2011年11月30日

むだ・もうけ主義

福島県の佐藤雄平知事は11月30日、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故からの再生に向け策定中の県復興計画に、東電や国に県内原発10基全ての廃炉を求めることを明記すると発表した。県は年内に計画を策定する方針だ。
 同県は8月に決定した復興ビジョンで、「原子力に依存しない社会」を目指す方針を提示。ビジョンを具体化する復興計画では、こうした考え方をどのように盛り込むのか、これまで部長級会議で検討していた。
 同日記者会見した佐藤知事は、「県民を守り、若者、子供たちが安心して暮らせる福島県を復興するために、復興計画に廃炉をしっかりと明記することにした」と表明。その上で「原発に代わる新たな雇用の創出に全力で取り組む」と語った。県議会も県内全ての原発の廃炉を求める請願を10月に採択している

(2011/11/30-16:40時事ドットコム「原発全10基、廃炉を=復興計画で求める−福島知事」)
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011113000701 

 今日2011年11月最後の日、ヤッホー君のこのブログ、こんなニュースを「日記」にして締めることにします。
 しかしゴーストタウンになってはじめて「廃炉を求める」なんて、ね、ヤッホー君はまた塞ぎこんでいます。
 エライ人たちには見えない、いや、見ようとしないのでしょうか、ね。ニホンジンっていつのころから、そんな人種に成り下がったのでしたっけ。
 ふるさとを追われ難民化した地域住民たち、泥まみれになって作ったお米も汚染されていて出荷できないでいる農民たち、飢えたまんま棄てられた家畜たち、真相も究明できないでいる科学者たち、対人、対物、自損問わず交通事故では事故を起こしたらタダチに警官を呼ぶのに、捜査もされない電力会社、…。
 
 アメリカ人の詩人、アーサー・ビナードさんは11月23日勤労感謝の日に学士会館で、さらっと「なかそね・やすかも」「しょうりき・ねぎたろう」って言いました。アメリカ人からアメリカの一部の「むだ・もうけ主義」者へのかも、ねぎだった、なんて言われたこのクニのエライ人!だれがかも、ねぎをエライ人と選んできたのでしょうね、まったく!

 岩波書店から発行されている『科学』12月号から一部紹介します。
 この雑誌はことしの3.11を歴史絵巻として鳥瞰図で見届けるにはサイコウの資料です。ぜひお近くの書店に注文して、ご購入ください:
☆ 『1953年12月8日の国連総会における米大統領アイゼンハワーの演説は"Atoms for Peace"、すなわち「原子力平和利用」政策を提唱したものとして知られている。しかし…(ここからも実は重要なのですが、ご自分でお読み下さいね!、1285頁)』
(田中利幸、広島平和利用研究所、教授)

☆ 『中曽根康弘はアイゼンハワーの国連演説の約3ヶ月後(1954年3月3日)、彼が当時、属していた改進党の斉藤健三、稲葉修と組んで、吉田自由党が過半数を占めることのできなかった間隙をぬって、自由、改進、日本自由の保守3党の共同修正予算案のなかに、原子炉製造補助費2億3500万円、ウラン資源調査費1500万の計上に成功した(1277頁)』
(山崎正勝、東京工業大学名誉教授、科学史)

☆ 『1956年、原子力委員会が発足すると、正力松太郎原子力委員長はわずか5ヶ月後に、独断で「5年後には実用規模の発電炉を建設する」と発表し、湯川秀樹氏がこれに抗議して原子力委員の辞意を表明した(1287頁)』
(舘野淳、核・エネルギー問題情報センター、事務局長)

 こういう一連の流れは国民、納税者、選挙民、まして貧民や土民に知られることはなかったようですね。市民なんてものもなかったし。

 いま、あぶない、とアメリカ人の詩人は見抜いています。なぜって、前の政権ですらできなかった憲法改正、武器輸出、ゲンパツ輸出、TPPへの動きを加速化させているからです。
 ゲンパツってさ、クリーンエネルギーなんていうけど「からくり」があるって、プルトニウムつくって核兵器づくりへのカモフラージュなんですよって、これも見抜いていらっしゃいました。だから「一億総白痴化」させようと、あの手この手でせまってくるもの・ことから、「一億総市民化」を目指さないと、ね。
 このクニに住む人びとの幸せよりは、「むだ・もうけ主義」への転落なんでしょうね、それをささえているのも大労組だから、もちろん支持し、歓迎しているようですし:

★ 『憲法改正原案を審議する目的で2007年に設置された衆院憲法審査会がようやく始動した。
 民主党が、委員選任に応じないなど後ろ向きの姿勢を改めたからだ。衆参ねじれ国会の運営を円滑に進めるために、自民党などの要求に応えざるを得なかった面もある。
 将来の憲法改正に備え、憲法や国の根幹に関わる法制度について精力的に議論してもらいたい

(11月18日付け読売新聞社説「憲法審始動 緊急事態への備えを論議せよ」)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20111117-OYT1T01237.htm

★ 『政府は11月28日午後、武器輸出三原則の緩和に向けた副大臣らによる検討会議の初会合を首相官邸で開いた。戦闘機など防衛装備品の国際共同開発・生産に道を開くための具体案を協議し、年内の取りまとめを目指す。
 同日は座長を務める長浜博行官房副長官、長島昭久首相補佐官と外務、防衛、経済産業各省の副大臣が出席し、論点整理を行った。武器輸出三原則は、一部の例外を除き、武器や関連技術の輸出を禁じる政府方針。藤村修官房長官が10月下旬の記者会見で、緩和検討に着手したことを明らかにしていた
』(2011/11/28-15:58時事ドットコム「武器三原則見直し本格化=政府、初の副大臣会議)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201111/2011112800567

★ 『衆院外務委員会は11月30日午後、ヨルダン、ロシア、ベトナム、韓国との原子力協定の国会承認案について審議入りした。同委員会は12月2日に野田佳彦首相が出席して質疑を行った後、採決。自民、公明両党は賛成する方針で、4協定は同日中に衆院を通過し、参院審議を経て今国会中に承認される見通し。来年1月にも発効する運びだ。 
 自民党は審議入りに当たり、政府に原発輸出継続の方針を明確にするよう要求。このため、玄葉光一郎外相は30日午前の外務委員会で「諸外国が希望する場合、相手国の原子力安全の向上に貢献するとともに、核不拡散などを確保しながら原子力協力を行っていくことは基本的な意義がある」と述べ、輸出に前向きな姿勢を示した

(2011/11/30-16:29時事ドットコム「原子力協定、今国会承認へ=ヨルダンなど、2日に衆院通過)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol

posted by fom_club at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

嬬恋村のモミの木

 ムカシ、山歩クラブの仲間のドージーと一緒に銀座ミキモト前に嬬恋村からトレーラーで運ばれてきたというクリスマスツリーのモミの木を見にでかけたことがあります。
 イマ、どうしているのかな。
るんるん帰ってこいよ、帰ってこいよ、帰ってこいよるんるん

ミキモト(中央区築地1-8-9、03-5550-5678)は11月12日から12月25日までミキモト本店(中央区銀座4-5-5、03-3535-4611)入り口のミキモトガーデンプラザで「ジャンボクリスマスツリー」を展示する。

 これに伴い、11月12日16時15分から「ジャンボクリスマスツリー」の点灯式を開催する。点灯式では、小学生8人の「エバーグリーン・クワイヤー」がゴスペルを合唱し、一般公募で選ばれた小学生4人が点灯する。その後、「エバーグリーン・クワイヤー」が再度、合唱し、クリスマスツリーを音楽と光で演出する。

 ミキモトでは1976年以来、11月から12月にかけて、モミの木を飾り、クリスマスツリーとして点灯しており、 2011年で34回目を迎える。

 ツリーに使われるのは群馬県嬬恋村から運ばれてきた高さ約10m、樹齢30年から40年のもみの木だ。2011年は「子どもたちの夢」をテーマとし、毎正時に音楽と約3000個の赤と白のLED照明と、その回りを囲む小さなガラス製の雪だるまが夢の世界をつくりだす。

 「エバーグリーン・クワイヤー」は「もみの木若葉台保育園」(稲城市若葉台1-54、042-350-6300)と「もみの木保育園」(稲城市長峰2-10、042-331-7505)の卒園者を中心に1990年に結成された聖歌の合唱隊で、小、中学生、高校生約70人と、5人の演奏者で構成されている。

 年3回自主公演を開き、ほかに教会や福祉施設、イベントへの出演など国内各地で活動している。2008年にはオリジナルミュージカル「ギフト(GIFT)」、2009年にアメリカで公演、2010年に韓国で公演、2011年2月にアメリカ・ジョージ・ワシントンで公演、5月に東日本大震災チャリティコンサート、10月から11月にかけてミュージカル「ギフト(GIFT)-神さまの贈り物」を公演している。

 12月25日までの11時から22時まで点灯される、また、もみの木は12月25日の展示終了後、抽選で東京近郊の公共施設(幼稚園、学校、病院など)に寄贈する。

 希望者ははがきに施設名、施設の代表者の名前、住所、電話番号、応募理由を書いて、ミキモト(中央区築地1-8-9、03-5550-5678)広報宣伝課「ジャンボクリスマスツリー」係まで郵送する。メール(tree@mikimoto.com)でも応募できる。12月16日が締め切り。輸送、植樹などの費用はミキモトが負担する

(銀座新聞ニュース=2011年11月10日=ミキモトで小学生ゴスペル合唱隊がXマス、ツリー点灯式で)
http://www.ginzanews.com/headline/7802/

 嬬恋村のモミの木、銀座ミキモトだけではないようで…、東京タワーでも:

お笑いトリオ「森三中」の黒沢かずこさん、お笑いタレントの椿鬼奴さんが3日、今年で15回目を迎える東京タワーのクリスマスイルミネーションの点灯式にゲストで登場。黒沢さんは「12月24日に、チキンを食べたら食あたりになった」と悲惨なクリスマスの思い出を語り、また「どうしてもおすしが食べたくなって、でも1人だと思われたくないから2人分買ったのに、レジで『おはしは1膳でよろしいですか?』って聞かれた。甘酸っぱい思い出です」と苦笑いだった。

 黒沢さんらはクリスマスらしくサンタクロース風の衣装で登場。鬼奴さんの衣装について「少女時代っぽくて可愛らしい」と評した黒沢さんだったが、鬼奴さんから「黒沢さんはまん丸じゃないですか」と突っ込まれ、「光浦(靖子)さんから、だるまがしゃべってるみたいって言われたんですよ」と自虐的に語った。鬼奴さんは「私は42歳で、彼氏いない歴9年」、黒沢さんも「私ですか?33年です」と告白。今年のクリスマスの予定は、黒沢さんが「(所属事務所の)吉本興業の営業が入っております」、鬼奴さんも「まだ分からないですけど、何かしら(吉本興業の)劇場で仕事だと思う。ルミネか∞ホールか……」と2人で嘆いていた。

 今年の東京タワーのクリスマスイルミネーションは、群馬県嬬恋村から陸送した高さ約14メートルのモミの生木に、約5万個のLED電球とオーナメントを飾った都内最大級のクリスマスツリーが、タワーの足元に登場。周辺にはトナカイやそり、カップル向けのペアシートなど、約10万個のイルミネーションを施した。合計15万個のLED電球を使用しながら、深夜には電力を蓄電して点灯、グリーン電力を使用するなど消費電力を前年比で約42%削減したエコイルミネーションとなっている。毎日午後4時〜深夜0時、クリスマスの12月25日まで行われる。

 この日の点灯式には、東京タワーイメージガールを務める「AKB48」の小林香菜さん、マザー牧場イメージガールの「AKB48」の藤江れいなさん、近野莉菜さん、武井雅昭・港区長らが出席。シンガー・ソングライターのTEEさんによるスペシャルライブも行われた

(2011年11月04日付け毎日新聞デジタル、森三中・黒沢:クリスマスの甘酸っぱい思い出は… 椿鬼奴とサンタ風衣装で登場)
http://mantan-web.jp/2011/11/04/20111103dog00m200030000c.html

 ま、モミの木にしてみればはた迷惑な話で、あの地に残してきた仲間や、この先枯れるのか、移植に成功するのか、どうなるんだろうと思ってやしないかなと、とても気になるヤッホー君、ぜひ後日談を…。
 都会の水や空気に慣れ、移植先でうまく成長し続けてほしいな…。

posted by fom_club at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月28日

クリスマスツリー

 モミの木が到着。
 どこって、オバマさん家。ぜひ背景を知っている方がおられたら以下を噛み砕いて訳して、教えてくださいね、お願いします:

Michelle Obama, daughters Malia and Sasha, and family dog Bo watch the arrival of the official White House Christmas tree - a 19-foot balsam fir from Wisconsin
(AP Video、White House Christmas tree arrives、Last updated Friday, Nov. 25, 2011 4:16PM EST)
http://www.theglobeandmail.com/life/holiday/video-white-house-christmas-tree-arrives/article2249859/

 どこから、どの樹高の木がなぎ倒され運ばれんたんでしょうね。
 この人、就任演説とか、ノーベル賞を貰うきっかけになった演説とか、これで夜の中、鳩ぽっぽといっしょに世間はもっとましなところに向かうのか、と淡い気体をいだかせましたが、空中に消えてしぼんでしまいました、まるで屁のよう、風船のよう。
 所詮、弁護士で成功して大統領選だって戦えるだけのお金を蓄えることができたのですから、蓄財術に長けていたようなお方らしくって。

 そんなことぼやいたり、ひがんだりしているあいだに、カナダでは根こそぎ伐採されちるようですよ。なんでこんなに落ち込んだ顔をしているのか、この国の住民にもお知らせ下さいね、英語の出来る方…
 いや、他人を当てにするととんでもない目に遭うから、辞書を片手に勉強会を自主的に開いたほうがよさそうですよ、もう、偉い人についていくとエライ目に愛そうですから、騙されないように木をつけたほうがいい観たいで…

≪“O Canada, our home and native land,” Canadians sing in the national anthem. “The True North strong and free!” Like so many other Americans, I’ve looked northward much of my life and found inspiration here.≫(Srobert Redford、Stand together against the tar-sands scourge、Last updated Sunday, Nov. 27, 2011 7:03PM EST)
http://www.theglobeandmail.com/news/opinions/opinion/stand-together-against-the-tar-sands-scourge/article2242848/

 かと思えば、相変わらずのノー天気なこの国のリッチな消費者、こんな記事まで:

Tokyo jeweller Ginza Tanaka unveils a Christmas tree made of pure gold worth $1.95-million. The store says it's the most expensive Christmas tree they've ever created
(AP Video、Christmas tree worth nearly $2-million、Last updated Friday, Nov. 25, 2011 4:08PM EST)
http://www.theglobeandmail.com/life/holiday/raw-video-christmas-tree-worth-nearly-2-million/article2244337/

 反対にニューヨーカーは自分の足許が危ないことがやっと分かったのでしょうか、でも、1%が牛耳っているお国柄ですから、所詮、ケセラセラなのかな?

≪Major storms could submerge New York City in next decadeSea-level rise due to climate change could cripple the city in Irene-like storm scenarios, new climate report claims.

City planners are also going to have to help people adapt. More than half a million people live in the New York flood plain, and, as the report noted, a significant portion of them are African American and Latinos.

And floods are not the only potential danger of climate change. The report notes that New York could face average annual temperature rises of up to 5 degrees Fahrenheit by the middle of this century and by as much as 9 degrees by 2080.

In summer months, this could subject New Yorkers to power shortages and the risk of black-outs because of the extra need for air conditioning. Those without air conditioning - or who can not afford the higher electricity bills - would be at greater risk of heat stroke.

Those hotter conditions would have effects right across the state, playing havoc with New York state's wine and agricultural industries. Spruce and Fir trees would disappear form the Catskills and West Hudson River Valley, dairy cows would suffer heat stress, and popular apple varieties would decline, the report said.≫

Suzanne Goldenberg, US environment correspondent, Major storms could submerge New York City in next decade, guardian.co.uk, Wednesday 16 November 2011 18.46 GMT)
http://www.guardian.co.uk/environment/2011/nov/16/climate-change-report-new-york-city?INTCMP=SRCH

posted by fom_club at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

樅の木は残った

樅の木は残った、これは山本周五郎の時代小説の題名で,伊達騒動の中心人物である原田甲斐が江戸の寺に仙台から移植したモミに、伊達家の命脈を託して象徴的に表現したものと言えましょう。
 モミは日本にのみ自生する常緑針葉樹で、古くから伐採されて平野部ではその林はほとんどなく、当植物園が全国唯一と言える程です。それで国指定天然記念物となっています。小説では原田甲斐に「樅の木は北国の風雪に強い木で,江戸では暖かすぎて良く育たない」と言わせてますが,実は仙台付近がモミの北限地で、もっと暖かい地方に多く生え、むしろ青葉山でこそ寒さに耐えて生き延びているのです。
 植物園で一番大きなモミの木は直径144cm、樹高30mで、樹齢は約300年と推定されています。夏に鬱蒼としていた植物園が、秋ともなると色づきはじめ、深まる秋とともに落葉して林は明るくなります。モミの濃い緑が紅葉した木々とコントラストをなして、一層あでやかに引き立ちます

(理学部附属植物園長鈴木三男、まなびの杜、東北大学、1998年秋号、No.4)
http://www.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi4/mm4-1.htm

今もなお船岡城址公園に残る1本の大きな樅ノ木。時代の生き証人として、その樅の木に秘められた柴田町の古い歴史を紐とくとき、寛文事件がたどった悲哀の運命がまざまざと蘇ってきます。
 今から約340年前、万治3年、仙台藩62万石3代目藩主、伊達綱宗が不行跡を理由に幕府から隠居を命じられ、3歳の亀千代が家督を相続したことに端を発する、のちに伊達騒動とも呼ばれる寛文事件。その寛文事件をテーマにした山本周五郎作のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」(昭和45年に放映)に登場する原田甲斐は、今までの逆臣説から一転、伊達政宗の子、兵部を利用して仙台藩のとりつぶしを狙った酒井忠清の陰謀を未然に防ぎ、伊達家の安泰を守った忠義の人物という新見解によって描かれており、これまでの定説を覆す、新たな甲斐として注目を集めました。
 寛文11年、酒井邸での「郡境の件尋問」の後、流血騒動となり、甲斐は斬死、一族の男は切腹、女はお預け、多くの家臣は帰農となり、悲哀の運命をたどりました。
 ドラマがテレビで放映されると、船岡城址公園に残るゆかりの樅ノ木を一目見ようと、多くの人が柴田町を訪れました

(宮城県柴田町公式ホームページより)
http://www.town.shibata.miyagi.jp/index.cfm/69,0,73,214,html

大河ドラマでは主役の原田甲斐役に平幹二朗、そして当時人気絶頂の女優、栗原小巻・吉永小百合がダブル・ヒロインとして登場し話題となりました。
 さて、そんな41年前の大河ドラマの録画テープがどのように見つかったのでしょうか
 41年前といえば、家庭用のビデオである「ベータマックス」も「VHS」も発売されていないどころか、開発の途中でした。
 「仙台の近くにある町の郷土資料館で、大河ドラマを録画したらしいビデオテープが大量に見つかった。しかし、今、これを再生できる機械がなくて困っていらっしゃるらしい。相談にのってくれないか?」
 上司からこのような電話があったのは2月の初めでした。

 船岡城址公園は「日本の桜100選」にも選ばれる桜の名所です。小玉副館長は「今年の桜が満開になるころまでに、この大河ドラマがアーカイブ化され、町民のみなさんにも公開できると良いのですが…」と、おっしゃっていましたが、テープの修復・コピー作業が行われている真っ最中、東日本大震災が発生しました。
 柴田町は内陸部なので津波の被害こそありませんでしたが、「しばたの郷土館」はしばらくの間、近隣住民の避難所となり、資料館としての機能は3月いっぱい、休止されました

(NHKアーカイブス、お宝発見ニュース、第17回樅の木は残っていた!)
http://www.nhk.or.jp/archives/hiwa/index.html

posted by fom_club at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

千葉演習林

 針葉樹で高木のモミの木の北限は石巻、南限は屋久島と言われています。これは「水平分布」です。

 ところで面白いのが「垂直分布」。
 このモミの木は標高が800〜1000mの山ん中に生えているのですが、そんな高い山がない千葉県に、なぜか残っているのです。

 「千葉県で一番高い山はど〜こだ?」
 山歩クラブの昨日のバスのなかで、百名山はもう登り終えた仲間に尋ねるヤッホー君。そうなんです、まだ歩いていない山があるのでした。
 それは南房総市丸山平塚にある愛宕山、標高408.2m。
 ぜひ企画しないと…。その前にヤッホー君得意のモク拾い、じゃない、もう10年前、全国で初めて2002年に施行された千代田区の路上の「歩きたばこ」禁止条例からはじまって各自治体に広がった路上喫煙禁止条例でもう商売あがったり、モク拾いあらため空き菅拾い、そのタウンウオークで、ぜひご挨拶に行かねばならないもうひとつの愛宕山があるのです。
 それは、港区愛宕にある愛宕山、標高26m。
 ここは、江戸時代に全国各藩に作られた愛宕神社の本社があり、1925年に初めてラジオ放送が行われたところ。

 それはさておき、房総半島の200mほどの里山にも自生しているのが見られるモミの木を、仲間といっしょに、ただただ口をぽかんとあけて見上げていたヤッホー君でした。

見上げてごらん.jpg

 なんだか地球の歴史のお話しでしたね。
 1万年前に終了したと言われています最後の氷河期のころまで遡ります(ヤッホー君のこのブログ、4月28日付け日記「オンカロ」で言いましたように、高レベル放射性廃棄物をフィンランドのオンカロに閉じ込める計画あっても、危険性が消えるまでには10万年でしたよね!)。
 そのころに南房総まで分布を拡げてきたモミの木が、その後、人生いろいろ、房総半島も海のなかに沈んだり浮いたり、そうした地球の歴史に翻弄されながらも、植物の「垂直分布」が圧縮されて生き残っている、とても珍しい植生なのだそうです。
 気の遠くなるようなお話しに、気を確かにもって、黄葉、紅葉した樹木を威圧するかのように立ち尽くしている木を見上げていたのです。
 写真でお分かりでしょうか…

モミの木は残った.jpg

 お話ししてくださった、「千葉演習林ボランティア会」の恵さん、あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た!
http://www.uf.a.u-tokyo.ac.jp/chiba/volunteer.htm

 他にも、「千葉県森林インストラクター会」の山口熙さん、もうお一方、とかトップで合格、一番で入学したわれわれのために3人もの方々が、ご説明にご同行していただきました!

