の守護神として残された。
 その後陸軍糧秣廠本所倉庫をこの地に建設したとき、敷地内にあった稲荷神社を取り払ったところ再三火災が発生した。
 そこで旧位置に稲荷社を再建して祀ったところ不思議にもその後火災はまったく起こらなかったという。
 大正12年の震災はもちろん、昭和20年の空襲にもなんの被害もなく、多くの人が境内に避難し戦火を逃れたという。
 現在は錦糸公園の中に祀られている。
 *陸軍糧秣廠(りくぐんりょうまつしょう)=陸軍の兵隊の食料や軍馬のまぐさをたくわえた役所

(これはNPOすみだ学習ガーデンの公式サイトです。この管理運営しているユートリアには、山歩クラブも会員募集の投稿をしております。墨田区東向島2-38-7 ユートリヤ内 Tel 5247-2006. 公式サイトの最新版では、ガーちゃんとデンくんが、墨田区内の武家屋敷を紹介してくれています)

今でこそ錦糸町一帯は墨田区で一、二を競う都会となりましたが、江戸時代は横川の西の武家屋敷の密集した本所と違い、比較的大きな大名・旗本の屋敷や御家人の大縄地、そして田畑が目立つ、まったく静かなところだったのです。
 今の錦糸町駅は播磨龍野藩中屋敷…

(すみだ学習ガーデン 「ガーちゃん・デンくんが行く、すみだあれこれ」)
http://www.sumida-gg.or.jp/arekore/SUMIDA002/S002-5.htm

 そして最後の締めとなるみっつ目は、繁栄神社です。この神社も根津に長らく疎開していたようでして、そのためか震災にも戦災にもあわなかったそうです!

繁栄神社.jpg

当神社の起源は江戸時代の中期、1757(宝暦7)年に、この木場の地に創祀されたことにはじまります。
 大丸の業祖下村彦右衛門正啓は1717(享保2)年、伏見に創業し、1743(寛保3)年、日本橋大伝馬町に江戸店を設けましたが、越えて1757(宝暦7)年、深川木場4丁目すなわち現在の繁栄橋橋畔に貯木場を備える別墅を営み、その一廓に社殿を造り、伏見稲荷大社の御分霊を祀り、繁栄稲荷と称したのです。
 祭神の霊験はあらたかで、地元の木場はもとより江戸一円の信仰を集め、3月12、13日の例祭には門前市がたつ大賑わいで、その側に架せられた橋も、いつしか繁栄橋と称されるようになりました。
 明治末年、大丸が東京店(旧江戸店)を閉じ、木場の別墅も廃したとき、社殿は先代根津嘉一郎氏の青山邸(現根津美術館地内)に移り、同家の嘉栄稲荷として祀られ、関東大震災、第二次世界大戦の空襲にもその災禍を免れ、200年前のお姿のまま残ってまいりました。
 1960(昭和35)年5月のこと、たまたまその社殿が繁栄稲荷のものであったことがわかり、根津家の御厚意で大丸に御返譲していただくこととなりました。
 旧地に近接したこの地に境城を卜して、昔ながらのお姿をもって、本殿玉垣その他を移築、あらたに伏見稲荷大社の御分霊を勧請してお祀りすることとなりました

…「繁栄稲荷神社由緒」(1961(昭和36)年)

 そうなんです、なんとこの神社の隣接地に(株)大丸松坂屋百貨店のビルが建っていたんです。
 商店街で買い物する足の短いヤッホー君には老舗デパートとなると、どうも敷居が高くって跨げないのですが、経営統合から今度は、2010年3月1日に両老舗が合併して、「大丸松坂屋百貨店」が新たに誕生していたのだそうです。
http://www.daimaru-matsuzakaya.com/

 経済学部出身でないので、経営統合と合併の違いも分からないヤッホー君、それでも細い両の目が、点になったお正月いろいろでしたが、さて今年2012年はどんな「驚き」が待ち伏せしているのでしょうか:

Q 大手百貨店の経営統合が目立つね。
 A 有名企業同士が次々と手を組んだ。
 皮切りは2003年にそごうと西武が経営統合して、ミレニアムリテイリングとなったことだ。現在は、セブン&アイ・ホールディングスの傘下に入っている。
 2007年には大丸と松坂屋の統合でJフロントリテイリングが、阪急百貨店と阪神百貨店の統合でエイチ・ツー・オーリテイリングが相次いで誕生した。
 さらに2008年には、伊勢丹と三越が統合して三越伊勢丹ホールディングスとなった

(2011年7月28日10時50分付け朝日新聞「百貨店の模索(2)相次ぐ経営統合」)
http://www.asahi.com/business/topics/keizainavi/TKY201107270393.html

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2012年01月28日

大東京球場

 イーチャリで江東区に津波、ではなくって、あの、その、この、なんだっけ、そうそう、大潮が押し寄せたころの碑があるという、その探検物語。
 場所は、木場6丁目13-13に所在せる「洲崎神社」。

洲崎神社は、江戸時代には、洲崎弁天社と呼ばれていましたが、明治初年の神仏分離により、洲崎神社と改めました。
 弁天社の創設は定かではありませんが、元禄10年(1697)ころの埋め立てでできた地であることから少なくともこれ以降であると推察されます。
 社伝によると、元禄13年(1700)に深津八郎右衛門正隆がここに弁天社を建て江戸城中の紅葉山から弁天像を安置したとされています。
 境内には、津波警告の碑である「波除碑」や魚釣竿作りの名人「竿忠の碑」があります

(江東区の公式サイト「特別観光スポット」より)
http://www.city.koto.lg.jp/profile/kanko/5442/96.html

除波碑.jpg

 この写真が、「波除碑」です。さらに平久橋(へいきゅうばし)のたもとにも:

P1225342.jpg

 安藤広重は「名所江戸百景」を描いていますが、そのなかに「第107景 深川洲崎十万坪(1857(安政4)年5月)」というのがあります。その解説をなさっておられる方の記述に傾聴してみませんか:

弁天は水神として水辺に祭られることが多く、ここ猟師町の深川でも元禄の創建時より海難除けとして深く信仰され、茶屋なども並びたいそう賑わった。
 ここに伊勢屋という蕎麦屋があり、ざるそばの発祥地であることは、そば好きにはよく知られている。
 なお、このあたりから見える景色は、房総半島から三浦半島にかけて江戸湾全景をまさに抱きかかえるように望める絶景で、また東から大変美しい朝日が拝めるということで評判であったらしい。
 もしかして、現在の地名の東陽町とは、これに因んでつけられたのではないだろうか。

 これは想像に過ぎないが、広重がモチーフとしたものは、過去にこの洲崎を襲った悲劇なのではないだろうか?
 1791(寛政3)年9月4日(太陽暦10月1日)、広重がこの絵を描いた約65年前、この洲崎一帯を大津波が襲い、州崎弁天はもちろん、沿岸の三百数十軒の人家を呑み込み多数の死者を出す惨事が発生した。
 幕府はその後、津波に備えて洲崎一帯に家屋の建築を禁止して空き地を設けると同時に、海沿いに防波堤を築く。
 この防波堤の両端に津波警告のためと、この惨劇を後世に残す意味で波除碑(なみよけひ)が作られ、その片方が今も洲崎神社境内に保存されている。

 上部に大きく描かれている鷲が見つめているものに注目したい。樽のようなものが浮かんでいるが、これは棺おけである。
 この棺おけの主は誰か。
 もちろん、前述の津波の犠牲者の可能性もある。
 しかし、この辺りは、殺伐とした場所であったことから、よく遺体が捨てられたり、土座衛門が流れてきたりするような場所だったらしい。
 怪談「妲己のお百」のクライマックスの舞台はまさにここだし、「東海道四谷怪談」の戸板返しの舞台も至近の隠亡掘である。
 つまり、棺おけに入れて供養しなければならない無縁仏は、いくらでもいたわけだ。
 第107景深川洲崎十万坪は、美しい名画である反面、江戸の裏事情を雄弁に語ったまさに「怪画」であると言える

http://hiroshige100.blog91.fc2.com/blog-entry-47.html

1887(明治20)年までに富坂(現・文京区)に東京帝国大学校舎が新築される計画が策定されたため、風紀上の観点から直近に存在した根津遊廓の移転計画が発足。
 しかし最大の歓楽街だった吉原に受け入れの余裕がなく、1886(明治19)年6月に洲崎弁天の東側の広大な湿地を整備して移転することとなり、現在の東陽一丁目に洲崎弁天町が誕生した。
 大正時代末期には300件前後の遊郭がひしめき、吉原と双璧をなす規模の大歓楽街(吉原の「北国(ほっこく)」と同様に、「辰巳(たつみ)」の異名を持つほどに発展した

(Wikipedia)

第二次世界大戦終結後からわずか半年で洲崎遊廓は復興し、「洲崎パラダイス」の愛称で下町の男たちを引き寄せる。
 その規模と海の直近という風情から、吉原以上の人気を誇る歓楽街として隆盛を誇った。
 1956(昭和31)年製作の映画「洲崎パラダイス赤信号」には、ロケにより往事の華やかな洲崎の様子が記録されている。
 その後、1958(昭和33)年4月1日に施行された売春防止法により、洲崎パラダイスは70余年の歴史に幕を引き、静かな住宅街へと変遷していった

(Wikipedia)

洲崎球場とは戦前の職業野球チーム大東京軍のホームグラウンドとして1936(昭和11)年に開設。
 通称「大東京球場」とも呼ばれてたらしい。
 翌1937年には92試合が開催されたが、その年の秋に後楽園球場が開設。そのため使用頻度が激減し、わずか3年でその使命を終えたという

(Wikipedia)

 ほかにも埋めたて地の洲崎には、「洲崎飛行場」も「競馬場」も「公団住宅」もあったワンダーランドだった、と毎日新聞の玉木研二は2010年4月29日付けのコラム「楽コレ!」で語っております。ぜひお読み下さい:
http://mainichi.jp/tanokore/column/tamaki/003614.html

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2012年01月27日

東京人

 川田順造さんの「江戸=東京の下町から明治日本を眺める」(初出は2006年8月号『東京人』、大幅に加筆されたのが、2007年12月に出版された『文化人類学とわたし(青土社刊)』所収)をご紹介しないと、先にすすめません。
 1月14日はもう2週間も前のことになるのですね、その折りのお話しはシンポジウムのスピーカーのお話しともあわせ、2012年のヤッホー君の思索の旅路への門出の歌でしたね。
 
 まずは、月刊『東京人』から。
 毎月3日発売、と言いますからもう3月号は来週発売ですね、購入して読んでみましょうね。この「東京人」って何? 公式サイトにある説明書きもいいですね。「日本人である」んじゃなくって、「日本人になるんだ」みたいな心意気に通じるものがありますよね:

『「東京人 Tokyo-jin」とはあるものではなく、なるものである。
 東京で生まれ暮らす人はもちろんのこと、日本各地から、世界各国からやってきて、学んだり仕事をしたりしている人はみな「東京人」。

 月刊「東京人」では、 東京を舞台に生きるヒト"東京人"のあり方を模索し、彼らが創り上げていく歴史・文化・風俗・建築物・文学・風景など、東京という舞台が生み出すさまざまな事象を、毎号の特集で探っていきます。

 あなたも月刊「東京人」で、東京の隠れた魅力を発掘してみませんか?』

http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html

 この月刊「東京人」からどんなふうに加筆されたのかは分からねど、14日にお話しされたことの背景がたいへん良く分かりました:

※ 『本郷から、根津、谷中あたりには、関東大震災でも米軍の空襲でも破壊されなかった、古い木造家屋があちらこちらにある… この界隈の人と話していると、「戦後」というのが、「上野の戦争の後」という意味でさりげなく使われる
⇒ あの日は、だから下町の人はどの程度、徳川時代の崩壊を食い止めようと体をはったのかな、という疑問をなげかけられたのです。
 
 それに最近、東京人は意外に醒めている、東京人は意外に中央に無関心な、周縁に身を置いている、東京人は自分の生活が大事、という保守的な傾向が年々強まってきている、という印象をヤッホー君は抱いているらしいのです。
 そのひとつは、いまのゲンパツ都民投票の動き。
 トウデンフクシマゲンパツジコっていうくらいだから、福島県という離れた地方で電気を起こして、東京まで送電線で電気を運び、都民はその恩恵を味わっているんだけど、3.11のジコに対しては、メディアの刷り込みのせい、
 ● 3.11はソウテイガイの自然災害だからもう起こらないよね、
 ● 政府もタダチ二健康には影響がないって言ってくれているし大丈夫だよね、
 ● 負けるなトウホク、キズナで上を向いて明るくがんばって生きていこう、
 そんな世論が形成されて、喉元過ぎれば熱さ忘れるっていうじゃんか、だから、こんな大事な都民投票が始まっている、若者が音頭をとっているなんて、動きは都民に無縁なんですう、だってメディアだって、知らせないもん。
 昨日、1月26日木曜日現在の署名数は、138,221筆だそうで、署名締め切り日まであとわずか13日、それまで最低限22万筆は集めないといけないのに、この数なんですね。
http://kokumintohyo.com/archives/1867
http://tomintohyo.blog.fc2.com/

 これがムカシ、チェルノブイリ原発事故のときは、というと動いたんです、あのころの主婦は(イマ、主婦は共稼ぎしないと家計を維持できないって言うからほとんど家にいないのかも知れませんね)。
 1989年春、「東京都に食品安全条例の制定を求める直接請求運動」が都内で起こったんです。そして直接請求に必要な法定必要数の3倍の55万3234筆も都民側は集めたのです。
 当時の都知事、鈴木俊一は反対意見を付して都議会に諮った、ということです。
 そのときの運動の成果として、いまの「東京都食品安全条例」へと実っていくのです。

 ところで川田先生、またこんなことも:

※ 『4月11日の江戸無血開城から1ヶ月余、2000人といわれる彰義隊が決起した上野の戦いは、西郷隆盛の説得案を拒否し、殲滅攻撃を主張した長州の大村益次郎指揮の28000人の東征軍と、現在東京大学赤門あたりの加賀屋敷にも据え付けたらしい、英国製アームストロング砲の猛攻に、半日で彰義隊の壊滅に終る…東征軍は彰義隊戦死者の遺体を、回収することも埋葬することも禁じた(フクシマ県会津でも東征軍は同じことをしていましたね)』
⇒ あの日は、だから下町の人はどの程度、江戸、徳川将軍、そして城下町を死を賭して守るべく立ち上がったのか、と問われていました。う〜ん。

※ 『江戸は薩長日本の首都東京となった。
 「であります」の長州弁は陸軍ことばと議会の演説用語となり、警視庁を創設し、警察権限の拡大を進めた薩摩の川路利良以来、羅率(らそつ)と呼ばれた巡査が、薩摩弁に由来するといわれる「オイコラ」を連発して、東京の"不穏分子"を取り締まった


※ 『「明治維新」を絶対善として無条件に肯定せず、醒めた目で見直し、「薩長日本」を批判する視点を得るためには、脱亜入欧の「亜」とは、「欧」とは何だったのかという根底的な問いかけを、世界大の視野で行なうことが必要だ』
(初出は『東京人』2007年11月号「戦争犠牲者の祀り方」)
⇒ この文章は、川田先生73歳のときに書かれています!

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2012年01月26日

ダヴォス会議

 スイス・ダヴォス、ですか…。

トーマス・マンの「魔の山」の舞台としても知られるダヴォスは、山々にはさまれた谷あいの村。
 プラッツとドルフの2地区に分かれており、雄大な自然の中でハイキングやサイクリング、スキーなど多彩なアクティビティが楽しめます。
 特に空気の美しい地域として定評があり、20世紀初めには呼吸器系の療養所が設立され、ホテル産業が発展。
 世界経済フォーラム(ダヴォス会議)など国際的な会議やイベントを数多く開催されるようになったため、会議施設もそろっています。
 またベルニナ・エクスプレスやグレッシャー・エクスプレス(氷河特急)などの絶景鉄道ルートの発着点でもあり、エクスカーションの拠点としても便利。
 長野県真田町と姉妹村です

http://www.myswiss.jp/jp.cfm/area/offer-Destinations-01Graubuenden-206965.html

 そうなんです、いまこの町で会議開催中!でも、でも、男どもばっかりですって…

"Where are all the women in Davos?” posted by Jane Martinson, Wednesday 25 January 2012 08.45 GMT. guardian.co.uk

To register for this week's World Economic Forum in Davos, delegates had to fill in a profile page that is preset with the silhouette of a shadowy man. A year after imposing a quota on the biggest companies to encourage more women to attend, the image still fits the gender profile of more than 80% of delegates.

Male-dominated: a meeting at this week's World Economic Forum. Photograph: Jean-Christophe Bott
という写真も付いていますので、ぜひイギリス・ガーディアン紙から入ってみてください。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/the-womens-blog-with-jane-martinson/2012/jan/25/women-davos?

 さらに、

Occupy Davos activists put the finishing touches to their 'Igloo Camp' and say that they will try to disrupt the annual gathering of the rich and powerful in Switzerland

Video: Occupy movement shifts to Davos
というななつの雪、やっつの雪で覆われた白い町にテントをはるオキュパイ運動もダヴォスにシフト中、これはビデオですので、カナダ・グローブ&メール紙から入ってみてください。
http://www.theglobeandmail.com/report-on-business/video/video-occupy-movement-shifts-to-davos/article2313040/
.
 日本からの出演者、まずは「渡辺謙さん、ダヴォス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える」として今日、1月26日付け東京新聞がスピーチ原稿の全文を載せておりますので、消えてしまう前に、東京新聞のサイトから入って読んで下さい。「悪魔のプログラム」をどこかで断ち切らないと、と訴えてくれています:

国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。
 私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。
 しかし度を超えた成長は無理を呼びます。
 日本には「足るを知る」という言葉があります。
 自分に必要な物を知っていると言う意味です。
 人間が一人生きて行くための物質はそんなに多くないはずです。
 こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。
 「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています


 どじょうすくいは行かずにビデオを送り、空き菅に出席を要請し、空き缶は東日本大震災からの復興への取り組み状況を説明するとも言われています。この国の平民への説明責任もないまんま、3.11からの復興への取り組み状況をスイスで説明するという、なんかの間違いかな、と。説明が終わってすぐ立ち去っても、『モウ帰るんですかぁ〜?』と野次も飛ばされないでしょうし、ま、おトモダチとチーズフォンデュをつっついて、ワインを何本か空けて酔い気分で、政府専用機で帰ってくるのかな、悪い冗談かも知れませんね。

 当局がいくら冷温停止を宣言したり、発電所の事故そのものは収束に至ったと判断し、声高に復興元年を「国際怪議」でおっしゃっても、トウデンとの「会議」で、実際に困っている首長さんはお土産、というか記念品というか、灰を置いてきたそうです、ハイ:

福島県塙町の菊池基文町長は1月25日、東京電力本店(東京)を訪ね、白河、会津地方の自主避難者も福島第1原発事故の損害賠償の対象に入れるよう求めた。
 高い放射線量が出て処理できない汚泥の焼却灰を持参し、「福島を分断することは許されない」と訴えた。
 菊池町長は灰をドクロマークの紙を張った容器に入れ、交渉に臨んだ。
 「この灰は捨てる場所がなく、成仏できない。花咲かじいさんは木に灰をまいて花を咲かせたが、この灰は人を滅ぼす。白河、会津地方は蚊帳の外に置かれたが、われわれはこんな恐ろしい灰とともに生活している」と述べた

(2012年1月26日木曜日 河北新報)

 白い雪原のように、この国は「絆」一色、美談ばかりですが、もうとっくに絆が切れているから、待望論として急に、右向いても左をみても、突然いっせいに言い出したりするのかなぁ、だってさ、生活保護不正受給防止の名のもとで、役所は申請却下している、という驚くべきニュースが寒い厳冬の北国からもあるしい…、だってさ、2012年1月24日付け 毎日新聞朝刊北海道版(記者:中川紗矢子、小川祐希、佐藤心哉)からです:

札幌市白石区のマンションで知的障害のある妹(40)と姉(42)とみられる遺体が見つかった問題で、姉が約1年半前から3回にわたって区役所に生活相談に訪れ、生活保護申請の意向を示していたことが、市役所への取材で分かった。
 姉は自身の仕事や妹の世話をしてくれる施設も探していたらしく、生活改善策を練る最中に姉が急死し、連鎖的に悲劇が起きた状況が浮かぶ。
 妹とみられる遺体の死因は凍死で、死後5日〜2週間。
 料金滞納のためガスは11月末に止められており、室内は冷え込んでいたとみられる


 あるいは平民皆んなをいっしょくたに、ひとまとめにしてムラ社会に押し込もうと、平民を洗脳するために、津波のように幾度と無く「絆」を流してくる、というのでは、どうなのかなぁ… ヤッホー君のこのブログでもこれまで何度も登場してくる石巻市出身の文筆家、辺見庸さんにもう一度、言わせますと:

国難が叫ばれ、連携や絆、地域、国家を重んじる時代には、往々にして、特異な個人が排除される。
 それだけはあってはならない。
 いま必要なのは手に手をとって「上を向いて歩こう」を歌うことではない。
 個人がありていに話す空間、新しい知をつくることが希望に至る一筋の道だ

(2011年8月31日水曜日付け 日経新聞夕刊「近現代問い直す指標に」)

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2012年01月25日

小山浩正

 『山に生き物がおらん』と率直に印象を語ってくださった若狭町のかた、これは今後、ヤッホー君が山歩きを続けていくあいだは、荒海に光って航路を示してくれる灯台のように大事に、大事に、指針として胸に刻んでいきます!
 困ったとき、進退きわまったとき、しゃがみこんで泣きたくなるとき、そんなときの鐘の音とします。
 
 1月25日水曜日、まだまだ追っかけています、環境考古学…
 「悪魔のプログラム」っておそろしいような単語がこれまで日記に登場してでてきましたが、何だろうってずっと考えてきて、これは山歩クラブで仲間、はるちゃんがよく言う「足るを知る」とは違う生き方のプログラムなんだろう、というところまできました。

 これはヤッホー君のブログ、2010年11月12日付け日記「九州のクマ」でも紹介した山形大学農学部教授の小山浩正先生に由来します。小山先生は、安田喜憲先生のおっしゃっていたことだけど、と紹介してくださっていたのです:

事態を大きく変えたのは鉄器の登場でした。
 ある文化人類学者が1本の立木を伐り倒すのに消費するカロリーを鉄斧と石斧で比較したところ、鉄は石の4分の1で済んだそうです。
 画期的な道具を手に入れた私たちの先祖の前には2つの選択肢が用意されました。
 ひとつは、それまでと同じ時間を働いて4倍の成果を出すこと。
 もう一つは、4分の1の時間で以前と同じ仕事量を済ませ、残りは遊びに費やすやり方です。
 どうやらヒトという種族は、前者を選択するべくプログラムされているようです。
 せっせと森を開墾し、どんどん食糧を作り、蓄えた力をまた農地造成に費やす。
 それで栄えた子供たちもまた森の開墾へ…。
 環境学者の安田嘉憲さんはそれを「悪魔の循環プログラム」と呼びます。
 熱帯をはじめ世界の森林が消失し続けるのもこの循環が止まないからです

(2011年10月9日日曜日付け紙面「森の時間45―山形大学農学部からみなさんへ―」)
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2011:10:09:4312

 ね、わいわいがやがや、大っきな笑顔でゆっくり歩きを指針とする山歩クラブとは違うプログラム、う〜ん、one sort of the way of life ですね。
 この小山浩正先生のエッセーは、山歩クラブ「かわら版」2月号のフロントエッセーで、引用先と併せ、出典を明らかにしてご紹介しました。
 どこから引用したか、と言いますと、「庄内日報」です。

山形県のなかで鶴岡市とか酒田市など、日本海に面している場所を庄内地方と呼びますが、そこにこの地方唯一の日刊紙で創刊65年という新聞社、「荘内日報社」があります。
 山形県庄内(しょうない)地方は、北に秀峰・鳥海山(2236m)、南に霊峰・月山(1984m)、そして西に日本海の地に、城下町・鶴岡市と港都・酒田市を核とする14市町村で構成される。
 「『荘内』と『庄内』のどちらが正しいの」。
 転勤族や観光で訪れた県外の人たちに、よく尋ねられる。
 「荘(庄)園の内」という戦国期からみえる領地のくくり方の歴史があり、古文書にはどちらの表記もある。
 以前は、そうした歴史をはしょって説明したりもしたが、江戸時代に当地を治めた旧庄内藩主酒井家の第17代当主・酒井忠明さんから「どちらでもいいんですョ」と伺った後は、それに沿っている。
 「酒井さんが『どちらでも』とおっしゃっていますから、同義語です。お好きな方を使っては」と。
 いささか無責任のようだが、多くの方は納得する。
 廃藩置県後も酒井家の歴代当主が当地に暮らし、ある種の心の支えになっている歴史の重みも、併せて感じてもらえるようだ

(会社概要より)
http://www.shonai-nippo.co.jp/corporate/

 そこに連載されている「森の時間−山形大学からみなさんへ−」第45回目「悪魔のプログラム」という文章(昨年10月9日日曜日)からでした。
 この「かわら版」は仲間にだけ限定配布されている会報です。ただいま会員募集中!コメントに連絡先等、入会希望メッセージをお寄せください!
 
 この先生もとっても親しみがもてる良い先生です。次の文章をぜひ参考になさって、もし興味がわいたら、先生の研究室のサイトに入って「私の読書法」をご参照ください。

あなたは1週間で何冊の本を読みますか?
 私は学生時代に司馬遼太郎にはまり1日1冊のペースでむさぼり読んだことがありました。
 しかし、最近はさすがにそうはいきません。今の私はせいぜい1週間で1冊、多くて2冊が平均的なところです。
 そうなると「いったい俺はあと何冊読めるのだろう?」と不安になります。
 計算してみましょう。
 1週間で1冊だから、1ヵ月で4冊、年間にすれば48冊です。かりにあと40年生きるとして計算すると私の余命読書数は1920冊と算出されます。なんと、私はあと2000冊しか読むことができないのです。
 この数字は、少ないことで有名な山大農学部図書館の蔵書数よりもさらに少ないはずです。
 残された人生の中で、私がふれることができるのは、人類が書き残した膨大な英知のごく一部にしか過ぎないのです。
 だから、これからの私にはくだらない本に引っかかっている時間がありません。できるだけ多くの分野の本を乱読しつつも、厳選する必要があるのです。
 このため、30代になってから私は原則としてノンフィクションに絞って読むことにしています。
 小説やフィクションは電車や飛行機の移動時間の時にしか読まない決断をしました

http://www.tr.yamagata-u.ac.jp/~sachiro/reading/dokusho.html

 先生は鶴岡市が昨年、応募した「地域活性化総合特区」で重要なお仕事をなさいました。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/sogotoc/sinsei/dai1/111014ichiran.pdf

 どんな内容で、そしてその結果は?
 どなたかご存知の方はお知らせ下さいとのことで、<とっく>よりは<とっくり>のほうが良いヤッホー君、またあとで、と言ってこたつに入り<こっくり、こっくり>はじめたようですよ!また明日、ですね眠い(睡眠)

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2012年01月24日

環境考古学

 今日は中川毅教授のご紹介。
 
そうしていつの日か、日本人しか発想しえないような何かが生まれ、世界に向けて発信されるとき、模倣からはじまった近代日本の科学はひとつの誇りを手にいれ、つぎの新しい段階に踏み出すことになるだろう。これからの時代を担う人たちに、心から期待している
(中川毅「花粉が語る環境史」150頁、安田喜憲編『はじめて出会う日本考古学(有斐閣アルマ、1999)』所収)

 これに尽きます。
 自分の足元の実態を見ないで、アタマだけでデスクワーク、どっか遠いところの範例、事例、典型例をあてはめることで、自分の今日の仕事をしたつもりになっていはしないかい、とヤッホー君も自戒を込めて頷いているわけです。
 この有斐閣アルマによりますと、中川毅先生は1968年東京生まれ、1994年京都大学理学研究科で修士号を取り、1998年にフランスは、エクス・マルセイユ第三大学の博士課程を修了しています。その頃、つまり30歳におなりになったかならないかに、若い世代の人びとに期待を込めた一文をお書きになっているわけです。そのときは、国際日本文化研究センターにて日本学術振興会特別研究員という身分でした。
 
 じゃあ、中川先生は、この後、どんな研究生活を送られ、どんな業積をあげていらっしゃるか、ま、ヤッホーと山路で叫ぶと必ず「アッホー」とこだまがかえってくるヤッホー君ですから、研究の中身についてはちんぷんかんぷんのとんちん菅ですので、どんな研究をしているかっていうと、まったくの余談だが、とお断りしてありますので予断を持たずにお読みくださいね。
 ヨーロッパ生活も経験したことのあるヤッホー君には、先生の研究態度に大いに頷くところがあるのです:

筆者と当時の指導教官、それから研究室の友人の3人は、午前中からほとんど廃道になった踏み後を歩きはじめ、ちょうど昼食時に湖にたどりついた。
 フランスのフィールドワークには赤ワインとソーセージ、それからチーズ、フランスパン、トマトがつきものである。
 晩秋のとてもよく晴れた日だった。
 いい心持ちになりながら、これからの研究計画を話し合ったり、世間話に興じたりしたことは、筆者にとっては忘れがたい想い出になっている

(133頁)
  
 また先生は、ヨーロッパの森と日本の森をこう比較し、印象づけられています:

ヨーロッパの友人とハイキングや登山に出かけると、ときに奇妙な感覚にとらわれることがある。
 山麓からしだいに高度を上げていく。
 はじめのうちはナラやブナ、あるいはトウヒなどの深い森の中を歩く。
 日本人である筆者にとっては、何の珍しさもない風景だ。
 生い茂る枝や葉の密度や、生えている木の多様性は、日本よりかなり乏しいことのほうが多い。
 だから森を歩いていて、ヨーロッパ的に整然とした印象を受けることはあっても、日本の山に分け入ったときのように、森の存在感そのものに圧倒されるということは少ない

(143頁)
 
 ね、中川先生がどんな研究をしているか知りたくなるような文章、つまり読んで欲しい、読んだらそんな研究をしてみない? と誘われているような、うん、赤ワインに思わず酔いしれてしまいたいような文章です。

 その中川先生、2010年7月号の「広報わかさ」にも姿をお見せになっていらっしゃいます。
 先生はもう、イギリス・ニューカッスル大学教授になっており、国際的に、海外の学会で研究成果を発信なされておりました。
 これは「水月湖」の研究ですが、ぜひその号をお読みください:
http://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/file/page/714/doc/1.pdf

 先生は、2010年5月20日、水月湖に近い福井県立美方高校で「湖の土がここまで解き明かす」と題して出前授業を行ないました。
 若い諸君、なにもこの国にしがみついていることはないのかもしれません。海外で職を得て、羽ばたくことだって、選択肢のひとつ、です!
 先生は、高校生にこんなメッセージを残しました:

・創造はしばしば徹底から生まれる=徹底すること、それは量的な変化ではなく質的な変化、人生を切り拓く鍵になる
・なじんだものの価値に気がつこう=ブレークスルーを生み出すきっかけになるものは身近でなじんだ日常の風景の中にひそんでいるもの
・時代はめぐる=物事ははやりすたり風向きは変わる。一つのことを続けていると人生の間に1度や2度は追い風が来る


 輝きと優しさに出会えるまち、若狭町は、名古屋から名神・北陸道で日本海に向かい、敦賀ICで下ります。

 近頃の気候や自然に町民の下坂文雄さんは『山に生き物がおらん、鳥やヘビも』と嘆いています: 

山に入って60年。
 15か16歳から山仕事をしてきた。
 山には数十年前、大量にスギやらが植林されたけど、間伐されんと今はほったらかされとる。
 そやさけ、地面に日が届かず、下草が生えん。
 地面がむき出しで鹿やらイノシシのエサがない。
 根の張りも弱く、風で倒れやすいし、土砂崩れも起こす。
 それに昔ほど鳥やセミが鳴いとらんし、ヘビやマムシも見かけん。
 山に生き物がおらん。
      
 作業道つけて大規模な間伐がいる。
 下草が生え、日の当たる山にせなあかん。
 間伐した後に育つ木は高う売れる。
 動物とも仲良く生きる山がええ。
 山が好きさけん


 そうなんです。中川先生はこんなはっとする森林資源の収奪に関する文章も有斐閣アルマに残されております:

現在のヨーロッパ平原には、手つかずの原生林というものはまったく残されていない…
 エミリ・ブロンテが「嵐が丘」で描いたようなイギリスのヒースの荒野が、実は産業革命期の大規模な森林伐採によってつくられた、かなり新しい景観であることは、一般にはあまり知られていないだろう…
 ドイツのシュバルツバルト(黒い森)なども…、歴史的には、近世以降の植林によって作られた新しい森である

(142-143頁)

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2012年01月23日

政治

 1月23日旧正月。
 朝、ヤッホー君の目が点になったカナダ紙 Globe and Mail の記事がありました。
 軽々には言えない内容なんですが、すごい、アメリカ型ミンシュシュギの圧力団体というのは公然、隠然とも「言論の自由」「表現の自由」があるのですね。
 ぜひどなたか、英語ぺらぺらで、アメリカにもネットワークをお持ちで、背景をよくご存知の政治学者や評論家、ジャーナリストはなんか日本語で論評すべきなんでしょうね。
 でも、ま、地位や名誉やお金を失いたくないアメリカ帰りの選民連中には無理でしょうか、ね。

"Assassinate Obama if he won’t attack Iran for Israel, Jewish monthly suggests”
Paul Koring, WASHINGTON− Globe and Mail Update
Posted on Sunday, January 22, 2012 1:54PM EST
Worldview
http://www.theglobeandmail.com/news/world/worldview/

 ミンシュシュギってよく分かりませんけど、利害調整と言われますよね。
 だからこそ、「結社の自由」があって、平民たちは利害調整できるよう団体を作らないと相手にもされない。相手方と「交渉」するには「団体」をつくることだけど、相手「団体」が、こちら側「団体」より支援者数も圧力も強ければ、多数決で負けてしまう、わけですよね。
 「むきだしのエゴと力と闘争の文明」(安田喜憲)における「団体」は、「美と慈悲の文明」(安田喜憲)における「団体」とは違うもんなんでしょうか、もしかしてその証左が上の記事、かな。
 
 さ〜てどうするか、人身事故や土左衛門になる前に、幸いなことにわれわれは、ミンシュシュギを選んでいるわけなので、なんかぼそぼそでもいいからさ、つぶやきでも、自分の周りで声を出していく、出してもいい権利があるんだよ、という再確認をする必要がちょっぴり残されているんじゃないかなって、ね。

内閣府自殺対策推進室が3月の対策強化月間で使うキャッチフレーズについて、人気アイドルグループAKB48をもじって「あなたもGKB47宣言!」としたところ、有識者でつくる自殺対策推進会議の1月23日の会合で、委員から異論が相次いだ。内閣府は予定通り啓発ポスターで使う方針だが、物議を醸しそうだ。
 「GKB」とは、悩んでいる人を見守り、自殺を思いとどまらせる医師らを指す「ゲート・キーパー」、その役割を幅広く国民各層に担ってほしいとの願いを込めた「ベーシック」の頭文字から取った。「47」は自殺対策の取り組みを全国の各都道府県に広げたい意味合いを持たせている

(東京新聞2012年1月23日20時7分「自殺防ぐ≪GKB宣言≫に異論 対策強化月間の標語」)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012012301002216.html

 それは、旧正月の前日、2012年1月22日日曜日、500万ビューに到達したという hamachan のブログでもありました。
 何も「政治」は永田町だけでない、というそこらへんを、再確認したいところです。
 自分の足許から、かゆいところに届く手の範囲でも良い、なにか変だ、おかしいと思ったら、周りに積極的に話して、共感者を集め、声を集め、大きくしていくこと、ま、実際の現場では困難なことがいっぱいあるのでしょうが、負けないで。。。勇気づけられる一文でした:

およそ人間が組織を作れば、そこにはありとあらゆる政治があるはずです。
 どんな小さな職場であっても、そこの管理職や下っ端、そして、その間に挟まれた中間管理職の間には、実に手に汗を握るような政治が日々展開しているはずです。
 
 そういう政治に対してどう適応するか、それが自分に対して何らかの不利益をもたらすならば、それに対してどう対抗するかも含め、それこそが政治を捉えることのはずです。
 政治にかかわる在り方、生き方を教えるというのは、永田町でやっている政治の話ではなく、むしろ社会のありとあらゆるところで日々行なわれている政治に対する対し方を教えるということだと思います。
 
 それを労働の話に引き付けると、自分が働いている場で起こるいろいろなトラブル、不満、問題をどううまく解決するかが政治の術です。
 政治は古代ギリシャ以来、まさに人間社会の技術の方法で、それが集団的労使関係であり、労働教育で問われている課題です

(hamachanブログ「労働市場の変容と教育システム@広田科研報告書」)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-5920.html

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2012年01月22日

水彩都市

 寒い日曜日でしたね。
 ヤッホー君のこのブログ、12月25日付け日記「クリスマス山行」でもご紹介、引用しました「チーム森田の"天気で斬る!"」によりますと:
 
しらせ南極接岸断念は残念なれど
 自然に立ち向かって無理をすることなく
 自然の流れに沿うことで命を守ることは
 いろいろな場面において同じことかと思います。

 今週は、再び強い寒気が降りてくるため、日本海側での大雪や全国的な寒さが予想されます。
 くれぐれも無理をせず、状況に応じた行動をお願いします

(岡村真美子「南極彼是」午後1時37分更新)
http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/61261918.html

 でもヒッキーでなくクッキーが大好きなヤッホー君、イーチャリに出かけることにしました。浜石岳へのお山歩会の前日、江東区古石場文化センターで映画『フラガール』を見たあと、歩いた深川南部歴史散歩の確認でした。愛用のオリンパス(どうなってんでしょうね、まったくもう)製デジカメを持っていくことを忘れないように。
 
 まずは木場公園の東側を流れている大横川。川面には鴨の一家がぷかぷか骨を休めていました:

大横川.jpg

 木場公園では、恒例の「大陶器市」が開かれております。ぜひ行って見て触って、自分だけの掘り出し物を見つけてお買い求め下さい(1月29日までの午前10時〜午後5時、都立木場公園イベント広場特設会場)。
 この市は次のサイトもありますので下↓は要チェック!
全国大陶器市振興組合は、各地域の産地小売卸業者また窯元生産者などによって構成されております。
 私たちは、年に20回ほど日本各地の都市公園を中心に、やきもの文化振興・普及・啓発に寄与する目的で全国大陶器市を開催しております。
 会場は野外が中心で、広場に仮設テントを設置し、活気溢れる昔の市(楽市楽座)を再現しております。
 見るだけでも楽しめますし、商品を値切ったりする醍醐味も味わえます。
 取扱商品は家庭用食器を中心に、業務用食器、また日展作家、伝統工芸作家、人間国宝作家などの美術品もあります。
 商品の半数は、デパートやスーパー等に展示されていない一人、二人で作陶しております作家の個性的な作品が並んでおります。
 よい器に出会うにはたくさんの器にふれるのが一番です。
 私たちは、見て、さわって、楽しい、安くて、面白い、お客様に喜んでいただける陶器市を目指しております

(全国大陶器市振興組合 代表理事 川尻健児、佐賀県西松浦郡有田町幸平1-1-2 Tel 0955-43-3368)
http://dai-toukiichi.com/index.php

 ところで向かった先は八幡堀遊歩道。橋にはヒト以外の生き物も集まってきます。
 鴨の次は、ネコ!

弾正橋.jpg

 橋下にはキャットハウスもあって気持ちよさそうにおねんね。いえ、ネコに焦点を合せるのでなく、写真をとりに来たわけは、この「八幡橋(旧弾正橋)」です!
 この橋は、1978(明治11)年に東京府の依頼で工部省赤羽製作所において鋳造された日本最古の鉄橋で国の重要文化財です。
 当初は中央区の楓川に「弾正橋」として架けられましたが、関東大震災後の帝都復興事業区画整理で、1929(昭和4)年に現在の場所に移設されました。
 「八幡橋」という名は、富岡八幡宮の東側にある八幡堀に架けられたことに因みます。
 「八幡橋」には、菊の紋章の装飾など明治初期の風格を持つ橋梁史上貴重な橋なんですが、ネコに気をとられたヤッホー君、写真に収めるのをすっかり忘れていました。次回!
 
 その先に「旧新田橋」もあります:

旧新田橋.jpg

 この橋は、1932(昭和7)年に地元開業医、「木場の赤ひげ先生」とも言われていた新田清三郎氏が事故で亡くなった妻の供養のために寄進した橋だそうです。
 1952(昭和27)年制作の映画「稲妻」では高峰秀子と三浦光子がこの橋を渡り、下宿から橋を見下ろすシーンがあったのをご存知ですか?(シーン)
 
 大横川に架かる現在の真っ赤な橋、新田橋は2000(平成12)年に架け替えられたものです:

新田橋.jpg 
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C.W.ニコル

 1月22日日曜日遅く起きた朝、昨晩の続きを考えています。

 1月8日の浜石岳の山歩きのあと、『浜のかきあげや』に寄ろうと、バスの中で、歌手のジェロニモも寄ったんだよ、って言ったら、仲間からすぐに訂正が。
 違うよ、あの歌手はジェロ(1981年、アメリカ・ピッツバーグ生まれ)、ジェロニモはオサマビンラディン(1957年3月10日?-2011年5月2日?)って。

 ヤッホー君がアタマのなかでいろいろと思いやっていたことって、ね、こんなことなの:

 激しいしい森林破壊と土壌劣化で食料危機に陥ったヨーロッパ人たちが、森と牧場と水を求め、新天地を求めて、そこに住む生き物を蹴散らし蹴散らし(アパッチ族でも、異教徒でも、ジェロニモは撃ち殺し)移動していくのですが、いまやもう新天地はなく、宇宙に生存可能な星があるかってお話しなんでしょうが、気温がちょっと下がっても皮膚感覚が悲鳴をあげる非常に限定的な条件でしか生きられないヒトって生き物は、いま、地球環境と、そしてそこに生を育んでいるすべての生き物と「折り合いをつける」ことなんでしょうね、っとこと。

 なにもヒトが地球で最高の存在であるから存在を維持していくためには、他を犠牲にして(それをいかに、効率よく手っ取り早く安くできるかの技術じゃなくってさ、それが「悪魔のプログラム」だよね)、劣っている他の存在は強い最高位の存在のために捧げても良い、なんていうんじゃなくって、ね。

 消える森と絶滅する森に暮らす生き物たち:

17世紀のヨーロッパ、とりわけイギリスは激しい森林資源の枯渇に直面していた。
 エリザベス1世の殖産興業政策によってイギリスは独自に鉄を製造し、ガラス工業や陶器さらには塩も自前でつくることができるようになった。
 このためには大量の燃料を必要とした。
 交易のための商船や海軍力の強化のための艦船をつくるのにも大量の木が必要だった。
 イギリスの経済発展によって、人びとの生活も豊かになり、建築ラッシュとなった。
 これまでは貴族しか使用しなかったオークの木で家をつくり、さらにブドウ酒を楽しめるようになった。このブドウ酒をつくるにはオークの木でつくった樽が必要だった。
 イギリスの人口も急増した。
 1500年に260万人たらずだったウエールズの人口は、ペスト大流行直前の1650年には560万人と、2倍以上に急増している…

 1620年、イギリスのピルグリム約30人を含む102人を乗せたメイフラワー号が、マサチューセッツのコッド岬に到着した…
 アメリカ大陸へのヨーロッパ人の大量移住は続く。
 19世紀の後半までにアイルランドの人口の半分がアメリカに移住し、スエーデンでは当時の人口の3分の1が移住し、1815〜1940年の間に、約7000万人のヨーロッパ人が、新大陸やオーストラリアへ移住したと指摘されている

(安田喜憲『文明の環境史観』(中央公論新社、2004年)

 このイギリスのウエールズ出身の作家、環境保護活動家、探検家にC.W.ニコルさんがいらっしゃいます(1940年生まれ、1995年日本国籍取得)。ちょっとこの「赤鬼」に耳を傾けてみましょうよ:

安倍晋三首相は「美しい国創(づく)り内閣」を掲げていますが、美しい国が何を指すのか、イメージがなかなか定まりません。そこで、日本の豊かな自然にひかれ、荒れ果てた森の再生にも取り組んでいる作家でナチュラリストのC.W.ニコルさんと一緒に、日本の美しさとは何かを考えてみたいと思います(記者・豊田洋一)

 あの当時はまだ、天然林や原生林がたくさんあった。
 クマがすめる森は、すばらしい、うらやましいと思ったんですね。
 ブナの原生林は世界中でほかにはないんじゃないですか。
 クマが出る場所は「神々の森」だと感じました。
 英国ではとうの昔に消えた、たくましい美しさが日本にはまだあった。
 日本はヨーロッパと違って、氷河期に氷で覆われていないから、動物、植物の種類が圧倒的に多いんです。
 だから、日本の珍しい生きものを見て、毎回感動してました。

 田中角栄首相の時代から、本当に醜いものをどんどん造り始めた。
 川を殺して、森を単純にして、無駄な建設ばかり、今でも続けている。
 日本は「がらくたの国」になってしまった。
 それに、平気でごみを捨てたりするでしょ。
 われわれは日本中回りますが、景色のいい高台から下を見ると、ごみがあるんですね。
 自然を破壊し、そのバラエティーを単純にしてしまうと、日本の技術力までもがおかしくなってしまう。
 日本人が変わってしまいます

(2007年3月13日東京新聞「ニコルさん、美しい国って何ですか?」)
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/hogo/120117.html

 これは3.11の4年前ですが、冨士山の麓にも知らん振りして家電製品や、旧いクルマや、がらくた、ごみを捨ててくる日本人がいました。昨年夏だって、隅田川の大川に知らん振りしてごみ袋を二つも投げるお年寄りを見かけたもんです。
 おかしくなった日本、変わってしまった日本人って、けっこう当っているんですね。
 だからすくなくとも「いま、ここから」、そんなんじゃない日本にし、そんなんじゃない日本人になりたい、としているわけですが、ヤッホー君の前に道はないのです。

 ニコルさんも誤解を与えていました。原発に協力的だったんじゃないか、と指摘されたからです。ま、取材費、出演費としてたんなり電力会社からもらったことでしょうし、でもそのお金は、私財を投じて森を買ったその基金か、会社の収入にしたのだから、などともちろん、言い分はあるわけですよね:

これらの仕事では、環境問題の一つとしてCO2削減など原発に有利になるような話はしておりません。
 「原子力安全PRに協力」などはまったくの事実誤認です。
 また、これまでに各電力会社主催の講演会の依頼はありましたが、いつも原発関連はダメですとはっきりお断わりをしておりました。
 C・Wニコルは、26年前より自宅のある長野県黒姫で荒れた森を私財を投じて買い取り、生態系豊かな森へ回復するため人生をかけ尽力してまいりました。
 また、今回の大震災でも日本の行末を心配し、自然に抗う復興の仕方ではなく、自然と共存する国のデザインをするようさまざまな機関に提言をし続けております

(2011年4月10日 株式会社C.W.ニコルオフィス 森田いづみ)
http://www.cwnicol.com/pdf/110410_gonin.pdf

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2012年01月21日

安田喜憲

 遅く起きた休日、1月21日土曜日。
 ブランチはスパゲッティー。
 まずは妹が以前送ってくれたコーヒー、スペシャルブレンドをいれてみます。
 どこでブレンドしたかって言いますと、太宰治(1909-1948)も通った「万茶ン(青森県弘前市土手町36-6 Tel 0172-35-4663)」。ここは:

1929(昭和4)年オープン、80周年を迎えた「かくみ小路」にある老舗の喫茶店、万茶ン。
 東北では最古、全国でも4番目に古い喫茶店といわれています。
 初代の妻・カネさんは、娘時代をロサンゼルスで過ごし、そこで珈琲の美味しい入れ方を覚えました。
 初代は、青森市の事務所でピアノ調律の仕事をしていたので、主にお店は妻のカネさんが切り盛りしていました。
 「万茶ン」という名前は、何「万」人のお客様に、お「茶」を差し上げて、お客様にも店にも「ン(運)」がつくようにと、現在のマスター・香西宏真さんの祖父にあたる初代マスターが付けられたそうです。
 スペシャルブレンドは昭和天皇皇后両陛下が弘前にご訪問された際に召し上がられているほか、小説家の石坂洋次郎さんも飲まれている珈琲になります

(ブログ「まるごと青森」より)
http://marugoto.exblog.jp/

 ムカシ、喫茶店の窓側に座り、コーヒーの匂いに包まれながら、煙草を燻らせ、バックグラウンドミュージックに流れるクラシックを聴き、街を通る人びとを眺めながら、広げたノートに詩を書く…、そんな時期もありましたねぇ。
 イマ、このコーヒーって、どこの国の誰がつくってるんだろう、どうやってつくってるんだろう、どうやってこのテーブルまで来るんだろう、と考えるようになり、憧れ依存症から脱却できました。
 行きつけの喫茶店がいつの日かつぶれて廃業、シャッターが下りてからのことですね。ファーストフードチェーン店に様変わり、自然と、煙草をふかすのは手足の長い外国映画の銀幕のスターの真似をしていただけで、手足の短い黄色い顔の鼻も低いヤッホー君には猿真似だ、と諦め、クラシックよりは演歌を聞き、コーヒーよりは日本酒を愛飲するようになってからですね、とくに。
 
 今日こうして飲んでいるコーヒーだって、箱に書いてあるのを読めば、生豆生産国は「コロンビア、ブラジル、グァテマラ、その他」とあります。
 きっと生産者は子供も含めた家内労働、いやもしかしてプランテーションの土地なし雇われ労働者? コーヒー木から集荷場まで担いで裸足かスリッパで運び、買い叩かれ、手もといくら残るんだろうね、あとの価格決定は、先物取引だから先進国の空調の効いた市場でパソコンを駆使して、決まるんだろうけど、現地の生産者のいないところで金余り、金儲け主義のファンドたちの間だけで決まり、ずいぶんと遠いところから運ばれてくるんだよね。

 コーヒーのためにブランチにスパゲッティなんてのも、考えてしまったヤッホー君。納豆に、漬け物、味噌汁にご飯、最後はお茶でしめる、とこれで良かったんじゃん、なんて思ってしまいました。

 ヤッホー君のブログ、昨年の暮れ12月18日の日記「平野秀樹」で紹介した新潮社の3.11の1年前の本、『奪われる日本の森』(2010年)はお読みになっていただけたでしょうか。
 「あとがき」で著者、平野秀樹は、この本を執筆するきっかけになったあるメッセージを紹介しております:

市場原理主義のもと、マネーゲームによる投機の対象として、日本の国土の屋台骨である森や海岸が狙われています。外資が大いに関心を示しています。
 これに対して日本の政治家は全く無関心で、それどころか西日本のある県では、「外資が土地を買いに来て、これでわが県の土地も値上がりする」と地元出身の国会議員が喜んでいる始末です。
 これでは日本の未来は極めて危ない。日本人を日本人たらしめている美しい国土が、投機マネーの対象となったとき、それは日本人が終わるときです。
 こうした一連の動きを国家の重大な課題として取り組むよう、早急に政策提言を行なう必要があります


 この檄文を書いて寄せたのが、安田喜憲(1946年三重県生まれ、東北大学、理学博士、現在、国際日本文化研究センター教授)でした。
 森を破壊し草原にし家畜を放牧し、パンを食べミルクを飲みバターやチーズを食べる人々の「畑作牧畜民」とは違う、「稲作漁労民」に特有の価値観があって、これは地球上における優劣、上下、差別でない「棲み分け」なのだから、われわれ日本人もこうした祖先のプリンシプル、叡智と伝統に立脚しているのだ、ということから、「畑作牧畜民」の編み出したグローバル化する市場原理主義のなかで、国政も外交も展開すべきだ、としているのです。
 なるほど、いまは、あっちにふらり、こっちにふらり、漂っているだけですもんね。

3月の東日本大震災に続き9月には台風による豪雨災害と、今年は大きな自然災害が相次いでいる。繰り返される天変地異は民族の自然観や人生観を形成する。気候と文明、環境と人間の関係を追究する「環境考古学」を打ち立てた安田喜憲氏は、原発災害をも引き起こした今回の大震災を契機に「われわれは物質エネルギーに偏重した文明から生命を尊重する文明に転換すべきだ」と唱える(聞き手 本誌・本谷夏樹)…

 私は「物質エネルギー文明」から「生命文明」への転換が必要だと思っている。
 近代ヨーロッパが生んだ物理学は、文字通り、物の理を追究する学問で近代文明のシンボルだった。
 そのおかげで私たちは豊かな生活を満喫できた。
 しかし、それが行き着いた先は、現代の金融資本主義と市場原理主義で、お金中心の社会だ。
 物理学が究極的に核兵器を生んだことに象徴されるように、本質的に生命を軽視し、過去の歴史に学ぶ視点を見失いやすい文明原理をはらんでいた時代ではないかと思う。
 今回の巨大地震を予知できなかったのも、私はこうした物理学主導の学問の原理に深くかかわっているのではないかと思っている

(2011年10月7日毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/seiji/forum/ashita/archive/news/2011/20111005org00m010022000c.html
 

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2012年01月20日

世界無名戦士の墓

 ヤッホー君のこのブログ、1月17日付け日記「慰霊の旅」で、川田順造先生がなぜ「8月15日、靖国神社、千鳥ケ淵戦没者墓苑、東京都慰霊堂の三っつをわざわざ巡るフィールドワークを続けているか」と疑問符をつけたまんま、翌18日水曜日に南房総市で山歩きを楽しんできたわけですが、考える時間を思い切ってとるって、「悪魔のプログラム」に嵌ってしまって、相変わらずばたばたのヤッホー君には無理なんですかねぇ〜。
 「幸せのプログラム」に今年こそ転換しようっと…

カッシーとも18日一日、歩きながら一致した共通の思いってのがあってね、やはり人間、お金とか名誉とかいうんじゃなくって、それよりも体が丈夫で、自分の手足だけに頼って、何〜んにない自然のまっただなかをこうやって、自力で歩いていけることがきっと幸せなことなんだよねえ〜って。
 暖かくなってきたら、重力に逆らって、体を上へ運ぶ動作も必要ですから、ぜひ体のためにしてあげましょうね。それまでは、体を横へ運ぶ、あるいは頭を使うことの企画をして、またお誘いし続けますので、いっしょに手足と頭を動かしましょうね。
 今日19日は、山歩クラブかわら版2月号を作成、印刷、宛名書き、発送の手配等をして一日、過ぎてしまいました。途中でインクが切れ、「コーナン江東深川店(Tel 03-5639-9705)」まで走りました。だめもとでも、と冷たいみぞれの舞う中、傘をさして行ったのですが、純正ではないのですが、エプソン用のインクがホームセンターで買えました


 寒かったですよ、今日は大寒!
 そんな寒中、ヤッホー君は初春、梅の花咲く前に訪れた大高取山 376m のことを思い出していたそうです。
 いえ、ね、18日の御殿山に向かう途中でもタカトリ山 350m を通過しましたが、カッシーに漢字は? と聞いていたそうです、千葉の山は鷹取山!

大観山の山頂に第二次世界大戦で亡くなった戦士の霊を慰めるために建てられた白亜の霊廟。
 町内の医師、長谷部秀邦氏(元埼玉県議会副議長)が発起人となり、多くの浄財や献身的な協力により、1955(昭和30)年8月に完成しました。
 納骨堂には200余柱の霊が眠っています。
 毎年5月には、世界の恒久平和を願って、世界無名戦士並びに越生町戦没者追悼式が挙行されています。
 夜には、盛大な花火大会が行われます

(埼玉県越生町公式サイトより)
http://www.town.ogose.saitama.jp/

 山歩クラブは、2006年4月1日、奥武蔵のウメの里を、ウメでなくサクラの花さく頃にのんびり里山歩きを楽しんできたことがあったのです。
 さくらの山公園にある「世界無名戦士の墓」と「桂木観音(行基の開いた寺は、秩父連山が急迫して屏風となり、その山麓の春の朝は霞たなびき、咲き乱れて香る風景だったそうです)』を結ぶハイキングコースを歩いて、2006年度に向けて船出する山歩クラブの無事の航海を祈ってくる…、これがメーンテーマでした。

 あの、その、なんで「世界無名戦士の墓」かっていうと、国会のなかでも当時、真剣に議論があったのです。そりゃあ、そうですよね、海外で倒れた日本人って何も靖国神社に祀られる軍人軍属だけじゃ、ないもん、ほら行旅死亡人というか、無縁仏、というか、そんな民間の日本人の骨壺が海外からゾクゾク厚生省の庭に届いたっていいますもん:

○ 受田新吉委員(1910-1979年、元民社党衆議院議員(当選12回)。山口県大島郡大島町(現周防大島町)出身)
今度の無名戦士の墓に関連して、全国的に無名戦士の墓を建設する動きが各所において行われておる。小林厚生大臣の御出身の埼玉県でも、無名戦士万国忠霊塔という形ですか、何かの形で建造されているということがある。私の郷里である山口県にも、無名戦士の墓あるいは万国忠霊塔というような形で、世界のすべての戦争の犠牲になった人を含めた性格のものの計画が随所に行われていることは、政府は御存じでございましょうか。
○ 小林栄三国務大臣(1892–1972年、1925年の川口町会議員当選を振り出しに政界入りし、埼玉県議、川口市議、同市議会議長を経て、1947年第1回参議院議員通常選挙に日本自由党から埼玉県選挙区にて立候補し当選を果たす。以後連続当選3回)
私の出身県でありまする埼玉県の越生には、御承知と思いますが、世界無名戦士の墓というものがりっぱにできております。これは、その土地の人格のある県会議員の方等が発起人になられまして、県でも多少の分担金を出しましたり、あるいは各方面の有力な方たちの寄付金等によりまして、相当の費用をもってりっぱな墓ができております。これは世界無名戦士の墓でありますから、単に日本人のみを対象としてはおらないのであります。これはよく承知いたしております。
○ 受田委員
 そうした全国各地に行われておる運動、世界無名戦士の墓あるいは万国忠霊塔というような形の建設運動に対して、政府は今度計画されるわれわれの国の、いわゆる無縁仏の立場にある方たちを祭る無名戦士の墓との関連は、どういうことになるのでございましょうか。
○ 小林国務大臣
 これは終戦直後今日までの間におきまして、今回のようないわゆる政府が管理をいたしまする無名戦没者の墓ができまする以上は、そういうふうに、各地にできるようなことはなくなると思うのです。今日までの間におきましては、各地に無縁仏の方をお祭りするというようなものが有志を中心といたしましてできたと思いますが、こういうものができました以上は、今後は各地にそういうものがどんどんできていくことはなくなるものと考えております

(第025回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号=1956(昭和31)年12月3日月曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/025/0012/02512030012004a.html

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2012年01月19日

車検

 今日1月20日木曜日、ヤッホー君は愛車の車検にクルマを墨田区の整備工場へ。
 この整備工場は『ウインズショールーム』と言って操業1930年、というから歴史のあるところ、つまり地域やユーザーからの信用と信頼を得ている会社ですね。

『(株)ウィンズショールームは国産車・外国車ともに車検・整備・販売の出来る総合ディーラーとして 墨田区にて営業させていただいております。
 私どもサービス業は目に見えない物を販売させていただく仕事です。
 その目に見えない物とは「安心・安全」だと当社は考えます。
 お越し頂く全てのお客様に満足していただけるように工夫、努力を致します。
 お車のことならどんなことでもご相談ください【スタッフ一同】』

http://www.winsshowroom.com/

 ところで、クルマ。ま、クルマだけではないのですが、TPPのこと。

大手自動車3社でつくる米自動車政策会議が「先進国で最も(自動車市場が)閉鎖的な日本の参加は、TPP交渉を遅らせる」と反対姿勢を表明。
 税制優遇されている日本独自の軽自動車規格について「日本メーカーだけに恩恵がある」と廃止を求めた。
 日本側は自動車輸入に関税をかけていないことも理由に「閉鎖的と言われる筋合いはない」(経産省幹部)と反論するが、米自動車業界は今後、オバマ政権に対し日本の参加を認める代わりに米国車輸入拡大措置を迫るように働きかける可能性もある。

 大半の米業界は、TPP参加をテコにした関税や規制撤廃で、対日輸出やビジネスを拡大させたい思惑が強い。
 スーパー「西友」を展開するウォルマートは「コメのような法外な輸入関税の是正など日本での事業拡大を妨げている障壁除去のチャンス」と期待。
 全米食肉協会も「日本は包括的な農業市場開放を」と牛肉輸出拡大に虎視眈々だ。

 米生命保険協会は日本郵政傘下のかんぽ生命保険をターゲットに「国有保険が民間競争をゆがめている」と強調。
 郵政民営化進展で競争条件が公平になるまで、かんぽ生命に自前のがん保険販売を禁止する措置も求める

(毎日新聞 2012年1月16日朝刊)
http://mainichi.jp/select/biz/news/20120116ddm002020118000c.html


日本自動車工業会(自工会)は1月18日、2012(1〜12月)の四輪車の国内需要見通しを発表した。
 内訳は、登録車が前年比20.3%増の323万5500台、軽自動車が同17.0%増の178万台。
 自工会では、2011年に東日本大震災で新車の供給が不足した反動に加え、エコカー補助金の復活などが需要を底上げすると予想。
 補助金復活などを追い風に「市場活性化に努力したい」と話している。

 一方、同日発表した2011年の四輪車の新車販売台数は、前年比15.1%減の421万220台だった。
 円高不況に見舞われた1977年の419万4249台以来、34年ぶりの低水準。
 震災やタイの洪水の影響で新車の供給が滞ったことが響いた

(毎日新聞 2012年1月19日朝刊 新車販売台数500万台回復へ)
http://mainichi.jp/select/biz/news/20120119ddm008020121000c.html

中国の自動車メーカーの業界団体、中国汽車工業協会は1月12日、2011年の新車販売台数(中国国内生産分、工場出荷ベース、商用車、輸出を含む)が10年比2.45%増の1850万5100台だったと発表した。
 中国政府の新車購入補助金の縮小などが響き、13年ぶりの低い伸びとなった。
 世界最大の中国市場の減速は世界経済にも影響を与えそうだ。中国の新車販売台数は09年に米国を抜いて世界最大となっていた

(日経2012年1月12日16:29更新「中国新車販売、13年ぶり低い伸び 11年2.4%増)

 え〜と、逆にですよ、政府間TPP論議に加わったら、軽自動車規格の廃止ではなく、低燃費で車輌重量も重いアメ車が世界標準規格ではなく、欧州でも軽がたっくさん走っているのだから、逆に軽自動車規格をエコカーや電気自動車、太陽光で走るクルマのように規格化する音頭取りすべき、なんてことの前提そのものが崩れているのだから、ザンネンですよねぇ〜。
 たら、なんて周りにも参加して判断すれば良いみたいなご意見もありますけど、論議しているあいだ、えへらえへら、にやにや笑いして、しゃべる機会があっても訳の分からない二枚舌、意味不明、解釈自由みたいな不思議な言説を連ねているばかりでしょうから、官僚には今更、なんの期待もできないのでは、コクミンではなくトモダチのほうを見ている限りは、ね。

 ヤッホー君が尊敬してやまない小児科の先生は1月16日、またもあきれていますよ:

新聞の報道によると、SPEEDIのデータは、外務省を通して米軍に、気象庁を通してIAEAに、事故後の早い時期から渡されていたという。一方、官邸には伝えられなかった。
 また、事故後早い時期から文科省により、原発周辺の放射能測定が行われたが、浪江町のような高線量地域に避難した人びとに、そこが危険であることが文科省から伝えられることはなかったそうだ。
 NHKの報道では、毎時300μSvという高線量地域の避難所では、インタビューするNHKのスタッフにそのことを聴くまで、避難していた人びとには何も知らされなかったという。
 米軍・IAEAに、予測データを渡していたという事実に改めて愕然とする。

 「知らしむべからず、依らしむべし」という官僚の基本的なスタンスが、ここでも露呈したのではないだろうか。
 官僚による、情報操作は目に余る。医療経済の統計等でも財務省はやりたい放題だ。こうした官僚の態度が、国を誤った方向に向かわせる

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2012年01月18日

御殿山364m

 1月18日水曜日、平日ですがヤッホー君はお休み、事務所の皆さんがゴールデンウイークの振り替えで休みをとってもいいですよと、なんと優しいのか、ずる休みやサボタージュではないんですよ、で、休みとなればどうするかって、もちろん山でしょ。
 カッシーのお休みの日に併せて、愛車をとばすことにしたのです。といって、スノータイヤなんて履かせていないので、雪のない暖ったかいところと、房総を目指しました。
 この愛車のナビさまは、もうお局様。
 館山道も途中で道路が貫通していないと判断して下りてください指示がでて、一般道路を走ってまた、館山道に上らせたとかいうハプニングもあり、帰りはナビ様の指示無視の貫徹の方針を確認し、カッシーとダンコ闘うぞ、と誓い合ったやじきた道中!
 房総の山は当初、千葉県の最高峰、愛宕山と考えていたのですが、調べてみると自衛隊に占拠されているとわかり、反戦平和、軍隊のない日本、人殺しは極刑、と教えられて育ったミンシュシュギ世代のヤッホー君は足が遠のき、千葉県の第三位の高峰、御殿山を目指したのです。

『愛宕山(408.2m)は千葉県の最高峰です。
 実はこの山は日本一の山でもあります。
 各県の最高峰のなかで、日本一標高が低いのがこの愛宕山。
 山頂に自衛隊のレーダードームがあるので、事前に入山者の住所・氏名を明記して予約を取る必要があります(予約先:航空自衛隊嶺岡山分屯基地 Tel 0470-46-3001 当日は運転免許証・健康保険証など身分を証明する書類が必携です)』


『御殿山(363.9m)は南房総市冨山町にある。
 遠くから眺めても直ぐにそれとわかる特徴ある山頂は、丸い樹木で覆われている。
 頂上に行くとわかるが、この樹木は4本のマテバシイと1本のスダジイの大木からなっている。
 すぐ目の前には同じ冨山町内の特異な岩峰伊予ヶ岳(336.6m)や美しい双耳峰の富山(とみさん、349.5m)が見える。


御殿山.jpg

 天気が良ければ鋸山や鹿野山、さらに東京湾の向こうには三浦半島や丹沢、箱根から富士山まで望まれる。
 南に目を転じれば太平洋の向こうに伊豆大島を望むこともできるだろう。
 頂上から大日山への縦走路は急な下りであるが、両側はツバキやサザンカが植えてあり最盛期には見事な花のトンネルとなる。
 鞍部から登り返すと鷹取山になり、更に先に行くと両側が削られた痩せた稜線となり階段と柵が付けられている。
 ここは乳首のような樹冠が特徴的な御殿山の好展望台なので、往路を戻る場合でも是非ここまで足を延ばすことをお勧めする』
(千葉日報ウェブ版 日本山岳会の千葉山行日記より)
http://www.chibanippo.co.jp/cn/feature/mountain/12

 写真は、本日の御殿山から冨山、伊予ヶ岳の大パノラマ展望です。
 いいでしょ、いいでしょ。
 霊峰冨士の嶺は、ニホンスイセンの咲く大日山の頂上から、冨山の後ろに見えました。これは午前中、お昼時の御殿山からはもう靄のなか、しかし、東京湾、太平洋が臨め、良い気分、夢気分。
 良い山、良い仲間、良い天気と、もう三拍子も揃ったサイコウの山日和となりました!
 