 そうなんです、昨日の山歩クラブのお山歩会は、「亀山湖」周辺。
 「周辺、ってどこよ」というわけなのですが、東大でした。
 えっ、本郷じゃないの? 赤門でなく、得意の裏口入学で、たっぷりお勉強してきた、と、まこんな裏話があったわけです。
 9時〜11時でもう500人弱が入学するほどの超倍率!だったんですよ。

posted by fom_club at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月26日

亀山湖

湖水亭から亀山湖.jpg

亀山オータムフェスティバル2011
 7コースを設定、チラシ・案内看板により、日本で一番遅い部類の亀山湖畔・笹川湖畔の紅葉をハイキングで満喫して頂きます

http://www.mmjp.or.jp/kameyama-no-sato/

 ヤッホー君のダムウオッチングは今日も続きます。
 11月26日土曜日は山歩クラブの番外編「2011年最後の紅葉狩り」企画があり、しかも「バスは行く」!
 下町をバスで出まして湾岸線を走って日の出。
 東京湾アクアラインで湾上にポコンと飛び出したとき、東京湾に浮かぶ冨士山にスカイツリーを拝みました。
 夕方は、洋上に沈む真っ赤な太陽、つまり日の入りものぞめ、皆んなで歓声をあげました。ドライバーさんも「珍しい」と言われるくらいに、鏡のように凪いだ海面の先には、夕陽が赤く染めた空の先にいつまでも冨士山のシルエットがわれわれに微笑んでくれておりました。

 そんな短い秋の一日を思う存分、遊んできました「亀山湖」周辺。

亀山ダムは、小櫃川の上流に位置し、1971(昭和46)年から10年の歳月をかけて1981(昭和56)年3月に完成した、千葉県で最初で最大の多目的ダムです。
 高さ34.5メートルの重力式コンクリートダムで、総貯水量は1475万トン(東京ドーム12杯分)あり、治水と広域的な飲料水の確保を担っています。
 ダム湖である亀山湖は、四季折々に美しい表情を見せ、25橋めぐりのサイクリングやハイキング、ボート遊び、釣りなどが楽しめます。また、キャンプ場や湖畔公園なども整備されていますので、家族でゆっくりくつろげます。
 ダム湖周辺には駐車場も多く点在していますので車で行かれても安心ですが、旅情豊かなJR久留里線(上総亀山駅下車)にゆられて訪れてはいかがでしょう

http://www.city.kimitsu.lg.jp/contents_detail.php?co=ser&frmId=694

 トップの写真は、訪れた「湖水亭嵯峨和(Tel 0439-39-3222)」から亀山湖に架かる「豊田大橋」を見たときの美しい絵のような風景ではございますが、しかし、ダムは冨栄養化、アオコで澱んでおり、われわれはビックリしてしまったのです。

第6章 水質汚濁の現況と対策
 第1節 水質汚濁の現況
 亀山湖は、1475万㎥の貯水量を誇る県内最大の人造湖である。
 面積が広いことと入り組んだ複雑な地形のため、風によって浮遊物が集まったり、水の流れが悪いところではアオコの発生が見られるなど、場所によって水質が大きく異なっている。
 また、湖底に溜まった汚泥や、降雨による周辺の山林や田畑などからの濁水の流入等が、水質の悪
化の大きな要因となっている…。

 生活排水による水質汚濁のおそれがあるため、市民が現在及び将来にわたって安心して安全な水を飲めるよう、小櫃川流域市が相互に協力し、さまざまな措置を講ずる必要性があることから、本市では「君津市小櫃川流域に係る水道水源の水質の保全に関する条例」を1995(平成7)年6月30日に公布し、同年11月1日に施行した。
 この条例は、小櫃川流域を水道水源水質保全地域に指定し、ゴルフ場及び廃棄物最終処分場を対象事業場として排出水の基準、計画等の届出、立入検査、命令、罰則等を定めたほか、市及び市民の責務、畜産事業場の努力義務等についても定めている

(君津市環境白書)

posted by fom_club at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月25日

ダム解体

 ダム決壊の話しをしました。決壊するはずの無いダムが何百年かに一度の、何千年かに一度の「ソウテイガイ」の自然災害で壊れる、壊れたら、作ったほうは死者への弔いも免責される、…まるでトウデンフクシマゲンパツジコと一緒。
 おれんちの田んぼを潤す水はダムから来るから、ダムは無くてはなんねえもんだ、必要だったのよ、ゲンパツから仕事がくるから、おれんちも人並みの生活ができる、ゲンパツで交付金が回ってくるから自治体も他の自治体並みの立派な役場や文化施設ができるっていうわけよ、住民サービスができるのよ、…ダムもトウデンフクシマゲンパツジコと一緒。

県議選の結果は、佐藤雄平知事の県政運営にどのような影響を及ぼすのか。
 最大の変化は共産が5議席を得て、自民、県民連合とともに交渉会派入りすること。
 他会派からは「議会の合意形成に変化が出てくる」との声が聞かれる。
 震災と原発事故が県民生活に深刻な影響を及ぼす中、復旧・復興を最優先とした佐藤県政と方向性こそ全会派同じだが、廃炉問題など、エネルギー政策を中心に会派間で意見が異なる問題も多く、共産の議会運営への存在感が増すことになる

…(2011年11月21日「福島民友ニュース」佐藤県政への影響 県議選結果で変わる合意形成)

≪福島原発の事故は、「想定を超えた」自然災害による不可抗力の事故ではない。福島原発についても、日本共産党や市民団体が、チリ地震級の津波がくれば冷却設備が機能しなくなり、重大事故に陥る危険が存在することをくりかえし指摘し、改善を求めてきたにもかかわらず、東京電力側がそれを拒否してきたという事実がある。この事故は、「日本では重大事故は起きない」という「安全神話」をふりまき、安全対策をなおざりにして原発をやみくもに推進してきたこれまでの原子力行政による人災にほかならない≫
(2011年4月1日金曜日付けしんぶん赤旗より)

≪e)原発事故の原因究明・分析などを進めるとともに、それに基づく原子力政策全体についての総点検と見直しを行う。稼働中あるいは起動予定の原子力発電所について、地震・津波などに関する緊急安全対策を確実に実施する≫
(「2012年度 連合の重点政策」(2011年7月〜2012年6月)

 これがおれたちが夢見てきたハッピーライフか、と声あげる民衆や市民も政党もなかった、ということなのかな、選挙っていったって、既成の枠組みの立派な議事堂の椅子取りゲームだったし、陣取り合戦でしかなかったというのかな、不思議ですよね。
 共産党が議席を伸ばしたといっても大勢に影響を及ぼすほどではないだろうし、ね、あれほどの衝撃的な事象がおこったのに、住民の政治行動はコップの水がちょっと揺れた程度、とはね、そんなもん? 「そんなもん」とわかっているから、巨大な資本、権勢、世論操作師や、権力や国家(ムラじゃないイエ!)は襲い掛かってくるのにね。

 ダムはもう「決壊」でなく、「解体」にむかっています。ゲンパツも再稼動でなく廃炉に向かうのかねぇ〜、と思ったらどっこい、情勢はまったくその逆に動いているわけです。
 その動きを止めるのは目覚めた民衆や市民であるはず、その受け皿としての労働組合や消費者団体、圧力団体、政治団体、政党であるべきなのにね。
 この国は、カネに酔った、カネ依存症になった人民に成り下がってしまったのか、と溜め息が漏れます。
 今宵はふたつだけ、アメリカと九州からの実例だけ:

★『アメリカ西海岸、ワシントン州のオリンピック半島を流れるエルワ川で、アメリカ史上最大規模のダム撤去工事がいよいよ始まった。
 エルワダムとグラインズキャニオンダムは、いずれも地元の製紙工場への電力供給を目的として建設されたが、現在は役目を終えている。
 撤去計画は河川流域の生態系回復に主眼が置かれており、政府をはじめ各界の有力者からも支持を受けている。
 投入資金は総額およそ3億5100万ドル(約270億円)。
 今後3年をかけてエルワ川の河口近くのダム2基を撤去し、100年ぶりにサケの遡上を復活させる

(Brian Clark Howard for National Geographic News, September 27, 2011)

★ 『熊本県は11月22日、2012年度に着手する県営荒瀬ダム(八代市坂本町)撤去工事の費用として17億円の債務負担行為を設定する11年度電気事業会計補正予算案を29日開会の12月定例県議会に提出すると発表した。
 撤去費用は10億円不足しているが、県は「大まかな資金計画を議会中に示す」と説明している。
 債務負担行為は、複数年度にまたがる契約を結ぶなど将来の財政支出を約束する行為。
 今回の設定は12〜17年度の6年間。蒲島郁夫知事は22日の県議会に対する議案説明で、「撤去は県民との約束。(債務負担行為は)来年度から撤去に入るという決意の表明だ」と述べた。
 ダムの本体と取水口を撤去し、導水トンネルや発電所の地下を埋め戻す工事で、アユの産卵期や遡上期を避けて11〜2月に行う。
 初年度は水位を下げる装置を設置するが、装置の作製だけでも半年以上かかるため、補正予算で対応した。
 県企業局によると、撤去工事の総事業費は92億円。ほかに護岸補強や道路かさ上げ工事などがある。
 当初は財源不足額を30億円と試算したが、7億円のコスト縮減と国の交付金の活用で20億円は圧縮できる見込み。
 しかし、残り10億円のめどは立っていない

(くまにちコム2011年11月23日、県 荒瀬ダム撤去予算化 17億円債務負担行為
)
posted by fom_club at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月24日

須賀川市藤沼湖

 今日11月24日木曜日、ヤッホー君の筆がぜんぜん進みません。
 昨日のアーサービナードさんのお話があたまにこびりついたまんまなのです。

 ヤッホー君は一生懸命メモをとっていましたので、それを文字に起こしたいのです。でも、かんじんのところで停まったまんま。
 それは彼がアメリカ人であること、そして詩人であること、日本語がこの国の人以上に優れていること、パソコンで例のレジュメを作ってそれを映し出すとか、印刷物にして入場料を払って領収書まで書いた人びとへのサービス精神なんていささかもないこと、ただ座って与えられた時間を十二分に使って、「言葉」で参加者の想像力に火をつけようとしていたこと、これが、ね、彼がこの神田の学士会館まで自転車で来た、と告白したこと、講師料とは関係ないこと(話したいから来た、分かってくれそうな人がいっぱいいそうだから来た)みたいなこととあわさって、ヤッホー君の胸にぶすぶすと刃が突き刺さってきたのです。

 会場はほぼ満席、250席くらいの老若男女で埋まっていたはず、勤労感謝の日にもかかわらず。

 今日は前段、というか、本題に入る前に、前段が続きかねないのですが、3.11で、福島県須賀川市藤沼湖ダムが地震によって崩落し犠牲者が出たことを知っていますか?から、ですね。そんなことをアーサービナードさんは言及していません。もちろん、ここだけの話で、新聞社が削除する前に全文、掲載しておいたほうがいいだろうと挙げておきます:

津波の被害が東北の沿岸部を襲ったとき、遠く離れた福島県の内陸部でも、濁流に多くの人がのまれていた。須賀川市西部にあるダム湖の決壊。7人が命を落とし、いまも1人が行方不明のままだ。

 須賀川市長沼地区にある「藤沼湖」は1949年、農業用のため池として造られた。高さ18m、幅133mのダムが水をせき止める構造。周囲に温泉やキャンプ場もでき、観光地としても知られた。

 下流の集落で農業を営む江連百合江さん(53)は3月11日、2度の大きな揺れに襲われ、2人の孫と裸足で家を飛び出した。すると、ダンプカーが近づくような音が響き、山の尾根越しに黒い水が渦を巻いて押し寄せてくるのが見えた。決壊したダムから流れ出た約150万トンの水が一気に集落に押し寄せた。隣の家は流木につぶされ、住んでいた小針トシさん(73)が亡くなった。

 別の集落にある二瓶美代さん(84)の自宅にも、1mの高さの水と流木が流れ込んだ。「2階に避難しようとしても上がれず、柱にしがみついた。35年住んでいて初めての恐ろしさだった」。一緒にいた友人は約10m流され、桜の木につかまって助かったという。

 14歳から89歳の男女7人が犠牲になった。1歳の男児の行方は今も分かっていない。住宅の全壊19戸、床上・床下浸水55戸。現場は流木と岩に覆われ、橋の欄干はもぎ取られた。水が流れ出た湖は干上がり、往時の面影を残すのは湖畔に咲くサクラだけだ。

 県によると、ダムは土を盛ってコンクリートブロックで覆って造られていた。老朽化で水が漏れたため、県が94年度までにセメントを注入するなどの改修工事をした。被災した住民によると、その後も「水が漏れていて耐震性に問題がある」と補修を求めていたという。

 命と家は助かった江連さんだが、農業機械が流されてしまって仕事ができない。「浜通り地方の津波被害が注目されているけれど、内陸部でもこんなにひどい所がある。原発災害と同じように、人災として補償してほしい」と訴えている

(2011年5月3日19時1分更新、朝日新聞、山吉健太郎、竹谷俊之署名記事「内陸部のダムも決壊していた 福島・須賀川、7人が犠牲)
http://www.asahi.com/national/update/0501/TKY201105010178.html

 本件については、4月13日水曜日、東北大学による東日本大震災1ヶ月後緊急報告会が開かれて(於トラストシティカンファレンス・仙台)詳しく発表されています。
(福島大学川越清樹、東北大学風間聡、福島大学横尾善之、東北大学小野桂介『福島県須賀川市藤沼湖決壊について』)
http://www.dcrc.tohoku.ac.jp/surveys/20110311/docs/20110413_05kawagoe.pdf#search='福島県藤沼湖

藤沼湖から約2キロ下流にある滝集落。長沼中2年の鈴木航君(13)は3月11日、卒業式を終え、兄の憧(しょう)君(16)と一緒に自宅にいた。午後2時46分、突然の強い揺れに襲われ、必死に家財を押さえた。

 「逃げろ」。外の様子を見に行った憧君が自宅に戻り叫んだ。外に出ると、「ゴォー」という地鳴りとともに、鉄砲水が木をなぎ倒しながら迫ってきた。2人は自宅から西側にある坂道を必死に上った。水は簀ノ子川沿岸の家屋や橋をのみ込んだ。「ものすごい勢いで水が襲ってきた。家に流木が次々とぶつかり、怖くて頭の中が真っ白になった」。2人はあの時の光景が今も頭から離れない。自宅は濁流にのまれ、基礎だけになった…。

…東日本大震災による須賀川市の藤沼湖の決壊はダムから水を引いていたコメ農家に大きな打撃を与えている。今年は約830haのうち、8割の農家が田植えができず、残りの2割は水田近くを流れる江花川から水を引いて稲作を行った。現段階で復旧の見通しは立っておらず、住宅を流された被災者の生活再建の足どりも重い。
※藤沼湖
 土を台形状にして造る「アースダム」で、かんがい用ダムとして昭和24年に須賀川市長沼地区に完成した。貯水面積は約20ha、貯水量は約150万トン。湖周辺はキャンプ場やパークゴルフ場などが整備されていた。設置者は県、湖を含む周辺の藤沼湖自然公園の所有者は須賀川市、水の管理者は江花川沿岸土地改良区。ダムの決壊で21戸の家屋が流失、全壊し、床上・下浸水は52戸に上った

(2011年10月2日付け福島民報「3.11大震災・検証」【長沼 藤沼湖決壊】防災体制整わず マニュアルもなし)
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/10/post_2207.html

posted by fom_club at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月23日

八ッ場あしたの会

八ッ場(やんば)ダム(長野原町)の検証が最終局面を迎える中、ダム建設に大半が賛成とされる町民から「待った」の声が上がり始めた。
 ダムが完成すれば水没する川原湯で育った小林みつ江さん(46)=同町大津=は建設反対を公聴会で表明し、民主党国会議員にも直談判。
 「ダムを求めていない地元住民もいることを知ってほしい」と意を決して奔走している。
 
 11月14日、小林さんは民主党県連会長代行の中島政希衆院議員と高崎市檜物町の事務所で初めて面会。
 「捨て身の覚悟で来ました」と切り出し、吾妻渓谷を八ッ場ダム湖に沈めず次世代に残したいこと、ダム湖が観光地になるとは思えないこと、水没予定地の代替地の地滑りの危険性などを切々と訴えた。

 中島議員は「これまで本音で語ってくれる長野原町の人はいなかった。心強い」と歓迎。
 小林さんから11月23日に町民を交えて八ッ場ダム問題を考える懇談会への参加を求められると「国会日程が空いていれば参加する」と応じた。

 小林さんは2歳から高校卒業まで川原湯で育ち、「ダム問題で町の人たちが揺れるのを見聞きしてきた」。
 結婚後は大津で小売業を営み、両親と弟は打越の代替地で暮らす。

 川原湯温泉の幼なじみらとはいまも付き合いがあり、「彼らも本音ではダムを望んでいないが、しがらみがあって言えない」と感じる。
 表立ってダムに異を唱えられない雰囲気という。
 「でも誰かが言わないと。後悔したくないから」と覚悟を決め、11月6日に町内で開かれた公聴会でダムへの疑問をぶつけた。

 前田武志国土交通相に送る手紙も準備中。
 小林さんらは地質研究者を招いて11月23日午後1時にJR川原湯温泉駅前に集合し、代替地の地滑りの危険性がある場をめぐり、終了後は懇談会を開く。
 詳細はSTOP八ッ場ダム・市民ネット=Tel 090-2910-4722=へ

(2011年11月15日付け東京新聞 伊藤弘喜署名記事「八ッ場ダム建設 町民から「待った」の声 民主国会議員に直談判」)

 そして本日11月23日勤労感謝の日、各地でいろいろと催し物が開かれました:

八ッ場(やんば)ダム(長野原町)の建設に反対する市民団体によるイベントが11月23日、県内外で開かれる。

 長野原町では、ダム建設予定地や周辺で地滑りの危険性がある場所を地質研究者の案内で見学する。午後1時にJR川原湯温泉駅前に集合。資料代300円。午後3時半からは川原湯温泉で懇談会。民主党県連会長代行の中島政希衆院議員も出席予定。

 東京都千代田区の学士会館では、ラジオ番組で国による八ッ場ダムの検証を痛烈に批判した詩人アーサー・ビナードさんらを招いたトークイベント「ダムのひとつ覚え〜八ッ場も原発も根っこは同じ」を開く。午後1時半〜4時。参加費500円。問い合わせは主催者の八ッ場あしたの会=Tel 090-4612-7073=へ

(2011年11月23日付け東京新聞 伊藤弘喜署名記事 「八ッ場ダムを考えよう きょう県内外で催し 長野原で現地見学と懇談」)

 アーサービナードさんの本日の講演会についてはもうすでに、ヤッホー君のブログ、10月27日及び10月28日の日記「アーサービナード」、「ストレスチェック」で報じていますが、アーサービナードさんのラジオ番組でのお話しをこつことと文字に起こし、ブログで発表なされている方もあらためて、今日の集会を伝えておられました:

『このブログは立ち上げてもう半年が経ちました。その間に信じられないご縁がたくさん生まれています。この場を借りて読者の皆さんに感謝いたします。ありがとう。

 今回お話しするのは、その素晴らしいご縁の1つです。少々長いエントリーになりますが、お付き合い下さい』
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65769868.html

 アメリカ人と言うとカーボーイ姿でインディアンをいともかんたんに銃でうち殺す奴等とか、この国のオキナワで洞穴にかくれている住民、そしていまは砂漠の異教徒をかんたんに銃でぶち殺す殺人鬼くらいにしか思っていなかったのですが、アーサービナードさん、本音で平均的なアメリカ人の考えをご披露してくださいました。
 
 八ッ場ダムに入る前に、ラジオ番組ではこんなことをおっしゃってくださっていたので皆の衆、ちょっとだけ傾聴してみませんか: 

アーサー「憲法のね、第25条で、すごくいいこと書いてあるんですね。全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は全ての生活部面について社会福祉、社会保障、及び公衆衛生の向上及び、増進に務めなければいけないんです。
 だけど、もう小泉政権以降はもう切り崩して、潰して、切り捨てるっていう、もう「増進」と正反対の方向に進んでて。で、若者に仕事が無い。あの、定年してから年金が受給されるまでの間、ここにまた更に大きなギャップを開けて、それでどうするんだ。それじゃあ、生活保護受給者増えるに決まってる」

吉田「もう当たり前の話です」

アーサー「7年前にやって(笑)。100年安心が、7年破綻っていうプランに、実はなってたんですね」

吉田「ほんとひどい話だね。あの健康保険についてアーサーさんのお考えも伺いたいんですが。先週のニュースにですね、中小企業のサラリーマン家族などが加入している協会健保の保険料がですね、これまた、3年連続で引き上げられると」

アーサー「ですねー。社会保障制度は抜本改革をやらなければ駄目なんですね。それなのにTPPを導入するっていう話が、同時的に出てきてるわけでしょ。

 TPPは農業と輸出産業のせめぎ合い。報道もみんなそういう図式でやってるんだけど。だけど実は社会保障制度も大打撃を受ける可能性を秘めてるんですね。TPPは。

 アメリカよりは遥かに優れている日本の社会保障制度はまだ存在するんです、今の時点では。だけど、だから、僕の母国の企業にしてみれば進出して、食い荒らしたいわけです」

(文化放送「吉田照美 ソコダイジナトコ」、アーサー・ビナードがTPP批判! 社会保障制度の崩壊を、官僚はTPPのせいにする最悪のシナリオ! 10/13)

アーサー「永田村って色んな動きがあってねえ。あのー、あんまり大きくニュースでは伝えられてないんですけど。派遣法成立……の動きがあって。
 民主党が、社民党と国民党と国民新党と3党でまとめた法案があったでしょ。そこから、あの、派遣関係の部分を全部削除するって。で削除して成立させようって。で、これは何に隠れて、何に、どういうニュースによって隠されているかっていうと、TPPなんだよね」

吉田「あーそうですね。今TPPばっかりですからね」

アーサー「すごいんだよねえ……。だってこの派遣法、ごっそり取ったら骨抜きって言われてるんだけど、骨抜きなんじゃなくて魂抜きなんだよね。魂を抜いてるわけなんだよね」

吉田「何の意味もないよね」

アーサー「何の意味もないっていうか、もうこれで、逆に害でしかないかもしれない。
 それで、これをやって、それで国会ではTPP論争だよね。TPP論争だって、あの、まあ結局自民党と公明党が嫌だから、魂を抜いて、派遣法……あの、派遣関係ない法を成立させようとしてんだけど。TPPだってさ、自民党が反対かっていうと、多分、中をこうちゃんと調査すれば、反対じゃないと思うんだよね。今はダメ! とか時期尚早とか。」

吉田「っていう言い方だね」

アーサー「っていう。だからみんな、一緒なんだよ。自民党も」

吉田「同じ穴のムジナっていうことだよね」

アーサー「そんなのムジナに悪いよ」

吉田「ムジナに悪い……ムジナさん失礼しました」

アーサー「同じアナの、あの、なんか廃棄物ですよ」

吉田「あははは(笑)」

アーサー「で、TPPは、もうあの、バレてきちゃってるでしょ? だからこれも、おそらくグルで通すしかないんだよね。どっかでこう、国民に見えない形で、アメリカに言われたまんま多分通そうとすると思うんだよね。
 みんな国民は、完全に蚊帳の外、村の外、僕らがみんな、みんな村八分状態で、実はほんのひとにぎりの人たちの永田村がやってて。もう完全にアメリカとおんなじ政治になっちゃった。アメリカも結局、大統領選挙やったって変わらないんだよ。みんな同じワシントンムラの、ムラの方々ですよ、だからその、構造が日本ではもうバッチリ固まってて。いよいよ」

吉田「いよいよ来るものが来るっていう」

アーサー「属国の本格化が始まってるっていうことですね

吉田「始まったってことね。残念な永田村というキーワードでした」

(文化放送「吉田照美 ソコダイジナトコ」、アーサー・ビナードがTPPの陰で進行する「派遣法の魂抜き修正」と「日本政治のアメリカ化」について発言!11/17)

posted by fom_club at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

行方市

 今日11月23日水曜日は勤労感謝の日。「小雪」とも。
 ヤッホー君の家にも、秋の朝の日差しが入ってきました。
 実は今日、「どぶろく祭」が茨城県行方市で朝の9時から開催されるのでした!う〜ん!!
 今日は午後、学士会館でアメリカ人で日本語の詩を書く若い詩人のお話し会があるのでザンネンでした。
 体がふたつ欲しい、と思う今日この頃、勤労感謝の日はどんなご予定でいらっしゃいますか?

平安時代の初期に、奈良の春日神社から分祀した青沼の同神社の建立を祝って始められた五穀豊穣のお祭です。
 行方市の無形民族文化財にも指定されています。
 毎年当番地区の人が新米を使って酒造蔵でどぶろくを仕込み、朝早くから境内を清め、参拝に来る人たちをにごり酒で迎えます。
 こういった参拝者や氏子たちに御神酒を振舞うというのは、全国的にも珍しいお祭です


 ところで、行方市って読めますか?

行方市は、麻生町、北浦町、玉造町が、2005(平成17)年9月2日に合併して誕生した市です。
 「なめがた」という市名の読み方につきましては、市民より公募し、「郡名として慣れ親しんできた歴史・文化があり、将来へ継承していきたい」、「漢字の表記は、歴史などの伝統の重みがある」、「なめがたの読み方は、現在の郡名の呼称による」などの理由から選定したものです。
 また、行方の由来は、ヤマトタケルノミコトが本市の水辺と台地の入り組んだ様子を「行細し(なめくわし)」という表現をしたことが始まりといわれています


 いずれも市の公式ホームページからです。またそれによりますと、東京駅から関鉄グリーンバスのサービスで、一日6便もあります。時刻表も市のホームページから入っていけます。
http://www.city.namegata.ibaraki.jp/

 いえ、映画「天心」でメガホンをにぎる監督は実は行方市と縁があったのだそうです:

監督を務める松村克弥氏(47)は、ヨコハマ映画祭新人監督賞、毎日映画コンクールニュース映画賞を受賞。
 母親が行方市(旧麻生町)の出身という。
 「天心が戦後まだ、映画化されていないのに驚いた。日本美術史に残る葛藤や師弟愛が五浦であったことを知って手掛けたいと思った」と語った。
 松村監督が脚本も手掛け既に完成しているという。
 「実話が大変面白く、力があるので創作部分が少なくなっている」と明かす

(2010年11月19日常陽新聞 Joyo Headline News 「天心の生き様を映画化へ」)
http://www.joyo-net.com/kako/2010/honbun101119.html

posted by fom_club at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

水戸っぽ

映画を起爆剤に茨城を元気にしようと、昨年2008年8月『桜田門外ノ変』映画化支援の会が発足。
 その仕掛け人として奮闘する水戸市の三上靖彦さん(50)が目指すのは、映画づくりを通して地元の歴史や文化を再発見してもらうことと郷土愛をはぐくむこと。
 映画製作者との交渉から金策、人集めなど準備は山ほどあるが、この半年間の歴史講座開催などで県民の関心も上向きに。
 水戸藩開藩400年の今年。
 いよいよ夏には撮影が始まる予定

 その映画化の構想は06年1月、三上さんらまちづくりに関心がある仲間たちが、2009年の水戸藩開藩400年を記念して「水戸藩が題材の映画をつくって茨城を元気にしよう」と語り合った席で持ち上がった。
 2003年に県内で撮影された映画「HAZAN」支援の会の中心的存在だった橘川栄作さんも加わり、映画製作関係者と1年半以上の交渉を重ね映画化を決めた。
 監督・脚本には「男たちの大和/YAMATO」で知られる佐藤純彌監督が就任。
 早ければ今夏にも撮影が開始する。

 「暗殺というイメージからか地元ではこの事件をネガティブに考える人がいる。また、その後の日本を大きく動かし明治維新の先駆けになったことを知らない人も。この映画が茨城を見直すチャンスになれば」と三上さん。

 水戸で生まれ育った三上さんは生粋の水戸っぽ。
 筑波大学・同大学院時代は河川に関する研究に没頭し、卒業後はまちづくりコンサルタントとして都内の都市計画の会社に就職。
 駆け出しのころは頭でプランをひねり出し、新たな魅力付けをすればよりよいまちづくりができると考えていたが、父が経営するコンサルティング会社に入社するため帰郷してその考えは一変。
 「10年も20年もすれば廃れるようなビルや道路はいわば消耗品。現地をよく知り、その地域らしさを引き出す方が街の魅力が増す」と気付いた

(2009年3月16日月曜日常陽リビングニュース「茨城の魅力を映画で発信」)
http://www.joyoliving.co.jp/topics/200903/tpc0903036.html

 映画「HAZAN」支援の会の中心的存在だった橘川栄作さんってさ、県庁の職員:
『「あいつが一生懸命やってるから何とかしてやろうぜ」ってなるのか、「何勝手にやってんだよ。あんなのやらしちゃだめだ」ってなるのかですよね…
 今回のような活動を達成させる1番のポイントを聞いたときに橘川さんが答えられたことです。
 橘川さんによれば、「一番大事なのは何かをやろうとしているキーパーソンと、それを助けるシステム。“あいつがやるから邪魔してやろう”っていう人もいるかも知れません。でも、そういう活動を応援する体制というか支えてくれる周囲の温かい雰囲気が大事だと思います。1人じゃ絶対できないですから」と語ってくれました。
 これって、私たちが日常で何かをやろうとするとき、何事にも通じることだなとお話を聞きながら実感しました。

 個人主義とか自由主義とか平等とか言う前にある、われわれが生きている郷土や国を愛する心を当時の人は持っていた、そういうところを観て欲しいですね。歴史に名前が残っていなくても、あの幕末の激動期、“何とか日本を”と思っていた人びとが日本全国にどれだけいたかっていうのを知って欲しいです
 日本を思う、そう言う感覚がある人は今の時代どれだけいるだろう、と考えてしまいました。
 自分にも欠けていると思います。
“日本のため”とまでは言わなくても、現代は、私心を捨てて皆のためにという思いを持って行動ができる人間が少なくなっているような気もします。
 とても純粋な思いで国のために戦った幕末の志士たちの思い、映画で観ると心に刺さります。
 ぜひ、歴史物は難しいなんて思わずに、多くの女性にも観て欲しいです』

(トーキョー女子映画部「地方創生映画『桜田門外ノ変』/熱い男の映画作り、2010.8.11取材 TEXT by Myson)
http://tst-movie.jp/sele_special4_sakuradamongai.html

 橘川栄作(きっかわえいさく)さんは、1961年茨城県笠間市生まれ。2005年に社会教育主事、茨城県子ども会育成連合会理事、茨城県相撲連盟理事、映画「HAZAN」製作委員会幹事、音楽鑑賞、演奏(ベース奏者としてプロ活動歴あり)、陶芸鑑賞、茶道(裏千家)ですって。

この地方創生映画『桜田門外ノ変』は監督佐藤純彌、原作吉村昭、脚本江良至、出演:大沢たかお/北大路欣也/伊武雅刀、上映時間137分、上映館丸の内TOEIほか、公開日は2010年10月16日土曜日。
公式サイト「桜田門外ノ変」
http://www.sakuradamon.com/

 映画「HAZANは、1972(明治5)年、茨城県下館市(現、筑西市)に生まれた板谷波山の物語。記念館があります:
http://www.city.chikusei.lg.jp/data/hazan/top.html

 映画は、監督五十嵐匠、原案荒川正明、脚本荻田芳久・五十嵐匠、出演:榎木孝明/南果歩/康すおん/柳ユーレイ/寺島進ほか。
 解説:明治36年夏。窯に燃えたぎる炎を見つめる一人の男がいた。将来を約束された美術教師であった彼はその夜、全てを投げうって陶芸に自らの生涯を捧げる決心をする。
 やきものを芸術の域まで高めたと評される孤高の陶芸家、板谷波山の誕生である。
 陶芸家初の文化勲章受章、近代陶芸唯一の重要文化財指定など後に数々の栄光を手にする波山が辿った軌跡は決して平坦なものではなかった。
 満足のいく作品ができず窯にくべる薪にも不足する貧しい生活が続く。
 そんな中、彼の夢を誰よりも信じ希望の火を灯し続けた妻・まるの愛が波山の作品に命を吹き込んだのだった。
http://www.sakuraeiga.com/HAZAN/html/top.html
 
 そんな映画好きの人びと、水戸っぽが映画『天心』のクランクインを支えているのです。
 山もいいけど、映画も本当に良いですね〜!


posted by fom_club at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月21日

岡倉天心

 ヤッホー君のこのブログ、2010年10月24日付け日記「アジアは一つ」、さらに2011年4月23日付け日記「五浦六角堂」で綴った茨城県の六角堂ですが、再建に向けて今日11月21日、起工式が行なわれたようです。
 長いけど全文ご紹介したいと思います:

◇岡倉天心、創建の姿へ
 東日本大震災による津波で流失した茨城大学五浦美術文化研究所六角堂(北茨城市)の再建に向けた起工式が11月21日、営まれる。
 1905(明治38)年の創建当時の姿を取り戻すことが目標。
 関係者は、六角堂を建てた美術行政家で思想家の岡倉天心(1863-1913)が自らの再生を目指した歴史と重ね合わせ、再建により震災からの復興を遂げようと念入りに準備を進めている。
 六角堂は天心が、急進的な姿勢から美術界に受け入れられず、中央を離れて思索に没頭するために建てたとされる。
 この地から日本文化を世界に発信する一方、横山大観らの弟子の指導に当たり、一時は日本画壇の中心のようだったという。

 茨城大は「復興のシンボル」として六角堂の再建を計画。
 協力を求められた県建築士会は有志6人による「五浦六角堂再建支援委員会」を設置。
 専門知識と技術を無償提供することとし、市を含めて協議を重ねた。
 瓦や窓ガラス、外壁に塗るベンガラは創建当時の技法に近い形で復元することや、改修で変更された出窓は当初の掃き出し窓に戻すことなどを決定した。
 来年3月の完成を目指す。

 再建築の手がかりとなるのは57年の図面と昨年の実測図、写真などわずか。
 再建支援委のメンバーで寺社建築も手がける大工匠の佐川武男さん(58)=日立市川尻町=が文献や経験を基に、実寸大の模型を作って工法を検証しながら準備に当たった。
 その中で「六角堂は、社会的にも崖っぷちに立たされた天心が自然からひらめきを得るために建て、ここから再生を図った」と理解したという。
 佐川さんは「六角堂は流失したが、再建という意義ある仕事に関わることができた。震災は不幸なことだが、悪いことばかりではないと伝えたい」と話した。


(11月19日土曜日10時31分毎日新聞配信 山崎明子署名記事「東日本大震災: 六角堂再建、復興の象徴 北茨城で21日起工式/茨城)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111119-00000008-mailo-l08

 今日の「茨城新聞」も伝えております:
『…六角堂は仏堂と茶室を融合させた9m2の六角形の建物で、明治時代に日本近代美術を指導した岡倉天心が設計、1905年に完成した。
 五浦海岸に突き出た岩場に立っていたが、津波にのまれて流失し、海底に沈んだとみられる。
 
 茨城大は当初、海底から回収した柱や瓦などを使い、六角堂を再建する方針だったが、本体部分が見つからずに断念
…』
http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13218021715982

 さらに、11月19日金曜日付け同新聞は、「岡倉天心映画化へ実行委発足 1〜2億円募り13年上映へ」と伝えている:
制作スケジュールは、来年にロケ地やキャスティングの交渉など撮影準備を行い、2012年に撮影予定。
 天心の生誕150年、没後100年を迎える13年に、県内各市町村の生涯学習センターや市民会館での上映、県立美術館との連動企画などを行い、さらに全国上映へ拡大させる考えだ。

 映画は、ドキュメンタリー作品を多く手がける松村監督が08年から約1年間かけてオリジナル脚本を作成。
 天心が五浦に横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山の日本画家4人を呼び寄せた時代に焦点を当てる。
 松村監督は「天心と弟子たちの葛藤や師弟愛、生々しい人間ドラマを描きたい」と話している

http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=12900832804997


posted by fom_club at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月20日

雨上がりの金時山

 皆さん、こんばんは。
 風邪なんぞひいてないですよねえ、どんな週末でしたか?
 
 さて、北海道の仲間のウエルカミング スペシャル プラン3日目は、金時山1213mでした。
 参加してくださった4名の仲間たち、おつかれさまでした、あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た!
 竜巻まで呼んだ昨日の低気圧のあと、しかし今日11月20日日曜日、冨士山がとても綺麗にみえましたね。

昨夜11月19日土曜日から厚い雲に覆われた関東は、地表の熱が奪われず暖かい朝でスタートしました。
 きのうから気温が高めだった関東の沿岸部ほど、日差しに後押しされて、気温が上昇。
 小田原などでは最高気温が25度を超えるなど、昭和50年代に観測が始まって以来、最も遅い夏日(日最高気温が25度以上)を記録した所もありました

(2011年11月20日15時36分更新日直予報士石榑亜紀子「関東は観測以来最晩の夏日の所も」)
http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-4011.html

 登りは多分、昨日降った雨の水分が今日の晴れ模様で一気に蒸発し、ガスとなったと思われるのですが、われわれの行く手を阻むように一時期、濃いガスに山路が覆われたり。
 だってさあ、下町を5時半には出ていましたので8時10分には、金時山頂上目指して歩き出していたんです。早立ちとはいえ、早すぎかな〜

(でも、東名道の帰り、大渋滞があったことを考えると、結果的にはやはり「早立ち早着き」が山歩クラブの鉄則でいいんだよ、と再確認した「マイカーお山歩」でした!)