 さっそくヤッホー君より19:47にご帰館報告の一斉メール:

こんばんは。かっしーと下見山行に房総は御殿山364mを今日、歩いてきました。明るい冬の柔らかい日差しのなかを歩くのはなかなかのものです。山路は見所いっぱい、良い山です。
 館山温泉は休暇村で。これも東京湾、太平洋を見ながら汗を落とし、上機嫌でお風呂をでてきました。
 本番のときは、ふたりで房総の山のコンシエルジュを勤めさせていただきます。ぜひお楽しみに…。
 それと会長宅で近く「ウチ来て飲も飲も会」を開催し、10回目を迎える記念の総会と新年度の山選びなどの談合席を設けることになりましたので、ぜひいらしてくださいね。では、また後ほどに


 そうしたらこだまのように、さっそくお返事がヤッホーと返ってきました:

お天気に恵まれ楽しかったですね。1月末となるとこれまで何度か、伊予ヶ岳〜富山〜岩婦温泉を歩いていましたね。水仙の花が咲き、スミレの花が咲いて、いいですよね。バスの回数も少なく、不便なんですよね。一昨年行った時は、ミカンが豊作で、誰も取らないので、甘いミカンに、カラスが群がってました。カラスの利口さに脱帽した思いがあります。
 冬の時期は千葉の山は、いいですよね。
 御殿山はまだ行っていないので、ぜひ行きたい山です


お疲れさまでした。今日は、お天気に恵まれ、良かったですね。やはり、普段の行いが、良かったせいなのかな?な~んてね

 
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2012年01月17日

慰霊の旅

 1月17日水曜日、またヤッホー君、風邪気味で鼻ぐすぐすしております。この寒い時期はいっつも風邪にやられるので注意をしてマスクもはずさずにいるのですが、駄目ですね…

『このような悠久の歴史と美しい意味を持つ「姜」ではあるが、現在、なぜかショウガの当て字に使われている。
 日本だけの現象ではなく、中国でもおなじである。
 ショウガの漢字は「薑」であるが、書くのは難しいので、同発音の姜を使って代用した、といわれる。
 ただ、この誤用は明かに歴史、文化に対する冒涜なので、このような言い方は中国で、特にインテリーに軽蔑されている。
 自己紹介の場合かならず「美女の姜」と付け加え、ほかのジャン(江など)と区別する。
 この場合、「ショウガの姜」という人もいるが、「無教養のやつだ」と面と向かって言わないが、心の中で軽蔑の念が起こる。
 でも、時光が流逝。
 だんだん無教養の連中が世の中に充満し、この「姜」をめぐる美しい歴史、伝説を知る人がむしろ少数派になっている。嗚呼!』

(…http://www.cc.okayama-u.ac.jp/~jiang/jiang.html)

とお嘆きになるのは、ジャン・クウシー岡山大学文学部教授(日本近現代史専攻)。いえ、ね、なんでか、と申し上げますと、この先生の小論「湛山の遺産――侵略の反省・平和なアジアへの構想力」『週刊東洋経済』2005.8.6・13)がとても素晴らしいからです。

8月15日、日本は戦後60年の節目をむかえる。
 この小泉首相の強硬姿勢を見た時、思わず敗戦直後における、元首相石橋湛山の靖国神社廃止論を思い出す。
「大東亜戦争は万代に拭う能わざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、…遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之れを祭って最早『靖国』とは称し難きに至った」
「後代の我が国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか」

 いま日本国民が必要とするのは、あの悲惨な戦争への反省であり、靖国神社のような「怨みを残すが如き記念物」ではない、と…
 
 靖国神社参拝の問題で強硬な姿勢を貫く小泉首相とは対照的に、6月28日、明仁天皇ご夫妻がサイパンへの慰霊の旅にでた。
 6万人の日本軍民の犠牲者だけではなく、沖縄出身の犠牲者ための「おきなわの塔」と、韓国出身者の「韓国平和記念塔」にも黙礼をささげ、また、ガラパンのアメリカ慰霊公園内にあるマリアナ記念碑と、米軍人犠牲者を追悼する「第二次世界大戦慰霊碑」にも花輪をささげた(毎日6.28)。
 このような国境無しの、本当に戦争犠牲者の霊を慰める誠心誠意こそ、日本とアジアの未来関係を作り出すためのよい手本ではなかろうか


 うん、この「明仁天皇ご夫妻」の慰霊の旅については、川田順造先生もふれられておられました。戦後50年の節目の年、1985年、長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂への「慰霊の旅」に赴き、原爆犠牲者や戦没者の冥福を祈り、それから10年後の1995年(平成17年)、さきほど言ったように、激戦地のサイパン島も訪問、犠牲者を悼まれたのです。つまりヤッホー君の2012年の初詣でもあった、人気のないあの横網町公園の都慰霊堂でも手をあわせられていたのですね。

 川田順造先生のことでいえば、どなたかが言葉足らずで書いていました(1月14日付け日記「川田順造」を参照)が、なぜ先生が8月15日、靖国神社、千鳥ケ淵戦没者墓苑、東京都慰霊堂の三っつをわざわざ巡るフィールドワークを続けているか、ですよね、われわれに振られた問いかけですので、文化人類学なんて高尚なもので無くって、蚊歌人涙岳の観点から、回答をしていかねばならないのですが、靖国神社にはヤッホー君がいまだになぜ乱を起こしたのか、謎を解きあぐねている西郷隆盛も祭られてはいない訳ですよね、また、死屍累々とあったアジア各地での遺骨が厚生省に届けられても、名前も分からない軍人軍属でない、満州開拓民、床屋さんとか民間人もいたでしょうし、そんな日本人の骨をどうするのか、という問いかけがあったわけですよね。
 さらに言えば、9.11の同時多発テロなんていいますけど、その方々は1945年の3月、無差別テロで10万人超の下町の人びとを焼き殺しているわけですよね、その名前もわからない人たちはどう祀れば良いのか、ということもあるわけで、問題の底は底知れぬほどにぽっかりと漆黒の穴をあけているわけで、今日はここまで、あとは明日以降、また考えていきましょうね。

東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」は、1999(平成11)年3月の東京都議会第一回定例会における付帯決議「東京空襲犠牲者追悼碑の早期建立について取り組むこと」を受けて、建設の取組が開始されました。
 同年10月、碑建設の趣旨に賛同した都民、団体等が「東京の大空襲犠牲者を追悼し平和を願う会」を設立し、都民の願いが込められた碑とするため募金活動を行いました(募金期間:平成11年11月から12年9月末まで)。
 平成12年12月、「東京の大空襲犠牲者を追悼し平和を願う会」から募金活動による90,659,207円が東京都に寄附されました。
 東京都は、これを碑の建設経費の一部に充て、平成13年3月に竣工しました。
 碑の作者は彫刻家土屋公雄氏、作品名は「記憶の場所」です

(「空襲の犠牲者・死者を想起する〜せめて名前だけでもと言う語りを通じて〜慶応義塾大学社会学専攻科博博士課程木村豊論文ほか)
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=40213

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2012年01月16日

深川小学校

 1月16日月曜日、今日の一日もしっかり感謝しつつ、生きぬくことができました。
 御礼に山梨県北杜市の八巻酒造さんの手になる「男山」という辛口の地酒(糖類無添加)をいただいております(ほっ)。
 これはクリスマス山行で、飯盛山を歩いた帰りに買い求めてきた銘酒です。
 この蔵元は、1868(文久2)年創業です。皆の衆、飲むんだったら酒、日本酒にして、蔵元が守っている米と水と杜氏を飲んで支えていきましょうね。
 初代の八巻仲右衛門は、八ヶ岳南麓黒澤村で酒造りを始めたと言われています。酒銘「男山」は岩清水八幡宮にそのゆかりを戴いている、そうですよ。

 ところで、川田順造先生の母校、深川小学校(江東区高橋14-10 Tel 03-3631-2209 児童数295名)ですが、2009年10月29日の学校の公式ブログで、こんなすばらしい投稿が:

深川っ子の大先輩 文化功労者に!
 昨日、うれしいニュースが飛び込んできました。10月27日、今年度の文化勲章受章者5人と文化功労者15人が発表されました(昨日10月28日の各新聞朝刊の一面をご覧ください)。
 文化功労者15人の中のお一人、文化人類学者の川田順造氏(75)は、深川小学校で学ばれた方で、子どもたちにとって大先輩です。
 川田順造先生は、東京外国語大名誉教授。
 日本のアフリカ文化研究の先駆者として、我が国の文化人類学界をリードしてきた方です。
 川田先生は、高橋にあった江戸時代から8代続いた「上州屋」という商家(米屋)に生まれ、8歳まで深川小に通っていました。
 しかし、戦争のため余儀なく千葉県市川市に移られましたが、故郷深川の地には特別な思いがあったようです(同窓会「校友会」の総会にも数年前に出席されたとのことです)。
 川田先生は、ご専門からアフリカ文化研究のご著書が多いのですが、「母の声、川の匂い ― ある幼時と未生以前をめぐる断想」というご著書には、幼き日の深川の地の思い出やご家族のことが記されています。

 「この頃ではもう話す人も少なくなった東京下町風の、軽く鼻に抜ける人なつこい喋り方で、「見(め)えない」「低(しく)い」…、そんな下町ことばも混る母の声を思い出の中できいていると、私には、家の前の小名木川の匂いがよみがえってくる。
 川ともいえないちっぽけな運河で、行徳の塩を江戸に運ぶために徳川家康が開鑿させたものだ。
 母が子どもの時分にも、塩の叺を積んだ塩舟がよく来て、家の前で揚げて荷車に積んで行ったという。
 姉の小学校の同級生の、夜店通りの豆屋の恭子ちゃんのおばあさんも、行徳の塩造りの家からお嫁に来た。
 祖父が小さい頃には、家の前の小名木川で蜆がとれたらしい」
(「母の声、川の匂い - ある幼児と未生以前をめぐる断想」川田順造著より、2006年 筑摩書房)

 文化功労者は、文化勲章に次ぐ栄誉だとされています。
 大先輩の栄誉は、深川小学校にとっても、誇りであり、これからを担う子どもたちにも、きっと大きな励みになると思います。
 川田順造先生、おめでとうございます。
 ますますのご活躍を祈念いたします

(学校担当者)  

 そして、年の初めの深川小学校の校長先生のごあいさつを、下町でも山の手でも、日本人だったらぜひ、味わって共有しましょうね:

こどもたちに伝えた詩です。作者は不明ですが、「言葉遣い」を考えるときに多く引用されてきた詩で、映画「男はつらいよ」の中での寅さんのセリフにもあったと聞きます。
一つの言葉…

一つの言葉でけんかして 一つの言葉で仲なおり
一つの言葉で頭がさがり 一つの言葉で心がいたむ
一つの言葉でたのしくわらい 一つの言葉で泣かされる
一つの言葉はそれぞれに 一つの心をもっている
きれいな言葉はきれいな心 やさしい言葉はやさしい心
一つの言葉を大切に 一つの言葉を美しく


 毎日、こどもたちと一緒に、この詩を声をだして読んでみてはどうですか

(水野朝之先生 「なでしこ」 1月10日号に記載ある新年のごあいさつより)
http://www.koto.ed.jp/fukagawa-sho/nadesiko/nadesiko241.pdf

 ね、ブルーマンデーどころか、言葉の重みが伝わってきますよね、で、ね、もうひとつ、今日、ヤッホー君がこうして引用してきた言葉の重みで言わなければいけないことは、さ、人とのコミュニケーションのとり方だって…、言っていることが分かりますかねえ〜

 この「言葉」にも二重性がありますよね。話し言葉(パロール)と書き言葉(エクリチュール)です。これについても川田先生のするどい指摘があるのです:

 ひとつ。岩波現代文庫『無文字社会の歴史(2001年7月)』:
無文字社会の歴史を研究する意義のひとつは、これらの社会の歴史の相における理解が、真の意味での「世界」史のダイナミックを理解する手がかりとなりうる可能性をさぐることにある。「未開」と言われてきた社会も、「文明」社会と同じ深さの歴史を経てきており、これらの社会も「文明」社会と常に同時代を生き、直接間接に交渉をもってきたことが明らかな以上、地理的に見出される文化の差異をただちに歴史的な発展段階の前後関係におきかえることの非はいうまでもない

 文字で過去を叙述し、記録化し、後世に残すこともさることながら(その記録化の発注者、作業者、情報操作、記録管理のことを言う)、無文字社会による継承、伝承、言い伝え、判断・行動基準、伝統化している民間の「記述、叙述、語り部」をも同等に扱わなければ、その地域総体の文化現象を後世のわれわれはうんぬんかんぬんあれこれ言えないんじゃないんですか、と言っていると思います。

 もうひとつ。下町には、男だったら「おい、いるかい?」って「家」の中にずけずけ入る、下町の女の人でも「いる?」だけで「家」の中に入っていける「文化」があります。
 川田先生が住んだことのある永福町あたりの奥様ではアタマを何度も上げたり下げたり、あ〜でもない、こうでもない、と前置きをながながとしないと先にすすまない、だから、「こんにちは、さようなら、ありがとう」だけ覚えていたら、「異文化」に溶け込めるかというと消してそんなことではない、ということを川田先生はおっしゃっていただけました。
 
 なにか、コミュニケーションマニュアルがサービス業の接客マニュアル外に、抑圧的に、就職活動から企業の社員マナー教育まで、うざったいくらいに押し付けられていませんか、ね。
 それで、こころにもない「きずな」だの「つながり」だの「たすけあい」だのって押し売りでしかないよなキャンペーンは五月蝿いよねえ〜、と感じているのはヤッホー君だけなのかな…

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2012年01月15日

佃島

 1月15日日曜日小正月、昨日の話しの続きをヤッホー君にせがんでも、たのんでも、おがんでも、腰が重い、顔色も悪いし、ペンを持つ手がこわばっているんですう、朝からず〜っと。

 昨日の森下文化センターのなにが良かったか、というと、表層的なことばと深層に流れる想い、表面をすいすいっと流れることばに、裏面でホントに分かってんのかね、君たちみたいな、うん、軽い聴衆受けする、軽いことばの背後に見え隠れする、ことばにならずに沈んでいる思いの渦、ま、コミュニケーションをとるために言っとくか、やっとくか、みたいなエートスと、どっこい、どすこい、そお〜なの? おい、それでおしまいかよ? みたいなパトスがからみあった劇場の濡れ場を、ほんのいっときだけ、まばたきするくらいのあいだなんだけど、深い穴を見せてくれたような、でも、さ、あとは知らんぞ、とほうりだされて、まるで遺児か、孤児か、捨て子か、背中がぞくぞくっと寒くなる場面に何度も遭遇したのだそうです。だから今日は日がな一日、寒くって、冷たくって、人恋しくって、ローンリーネスを終日、暖っためていたんだそうです。

 「川辺のまち、わが町江東区」と言ったとき、それがニューヨークなのか、ロンドンなのか、パリなのか、はたまたベネチアなのか、いずれも水の都、しかしまぎれもない小名木川のほとりだったり、仙台掘川の川沿いだったり、大川が目の前だったりするんだけど、それはいいとして、ヤッホー君のこのブログで夏、「朝キン」の話しを何度も日記につけていました。
 そして、すばらしい川面を見て良かった、汗をかいたことだけでなく、こころもとってもハッピ-な気持ちになった、歴史散歩にもなった、こんな発見があった、と幾度となく、飽きることもなく、日記にしました。

 でも、その裏の、川にごみ袋をほうりなげるお年寄り、死んで腹を見せているセミだの、陸に上って戻れない乾いた川虫だの、読書しているホームレスのおじさんだのって、似つかわしくない足許の風景、場に相応しくないであろう光景もあるんだよって、ヤッホー君は、意識的に点描したと、今でも思っています。
 
 昨日のシンポジウムのパネラーがちらっと言っていたのは、水辺って、ね、土左衛門がぷかりぷかり浮いてきたり、港や湊や河岸で働く流浪の民たちが流れ着くところだったり、曖昧屋が軒を連ねていたり、だからヤッホー君は朝キンだけでは足りなくって、夜勤(ヤキン)してでも観察眼を磨かねばならなかったんですよね、きっと。
 でも昨夏は、被災者、避難者、犠牲者のことであたまがいっぱい、おそらく怖くって歩けなかった、外出すら控えた、と思っています、きっと。

 ところで陣内先生は、この二重性についてこんなことをおっしゃってくださいました。

 「グローバルシティ」ということばが流通しているが、世界の有名な都市のコピーでなく、ここだけは違う、という独自性を「地域が世界に発信」できれば、世界の人びとは、インスピレーションをそそられ、日本人の、下町に住む人びとは、住み心地の良さという価値を発信したことになるって、そんなことができればいいとおっしゃっていましたなぁ〜。
 20代で留学して住んでいたベネチアの一番いい所は、夜の闇だったって、街灯に照らされた石畳をこつこつと音を鳴らしながら歩いているときにふっと浮かび上がる人の影だって、同じような下町の水辺にも、月夜に照らされた道に浮かび上がる桜、などは色気があるって。そうだよねえ。
 そして、川辺には河原も必要だって、これは自由空間、Agile ってことばをお使いになっておりましたぞ。

 この Agile ってことばはヤッホー君のキーワードでもあるんで嬉しかった。
 ふたつの意味があるんだ。ひとつは行動様式としての Agile 性…たとえば、Andy climbed the tree, agile as a monkey つまり able to move quickly and easily の意。それに、Agile mind というときの意は、思考様式のこと、つまり the ability to think very quickly and intelligently っていうんだ。

開発の波が佃島のコミュニティを脅かしたのは当然である。
 何年か前には、地上げ屋が個別訪問をし、土地を売るように働きかけて回った時期があったという。
 だが人々の土地への愛着とコミュニティの結束は堅く、ほとんど誰もその誘いに乗らなかった。
 隣の月島では、土地が売られ、町並みが歯抜けになっていったのとは好対照である…
 実は、ベネチアで開催された「水都国際会議」で佃島が表彰されたのだ。
 現代の先端都市として急速に開発の進む東京の都心に、水とともに形成された島の環境、コミュニティの結束を見事に維持し、個性ある町をつくっていることが、高く評価されたのである

(陣内秀信『東京(文藝春秋、1992年12月)』)

 あ、あのう、川田先生のことは?
 明日、だね。ところで例の本は買って読んでみたのかね、『江戸=下町から 生きられた記憶への旅(2011年11月、岩波書店)』のことだよ。
 これはーね、川田先生が後期高齢者になってもだね、やりかけのこと、やりたいことが山積しているっていうそのひとつでもあるんだ。先生はこんなことを語っていたんだよ。次の本も必読書だね:

この本でもくり返し述べているように、江戸=東京の下町という「地域」から、明治日本の国家史を醒めた目で見る視点を築けないかと言う関心、それに外側から呼応させて、19世紀のアジア・アフリカの中に、明治日本が行なった選択を位置づけてみたいという関心がある
(川田順造『文化人類学とわたし(青土社、2007年12月)』)

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2012年01月14日

川田順造

 ヤッホー君の1月14日土曜日の「イーチャリ」は、たいへん。
 まずはお昼前に家を出まして、江東区教育センター(江東区東陽2-3-6)へ。マンションの管理組合の役員を対象にした「第11回江東区マンションセミナー」に出席します。内容は:

○ 区からのお知らせ:耐震診断・耐震工事のすすめ(区建築調整課)
○ 第一部 マンションの環境と省エネ LED照明から太陽光発電まで。講師は村越章(マンションリフォーム推進協議会、レプコ)
 … マンションの設備における「環境と省エネ」をテーマに行ないます。LED照明器具や給湯設備から太陽エネルギーを利用した発電等、最近の環境に配慮した設備や省エネを目的とした設備について、その導入費用や省エネの効果について考えます。
○ 第二部 標準管理規約の改正から〜理事会体制の確保や適切な財産管理について〜。講師は山本節彦 (マンション管理センター管理情報部長)
 … 2011年7月に一部改正された「標準マンション管理規約」について改正内容を学習します。管理組合の役員のなり手不足が課題となっている「理事会の適正な体制等の確保」や「管理組合の財産の適切な管理」について解りやすく解説します。
○ 展示「環境と省エネ」関連機器やパネル展示、協力はレプコ、東京ガス、東京電力

(江東区の公式サイトより)

 区の住宅課長からは、3.11でお分かりのように地震、洪水、水害、津波など万が一、自然災害がおきたときには、地域住民のいのちを守るため、マンションの廊下や階段、集会所等の開放をお願いしたい、たすけあいのこころをもってどうぞあらためてマンションでの対応を見直してくださるようお願いしたいと、あたまをさげられてしまいましたが、出席者は拍手で答えました。
 暖ったかいね、江東区のマンションにお住まいの皆さん、そしてそのマンションの役員の皆さん!

 そして、建築調整課長からは、都が2011年4月、指定する道路の沿道建築物の所有者に対し、耐震診断の実施を義務付ける条例を制定したことに伴って、区では該当する都指定緊急輸送道路沿いの建築物への助成制度を創設したことの報告がありました。
 この道路は、区内では、蔵前橋通り、京葉道路、新大橋通り、葛西橋通り、首都高深川線、首都高湾岸線、湾岸道路とあります!

 「災害に強いまち 江東区」へ、というわけです。
 江東区は、「水辺のまちづくり」としてもさまざまな施策を推進しているわけですが、その2010年度「江東区観光推進プラン策定会議」を開いて、課題の整理及び方策等に関する個別具体内容について議論し、言及するきておりましたが、その会長をつとめたのが、陣内秀信先生(1947年福岡県生まれ)。法政大学デザイン工学部教授です。

 その先生が今日、森下文化センター(江東区森下3-12-17)に現れる、というのです。教育センターのあとは文化センターへ、とイーチャリをとってかえし、大忙しだったそうですよ。
 陣内先生は、川田順造『江戸=東京の下町から 生きられた記憶への旅』岩波書店出版記念シンポジウムに、ほかの小池昌代(詩人)、佐々木幹郎(詩人)といっしょにパネラーとしてお話しされるのです。

 陣内先生は、一昨日の1月12日放送のNHK番組「プラタモリ 第8回 江戸の盛り場 両国編 "両国国技館スペシャル!"」に出ておられました!

新年のスタートは、江戸の繁華街、いわゆる「盛り場」に注目します。日本一の盛り場と言えば、渋谷や新宿を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?それでは、江戸最大の盛り場といえば…?両国国技館があることでも知られている「両国」だったことをご存知でしょうか?
 江戸の両国は、現在の東京都中央区と墨田区にまたがる一帯、隅田川に掛かる両国橋の両岸に広がっていました。隅田川を挟んで、下総国と武蔵国、ふたつの「国」にまたがることから「両国」と呼ばれたこの地域が盛り場となったキッカケは、ある「大災害」でした。江戸の大半を焼き尽くし、10万人もの人の命を奪った「明暦の大火」…。
 いったい、この大火事が、どのように江戸最大の盛り場を誕生させることになったのか? そこには、江戸幕府の驚くべき都市計画が隠されていました!
 さらに、あの両国国技館と大相撲もこの「盛り場」の記憶を大きく受け継いでいます…。

 人が賑わい、人がよろこび、楽しむ、憧れの街、盛り場!そこには、江戸から現在まで受け継がれてきた人々の夢がありました。
 新たな年を新たな気持ちで迎えるための新春1作目

http://www.nhk.or.jp/buratamori/broadcast/vol008.html

 さて、森下文化センターで陣内先生、どんな発言をなさったのでしょうか。ヤッホー君、いまちょっとメモをとりだしたところですが、明日また聞いてみましょうね。

 ところで、川田順造先生。先生は1934年、深川区高橋生まれ!

『「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」。
 これは、フランスでの僕の恩師であるレヴィ=ストロース先生の「悲しき熱帯」の終わり近くに出てくる僕の好きな言葉です。この本は僕が長い時間をかけて翻訳しました。
 人間というものは、自分の意思で存在しはじめたわけではないし、いつか必ず滅びる。
 人間は世界の王様でないし、威張る理由はどこにもない。
 人間なしに世界ははじまって、世界が終わるときすでに人間はいない。
 …壮大なペシミズムだけれども、これはきわめて深い意味での「謙虚さ」を人間に要求している。僕はこのことが第一前提だと思います。
 人間はかりそめの資格で地球上に存在しているにすぎない、だから地球に修復不可能な損害を与えることは許されない。そういう立場です』

(「生命誌ジャーナル」2004年冬号 中村桂子との対談 「生きもの」と「ヒト」と「人間」より)
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/43/talk_index.html

 おっと、台湾は今日、選挙でしたよね、どうなったのかな。
オランダ、清朝、日本、蒋介石独裁など複雑な支配の歴史を背景に持つ台湾の多層的アイデンティティーと小国主義志向の評価。
 アジアを見下し、膨張主義につながり、結果、大日本帝国滅亡へつながった吉田松陰の「幽囚録」、福沢諭吉(とされる)「脱亜論」批判。

 自身のフィールドワークなどをもとにした、西欧の植民地化や近代化と共に、長く受けつがれてきた独自の文化や歴史が複雑にからみあうアフリカ社会の考察と差別への批判。
 毎年内外の多彩なメンバーと8月15日に続けてきた靖国神社、千鳥ケ淵戦没者墓苑、東京都慰霊堂を巡るフィールドワークを基礎にした戦没者や戦災被害者の慰霊や戦争責任、戦争の記憶を語り継ぐことへの議論。
 ナチにたいするドイツの姿勢との比較……。

 そしてこう結論づける。
 加害者、被害者、犠牲者、どれでもない者が、たやすく入れ替わる現代社会。
 その中で「西洋発の≪国民国家≫の一国民が、国家単位で単一の史観を共有すること」は不可能であるばかりか有害でさえある。
 日本でも、複眼的な史観が、探索されるべきであると。
 「音」へのこだわりは、為政者が書き残すイデオロギー色が濃い「正史」への嫌悪のあらわれなのか。
 提言はその通りだろう。簡単ではないが、それを考える種子は、本書にたくさん埋め込まれている

(2011年2月6日掲載 朝日新聞書評[評者]四ノ原恒憲本社編集委員 川田順造『日本を問い直す―人類学者の視座-』(青土社、2010年11月)
http://book.asahi.com/review/TKY201102080144.html

 そうなんですう、ヤッホー君のメモ、いっぱいです。考える種子がたくさん蒔かれて、ヤッホー君、もうお寝んねの時間ですので、これも明日、聞いてみましょうね。おやすみなさい眠い(睡眠)

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2012年01月13日

桜えび

地元の高校を卒業後、日本一の魚市場築地に修行に出ました。
 毎朝4時に起き、6畳と10畳の二部屋に同僚4人と寝起きし、辛い仕事もありましたが、そこで培った魚の目利きを活かし、全国の皆さんにおいしいさかなを食べてもらうように努力しております。
 私の生まれた町「焼津」は、"さかなの町"。
 さかなを積んだトラックが走り回り、中には、トラックから落ちたカツオが道ばたに転がっていることも…。
 最近、世の中は"さかな離れ"が進んでおりますが、さかなのおいしさや食べることの健康面からの良さを伝え、家族の楽しい団らんをお手伝いしていきたいと思っております


 皆さん、応援しましょう!これは「創業80年、戦後の闇市の時代、祖父の鈴木正一が、焼津の駅前近くに店を構えたのがはじまりで現在に至っております」という焼津さかなセンター内「有限会社鈴木マル正食品(マルショウ、焼津市八楠4−13-7 Tel 0120-85-1137)」の店長、鈴木さんのメッセージです。
http://www.yaizu.com/

 このお店で扱われている「桜えび」は、駿河湾産!

日本では静岡の駿河湾だけに生息していて世界的にも希少な価値のある海老。
 赤系の半透明の小さな海老で、全長は2cm前後くらいでしょうか、由比港、蒲原港と大井川港だけに水揚げされていて漁期は年に2回、春漁2ヶ月(4〜5月)と秋漁2ヶ月(11〜12月)、だいたい2ヶ月の間に、15〜20回行われていて、前日の夜に水揚げされた桜えびは翌日の朝6:00にセリが行なわれます


 つまり1月8日日曜日に桜エビを、と思って由比漁港におじゃまし、由比港漁協直営店の「浜のかきあげや」に向かったとして、水揚げが無いので、自然とお休み、つまり自然の生態系に併せた商売をしているわけですので、季節はずれの水揚げがないときに伺っても、それは冷凍だったり、輸入ものだったり、旬の駿河湾産じゃないってことですから、山歩クラブの面々、大いに納得した、とまあ、こういうわけでございます。

 でも、もちろん、この国以外にも桜えびは生息しています。これを食さない、ということはないですよねえ。たとえば:

当社では、駿河湾産の桜えび以外に、輸入乾燥小えびの取り扱いもしております。
 駿河湾産桜えびに近い原料を厳選した台湾産桜えびや、主に業務用として使用されるベトナム産、さらにはベトナム産よりも魚体が白く、太い中国産など、厳しいチェックをクリアした安心・安全な原料のみを取り扱っております。
 また、着色したものや粉砕したもの、ボイル乾燥させたものなど、ご使用用途に合わせてお選び頂けます。
 PB、OEMなどの各種開発商品にも柔軟にご対応させて頂きます。

 台湾産桜えびは、形態学的研究を基に1988(昭和63)年4月、日本海洋学会で駿河湾酸桜えびと同種であると発表された所から始まりました。
 台湾産桜えびの漁期は11月初旬から翌5月下旬迄の1シーズン制でその間の1月初旬〜2月初旬が休漁期間です。
 漁獲方法は駿河湾とは違い、1艘づつの底引き網漁となっています。
 昨今、産地工場の加工技術が急速に向上しており、その品質は年々高まっております。
 サイズは駿河湾産桜えびと比べてやや小ぶりですが、各加工品共に鮮度、味、香り、風味共にひけをとりません。
 産地工場には専任の購買担当者が漁期中に何度も足を運び技術指導、衛生管理指導等を行っております


 これは、「ヤマト食品(株) 静岡市清水区蒲原新田一丁目1-30 Tel 054-385-4161」。
 静岡県庵原郡蒲原町にて、駿河湾に桜えびが発見されて以来、望月定七が、桜えびの製造販売業を始めたのが、明治30年です。
http://www.yamatosyokuhin.com/index.html

 それにしても、国道1号線の海岸線をバスで走っているときに、農林水産省の文字まででっかくくっきりはっきり見えて、この「由井の桜えび」ってすごいもんですね、次回はぜひ:

桜えび漁は、1894(明治27)年12月由比町の漁師、望月七平さんと渡邉忠兵さんがアジ漁に出漁した際、カンタ(浮樽)を忘れたため網を海中深く沈むにまかせて漁をしたところ、偶然に多量の桜えびがかかったことにはじまります…
 桜えび漁の100周年目にあたる1994(平成6)年から毎年5月の連休の初めに「日本一の桜えびのまち由比」をPRするため、「桜えびまつり」が町を挙げて開催されており、新鮮な桜えびを求めて多くの観光客で賑わいます

(静岡農政事務所 塩頭阜産地ガイド〜静岡県内の特産物等を紹介します〜「由比の桜えび」)
http://www.maff.go.jp/kanto/shizuoka/santi_guide/sakuraebi_yui.html

3月も下旬を迎えると、静岡県由比町の富士川河川敷は一面桜色に染まる。
 ソメイヨシノの開花と足並みを合わせるようなこの光景は、桜海老の天日干し作業。
 毎年、春(3月下旬〜6月上旬)と秋(10月下旬〜12月下旬)の桜海老漁の時期に、この美しい風景を見ることができる

(農林水産省 報道・広報 2008年3月号aff(あふ) 季の風景 第12回 桜海老の天日干し)
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/0803/scene.html

 ぜひ上↑をクリックして駿河湾の芝桜かとみまがうばかりの桜えびの天日干しの美景をごらんください。

水揚げされたばかりの桜海老を天日干しにするのは先人の知恵。
 太陽の熱で乾燥させることで、長期間の保存が可能になるばかりでなく、旨みやカルシウム含有量もアップする

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2012年01月12日

幸田文

 2008年8月2日土曜日の山歩クラブの月例山行は、「冨士山御中道」を辿る大沢コースだったんですね。
 大沢崩れを見物しに歩きましたね。
『富士講の信者が順拝し、冨士山に3回以上登頂経験のある者にのみ許された最上級の修練の道、と言われているこの御中道は、標高2300m〜2800mの冨士山中腹を一周する約25Kmと言われています。この道の大沢コースを歩いてみましょう。
 「立っているのは大沢北側斜面の崖端である。
 真向かいに見えるのが、南側の断崖である。
 折柄、すばらしい晴れで、全ては隈なく曝しだされている。
 V字型谷の底の深さ、切れ込みの急なこと、谷全体の傾斜度のきつさ、凄まじい光景である。
 岩壁面には、横に縞模様がくっきり見える。
 板状の岩(多分固いのだろうと思える岩)となにか危うそうに思える砂礫の層とが、行く重ねにも重なっているのがよく分かる。
 富士山が何度も何度も噴火をくり返し、その度に溶岩を噴き出し砂礫を押し出した証拠みたいなものである」

 幸田文は、1976年7月大沢崩れを訪れ、随筆「崩れ」を執筆しています』

 「大沢崩れ」には、幸田文の文学碑が建っておりました。
 3.11の余震が冨士山を襲ったときに、また激しく「崩れ」があったようですね:

昨年の1年間で、大沢崩れの斜面からは約16万m3の土砂が崩落しました。
 そのうちの約6万m3の土砂は、2011(平成23)年3月の富士宮を震源とする震度6強の地震の際に崩れたものと思われます

(平成23年12月16日更新 国土交通省 富士砂防事務所「富士山大沢崩れの計測結果について」)
http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/db/db-kisya/11121601.pdf

 ところで、その幸田文の文学碑と、またしても1月8日の日曜日、「さった峠」で会えるとは…、碑には『崩れ』の中の次の一節が刻み込まれていました:

由比の家ある風景をみると、その安らぎがあってほっとしたのだが、佇んで眺めていれば、ひとりでに家のうしろの傾斜面をみてしまう。
 草木のあるなんでもない山なのだ。
 だが、そこを見ていると、なにかは知らず、土よ、いつまでも平安であれ、と念じていた


 なぜか、ヤッホー君は2011年のいろんなことから単純に「土よ、いつまでも平安であれ」と言葉通りに理解し、ひとり感慨に耽り、言葉につまって動けず、たたずんだままのようでした。

 この冨士砂防事務所の広報誌「ふじあざみ」第59号によると、この文学碑は、2006(平成18)年の1月14日土曜日には除幕式が済んでいたようですね。

 富士砂防事務所ってみっつのプロジェクトをすすめているところなんですって:
(1) 日本有数の大崩壊地である「大沢崩れ」の対策をはじめとした富士山南西山麗における土砂災害対策事業
(2) 富士山の火山活動による土砂災害防止のための調査
(3) 日本の大動脈(東名高速道路・国道1号・JR東海道本線など)が集中している静岡市清水区由比西倉沢での地すべり対策事業

国土交通省中部地方整備局は、平成18年1月14日(土)、由比町さった峠駐車場において、由比地すべり対策事業起工式を挙行しました。
 合わせて由比町は、直轄事業着手を記念して「幸田文・文学碑」の除幕式を行ないました。

 由比と興津の間に位置するさった山の「さった」という言葉は、「菩提さった」に由来していて、仏教用語では「命のあるすべての生きもの」という意味があります。
 「薩た山」の名前の由来は、1185(文治元)年に麓の由比海岸から地蔵尊の石像が引き上げられ、それを山の上に祀り、信仰の対象にしたことに由来していると言われており、地蔵信仰の隆盛に伴い、磐城山とよばれていたものが「さった山」と呼ばれるようになったと言われています。
 標高300m足らずのさった山は、甲斐の山々に連なる白峰山系の支脈が南に足を伸ばし、そのつま先が駿河湾に崩れ落ち、屏風を立てたような断崖の険しい山相となった所に位置しています。
 その昔、東西に対立する武将にとっては天然の要害であり、数々の合戦の舞台となってきたところです。
 また、日本の東西を結ぶ東海道が通り、古くから交通の要衝となっていました。
 その険しい地形から交通の難所としても知られており、特に海岸沿いの下道は「親知らず子知らず」と呼ばれ、その険しさが表現されています。
 
 さった峠は富士山を望むその眺望から、「東海道随一の景勝地」として知られ、江戸時代には歌川広重が「東海道五十三次」でその眺望を浮世絵に描いています

(冨士砂防事務所 冨士山と地域を守る冨士砂防)
http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/index.html

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2012年01月11日

Mark 1 Reactor

Just for your reference, the following is the prove text and it's better to disseminate the article in ABC World News before disappeared:

Fukushima: Mark 1 Nuclear Reactor Design Caused GE Scientist To Quit In Protest

By MATTHEW MOSK
March 15, 2011

Thirty-five years ago, Dale G. Bridenbaugh and two of his colleagues at General Electric resigned from their jobs after becoming increasingly convinced that the nuclear reactor design they were reviewing -- the Mark 1 -- was so flawed it could lead to a devastating accident.

http://abcnews.go.com/Blotter/fukushima-mark-nuclear-reactor-design-caused-ge-scientist/story?id=13141287

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台湾総統選

Following is the basic text describing the perception about the World Peace seen by British viewpoint based on the recently announced outline for the US defence strategy through President Barack Obama:

A 21st century US-China cold war is not an inevitability. It's possible the relationship can be managed to the benefit of both sides, given goodwill, good leadership and good luck.

But fundamental ideological differences about democracy, openness, values, and religious belief, compounding political and economic rivalries, may ultimately confound efforts to work together.

Historically, China is behaving just like any other up and coming great power, just like Britain in the 19th century and the US in the 20th: confident, brash and convinced of its own superiority. Obama's defence strategy hopes for the best – and prepares for the worst.

(China syndrome dictates Barack Obama's Asia-Pacific strategy,
Obama has no wish to conjure the spectre of a new cold war but is determined to beat back any Chinese bid for hegemony)
Simon Tisdall
guardian.co.uk, Friday 6 January 2012 18.54 GMT

And Taiwanese are now faced the elections this weekend under the crucial situation. Also the under would be useful for you if you could read the article carried on a Canadian newspaper:

Taiwan’s economy should be the winner if the ruling party clinches this weekend’s presidential and legislative elections. A big issue is how fast the island should build trade and financial ties with China. President Ma Ying-jeou wants to go full steam ahead; the opposition would ease the pace.

Links with China have grown under Mr. Ma, though democratically governed Taiwan still rejects its neighbour’s claim to sovereignty over the island. The opposition Democratic Progressive Party doesn’t endorse a one-China policy, but is unlikely to roll back ties. Its candidate, Tsai Ing-wen, has nonetheless tapped voter fears that opening to China has helped the rich but hurt the poor.

(Taiwan voters should focus on growth, not China)
WaYne Arnold, Reuters Breakingviews
Last updated Tuesday, Jan. 10, 2012 7:14PM EST

You told me the following and I will keep watching the political situation thinking about our warm and mutual hand in hand friendship:

Greetings for the year 2012.

You have sustained the hardship of year 2011, and I wish you all the best for the year 2012, though we all know the the worst may yet to come.

My house is 28 Km from NPP No. 1, and 23Km from NPP No. 2, all with flawed Mark 1 Reactor.

Here we are a couple of days from the presidential/parlimental election, it'll be a close-tie election for Ma and Tsai (first woman president for Taiwan?). And the result will make significant difference for our Nukes dependency future.

warmest regards,

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スポーツ振興課

 浜石岳の山頂からの写真を添付しました。でも、浜石岳からの冨士と景信山からの冨士とどう違うのか、もうすこしはっきりとさせてよ、とのご要望がございました。

冨士.jpg

 ほらね、でも、この標識が前面にですぎて、標識よりも冨士を強調する感じでのパースペクティブとコントラストのある写真、って、やっぱりプロにはかないませんよね、と<ど素人>のヤッホー君、でも、永遠のアマチュアでえぇやんかぁと、居直っていたそうです。
 ところで、山頂ではあまりゆっくりもしていられません。山路をこれから「さった峠」にとります。
 この峠を漢字にしてもパソコンでは変換できないようで…、漢字はですね、菩薩の<さつ>に、土へんに垂直の垂をかくのです。意味は、「岩波国語辞典」によりますと。@ 生命あるもの、衆生 A さった菩薩の略、とあります。
 コースタイムは3時間以上!但沼への分岐、立花への分岐を過ぎ、さらに90分で峠なのです。
 立花池にいったん下りて、そこでお昼をとって、それで峠かな、とヤッホー君。
 トレイルをアタマに入れて、山頂からウオーキング開始。

 頂上では、峠への山路は、倒木あって「立入り禁止」警告表示がありました。そこでヤッホー君が先立ちでルートファインディング、重田さんにタイムキーパー、カッシーにゴールキーパーという役廻りをお願いし、「チームスピリッツ」の態勢でトレッキング開始。

浜石岳ハイキングコース(但沼〜立花分岐間)において、歩道の崩れ及び倒木により一部通行が困難な箇所があります。現在、安全確保のため、コースを通行止めにしております。復旧までの間、皆様にはご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします
(静岡市スポーツ振興課の公式お知らせ)
http://www.city.shizuoka.jp/deps/sports/

 山歩クラブが歩いた「満観峰ハイキングコース」も『多数の倒木により通行が大変危険な状態です。現在、安全確保のため、コースを通行止めにしております。復旧までの間、皆様にはご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします

 なぜ、この立入り禁止、通行止めとなったのでしょうか。
 それは、ですね、ヤッホー君が昨年、3.11東日本大震災に次いで半年後の9.21、再び経験したあの帰宅困難者になったときの台風15号の影響でした。
 このときの様子については、ヤッホー君のこのブログ、9月21日付け日記「台風15号」をお読みください。
 
 台風15号とは、なんだったのか、国土交通省平成23年12月21日10時00分現在「平成23年台風15号による被害状況等について(第26報)概要版」にはこのように記述されました:

『○ 台風15号は、9月21日14時頃に静岡県浜松市付近に上陸し、強い勢力を保ったまま東海地方から関東地方、そして東北地方を北東に進んだ。その後21日夜遅くに福島県沖に進み、9月22日51時(ママ)に千島近海で温帯低気圧に変わった。
○ 西日本から北日本にかけての広い範囲で、暴風や記録的な大雨となった。9月15日0時から9月22日9時までの総降水量は、九州や四国の一部で1000ミリを超え、多くの地点で総降水量が9月の降水量平年値の2倍を超えた。また、9月21日に東京都江戸川区で最大風速30.5メートルを記録するなど、各地で暴風を観測した
http://www.mlit.go.jp/common/000167363.pdf

 そうですよ、あの<暴風>でヤッホー君の傘は役立たず、ビニールは燃えるごみ、骨は燃えないごみと化したのでした!