 ガスは、時間の経過とともにだんだんと取れていって、ほら、写真のようなお富士さまと面会がかなったのですよ!
 最初のうちは、ガスのなかから不意にお姿をお現しになるたびに、われわれもシルバー隊も負けじとばかりに、山ガールと一緒に歓声なんぞをあげていたのですが、だんだんと、「あ、いるね、よろしく」みたいになって…きましたね。
 おもしろかった特別プラン!
 北海道からも、今度はお仲間を連れて、また本州に来て一緒に山歩きできるような、そんな山の会同士の交流会企画も面白いですよね。
 なんか、2012年度は山歩クラブも面白く発展できそうな、そんな予感に包まれた「年賀状用冨士さま撮影会」でした!

金時と冨士.jpg

posted by fom_club at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月19日

雨の外苑

『「これはいいぞ」と見にいくよう勧めてくれたのは、団塊世代の先輩記者だった。
 中国映画「初恋のきた道」が渋谷のミニシアターで公開されたのは、20世紀最後の月、2000年12月の最初の土曜日である…』
(2011年11月10日付け毎日新聞『初恋のきた道』=玉木研二=「アナクロですが…」)

 ヤッホー君、analogとかanarchyとかanachronismとかにどうしてもびぴっと引き寄せられてしまうのですが、いい文章ですよね、玉木研二さん(1951年広島県生まれ。毎日新聞社入社)。
http://mainichi.jp/tanokore/column/tamaki/005409.html

 このヤッホー君のブログも、日記体にして毎日綴ることを課題としていますのは、では、自分は「20世紀最後の月の最初の土曜日」にどんなことを考え、どんなふうに世界と向き合い、どんな行動をしていたんだろうと振り返ったとき、なにも足跡がなければ、自分の存在証明に繋がるものが何も無い、そんな…
 急に突然、暗黒、漆黒、無重力の暗闇に放り出されたような不安感、絶望感、悪寒に襲われたのです。
 どんなに小さくとも、その小さな、小さな小窓から見えた事柄を記録しておくのが「生きた」ことの証しにつながるのかもしれない。
 そんな淡い、薄い、吹けば飛ぶような一片の枯れ葉が、どんなふうに冬の木枯らしに空中を彷徨い、舞うのか、そのさまを切り取ってのこしておこう、と。

 この『アナクロですが…』の一年前、2010年10月28日の記事に、以下がありますのでご紹介、いや毎日新聞をお金を払って、購読することをお薦めします;

★ 「東京の灯よいつまでも」がヒットした1964年、神宮外苑は大いに盛り上がっていた。国立競技場を主会場にした東京オリンピックの開催である。
★ 外苑競技場は戦前の日本陸上競技のメッカとなるが、最も深く国民の記憶に残ることになったのはスポーツ大会ではなく、1943年10月21日の出陣学徒壮行会だろう。雨の神宮外苑競技場の行進。曲は「抜刀隊」である。今も陸上自衛隊や警視庁などで行進曲に使われている。
★ 秩父宮ラグビー場は、戦後建設された。スポーツを愛した秩父宮を記念している。戦後ラグビー史を生んできたが、一つ変わった出来事といえば、東大紛争さなかの1969年1月10日、ここで加藤一郎総長代行と学生たちの間で収拾交渉が行われたことか。結局その1週間余り後には大学に機動隊が導入され、安田講堂攻防戦となった。

(2010年10月28日付け毎日新聞『神宮外苑から』=玉木研二=「アナクロですが…」)
http://mainichi.jp/tanokore/column/tamaki/004074.html

 そうなんです:
 るんるん雨の外苑 夜霧の日比谷
  今もこの目に やさしく浮かぶ
  君はどうして いるだろか
  あゝ東京の灯よ いつまでも
るんるん
(作詩藤間哲朗、作曲佐伯としを)

 そうなんです、誰もが口ずさんだこの歌謡曲は、昭和39年、東京オリンピックの年だったんです。
 この歌の「外苑」は日比谷公園と隣り合わせの皇居外苑の方だろう、と玉木研二さんはおっしゃっていますが、今日の午前は、まだ黄葉に早い、雨の外苑でひとときを過ごしましたが、ヤッホー君の熱にうなされているアタマには、いろんな過去現在未来が押し寄せ、流れ落ちる涙を雨に紛らせて、歩いていたそうですたらーっ(汗)
 
posted by fom_club at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

さざんか

 今日11月19日土曜日は、タウンウオーク。
 待ち合わせは青山一丁目駅ですが、その前に、ワンモアウオークと思い、乃木坂駅で降りて歩くことにしました。
 そこに乃木神社がありました:

1912(明治45)年7月30日、明治天皇が崩御せられ、御大葬の大正元年9月13日御霊轜(棺を乗せた車)が宮城を出発する号砲が打たれた午後8時過ぎ、乃木希典将軍と妻静子夫人は先帝に殉じて自刃を遂げられました。
 以降この御夫妻の忠誠心に感激した国民はこぞって乃木邸を訪れ、その数は日を追って増していきました

http://www.nogijinja.or.jp/yuisho/

 神社に向かい一礼したあと、ヤッホー君は「旧乃木邸及び馬小屋」に向かいました。ここは港区の指定文化財、有形文化財」になっております。玄関前には、さざんかが咲いております:

乃木邸.jpg

旧乃木邸は、1902(明治35)年に新築されたもので、乃木希典大将夫妻が明治天皇に従って殉死するまでここに住んでいた。
 将軍が、ドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範にして建てたというもので、明治期の洋風建築が接待を目的とする豪華な建物か、和風住宅に洋風の応接室を附属させたものが多いのに比べこの邸宅は軍人の家らしく、飾り気がなく簡素で合理的に作られている。
 建坪は168m2、木造平屋建、日本瓦葦で、傾斜地を巧みに利用し、建物全体に半地下構造をもつ。

 馬小屋は、平屋建、日本瓦葦で、邸宅が新築される以前、1889(明治22)に建てられた。
 間口約12.5m、奥行約4.5mの細長い建物には、四つに区画された馬房や、馬糧庫等がある。
 住居が木造であるのに対し、馬小屋が煉瓦造りで立派だ、という評判のあったもので、馬をかわいがり大切にした大将の人柄が偲ばれる

(港区教育委員会)

 ヤッホー君の祖母は、乃木大将が学習院の院長として学習院の構内に入る姿をいつも見ていた、と言っていたことを聞いて、祖母への思いを強くしたことがあります。
 祖母は生家に寄るたびにヤッホー君のことを自慢していた、と言います。
 向こうで元気にしているだろうな、と合掌。

 さて、青山一丁目からは、北海道の仲間とその同級生に、神宮外苑のイチョウ並木をお見せしようとしていたわけですが、生憎の雨。
 絵画館〜国立競技場〜津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス〜国立能楽堂まで来まして、雨が強くなり、中止としました。このあと、北参道から明治神宮に入り、原宿駅をゴールとする予定でしたが、ザンネン。

いちょう並木.jpg

posted by fom_club at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

丸山

武甲山.jpg

 今日11月18日金曜日、あさ6時45分には家をでて池袋駅に向かいました。
 ヤッホー君はめずらしく風邪をひいて熱があり、アタマが痛いのに、「逆療法」とばかりにお医者さんに行くのでなく、山!
 北海道からお仲間が来られているのですから。
 今年は木曽駒から空木岳に挑戦するも降り止まぬ雨、濃い霧、風で何も見えない木曽駒山頂に立っただけで敗退。
 これで帰られたら本州の山って、私に合わないのかしら、なんて刷り込まれたら、本州人のこけんにかかわる、とばかりに、お天気の回復を待って、2日後、蓼科山にご案内。360度の絶景をお見せでき、胸をなでおろしました。
 そして今回、本州の紅葉ってどんな感じかしら、と上京なさったのです。
 当初は金峰山も考えたのですが、もうひとりの仲間は夜7時門限とのお達しが家族からあった、ということなので、高速道の渋滞を避け、丸山960mへ。

山頂から北側にかけて県民の森がひろがる丸山960mは、奥武蔵随一の展望峰として人気を誇る。
 下山は慈母観音など石仏の寺として知られる金昌寺へ。
 門前に湯煙をあげる新木鉱泉で疲れを癒そう

…石丸哲也、三尾章子『ハイキングと立ち寄り温泉』(山と渓谷社、2003年)

 そうなんです、3人で池袋から7時48分発の急行小手指行き西武線に乗りこみ、正丸トンネルの先、芦ヶ久保駅へ。
 「駅からお山歩だい」を5時間もかけて楽しんできました。
 山路は落ち葉でふわふわ。
 金昌寺境内の「よんばん食堂(Tel 0494-23-4504)」で自家製の煮物、漬物、野菜サラダのおもてなしを受けて感動。
 創業200年、秩父七湯<御代の湯>、新木鉱泉(Tel 0494-23-2641)での立ち寄り湯は次回に回し、そそくさとバスで西武秩父駅に向かい、5時25分発の特急「ちちぶ」で池袋に戻った、とこういう次第だったのです。
 秋の山路はとってもいいですね、今日も満腹、満足、満点の「お山歩だい」ができました。
 参加予定のもうお一方は急遽、息子さんの高校受験の面接が入ったとかで取りやめ、しかし家族の協力、家庭円満があって山歩きが楽しめるのですから、無理は禁物、いいんですよ、落ち着いたらまたいらっしゃい、ってなもんですよね。
 ま、今日は無事に、北海道のお仲間を都心の奥座敷をご案内できましたし、かつお天気にも恵まれ、良い気分で山に分け入っていただき、サイコウの時をいっしょに過ごしすことができました。
 写真は、丸山への道すがら、キュウイ棚の向こうに聳える武甲山1295.4mです。
 明日は9時半、半蔵門線青山一丁目駅で、明治外苑の銀杏並木、いちょう祭りをご案内します。
 ヤッホー君、フルアテンドでエンジン全開!
 じゃあ、おやすみなさい眠い(睡眠)

posted by fom_club at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

平成の大合併

 勝縁荘は、「宝さがしプロジェクト」のテーマになっていましたね。下↓は、「東山梨地域合併検討・協議会」2003(平成15)年9月のリポートからです。当時の合併構想では6市町村で2010年合併し、推計人口を8万7648人、観光客数240万人以上をもくろんでいたわけです:

『山梨県立文学館で2003年6月末まで2ヶ月にわたり、特別企画展 中里介山「大菩薩峠」の世界が開かれました。この新聞掲載小説がやがて映画なり塩山市の大菩薩峠が一躍脚光を浴び有名になったわけです。東映で映画タイトルのバックにこの山並みを撮影する際、当時市役所勤務の私が勝縁荘にて撮影隊のお世話をしたこともあり、遠い昔を懐かしみ企画展を観させていただきました。
 
 展示品「大菩薩の囲炉裏-勝縁荘開説50年記念刊行会編-」P86に大菩薩の歌がありました。勝縁荘の炉端で興がのれば益田勝俊氏が歌って聞かせて下さったこの歌を、私たち山仲間も時には合唱したものです。峠付近で「介山荘」運営のご子息繁さんを取り巻く友人たちや私たちのほか、今この歌を唄える人が、年々減少していることは明らかです。甲州盆唄のように伝承されていれば良いのですが、この唄を楽譜にして是非後世に残してほしいのです(どこに楽譜はあるのかどうか?)。

 私の歌い方も正調なのか確信はありません。とっても良い歌です。とりあえず口ずさみ乍ら歌詞をお届け致します。知っている方、おられますか?

≪大菩薩の歌
1. 滝子黒岳 熊沢かけて 六千余尺の連嶺を ひきいて高くおごそかに そびゆる峰よ 大菩薩
2. 春は嵯峨塩 緑にはゆる 夏は黒木の谷 秋はもみじの日川谷 四季に優れし 大菩薩
3. 表登りは塩山砥山 裏は小菅の谷 明るい峠に一基の仏 その名ゆかりの大菩薩
4. 日本山国 山また山よ 登る山々 かずある中に 山の男のひとしく仰ぐ その名 我等の大菩薩≫』

 TPPに乗って、あるいは乗せられて売国奴と化している選民の手前勝手な政策決定のなかで、しかしわれわれ99%には数の力があります!選挙ではNOの意志表示をするのはもちろんのことですが、伝承歌や演歌は日本人の証しです。
 消えていく前に、CDでもDVDにでも記録媒体に残しておきましょう、皆の衆!

 この合併検討・協議会は翌2004(平成16)年、協定項目75項目のうち、すでに72項目の協議が終了し、(1)新市の名称 (2)事務所の位置 (3)議会議員の定数及び任期の取り扱いの協議を残すのみとなっていましたが、山梨市が6市町村の合併協議から脱退したことにより、合併協議は休止することとなったのです。
 そして誕生したのが甲州市でしたが、2011(平成23)年11月1日現在の人口は 3万5033 人と、目論見の半分以下でしかありません。それでもあわてて合併しちゃったんですね。

多くの市町村を「平成の大合併」に駆り立て、よかったのか。全国町村会が、合併自治体の首長や職員から聞き取った報告書には、合併の弊害や後悔がにじみ出ている。その功罪を検証する時だ。

 今回の大合併は、1999年の旧合併特例法改正で始まった。同年に3232あった市町村が、2010年3月には1773と半数近くになる。

 国は少子高齢化社会に対応し、地方分権の受け皿のためにも「市町村の行財政基盤を強化する必要がある」と音頭を取ってきた。

 実際には、国は地方交付税を削減する一方で、合併する自治体には合併特例債の発行を認め、返済額の7割を国が負担して優遇する「アメとムチ」が、まさに奏功したのである。

 報告書には「これ以上の地方交付税の削減に耐えることができないと判断し、合併特例法の財政支援措置を受ける必要があった、財政面での見通しが立てば合併は選択していなかった」などという本音の合併理由が少なくない。

 言い換えれば、実は地域の実態に即さない「望まぬ合併」が少なくなかったのではないか。

 合併が引き起こしたマイナス効果の声は、報告書でも目立つ。一つは、住民に最も身近であるはずの行政機関である市町村が規模拡大によって、遠い存在になってしまったことだ。

 合併前は「住民は役場へ行けば各分野担当の職員が必ずいて、話ができた」のが、合併で支所となった旧役場から職員が減って一人で担当を兼務し、余裕がなくなった。「話にならない」と住民の足が遠のき、つながりが薄れた。

 合併先の中心市方式の仕事のやり方に統一され「職員は都市的な考え方が強くなった」し、「山間地のお年寄りからは不安の声があがっている」という。かつて役場などがあった各市町村の中心地域は衰退し、商店街などの「さびれようは目を覆うばかりだ」という訴えもある。

 旧合併特例法は2005年に切れ、新合併特例法では国の優遇措置が減った。合併のペースも一段落している。新法は2010年3月に期限が切れる。今後、国の合併推進策をどうするかは来月以降の地方制度調査会で話し合う。

 平成の大合併が始まって間もなく10年だ。合併の痛みに苦しむ自治体は多い。合併を推進してきた国の責任で実態を調査し、必要な手当てを施す時期ではないか

(2008年11月25日付け東京新聞社説「平成の大合併 功罪を検証する時だ」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008112502000102.html

 長いけど、メディアからの大事な提言ではなかったのではないのでしょうか。泥縄式に特例法のアメ欲しさにあわてて合併したような印象をぬぐいきれません! 社説も削除されて読めなくなる前に長いけど引用しておきましょう。ぜひ選民の皆さん、地域に住んでいる人の生活が大事、そこを考えて検証してくださいね、「チホウブンケン」なんて、イメージだけが先行して≪痴呆文献≫なんて揶揄されないように、ね。

 と言いますのも、うつくしまの佐藤栄佐久前知事は、山岡淳一郎氏のインタビューに答えて、次のように明言しています。これも削除されないうちに、長いけど引用しておきましょう:

『合併した自治体はほんとうに苦労している…
山岡:改めて「うつくしま、ふくしま」という福島県のキャッチコピーを口にすると独特の感懐がわきます。あの言葉には、ふるさとへの愛情と地方自治の執念がこもっている。国は、近年、地方分権、地域主権という耳ざわりのいいフレーズで地方を持ち上げる一方で、実質的には地方を切り捨てるような策を採ってきました。「平成の大合併」も、その一つです。
 小泉純一郎内閣の「三位一体改革」のもと、合併特例債を中心とした財政措置の「アメ」と、地方交付税削減の「ムチ」を組み合わせて市町村合併が推し進められました。
 大震災で、その弊害が表れているのも事実です。被災自治体の首長や職員の方々は、死に物狂いでやっておられる。頭が下がります。けれども、旧市町村の壁があって、義捐金の配分で住民感情がこじれるようなケースもあります。原発被災地では、見えない放射線が相手です。道路一つ隔てて放射線量が極端に違ったりしている。復興に向けて、地域の連帯感を保っていくのは容易ではない。

佐藤:今後、市町村合併は、再検証しなくてはならないでしょう。平成の大合併に際して、福島県は合併する自治体も、合併しない自治体も同じように支援しましたが、そのころ、同様の姿勢を明らかにしたのは長野県の田中康夫知事(当時)だけでした。びっくりしましたね。国は合併しない小さな自治体の権限は制限するとまで議論していたんですよ。地域のことを地域が決める自治とはかけ離れている。
 今回の原発災害で、コミュニティーの結束を保って対応できているのは、合併しなかった自治体です。飯舘村がそうですね。飯舘村は原発の恩恵は一切受けていないのに被災して全村避難を余儀なくされましたが、コミュニティーが一体となって復興への意思を固めています。郡山市のピッグパレットふくしま内に仮役場を置いている川内村も、2012年3月までに村に戻ると宣言しています。ここも合併はしていません。
 一方で、合併した自治体は、ほんとうに苦労しています。首長は、どこも必死ですよ

(2011/11/2 原発は何処から、何処へ(日経ビジネス)

posted by fom_club at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月16日

勝縁荘

 モトに戻って、川崎園。
 住所は甲州市勝沼町岩崎でした。
 さて、山梨県の県庁所在地は次のどの市にありますか、番号で答えなさい(新卒採用試験の常識問題ですね):

 (1)甲州市 (2)甲斐市 (3)中央市 (4)山梨市 (5)冨士吉田市 (6)塩山市

 そうなんです。「平成の大合併」とやらで、市の名前がどんどん変わっています。
 アタマの回転の遅いヤッホー君にはついていけません。
 13日日曜日に通った山小屋の所在地ってどうなってんの、と思って調べてみました:
 
★ 「ロッジ長兵衛」(2005/11/1より塩山市は「甲州市塩山」となりました。大菩薩峠八合目標高1600m)
http://www.kcnet.ne.jp/~choubei/
★ 「福ちゃん荘」(秩父多摩甲斐国立公園大菩薩連嶺、皇太子殿下夫妻の登山口、唐松尾根分岐点の山小舎、標高1720m)は、1941(昭和16)年に曾祖父福太郎が茶店として営業を開始しました。カーナビをご利用の方は当荘の電話・住所を入れると到着できません(着くのは車で25分かかる自宅です)
http://www.kcnet.ne.jp/~fukuchan/
★ 「介山荘」(甲州市に位置する大菩薩峠の介山荘のページです。甲州市塩山上於曽1882)
http://kaizansou.jp/index.html
★ 「勝縁荘」(廃屋。現在の介山荘の主人の祖父に当たる益田勝俊さんが所有していた。益田さんは樋口一葉の研究家でもあったらしい)
★ 「富士見山荘」(塩山市大菩薩峠富士見平、大菩薩峠道と富士見新道の分岐点、標高1700m)予約・問い合わせ先は(宿泊は予約制)、〒207-0002東大和市湖畔2-1044-52内木雅彦 Tel 090-4956-3630)
http://www003.upp.so-net.ne.jp/kniki/fujimi/index.html

 勝縁荘の所有者だった益田勝俊さんが樋口一葉の研究家であったらしい、というのは、皆さん、このヤッホー君のブログの愛読者だったらピンと来るはずです。
 そうなんです、なんで江戸の樋口家が甲州市と縁があるのか、それはヤッホー君のこのブログ、2011年5月26日付け日記「ちちはは駆け落ち」にも記した樋口一葉のルーツの場所なのでした:

『甲斐国山梨郡中萩原村重郎原(現在の山梨県塩山市中萩原、いまは山梨県甲州市塩山中萩原となっている)』

 大菩薩岳 2057m は日本百名山です。深田久弥はこう記しています:

大菩薩峠の名が文学に現れたのは、中里介山より遥か以前に樋口一葉がある。
 その「ゆく雲」の中に、「我が養家は大藤村の中萩原とて、見わたす限りは天目山、大菩薩峠の山々峰々垣をつくりて…」とある。
 一葉の両親は峠の下の萩原村の農家出身で若い時東京へ出た。
 そして一葉が東京で生まれたが、おそらく両親から土地の風景を聞かされていたのだろう


 さらに深田久弥は、いまは廃屋となった勝縁荘に泊まっていました:

ある秋のさ中に、私は数十年ぶりで大菩薩岳を訪れた。
 土曜の晩、山小屋勝縁荘に泊まって、山荘のあるじ益田勝俊さんから、いろいろ面白い話しを聞いて、夜の更けるのも忘れた。
 あくる日曜、あさ表へ出ておどろいた。
 蜿蜒たるハイカーの行列が登ってくるではないか。
 大かたはズック靴に小リュックという軽装で、中にはレーン・コートに短靴・手提げというのも混じっている


 なお、勝縁荘開設50年記念刊行会『大菩薩峠の囲炉裏-勝縁荘開設50年益田勝俊米寿記念-』(けやき出版、1983年)もあります。

posted by fom_club at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月15日

墓前祭

 ヤッホー君のこのブログ、9月10日付け日記「秋の歌」はこう締めくくられていました:
お休みになる前、ぜひ、日本弁護士連合会の声明文『大逆事件死刑執行100年の慰霊祭に当たっての会長談話』を噛み締めて、それから安眠しましょうね;
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement

 いえ、朝日新聞はすでに2009年5月、夕刊の『ニッポン人脈記』でシリーズ「大逆事件残照」と題して連載しておりました。
 第一回目の「夢二は反戦画家だった」というコラムはサイバースペースで読むことができますが、興味のある方はぜひ朝日新聞デジタル(有料)に登録し、YOU刊「ひと模様」でご覧になってください。

1911(明治44)年1月24日、号外売りが街を走る。夢二宅に出入りする女子学生神近市子は、その号外を夢二に届けた。そこには、幸徳秋水ら大逆事件の死刑囚処刑のニュースが書かれていた。
 夢二はフーンとうなり、秋水らとは旧知であることを明かし、「みんなでお通夜をしようよ。線香とろうそくを買ってきておくれ」と神近に告げた…
 大逆事件は、天皇の暗殺を企てたかどで12人が死刑、12人が無期懲役になり、天下を震撼させた。だが、ほんとにそんな計画があったのか、社会主義者らを一網打尽にする権力の陰謀ではなかったのか…
 あのころ貧しい人の側に立ち、懸命にたたかった人びとがいた。いま再び貧困、格差社会。100年の歴史に思いをはせて「大逆事件残照」を記したい

(2009年5月19日14時19分更新)
http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200905190229.html

 崎村裕(1937年長野市生まれ)は、その著『百年後の友へ、小説・大逆事件の新村忠雄』(かもがわ出版、2011年)で、詳しく死刑執行の様子を活写してくれております。必読の書です。そして筆者あとがきで…

戦後の憲法の下で、大逆事件はなくなったが、裁判所の中身は変わってはいないと言わざるを得ないのではなかろうか。
 菅家さんの事件をはじめ現在も、冤罪事件は後をたたない。
 前福島県知事佐藤栄佐久は原発の運転を一時停止させたが、別な収賄事件で東京地検によって逮捕、起訴された。
 裁判の結果、無罪になったが、これは権力がしくんだ謀略だとする見方もある


 今日11月15日火曜日は、坂本龍馬の命日であり、誕生日だといわれています。
 坂本龍馬は、1836(天保6)年11月15日に生まれ、1867(慶応3)年11月15日に京都・近江屋において暗殺されたのです。
 もう2011年もわずか、山歩クラブの忘年会ってどうなるのかな? 近江屋もいいね、なんてことを考えながら、秋水を思いつつ秋の夜長、読書をしていたのでございます:

毎年この日には、高知市上町の龍馬の生家前では、全国から龍馬ファンが集まって「誕生祭」が開かれています。
 また京都東山区の霊山では、龍馬と中岡慎太郎の「墓前祭」が行なわれています

http://www.kochinews.co.jp/ryoma/ryoma003.htm#q1

posted by fom_club at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月14日

山梨ヌーボー

 今日の11月14日月曜日、ヤッホー君はお出かけしたこともあってか午後、たいへんな眠気に襲われ、こんなときは無理をしないとばかりに15分、バクスイしておりました。
 あの甲州は勝沼産ワインが効いたのかな…
 
 実は一升瓶の赤ワイン(2000円)を求めた「川崎園」(園主川崎哲哉さん)は、勝沼葡萄郷にあって、ぶどう園も開いておったのですね。
 もうあたりは夜の帳が降りて、何も見えなかったのですが、来年は明るいうちにお邪魔してみましょうか、皆の衆!

当園のぶどうは、有機肥料を主体に低農薬栽培をし、味、外観ともに品質の良いぶどう作りを心がけています。
 そして、もぎたてのぶどうはまた格別の味わいです。
 ぜひ当園自慢のぶどうをご賞味ください。
 まごころのサービスをもってお待ちしております…

 当園は中央道・勝沼ICより5分、勝沼ぶどう郷の中心部にあります。
 棚いっぱいのぶどう、済んだ空気を静かな農園「川崎園」で心ゆくまでお楽しみください。
 また、高速バス停まで600mですので、前もってご連絡くだされば当園バスにてお迎えに上がります

http://katsunuma.net/budou/kawasakien/index.htm

 甲州産ワインの収穫祭は、ボジョレーヌーボー解禁よりも早いようで、今年は「ゲイジュツの秋」にこだわりましたが、来年は「新酒の秋」を特集しようかな…皆の衆!
 でも困ったな、ワイン限定とはいかないし、そうしたら日本酒も別に企画することになるのかな、あとビール工場訪問はあるし、よっしゃ、では≪新酒イベント豪華3本締め≫といきますかあ〜

山梨ヌーボー:3日解禁 東京・日比谷公園でイベント/山梨
今季県内で収穫された甲州ブドウ(白)とマスカットベリーA(赤)で造った県産ワインの新酒「山梨ヌーボー」が11月3日、解禁される。
 同日は県ワイン酒造組合などが東京都千代田区の日比谷公園で恒例の「山梨ヌーボーまつり」を開くほか、11月は県内各地でさまざまな新酒イベントが予定されている。

 毎年11月の第3木曜に解禁されるフランス産ワインの新酒「ボージョレ・ヌーボー」にならい、2008年に県内約80のワイナリーが共通の販売開始日を設定。
 ボージョレの華やかさに対抗し、山梨ヌーボーは「フレッシュで和食に合うワイン」とPRする。

 3日の山梨ヌーボーまつりでは、日比谷公園内の特設ブースで県内ワイナリー36社が60銘柄以上のワインを販売。
 1人2000円で好きなだけ試飲も楽しめる。

 笛吹市石和町川中島の「足湯ひろば」では、11月3日午前0時の解禁に合わせ、石和温泉観光協会がカウントダウンイベントを開催。
 11月19、20両日も、甲府市の小瀬スポーツ公園でワイナリー36社が新酒の試飲販売を行なう

…毎日新聞 2011年11月1日 地方版 曹美河署名記事。

 一方、じゃあ、件のフランス産ワインの新酒「ボージョレ・ヌーボー」は、というと、今週木曜日11月17日が大事な日ですよ、皆の衆:

ボージョレ・ヌーボー: 今年の初荷が到着 羽田空港
2011年産のフランスのワイン「ボージョレ・ヌーボー」の初荷が10月29日、東京・羽田空港に到着した。
 11月17日午前0時の解禁を前に首都圏の飲食店や小売店に出荷される。

 到着したのはサントリーワインインターナショナルが輸入した「ジョルジュ デュブッフ ボージョレ・ヌーボー」275ケース、3300本。
 日本航空のJAL042便でパリを28日午前11時に出発し、約12時間かけて日本時間29日午前6時5分、羽田に到着。
 税関職員はボトルを手に、慎重に検査を行なっていた。
 これまでは成田空港などに初荷が到着していたが、羽田空港が国際化されたこともあって初荷となった。

 サントリーによると、今年のボージョレ・ヌーボーの輸入量は業界全体で約60万ケース(1ケースは750ミリリットル入り12本)と昨年より若干増えると見込みだという。
 好天に恵まれた今年は、果実味や酸味などの要素がバランスよく含まれ、ビンテージといわれる05年や09年産に匹敵する仕上がりだという。

 29日は成田、関空、中部、札幌などにもボージョレ・ヌーボーが到着することになっており、11月8日から9日に輸入のピークを迎える予定だという

…毎日新聞 2011年10月29日 米田堅持署名記事

posted by fom_club at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

大菩薩嶺

雷岩.jpg

 今日11月13日日曜日は、山歩クラブの月例お山歩会「バスは行く」でした。

 歩く山域は、大菩薩。
 中央道大月ICで下りて国道20号線、県道218号線、201号線で詰めて、大菩薩嶺、雷岩、介山荘、富士見山荘、福ちゃん山荘と周遊コースで回るルートをとります。
 17人で、朝9時半から歩き始め、2時半に終わり、立ち寄り湯のお風呂は「大菩薩の湯」(Tel 0553-32-4126)。
 このすぐれもんの温泉で3時半から4時半まで、ゆっくりと湯船につかって汗をおとし、一日を終えるというお山歩会なのです。

 天気は晴朗なり。
 歩く右に大菩薩湖、左に多摩湖、紅葉に染まる山肌、冠雪した冨士山、飛行機雲や洗濯板のような秋の晴れた美空、そこにきて満腹、ともう申し分のない満足した大人の秋の一日となったのでございます。

 マンプク? なんで、そんなに時間を取ったのか、と言いますと実は、頂上で鍋パーティを一時間も開いておったのでございます。
 鍋の具から、鍋鎌類まで準備に段取りをつけてくださった信長さま、秀吉さま、家康さまの三武将、そしてそれを担ぎ上げてくださったボッカ、強力さん役の男性陣、鍋奉行の方々、ほんとうにおつかれさまでした!
 あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た!!
 お風呂を出たのが5時前、しかし渋滞にあってそれでも夜9時に家に着いていた、という今日の一日だったのです。

 帰りの車中は日本酒の地酒でなく、地ワイン!
 なんと一升瓶の赤ワイン(酸化防止剤無添加)でございました!
 蔵元は、蒼龍葡萄酒(株)甲州市勝沼町下岩崎1841番地。社名の「蒼龍」とは、中国の故事にある東西南北の守護神の中で東を守る神様、幸運を呼ぶ神とも言われているその神様に由来します。

カベルネ・ソーヴィニヨンの赤ワインと国内産ワインをブレンドした、重みと飲みやすさがマッチしたミディアムのワイン
http://www.wine.or.jp/soryu/

 買い求めた酒屋さんは、川崎園(甲州市勝沼町岩崎289 Tel 0553-44-0032).

posted by fom_club at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月12日

鈴木きっこ

 昨年2010年4月13日、14日でもご紹介した「深川図書館」(Tel 3641-0062)。
 今日11月12日は、その深川図書館の郷土資料講演会が午後2時から開かれます。
 ヤッホー君のお勉強はそのテーマ、「編集長が語るタウン誌「深川」とともに見つめ続けた江東区」なのです。
 講師は、編集長・鈴木きっこさん。
 終わって書くアンケートにどうヤッホー君は書いたのかな?
「すばらしかった、よかった、もう一度聞きたい、時間のたつのがこんなに早いとは、今日のお話は、ぜひ文字におこして記録として残して置いてください」…そんなことを書いて図書館の職員に渡して、3階ホールをあとにしました。なぜって?
 ひとつ、地元の人が地元で、地元で暮らしている普通の人びとといっしょに、ご自分の目と耳と鼻と口と手足でこつこつとおやりになってきたことを、区の施設がとりあげてくれたから;
 ふたつめ。お話しに飾りっけも、しゃれっけも、気障っぽさのひとかけらもない、素直な本音の、ご自分の体験からのお話しがそのまま聞けたこと;
 みっつめ。たかが30年余り、されど30年余り、時代とともに変動、変容、変化していった江東区深川の歴史のひとこま、ひとこまを編集長といっしょに追いかけることができたこと。定点観測、モニタリングの大事さ、面白さを味わえたこと。

 まずは朝日新聞ウエブ版から:
『江東区の隔月のタウン誌「深川」が、現在発売されている5・6月号で創刊200号を迎えた。
 編集発行人の鈴木きっこさん(66)が友人と2人で始めてから30年余り。
 長男、長女と親子3人で、下町の人や暮らし、店などの情報を発信している。

 創刊は1978年1月。
 鈴木さんの長男が当時通っていた幼稚園で知り合った「ママ友」と素人の主婦2人で「本格的なタウン誌をつくろう」と始めた。
 当時は「下町」というとなんといっても浅草で、深川の知名度は今ほど高くなかったという。

 協賛店を募り、広告を取って資金を集め、企画も自分たちで考えた。
 「自分の子どもと同じようにこのタウン誌を育ててきたつもり」と鈴木さん。
 下町ならではのいい話を発掘し、載せることを一貫して心がけてきた。

 ノンフィクション作家の枝川公一氏による連載が約20年続いている「下町ひと模様」には、江東区在住のオスマン・サンコンさんを始め、西洋甲冑(かっちゅう)師、チンドン屋さん、錦糸町のゲイバーのママなど多彩な顔ぶれが登場した。

 友人は途中でカナダに移住し、編集を離れた。
 企業のPR誌の編集などを受注し社員が8、9人いた時期もあったが、景気の悪化で現在の仕事は「深川」一本に。
 創刊当時は幼稚園児だった長男の宏嗣さん(38)と長女の片山祐子さん(39)が編集を手伝っている。

 200号の特集は「あの頃の深川」。
 創刊の頃の縁日や盆踊り、地元の辰巳芸者などの記事を振り返った。
 鈴木さんは「この30年余で深川から料亭や芸者は消えて、新しい住民やサラリーマンが増えた。伝統の祭りや味の話題は欠かせないが、街は生きている。新しいものも誌面で採り上げたい」と話す。

 「深川」は1部300円で地元の協賛店や書店で販売されている。
 問い合わせは(株)クリオ・プロジェクト(江東区牡丹3-33-10-202 Tel 03-3641-0071)』

(2011年5月16日14時54分更新、有吉由香署名記事、深川を発掘、創刊200号に 「街は生き物」暮らしに密着)
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/TKY201105160253.html

 そして、経済産業省 中心市街地商業等活性化支援業務(人材育成事業)/主催者:経済産業省 商務流通グループ 中心市街地活性化室/事務局:株式会社三菱総合研究所 地域経営研究本部の公式サイト、『街元気、まちづくり情報サイト』でも:
『前編〜素人主婦がはじめたきめ細やかなまちの情報発信〜
 東京下町初のタウン誌「深川」は、1978年の創刊から隔月刊で200号を超える歴史があります。
 深川界隈のお店情報、イベント案内に加え、まちの風景や歴史、まちの人の姿を伝えてきました。
 A5判、70数頁で300円。書店販売のほか、協賛会員のお店の販促ツールとしても利用されています。
 「深川」が長く愛され刊行され続けているその秘訣を探ります。
※「深川」200号、201号の表紙。創刊号から表紙デザインは変わってきたが、題字の「深川」は変わらず、木場在住だった書道家山浦翠光さんの手による』

『後編〜100件の協賛会員とともにまちを盛り上げる〜
 年間6冊、33年の歴史をもつタウン誌「深川」。
 長年「深川」を支え続けた編集部と深川の歴史、協賛会員との関係とはどのようなものだったのでしょうか?』
https://www.machigenki.jp/index.php?option=com_content&task=view&id=1342&Itemid=350

 「深川」には公式サイトもございます:
タウン誌「深川」No.203号が出ました!
 特集は「新木場で働く人々〜木材業のいま〜」。
 江戸から続く江東区の地場産業でもある木材業が、深川木場から新木場に移転して35年が経った。
 木材問屋や製材所などが建ち並ぶ木材の一大集積地だった新木場も、今や大きな倉庫やリサイクル工場などが目立ち始め、新木場駅前にはオフィスビルやライブハウスまである。
 今、木材のまちはどうなっているの?そして木材業の未来は…?
 新木場の人々を取材した


 下町を応援したいなと思ったら、ぜひ協賛してくださいね、サポーターになってくださいね、がんばっている鈴木さん親子にエールを送りましょう。
 そして下町で遊ぼうかな、と思ったらぜひ下↓をクリックして「深川」を買って(1冊300円)、手に持っていらしてくださいね。
 そこは、いまも粋な下町っ子が茶目っ気たっぷりに声かけてくれる江戸の町です:
http://www.jade.dti.ne.jp/~clio/

posted by fom_club at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歩く旅

 おとといの10日の日記「チシマザサ」で最後に書いた『特別対談 堂本暁子x加藤則芳「日本の国立公園を考える」(2009年3月号)』の続きでございます。

 加藤則芳さん、この方のプロフィルをご紹介:
1949年、埼玉県生まれ。信越トレイルクラブ理事。
 作家としては国内外の自然保護やアウトドア、ロングトレイルなどをテーマに執筆。
 2005年にアメリカの全長3500キロにおよぶアパラチアン・トレイルを踏破し、トレイルと自然、文化、地域、政治、人などとのかかわり、そのシステムのあり方を探り出すことを、ここ数年のテーマに掲げている。
 著書に紀行文学大賞受賞作『ジョン・ミューア・トレイルを行く』(平凡社)、『自然の歩き方50』『日本の国立公園』『森の暮らし、森からの旅』(いずれも平凡社)、『森の聖者ー自然保護の父ジョン・ミューア』(山と渓谷社)など、訳書に『おじいちゃんと森へ』(平凡社)がある

(トレイルのなかの「奇蹟」に会いに、という加藤則芳さんへのスペシャル・インタヴュウ記事)
http://www.s-trail.net/interview/index.html

 今年7月には2冊もの著書を出版なさっておられます:
☆『メインの森をめざして-アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』(平凡社、2011/7/9)
☆『ロングトレイルという冒険-「歩く旅」こそぼくの人生』(生きる技術!叢書、技術評論社、2011/7/29)

 その加藤則芳さん、じつは、じつは大変な目にいま、あっておられます:
『じつは、治癒の術のない難病として国が指定する病、筋萎縮性側策硬化症(ALS)であることを、昨年2010年6月に宣告されたのです。
 筋肉に指令を発する神経細胞が破壊されていく病で、唯一ある薬も、筋肉破壊のスピードを緩める効果しかありません。
 宣告は、ある意味、死へのプロセスを提示されたことでもありました。
 発覚以来、日々、月々、明確に筋力が低下し、とりわけ今年になり、残酷なほどのスピードで筋力がそがれ続けています。
 今、すでに杖なしには歩けず、やがて近々車椅子生活になるかと思います。
 まだ、ぼくの場合喋る筋肉、食べる筋肉、呼吸する筋肉は十分にありますが、いずれこれらの筋肉もなくなり、やがて終焉を迎えます。
 受け入れたくない気持ちは、未だにあります。
 が、ぼくは、死へのわかりやすいプロセスを提示されたことで、残された人生設計を描きやすくなったと捉え、すでに覚悟を決め、死をも含め受け入れています。
 これから、できることをできうる限り続けていくつもりです…』

(2011年4月9日付けブログ、「色彩(いろ)なき石も花と見き)
http://www.j-trek.jp/kato/archives/000270.html#more

 これは、加藤則芳さんの公式ブログですが、たしかに2011年7月26日付け「さらにもう一冊,新刊本を上梓!」のあと更新されておりません。上記4月9日のブログはこのように締めくくられています:
ぼくのこのような現実があり、以前このブログでも紹介したように、妻が新たにブログ「加藤則芳 ロングトレイル行く」を立ち上げました。
 ロングトレイルはぼくの人生そのものでもあります。
 長くはなくなりましたが、できうる限り人生のロングトレイルを歩き続けるよう頑張ってまいります。
 今こうしてキーボードを叩いていますが、じつは、すでに指の機能麻痺が始まり、人差し指で叩いています。
 もともと極めつけなまけものブロガーでしたが、これからはやりたくとも、ブログ更新ままならなくなります。
 妻のブログはぼくのブログを引き継ぐ役割を担います。
 ぜひ、ときどきにでも、覗きにきてください…


 奥さまのブログ『ジョンミューアトレイルからアパラチアントレイル、そして…バックパッカーでネイチャーライター、加藤則芳の活動報告』(管理者:家人)も2011年9月30日付け更新のままでございます:
お天気が心配でしたが、何とか雨は降らないでくれそうかな?
 各種イベントがいっぱいのフェアを楽しんだ後に、彼の国立公園への思いをぜひ堪能してください。
 自然環境局局長との対談もお見逃しなく!
 今後の日本の国立公園のあり方や、三陸海岸の復興プランについても語られるのではないかと思います

 
と、10月1日土曜日15:00開演の新宿御苑インフォメーションセンター2階レクチャールームを会場にした次のような内容のご案内のままでした。
1. アメリカの国立公園管理システム(環境省職員より)
2. 基調講演「国立公園は自然の宝箱」講師 加藤則芳(作家・バックパッカー)
3. 加藤氏と環境省自然環境局局長による対談
http://jmt-apt-2011.seesaa.net/

 このALSという難病に罹ってしまったお母様を看病したのが、川口有美子さん。
 いまアドボカシー(病人の権利擁護)NPO法人さくら会理事、有限会社ケアサポートモモ代表取締役、日本ALS協会理事をつとめ、2004年には立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程に入学し勉強されていますが、次の本を昨年出されております。
 ヤッホー君のこの雑文の読者の皆さん、ぜひ加藤則芳さんの前掲書2冊と併せ、ぜひご購入のうえお読みくださいますよう、よろしくお願い申しあげます:

 川口有美子『逝かない身体―ALS的日常を生きる』(2009年、医学書院)

 書評もブログでいろいろありますが、次にお書きになった方の文章は考えさせるなかなかのものでございます:
http://d.hatena.ne.jp/deltag/20100121/p1

posted by fom_club at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月11日

北部漁協

 ヤッホー君のこの日記、10月5日付けにて中禅寺湖は歌が浜の「気嵐」を報告しました。
 そして、2011年11月11日金曜日のこの日、河北新報は、気仙沼湾の「気嵐」を写真とともに記事にてしておりました:

『「け嵐」に包まれた気仙沼湾では、船が雲間を漂うような光景が見られた=11月10日午前7時20分ごろ、気仙沼市=
 宮城県気仙沼市の気仙沼湾では早朝、海面の水蒸気が陸上からの冷たい空気に冷やされて生じる「け嵐」と呼ばれる霧が見られた。
 湾に浮かぶ漁船を包みこみ、幻想的な光景をつくり出した

(11月11日金曜日付け河北新報、漂う「け嵐」 海を冬色に 東北・今秋一番の寒さ』
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111111t15008.htm

 そうしたら同じ河北新報は、同じ気仙沼市からこんな記事も;

東日本大震災で漁業施設が壊滅した宮城県気仙沼市と南三陸町の水産業復興に向け、漁船や共同利用施設を保有する新たな組織「県北部施設保有漁協」の創立総会が11月10日、同市の本吉公民館であった。
 地区の漁協関係者ら約20人が参加。
 漁船や共同利用施設を約112億円で取得する2011年度事業計画案や、役員の人事案を承認した。
 計画によると、新漁協はカキむき場などの施設やリース漁船を使いたい漁業者が1万円以上を出資して発足する。
 管内の漁業者約5000人のうち、2000人以上が参加する見通し

(11月11日金曜日付け河北新報、「北部漁協」が発足 漁船など共同利用 気仙沼)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111111t12022.htm

 昨日の日記で記したと思いますが、2011年は国連が定めた「国際森林年」です。国内はもとより、世界中で森を守る活動がすすめられています。と同じように、「国際協同組合年」というのもあるようです。

国連は、昨年12月18日に、2012年を「国際協同組合年」とすることを決定し、各国政府、協同組合関係組織等に対して、この国際年を契機に協同組合を推進し、社会経済開発に対する貢献に関する認知度を高める取り組みを行なうよう求めた
http://www.iyc2012japan.coop/committee/index.html

 で、さ、なんなのよ、というところなのですが、これをきっかけに「全国実行委員会」をつくり、この国の「政府、協同組合関係組織等」から拠出金を集め、組合員を動員し、イベントや講演会、国際会議を開くのでしょうが、ポイントはやはり、1%と99%ということだ、とヤッホー君に思えてなりません。
 既存の既成の認可された「協同組会」ムラに抗して、新しきムラ、新しい「協同組合」をつくろうとすることは絶望的だ、ということ...
 だから次世代には、「協同組会」なんて旧い古い、よぼよぼでどうしようもない過去の遺物、と希望も創造性も躍動感もない、骨組みだけの遺物、骨格になるわけです。

 この新聞記事を見て愕然として腰を抜かしたり、固まったり、二の句も継げない、と思いませんか?
 なんで、新しい「協同組合」をつくろうとするのに、2000人とか100億円以上もの事業規模にせにゃならんの、ということです。
 
 欧米の協同組合を、関係組織の幹部たちは外国製のスーツに身をかため、ネクタイを締めて経費による海外出張で、日当ももらいながら訪問し、終わって集団で豪華レストランに押しかけ、タバコをふかしておばか笑いしていたはずですよね、「全国実行委員会」のメンバーたちは。
 すっから菅が、自慢げに11月7日、「オリーブの木」という言葉だけ、その名前だけを挙げたように(中身はどうでもいいんです、サラダにかけるオリーブオイルのことしか念頭にないんですから…)。
 欧米との一番の違いは、そんな≪天文学的≫な数字の人数や事業計画を挙げなくとも、「協同組会組織」として法人格を取得できることをどうして学んでこなかったんだろうと、どうしてムラづくりに思いも馳せることができないのですか、っていうこと...
 畢竟、エスタブリッシュメント、既得権者のお祭りにすぎないということですね。

 もし、社会経済組織として、ICA(国際協同組合同盟)の哲学、方針、価値にもとづく協同組合であれば5人から、市民5人が集まれば「協同組合」という法人格をとれる、となればですよ、被災地やホームレス、そして引きこもらざるをえない生産人口の人びとが、経済活動ができるんじゃないのでしょうか...
 清掃、復興、復旧、物品販売、農産物の生産と販売、相互扶助、職業教育、いろんな場で、いろんなニーズに併せて、助け合い、つながり、絆のあるコミュニティ、新らしいムラづくりが、この国のあちこちに槌音でなくとも、生まれる音が聞こえてくるとは思いませんか。
 「つながり」とか「絆」とかがわけのわからない曖昧模糊としたきれいごとの掛け声に終わらせるのでなく、それで何が生活再建、未来、家族の結束につながるのか、1%に騙されないよう、99%は具体的に推し進めていかないとね。

 5000人のうちの残りの3000人の、網も舟も人も流され、オキナワに逃げるにしても旅費もない、そういうモト漁師の胸のうちを考えると、ヤッホー君の小さな心臓がまたしてもばくばくしてしまいそうなので、この辺で終わります。
 
 都会の企業戦士たちが被災地にボランティアで入るのもけっこう、けっこう。しかしボランティアは期限付き、帰れる都会のマイホームもあるし、報告できる職場もある―
 でも、マイホームも職場も家族も何もかも失った被災者たちに必要なのは、生きる糧と糧を得る手持ちのお金。
 自ら、額に汗し、掌にまめをこしらえ、働いたら、その労働に対価としてお金を払うことではないでしょうか。
 そのために、何ができるか、ここは、行政も労組も企業も協同組合もメディアも学者も、選民の皆さまがた、お考えくださいませ。
 「け嵐」の次は「初雪」です!

posted by fom_club at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月10日

チシマザサ

 11月6日日曜日午後、「エコギャラリー新宿」でのセミナー会場でのことです。

先生、定点観測によるデータの蓄積とその解析にもとづく緻密なご報告をありがとうございました。
 いろいろと山のようにお聞きしたいことがあります。
 ですが、質問を一点だけに絞らさせていただきます。
 それは、高山植物の花園の衰退、退化、縮小、消失に関し、笹原化現象との関連についてであります。
 先生は、「チシマザサ」のお花畑への侵入と分布拡大への対抗措置として、毎年、笹の地上部刈り取り実験、定期的な刈り取り処理をしていらっしゃる、ということですが、大雪山は国立公園のはずです。
 法的に申しあげますと、山の会では国立公園に入ったら、石ころひとつ、枯れ葉一枚、持ってきてはいけない、とこのように申し合わせておるところでございます。
 まして笹の刈り取りはできない、これは、山小屋の管理人のみならず、ビジター誰もが嘆くことでございます。
 このような現行の法規制と笹原化現象についてどのようにお考えでしょうか?』


 笹は、根によって地下から水分を吸って、葉から蒸散させる、したがって笹が根を張っていれば土壌の乾燥がすすみ、笹が侵食していけば、ますます湿原全体が乾燥化する、という悪循環をひきおこします。
 先生たちは、1m2あたり2Kgもの笹を刈り取って、そこに生育していた植物たちに太陽の光と、水分と、笹がなかったときのような気温と風、そうした生きるための生育の3条件を回復させてあげようとします。
 そうすると確かに、2008年から2010年までの2年、3年で、また高山植物が戻ってくるというお話しなのです!

 ヤッホー君は山歩クラブの山行で、尾瀬のアヤメ平や、車坂峠から地蔵峠のあいだの池の平湿原、雁坂峠から西沢渓谷におりるあたりの斜面一面にひろがっているはずのお花畑が消えて笹ばかり、という風景に愕然としたことがあります。
 また、美ヶ原高原の森林化へのぼやきも聞いたことがありましたし、三窪高原のツツジ、甘利山のツツジ、櫛形山のアヤメは鹿の食害と言っていますが消えてご対面がかないませんでした。燕岳にも鹿が登りかねない、天敵の狼を放つかなんてお話しもお聞きしました。
 ムカシ色がセピア色にかすんで、笹原化、森林化、そしてヒルやダニが大手をふって棲み家とし、外国資本によって荒れた森林が買い占められていく、なんてこの国の山河、はたしてこれでいいんだろうか、と思っていたところでした。

 森を守る、美しいこの国の国土を次世代に美しいまま渡していく、そのために現役世代のやるべきことは何なのか、あるいは世代を超えてとるべき態度や行動とは何なのか、を「自然公園法」や「リゾート法」という立法論議、法改正論議、さらには国際的には生物多様性条約、そして国際森林年という大きな観点に即して、どう山歩クラブは歩んでいくのだろうか、とヤッホー君は考えてしまったのです。

 Q&Aのコーナーに入ってすぐヤッホー君は手をあげておりました。
 大きい胸は大っきな課題に不図、不意に目覚め、しかし幅広の胸に反比例して小さい心臓ははらはら、どきどき、質問はどぎまぎ。
 声はどもり、同じ言葉を繰り返したり、慣れていないもんで、あ〜、う〜がやたら入って、声だけは年取ったせいか音量を絞れば良かったほどの大きさだったのに、内容は要領を得たのか、あたまばかりかいて、すみません、すみませんと何度も謝っていたそうです。

 しかし、そこは場慣れしている北海道大学大学院准教授の工藤岳先生! ヤッホー君の質問をうまくすくいとってくださって、「現代の課題に順応した環境保全と管理計画の策定とその実行の必要性」と、うまくまとめてくださいました。
 ★ 人為的に環境に余計な負荷をかけるような取り組みが必要。高原、湿原には木道や木段を配置する、消費生活も見直す。
 ★ その山、その高原、そのお花畑という地域生態系から地球環境を見つめなおす。そこに生き、暮らしている生き物は脆弱です。だからこそ、その生態系の構造と機能を把握すること。そしてそれを長期的にモニタリングすること。
 ★ 効果的な生態系の保全と管理をすすめていく。その時々に応じて見直すことも必要、と。

 このモニタリング。
日本の国土は、亜寒帯から亜熱帯にまたがる大小の島々からなり、そこには屈曲に富んだ海岸線と起伏の多い山岳など、変化に富んだ地形や、各地の気候風土に育まれた多様な動植物相が見られます。
 このような、日本列島の多様な生態系のそれぞれについて、環境省では全国にわたって1000か所程度のモニタリングサイトを設置し、基礎的な環境情報の収集を長期にわたって継続して、日本の自然環境の質的・量的な劣化を早期に把握します。
 「モニタリングサイト1000」を通じ、日本の長期生態系観測態勢が整いました

http://www.biodic.go.jp/moni1000/index.html

 しかし工藤先生は指摘してくださいました:
 高山は1000ほどのうち、たった5ヶ所でしかありません。大雪山、北アルプス・立山、南アルプス・北岳、白山、冨士山だけなのです。
 ですのでと、リサーチ登山の呼びかけもありました。それには次の要素が必要です:
 ☆ 決まった場所
 ☆ 同じ方法
 ☆ 何回も(季節を変え、何年にも渡って)
 
 北海道の大雪山の場合でしたら、1年間に3ヶ月間、90日しかないわけです。
 モニタリングを42日分集積したということは、2日に一回は訪れて、データ収集していた、ということで、これはその主体形成がきわめて重要なわけです。
 単に大学や研究所など学術機関、あるいは行政だけではなく、山の会、市民団体、大ぜいの市民との「協働」なくしてはできないことなんですよ、と先生はこんなことを言いたかったのだろうと、ヤッホー君は思ったことでした。

 帰宅したヤッホー君、またまた書棚から、そういえば、と旧い『山と渓谷』のバックナンバーをとりだしてきました。その記事とは:

 特別対談 堂本暁子x加藤則芳『日本の国立公園を考える』(2009年3月号)

posted by fom_club at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月09日

もうひとやすみ

 今日もお疲れ気味です、ヤッホー君。
 今日の日記をつけるのをお休みしたい気分…。
 だってさ、西武新宿線「鷺ノ宮」まででかけてたんですって。

11月23日〜11月27日の5日間、本社工場直売店・田無直売店・ひばりヶ丘直売店・保谷駅直売店・鷺宮直売店、以上の五店舗で、お歳暮の特売を実施致します!!
 目玉商品は、ミックスかりんとう! 50%OFFの1375円での販売です。
 5種類の商品をミックスし、1袋250gで袋詰めしたものを1缶に4袋詰合せました。
 その他にも、売れ筋の袋商品8品を定価の25%OFFにて販売致します


 1924年創業の旭製菓(初代、守下吉太郎が群馬県から横浜に出て旭製菓の基礎である雑貨屋を開業
かりんとうを造って販売した) 鷺宮直売店(中野区鷺宮3-17-3 Tel 3330-4158)は健在でした!
 うれしくなったヤッホー君。
 と同時に悲しくなったヤッホー君:

国内産の小麦粉とこだわりの原材料においしい水を使って「生地」を仕込んでいます。
 この生地を昔ながらの大きなスワラの樽で「自然発酵」させています。
 味わい深いかりんとうは、この昔ながらのつくり方によって生み出されるのです

http://www.asahi-seika.co.jp/

 ≪国内産の小麦粉≫なんて、価格競争に負け、安い米・加・豪産の小麦粉にとって代わり、もう誰も作る農家はいなくなるんでしょうね。
 国内で小麦を作ろうなんて思うこの国の人のことを、≪尊攘夷≫派扱いにするそうですから…
 
 しかし、ヤッホー君の尊敬しています小児科の町医者、お医者さんが怒っています。
 貧民のヤッホー君、老後はお医者さんにも診てもらえず、低体温症で、餓死か孤独死、しちゃうんだろうな、とか悲しくなっているのです。
 もしTPPの一翼を担ってこの国がカーボーイ資本主義(武器で兵器で、うざったいと思ったら、チューインガムをかみかみ、大音響のイヤホンで音楽聴きながら、他者を殺処分できる強者の論理)の手下になりさがってしまったら、病気になっても薬も買えず、お医者さんにもかかれなくなるんだろうな…、逆じゃないかな、こんな国民皆保険制度こそ、日本国憲法と同じく、他国に広めていく使命があるんじゃないかな、なんて呟くのですが…、
 
今夕のニュースで、外来定額負担額を、反対が強いから、二段階に分けると厚労省が提案していると報じていた。
 外来受診するたびに、一定額の自己負担を患者に課そうという制度だ。その集めたお金は、高額医療に回すという話だ。
 これまでは、一律一回100円ということだった

 新たな提案では、年収210万円以下の患者さんは、一回50円にするということだ。

 夕食の準備をしながら、噴き出してしまった。

 何としても導入したいと、厚労省のお役人がもみ手をしながら、何とかこれで納得していただけませんか、と猫なで声を出している図が目の前に浮かんだのである。

 年収を区別して、外来で二段階の徴収にあたるのは、医療機関の窓口である。
 そこでの事務的な煩雑さを考えているのだろうか。
 お役人は、どうも医療機関は、自分の配下、部下、否奴隷と思い込んでいる。
 新型インフルエンザ騒ぎの時に厚労省が直接ワクチン配布を指揮して、我々は悲惨な目にあった。
 診療報酬自体も複雑を極め、間違いを起したら、すべて医療機関の責任になり、正当に医療機関が受けるべき診療報酬を取り上げられる。

 もうこれ以上、複雑な制度にするのは止めてもらいたい。

 患者になりうる皆さん、この金額は少ないし大した負担ではないと思うと、トンだ罠に引っかかる。
 どんな罠なのかというと…

 この負担金は、本来保険料で賄われるべきもので、保険制度を破壊する第一歩になるのだ。
 TPPとの関連で取り上げられている、混合診療そのものなのだ。
 今後、この金額は、際限なく高額になる可能性が極めて高い。

 高額医療に回すというのは、詭弁だろう。
 集められたお金を、名目上そちらに回すとしても、それで浮いた予算を他の項目を減らすことに使う可能性は十分ある。
 もしかしたら、官僚の天下り先の「支払い基金」の人件費に回されるかもしれない…。

 この定額負担で生まれた会計がどのように処理されるのか分からないが、総務省が集めている電波利用料のように、省単位で取り扱うとすると、厚労省の新たな利権に結びつく。
 この可能性は、十分考えられる。

 外来窓口で、患者さんの年収を確認して、50円か、100円いずれを徴収するのか判断し、それをお一人お一人に説明し…止めてくれ〜〜〜

混合診療
 公的医療保険が適用される保険診療と、保険がきかない自費診療を併用することで、原則禁止されている。
 保険適用外の治療を併用すると通常は保険の対象となる入院料なども含め全額自己負担となる。
 保険外の治療法も使いたいがん患者らから解禁を強く求める声が出ている一方、日本医師会などは金持ち優遇になるなどとして反対。
 10月に最高裁は原則禁止は適法との初判断を示した。
 国は例外的に混合診療を認める「保険外併用療養費」制度を設けており、先進医療や差額ベッド代などでは、保険診療との併用が認められている

posted by fom_club at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月08日

ひとやすみ

 素晴らしい一週間、毛無山から昨日のイタリア文化会館まで。
 今日はお疲れ気味です、ヤッホー君。
 今日の日記をつけるのをお休みしたい気分…。
 
昨日11月7日、九段下のイタリア文化会館東京内のアニェッリホールでイタリア人ジャーナリスト、ピオ・デミリア氏の著書、『日本の問題』(幻冬舎発行)と、イタリア人カメラマン、ピエル・パオロ・ミッティカ氏の写真集『原発事故20年 チェルノブイリ』(柏書房発行)の出版記念を兼ねたトークイベントが開催された。

 釈然としなかったのは、イベントに先駆けてデミリア氏の「長年にわたる友人」である菅直人前首相が挨拶に立ったことだ。
 なぜ、「よりによって」地震、津波、原発事故の対応にあれほど批判が集まった元の総理大臣を呼んで、本の出版記念の祝辞を述べさせたのか?
 デミリア氏にとって菅氏は親友かも知れないが、我々日本人には同じ民主党員である故西岡武夫衆議院議長から辞任勧告をつきつけられ、国民からそっぽを向かれた政治家である。
 なぜ、日本政府による情報隠蔽をひたすら暴き出し、世界に発信する立場のジャーナリストが、自身の著作の宣伝にこの人物を使ったのか?
 仮に菅氏がまだ総理大臣だとしたら、デミリア氏は彼をこのトークイベントに招待しただろうか?
 そして菅氏はまだ総理大臣の座にあったら、このイベントの招待に応じただろうか?