 立花池でのお昼のあと、どうやって山路に復帰したのか、これがまたお正月からすご〜い!
 通りすがりの猟銃を肩にかけ、イノシシ狩りに来ていた猟友会の3人連れの方に出会い、道順をお聞きしました(もし出会えなかったら、同じ道を引き返すことになっていたでしょう)。
「小屋のところをいいか、太陽のほうに向かえ」−いやぁ、名言でした、左とか右とかじゃないんです。
 これもヤッホー君がルートファインディング、皆んなのチームワークのマネージャーをカッシーにお願いし、二人でヤッホー、ヤッホーの合言葉を掛け合い、掛け合い、笹のなかを藪コギで登って行ったら、ひょっいと「さった峠」に向かうトレッキングルートに復帰できたのです。
 山歩クラブのチームワークはサイコウ、と実感できたときでした!

 それにしても規模は小さくとも、あの毛無山の崩落した山路のような、実にアドベンチャラスなトレッキングとなったのでございます:

台風の爪あと.jpg

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2012年01月10日

新東名

 昨日の「成人の日」の東京新聞の朝刊から社説の一部を紹介させていただきました。
 この国が「一千兆円にも届く途方もない借金をこしらえた」とありましたよね。
 一千円札を握り締めて、このほうれん草を買おうか買うまいか、思案に暮れているヤッホー君には想像ができない金額なんですう。

 いえ、ね、ムカシそういえば、「ムダな公共事業」のやり玉に上っていたのが、たしか高速道路の建設だったような気がするんですうと、思い出していたんです。おととい、浜石岳に向かうバスの車中のこと。
 まずは、首都高:

首都高速道路の高速料金が、1月1日午前0時に新制度に切り替わる。
 定額制を廃止し、走行した距離に応じた料金制度となる。これに伴い、自動料金収受システム(ETC)搭載車が対象の夜間・休日2割引きサービスは31日で終了する。
 首都高の料金制度は定額制で、東京線が700円、神奈川線は600円、埼玉線は400円となっていた。新制度は路線の区別をなくし、ETC搭載の普通車の場合、走行距離が6キロ以内なら500円、6キロ超は6キロごとに100円ずつ加算し、900円が上限だ。
 例えば、普通車の料金は、高井戸(東京都杉並区)―三郷(埼玉県三郷市)が、700円から800円に値上がりする。みなとみらい(横浜市)―新都心(さいたま市)は、1700円から900円に値下がりする。走行ルートによっては料金が変わる場合もある。ETCを搭載していない普通車は、走行距離にかかわらず、原則900円となる

(12月31日9時1分更新 読売新聞「首都高、元日から新料金…夜間・休日割引終了」)

 次いで、東名道を走っていて、もう新東名がすぐそばにあったのでびっくり、これも凍結なんてウソだったんですね。
 
『道路公団の40兆円の負債を処理できれば、日本国の700兆円の返済の糸口も見えてくるんだ』と、ムダな高速道路の建設凍結まで語っていた方がいまは、東京都の副知事、猪瀬直樹氏。

 小泉政権下での猪瀬氏の奮闘振りは、内山敬康モト教授の広島大学知的社会研究所のサイトに記録されておりました、必読です:
「小泉純一郎の歩いたいばらの道─日本道路公団民営化の例」
http://home.hiroshima-u.ac.jp/utiyama/ISIS-10.4.W.html
 
 いまは公団が民営化されました。
 公団であっても、NEXCO中日本となっても一度かじった旨味は忘れがたし、さらに甘味を求めやまぬ「ムダもうけ資本主義」は、第二東名でなく新東名と名前を替えて、もう、今春のゴールデンウイークころには一部開通し、静岡県で走れるようです:

仕事始めの1月4日、川勝平太知事は新春の記者会見で、今年の抱負を「内陸のフロンティアをしっかりと開発していきたい」と表現した。その上で、今年初夏に開通予定の新東名高速は、前倒しして開通されるのが望ましいとの意向を示した。
 川勝知事は会見で、5月22日の「スカイツリーのオープン前に開通するのが望ましい」と発言。「中日本高速道路の社内にも、東海道の流れを止めてはいけないという哲学が広がっている」と述べて、工事が前倒しで行われているという認識を明らかにした。
 新東名高速は、県内は御殿場ジャンクション(JCT)―三ケ日JCT間の162キロ。内陸部を走ることから、川勝知事は「人や物の流れが移り、内陸部に産業や住居の立地が増える」とし、防災面でも有効活用されると期待していた。
 川勝知事は昨年末、中日本高速道路の金子剛一社長と対談した際、新東名高速の周辺(※)に富士山を正面から望める宿泊施設を建設することで意見が一致。今後、建設場所や用地取得に向けた話し合いをしていくという

(2012年1月5日付け 朝日新聞静岡版)

(※) 新富士IC近くには、富士市が管理する土地約1ヘクタールと地元の木材会社の民有地1ヘクタールの計約2ヘクタールがあり、活用が可能という。関係者によると、中日本高速と県、富士市が共同で所有し、研修施設のほか、富士山の眺望のいい部分は宿泊・滞在型のホテルといった構想が有力とされている。静岡空港からのアクセスも比較的近いため、国内外からの誘客も期待されている、という。

 なんだか、山野をずたずたにコンクリートで切り開いて獣路を潰し、景色を壊し、ホテルも赤字経営で倒産し、クニの借金がまた増えて、返すあてがなくお手上げなんてぇことだけはしないよう、選民の皆さま、よろしくお願い申し上げますよ。皆んな見張っていますからね。
 じゃあ、あの、「海ほたる」はいま、どうなってんだろうって心配になりました:

アクアライン800円!継続中!〜東京湾ひとまたぎ〜
よし!アクアラインで行こう 〜休日上限1000円廃止後も料金引下げ実施中〜
 ETC車に限り、東京湾アクアラインの通行料金を平日、土日祝日を問わず、普通車800円、大型車1320円に引き下げる社会実験については、平成21年8月に開始し、平成25年度までの予定で実施しています。
 平成23年6月20日からの上限料金制(休日1000円)廃止後も、アクアラインの料金引下げ社会実験は継続します。
 通行料金の引き下げの効果をさらに高めていくため、引き続き、「チームスピリット」のもと市町村や民間事業者等と連携して、観光の振興、企業誘致の促進や関連道路網の整備を進めるなど、全庁一丸となって取り組んでいきます

(千葉県の公式サイトより)
http://www.pref.chiba.lg.jp/keisei/aqualine/hitomatagi/index.html

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2012年01月09日

新成人


 昨日の8日、浜石岳山行は楽しかったですね。

浜石岳から冨士.jpg

お世話になりました。頂上から、雲の上に顔を出した富士山も眺められてラッキーでした。かき揚げ丼に圧倒された新年会も楽しかったですね。ありがとうございました。今年もよろしくお願いします

そうでしたね、とっても楽しい新春山行でしたね。新年のごあいさつをありがとうございます。
 頂上に近づくにつれ、冨士が姿を少しづつ顔を出してくる、頂上でご対面、そして下は駿河湾に穏やかな海がきらきらって光っている、というお正月ならでは、の風景でしたよね


 もちろん、被災地での若い皆さん、式典への列席を楽しみにしていたでしょう、しかしその前に旅立った若い人たちを思いやり、ひとつ、これからの平和な世の中、ふたつ、平穏無事な日常の生活、そしてみっつ、笑顔で何でも話し合える人付き合い、そんな世界を願いつつ歩いた、お正月の山への一歩、二歩、山歩だったのですよ。

新成人になるはずだった6人が震災の犠牲になった岩手県陸前高田市の成人式では、4人の遺影が一緒に席に置かれ、全員が黙とうをささげた。
 式には新成人267人のうち231人が出席。戸羽太市長は式辞で「ふるさとの再生には皆さんの若い力が不可欠。ぜひ協力してほしい」と呼び掛けた。
 東京の大学に通う菅野悠子さん(20)は式の後、津波の犠牲になった村上恵里子さん=当時(19)=の遺影を手に、友人と記念撮影をした。菅野さんと村上さんは幼なじみで、保育園から中学まで一緒だっという。薬剤師を目指している菅野さんは「彼女の分まで頑張って生きていく」と誓った。
 陸前高田市の成人式は、例年の会場だった市民会館が津波で被災したため、校庭に仮設住宅が立ち並ぶ市第一中の体育館で行われた

(1月9日付け河北新報「陸前高田・231人成人 会場に遺影 「一緒だよ」)

今この国の冬空を、もしかすると、被災地のそれより、もっと大きな閉塞感が覆っています。
 新成人の皆さん。経済の力におぼれ、科学の威力を過信して、ふるさとの森を枯らし、川や海を荒らしてきたのは、皆さんではありません。
 地震列島を原発だらけにした揚げ句、爆発事故を起こさせたのも、雇用と保障を奪っていくのも、一千兆円にも届く途方もない借金をこしらえたのも、皆さんではありません。私たちはその責任から逃れるつもりはありません。
 それでも、時代を変える力を持つのは常に若い人たちです。老いた常識よりはるかに強く、新しい海へ乗り出す新しい船を、操ることができる人たちです。
 雪に埋もれた桜の中で、新しい春が育ち始めているように、小さくていい、維新とか、大転換でなくていい、今日から一歩前へ出よう。自分の力で大人になろう。自分を大人にしていこう。
 新成人、前へ。若い世代よ、前へ。被災地もそうでないまちも、それぞれ一歩ずつ前へ。私たちも、負けずに前へ踏み出します

(1月9日付け東京新聞社説 「成人の日に考える前へ、明日へ、未来へ」)

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2012年01月08日

浜石岳707m

 今日1月8日日曜日は山歩クラブのお山歩会でございました。
 楽しかったですね、帰宅してさっそく写真を添付した一斉メールがヤッホー君から発信されたようですのでさっそく、のぞいてみましょうね:

夜遅く失礼します。
 山歩クラブは2012年お正月の新春山行を静岡県浜石岳707mに選び、5時間強、昨年の台風で荒れた倒木の障害物を乗り越え、飛び越え、跳ね除け、まるで辰の如く2万歩の快進撃を続け、見事、揺らぐごとのない歩みで富士市の「湯らぎの里」に飛び込み、汗を落とし体を暖っため、桜エビ丼は次回にまわすも、「丸天」では煙突のようなかき揚げ丼をどど〜んといただき、新年会まで催おし、帰路は東名道の渋滞もそこのけそこのけ、無事に帰京できましたことを謹んでご報告申し上げ、おやすみのご挨拶にかえさせていただきます。いただきま〜す


 補足しておきます。
 まずは、「湯らぎの里」-
富士山の麓にある“湯らぎの里”は「山の湯」「海の湯」合わせて16のお風呂とサウナが楽しめます。
 全館、身体にやさしいバナジウム水を使用しているので、赤ちゃんからご年輩の方まで安心してご入浴いただけます

(富士・湯らぎの里 静岡県富士市蓼原227-1 Tel 0545-63-2641)
http://www.a-1group.co.jp/yuragi/index.html

 次いで、桜エビ丼をいただく予定のお店は、浜のかきあげや-
由比港漁協が地産地消の一環として、桜えびを求めて県内外から訪れる観光客や地元住民を対象に、桜えびの需要の拡大や地域活性化を図ることを目的として開店いたしました。
 本場ならではのサクサク・フワフワ感をお手軽にお楽しみいただけます。
 皆様のお越しをお待ちしております

(由比港漁協 静岡市清水区由比今宿字浜1068-2 Tel 054-376-0001)
http://www.jf-net.ne.jp/soyuikougyokyo/p_kakiageya.html

 そして、「丸天」とは…、
日本最古の物語「竹取物語」発祥の地といわれる富士市。
 北に霊峰富士、南に駿河の海、雄大な富士山の清水を生かし、まさに自然と人が融合した街。
 四季折々の景色、情緒ある歴史を魚河岸丸天富士店の料理と一緒に楽しみませんか?

(魚河岸丸天 冨士店 富士市高島町69 Tel 0545-51-8540)
http://www.uogashi-maruten.co.jp/shop/fuji.php

新年会.jpg

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野見宿禰神社

 ヤッホー君、1月3日の「イーチャリ」は墨田区大平にある法恩寺でしたが、その帰り「北斎通り」を走っていて、出会ったのが「野見宿禰神社(墨田区亀沢二丁目8-10、JR両国駅から約5分)」。

上代の伝説的な力士、野見宿禰を相撲の神様として祭った神社で、明治時代に創建されました。
 現在の建物は戦後のものですが、玉垣の石柱には力士や相撲関係者の名が刻まれ、いかにも相撲の町、両国にふさわしく感じられます。
 本場所の前には、相撲協会のおまつりが行われます。
 境内には歴代の横綱の名を刻んだ石碑が2基、1基には初代明石志賀之助から46代朝潮太郎までが、もう1基には47代柏戸剛から69代白鵬の名が刻まれています

(墨田区公式サイト「本所・両国・錦糸町コース」より)
http://www.city.sumida.lg.jp/kunosyoukai/annnai/sumida_tour/course1/index.html

 そうなんです。柏鵬の名が刻んである基を見つけました。
 しかし、びっくりしたのは、66代の若乃花勝を最後に日本人横綱の名がないこと、そして、63代旭冨士正也(青森県)を最後に地方出身の横綱もでていなかったことでした。へぇ〜。
 大相撲は今日、1月8日が初場所です:

初場所前の横綱審議委員会による稽古総見が12月23日、東京・両国国技館で一般に無料公開で行われ、新大関場所に臨む稀勢の里(25)=鳴戸=が、本場所で11勝24敗と苦手にし、先場所まで6連敗中の“先輩”大関琴奨菊(27)=佐渡ケ嶽=に4戦全勝。大関陣らとの申し合いを含めて8勝5敗と順調ぶりをアピールした。
 横審の鶴田卓彦委員長も「初場所で優勝の可能性はかなりある」とべた褒めで、日本人横綱誕生を心待ちにした。
 国技館に飾られている優勝額は32枚。
 日本人最後の優勝額は2006年初場所の栃東。それも今場所で姿を消す。
「こんなばかな話はない。日本人が1人も入ってないなんて。これで国技と言えるかっていうんだ。頑張ってもらわないと」。鶴田委員長が嘆くのも仕方ないが、その思いが届いたのか。新大関の稀勢の里が苦手の琴奨菊に4戦全勝と気を吐いた

(中日スポーツ2011年12月24日紙面から「稀勢の里が琴奨菊を圧倒 横審稽古総見」
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sumo/news/CK2011122402000081.html

大相撲初場所の初日を1月8日に控え、横綱・白鵬が東京の明治神宮で新春恒例の奉納土俵入りを行いました。
 大相撲初場所は、稀勢の里の大関昇進で1年半ぶりに2人の日本人大関が番付に名を連ね、8日、東京・両国の国技館で初日を迎えます。
 その年の土俵の安全を祈願する横綱の奉納土俵入りは、毎年、初場所前に明治神宮で行われます。
 横綱・白鵬は、太刀持ちに安美錦、露払いに旭天鵬を従え、会場に集まったおよそ2000人の前に登場しました。
 白鵬が力強くしこを踏むと、その動きに合わせてファンや参拝客が「よいしょ」と声をかけたり、写真を撮ったりしていました。
 土俵入りを終えた白鵬は「ことし最初の初場所でよい相撲が取れるようにと土俵入りをしました。ことしは大関の中から横綱に上がってくる力士が出てくるのではないかと思っています。自分もみんなを引っ張っていける結果を出したいです」と話していました。
 大相撲初場所は、稀勢の里の大関昇進で1年半ぶりに2人の日本人大関が番付に名を連ね、8日、東京・両国の国技館で初日を迎えます

(NHK 1月6日18時49分更新「横綱白鵬 新春奉納土俵入り」)

 相撲部屋はヤッホー君のご近所なんです。五つもあるんですよ、一気にご紹介:
■北の湖部屋 江東区清澄2-10-11
■尾車部屋  江東区清澄2-15-5
■大嶽部屋  江東区清澄2-8-3
■錣山部屋  江東区清澄3-6-2
■高田川部屋 江東区清澄2-15-7


 大相撲の情報は次にて得られます:
http://sumo.goo.ne.jp/

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2012年01月07日

フラガール

 ヤッホー君、おかゆを啜っで10時、「イーチャリ」に出かけたのが「古石場文化センター」。
 山ガールと10時半の待ち合わせなのです。そこで、さらにフラガールともお会いできるとは…

江東シネマフェスティバルが1月7〜9日の3日間、江東区古石場文化センターで開かれる。小津安二郎監督の出身地に近く「映画のまち深川」をアピールしている同センターが毎年開いており、今回で5回目。小津作品のほか、同区が舞台の作品などを上映する(小林由比)。
 オープニングは、東日本大震災後、フラダンサーたちが各地を回って注目された福島県いわき市の常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)の草創期を描いた「フラガール」(7日午前11時半)を上演。区内在住のフラダンサー・プアナニ高橋さんとウクレレ奏者の清水峰生さんのパフォーマンスもある。
 小津作品では「秋日和」(9日午後4時50分)の上演前に、出演者の女優岡田茉莉子さんと夫の映画監督吉田喜重さんが対談。無声映画「非常線の女」(8日午後1時10分)は、沢登翠さんが弁士を務める。
 江戸・深川にあった岡場所(歓楽街)が舞台の「海は見ていた」(7日午後3時10分)や、終戦直後の東京の風景が映し出される「東京五人男」(8日午前10時)なども上演される。
 無声映画の鑑賞券は2本上映で1000円。そのほかは各回500円(秋日和は完売しキャンセル待ち受け付け)。3日間の通し券は3000円。当日券はそれぞれ300円増し。センターは12月29日〜1月3日まで休館。問い合わせはセンター(Tel 03-5620-0224)へ

(2011年12月28日付け東京新聞「映画のまち 深川PR 江東シネマフェス」)

 この映画は、2006年だからもう6年前に遡るのでしょか、友人ドージーとそのご母堂と千葉県は市川市の妙典4-1-1 イオン市川妙典店2番街にある「ワーナー・マイカル・シネマズ市川妙典(Tel 047-356-0205)」までわざわざクルマを飛ばして見に行った記憶が鮮明に蘇ってきます。秋、でしたねぇ〜
 当時、もう座席は満席で、一番前のしかも端っこの席で、首をずっと上に上げて見ていたような、でも2時間(120分)、飽きた、ということはなかったように覚えていますねぇ〜
 それほどに前評判もよく、見たほうがいいよっていう噂の映画でしたね。それがまあ、時を隔てて地元で見られるなんてねぇ〜
 さっそく800円を払って当日券を購入し、入場しました。

これは、子持ちの初子さんたちが「ブルーハワイ」という曲を踊るシーン。覚えていますか?
 この日ハワイアンズに集まってくださったエキストラはなんと1000人以上!設定が冬だったため、冬物を着て、はたまた60年代風の水着を着て、あのハワイアンズの常夏ドームの中、観客役として長時間撮影に参加してくれました!
 あのダンスシーンは、ブログ読者の皆さんはご存知のように、それまで一生懸命レッスンをしてきたガールズのいわば最初で最後のステージ。
 かなりの緊張感が漂っていましたが、得たもの全てをここで魅せるんだ、というガールズみんなの強い気持ちと、そのダンスに対して、びっくりするほど大きく温かな声援と拍手をしてくれたエキストラの皆さんの気持ちが一つになったからこそ、あれほど素晴らしいダンスシーンになったのだと断言できます。
 今思い出しても、鳥肌がたち、目頭があつくなるくらいです。
 全ての映画賞は、昨年の撮影に参加してくださったエキストラの皆さんと応援スタッフの皆さんとともに受賞したのです。
 本当に幸せな映画となりました!