 イベント冒頭で祝辞を述べ、そそくさと会場を後にする元総理大臣を見て、ある言葉が頭をよぎった。
 視察した避難所で、彼に向かって放たれた被災者のあの一言だ。

「首相、もう帰っちゃうんですか」

 この日参加が予定されていたジャーナリストの鎌田慧氏は結局最後まで姿を現さず、消化不良気味のイベントになった

http://claudiobaglionifanblognippon.at.webry.info/201111/article_11.html

 重い気分なんですね、なんとなく変な感じ、というNHK気分なんです。
 ハン ゲンパツを実効性あるものにするには、現権力、権威との会話を必要とするヨーロッパ的発想法、というのがあるんでしょうね。
 そして「会話」が成り立つ、という互いの信頼関係に基づく民主主義のようなものが…

 もっともっと深く考えていきましょうね。

posted by fom_club at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

チェルノブイリからフクシマへ

★ ピエルパオロ・ミッティカ著『原発事故20年-チェルノブイリの現在-』(2011年10月、柏書房)
【内容】爆心地周辺のゴーストタウン、その近辺にいまも暮らす人々の日常、悪性腫瘍、白血病、奇形の身体……。
 放射能汚染拡散の過程を克明に解説したテキストとともに、日本版のために著者が新たに撮り下ろした福島の写真を収録し、核の恐怖にさらされた現在と未来の姿を同時に告発する。
【著者】ピエルパオロ・ミッティカは1971年生まれ。イタリア在住。
 1997 年にサラエボを撮影して以来、コソボやインド、バングラデシュなど、社会に対して強烈に問いかける写真を撮り続けている。
 本写真集(原タイトル『Chernobyl the hidden legacy』)はヨーロッパをはじめとする各国で高い評価を得た。
 (ヤッホー君注記:医師でもある)
http://www.kashiwashobo.co.jp/cgi-bin/bookisbn.cgi?isbn=978-4-7601-4047-3

★ ピオ・デミリア『日本の問題(2011年10月、幻冬舎)
【内容】3.11の震災直後、即座に東北入りした著者。
 外国人の視点・利点を活かした独自の取材で、日本のメディアでは語られない「日本の歪み」や「被災の真実」「被災者の本音」を明らかにしていく。
 福島第一原発事故に関しては、チェルノブイリの大惨事をきっかけに、国民投票を通じてすべての原子力発電所を停止させたイタリアの一市民の立場から、「日本人は、現在保有している原子力発電が、アメリカの意向で推進され、少数のエリートによって導入されたものだという歴史的事実を認識し、今後は国民的な議論を深めたうえででその是非を決めるべきだ」と主張を展開。
 安全神話に乗せられ、思考停止に陥ってきた日本人の感情に訴えかける、渾身のドキュメント!!
【著者】ピオ・デミリアは、1954年生まれ。
 イタリアのテレビ局 SKY TG24 の極東特派員。
 「現場をまわり、自分の目で見たことだけを伝える」をモットーに、危険地帯も常に「現場」から報道。
 一方で各分野から著名人を招いて会見や講演会をオーガナイズするなど、独自の存在感を発揮している。
 自由報道協会設立準備会メンバー。

 (ヤッホー君注記:弁護士でもある)
…セミナーのチラシから

11月7日月曜日≪チェルノブイリからフクシマへ≫
 原発事故を、撮る!書く!伝える!
 写真家とジャーナリスト、ふたりのイタリア人による2冊同時出版記念トークイベント
【パネリスト】上杉隆(司会)ジャーナリストほか。

http://www.iictokyo.esteri.it/IIC_Tokyo/webform/SchedaEvento.aspx?id=426
 
 そうなんですう。ヤッホー君は今日もお勉強会でイタリア文化会館へ。
 6時開会、入場無料。
 最初登壇したピオさんは奇蹟ですって。なぜかって、「時間通りスタートしました!
 終わったのは8時半を回っていました。
 最後のピオさんの締めのご挨拶は、これまででもっとも良かったです。
 「準備不足で打ち合わせもなしに面白くやることを日本人もしてみるといいよ

 この国の場合、セミナーの多くは、当初予定したとおりに時間通りにはじまって、時間内にすべての案件が終了することを命題にしているから、印刷した資料がどっさり渡され、それを読み上げるだけで終わることが多い、と思いませんかあ?
 いまは、おまけにパソコンからスライドにだして壇のスライドに映し出し、登壇した話者が説明するそのスライドの画面すら、コピーされて会場の出席者に渡されます。
 だから会場で居眠りしていても平気だし、業務命令で「行ってこい」の動員された出席者だったら、上司にそのコピーを渡すだけで用がたりてしまうもんね。

 今晩のケースは、もうはらはらどきどきもの。おまけにピエルパオロ・ミッティカさんに、ピオ・デミリアさんとイタリア人のパネリストが二人も! 会場からの質問もイタリア語!
 会場の一番前に陣取ったイタリア文化会館の館長さんもイタリア語で、なにやらパネリストに話しかけます。

 われわれは、受付けでイタリアのご婦人から、レシーバーを受け取り、同時通訳で聴くことができるのですが、チャンネルの何番はなんで、それに合わせてお聞き下さいも、なんの説明もございません。
 そういえば、駅のアナウンスだって、電車の車内のアナウンスだって、もういい、と言いたくなるくらいに「騒音公害」だと言う外国人、外国生活の長い人は言いますから。
 久しぶりに和式から、洋式セミナーに参加して、「そうなんですよねえ〜」とムカシの若い頃を思い出しましたねえ。
 
 さらに極めつけは、セミナーが終わってから、ホールのロビーで立食会。
 「ことばが分かったら、会場内のやり取りなど、情熱的なイタリア人の議論が手に取るようにわかったでしょうにね」なんて、スパゲッティみたいな細く長いパンなど、イタリアンおつまみを手に取っておしゃべり。
 プラス、本場もんのイタリアワインも奮発でふるまわれ、ついつい「ウーノビアンコ」とお代わりをしつづけ、ヤッホー君は目がまわったそうであります。

 ダツ ゲンパツ イゾンショウ!! ゲンパツより奮発だとか、わけのわかんないことを言いはじめ、鼻歌なのか「ウナ・セラ・ディ東京(1963年)」で、鼻ちょうちんになっていますので、放っておきましょう。
 さ、もうそろそろ、おやすみなさい眠い(睡眠)

posted by fom_club at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

大雪山高山植物

皆さん、こんにちは。
 里での山歩・秋の文化祭企画(入場料いずれも無料)、3日の音楽会(イタリア文化会館)、5日の講演会(豊島公会堂)と無事に終わりました。
 今日11月6日日曜日、早起きして午前中は、「かわら版11月号/知らせ編」をパソコンで受け取れない仲間に渡さねば、と印刷し、袋詰め。発送作業をしました。
 次回の大菩薩峠での鍋パのメニュウをどうするか、仲間と相談して、またご連絡します。お知恵拝借のほど。
 日曜の午後これから、北海道の仲間のご紹介企画、北大の先生発表になる大雪山の高山植物のお話しを聞きに新宿まででかけます。
 では引き続き良い日曜日を!
 山歩きを通していつまでもこころもからだも健やかに、山歩クラブ

 
 一斉回状を送った後、急ぎ新宿に向かいました。
 「新宿区立環境学習センター、新宿区立区民ギャラリー、エコギャラリー新宿(新宿区西新宿2-11-4新宿中央公園内 Tel 3348-6277)」
 
 ぱらぱらと雨がちらつくなか、傘を開いた、ということもあったかもしれませんが、家を出るのがどたばたして遅れたんですう。

(実情をお話しすると、くだんの「かわら版」発送にお手紙をもってかけつけたセブンイレブン、財布を忘れてしまい、出直したんですう。こんなことってありません?
 山歩きの前夜、ストックに「がんばろうね」とか語りかけて、玄関においたにもかかわらず、当日の朝、持ってくるのを忘れた! とかの大失策…)

 新宿駅から短足で嘆息しながら急いだせいか、汗びっしょり。
 でも今日は秋だというのに、梅雨時のようにむしむししていませんでした? 地球温暖化? 都心は。
 うっすら汗をかいて、開始時間の2時ぎりぎりに会場入りしてしまいました。

『「山岳域は多くの固有種を含む多様性のホットスポットであり、地球温暖化の影響が最も顕著な生態系です。
 本研究は、山岳域での広域的な植生変化の定量化、原因解明並びに将来予測を目的としています。
 主要山岳域で進行している植生変化を景観スケールで定量化し、森林帯から高山帯にかけての種多様性形成様式を明らかにします。
 また、物質循環系に着目した生態系機能の解明と脆弱性評価を行います。
 さらに、山岳植物の遺伝的多様性の地域性と多様性維持メカニズムについて調べます。
 遺伝子から景観レベルまでの分野横断的な研究手法の構築により、山岳生態系の温暖化影響診断を行ない、変動気候環境下における生態系保全と生物多様性保全政策への提言を行います

(「気候変動に対する森林帯-高山帯エコトーンの多様性消失の実態とメカニズムの解明」、地図で発見!身近な環境研究、環境省)
http://www.env.go.jp/policy/kenkyu/special/seika_map/data/D-0904.html

 良かった、です。

(実情をお話しすると、昨日の岩崎先生の講演会、素晴らしい先生のお話しに納得できる、と頷いていたら、あたまも自然に頷き始め、こっくり、こっくり。男性陣3人、いずれも頭を垂れたいたそうな…いいの、いいの、だって実りの秋、稲穂も実りの秋で重いんですからあ〜)
 
 今日、お話しされた講師は、北海道大学大学院准教授の工藤岳氏。
北海道大学大学院地球環境科学研究院准教授 工藤岳。
 1962年東京都練馬区生。
 幼少の頃は昆虫採集に熱中する。
 東京農工大学林学科時代にワンダーフォーゲル部で山登りにのめり込み、日本全国の山に登る。
 その傍ら植物の魅力に惹かれるようになり、高山植物を研究するため北海道大学大学院へ進学。
 北海道大学大学院環境科学研究科博士課程修了。
 日本学術振興会特別研究院、新技術事業団科学技術特別研究員を経て、北海道大学地球環境科学研究院准教授。
 大雪山を中心に野外フィールドワーク調査を行い、雪解け傾度と季節性をキーワードに、植物の繁殖生態学や適応進化を日々研究中


 終わってヤッホー君。無料というのは心苦しい、とさっそく、本を購入しておりました:

特定NPOアースウインド リサーチ登山花ボランティア部『開花調査のための大雪山高山植物ハンドブック 2012年版』

 ヤッホー君の一番お気に入りの花、ミヤマキンバイ、第二番手のチングルマ、そして鼻の差で追う花等、コマクサもヨツバシオガマもでてるんですもん。
 こんばんはぐっすり寝て、忙しくなりそうな月曜からの週に備えることができそう、あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た!

 追伸/
 今日の主催者、特定NPO「アースウインド」は、会員を募集しております:
年会費 1万円
特 典 年3〜4回のニュースレター
2012年7月15日日曜日、大雪山の花園へ登山(赤岳〜小泉岳)に案内してくれます。
集 合 赤岳銀泉台登山口 午前7時集合 解散は午後4時予定(路線バス利用)
申込み アースウインド Emailは、yokosukaとe-wind.orgのあいだにアットマーク入れてください。
会 費 ゆうちょ銀行に振り込んでください。問い合わせ先はこのEmailへ。

posted by fom_club at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

豊島公会堂


健康と山歩きをテーマにした「第27回東京新聞生活セミナー」を開きます。参加費無料。
 登山インストラクターの岩崎元郎氏が「山歩きで健康づくり〜山に登ると元気になります〜」について講演。続いて「日本の山、世界の山〜自然が一番〜」と題してスライドショーを行います。詳細は東京新聞ホームページで

(2011年10月1日掲載東京新聞)

 今日の土曜日、11月5日に向かおうとしているのが池袋、豊島公会堂。
 来年築60年ですって! すご〜い。
 いまは名称が変更していましたね、「みらい座いけぶくろ」!

来年築60年を迎える豊島公会堂のレトロな会場での公演にあたり、合唱団員の方々が、早い時期から話し合いを開始してアイディアを出し合いました。
 そのなかでも大切なことの一つは、豊島公会堂での公演は合唱団として原点に戻る機会でもあるということです。
 区民の方々はもちろんですが、過去に区民合唱団に参加された方々にも届いてほしいメッセージを込めました

(指揮・総合プロデューサー/坂本和彦)

 この演奏会は、豊島区民手作りの公演です。
「むかし、今、そして未来」をつなぐプログラムで、楽しい音楽を通して歴史をたどっていきます。
 来年築60年を迎える豊島公会堂から「勇気・元気・前進」といったエールをお届けし、会場が音楽の輪で溢れるよう、趣向を凝らしています。
 皆さまのご来場を心よりお待ちしております。

(豊島区民合唱団員による「みらい会議」実行委員)

(としま区民芸術祭/区民でつくる演奏会、いっぽ・イッポ・み・ら・い・へVII つなげよう むかし、いま、そして未来へ…)
http://www.toshima-mirai.jp/performance/1112.html

 山歩クラブも来年、活動を開始してからちょうど10年を迎えます。
 10年を a decade と言うなら、ちょうど1サイクル回ったところです。
 今日のお話もきっと原点に戻る、ヤッホー君の亡父がいつも色紙に書いてくれた「初心不可忘」ですね、あのころの気分、思い、情熱を思い出して、そして次に繋げていければそれで良し、きっといいお話しが聞けて、また皆んなで笑顔で話しの輪が広がり、会話が盛り上がるのではないか、とヤッホー君は今朝、思ったことでした。
 ボンジョルノ、チャオ、チャオバンビーノ!

posted by fom_club at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

山はいのちをのばす

 昨日の音楽会の第一部で、念願のバリトン、川田知洋の歌声を聴くことができました。
 素晴らしい声の持ち主でした、ほんの短い時間でしたが、酔いしれました。
 ありがとう!まだあたまのなかにこだましています。

『尋常小学校教科書からの童謡(チマッティ神父 1926年作曲)』…

  飛んできた 木の葉
クルクル クルクル 回って
  蜘蛛の巣にかかり
  風に吹かれて
  ゆらゆら ゆらゆらすれば
  蜘蛛は虫かと寄ってくる


 大自然、その自然の藪のなか、木の葉と一匹の蜘蛛とか、蜘蛛の巣だけしかないワンショット、しかしその小さな、小さな生き物たちの死と再生のドラマ。
 クルクル、ゆらゆら吹かれて回って、そよ風に揺れる…、軽やかな曲線の遊び…いいですねえ〜

 チマッティ神父の書簡には、こんな言葉も:

あなたが登山できることをうらやましく思います。
 仕事のために参加できないのは残念です。
 私も登山家のこころをもっています。
 もし若者たちが積極的にそれに参加すれば、多いに得するでしょう。
 わがエットレ君、登山は身体だけでなく、精神にも役立ちます。
 そのためには、登山に際して目、耳、心を開いて、常に話しかけておられる神の声を聴く必要があります。
 願わくは、あなたがその声を悟り、神との一致を保ちますように

(カルカーニョ・エットレ、教え子へ 1925年4月28日)
(前掲書『本人が書かなかった自叙伝』より)

 事実、山に入ると何か元気と勇気と力をいただいてこれる、ヤッホー君にはそう信じているふしがあります。
 きっとそれは、ヤッホー君の書物の上での恩師のいろんな言葉もこだましているのかも知れません:
 
現世への欲を捨てて、無心になって登ること…
 私はキリスト教徒ですけれど…、自分が山を歩くのは、山を通して神が大自然の気を吸わせてくださるのだと感謝している…
 山の中では人間はまったく平等です。自分の力で自分と仲間が立てた予定をこなしていくのです。
 社長も部下もありません…
 この騒がしい、うす汚れた世間から、せめて1ヶ月に一度でも抜け出して、大自然のなかに身を置くことは、いのちの救い、いのちの癒し、いのちの糧になるのではないでしょうか…
 この世の価値と山の自然の価値はちがうということがわかっているので、世俗の世界を自慢するのは恥ずかしいということが自分でわかる…
 私はキリスト教徒なのに、あの人が憎い、この人が恨めしい、私はいじめられた、やっつけられた、そんなことへの口惜しさや恨みは、大きな自然にふれることで雲霧のように消えました…

(田中澄江『山はいのちをのばす』1997年、青春出版社)

 『花の百名山』の著者、田中澄江(1908-2000、東京都名誉都民)のこの文庫版は、山歩クラブの初期、2003年か2004年のころ、皆んなで共同購入しました。
 そして江東区森下文化センターで開いた月一度の「スローフードと山の会」という例会で読みあったものです。
 しかも声に出して、輪番で音読していく読書会を開いて学びあったものです。
 また読書会を再開してみたいね、提案しようかな、少人数でも良い…
 こんなムカシのことを思い出したのも、明日は山歩クラブから6人で、ヤッホー君に山を目覚めさせてくれた恩師、岩崎元郎(1945年生まれ)先生のお話しを聞きに、池袋まででかけることになっているせいかも知れません。

posted by fom_club at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月03日

チマッティ神父

 ヤッホー君のブログ、先月の日記で何度となく取り上げてきました、あの元祖「なでしこジャパン」ご一行様の大、大修学旅行は1931年。
 いったい、どんな時期だったのでしょうか…

国民にとって、現在の経済状況が厳しく、病気が流行し、栄養が乏しいことを考慮すべきです
(宣教師へ 宮崎 1931年2月16日)

ガエタノ・コンブリ編訳『チマッティ神父、本人が書かなかった自叙伝』(2011年10-月、ドン・ボスコ)上巻

 11月3日文化の日、午後2時からチマッティ・コンサートを聴き終え、九段南の「イタリア文化会館」をでたときは5時前。もうあたりは秋の黄昏時でした。
 こんな素晴らしい音楽会が無料で、こんなに気分を晴れやかにしていただいたのに無料で、このまますい〜っと会場を出たんじゃ、江戸っ子がすたるとヤッホー君、ロビーでついにこの本を購入していました。

 編訳者は神父さま。あまりにも早く着きすぎたわれわれと、リハーサルを終えて、ホールをでてランチをとろうと弁当を開けた神父さまと、ロビーでいっしょ、お隣り同士。神父さまは、弁当の醤油の小袋がなかなか開けられず、お困りの様子だったとき、われわれと会話がはじまりました。
 とても人なつっこい方で、30年前には中国に行き、北京で一番大きな教会、それに万里の長城を視察に行きました、と山歩クラブの中国人の仲間と会話が弾んでいました。

 神父様は1955年、25歳で宣教師として船で来日し、横浜港で上陸してらっしゃいます。もう56年にもなるそうです。と言うと中国人の仲間は指を数えはじめました、うっそう〜、そうはみえないよ! いまは調布市にある「チマッティ資料館」の館長さんで、余生を、恩師チマッティ神父にささげていらっしゃるそうです。

 チマッティ神父は、というと、1879年生まれ。
 1926年47歳で日本の地を踏みます。
 以来日本の難しい時期、戦前、戦中、戦後の40年を日本で過ごします。
 1965年に亡くなります。享年86歳。
 
 そうした意味で、この本は、「外国人宣教師が見た昭和史」です。

 チマッティ神父『一行は、1925年12月29日ジェノワ港を出て、1926年2月8日門司港に入った。
 すぐに司教に挨拶するため長崎へおもむき、17日に目的地の宮崎に着いた。
 そこで、難しい日本語の勉強と新しい生活に慣れることに一年をあてた後、1927年2月から、パリミッションが譲ってくれた宮崎、大分、中津の三つの教会を受け継いで、チマッティ神父は宮崎教会の主任司祭となった。
 1928年、宮崎県と大分県は独立宣教地区として認められ、1935年に知牧区となった。
 チマッティ神父はその教区長の任務を負い、その指導の元で田野、高鍋、都城、別府、延岡など、次々と新しい教会が設立され、信徒数も年々増えてきた。
 1930年、若い神学生9人と、サレジアン・シスターズ6人が来日した。働き手が増えたが、神学生を養成する場所や人材が必要となったが、1929年の世界経済大恐慌により、日本も大変な不景気に陥っていた。
 事業を支えるためのチマッティ神父の苦労が言葉で言い表せないほどであった。
「パンがない」と、イタリアの本部に電報を打ったこともあった