 第80回キネマ旬報ベストテン邦画第1位、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品(蒼井優は最優秀助演女優賞を受賞)のこの映画、まだ公式サイトが残っています:
http://blog.excite.co.jp/hula-girl

 その続編にあたる映画も昨秋、ありました。2006年「フラガール」で活躍した蒼井優(1985年、福岡県
生まれ)がナレーターを務めています。『がんばっぺフラガール』です。

東日本大震災後、映画「フラガール」でお世話になった人びとのために何か手助けをしたいという思いを持っていたところ、本作の企画に賛同し、ナレーションを担当することとなった
http://ganbappe.j-cqn.co.jp/index.html

2011年3月11日に発生した東日本大震災により甚大な被害を受けた福島県いわき市。
 地震、津波、原発事故、風評被害の四重苦にあえぐこの地で、東北のハワイとして長い間親しまれてきた大型レジャー施設・スパリゾートハワイアンズが、開業前年に行ったフラガールたちによる全国キャラバンを46年ぶりに復活させた。
 1966年、常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)が誕生。
 国家エネルギー政策の主軸が石炭から石油に移りゆく中で、廃れる一方の街を再生させたのは、炭鉱娘たちとそこに住む人びと、そして、炭鉱という危険の伴う共同作 業の暮らしに自然と根付いていた"同じ山で働く者たちが皆で苦難を乗り越える「一山一家(いちざんいっか)」のスピリットだった。
 彼らが寒冷の地に作り上げた巨大な楽園が地元のピンチを救ったのだ。
 2006年に公開された映画「フラガール」でもすっかりお馴染みとなった、この設立のエピソードから45年…今、いわき市は再び危機に直面していた。
 避難住民に一部施設を提供しながら、スパリゾートハワイアンズは営業再開に向けて動き出す。
 自らが被災しながらも、 踊り続けることを決意し「フラガール全国きずなキャラバン」へと向かう現代のフラガールたち。
 あの時のように、笑顔で踊ろう。「一山一家」から「一国一家」へ。
 見すえる先は山を越え、彼女たちは、すでに、復興への"次なる大きな一歩を踏み出していた

(2011年10月2日日曜日付け河北新報「おかえりフラガール ハワイアンズ営業再開」)

 この常磐ハワイアンセンターは3.11よりも余震、4.11で大きなダメージを受けたのだそうです。

同施設は3月11日の震災に続き、4月11日にいわき市を襲った震度6強の直下型地震により大プールのあるウォーターパークが甚大な被害を受けて、当初目標にしていた夏の営業再開が不可能に。
 修復作業を行うと同時に、被災者に温泉施設を解放し、ホテルを避難所として受け入れてきた。
 また、施設の華であるフラガールたちは、5月3日のいわき市内にある避難所への慰問を皮切りに、全国26都道府県から韓国ソウルまで125か所で震災復興を願っての巡業公演を行った。
 この日10月1日の再開も一部施設のみだが、それでも浮き輪を持った子供たちや「きずな」と書かれたTシャツを来た人たちなど約300人の観客が列を作って開場を待ちわびた

(10月1日付けシネマトゥデイ「蒼井優としずちゃん、感無量で言葉に詰まる!震災から休業していたスパリゾートハワイアンズ営業再開!」)
http://www.cinematoday.jp/page/N0035829

 そして、いよいよ新ウオーターパークも新ホテルも2月8日、グランドオープン:
http://www.hawaiians.co.jp/

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七草

 ヤッホー君の正月7日の朝、おかゆでも食べようか、と。
 元旦からもう、幕の内弁当ばかり、昨夜から御燗の内に入り、北風の吹きぬく寒い小寒の翌朝は悪寒がするし、ぴったり、と思ったのだそうでございます。

 寒いなんて言ってられません、ソウルの今朝7時の気温は、マイナス10度(体感温度はマイナス13度、今日の天気は晴れ)ですって…、そんなソウルから新年のごあいさつが…
 
『2012年もよろしくお願いいたします。
 韓国は旧暦で祝うため、お正月は今月下旬の旧正月までおあずけです…。
 しかも今年は元旦が日曜日。振り替え休日もないため、2日から正月気分も感じられないまま出勤でございました(泣)
 今年は明るく、笑顔の多い1年にしたいですね!
 韓国ご訪問、首をなが〜くしてお待ちしております♪』


 は〜い、でももしオンドルがなかったらなんて、一瞬背中がぞくっぞくっとしました。
 続々と届けられる各地からの年賀、次はパリから、です。
 パリとは時差があるので、まだ昨夜の深夜でしたが、6度(体感温度は4度、今日の天気は晴れ時々雨)。

Thank you for your nice wishes. Catherine and me are often thinking about you.
Best greetings from Paris. Warmfully,


 ナイス? えっ、どんなご挨拶をしたの?

Dear friends, I wish all of you that this year will bring you happier and healthier days. Hope we will keep in touch together hand in hand each other even though the situation would be fragile. Thanks a lot and bye for now. Warmest wishes,

 そしたらね、ヤッホー君にも、ってカナダはバンクーバーから言われちゃった(まだ昨日の午後、気温4度、今日の天気雨)。

And a bountiful and happy 2012 to you. I am still writing a lot -- in fact, more than in several years. I hope someday to get back to Japan and, if and when I do, I hope we will have a chance to meet.  

 はい! 景信山で餅ついて、納豆で食べさせとうござんす、日本人の主食を。ナイフでビフテキを裂いて、パンを千切るんじゃなくって、飲んでも血のような赤い酒ではござんせん。
 そして、あのでっかい冨士山と下町が誇るスカイツリーをお見せしとう存じます。
 それにしても、さ、ビューティフルサンデーは分かるんだけど、bountiful って、えへへ、サルも木から落ちるんだ、スペルミスかなタイプミスかなアダムスミスかなと思ったヤッホー君、辞書を。
 a bountiful harvest で「豊作」ですって…ほお〜…

 ご挨拶状には、毎年恒例の餅つき山行の写真も添えたのだそうでございます。
 写真を見て、八王子(今日の予報では晴れ、最高気温8度)にお住まいのアメリカ人から感動のご挨拶が:

Thanks very much for your season's greetings. I hope you had a happy holiday
season and that you'll have a great year in 2012! The photo you sent of Mt. Fuji was really nice! All the best,


 たしかに…。
 イザベラバードがサンフランシスコから船に乗り、はじめて冨士山を見たのは1878(明治11)年、47歳のときでした。
 横浜オリエンタル・ホテルからの第一信で、甲板からの印象をこんなふうに書き記してくれています:

その青白い姿は、うっすらと青い空の中に浮かび、その麓や周囲の丘は、薄ねずみ色の霞につつまれていた。
 それはすばらしい眺めであったが、まもなく幻のように消えた。
 トリスタン・ダクーナ山(南米最南端の火山)ーこれも円錐形の雪山だが−を除いては、これほど荘厳で孤高の山を見たことがない

…『日本奥地紀行』(高梨健吉訳、平凡社、東洋文庫240、1973年)

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2012年01月06日

「読」「観」「耕」

 賀状 Happy New Year Card、と言いますか、季節のご挨拶 Season's Greetings と言いますか、旧友たちと旧交をあたためあう、というのはいいもんですね。

お元気のことと思います。小生、定年の春。近くの山から歩きたいと思っています。「読」「観」「耕」…楽しみながら

大災害や経済不況で大変な年でしたね。今年は明るい日本になって欲しいものです。大好きな山、そしてカラオケで健康を保っています

多事多難な世情ですが、めげずに、できることから一歩一歩。山歩きと同じですかね。ことしも元気で

 ね、仲間がいるって良いですよねぇ〜、しみじみと実感できる「寒の入り」、つまり「燗の内」のことでした。そう、そう、こんな警告をなさってくださった大先輩も:

昨年夏に八ヶ岳で転倒して、大腿四頭筋を断裂してしまい手術、そして入院は40日間で12月初旬に退院しました。
 現在リハビリ中で、全治6カ月で5月頃に普通に歩けるようになりたいと思っています。
 くれぐれも山での事故にはご注意ください。

 今度の事故では、山岳保険加入の必要性を痛感いたしました。
 というのも、ヘリの救助要請をせずに5時間半も歩いたことも状態を悪くする結果になったからです。
 長野県警のヘリであれは費用はかかりませんが、民間ヘリであれば100万円以上の経費がかかります。もちろん選択はできません。

 一番の原因は体力を過信していたこと、身体は悲鳴をあげていたことに気付かなかったことです


 びっくりしたヤッホー君、こんな燗中御見舞い状をだしたって言っていました:

そうだったんですか、では、リハビリには山歩クラブの月例山行へどうぞ。
 自慢じゃあ、ありませんが、チョウ軟弱派では下町一と心得ておりますので、回復の具合をはかるにちょうど良いかもしれませんね(苦笑)。
 それまでのリハビリなんて、人生めったにあるもんじゃない、絶好の良い機会だと思います。
 どうぞ、ゆっくりと山の本を読んだり、自分を肥やす勉強の時間にあてたりできます!
 歩けるもとの体に戻るまでのあいだ、あたまとこころをゆったりリラックスさせて、日々お楽しみくださいますように

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2012年01月05日

まさえさん・こうめちゃん

 午後にはOKストアでお買い物もしたし、本当は今日、事務所の若い衆と昨今の情勢を忌憚なく語る会を開催しようとしていたのですが、何も連絡無く、ま、若い人は何かと忙しいし、他のコミットメントもあるだろうし、と語る会のための買い物もせず、あきらめていましたし、それよりも勉強、勉強と、イザベラ・バード(Isabella L. Bird, 1831-1904)を自分のものにしようと思っていました。
 昨晩のNHKテレビ午後10時30分〜午前0時00分『にっぽん 微笑みの国の物 「時代を江戸に巻き戻せば」』を見た方も多かったことと思います:

明治初期に日本を訪れた外国人は“未知”の国、日本に感嘆の声をあげ、膨大な記述を残した。
 東北を旅したイギリス人女性、イザベラ・バードも、その一人。
 当初、人びとの好奇の目にさらされ、日本を嫌悪していたバード。
 しかし次第に、人々の優しさや礼儀正しさに触れ、強い感銘を受けていく。
 「ここは東洋のアルカディア(理想郷)です」
 中村梅雀さんのナビゲートで、時空を越えた不思議な“江戸”の旅にご招待する

 
 2012年こそ日本人になろうと決心したのですが、では「日本人」とはなんだったんだろうとそれをテーマに今年は思い切って、思索の旅に出ようと思い立ったヤッホー君、そこへ16時24分、ケイタイがなりました:

『おくればせながらですが、今年もよろしくお願いいたします。すいません。今日は休みだったんですが、雑用をいろいろしていて出るのが遅くなってしまいました。今は立川です。どこに向かえばいいですか?』

 得意のエビご飯を炊いて、そそくさと門前仲町へと向かいました、5時。あたりはもうすっかり宵闇が立ち込めておりました。八幡様、お不動さまとお参りして、「家来て飲も飲も会」を開こうと、遠路はるばる訪ねてくる若い友人に失礼のないように、とまぁ、そう思ったそうです。
 
 そうしたら、八幡さまで、思わず足が止まりました;

平成24年のお正月、当神社境内にて反省サルで有名な太朗治郎のお弟子さんによる猿まわしが行われます。
 平成23年8月にも上演されたこの猿まわし。
 小さなお子様からご年配の皆様に至るまで大好評を頂きました。
 今回のお正月公演は皆様のご要望にお応えした二度目の上演となります。
 猿は古来より招福、厄除けの縁起ものとして多くの人に喜ばれてきました。
 皆様も八幡様にお参りしこの「伝統芸能猿まわし」を見て、福をお持ち帰り下さい。
 なお当日は天候、お猿さんの体調等により中止になる場合があります。
 皆様にご来社を心よりお待ちしております

http://www.tomiokahachimangu.or.jp/gyoji/saiji/topics/sarumawashi.html

 こうめちゃんの好むおひねりは、丸いのより四角いほうを好むそうですが、寒いさなか、お姉さんの言う通り、嫌な顔ひとつせず、与えられた課題をひとつひとつクリアしていく姿に、思わずヤッホー君、また頬に垂れるものがありました。
 あれは、あれで良いんだよね、ああして夜、暖かい食事と布団が与えられるんだから、でも、さ、人間ってね、寒いときはできないときもあるし、体調不良のときは嫌になるときもある、そんなときには、ごめんね、できないんだけどって、言える権利や、そう言える自由があるじゃない、猿真似じゃないんだからさ、とか酔狂のなかで叫んでいたヤッホー君。
 また、明日も人間は、…、…。

逮捕されてもいいから銀座の路上で芸をしろ、と無茶をいうこの父親は、家族の生活もそっちのけで部落解放運動に力を尽くした人物。伝統的に部落出身者の職業とされた猿まわしの復活も、いわばその一環であった。
 「太郎、お前が部落の歴史あるこの芸を引き継げ。太郎、そしてお前がスターになれ。部落が誇れるスターになれ」
 著者を決心させ、猿まわしとしての人生を支えたのはこの父親の言葉だったが、彼を悩ませつづけたのもこの言葉だった。
 「人生はおもしろいぞ。人生は素敵やぞ」
 「ロマンに生きろ」
 父親の言葉に相応しい道をあるいてきた息子の自伝は同時に、彼をとらえて離さなかった苦しみの軌跡、それを乗り越えようとする決意の表明でもある


 そうですか、太郎次郎の社長、村崎太郎の『ボロを着た王子様』(2009年、ポプラ社)の書評です。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kodai/archives/cat460/

 村崎太郎は『1961年、山口県光市生まれ。17歳で初代次郎とコンビを結成し、日本に途絶えた猿まわしを復活。次郎の“反省”ポーズで全国的な人気者になる。09年、自らが被差別部落民の経験を執筆した『ボロを着た王子様』を出版。ここ数年は次郎と共に、日本各地の限界集落、ハンセン病療養所、原爆被爆者の皆さんなどを訪ねる出逢いの旅を続けている。2010年6月に夫婦共著で『橋はかかる』を出版し、部落問題に関して新しい視点で言及し、話題を呼んでいる。同著は、全国学校図書館協議会の選定図書に認定されている
https://www.justmystage.com/home/jinken21/2011/20110908poster.pdf#search='村崎太郎 猿回し'


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浄土ケ浜

 今日1月5日木曜日、うちの「消防用設備点検」でベランダの避難器具点検のある日です。
 午前中、在室していようかなと、今朝も眠気眼をこすりつつ朝寝坊して起き出してきました、ヤッホー君。
 いつものように『河北新報』を読み出して、目を覚まします。
 目が覚めると昨日はどんなに寒い、凹んだ気持ちでも、空が明るくなっているので、あっ日が変わったんだと、そして今日も一日、大事に生きていこう、と感謝しながらまずはベランダから、昇る朝日に手を合わせて拝んでいます:

岩手県宮古市で元日朝、本州最東端の海上から初日の出を拝んでもらおうと、浄土ケ浜を巡る遊覧船「第16陸中丸」が運行した。
 岩手県内外から215人の乗客が乗り込み、20分ほどで同市重茂半島の沖合に到着した。
 午前7時すぎに雲の間から朝日が差し、船内は大きな拍手に包まれた。例年は、船内で鏡開きと万歳三唱が行われるが、東日本大震災の被害に配慮して自粛。乗客は、朝日に向かって静かに手を合わせるなどして、「復興元年」に思いを込めた。
 愛知県春日井市の小学校教諭山本正和さん(29)は「太陽はきれいだったが、震災の被害の大きさを考えると素直に喜べない。生きていられるだけで幸せだと思った。感じたことを生徒たちにしっかり伝えたい」と話した。
 遊覧船のガイドを15年務める金沢明美さん(53)は「お客さんに明るい気持ちになってもらうために、元気な声でガイドした。宮古が復興に向けて前進している姿を伝えていきたい」と、1年の抱負を述べた

(2012年1月3日火曜日付け「初日の出 祈り静か 「復興元年」に思い込める 宮古)

宮城県多賀城市消防団の出初め式が3日、多賀城市役所で行われた。市内8分団の団員ら約150人が参加し、防火の誓いを新たにした。
 第5〜8分団の団員は放水実演を披露。きびきびとした動作で消防車からホースを伸ばし、息を合わせて一斉放水した。
 東日本大震災では、団員1人が殉職した。佐藤甚一朗団長は「団員と多くの市民が犠牲になった。災害はいつ起きるか分からない。亡くなった方の冥福を祈るとともに、気を引き締めて臨みたい」と話した

(2012年1月4日水曜日付け 「防火の誓い、空へ一直線 多賀城・消防団が出初め式」)

福島県鳶(とび)土木工業連合会相双支部(猪瀬明支部長)による伝統のはしご乗りが4日、南相馬市原町区の同市役所で行われ、東日本大震災や福島第1原発事故からの復興を祈った。
 本来は同市小高区の相馬小高神社に奉納し、地域の無病息災や職場の安全を祈る行事だが、小高区が原発事故による警戒区域に指定されているため、区域外の市役所に会場を移した。
 はしご乗りを披露したのは、若手とび職人から選ばれた太夫(たゆう)と称される6人。避難生活や震災の復旧作業に従事する傍ら、体育館などで練習を重ねてきた。
 仲間が支える高さ約7メートルのはしごに上り、「一本八艘(そう)」「駒散らし」などと呼ばれる勇壮な技を次々に披露。見物客からは大きな拍手が送られていた。
 太夫の1人で、建設業後藤公仁秋さん(25)は家族を山形県新庄市に避難させ、南相馬市で単身生活を送る。「来年はぜひ、本拠地の小高区で技を披露したい」と話していた

(2012年1月5日木曜日付け 「伝統はしご乗り 勇壮な技次々と 南相馬」)

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2012年01月04日

東京消防出初式

 今日1月4日水曜日、ゴヨウ初めのところもあるでしょうが、ヤッホー君のゴヨウ初めは愛車の初乗りでした。
 三つ目通りを東京湾目指して走らせました。辰巳を越えると行きどまりで、Uターンしてさらに左、有明方面へと走らせます。すると、消防出初式の垂れ幕の下がったところに出ました。
 もう終わったのかな…、いや、まだです。新春恒例の東京消防出初式は、1月6日金曜日でした。

出初式の起源は、今から約350年ほど前の江戸時代、1659(万治2)年にさかのぼります。
 当時、江戸の町は、1657(明暦3)年に発生した明暦の大火により未だ焦土のなかにあって、苦しい復興作業にあたる町民は、絶望的な状態にありました。
 このような状況のもと、1月4日、時の老中稲葉伊予守正則が定火消総勢4隊を率いて、上野東照宮前で「出初」を行ない、気勢をあげたことが、市民に大きな希望と信頼を与えました。
 これが契機となり、お正月の恒例行事として現在まで受け継がれています。

 さて、東京消防出初式は、消火・救助・救急演技、消防機械部隊分列行進、江戸消防記念会による伝統の木遣り行進・はしごのり、東京消防庁音楽隊・カラーガーズ隊の演奏・演技など防火・防災の行事として毎年多くの方に親しまれています。

 さらに、消防車両の乗車体験、起震車による地震体験など、皆様に楽しみながら防災を理解していただけるコーナーも設けています。

 お誘い合わせの上、是非お越しください。職員一同、多くの皆様のご来場をお待ちしております。

 なお、この模様は、NHK総合テレビで11時05分から11時45分まで放映される予定です

http://www.tfd.metro.tokyo.jp/inf/h23/10/dezome.html

 場所は、東京ビッグサイト東駐車場(東京都江東区有明三丁目10番先)。

 どうやって行くのかな、クルマであれば、有料駐車場に置いて歩けばいいですし、電車であれば、こんなふう:
☆ りんかい線「国際展示場駅」下車徒歩約7分
☆ ゆりかもめ「国際展示場正門駅」下車徒歩約3分又は「有明駅」下車徒歩約10分
 さらに、路線バスも:
☆ JR「浜松町駅」から約40分
☆ JR「東京駅」(八重洲口)から約40分

 電車、ねえ、そういえば今朝ポストに入っていた「こうとう区議会だより・新年号」で堀川幸志・江東区議会議長の「新春を迎えて」は、区政を振り返って、昨年は「地下鉄8号線の延伸につきましても、早期実現に向け、東京都の更なる協力が確認される」って書いてありましたね。
 地下鉄8号線ってど〜こだ、11号線は? それぞれ有楽町線、半蔵門線ですね。延伸計画が実現できた暁には、深川からも有明まで電車で行けるってことでしょうね。
 江東区の人口からみても乗客数は潜在的に確保できる、とふんでいるのでしょうね。先月、つまり2011年12月1日現在、江東区の人口は476,313人でした。
 ヤッホー君は30万人かな、とふんでいましたので、お正月そうそう腰をぬかしてしまいましたって、へえ〜:

江東区では江東区、墨田区、葛飾区、松戸市の3区1市からなる「地下鉄8・11号線促進連絡協議会」で合意形成された豊洲駅〜住吉駅間(約5.2km)整備の早期事業化を目指しています。
 本事業は区内の南北交通を格段に便利にするだけでなく、東西線など区内既存路線のラッシュ時の混雑緩和、地域活性化につながる効果が期待されています

(江東区の公式サイト、2011年7月19日9時27分更新)
http://www.city.koto.lg.jp/seikatsu/toshiseibi/53208/53247.html

 そうしたら、なんとJRでも新駅計画が。で、これは碍子ケイ優遇のとっく対策、ねぇ〜:
 
JR東日本が山手線の品川駅と田町駅の間に新しい駅の建設を検討していることが分かりました…。
 新しい駅の建設が検討されているのは、JR山手線で、駅間の距離が2.2キロと最も長く、3分近くかかる品川駅と田町駅の間で、現在は、車両基地として使われている敷地です…。
 このエリアは、新幹線が止まる品川駅のすぐ近くで、羽田空港にも近いことなどから、先月、外資系企業を積極的に誘致する「国際総合戦略特区」に指定され、新しいビジネス街として大規模な再開発が計画されています。
 JR東日本は、東京都や港区などとも協議を重ね、詳しい計画を検討することにしています。
 山手線に新しい駅が建設されれば、1971(昭和46)年に造られた荒川区の西日暮里駅以来、およそ40年ぶりで、30個目の駅になります

(NHK 1月4日17時23分更新「山手線 品川〜田町間に新駅検討」)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120104/t10015049991000.html

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2012年01月03日

太田道灌

 今日の「イーチャリ」は法恩寺(東京都墨田区太平1-26-16 Tel 3622-8267)。
 寒い向かい風を切って亀戸天神を目指して自転車をこいでいたときに、何気無く、ふと、立ち寄りなくって自転車を停めたのがこのお寺です。
 寄り道、草道、迷い道が大好きな性格は一生治らないヤッホー君のビョウキなのでしょうか。
 ですので、一本道、直進、ごますり、昇進、出世、優等生、勝ち組、管理職、金儲け、1%なんてのは大っ嫌い、まるで縁のないヤッホー君、この2012年もテッテイしてこの路線をすすませていただきますって、ペダルを踏みながら決意していたそうですよ!
 いえ、ね、この太田道灌がどうか、だってことは問いません、ただ、そんな風邪除けのおまじない、マスクをして自転車をこいでたどりついた寺苑で凡夫にお寺さんが、「寒かったでしょう」と一声、無料の甘酒をおもてなしをしていただいときに、最近ともに涙もろいヤッホー君、はらはらと涙を流しながら「ありがというございます」とずるっと飲んでいたのです。
 どこへお参りにいったって、200円、300円は当たり前なのに、「お参りに来ていただいてありがとう」とさしだしてくださったそのこころ、が何とも美味で。
 
 そうなんです、このお寺さんは、太田道灌ゆかりの寺でした。ヤッホー君ははじめて訪れました。
 住所の墨田区太平って、この太田道灌の「太」と寺の「平河山」とをくっつけたものでした。

『日蓮宗平河山法恩寺縁起
 開山は本住院日住上人、開基は太田道灌公である。道灌公長禄2年(1458)江戸城築城にあたり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立、次いで資康、資高城主となり資高の代、本住院を法恩寺と改称したのである。山号を平河山と称するのは、当時この付近を平河村と称したものである。当山には秀吉家康共に小憩され又、朱印地も与えられた。家康江戸城に入り、城内拡大に当たって当山は神田柳原、谷中清水町にと移され、元禄8年現在の地に移されたのである。当時塔中20寺、末寺11寺、関東の触頭として威勢を誇った。当地を太平町と称するのは開基太田道灌公の太と山号平河山の頭文字をとって名付けられた。当山は関東大震災、昭和20年3月の戦災に遭遇するも檀信徒並地元の外護により再建され、昭和29年10月現在の本堂落成をみたのである。経石塔(三重塔)は昭和7年650年遠忌記念として建立、天平風鉄筋造当時新様式鐘楼として名高いものである』
(境内掲示より)

 この太田道灌は、秩父の越生町とも縁があり、今春、やまぶきの花の咲く頃、その地を歩こうと提案しようと思ったヤッホー君でした:

ヤマブキ シーズン 4月中旬〜下旬 太田道灌の山吹伝説の舞台といわれる「山吹の里」。ヤマブキの花が一面に咲き乱れる。
 「七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞ悲しき」の和歌で有名な「山吹の里」伝説の地。
 関東には「山吹の里」がいくつかあります。
 越生町では、太田道灌が小杉の自得軒(建康寺付近)に隠居している父道真を訪ねる途中、にわか雨にあい、蓑を借りようと立ち寄ったとしています。
 「法恩寺年譜」などによると、太田道灌が暗殺された1486(文明18)年、越生には「山吹」という姓の神主がいたことが記されています。
 また、この辺りはヤマブキの自生地でした

http://www.town.ogose.saitama.jp/div_soumu/cyousei_youran/ogose-walking/pdf/ogose-walking.pdf
http://www.town.ogose.saitama.jp/div_ken_fuku/sec_hoken_ct/walkingmap/img017.pdf

埼玉県指定旧跡、伝山吹の里(でんやまぶきのさと)(西和田区)昭和36年9月1日指定
 若き日の太田道灌は、鷹狩りの途中でにわか雨に遭い、蓑を借りに貧しい民家を訪ねた。
 すると、出てきた娘が黙って一枝の山吹を差し出した。
 娘の謎掛けが解けなかった道灌は、「蓑がない」悲しさを「七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞかなしき」という古歌に託したのだと教えられた。
 自分を恥じた道灌は歌道を志し、文武両道の名将になったという伝説の故地である。
 ちなみに、この歌は勅撰和歌集「御拾遺和歌集」に載る醍醐天皇の皇子中務兼明親王の作である

http://www.town.ogose.saitama.jp/div_gakumu/kyouikuka/bunkazai/shitei/shitei-bun/yamabuki.HTM

 そして、帰り立ち寄りは西日暮里の道灌山、そして日暮里の酒屋さんです!

東京都荒川区の日暮里駅周辺の酒屋店主7人が、安売り店に対抗しようと日暮里ブランドの清酒「日暮里(ひぐれのさと)」を売り出した。日暮里ゆかりの太田道灌の子孫が経営する酒造メーカーに製造を依頼。新交通システム「日暮里・舎人ライナー」の開業を控え、日暮里の新しい特産品にしようと売り込みに懸命だ。
 考案したのは東日暮里5丁目で酒屋を営む金子豊さん(41)ら、31歳から50歳までの酒屋の2、3代目だ。「スーパーなどの安売り攻勢で、このままでは一般の酒屋は生き残れない。他の店では販売できない、日暮里独自のブランドを作ろう」と企画した。
 金子さんらが持ちかけたのが、江戸城を築いたことで知られる太田道灌から数えて19代目の太田精一郎さん(47)経営の太田酒造(本社・滋賀県草津市)だ。
 太田道灌と日暮里は縁が深い。荒川区で標高が最も高い同区西日暮里の道灌山は、戦国時代に道灌が見張り台を建てたことから、その名前が付いたといわれる。それを記念して日暮里駅前には道灌像もある。
 太田酒造の代表銘柄「道灌」もご先祖にちなんだものだ。金子さんらの申し出を精一郎さんが快諾し、純米酒「日暮里」ができた。
 金子さんらは、4月に東尾久運動場などで開かれた区主催の「川の手荒川まつり」に出品したり、町会の祭りに奉納したりして、「日暮里」の知名度アップに努めている。
 「今年度中には、日暮里・舎人ライナーが開業し、再開発ビルも出来る予定で、日暮里駅周辺が本格的に変わる時だ。新しい日暮里の特産品の一つになってくれれば」と金子さんは話している

(2007年5月20日付け朝日新聞 「日暮里」ブランド酒、道灌子孫メーカーとコラボ)

 だって、さ、お酒は法納寺のお和尚さんも許してくれそうなんだもん:

『お寺の本堂でこんなどんちゃん騒ぎの飲み会なんてあって良いの!?
 仏さまに失礼じゃないの!?と思われる方もおられるかもしれませんが、良いのです!
 そんなことで仏さまは怒られません!
 
 普段お寺のために尽くしていただいている皆さんが少し騒いで楽しんでいる、そんな様子を見て怒るような方を私たちは信じてはおりません。
 本当に心を広い、器の大きい存在なのです。
 温かく見守ってくれておられるのです。

 そして、お寺でこういうことをすることによってまたいろいろな縁ができるものです。
 積極的にお寺に人が来れる、身近に感じれるようになれればと思います。

 いずれ自分も、お寺に若い人、友達を集めて、いろいろな話をして人生について考え、その後は飲み会をして語り合い、いろいろな縁を持ってもらえたらな、そういうことが定期的にできるようになればなあ、という想いを持っています。

 お寺が誰にでも親しまれる、そんな場所にできるよう日々精進です!
 Welcome to the 法恩寺!!』
http://blog.livedoor.jp/houonji/archives/6462212.html

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だいだらぼっち

 初夢を見ることもなく、というか覚えていないんでしょうね、きっと。だって昨日は3万歩も歩いたんですから。
 そして、寝ぼけ眼で一揆、一気、人気、「日記」と机に向かったわけは、「だいだらぼっち」のこと。
 ヤッホー君の先月12月17日付け日記で、「泰阜村」を紹介しました。
 ここ信州は長野県の南部、下伊那郡の南東、天竜川の東側にある村に、「学校美術館」があるのですよ!

先人の求めた「貧すれど貪せず」の心(吉川宗一校長・吉沢村長等による美術館建設の精神)、倉沢興世先生の言う「夢」、久保田・坂巻両校長、金田一馬氏等の貴い志、泰阜の人々の教育への想い等を、「泰阜村の精神」として子供達に継承していきたいと考えています
(泰阜村公式サイトより 「学校美術館の歩み」)
http://vill.yasuoka.nagano.jp/kakukakaranoosirase/kyouikuiinkai/bijutukan/

 「貧すれど貪せず」の心…日本人の誇りですよね、良い言葉ですね、新春から。
 このムラに「だいだらぼっち」という屋号の家屋があって、「暮らしの学校」、「共育」を実践しているのが、NPO「グリーンウッド自然体験教育センター」でした。
 なんだい、だいだらぼっちって?

冨士山に腰かけて、大井川でふんどしを洗ったそうな〜。
 冨士山を囲む地域によく伝わる大男の民話がある。冨士山は変わらないが、地域によっては大井川が利根川になったり、天竜川になったりもする。ここ伊那谷では、もちろん天竜川でふんどしを洗った大男の話になる。
 この大男の名前を「だいだらぼっち」という。地域によっては、「でいだらぼう」とか「だらぼっち」などとも呼ばれる。最近では、映画「もののけ姫」のなかで、自然をつかさどる妖怪で「だいだらぼっち」が出てきた。なので、今では民話より映画の妖怪のほうが、子どもたちには通りがいい

(辻英之編著『奇蹟のむらの物語』、2011年、農文協)

 この「だいだらぼっち」伝説が、年末から年始にかけて徘徊した奥秩父の山並みにもあったのです。
 たまげたヤッホー君、おどろいて腰をぬかしていた、ということです。

 二子山については大晦日の日記「横瀬町」で紹介しましたよね。

むかしのお話です。
 だいだらぼっちが日本中を歩きまわっていたころのことです(だいだらぼっちとは、ダイダラ坊ともいい、山をつくる神さまのことです)。
 ある日、だいだらぼっちは、富士山の頂上に腰をおろしまして、びわ湖の水で顔をあらいました。そして、ひと息つきまして、立ち上がろうと、筑波山に「ウムッ」とばかり、かた手をつきました。
 と、どうでしょう、三角の形をしていた筑波山の頂上が、まん中から、グシャッとへこみ、今のように男体と女体にわかれてしまいました。
 そして、立ち上がってから、大きなのびをして、ノッシ、ノッシと秩父の方へ行ってしまったということです。
 このだいだらぼっちの足あとだと言われているものが、狭山にもあったということです。柏原(かしわばら)の下宿(したじゅく)から上宿(うわじゅく)の方へ行く途中に「だんご坂」という小さな坂がありますが、この坂のすぐわきの畑の中に窪地があって、だいだらぼっちが、このあたりを通りかかったときにできたものだといわれております。
 また、だいだらぼっちの伝説は、埼玉県下にも、秩父地方を中心にたくさんあります。そして、足あとといわれているものが、となりの入間市や川越市の笠幡(かさはた)の方にもあるそうです

(狭山市の公式サイトより 「だいだらぼっちの足跡」)
http://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/rekishi/ehon/kasiwabara/daidara.html

 そして昨日の初歩きの山、釜伏山の山頂は釜山神社奥の院にあるのですが、ここ釜伏山にも「だいだらぼっち伝説」が読み取れるのですよ:

昔々、武蔵野に大太坊という巨人がいて羽黒山に行く途中、秩父の山にさしかかり、その時巨人は、定峰峠に腰を掛け、かぶっていた笠を笠山の頂におき、両足をニュッと伸ばし、槻川のあたりに足をつき粥仁田峠で粥を煮て昼食をとりました。
 食べ終わって粥を煮た釜を伏せたのが釜伏山、二本の箸を立てた所が二本木峠、腰を下ろした石が休石、また荒川の水を含んで吹いたのが大霧山。
 大太坊の足跡は今でも槻川上流白石の山中にくぼ地や沼として残っているそうです

(旧定峰峠の案内板より)

山頂.jpg


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2012年01月02日

釜伏山582m

 ヤッホー君の「イーチャリ」、別名「e自転車」だって見抜いた方、「酔狂(良いクル、でけっしてすいきょうではござんせん)」のほうが良かったよっておっしゃってくださった方とか、もう和尚月早々、お騒がせしてしまったようで申し訳ございません。
 で、またもや早朝、仲間と落ち合い、隅田川を渡って、半蔵門線「水天宮前」に。今日は、池袋から、西武池袋線でなく、東武東上線で小川町からさらに寄居に向かい、ここで、秩父鉄道に乗り換えて三峰口方面行き電車で、「野上駅」下車。

秩父鉄道線内は、Suica、PASMO等のIC乗車券はご利用になれません。発駅からの運賃を現金で精算していただくことになりますので、直通電車から秩父線内へお越しの場合、乗車券等をお買い求めの上、ご乗車ください。
 寄居駅の乗り換え改札機(2箇所)にタッチしていただくことにより、寄居駅までの運賃は精算されます。寄居駅から先、秩父線内の運賃は、下車駅にて別途現金でご精算いただきます

http://www.chichibu-railway.co.jp/train/info/ic.html

 正しく精算されたのだろうか、アナログ派のヤッホー君はいまだにPASMOをのぞきたがっていますが、要注意!駅員の指示に従ったほうが良さそうですね。

 朝9時45分歩き始め、12時15分、「釜山神社」で昼食。この神社は古い:

この神社の起源、設立については明らかではありませんが、伝説、古文書等によると、504年頃、第9代開化天皇の皇子(日之雅皇子命)が武蔵国を巡幸した折、釜伏山奥の院において旅の安全と国内の平定安康を祈ったといわれています。
 その後、770年頃、日本武尊が巡幸した折、この神社に立ち寄り山頂において神様に供える粥を釜でたかれ、この釜を神体岩上に伏せ願望成就の祈りをしたと伝えられています。
 このことから釜伏山∞釜山神社≠フ名が付けられたといわれています。
 また、一説によると関東平野から眺めると、山の形が釜を伏せたように見えることから、この名が付けられたともいわれています。
 釜山神社には、この世の五大要素といわれる木火土金水≠フ霊神が祭られており、特に、火防盗難の守護を始めとして諸々に無限の幸を賜るといわれています

(埼玉県寄居町案内板より)

 午後3時15分が、「かんぽの宿 寄居(埼玉県大里郡寄居町末野2267 Tel 048-581-1165)」の金山温泉で立ち寄り湯。

ゆるやかな時間が流れ、豊かな自然あふれる秩父路は、高速道路を利用すれば都心からわずか約90分。
 どこか懐かしく、素朴な風情に心がやすらいできます。
 微白濁の温泉は、平成11年に開湯した寄居唯一つの天然温泉。展望露天風呂からは秩父の山並みを遠望できます

http://www.kanponoyado.japanpost.jp/yado/yorii/

 よく歩きました!うん、今年は良い年になりそうです!さっそく20:52報告の一斉メールが発信されていました:

こんばんは。
 お正月ゆるゆるとお過ごしのところ失礼致します。
 今日は山歩クラブの初歩き、秩父鉄道の野上駅から歩き出し、塞神峠目指し荒川を金石水管橋を渡ったところです。
 奥秩父は、山歩クラブにとってまるで、ふるさとのよう、里山もたおやかで川の流れも穏やかで、初春の光りを浴びてゆるゆるとしておりました。
 写真はそれです。
 ところがこのあと、塞神峠でみぞれが舞い降り、もう撤退しようかと思いましたが、青空も残っており、この雪雲が武甲山に流れたら晴れるよ、と仲間の言葉に、山行を続行し、釜山神社で初詣で、蛇紋岩の急坂、日本水、風のみち、かんぽの宿寄居と、3万歩のロングウオーク、なんかとっても充実した初歩き、新春ウオークとなりました。
 「日本の里風布館」にはロウバイがもう一花、二花と開花しており、暖ったか秩父、里山歩きの醍醐味を味わってきました。
 では、引き続き正月団欒をお楽しみください、今晩は初夢です


初歩き.jpg

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2012年01月01日

初詣で

関西経済連合会と鉄鋼、造船大手などの労働組合が加盟する「基幹労連」は12月9日、早期の原発再稼働を求める要望書を政府に提出した。
 関西には鉄鋼、造船の大規模工場が多く、電力不足が全国でも最も深刻なことから共同歩調をとった。
 要望書は、電力不足による生産シフトで従業員の生活に負担が出ていることや、国内産業の空洞化を懸念。
 エネルギー問題は「産業のみならず雇用に直結する」とした。
 政府の再生可能エネルギー導入計画に対しては「あまりに楽観的だ」と批判した

(2011年12月10日付け朝日新聞「原発再稼動を要望 関西経済連合会と基幹労連」)
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201112100005.html

 ロウソクなんて、どのくらいの組織率なのか知りませんが、こういうのをゴヨウ組合と言うんでしょうね。政労使なんて言うけど、ね、このようないちゃいちゃ関係って、カロウシ寸前の労働者を巻き込んで共倒れにならないよう、非組合員だって、小さくても声をあげていきましょうね。
 
 いったい、宗教者は昨年の3.11をどう総括したのでしょうか、気になったヤッホー君です。
☆ 「日仏連」

『全日本仏教会 異例の「脱原発」宣言…東京新聞 佐藤圭 署名記事 2011年12月11日「こちら特報部」)
 全国の伝統仏教教団でつくる全日本仏教会(全日仏)が「脱原発依存」を宣言した。
 保守的といわれる仏教界が、国論を二分するような問題で一定の方向性を打ち出すのは異例だ。
 福島原発周辺の寺が避難生活を強いられる中、仏教界にとっても原発問題は切実なテーマになっている


『現在、日本には約75,000の伝統仏教の寺院・教会・布教所等があり、それらの多くは、いずれかの宗派(教団)に所属しています。
 財団法人全日本仏教会は、その中の主要な59宗派を中心に、都道府県仏教会・各種仏教系団体等も加盟した、我が国の伝統仏教界における唯一の連合体です。
 現在、本会に加盟している104の宗派・団体に所属する寺院は、全国寺院数の9割を超えています。
 本会は1900(明治33)年、国家の宗教統制に反対して結成された「仏教懇話会」に淵源を持ち、「大日本仏教会」「日本仏教連合会」等を経て、1957(昭和32)年、財団法人全日本仏教会となり、今日に至っています』
http://www.jbf.ne.jp/

 「宣言文 原子力発電によらない生き方を求めて」は下↓を参照:
http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html

 創価学会は「日仏連」のメンバーではないし、その政治組織は自民党といっしょに原発を推進してきた原子力ムラの一員なわけですし、CO2削減のためには原子力が必要、いや国内で推進し、海外に輸出すべき、というスタンスなのでしょうか。分かりませんね。

☆ ヤッホー君の故郷で爺ちゃん、父ちゃんが代々信じていた宗派、真宗大谷派も:

『原子力発電に依存しない社会の実現にむけて
 真宗大谷派 12月28日更新
 「原子力発電所に依存しない社会の実現」に向け、内閣総理大臣へ要望書提出。
 12月28日水曜日、東北地方太平洋沖地震に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故により、多くの人びとの生命や人権が脅かされ、苦難の日々が今なお続いている状況に鑑み、野田佳彦内閣総理大臣に要望書を提出。
 林治参務が首相官邸(東京都千代田区)に赴き、末松義規内閣総理大臣補佐官(民主党・衆議院議員)に手交した

http://higashihonganji.or.jp/

☆ 日本カトリック司教団
 「いますぐ原発の廃止を〜福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして〜」
 日本に住むすべての皆様へ
 2011年11月8日 仙台にて 日本カトリック司教団

http://tokyo.catholic.jp/text/diocese/oshirase/111108genpatsu.htm
 
 これでお釈迦さんも、親鸞さんも、イエズスさんも、傲慢であってはいけない、謙虚さを失っていないこころある人間たちが声をあげてくれたことに対して、さぞや首を頷いてくれたこととお喜び申しあげます。

初詣に松島、瑞巌寺、中尊寺を回っています

 仲間からのお便りです。ヤッホー君はさっそく返事をだしていました:

『東北からのメールありがとうございました!
 暖ったかくして奥の細道の旅を続けてくださいますように。
 そして、両手にいっぱいのお土産話しを楽しみにしています。
 こちら下町での初詣は、閑散とした横網町公園で17万骨にお参りし、何度も訪れているはずなのに、はじめて意識した幽冥鐘に涙してしまいました。
 明日は初歩きで奥秩父に向かいます。
 今年もいっぱい、たっくさん、山を元気に明るく楽しく歩いていきましょうね!』


横網町公園.jpg

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横網町

 ヤッホー君、元旦のご挨拶をどうしようか、思い悩んでおりました。そして、「おめでとう」というのは止めようと思いたったのです。
 そこで今朝、「イーチャリ」で向かったのは、あの愛知県犬山市の「元祖なでしこジャパン」の修学旅行隊も舟で向かった横網町公園です。
 初詣でとすることにしたのです!
 めでたくなんてない、元旦から泣きぬれておりました、「震災と戦災のメモリアルパーク」でのこと。
 忘れていいことと悪いことってやっぱりあるんじゃないかな、やっぱり。
 今年は、「日本人」皆んなが力合わせて、売国奴を問い詰め、追いやり、蹴散らし、良い年にしないとね:

『1922(大正11)年、東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていましたが、その最中に発生したのが関東大震災(大正12年9月1日)で、その時この界隈の人びとが被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの風速17メートルの強風に燃え広がり、多数の焼死者が出ました。
 東京都慰霊堂は1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災による遭難死者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の多かった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に1930(昭和5)年に建てられたものです。
 当初は「震災記念堂」と名付けられましたが、1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲などによる殉難者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、1951(昭和26)年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約163,000体の御遺骨が安置されています

(公益財団法人 東京都慰霊協会の公式サイトより)
http://www.tokyoireikyoukai.or.jp/

 ヤッホー君の小さな目が涙であふれ、嗚咽したのは、鐘楼前でのこと:

P1015231.jpg

幽冥鐘の由来。
 この弔霊鐘は、関東大震災により遭難死した死者追悼のため、中国仏教徒の寄贈によるものである。
 震災の悲惨な凶報が伝わった中国では、杭州西湖の招賢寺及び上海麦根路の玉仏寺で、それぞれ念仏法要が営まれ、中国在留の同胞に対しても参拝を促した。
 また、各方面の回向が終わったのちは、「幽冥鐘一隻を鋳造して、これを日本の災区に送って長年に亘って撃撞し、この鐘声の功徳によって永らく幽都の苦を免れしめむ」と宣言した。
 その後災情が日を経るに従い甚大であることが明らかになったので仏教普済日災会の代表2名が来日し、京浜両地区の慰問を行ない、これと同時に我が国の外務大臣並びに仏教連合会に梵鐘の寄贈を申し出たものである。
 その後、震災記念堂の計画確定によりこの鐘を横網町公園に安置することになった。
 なお、このことについては上海の王一亭氏の特段の尽力があった

(東京都)

 東京新聞の元旦の「筆洗」、皆んなで読み合ってみましょうよ:

『…数多くの神社仏閣が津波で流された東日本大震災の被災地を想像します。
 大きな本堂ごと流されてしまった寺、散乱する墓石、石段だけ残して鳥居も社務所も消えた神社…。被災地でよく見られた光景でした。東北では、77の寺院が流失、全壊し、145の神社が全半壊。檀家や氏子にも多くの犠牲者が出ました。
 地域の復興には欠かせない存在であっても、公的資金の援助は受けられず再建の道程は厳しい。仮設住宅で初めて年を越した人たちにとっては、初詣もできないつらい年明けです。
 正月返上で福島第一原発で作業をするという35歳の男性の声が、昨日の社会面に載っていました。津波で10人の同級生を亡くした男性は、国道から見える海に向かって手を合わせることが自分の初詣だといいます。政府は早々と「収束宣言」をしましたが、現場を支えているのはこういう人たちです。
 経済産業省前では大みそかの夜から、反原発や反貧困を訴える大勢の若者らが歌合戦や年越しカウントダウンで気勢を上げていました。これが彼らの初詣のようです。
 今年は辰年。<竜の髭を蟻が狙う>ということわざは、弱者が強者に立ち向かう例えです
 小さな声でも集まれば社会を動かせます

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