(来日初期のチマッティ神父)
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/life/beforelife5.htm

 元祖なでしこジャパンご一行様は、いったいどんな格好で歩いたのでしょう…いまになって、気になるヤッホー君。だって、この本に載っている1930年頃、当時の写真にでてくる学生たちは、着物を着て、下駄履きなんだもん。 
 そして今時分の学生たち。本日のコンサートで喝采をあびたのがサレジオ高専の男女の学生たち。チマッティ神父45歳、来日直前の1924年作曲したオペレッタ「Raggio de Sole」にあわせて、サイコウのモダンダンスを披露してくれていました。

 でも大変だったんですね。文化祭終わってすぐの集中練習もさることながら、学園では大変な事件が起こっていたようで…すぐ切れる今時の子って、どうなってんでしょうか…

文化祭中の高専で顔見知りの男子学生を刺して現金を奪ったとして、南大沢署は10月31日、調布市在住の無職少年(19)を強盗傷害容疑で逮捕した。
 「無視されて頭にきた」と容疑を認めているという。
 逮捕容疑は10月30日午後5時ごろ、町田市小山ケ丘のサレジオ工業高等専門学校の教室で、同校の男子学生(19)の右足をナイフで刺し、現金5000円を奪ったとしている。学生は軽傷

(2011年11月1日付け多摩版毎日新聞、強盗傷害:調布の少年、容疑で逮捕/東京)
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20111101ddlk13040328000c.html

posted by fom_club at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イタリア文化会館東京

チマッティ神父。
 46才で来日。
 1935年、宮崎は「知牧区」に昇格し、初代教区長となる。
 1937年、日本サレジオ管区が設立され、初代管区長となる。
 1965年、86才で神に召されるまで、心から日本を愛し、宣教師として活動を続けた。
 その類稀な音楽の才能から、生涯900曲以上も作曲し、日本各地で演奏活動を行った。
 また、農学部で自然科学の博士号を修得したチマッティ神父は、一生の間、自然に対して深い関心を示した。
 師にとって、「自然は神に創造されたものであり、それを通して神の知恵と愛を悟ることができる」と言っていた。
 チマッティ神父は日本の文化や考え方に深い尊敬と理解を示し、多くの人びとの心を勝ち取ることができた。
 その生涯は、神への想いと、人びとに捧げられたものだった

(イエスのカリタス修道女会、写真で見る歴史、約束の地 宮崎へ)
http://www.m-caritas.jp/02csm/ayumi-03.html
 
 今日11月3日文化の日、これからでかけるイタリア文化会館アニェッリホール(千代田区九段南2-1-30)での「イタリア建国150年記念チマッティ神父作曲コンサート」。
 ここで唱うバリトン歌手の川田知洋さんについては、ヤッホー君のこのブログ、10月12日の日記「山びこ」に登場しています。
 11月20日の東京公演、もう会場が満席で聴けません。
 がっかりしていたところに、本日のコンサートに出演し、喉を披露してくださるという貴重な情報を伝えてくれた仲間がおられたのです、感謝、感激、あめあられ。
 
 なぜ、川田さんが、ご出身もそうなんですけど東京公演の前に宮崎公演だったのか、一番上の記述でわかりましたよね。

数年前に70歳くらいになる大学の大先輩にこんなことを助言されました。
「自分の入っていく隙間を見つけなさい」と。
 世の中に音楽家はたくさんいます。
 そのライバルと、しのぎを削って生き延びていくために、「これだけはやってきた」と誇れるものをもっていることが大切だと、わたしは解釈しました。
 そんなときに出会ったのがチマッティ作品(故郷・宮崎と縁のある作品)でした。
 自分しか手を出すことができない分野だと感じました。
 そして、一研究者として芸術的に演奏研究してみようと考えました

(宮崎公演を終えて2)
http://musicawata.exblog.jp/14859026/

『イタリア文化会館は、イタリア文化の普及を目的に活動するイタリア政府の機関で、世界の90の都市にあります。
 イタリア文化会館は、我々が「イタリアンシステム」と呼ぶ、国の姿を多角的に紹介し、文化協力や交流活動を推進していくとともに、現在いっそうの高まりを見せているイタリア文化への関心に応えるためにさまざまな活動を行なっています。
 それはまた、大使館や領事館がすでに行なってきた活動をサポートし、古代から現代に至るまで、文化活動、対話や交流の場となってきたイタリアとその文化をより深く知っていただくためのより良い方法を追求し、提示することでもあります。
 2005年に全面的に建て替えられたイタリア文化会館の建物は、イタリアの建築家ガエ・アウレンティの設計によるもので、372席のホールをはじめ幅広い文化催事を可能とする設備を擁しています』
http://www.iictokyo.esteri.it/IIC_Tokyo/

 イタリア文化会館では、来週2011年11月7日月曜日18時(開場:17時30分)より、今日の音楽会の会場であるホールで「チェルノブイリからフクシマへ」へという企画もあります:

今秋チェルノブイリを写真におさめたピエルパオロ・ミッティカ氏の「原発事故20年」と、外国人ジャーナリストとしていちはやく福島の原発事故を取材したピオ・デミリア氏の「日本の問題」が出版されました。
 この2冊の出版を記念して、二人の著者のほか原発問題に詳しいゲストの方々を迎え、トークイベントを開催します。
★ トークイベント参加者
司会:上杉隆(ジャーナリスト)
話者:ピエルパオロ・ミッティカ、ピオ・デミリア、鎌田慧(作家)、中島麻美(編集者・記者)      
☆入場無料(メールで要予約)

posted by fom_club at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

岡村孝子

『本当にありがとうございます。すごく助かります。どうぞよろしくお願いします』
 なに? なんで、ヤッホー君は11月2日水曜日、かくもありがたく、ありがたがられているんだろう? こんな返事をしていますよ! 
『お礼はいいです。
 お子様には、自分の夢がかなえられるよう精一杯、がんばることを願っています。
 周りが応援しています。
 いま好きな歌ができました。それは、岡村孝子(1962年生まれ)の「夢をあきらめないで」です。

 岡村孝子「夢をあきらめないで 2011」
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=k7OOAIUlaKQ&feature=fvwp

 そして、2011年9月7日発売予定の5年ぶりのニューアルバム『勇気』の楽曲を、最新映像とともに
http://www.youtube.com/watch?v=kjw-KUDFccY

 たとえ夢が実現できなかったとしても、若いときにがんばったことは、ゼッタイ、お子様の将来の人生の歩みのうえに、灯台の光となって輝きます、必ず。

 高村光太郎の詩「道程」にあります:

「僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る」


 そしてお子様にはきっと将来、この美しい国をもっといい国にしてもらえるよう一生懸命、働いて欲しい、ただそれだけを希望しています。
 何も選民にならなくとも良い、どぶ板をはいずるまわるような仕事で良いじゃあ、ありませんか』

 選民vs貧民 …
 ヤッホー君は、補筆してもいいですかぁ? と聞いていますので、皆さん、お許し下さいね。

(1) TPP… この国、そしてこの国に住むわれわれのためでなく、アメリカのご機嫌取りであることが、毎日新聞の記事に明記されています。
 政府がそうなら、昨日の大労組もそう。
スイスでの国際会議に「出張」して、ただただ集団で右往左往して、情報収集するだけ。
 国際会議で自己主張も意見も述べない、そして帰国した大労組の大会で海外の情勢を報告し、満場一致で TPP 参加を決議、後押しする! なんて、大企業の大労組幹部はケイダンレンと同んなじで、この国、そしてこの国に住むわれわれのことをちっとも考えてくれてなんかいない、いや労働者ムラの選民の自分たち、その身内と家族だけ、自分たちの老後のことだけしか考えていませんよね、やはり。
 ひな壇に並んでフロアの椅子に座る代議員を見下ろしている輩は、1%なんですう。

≪TPP:政府のTPPに関する内部文書(要旨)
…毎日新聞2011年10月28日東京朝刊より。削除される前に引用しておきます)≫

▽11月のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で交渉参加表明すべき理由
・米国がAPECで政権浮揚につながる大きな成果を表明するのは難しい。日本が参加表明できれば、米国が最も評価するタイミング。これを逃すと米国が歓迎するタイミングがなくなる
・交渉参加時期を延ばせば、日本は原加盟国になれず、ルールづくりに参加できない。出来上がった協定に参加すると、原加盟国から徹底的な市場開放を要求される
・11月までに交渉参加を表明できなければ、交渉参加に関心なしとみなされ、重要情報の入手が困難になる
・韓国が近々TPP交渉に参加する可能性。先に交渉メンバーとなった韓国は日本の参加を認めない可能性すらある
 ▽11月に交渉参加を決断できない場合
・マスメディア、経済界はTPP交渉参加を提案。実現できなければ新聞の見出しは「新政権、やはり何も決断できず」という言葉が躍る可能性が極めて大きい。経済界の政権への失望感が高くなる
・政府の「食と農林漁業の再生実現会議」は事実上、TPP交渉参加を前提としている。見送れば外務、経済産業両省は農業再生に非協力になる
・EU(欧州連合)から足元を見られ、注文ばかり付けられる。中国にも高いレベルの自由化を要求できず、中韓FTA(自由貿易協定)だけ進む可能性もある
 ▽選挙との関係
・衆院解散がなければ13年夏まで国政選挙はない。大きな選挙がないタイミングで参加を表明できれば、交渉に参加しても劇的な影響は発生しない。交渉参加を延期すればするほど選挙が近づき、決断は下しにくくなる
 ▽落としどころ
・実際の交渉参加は12年3月以降。「交渉参加すべきでない」との結論に至れば、参加を取り消せば良い。(取り消しは民主)党が提言し、政府は「重く受け止める」とすべきだ
・参加表明の際には「TPP交渉の最大の受益者は農業」としっかり言うべきだ。交渉参加は農業強化策に政府が明確にコミットすることの表明。予算も付けていくことになる

http://mainichi.jp/select/biz/news/20111028ddm005020026000c.html

(2) ゲンパツ… 
九州電力という会社は、よほど世情にうといのか、それとも聞く耳を持たぬのか。
 人為ミスは機械の故障以上に恐ろしい。
 なのに拙速な再稼働。
 原発に対する不安と不信はまた一層深まった。

 九州電力は、定期検査で運転停止中の玄海原発2、3号機の再稼働をめぐり、第三者を装った社員らが再稼働の希望を寄せた「やらせメール」問題で、「原発再開のためなら何でもするのか」と指弾を受けたばかりである。

 その後、この問題について自ら設置した第三者委員会と、佐賀県知事の関与をめぐって対立したが、最終報告書の再提出にも応じていない。
 経営トップの進退問題も、うやむやにしたままだ。

 その上、今度は検査ルールのすき間をつくような、4号機の強引な再稼働である

(東京新聞2011年11月2日社説「玄海原発再開 不信はまた深まった」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011110202000056.html

 こう首を傾げたメディアだって、「反原発」ふうの姿勢をとった途端、広告収入が減ったって、ホント? ウソ?
 そう言えばムカシ、交通事故のことを記事にすると、クルマメーカーの広告収入が減るから書けないって聞いたことがありました、これはホント? ウソ?

(3) 99%の人びと…
米東部は10月29日土曜日、例年よりも一足早い大雪に見舞われた。
 ニューヨークのセントラルパークも雪化粧し、10月としては1876年の観測開始以来初めて、約3cmの積雪を記録した。

 反格差のデモや座り込みを続ける「ウォール街を占拠せよ」のグループは、防水シートや寝袋で雪に対抗。
 真冬に向け、関連ウェブサイトで、コートや手袋など防寒具の寄付を求めた…
 米国の一大イベントであるハロウィーンを10月31日に控え、子どもらには天からのプレゼントとなり、雪だるまを作ってはしゃぐ姿もみられた

(東京新聞2011年10月31日朝刊「米東部 おにうんハロウィーン積雪」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011103102000030.html

 明日は文化の日。ゲイジュツの秋です!
 グラムシの国、イタリアが今年、建国150年を迎えたというその協賛行事に出席してきます。
 「イタリア文化会館」でイタリアのカンツォーネに浸ってきます。
 山歩クラブの5人の仲間たちと出かけてきます!チャオ!

posted by fom_club at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アース・ウィンド(北海道)

 "今晩は!(^^)!" と北海道の仲間よりコメントをいただきました:

いつも読んでいます、ありがとうございます!
 「ためしてがってん」は録画しました。
 息子が毎度換気扇の下で吸っていて、なかなか禁煙の行動をしてくれないので困ってます。
 
 10月30日の日曜日、家の近くの毛無山(標高差540m)で、笹刈登山でした!
 疲れました…頂上迄20分は、笹が被さっておりましたが、時間切れで来春に持越しです。
 こちら、山は紅葉の盛りが終わり、眺望が良いです。
 近くの駒ヶ岳が木曽駒に登った晩夏、宝剣山荘から見た宝剣岳に似ているのを発見しました。
 いまは火山活動中で登れません!

 来年は裏銀座も良いですね。
 5月は屋久島はいかがですか?
 篤姫の鹿児島に寄って…、観光ツア−では無理なのでお願いいたします!!』


と、まあ、来年の企画ご提案まで。ありがとうございました!

 そして、以下の貴重な情報も…

大雪山開花調査報告会のご案内
 皆さま。
 この度東京新宿で「高山生態系の調査報告会」を行ないます。
 3年続いて受粉できないと高山植物群落は消滅するとされていますが、気温が高いと高山植物群落はどのように変化したか、昆虫と花の受粉に変化はあったかなどを報告します。
 興味ある方はおいでください。

========================================

 大雪山の黒岳と赤岳に調査地点を設置して、高山植物開花状況を調査しています。
 人間活動の及ばない高山で高山植物の開花状況を調査し、生態系の基礎データを収集するボランティアを継続しています。
 このデータは、北大地球環境研究院准教授工藤岳さんによって解析され、毎年、報告書を作成し、国立公園の共有財産として公開しています。
 この度、2010年の猛暑だった年度の報告をいたします。

日 時;2011年11月6日(日)14:00〜16:00
会 場;新宿区立環境学習情報センター
エコギャラリー新宿
    (新宿区西新宿2-11-4新宿中央公園内、
Tel 3348-6277)
参加費;無料
申込み;資料準備の都合上、申込みをとりますが、飛び込みも歓迎
連絡先;NPO法人アース・ウィンド(北海道)
U R L : http://e-wind.org/animal/study.html

posted by fom_club at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月01日

霜月

 11月。
 毛無山の続編を書いていきたいヤッホー君、しかし、どうしても3点だけは大状況に対してモノ申したいことがあるようでして、ごめんなさい、許してあげてください。

 第一点。TPPについて

国益について見極めも不十分なまま拙速な判断と言わざるを得ない。
 野田佳彦首相は、環太平洋連携協定(TPP)の交渉に参加する意向を固めた。11月12、13日にハワイで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で表明する見込みだ


(東奥日報2011年10月31日月曜日社説「準備不足では国益損なう/TPP交渉参加へ」)
http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2011/sha20111031.html

 この背景には政権を支える大労組の大声援も受けてのことのようです:

2011年10月26日午前9時から10時半まで、都内竹橋にあるKKRホテル東京で、「TPP交渉への早期参加を求める国民会議シンポジウム」が開催され、経営者、学者、労働組合などから400余名が参加した。
 同国民会議は、TPP交渉への早期参加を求める推進会議で、伊藤元重東京大学教授、白石隆政策研究大学院大学学長、田中明彦東京大学教授、本間正義東京大学教授の4人が代表世話人となっている。
 賛同人として大学教授・研究者、経営者団体代表などに加えて、労働組合としては金属労協(IMF-JC)の西原議長が名を連ねている。
 シンポジウムでは、代表世話人の一人白石隆政策研究大学院学長の開会挨拶に続いて、基調講演に移り、基調講演1として代表世話人である東京大学の伊藤元重教授から「何のためのTPP参加なのか」について、基調講演2として同じく代表世話人である東京大学の本間正義教授から「日本農業の復興とTPP問題」について基調講演を受けた。
 この後、白石代表世話人の司会で経営者、組合、農業事業者、学者をパネリストにパネルディスカッションを行なった。
 パネリストの1人として金属労協の若松事務局長が参加し、金属産業の労働組合の立場から、TPP交渉への早期参加を求める発言をした。
 最後に、決議文書を参加者全員の拍手で採択してシンポジウムを閉会した


(IMF-JC公式サイト『「TPP交渉への早期参加を求める国民会議」シンポジウムを開く』)
http://www.imf-jc.or.jp/

 ヤッホー君が言いたいのは、政労使の合意形成のためにも、各職場で労働者の集う場である組合をつくって、使用者側に労働者側の意見を述べる交渉の場を設けることです。
 そうすれば、職場環境で躓くことも、鬱で倒れることも、搾取されることもない、と思います。
 そうした場は、99%の大ぜいの働くもの、労働者、勤労者の絆、繋がり、連帯、話し合い、共闘、共感の輪がひろがるところなのです。
 その集まった力が、政治の舞台をも動かしうる力となるはずです。このIMF-JCのように。 

 ふたつ目。ゲンパツについて:

作業手順の誤りで自動停止した後、地元の佐賀県玄海町長や同県知事が再稼働容認の姿勢を示した九州電力玄海原発4号機について、経済産業省原子力安全・保安院の森山善範原子力災害対策監は1日、「停止原因が分かって対策は取られており、安全上の問題はない」と述べた

(2011/11/01-19:34更新 時事ドットコム『保安院「安全上問題ない」=再稼働容認の玄海原発4号機』)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011110100901

枝野経産相は「保安院が今の仕組みの中で適切な手順を踏んで、(4号機は)ストレステストの対象外ということを九電に伝えている」とした上で「(再稼働は)地元理解を得られるのか、九電が自主的に判断すべき」とした…
 トラブルで止まった原発をストレステストの対象外としたことについては「ストレステスト(導入)の時に議論したのは定期検査で止まったケース。今回は定検を要する場合ではないので別次元の話」と説明した


(2011年11月01日更新佐賀新聞『「九電が自主的に判断すること」再稼働問題で経産相)
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2074356.article.html

 地元では…

岸本町長は「立地自治体の同意が必要ないことを国にも確認した。九電(の判断)が(再稼働に)大きなウエートを占めている」、「人為的ミスをなくすよう徹底してほしい」と求め、事実上容認する姿勢を示しました。
 この会談後、山元副社長は「早ければ一両日中にも再起動して、今週内にも通常運転(稼働)に復帰させたい」と語ったということです


(「九電によると、4号機の原子炉を1日午後11時ごろに再起動し、2日午後から発電も再開する予定」)
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/9007caeac9e440b7e62be2adb4010564

 政治主導もなければ、99%の声が聞き届けられることもない、NHKな、なんとも変な感じの国になってしまったようです。
 そんな11月、1日から労働基準局が「労働基準関係情報メール窓口」を開設します。
 それが三つ目、厚労省の労働時間適正管理化キャンペーンです。

〜労働基準関係情報メール窓口〜
実施時期:平成23年11月1日(火)から
URL:http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/mail_madoguchi.html


 こんな例文を考えてくださったのが北岡大介先生(社会保険労務士・元労働基準監督官):

労基法違反の内容
 同社は●○の卸小売を主に営む会社であり、従業員●名であるが、私を含む社員○名に対して●月、80時間〜100時間以上の残業を行わせているにも関わらず、残業の自己申告時間を上限月30時間とし、これを超えた自己申告を受けず、月30時間を超えた残業代を平成○年以降、一切支払っていない。
 自己申告と実際の就労との矛盾点については、各自に支給されているPCのログインログオフ記録を確認することで判明するもの。
 長時間労働のため健康を害する同僚もいるので、なるべく早く労基署の調査を希望する


http://kitasharo.blogspot.com/2011/10/blog-post_1795.html

posted by fom_club at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする