2011年10月31日

山梨百名山の標柱

 秋山…
 カッシー、ほら、毛無山の山頂付近の木々はすっかり葉を落とし、もう冷たい強風、そしてちらつく雪に備え、冬への準備をしてたよね、でもほら、この辺まで下ると、まだ紅葉、黄葉が見られるよねえ、山に生きる生物は、ほんのちょっとした環境の変化、気温の変化、風の変化にも、敏感に対応できるんだよねえ、すごいねえ、生きてるってさ、生きるってさ、すごいことだよねえ、山桜もブナも来春までお休みだよ、おやすみなさい。

 そんな晩秋の毛無山を7時間半もかけてゆっくり、ゆっくり歩いた4人組。ヤッホー君のサイトを見てくださっている方々より、激励のコメントが:

★ お疲れ様でした。雨に降られず、良かったですね。下山路は大変だったようで…。でも皆さんご無事でさすがです。
★ ええっ、そんなに長時間?良かったですね。私も下界からどんな山だろうかなと想像していました。お疲れ様でした。
★ お疲れ様でした。すごいですね。


 この冨士山の西側の山塊と富士川のあいだによこたわる山々を「天子山塊」と呼び習わし、われわれが登ったこの毛無山がこの山塊の最高峰なのです。

頂上には、私達「やまびこ」の会員有志が8年前、交替で担いで登り建てた山梨百名山の標柱が今でもある
http://www.h5.dion.ne.jp/~kinazuf/page036.html
 4人の"自称"つわものどもの記念写真も、お冨士さまとこの標柱の前です(でも、山梨百名山の標柱は本当はこの横にあるんですけどね!ま、いっか)

山頂.jpg

 さらにこのブログともリンクをはってくださっているタムさまのブログ「私達の山旅日記」ではすでにご夫妻で2007年5月2日に登られていますが、そのブログによりますと、全国に29座もあるという毛無山のなかでの最高峰が、昨日われわれが登った山なのです。

 そして、この標高差1100mを登り下りできたのだから、あとは自信をもって山人生を歩んでいただきたい、山歩きは有酸素運動だから、山から力をいただいて生活習慣病なんて、もしかすると、ご自分の生活改善とあわせ、自然治癒ができるかもしれない、がんばりましょう、応援しています!ゴホン、ゴメン、ゴハンとヤッホー君は山仲間を諭しておりました!
 だってさ、3000m級の登山を目指すもの、この直登コースを試してみなさい、と大倉尾根に次ぐ人気のトレーニングの場なんですよ。

 でも10月最後の日曜日、ヤッホー君の仲間には、さらにこんな"つわもの"も:
『私たちは丹沢縦走。1泊2日で檜洞丸から蛭が岳→丹沢山→塔の岳→表尾根→ヤビツ峠に行ってきました。
 夕焼け&御来光の両方とも見られました。
 夕焼けは山頂に16:30過ぎに到着でぎりぎり間に合いました。
 御来光は雲海から見られたことと、霧が鞍部の所を滑るように流れている現象も見られ最高でした。
 ですが、山小屋に水場がないため飲み水&食事用の水を7.5g位(命の水も含め)持ったため、ザックの重さが16〜18`になり大変でした。
 西丹沢教室から蛭が岳まで6時間チョッと歩いてヘロヘロになりました。
 登山道はあまり歩いていないせいか、荒れ放題のうえ倒木が多く歩きにくかったです。
 蛭が岳直下は崩壊がひどくヘロヘロの状態では危ないですね(丹沢山方面からは綺麗です)。
 今は筋肉痛です(相棒はもっとひどいと思いますよ)』


 さらに、湯河原の先、幕山の岸壁でロッククライミングの練習にいそしんだ友も。
 だってさ、秋山って、本当に気持ちいいんだよ。さ、次はどこ、歩こうかな…

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2011年10月30日

毛無山

冨士.jpg

 5時に車庫を出て3人をお迎えに行き、毛無山1946m(一等三角点、日本二百名山、山梨百名山)に目的地設定したら、ナビさまは、新宿経由中央道経由。
 ナビさまにさからってはいけません、は、はあ〜、左様でござりますかあ〜
 宝永火口への月例山行のときのように、渋谷経由東名道から富士宮市通過で行くのかな、どっちだろうと胸がばくばくしていたのですけど…
 高速道はすいすい、登山口駐車場到着は8時前、8時10分には歩き出していました。
 
 カッシーとは土曜日にお互い、ていねいに、ていねいに、メールで道迷いしないよう、予習しておりました。
 無料の駐車場にするか、有料の駐車場にするか、その場所と登山ルートの確認を含めて、下調べはきっちり行なった上での出発としました。これが効きました。無事に山に分け入ることができました。
 1合目〜9合目まできちんと標識がありましたので、ヤッホー君は何を勘違いしたのか、よ〜し、一合とっくりを10本ならべるぞお〜、なんて…、これだから権威も威厳も尊敬も失うんだよ〜ん。
 本当にこの標識が大いに励みとなり、疲れた足も、一歩、二歩、山歩と歩を進めることができたのであります。
 11時40分には頂上着、冨士山を見ながら、うれしいランチタイム。
 「麓山の家(静岡県冨士宮市麓161-2、Tel 0544-52-1000)」の管理人のおばさまには、「この間の雨台風の影響で、地蔵峠を回る下山道は荒れているから、止したほうがいいかもしれない」忠告をいただいたものの、途中の山路で、毛無山登頂2000回を目指している富士市在の自称毛無山管理人、鏡田さんとばったり出会い、情報を得ることができました。
 そして逆に、地蔵峠から下って「比丘尼の滝」を観ることを薦められ、山歩クラブも当初の予定通りの周回コースで歩くことにしたのです。

 これがまた、アドベンチャラス、ワンダフル、アイデアル!結果とっても満足できる山行となったのです。

 下山は3時40分、冨士西湖温泉「いずみの湯」(冨士河口湖町西湖987 Tel 0555-82-2641)で5時まで汗を流し9時前には、最初にクルマを下りられる仲間からは、
「ありがとうございました、おつかれさまでした、また行きましょう」
の声が。
 その思いをしっかり受け止めることができ、無事に下町に帰ってきた実感がからだを包みます。

 7時間半のロング山行でした。標高差1100m。下山路はこの間の雨台風で道が流され、ルートファインディング(路探し)もせねばならず、またロープを援用せねばならず、さらに川筋を何回渡渉したことでしょうか。
 でも遠望の効く曇り空でして、お冨士さまは上に掲げた写真の通り、くっきり、すっきり、ばっちり、お姿全身を仰ぎ見ることができ、とても嬉しかったことでした。
 行きも帰りもヤッホー君が安全運転、いま洗濯も終えました。
 いの一番にご報告しました。おやすみなさい眠い(睡眠)

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2011年10月29日

We are the 99%!

We are the 99 percent.
We are getting kicked out of our homes.
We are forced to choose between groceries and rent.
We are denied quality medical care.
We are suffering from environmental pollution.
We are working long hours for little pay and no rights, if we're working at all.
We are getting nothing while the other 1 percent is getting everything.
We are the 99 percent.

 Brought to you by the people who occupy wall street. Why will YOU occupy?

 OccupyWallSt.org
 Occupytogether.org
 wearethe99percentuk.tumblr.com
 westandwiththe99percent.tumblr.com
 parentsforoccupywallst.com


### I’m 25 with 4 kids living on one income that doesn’t even bring in $25,000 a year.
I have $15,000 in medical bills.
I don’t know how I’m going to afford to clothe my 1 year old for winter.
A winter that gets below zero temps.
My family is the 99%


### I adjunct for 3 colleges.
No benefits, no retirement.
My husband teaches also.
This year, his pay was reduced by $400/month.
That money would’ve paid for our monthly electric, phone, internet, and water bills.
My husband now works 2 other jobs.
That’s how we support our family.

But for how long? The uncertainty is scary.

We did everything right.
Went to college. Started a family. Earned 2 degrees each. Worked hard. Lived modestly. Stayed out of debt as much as we could.

And now we find ourselves working harder than ever for littler pay.
Where is our American dream?

We are the 99%.

occupywallst.org


### I’m 59 years old and took early retirement from a job that offered fair wages and benefits.
I was able to do that because, before the crash, my husband sold his interest in a small company he founded.
We owe our middle-class success to good public schools, health insurance, and the many other benefits of living in a healthy community of public-spirited individuals.
We do not want to be the last generation for whom this is possible.
We, the People need to take our government back from the corporations and financiers.


……

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2011年10月28日

ストレステスト

 国交省関東地方整備局では、「八ッ場ダム建設事業の検証に係る検討報告書(素案)」に対する意見、パブリックコメントを求めています。問い合わせ先は同局の「河川部河川計画課」です。
 〒330-9724 さいたま市中央区新都心2-1 さいたま新都心合同庁舎2号館 Tel 048-601-3151
 11月4日金曜日18:00必着ということですから、あと一週間しかありません(郵送の場合は当日消印有効)。
 意見の提出方法は、郵送、FAX、電子メールのいずれかの方法によるとのことです。
 意見の述べ方は書式に従わないといけないようですよ、下↓参照:
http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000045325.doc

 「なんだかへんな感じ」をNHKと略すのか、八ッ場ダムと同じような偏向御用報道、と申しますか、大本営発表と申しますか、ニュースが飛び交った、ということです。
 例のゲンパツです:

東京電力福島第1原子力発電所の事故の影響で停止している福井県にある大飯原発3号機の運転再開に向けて、関西電力は、再開の前提になっている新たな安全評価「ストレステスト」の結果を経済産業省に提出しました。国内の原発の8割が停止するなか、電力会社がストレステストの結果を国に提出するのは全国で初めてです。

 関西電力の片岡正憲東京支社長は、10月28日金曜日、経済産業省の原子力安全・保安院を訪れ、大飯原発3号機で実施した「ストレステスト」の結果を手渡しました。提出にあたって片岡支社長は「取りまとめた結果について、審査をよろしくお願いします」と述べました。政府がことし7月に導入したストレステストは、コンピュータ上のシミュレーションによって地震や津波などへの安全性にどれくらい余裕があるかを確認するもので、定期検査で止まっている原発の運転再開の前提になっています。関西電力は、停止している大飯原発3号機について、原子力メーカーに委託し、7月からテストを行なってきました。その結果、地震の揺れの大きさは想定の1.8倍の1260ガルまでに、津波は想定の4倍の11.4メートルまで安全性に余裕があることを確認したということです。国内の原発は、福島第1原発の事故の影響で8割が停止していますが、電力会社が運転再開に向けてストレステストの結果を国に提出するのは、全国で初めてです。しかし、運転再開までには、原子力安全・保安院がストレステストの結果を数か月かけて審査し、最終的に政府が判断するほか、地元自治体や住民への説明も必要で、多くの課題が残されています。

 ストレステストの提出を受けて、原子力安全・保安院の市村知也課長は、今後の審査について、「安全性の向上に加えて、原発の地元住民の理解や安心につなげるためにも、透明性をもって進めたい。スケジュールありきではなく、議論を尽くしたうえで総合的に評価したい」と話しました。また、審査に当たって、国内の専門家11人から意見を聞く場を設けるほか、海外の知見を取り入れるために、来月中旬に東京でセミナーを開催して、各国で行われているストレステストについて意見交換をすることを明らかにしました

(NHK 10月28日 17時30分更新「関電 ストレステスト結果を提出」)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111028/t10013576051000.html

 さっそくパブリックコメントの書式ではないのですが、小児科のお医者さまが首をかしげていらっしゃいます: 

関西電力は、原子力安全保安院にストレステストの結果を提出、原発再稼働を目指す
 このストレステストは、机上の検討であり、さらにこれまでの原子力行政を担ってきた組織による、デッチアゲの検査である。

 原子力委員会は、原発発電コストが、他の発電方法に比べて、最安であると報告した
 これまで、原子力を持ち上げ続けてきた方々が算出したコストには説得力がない。さらに、山野の除染といった莫大な費用のかかる作業を、コストが決まらないといって除外している。これでは、コスト計算の途中でしかない。
 
 原子力安全委員会は、東電福島原発の事故のような過酷事故の起きる頻度を、1000万年に1回から、5000年に1回とした
 一遍に2000倍も予測頻度が変わるとは一体どのようにサイエンスしているのだろうか。福島の惨状が現に起きていることを目の前にすると、このような数字の遊びが虚しく響く

 NHKだけじゃないのでしょうが、ストレステストとはなんぞや?という問題意識がないまんま、そのまんま、お偉いさんのお話をす〜っと取り上げて、公器を使って流すのでいらいらする人はいらいらし、またぞろ「原子力ムラ」が蠢(うごめ)いてきた、と言われちゃんでしょうね。
 「批判精神(エスプリ・クリティック)」って99%の人って、持っちゃいけなかったんでしたっけ…

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2011年10月27日

アーサー・ビナード

 ヤッホー君のこのブログ、2011年7月17日付け日記「リニア・市民ネット」で紹介した慶応大学の川村晃生教授(環境人文学)、昨日の10月26日水曜日、八ッ場(やんば)ダムで記者会見を開き、こう指摘した、とのことです。
 サイバースペースから記事が削除される前にまず、ご紹介:

八ッ場ダムを建設する案が代替案より有利とした国土交通省関東地方整備局(えっ、この部局って茶臼岳でのガンコウランで10月23日付けヤッホー君のブログ、日記で触れていました)の検証結果について、検証の抜本的なやり直しを求める声明を学者グループが10月26日発表した。
 声明は「八ッ場ダムの検証過程は予断なき検証とは程遠く、科学性・客観性が欠如したもの」と批判。
 やり直しを求める理由に
(1) 水需要の減少傾向を無視している
(2) ダムの洪水調節効果を過大評価している
(3) ダム本体や周辺で懸念されている災害対策が不問-
を挙げた。
 グループは、慶応大の川村晃生教授(1946年生まれ、甲府市出身、環境人文学)や京都大の今本博健名誉教授(1937年生まれ大阪市出身、河川工学)ら11人が呼び掛け人。
 今月初旬から賛同者を募ったところ、26日現在で学者66人が集まった。
 この日、川村教授含め三人の呼び掛け人が参議院議員会館(東京)で会見した。
 野田佳彦首相と前田武志国交相に近く声明を提出する。
 関係都県に提出することも「ありうる」とした

(東京新聞2011年10月27日付け伊藤弘喜署名記事『八ッ場ダム検証 やり直し求め声明 学者グループ「科学性、客観性が欠如」』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20111027/CK2011102702000088.html

 そして今日、10月27日木曜日、届いたDMからです。
 「八ッ場あしたの会(前橋市古市町)」では、もみじ狩りと川原湯温泉の柔らかいお湯を楽しみに、吾妻渓谷を散策しにおでかけください、と呼びかけています。
 山歩クラブでは、9月11日日曜日、草津白根のお山歩会の途中、バスの車中から、自然の景観を邪魔するように、にょきにょきとコンクリートの柱が突然現れて、びっくりしたことがありました。
 あれです、あそこです、今日のお話は。
 
2009年の政権交代で一躍注目を浴びた八ッ場ダム。
 その本体着工の是非をめぐり、いよいよ政治判断の時が迫っています。
 去る9月、八ッ場ダム事業をすすめてきた国土交通省関東地方整備局が、「検証の結果、八ッ場ダムは利水・治水の上でベストという結果が出た」と発表しました。
 テレビや新聞で一斉にニュースが報道された直後、ラジオ番組でこの検証結果を痛烈に批判したのが、≪時の詩人≫アーサー・ビナードさんでした


 そのアーサー・ビナードさんがバッサリ切る≪ダムのひとつ覚え≫〜八ッ場ダムも原発も根っこは同じ〜と題して、2011年11月23日水曜日午後1時30分〜4時(開場午後1時)、ダム問題の真実を探るお話し(主催は八ッ場あしたの会)があります。
 場所は地下鉄「神保町」駅より徒歩1分、学士会館(千代田区神田錦町3-28)210号室です。ぜひ、参加しましょう!
 さらに学士会館のどこらへんに新島襄の生誕地記念の碑があるか、ヤッホー君のこのブログ、10月17日付け日記「神保町」を読んで、探しに行きませんか。

 アーサー・ビナード(Arthur Binard)さんは、1967年、米国ミシガン州生まれ。
 ニューヨーク州のコルゲート大学で英米文学を学び、卒業と同時に来日、日本語での詩作を始める。
 詩集『釣り上げては』(2001年、思潮社)で中原中也賞、絵本『ここが家だ――ベン・シャーンの第五福竜丸』(2007年、集英社)で日本絵本賞を受賞。
http://www.web-nihongo.com/column/haragonashi/index.html

 アメリカ生れの日本語の詩人はそのブログでこんな言葉も:

福島第一原発の一号炉も二号炉も三号炉もメルトダウンをきたし、毎日「原子力安全・保安院」の記者会見が開かれ、「メルトダウン」という言葉が禁じられ、嘘八百が並べられ、情報の隠蔽と責任逃れが大々的に繰り広げられていた3月末日、ぼくは朝刊を広げて、ピンときた。
 「原子力安全・保安院」は、本当は見事にその組織の本質を捉えた名称だったのだと


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2011年10月26日

静移動静荷重

 24日月曜日でご紹介しましたパンフレット『食生活と運動 組み合わせて行なう メタボリックシンドローム対策』「持久力と筋力で体力アップを図る」には、ウオーキング(速歩)の例がイラスト入りで紹介されています:

● あごを引いて視線は遠くに
● 肩の力を抜く
● 胸を張る
● 背筋を伸ばす
● 腕は前後に大きく振る(塩瀬泉先生によると、「前は良いから、後ろへ振って」と)
● 脚を伸ばす
● かかとから着地
● 歩幅は広くとる
★ ちょっときつめに感じるくらいで

 これは厚生労働省策定『健康づくりのための運動指針2006〜生活習慣病予防のために〜』を参考にしています。

近年、我が国において、生活習慣病対策が重要な課題となっています。
 そこで、これまでの種々の研究の成果に基づいて、生活習慣病を予防するための身体活動量・運動量及び体力の基準値が「健康づくりのための運動基準2006−身体活動・運動・体力−」(運動基準)において示されました

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/undou01/pdf/data.pdf

 ところでこの速歩は街歩き、タウンウオーキングの例、いわばファッションショウでのモデルの歩き方とすれば、ですよ、ヤッホー君の山歩きの恩師の教えとは一味も二味も違うようで、七味唐辛子みたい。
 岩崎先生は、なんて言っていたんだろうと書棚から探し出した本には、こんなことが:

日帰り登山の対象となる低山の場合、バテないと同時に、滑らない歩き方がポイントとなる。
 標高や緯度にもよるが、森林限界以上の岩礫斜面を歩くことは少なく、むしろ滑りやすい粘土質の路面を歩くことが多いからである。
 滑らない歩き方といっても、98年テキスト(えっ??)に詳細に載せた「バテない歩き方、5つのポイント」と基本は同じ。
 1.歩幅を小さく
 2.足音を立てない
 3.靴裏を見せない
 4.二本のレール
 5.パクパクはダメ、まず吐く
 5は、呼吸法なので、滑らないためには1から4を実践する
…』
(NHK趣味悠々、岩崎元郎『日帰り登山で基本を学ぶ』1999年)

 ヤッホー君は先生にならって≪誠意同、成果中≫じゃない、ない、≪静移動、静荷重≫と、それから、下山の時、≪小さく小さくトン、トン、トン≫と歌うようにして仲間を叱咤激励するのです。
 怖がっちゃ駄目、歩幅は小さく、かつリズミカルに、膝は柔らかいバネにすると笑わないよ、汚くなんかないから、岩でも幹でもつかまるものはつかんで、と口酸っぱく繰り返していました。
 
 登るときはゆっくり行けば、馬力で上れるのですが、下山のときほど、転んだり、ひっくり返ったり、滑ったり、足をとられたり、油断がならないのです。
 
 24日の月曜日に学んだことは、「バランス感覚」に関係するそうです。タウンウオークでも非常階段の階段下りでも手すりがあればつかまって、と特に中高年にはアドバイスするそうです。
 速歩と山歩きは違いますが、1〜2Kgの荷物を背負って体重80Kgの人が13分山歩きする運動量は、ウオーキング(速歩)30分、サイクリング30分、ウオーキング(水中)23分に匹敵します。
 これで 120Kcal 消費しますが、これはごはん(普通盛り)半分、トースト(8枚切り)1枚、鮭の塩焼き1切れ、バナナ1本半に相当します。
 へえ〜、そうなんだ! 

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2011年10月25日

茶寮「志ほせ」

 MONTEREY(モントレ)とは、スペイン語で「山の王」を意味します…

 そうですか、その「ホテルモントレ京都 (京都の街中である「烏丸三条」に位置し、中京区饅頭屋町付近、地下鉄烏丸線・地下鉄東西線「烏丸御池駅」6番出口より徒歩3分、予約 Tel 075-251-7111) の公式サイトに「スタッフブログ」があるのでご紹介:

祇園にある建仁寺両足院。
 ここを開いた龍山徳見禅師(1284〜1358)は、40年ほど修業をしていた中国で林浄因という男に出会います。
 徳見禅師と一緒に日本に渡来した林浄因は奈良に住み、饅頭を作って天皇に献上したところ、大好評で優遇されたということです。
 その後、林浄因の子孫が奈良と京都に分かれて饅頭屋を開業し、大いに栄えました。
 その京都初の饅頭屋が、現在ホテルモントレ京都がある饅頭屋町です。

 林家はさまざまな苦境の中で名を「塩瀬」と改め、現在京都に店舗はありません。
 何百年も前にこの地で繁昌していた饅頭屋さん、どんなお店でどんなお饅頭だったのでしょうね。
 東京の築地には「塩瀬総本家」という、江戸へ分家したお店が残っていて人気店だということです。
 東京を訪れた際には是非立ち寄ってみたいと思います

(2010年2月17日付け「京都のおもしろい地名」)
http://www.hotelmonterey.co.jp/cgi-bin/portal/cms/blog_list.cgi?hid=monkyo&page=3&backno=201002
 
 ほら、ね、「塩瀬」が出てきました。昨日のヤッホー君の先生と同じ苗字です。
 先生もお勉強会で≪食事と運動≫についてお話しされたとき、ちょっとたちどまって、本家だの、分家だの途中まで言いかけられましたが、先生も例の「韜晦趣味」で終わってしまいました。
 ヤッホー君は、なんだか狐につままれたような気分になって、一瞬ぼんやりしてしまったのでしたが。

 塩瀬総本家 茶寮「志ほせ」が、ヤッホー君が今夏、朝キンで歩き回った聖路加病院付近にございました(中央区明石町7-14、Tel 3541-0776)。営業時間は平日の午前10時30分〜午後7時(日祝休み)。

『ピンポン玉くらいの小ぶりの饅頭はフワッと柔らかく、それでいてもっちりしっこりした歯ごたえ。
 しっかり詰まっている北海道音更町の小豆を使ったあんこも、甘さをおさえてある。
 洋菓子などメリハリの利いた味になれた現代人には、やや物足りないくらいに素朴な味わいだが、むしろそれが新鮮でもある。
 抹茶とともに食す饅頭に、江戸か戦国か、あるいは室町の時代をしのぶ。

 本店は隅田川近くの明石町にあるが、ここは有楽町の本店が戦災で焼けるまでは工場だったところ。
 2階が茶寮となっていてカレー御膳(単品800円)950円などの食事と、お菓子と抹茶か煎茶のセット850円などが楽しめる。
 40人くらい入れる茶寮は、繁華街を外れているためか、午後1時を過ぎるとめっきり静かになる。
 明るい陽光を浴びた室内はゆったりと静かな時間が流れる…』

(2010年4月13日付け朝日新聞ウエブ版、筆者 京橋玉次郎、660余年の暖簾 明石町「塩瀬総本家」)
http://www.asahi.com/food/column/oyaji/TKY201004130193.html

 この塩瀬総本家の34代当主の女将は、本を著しております:
それでは、なぜ「小豆」を「あずき」と読むようになったのでしょうか。
 それは、日本人が稲作民族だったことが関係しています。
 弥生時代の日本人にとって、満月の1月15日こそが1年の始まりでした。
 この日は、あらゆる作物の豊作を祈り、小豆粥を食しました。室町時代には、小豆粥が赤飯に変わったようです。
 白い米に赤い色をつける小豆から、<あかつき→あずき>と転じたのではと言われています。
 赤という色は霊力の象徴、つまりは生命力のことだったのです

(川島英子著『まんじゅう屋繁盛記 〜塩瀬の650年〜』2006年、岩波書店)

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2011年10月24日

健康運動指導士

 10月24日月曜日。ヤッホー君の今日のお勉強は、健康保険組合連合会(健保連)東京連合会主催の「メタボ予防のための実技で学ぶ効果的な運動法セミナー」でした。
 東京連合会は、「東京都内に事務所を置く600組合(平成23年4月1日現在)より構成されており、会員組合の円滑な事業を支援する各種の事業を展開してい」るところで、セミナー会場は、同事務所(新宿区四谷1-1-2(Tel 3357-5211)です。
 講師は、塩瀬泉先生(健康運動指導士)。

健康運動指導士とは、保健医療関係者と連携しつつ安全で効果的な運動を実施するための運動プログラム作成及び実践指導計画の調整等を行う役割を担う者をいいます。
 この健康運動指導士の養成事業は、1988(昭和63)年から厚生大臣の認定事業として、生涯を通じた国民の健康づくりに寄与する目的で創設され、生活習慣病を予防し、健康水準を保持・増進する観点から大きく貢献してまいりました。
 2006(平成18)年度からは、財団法人健康・体力づくり事業財団独自の事業として継続して実施しております。
 今般の医療制度改革においては、生活習慣病予防が生涯を通じた個人の健康づくりだけでなく、中長期的な医療費適正化対策の柱の一つとして位置づけられており、今後展開される本格的な生活習慣病対策においては、一次予防に留まらず二次予防も含めた健康づくりのための運動を指導する専門家の必要性が増しており、とくに2008(平成20)年度から実施の特定健診・特定保健指導において運動・身体活動支援を担うことについて、健康運動指導士への期待がますます高まっているところです。
 財団法人健康・体力づくり事業財団としては、2007(平成19)年度に健康運動指導士の養成カリキュラム、資格取得方法等に至るまで大幅な見直しを行なったことを踏まえ、ハイリスク者も対象にした安全で効果的な運動指導を行なうことのできる専門家を目指す上で健康運動指導士をまず取得すべき標準的な資格であると位置付け、質の高い人材の養成、確保を積極的に図っているところです

(健康・体力づくり事業財団「健康運動指導士とは」)
http://www.health-net.or.jp/shikaku/shidoushi/index.html

 ね、こんな資格を厚労省が創設していたとは知りませんでした。
 ヤッホー君がこの資格取得のための講座を受講できる資格があるのかどうか、う〜ん、保健師でも看護師でも栄養士でもないし、大学は体育系ではなく文系だったし…

 ところで、その会場で頂いたパンフレット『食生活と運動 組み合わせて行なう メタボリックシンドローム対策』に「タバコは動脈硬化を促進します。禁煙でメタボ対策」という頁がありますので、ご紹介:
喫煙習慣のある人がタバコをやめるのは、かなりの努力が必要です。
 吸いたくなったときに水やお茶を飲んだり、体を動かしたりして、じょうずに気分転換を図る工夫をしましょう。
 また、あまり気負わず、途中で失敗したとしても、また新たに禁煙にトライすればよいのです。
 自分の力だけでは自信がないという方は、禁煙グッズの活用や禁煙外来のある医療機関を受診し、相談されてることをおすすめします。
 ニコチン依存症と診断されれば、健康保険適用の禁煙治療が受けられます。 楽な禁煙を目指しましょう


 そう、なんですよね、今日の河北新報の記事を参照ください。下↓:
第17回禁煙推進・宮城フォーラム(NPO法人禁煙みやぎ主催)が10月22日土曜日、仙台市青葉区のエル・パーク仙台で開かれ、「世界の禁煙 日本の禁煙」をテーマに意見交換などを行なった。
 医療関係者ら約40人が参加。
禁煙みやぎの山本蒔子理事長が基調講演し、「日本のたばこ規制は甘く、世界に比べ大きく遅れている。受動喫煙対策を強く求めなければならない」などと訴えた。
 東北大の医師ら4人による意見交換も行なわれ、「各国ではたばこのパッケージに健康被害の写真を表示している。日本も義務化すべきだ」「公共の場での喫煙を規制すれば心筋梗塞患者が減る」などの指摘があった

(2011年10月24日月曜日付け河北新報「たばこ規制、世界に遅れ」 仙台で禁煙フォーラム)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111024t13026.htm

 そう、そう、昨日の磯村毅先生の「ためしてガッテン」出演のブログに、山歩クラブの会員から次のようなコメントがあり、磯村先生に次のようにお返ししました:

先生、返信をありがとうございます:

≪23日から今まで携帯を子供の家に忘れていまして失礼しました。いろいろな情報をありがとうございます。火曜日は忘れずに見るようにします≫

 山歩クラブの会員からの返信でした。

 われわれのクラブは、下町は墨田、江東の中高年のおばちゃん、おっちゃんたちの小さな会ですが(山の元専門家や元登山家たちは、なかなかいつかず、山歩クラブでなく老人クラブだ、と最後は結局、去ってしまいます)、2002年から毎月、専用バスを仕立てて山歩きを楽しんでいる会です。

 この返信をくれた会員は、その月一回の山歩きのために毎朝、早起きして散歩して、足の筋肉を、脚力をいつまでも長く、とがんばってくれています。
 その会員をはじめ皆さん、子供さん、お孫さん、そしてお友達がいますので、先生のお話しは、あるいはこのTV出演のお話しは、井戸端会議のようにひろがっていきますので、ぜひ、時間の関係もあるでしょうけど、一般視聴者の胸に落ちるよう、ポイントを抑えた分かりやすい言葉で、きちっと自己主張なさってくださいますように

〜なんて生意気なお願いをしておきました。

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2011年10月23日

ためしてガッテン

 ヤッホー君のこのブログ、今年6月5日の日記でご紹介し、コメントもいただいて交流が続いている磯村毅先生からのメールです。
 ぜひテレビをご覧下さい。
 そして、ぜひコメントをお寄せくださいね:

今日は純粋に宣伝です。
 10/26(水)20時NHK総合『ためしてガッテン』に、私、磯村が出演します!
 「感動!禁煙がこんなに超簡単だなんて!SP」10/26(水)20:00〜20:43(43分)NHK総合・神戸(Ch1)
 体に悪い、お金もかかる… そんなこと分かってるけど、止められないのがタバコ。
 でも最新情報!脳科学で「ラクにタバコを止める方法」が分かったんです!
 今度こそ、必見!
 【ゲスト】バービー、カンニング竹山、井森美幸、山瀬まみ
 【解説】トヨタ記念病院禁煙外来…磯村毅
 【司会】立川志の輔、小野文惠
 【語り】生野文治
http://www9.nhk.or.jp/gatten/

 最近父が亡くなり、一人でいる母のところで子どもたちと一緒に見る予定です。
 リセット禁煙研究会・予防医療研究所、トヨタ記念病院禁煙外来、動機付け面接トレーナー 磯村毅』 追伸=研修会案内=
 2011年12月4日(日) 東京・リセッター研修会
http://cleanair.air-nifty.com/private/2007/10/post_ca70.html

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ガンコウラン

ガンコウラン.jpg

 ね、カッシー、あの緑はすごいでしょ。
 緑の絨毯、グリーンカーペットだよねぇ〜。
 あれはね、巻機山でもそう、秋ならではの風景なんだね。
 草もみじがあるでしょ、潅木は色付いているでしょう、紅葉しているよね、黄色い樹木もあるよね、そんな樹々たちの秋の卒業式(色のグラデュエーションと graduation をかけた得意の冗句らしいのです)、いいでしょ、ねぇ…

(ひとり、秋色の景色にか、自分の祖父ギャグに自分で感心したのか、うっとりして深呼吸して見とれているヤッホー君に、理科クラブだったカッシーから、質問が…)

 あの緑はなんだろうね?…

 笹だね、笹の一種だよ…

(えっ??… 皆んな、固唾を呑んで立ち止まり、固まってしまいました)

(秋の素晴らしい景色を見るためでなく、あの緑色の植物が笹、と言われて、もうさっさと歩けなくなってしまったからでした。それを察したか、ヤッホー君から舌の根もかわかぬうちに、朝令暮改にもならない早業で、こんなことも)

 ああ、ハイマツかも知れないね、ライチョウがほら、雛を連れて歩いているのも見えるでしょ…

(えっ??… 皆んな、絶句したまんま。その場にうずくまってしまう仲間も…)

 茶臼岳頂上に登る途中、朝日岳、鬼面山の火山性の山肌の中腹に見える緑のベルベット Velvet を観ての会話を収録してのお話しです。

PA204897.jpg

 その謎が明かされたのは、無限地獄、牛が首を通って、ロープウエイ山頂駅に向かう途中に現れた栃木県の掲示板で、こんなこと ↓ を読んだからです:

『このあたりは、岩や砂礫が多いところですが、こんなところにも植物が入り込んできます。
 葉の裏が白いウラジロタデや、ススキに似たコメススキ、いかにも高山植物というガンコウランなどです。
 このような植物を、開拓者に見たてて、火山の「パイオニア植物」と言います』


『標高1600〜1750mの風衝地帯では、ガンコウランのほか、アカモノ、クロマメノキ、シラタマノキ、マルバシモツケ、ウラジロタデ等が見られる』
(国土交通省 関東地方整備局 常陸河川国道事務所、河川関連パンフレット、環境百科、那珂川)

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2011年10月22日

家飲み会

 20日の番外編山行、茶臼岳を心配してくれている山仲間からの親書2通を紹介:
★ 茶臼岳は、気温上がらす寒かったのでは。さて、22日はカレーをご馳走になりにお伺いいたします。
★ 那須岳は参加できませんが、お気をつけて…。土曜日はどうしても都合がつかず欠席です。

 なに、なに? ま〜たなんかあるの?
『土曜日22日は午後1時開場で、マレーシアンカリーを食する会を開きます。食べもの、飲みもの、マイ箸、マイ皿、マイカップご持参でお越し下さい』の回状が出回ったらしいのです。
 山歩クラブではいま流行っている『家飲み会』を "potluck party" (ありあわせの残り物を皆んなで持ち寄り、皆んなで箸をつっつきあう「寄り合い」)と呼んで、2002年のクラブ発足以来催うしている、クラブの伝統行事なのです。

 ヤッホー君がマレーシア勤務中、週末度にこの寄り合いが、スタッフの家の持ち回りでありました。それの日本版だったのです。
 
 ところで、ヤッホー君のこのブログ、昨年2010年11月24日付け日記 "La Maison Bleue" で紹介した「ブルーマンション」が、「ロンリープラネット」で世界のベスト10の建物に選ばれたよって、はっちゃんが教えてくれました。今朝のマレーシアの新聞、スター紙からです: 
 
"The Cheong Fatt Tze Mansion here has been named one of the world’s top 10 greatest mansions and grand houses by popular travel guide Lonely Planet.
The grand dwelling, often dubbed the Blue Mansion due to its vivid colour, is one of only two buildings in Asia to make the list.
The other is the Marble Palace mansion in Kolkata, India"

(Cheong Fatt Tze building is one of two in Asia featured on Lonely Planet list, by ANDREA FILMER and FONG KEE SOON, The Star, Saturday October 22, 2011)
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2011/10/22/nation/9749183&sec=nation

このロンリープラネット社の始まりは、1970年代初めに、 創設者トニー・ウィラー、モーリン・ウィラーの2人が、ロンドンを出発しアジアを通ってオーストラリアに至るまでの陸路の大旅行を終えたときからでした。
 友達や他の旅行者にどうやって旅したのか教えてくれと促され、連夜徹夜で書き上げ、タイプしホチキスで留めたものが最初の旅行書でした。
 地元でベストセラーになったこの一冊が、後々世界をリードする旅行書専門の出版社の出発点となりました。
 現在、ロンリープラネットは世界中で愛されているブランドに成長しました。
 世界の隅々までを網羅する500を越える英語の出版物のほか、数多くの賞を受賞しているウェブサイト、最先端のテレビ番組などを通して、旅の道中の人々や、旅を計画している人々にインスピレーションを与えてきました。
 アメリカ、イギリス、オーストラリアにいる総勢500人を越える従業員と、70以上の言語を駆使する365人のライターは、個人旅行と責任あるツーリズムに対する情熱を共有して活動しています

Lonely Planet Japan - Home
(「ロンリープラネット社は、35年間以上にわたり、世界中を冒険する個人旅行者に親しまれ続けてきました」)
http://www.lonelyplanet.com/jp/
 旅仲間では知られた存在『ロンリープラネット』ですが、日本にもブランチがありますね。
 さて、ロンリープラネットの情報で世界の名所旧跡を旅するのもいいですね。

 このブルーマンションはBS-TBSの『世界の窓』でも紹介されていたようです:
先月マレーシアでやっていました撮影、放送日が決まりました。間際の告知ですみません。
BS-TBS 世界の窓
3月25日(金)22:54〜23:00
「青い邸宅」(ペナン島ブルー・マンション)

http://blog.goo.ne.jp/kumikomy/e/772790544a03a735b8dda30d64a27416

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2011年10月21日

早胃検

『福島第一原発事故により、20km圏内の避難指示区域では毎時19〜91マイクロシーベルト(0.019〜0.091mSv)の放射線が確認されている。
 この事故後、国は野外活動を制限する線量の暫定基準値を毎時3.8マイクロシーベルト(0.0038mSv)と決め、これを超えると野外活動を制限する。
 一般日本人の放射線被ばくの上限は年間1mSvとされ、これは毎時0.19マイクロシーベルト(0.00019mSv)以下と法令で定められている

(「健康診断と放射線」財団法人早期胃癌検診協会News Letter第6号2011(平成23)年6月24日)
http://www.soiken.or.jp/pdf/ニュースレター_第6版.pdf

 財団法人早期胃癌検診協会(中央区日本橋茅場町2-6-12)、長いので「早胃検」と呼ばれています。
 中央診療所で今日10月21日金曜日は、はっちゃんの健康診断なんですう。  
 地下鉄日比谷線・東西線「茅場町」駅より徒歩2分のところにあります。
 人間ドック・健康診断の問い合わせ、予約の窓口の電話番号は、 Tel 3668-6806

 どうしてこんな長い名前になったのか、ヤッホー君は聞いてみました。

 通りすぎてしまえばそれで済んでしまう小さな事柄でもひとつづつ、きちんととりあげて、存在理由と経過をみて、書き綴っておくこと、これはヤッホー君に言わせると、ブログで「日記」をつけはじめてからの習慣になってきている、とのことでした。
 そして、このような雑文でも読んでくださる方々がおられることに勇気付けられ、できるだけ詳しく住所、電話番号などを追記しておけば、行ってみようかな、と思ってくださる方がおられ、ヤッホー君以上の経験をしていただきたいし、そうなるかもしれない、と。
 そうなるとヤッホー君の単なる個人的体験が、空間(その場所)と時間(そこでひととき過ごしていただける)を共有することで、ヤッホー君以上の発見があって、次の方々に伝播される、たすき掛けとなって渡されていけばいいな、ということだそうです。

 その「早胃検」…
今からおよそ30年以上も前のことです。
 当時、胃がんのほとんどは不治の病でした。
 しかし、その頃、「転移のない胃がんを見つけることができれば、患者を救命することはできたはずだ」という信念と情熱をもって、日夜研究を続けた医師達がおりました。
 1961(昭和36)年頃から、彼等は月に1回、第3水曜日に東京に集まり、症例検討会を開くようになりました。
 この検討会が、現在まで絶えることなく続いてきた「早期胃癌研究会」の母体となりました。
 そして、この会を創立するに際して中心的な役割を果たしたのが、すでに故人となった村上忠重(元東京医科歯科大学外科教授)、木村喜代次(元国立名古屋病院名誉院長)、白壁彦夫(元順天堂大学医学部名誉教授)、そして常岡健二(日本医科大学名誉教授)、市川平三郎(国立がんセンター名誉院長)など、我が国のみならず、世界の胃癌の研究の歴史に残る業績を残した人たちです。
 事実、日本が世界に誇る早期胃がんの「診断と治療」が完成をみた背景には、「早期胃癌研究会」の存在が大きな役割を果たしたのです。
 私どもの財団法人早期胃癌検診協会と付設の中央診療所は、この「早期胃癌研究会」の主旨を踏まえ、早期がんの臨床診断と研究を一体化することを目的として、1967(昭和42)年9月26日に誕生しました。
 初代の財団理事長は、故内藤彌吉、初代所長は近藤台五郎(当時、東京女子医科大学教授)でした

(早期胃癌研究会)
http://www.soiken.or.jp/soiken02.html

 はっちゃんが健診を受診中、視力検査とか、なんかあると英語にするために呼び出されるのですが、そのとき読んでいた本に、「聖橋」のことが。
 10月10日月曜日、山仲間のお見舞いに行くのに本郷通りを歩いて、神田川を聖橋で渡ったと言いましたが、その記述が…。
 つまり、どうして「聖橋」というのだろう、と思っていたところ、清洲橋と同様、関東大震災からの復興事業で、復興橋だったのですねえ〜:
神田川に架かり、昌平橋の上流約350mの所にあります。
 ニコライ堂がある神田駿河台4丁目と湯島聖堂がある文京区湯島1丁目を結んでいます。
 1927(昭和2)年9月8日に関東大震災の復興橋の一つとして架けられました。
 立体的な橋脚美は東京の新名所となり、北区滝野川の音無橋のモデルともなりました。
 橋の名は一般から懸賞募集してつけられました。
 長さ92.0m、幅22.0mの鋼及びコンクリ−ト橋です

(千代田区観光協会→「観る」→「聖橋」)
http://www.kanko-chiyoda.jp/

 で、その聖橋が載っていた本で、ヤッホー君が食い入るように居眠りしながら眺めていた本とは、これ、これ↓、10年前の本のようです:
 芸術新潮編集部編『司馬遼太郎が愛した「風景」』(新潮社、とんぼの本、2001年10月)
http://www.shinchosha.co.jp/book/602086/
 
 アマゾンに載っています、ぜひ注文して読んでください:
★ 内容(「BOOK」データベースより)
 日本のすみずみに、多くの旅をかさね、『街道をゆく』はじめ数々の名エッセイをのこした司馬遼太郎。
 その網膜に刻まれた地を訪ねゆけば、誰もがなつかしむ日本の「原風景」があり、愛した美術品に向かえば、それを生んだ真摯な魂が透けてみえる。
 作家をなぐさめた自宅庭や住居のたたずまい、司馬遼太郎記念館(安藤忠雄設計)の全貌も収録。
★ 内容(「MARC」データベースより)
 『街道をゆく』をはじめ数々の各エッセイに綴られた地を訪ね、作家が心奪われた風景や美術品をグラフで追う。
 2001年秋開館の司馬遼太郎記念館の全貌も紹介。
 『芸術新潮』1996年8月号の特集を再編集・増補。
 
 さらに、『街道をゆく(36)本所深川散歩・神田界隈(朝日文芸文庫)』もお忘れなく。

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2011年10月20日

茶臼岳

 10月20日木曜日。
 サンデー毎日愛読者9人で行ってまいりました、バス旅。
 平日でした!
 2年前の前回は、東北道・那須IC出口に向かうクルマですでに長い縦列が路肩に! 料金所をでたのがお昼! なんて大渋滞に巻き込まれ、出口を出たものの行き先変更を余儀なくされた苦い茶を飲まされた経験のある茶臼岳。
 しかし今回は、おかげさまでお天気にも恵まれ、しっかりと歩くことができました!
 はっちゃんはこれで何回目になるのかな、行く前からあの砂の登り道がいやだ、嫌いだ、滑る、怖い!と今回は町ん中はいいけど山ん中は見るものが何もないと言い募っていましたが、案の定リタイヤ、ほかに足の故障を訴えいていた仲間と、「那須岳ロープウエイ(Tel 0287-76-2449)」山頂駅と「牛が首」の往復だけに留めることに。
 ほかの仲間は、山頂駅1690m〜茶臼岳1915m〜峰の茶屋〜無限地獄〜牛ヶ首1730〜山頂駅の一周コースをゆっくり、ゆっくり、紅葉に染まる山肌、朝日岳1896m、三本槍岳1917mを横目で見ながら、姥が平を下に見ながら、歩きました。
 その後は、こんな湯治場がアジアでなく、21世紀の現代日本にいまもあるのだ、とカッシーが感心した北温泉(Tel 0287-76-2008)。
 添付する写真は、展望台から観た「駒止めの滝」です。

駒止の滝.jpg

 そしてサッポロビールの那須工場「森のビール園(Tel 0287-60-1031)」で搾りたて、真っ白い湯気が立っているビールを味わってきました。
 締めラーメンは佐野SAで、あっさり系佐野ラーメンで。
 やみつきになりそうな平日番外編。
 好評に付き、また企画しますので、ぜひその節はお申し込みをよろしくお願いします、そしてどんどん歩きましょう!と山歩クラブの仲間にご報告して擱筆します。
 今晩はぐっすり眠れそうです眠い(睡眠)

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2011年10月19日

物部守屋

 「あれかな?」
 山歩クラブの仲間は日本のへそ、その頂上に立って、頂上直下に赤いペンキで塗った囲いを目ざとく見つけてくださいました。
 10月16日日曜日守屋山、ハイヌーンのころ。

『この山と諏訪湖の間にはご存知諏訪大社が祀られているが、その大社には本殿がない。
 なぜかといえば、大社の南に聳える守屋山そのものがご神体であり、昔から観天望気や雨乞い祈願の山としても崇められてきた。
 雨乞いには東峰にある守屋神社奥宮の石祠を谷へつき落とし、神の怒りをかって雨を降らせてもらったといういささか乱暴な伝承もある。
 現在は落とされないように堅固な鉄の柵で守られている

(信濃毎日新聞、信州山岳ガイド、守屋山もりやさん、1650m)
http://www8.shinmai.co.jp/yama/guide/00063.html

 やっぱりね、昨日の信大島野教授も言及していましたように、守屋山の頂上には「磐座があり、かつて雨乞いの祈祷などが行われたということです」でしたよね。

 ところで守屋氏について、ヤッホー君も韜晦趣味、というか、その以前の低脳ゆえ、自分のあたまでまだまとめきれず、困惑気味なのですが、なにかメモ代わりに残しておころおきます

 出雲、物部、廃仏、敗北…

 いまヤッホー君が読んでいる江藤淳『南州残影』(1998年、文藝春秋)とダブって想像力をかきたててくれるのです。

『「姦謀」がともに相寄って自ら国を滅ぼそうとしているとすれば、この一事だけはどうしても赦すことができない。
 南州は「報国」の至情のために挙兵したのである。
 国を滅ぼそうとする「姦謀」を粉砕するためにこそ鹿児島を出立したのである。
 「姦謀」は、自らの手でこの日本の津々浦々に黒船を導き入れ、国土を売り渡そうとしているではないか。
 南州にはそれが赦せない、しかるがゆえに立ったのである。

 しかし全的滅亡…』


 山歩クラブで北穂高小屋に連泊し、上高地に下って後泊したのが「明神館」。
 夕食後の亭主のお話しの後、まだ話し足りないという感じで亭主は、われわれの部屋に来てくれました。
 しかし、ヤッホー君以外の仲間は無関心。
 もう長い山旅で疲れ、眠いのと、お話しは自分の口で話すから「話し」で、人の「話し」を聞く耳は持たない、という頑固者の長老者ばかり。
 ザンネンながら、何を亭主は言いたかったのか、聞き出せませんでした。
 いまだにヤッホー君には、あの2009年夏の山旅が気になって仕方がないのです。

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2011年10月18日

善光寺

 ヤッホー君のブログ、10月10日付け日記「元祖なでしこジャパン」で女学生たちは日光を後にして、信州は善光寺に向かったと言いました。
 この善光寺って…
『「善光寺縁起」によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、552(欽明天皇13)年、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。
 この仏像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。
 後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に642(皇極天皇元)年、現在の地に遷座いたしました。
 644(皇極天皇3)年には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。
 創建以来十数回の火災に遭いましたが、その度ごとに、民衆の如来様をお慕いする心によって復興され、護持されてまいりました』
(善光寺の公式サイト「善光寺の概要」より)
http://www.zenkoji.jp/about/index.html

 なにやらこの善光寺って諏訪大社と関係がありそうなんですね。

 日曜日、山行当日の朝、下町は大雨!『どうしよう、現地も雨だったら高島城、諏訪大社という諏訪市観光をしよう、と代替案も考えていたヤッホー君』と書きました。

 どうしても謎解きをしたかったのです。
 下の文で下線を引いたところの主語がないですよね、こういうのを『韜晦趣味』と言いまして、なにか思わせぶりな表現だと思います。

諏訪大社は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。
 信濃國一之宮。
 神位は正一位。
 全国各地にある諏訪神社総本社であり、国内にある最も古い神社の一つとされております。
 諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています

(諏訪大社の公式サイト「諏訪大社について」より)
http://suwataisha.or.jp/ohanasi/index.htm

諏訪大社上社の本宮は前宮を向いています。
 南東方向です。
 で、これをさらに延ばして行くと、やはり御射山社(霧が峰)にたどり着きます。
 この御射山社はどちらを向いているかというと、今は社の位置が変わっていますが、参道の向きからすると、八ヶ岳を向いていることになります。
 
 上社前宮はどこを向いているかというと、守矢氏と関わりの深い守屋山です。
 ここには磐座があり、かつて雨乞いの祈祷などが行われたということです。

 ということで、上社本宮は八ヶ岳に向く御射山社と、守屋山に向く前宮を向いているということになります(過去には本宮も守屋山を向いていたといわれる)。
 我々が本殿のない上社本宮で何に対して参拝をしているかというと、この地域の国土を象徴する八ヶ岳、そして赤石山脈(南アルプス)の北端である守屋山ということができるのではないでしょうか

(信州大学理学部・島野光司『信州の自然と神社』。先生は1967年生まれ、都立両国高校から千葉大学へ)
http://science.shinshu-u.ac.jp/~shimano/0095_relationship_between_shrines_and_the_nature_in_shinshu.pdf

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2011年10月17日

神保町

 10月17日月曜日、午前中、はっちゃんは江東区役所に出向きまして、外国人登録証明書をゲットしてきました。
 これは日本人でいえば、運転免許証にあたるもので、身分証明用になります。

日本に在留する外国人は、本邦に在留することとなった日から、一定の期間内に、居住している市区町村に身分事項や居住地などを届け出て、外国人登録をすることになっています。
 16歳以上の外国人はこの登録証明書を携帯し、入国審査官、入国警備官、警察官、海上保安官などの一定の公務員が職務上提示を求めた場合には、これに応じる義務があります

(法務省入国管理局)
http://www.immi-moj.go.jp/tetuduki/touroku/touroku.html

 その後、ヤッホー君はいつもお世話になっているOK牧場を案内しました。そうしましたら、はっちゃんはお世話になった神保町のアートブック・ショップまで歩いて行きたい、と言いだしました。

 12時うち揃って家を出ました。隅田川を渡り、水天宮から小伝馬町、岩本町、そして靖国通りに入って、専修大学前交差点で左に折れて1時間半あまり、歩いて行ったのですが、もう店はクローズしておりました。

9月末で閉店してしまいました。
 とても残念です。
 手芸専門の主に輸入の古書を売るお店で、ディスプレイも、流れているBGMも感じがよくて、海外には多いそうですが、椅子が置いてあってゆっくりと本を吟味できる素敵な書店でした。

 4年位前に雑誌に紹介されていたので行って見たのが出会い。
 ギャラリーも併設されていて、いつかここで作品展ができたら、手芸好きの人に見てもらえて楽しいだろうなという夢を昨年11月に実現させることができました。
 私のような、全くの素人で趣味で刺してきた刺繍の作品を展示させていただいてとても幸せでした。
 スタッフの方もとても親切で。感謝しています。
 これからも長いお付き合いをさせていただきたいと思っていましたので、重ね重ね残念です

http://blog.goo.ne.jp/karota/e/7f0d7a947c90c9bb526e0b6b690b237c

 ヤッホー君は、そこではっちゃんと別れ大手町までぶらりタウンウオークを続けました。
 気になっていたのが:
神田一橋の生誕碑…。
 界隈を通りかかるたびに、私は同行者をかならずそこまで引っ張ってゆく。
「ほおう、こんなところに…」
 誰もが意外そうな顔をする。
 新島襄を知っていても、どこで生まれたのか知らない人が多い。
 同志社出身者も例外ではない。
 道ゆく人たちも立ちどまることもなく足早にゆきすぎる。
 明治の先覚者も今は忘れられようとしている。
 私も研究者でないから、あの小説を書いたあと、興味はほかに移っている。
 けれども気がめいったり、精神が疲れたとき、ふと意識の底に影をおとすものがある。
 いったい何なのか。
 すぐには像を結ばない。
 心の眼をこらしつづけるうちに、やっとそれが新島襄だと気づくのである。
 きっとそれは、ケタはずれにはげしい情熱と他者に寄り添うような温かさをあわせ持つかれの人間性によるものだろう。
 表通りでなく、横道にたたずんで、植え込みの蔭からひっそりと歩道をゆく者たちをみまもっている。
 そういう生誕碑のたたずまいは、いかにも新島襄らしいなと思う

(福本武久「新島襄と私」)
http://www.mars.dti.ne.jp/~takefuku/essay/es03/es0310.html

 昨日の日曜日の山歩きではっちゃんも自信をつけたのか、歩くのが好きになったようです!
 山だと見るものが何もないけど(えっ??!!)、町ん中は見るものがいっぱい、と。
 でも巨体を揺さぶりながら歩くので、通る人に迷惑がかかるのをわかってきたのでしょうか、減量しないとね、と言いながら、でも隠し持ってきたビスケットやチョコレートを行動食にしていたので、はたしてこの決意は効力があるのかは神のみぞ知る、ということで。

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2011年10月16日

守屋山

『暖かな南風が吹き込んだ影響で日本列島は10月16日日曜日、東海から関東地方にかけて気温が上昇、静岡市などで30度を超える真夏日となった。東京都心も30度近くまで気温が上がり、千代田区の皇居外苑では半袖で裸足になった子供たちが遊ぶ姿も見られた。

 東京・大手町の最高気温は平年より7.8度高い29.7度。羽田空港では午後1時10分に29.7度まで上がり、10月の観測史上最高を記録した

(毎日新聞2011年10月16日21時37分更新「真夏日: 静岡市と群馬・高崎市で30.2度」)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111017k0000m040024000c.html

 早朝の出掛けは、雨模様。
 どうしよう、現地も雨だったら高島城、諏訪大社という諏訪市観光をしよう、と代替案も考えていたヤッホー君。
 そうなのです、今日は10月定例お山歩会なのです。
 しかし、13人を乗せたバスが中央道に入り、相模湖を通ったときは湖面から立ち上る霧が山を水平線上に横切り、こんなの見たことない! 車窓から雲海がひろがるのが見えるのです。
 その雨上がりの雲海の向こうに、上から下まで綺麗にお富士さんがその姿を現してくれています。
 
 向かう先は諏訪ICから杖突峠、守屋山1650mでした。
 もう山路は落ち葉に覆われ、はらはらとカラマツの葉が雪のように舞い降りてきます。
 黄色に、また赤く紅葉がはじまっています。
 頂上は、360度の眺望が全開です。
守屋山.jpg

 頂上に山座同定するための方位盤が設置されております。
 仲間で下を覗きこんでいます。なに? なに? …いっつも好奇心旺盛なヤッホー君もいっしょになって覗き込んでいます。
 ガラス製温度計でした。16度を示しています。
 
 遠くまで、山並みが臨めます。
 八っ岳、浅間山、霧が峰、美ヶ原、北アルプス、乗鞍、御嶽、木曽駒、空木、南アルプス、北岳、甲斐駒、入笠山とくるり、歓声をあげながら体を回します。
 入笠山をみて真後ろの下には、青い諏訪湖がひろがっています。

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2011年10月15日

東京飛行場

 ヤッホー君のブログ、10月8日付け日記「昭和6年の修学旅行」以来、愛知県の県立犬山高校の元祖「なでしこジャパン」、江ノ島から鎌倉、皇居、三越百貨店、墨田区横網、日光、中禅寺湖、善光寺と1931(昭和6)年の4月下旬の女学生31名の足取りを辿る旅の追っかけをしてきました。
 この昭和6年、西暦で言うと1931年は日本でもうひとつ、大事件がありました。
 じゃあ〜ん、それが「羽田空港」!
111014_2156~02.JPG

羽田空港は1931(昭和6)年8月、面積53haに延長300m、幅15m滑走路1本を設けて開港したわが国初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」からその歴史が始ります。
 1938(昭和13)年から1939(昭和14)年にかけて最初の拡張工事が行なわれ、延長800m、幅80mの滑走路が2本整備されました。
 終戦後、進駐軍に接収された「ハネダエアベース」の時代を1958(昭和33)年7月に全面返還をもって終えます。
 【1952(昭和27)年には大部分の施設が返還され、現在の東京国際空港の呼称となっています】
 
 そして、航空機のジェット化が急速に進展する中で、さらに滑走路を始めとする空港施設の規模拡充が行われ、1964(昭和39)年から1971(昭和46)年にかけ、3本の滑走路を有する羽田空港の原形ができ上がりました。
 1978(昭和53)年、新東京国際空港(成田空港)の開港に伴い、中華航空を除く国際線が移転し、羽田空港は国内線空港としての役割を担うこととなります

(国土交通省東京空港整備事務所羽田空港の歴史)
http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/haneda/haneda/more/f_405_01.html
 
 そうなんですよ、ヤッホー君が父母のお見送りを受けて、フランスのリヨンに語学留学したときは、神戸から船で、ちゃうちゃう、羽田空港からソ連の飛行機に乗ってヨーロッパに向かったのですよ。
 機内で、「ウオーラ」(水はウオーターと言っても通じないので、そう言うんだよって教えられましたので、その通り発音しました)をお願いしたところ、スチュアーデスはゆらゆらとおなかとおしりをふりふり、炭酸ガス入り水のボトルを一本持ってきてくれましたが、味は水ではありません。
 ああ、もう水も飲めないんだ、と異国を痛烈に感じた瞬間でした。

 あれから幾星霜、成田が国際線、羽田が国内線、ヤッホー君の家はどちらの空港に行くにも便利なように居を構えたわけですが、羽田は昨年のこと、2010年10月には「新国際線旅客ターミナル供用開始」となり、国際線の発着が大幅に増えました。

 ヤッホー君もさっそく昨年、羽田を利用してマレーシアはペナンに出かけたわけですが、シンガポール経由という便で、便利なのか不便なのか、さっぱり分かりません。

 昨年のヤッホー君のブログ、2010年11月16日付け日記「チャンギ空港」再掲:
『11月10日の日誌「バロックザール」でアナウンスしましたが、というわけで、今晩から、「世界遺産の古都マレーシア・ペナンにあそぶ」旅企画(11月17日〜22日)に参加するため、しばらく日本を離れます。戻るまでこのブログは更新されません。
 噂の羽田空港に向かい、深夜零時半のフライトでひとまずシンガポールに入りますが、ペナンまでの乗り継ぎ便は、格安チケットの関係で夕方までしかなくって、チャンギ空港でどうやって過ごそうか、と思案中です。空港内無国籍長期居住者になっちゃうのかな?』

 なにがなんだかさっぱりわからない格安チケット券。ペナンに行くのに、CX、キャセイパシフィック航空で60700円というのがあって、これによりますと;
  11月1日火曜日出国とすると、HND 16:25 HKG 20:40 15:20+1 PEN 19:00+1
  11月15日火曜日帰国とすると、PEN 07:50 HKG 11:30 16:15 HND 21:05

 つまり、+1は翌日ですから、香港で夜を明かすことになるのです。いったいどこで? 空港だと無料宿泊所を提供してくれるのかな? それに燃油サーチャージっていま、負担するんでしょうけど、この60700円には含まれていないんでしょう?

 なんで急に羽田空港の日記? って申しあげますと、はっちゃんが昨夜、ペナンから羽田に着くのでそのお出迎え、というわけなんです。秋のにわか雨のなか、クルマを飛ばすも夜の9時35分着予定の便は1持間遅れ、10時22分着。
 この到着、って定義はなんなんでしょうね。なんか英語表示もarrving, arrived, baggage available と点滅して表示されるのですけど、なにがなんだかさっぱりわかりません。

 まず、はっちゃんのフライトスケジュールを見せてもらいました。
  10月14日金曜日、PEN 07:45 HKG 11:35 16:15 HND 21:35
  10月28日金曜日 NRT 9:45 HKG 13:25 15:00 PEN 18:35
 (NRTって成田じゃん、やっぱりね、トランジットがポイントだね、へえ〜と思いました) 
 
 出口で会ったのは11時過ぎ。それから帰ってもう真夜中を回っていましたが、日付が変わっても調べていましたよ、「到着時刻」ってなに?:

『日本航空002便サンフランシスコ行き18時30分発――。
 旅の予定を考えながら時刻表を見るのは楽しいものです。
 ところで、この出発時刻18時30分。いつの時点の時間だとお思いですか?

 飛行機が離陸する時刻でしょうか。
 それともトーイングカー(牽引車)から飛行機が離れた時刻でしょうか?
 それともボーディング・ブリッジ(搭乗通路)が飛行機から離れた時刻でしょうか?

 正解はこれらいずれでもなく、飛行機が動き始めた時刻のことを指します』

(JALを知る・楽しむ>航空豆知識、文日本航空 一等航空整備士)
http://www.jal.co.jp/entertainment/knowledge/agora36.html

 きっと、簡単なことなんですよ。シンプルに考えよ、というジョブズ氏教え通り、到着時刻は「飛行機が停まった時刻」のこと、なんですね。だから、arrving, arrived, baggage available と表示が点滅して変わるわけですね。

 いずれにせよ満一歳のアニバーサリー企画が羽田空港にありますので、飛行機に乗る、乗らないは別にして、「展望デッキ」もありますし、ぜひ訪問されることをおすすめします:

『日本旅行業協会(通称JATA)VWC2000万人推進室(室長 澤邊宏)は、10月21日にオープン1周年を迎える羽田空港国際線旅客ターミナル及び羽田空港の本格的な国際化1周年を記念して、一般消費者の更なる空港利用促進、国際化の認知度向上を図る海外旅行需要喚起策として、「羽田からもっと! 海外へ」共同キャンペーンを実施します。
 羽田空港国際線旅客ターミナルオープン1周年記念
 〜海外14都市に定期便就航、ますます便利に〜
 羽田からもっと!海外へ」共同キャンペーンを実施』

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2011年10月14日

山岳同好会

 ホームの中禅寺湖のあとは、アウエイになりそうです。
 
 10月14日金曜日のあわただしい朝、ヤッホー君は顔色が変わりました。どうもパソコンがダウンしたようなのです。ホームが中禅寺湖からの帰りは雨模様。馬から下りて歩いて、服も濡れ、やっと日光ホテルの湯で医されたとの不吉な記述が、時空を飛んで拡散し、ついに汚染されてしまったのでしょうか。
 パソコンが復旧、復興するまで、しばらく除染に時間がかかり、この「日記」執筆も休業になるかもしれません。ごめんなさい。

 休業になる前に、どうしても書き留めておきたい元祖「なでしこジャパン」を擁した犬山高校のその後…

最近、山登りがブームだが、主体は中高年なのでそうだ。
 若者自体は山離れが進んでいる。
 そういえば、大学の山岳部も部員不足で廃部の危機を迎えたところも多いと聞く。
 かくいう犬山高校もかつては山岳部を有し、夏山登山に挑戦していたのである。
 今回は山岳部の活躍をお知らせしたい。


 山岳同好会の様子を伝える犬山高校新聞。1956(昭和31)年10月11日付け
http://www.inuyama-h.aichi-c.ed.jp/ayumi/index56.htm

 今年の夏山はこれまでに見られない人出で特に有名山キャンプ場などでは女子が非常に多く、マナスル登山隊の成功が日本に登山ブームを起こしたともいわれている。
 本校でも学校からは燕岳へ8月25日から28日まで自由参加の形で登山が行なわれた。
 一方全校生徒の登山愛好者たちの念願かなって今年より新しく誕生した「山岳同好会」では、3年E組の岩井君をリーダーに「今年の夏はさっそく山へ」ということになり、3年D組北折君等に余合先生が同行して一行9名で8月20日から28日まで焼岳をかわきりに、西穂高、焼岳など2000m級ピークばかりを登っている。
 8月23日の槍沢では、大雪渓にぶつかり、全員がグリセードといってスキー道具をつけずに靴だけですべる練習を行なった。
 9人が縦に並んで滑っているうちに、前のひとりが転倒したため、全員が雪にまるかってしまったという惨事?もあった。
 この日は横尾に一泊し、翌日上高地から西穂高に向かい、翌々日の26日には学校からの登山隊と一緒になり、その一グループと燕岳に登頂し中房に向かった。
 また日本アルプスのひとつ、標高日本第4位の槍岳にも登る予定であったが、悪天候のためピークを目前にしてやむなく中止となり、その日は上高地に一泊した。
 
 来年はアルプス銀座とよばれている燕岳から槍岳にぬける道を縦走する計画も予定しているとのこと…。

 これからも山岳部員はますます増えることであろう

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2011年10月13日

ホームの中禅寺湖

 ヤッホー君のこのブログ、10月10日「体育の日」の日記<中禅寺湖>で紹介した、今年度ヤッホー君が選ぶベストスリー書物のひとつ、チャールズ・ホーム(菅靖子、門田園子訳)『チャールズ・ホームの日本旅行記、日本美術愛好家の見た明治』(2011年、彩流社)は入手できましたか?
 ヤッホー〜ッ!
 1889(明治22)年、イギリス人チャールズ・ホーム(1848-1923、古美術商)が自分の会社を売却して、エマ・リバティ(1845-1920)、その夫アーサー・レイゼンビー・リバティ(1834-1904、小売業、リバティ商会創設者)と世界周遊の際訪日したときの写真付き旅行記がこの本です。
 彼らは、1889年5月6日、知り合った香港のドイツ人領事夫妻とともに、日光から中禅寺湖に上っています。
 馬と駕篭です。
 婦人は椅子に乗って4人の駕籠かきによって運ばれていきます。
 男性は「日本馬」に乗るのですが、ホームはこのホースと相性があいません。
 『中禅寺湖は丘を9マイル(14.8km)ほど上ったところにあり、日光よりも2000フィート(609m)高いところに位置する。
 わたしの子馬は、乗ったときに深いうなり声をあげて全身をするわせた…

 通り道を緑と黄色の長い蛇が横切ると、わたしの馬は止まって四肢をふるわせるのだ…

 せかしたが、急がせようとすればするほど、馬はのろのろ歩くのだ

と、『わたしは駄馬を飼っていた』の詩まで引用するほどでございました。
(1989年3月28日〜6月7日までのチャールズ・ホームによる滞在記)

 本の巻末のほうには、写真が載っています:
春になると峡谷には藤の花が咲き、紫や赤、白色をまとう。
 藤は、花をつけたしなやかな大枝が垂れ下がり、ときに20フィート(約6m)の高さにまでなるのだ。
 川沿いには、ツバキやボケなどの潅木があり、地面から数インチのところに花をつけ、あたりに素晴らしい緋色の絨毯を敷きつめているように見える。
 川と岩と峡谷のむこうには、けわしい男体山がそびえている。

 徒歩で行く日光から中禅寺湖にかけての登りは、大谷川の川床の上にあたる崖に沿って続いており、およそ3時間かかる。
 一歩一歩の道のりはどれもおもしろく、山道の頂上では地域全体のすばらしいパノラマが突如として視界を横切る。
 片側には流れる小川、きらめく小滝があり、足もとには岩や小山、谷、森がならんで、果てしなくひろがっており、頭上には巨大な男体山がおりなしている。
  
 男体山は中禅寺湖よりさらに8150フィート(2484m)高くのびており、山道の下から数えると標高11,150フィート(3399m)ということになる。
 何年もの間、男体山は静止状態だったが、いまだ活火山とあると考えられている。
 上り坂は非常にけわしいが、にもかかわらず、毎年平均して1万人の巡礼者がせっせとやってくるとのことである


 記録写真にある解説文は、エマの夫のアーサー・レイゼンビー・リバティ。
 日本から祖国イギリスに戻ると、1891年彼らは『日本協会 The Japan Society London』(1893年創立)を立ち上げ、日露戦争のおこった1904年からは、ホームは会長にも就任します(〜1907年、その後副会長)。

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2011年10月12日

山びこ

 『東日本大震災で自宅が被災した宮城県塩釜市の声楽家佐々木貴浩さん(23)が、伊日財団(本部ローマ)の奨学金でイタリアの名門音楽大に短期留学する機会を得た。震災に心を痛めた財団が、被災地の若者を応援したいと申し出た。佐々木さんは「日伊交流の架け橋になりたい」との思いを胸に、先日イタリアへ向け出発、現地での生活をスタートさせた。
 震災当時、佐々木さんは創造学園大(群馬県高崎市)の声楽コース4年生で、卒業式を目前にしていた。卒業後は、プロの声楽家を目指しイタリアで勉強を続ける希望を持っていた。
 しかし、塩釜市の実家が津波で全壊。1階部分に船や車が押し寄せ、音楽教室を主宰する母のグランドピアノも流された。将来を見通せぬまま実家に戻り、2階で生活を始めたところに、財団から留学を打診された。
 奨学生制度は財団がことし創設し、当初はイタリア人を日本に留学させるプログラムだった。しかし、震災の大きな被害を知り「被災地の若者をイタリアに招きたい」と方針を変更。4月初旬、仙台日伊協会に候補者推薦を依頼していた。
 分野を問わない制度だったが、面接などで条件に合った佐々木さんが奨学生に決まり、ローマの名門音楽大・聖チェチーリア音楽院が留学を受け入れることになった

(2011年10月12日水曜日付け河北新報「日伊交流、声楽に乗せ 被災した声楽家、名門音大に留学」)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111012t15030.htm

 聖チェチーリア音楽院、がんばってくださいね、佐々木さん。

Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 東京公演に先立って宮崎公演まであと3ヵ月、ついにチラシ解禁です。『川田知洋バスバリトン独唱会 〜故郷で生まれた音楽』はわたしにとって初のソロコンサートです。
 ≪宮崎公演≫2011年10月23日(日)14:30開演(14:10開場)オードリーハウスhttp://audrey-house.lolipop.jp/ 入場料1000円(全自由席・消費税込)

 
 ヤッホー君、10月23日の宮崎公演は遠すぎますので、11月20日東京公演に聴きに行こうとしたんですよ、なにせ食欲の秋もそうなんですが、やっぱぁ、芸術の秋ですわぁ。
 しかも入場するためのお値段が…、音楽会とかコンサートとか申しますと、近づきがたいハイソなイメージしか持ち合わせておりません。ましてやネクタイもスーツもワイシャツも靴下も持ち合わせていない土民ですので、遠慮しておりましたが、いやぁ1000円だったら一日、絶食するならなんとかなる! と思い、お電話したのでしたが、ツーレイト、もう満席でした。すごいですねえ。ザンネン!
 この方の名は、川田知洋さん。
宮崎県出身のバスバリトン歌手。宮崎大宮高校を経て東京芸術大学卒業。同大学院修士課程、博士課程に学ぶ。ロータリー財団国際親善奨学生、イタリア政府給付奨学生として渡伊。現在、東京を中心に演奏活動を行う
(ご自身のブログのプロフィルより)
http://musicawata.exblog.jp/14171995/
 
 いえ、なんで川田知洋さんを持ち出したかと申しますと、
この時期に思い出す宮崎の風景は、生駒高原のコスモス。
 コスモスは、来年も必ず同じ場所で成長し、花を咲かす、美しく、たくましい、不死身の植物だ。
 それにしても 山で「ヤッホー」と叫ぶ人は本当にいるのか?
 客席に向かって「バカー」と叫ぶ歌が 他にあるだろうか?
 10月23日、11月20日に演奏予定のV.チマッティ作曲『山びこ』。
  おーい おーい… 誰だ? だれだ…
  ばか ばか ばか…
  誰だ? だれだ…


 チマッティ(1879-1965)といえば「細川ガラシア」(1939年作)なのでしょうか…、ほかにも:
http://www.youtube.com/watch?v=haYfhaew50M
http://www.youtube.com/watch?v=FtU7SFy0_ZQ
 
 アッ、いえ、いえ、そうじゃなくって、話しを昨日のテーマ「太田圓三」に戻します。

 川田知洋さんは、伊東市にある太田圓三の実弟、「木下杢太郎記念館」を先月訪れていて、こんな印象記をブログにしておりますので、ぜひお読み下さい:
http://musicawata.exblog.jp/14660148/

 ヤッホー君も大好きだった伊豆、その伊豆の山々の下見、あれは大室山581m/小室山321mの下見の帰りに(本番は墨田区の保養施設を利用しての「春を待ち兼ねて一足先に春を満喫する」合宿山行)、愛車で立ち寄っておりました、ムカシ。

 ヤッホー君、というくらいですので、山で本当におなかの底から声をだして、「ヤッホー」と叫んでおります。また、仲間とはぐれないように山歩クラブでは、符帳、合言葉となって、現役で使われております。

 詩人、作詞家としての木下杢太郎を知るため、必見の価値がある動画を2件ほどご紹介します:
@ 合唱団pot-au-feu(ポトフ)「夕やけの歌」(2009年11月1日「木下杢太郎合唱祭」で)
http://www.youtube.com/watch?v=rtwzV0oYfZo 

A 「作曲家・多田武彦氏の合唱作品に関するウィキ形式のデータベース」というのもあります:
http://wiki.livedoor.jp/chorus_mania/d/%CC%DA%B2%BC%CC%DD%C2%C0%CF%BA%A4%CE%BB%ED%A4%AB%A4%E9%A1%CE%B2%FE%C4%FB%C8%C7%A1%CF

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2011年10月11日

太田圓三

 ヤッホー君の昨年のブログでしたね、2010年5月12日付け日記「本郷弓町」に、『啄木の「喜之床」ですが、愛知県犬山市の「明治村」に移築されて、今も当時の面影を偲ぶことができるそうです』と書いてありました。
 元祖なでしこジャパン御一行様が走れ走れ、と汽車を蹴って向かった故郷は、愛知県犬山市ですが、そうなんですねえ、ここに「明治村」があったのです。

 ヤッホー君は突然、何を言い出したのでしょうか、2011年10月11日火曜日のこと。
 いやあ、ちょっと興奮気味なので、順々にお話しをすすめていきたいと思います。

 「ここに」なんて言うと、ヤッホー君以上に興奮していますが、この「明治村」に実は、ですね、隅田川に懸かる(旧)新大橋の一部が移設されていたのです。

東京市では、(関東大震災の)震害そのものよりも、むしろ(地震発生後3日間続いた)火災により多くの橋が被害を受けている。
 (旧)新大橋の床版が、当時としては珍しくコンクリート製であったことから焼け落ちず、多くの人命を救ったことから、「お助け橋」とも呼ばれた。
 当時の橋梁は、現在、愛知県犬山市の明治村に一部移設されている


 2011年10月8日木曜日のヤッホー君のブログ「昭和6年の修学旅行」では、『途を隅田川にとり、渡船に乗って、魚河岸を左手に浅野セメント工場その他煙突の林立する工場地帯を右にして、土木の粋を極めた永代橋その他諸橋梁をくぐり』とあることにビックリ、あっ惜しかったなあ、彼女たちには陸路で清洲橋を渡って欲しかった、と言いました。

 この永代橋、清洲橋は、今夏「朝キン」で彷徨した築地にあった、今はもう解体されて姿形もない復興小学校「明石小学校」と同じく、関東大震災から立ち直るべく、土木技術の粋を集めて建てられた、帝都、ごほんごはん、東京のシンボルだったのです;

現在の永代橋は1926(大正15)年12月の竣工であるが、永代橋そのものの歴史は古く、1698(元禄11)年に隅田川の第4番目の橋として幕府により架設された。
 その後、数度の架替えを経て、現在の橋梁となっている。
 なお、現在の橋梁は、震災復興事業により隅田川に架けられた最初の橋梁である。

 関東大震災発生当時は、ほとんどの橋梁の床版が木造であったことから、隅田川の橋梁群も新大橋(コンクリート床版)を除いて焼失した。
 震災復興事業により永代橋が完成した昭和初期には、永代橋の下流に橋は無く、隅田川の最下流に位置する第一の橋梁となった。

 一方、清洲橋は、関東大震災以前には存在しなかった橋梁であり、震災復興事業によりはじめて架橋され、現在に至っている。
 東の深川区清澄町と西の日本橋区中州町を結ぶことから清洲橋と命名されたが、これは公募により決定されたものであり、当時にして住民意向への配慮も見られたことが推察される』

(『国土交通政策研究』第54号「地域に根ざした社会資本整備のあり方に関する研究」2005年7月国土交通省国土交通政策研究所、主任研究官 日下部 隆昭/研究官 高森秀司
"A Study of Community-Centered Social Infrastructure Improvement")
http://www.mlit.go.jp/pri/houkoku/gaiyou/pdf/kkk54.pdf

本日、文化庁文化審議会の答申があり、隅田川に架かる「清洲橋・永代橋・勝鬨橋」の3橋が、国の重要文化財(建造物)に指定されることになりましたのでお知らせします。
 清洲橋と永代橋は、関東大震災後の帝都復興事業の象徴として、また、勝鬨橋は、我が国で最大規模の跳開橋として、いずれも当時の最先端の技術を駆使して建設されており、我が国の橋梁技術史上、高い価値がある橋梁です。
 都道府県が管理する橋として初めての重要文化財指定であり、3橋同時指定も初となります。
 今後は、都の貴重な管理橋として、長く供用できるよう長寿命化を図って保存・活用します

(2007(平成19)年4月20日、都建設局、都報道発表資料より)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2007/04/20h4k100.htm

 この「帝都復興事業」をブログの日記に書き綴ってから、ヤッホー君は10月10日の祝日、お出かけしたのでした。
 向かった先は、と言いますと、JRお茶の水駅。
 この駅で下車し、目指すは「聖橋」から湯島聖堂、そして神田明神を右にみて清水坂の途中、徒歩10分のところにある「小平記念東京日立病院」(文京区湯島3-5-7 Tel 3831-2181)。
 しかしお見舞いに行くのにも電車賃がないほどに窮しているヤッホー君、定期のある東京メトロ「大手町駅」で下車して、それから「帰宅徒歩訓練だ〜い」と、得意のモク拾いスタイルで歩きだした、とま、こういうわけです。

 地上にでて、ムカシ「入管(ニュウカン)」の入っていたビル、大手町合同庁舎から、神田の美土代町へと歩こうと本郷通りを北にとって、神田橋を渡ったそのとき、でした。
 突然、ヤッホー君は「もし、もし」と呼び止められたのです。

 「なによ」と振り返った、そのときに目に飛び込んだのが、帝都復興院土木部長の太田圓三(1881-1926)のメモリアル銅像。
 こんなことってあるのでしょうか…、手招きをしてくれていたのでした。
 「草木も眠る丑(うし)三つ時」ではなく、ハイヌーンhigh noon、真昼の12時40分ころのことでした!

鉄道始まって以来の天才技術者
 太田圓三は木下杢太郎(本名・太田正雄)の実兄です。
 杢太郎より四歳年上で、1881(明治14)年に現在の伊東市湯川で生れました。
 圓三は、東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業後、逓信省鉄道作業局(後の鉄道省)に入局し、長く鉄道技術者として活躍していました。
 その業績は、鉄道橋の標準設計を策定するなど土木技術のみならず、路線選定にあたって図上選定法を普及させたり、工事の機械化を推進したり、工事請負制度を改正したりと多岐に渡ります。
 工務局工事課長時代には丹那トンネル工事の管理や上越線清水トンネル工事も担当し、「鉄道始まって以来の天才技術者」と評されました。

 近代都市・東京の設計者
 1923(大正12)年、関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京を復興するため、帝都復興院が設置されると、その手腕を買われた圓三は、土木局長に抜擢されました(復興院は後に内務省復興局となり、圓三は引続き土木部長として復興にあたりました)。
 圓三はここでもその才能を発揮し、多くの功績を残しました。
 第一に、道路の拡張・新設と、それにともなう土地区画整理を推進したことです。
 当時はまだ馬車が主流でしたが、圓三は車社会の到来を見越してこれを断行しました。
 現在、東京の幹線道路となっている昭和通りや靖国通りなどはこの計画でできた道路です。
 第二に、隅田川6橋をはじめ、震災で焼失・崩落した100以上の橋の設計に尽力しました。
 その際、圓三は都市の美観にも配慮し、広く芸術家にも意見を求めたといいます。
 なお、隅田川に架かる永代橋・清洲橋は現在、国の重要文化財に指定されています。

 第三に、高速鉄道(地下鉄)の必要性を説き、鉄道網の具体的な計画化に携わりました。
 復興事業では予算の都合上、地下鉄の敷設まではできなかったのですが、圓三はその必要性を重視し、私案を作成して内務省公告にまでこぎつけました。
 圓三はまさしく、近代都市・東京の礎を築いたのです。

 帝都復興事業に心血を注いだ圓三でしたが、1926(大正15)年、志なかばにして自ら命を絶ちました。
 区画整理に対する無理解や、復興局疑獄事件の発覚による心労のためでした。
 多くの人々に惜しまれ、45歳の若さでこの世を去った圓三。
 しかし、その業績は現在も東京に生き続けています』

(「伊東市立杢太郎記念館」公式サイトより)
http://www.city.ito.shizuoka.jp/hp/page000005800/hpg000005753.htm

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2011年10月10日

元祖なでしこジャパン

 今日は10月10日「体育の日」です。
 10月10日が次に国民の祝日、「体育の日」となるのは5年後、2016年を待たなければならないのです。
 台風12、15号の影響で日光・小田代原が湖となったということで、その湖に映る紅葉した山肌やズミを見ようと、きっとこの連休は、混んだにちがいありません、あの『いろは坂』!

 相変わらず日光のお話しが続きます。
 だって元祖『なでしこジャパン』なんだもん。

 今朝の日記に、1931年4月25日、現・県立犬山高校の女学生は31名で日光の先、「馬返し」838mから「中禅寺湖」「立木観音」1269mまで集団登山をした、と記しました。

 歩いて登ったのですよ、標高差430m。
 1時間200m登れるとして休憩時間も入れて3時間はみなくっちゃ、ね。
 もちろん、「いろは坂」なんてないですもん。
 「いろは坂」が車道として有料道路となって料金徴収されたのは、それから4半世紀後の1954(昭和29)年ですって。それから30年後の1984(昭和59)年に無料開放されています。
 ちなみに、「いろは坂」は日本で2番目の有料道路ですが、日本で最初の有料道路は、120年以上前の明治10年代に長崎で造られているそうです。
(東條正・長崎大学経済学部教授(日本経営史、1949年生まれ)、長崎新聞コラム)
http://www.nagasaki-np.co.jp/cgi-bin/attocolumn/blog.cgi?n=17

 実はこの「馬返し」から「明智平」までケーブルカーが完成し営業開始するのが、元祖『なでしこジャパン』たちがふうふう言いながら登りつめた1931年の翌年、1932(昭和7)年8月28日だったのです。
 「日光鋼索鉄道線(にっこうこうさくてつどうせん)」と言います。

かつて栃木県日光市の馬返駅から明智平駅までを結んでいた東武鉄道の鋼索鉄道(ケーブルカー)である。
 馬返駅で日光軌道線と連絡する形で運行していた。1970(昭和45)年廃止。
 路線データ:路線距離(営業キロ)1.2km/軌間1067mm/駅数2駅(起終点駅含む)/高低差430m
 歴史:
 元は日光登山鉄道が1927年から建設しようとしたものだが、昭和恐慌の影響で建設が一時頓挫し、1932年に馬返-明智平間1.2kmがようやく開業した。翌年には、300mであるが架空索道(明智平ロープウェイ)を明智平-展望台間に開業させる

 廃線探訪していらっしゃってブログで報告なさっている鉄道ファンの方々がおられますので、一例として2009年12月21日に詳しく更新なさってくださった次↓をご覧下さい:
http://www.hotetu.net/haisen/Kanto/081109nitukoukousakutetudousen.html

 でもわれらが元祖『なでしこジャパン』たち、自分たちの力を信じて登りつめていったのです。

 登った、ということは下らねばなりません。翌朝、日光に下りて汽車に乗り、ですので、きっと荷は預けた、デポした、ホテル泊ゆえ歯磨きタオルの銭湯グッズも不要、また一泊ゆえ、と下着の替えもなく空身で登ったんだ、とヤッホー君がリーダーだったらきっとそう指導しただろうと思っただけのことですけど。
 でもやまびこ、のぞみを乗り継いで、はい、愛知県へ、ということにはなりません。昭和6年のことです。で、どうしたか、といいますと:

日光の街に哀別の情を送りつつ、汽車は白煙を残して東へ、更に南へと走り続け、関東平野の西北隅を横切り、信州へと鉄路は延びて居る。
 長い一日の乗車にあきて来た頃、やっとの思ひで長野の駅に着いた。
 もう日はとっぷり暮れて街には灯がともっていた。
 私達の落ちついた宿は明るい感じのする落着きのある気持ちのいい宿だった。
 夕飯をすまして入浴に埃を落とすと、少し買い物をして今度はここに旅の疲れを休めることとなった。
 かすかに響いてくる汽笛に淡い旅愁を感じながら、私達は静かな眠りにつくことができた


 はい、4月26日、信州は長野まで走ったのです。そして、4月27日、牛に引かれて善光寺参りをするんですよ。

さわやかな朝、今日は最後の日だ。
 私達は昨夜までの疲れをすっかり回復した。
 
 宿の人に案内されて私達は先づ、善光寺に参拝した。
 御堂は私の目にも余程古く、如何にもいはれあり気に、そして神秘的に見えた。
 真面目な気持ちで内部のあちこちを参観した。
 真っ暗な階段めぐりにも、私は幸福のカギをしっかり握ることができた。

 一日の見物も終へ最後の一日は暮れ様としていた。
 宿で身ごしらへをしていよいよこの街ともお別れをする事になった。
 汽車は街をあとへあとへと、そして故郷へ故郷へと走っている。
 思へば長い様で短かった一週間の旅行だった。
 ホッとした安堵と一緒に新たに私達の心には故郷へと云ふ勇気と喜びが湧いてゐた。
 みんなを乗せて汽車は夕やみを西へ西へと走ってゐる

 
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中禅寺湖

 1931年4月25日、日光に向かった女学生31名の足取りを辿る旅にまた戻りませう。東照宮を見学した後、御一行様はどうしたかと申しますと:

2時頃東照宮西門に待って居たバスで馬返しに至り、夫れより徒歩で中禅寺湖を指して行く。
 道は上りで辛い。
 途中、まだか、まだか、と休み、休み、重い足を引きずりながら上るのであった。
 漸くのことで、今日の宿を定められてゐるレークサイドホテルに到着して、やっと腰を下ろした。
 が、荷を茲に置いて直ちに、中禅寺に参拝した。
 湖畔で一同、記念写真を撮る


 時は現代に下って、記録を電子化した編集者のコメントがあります:

★ 中禅寺湖は周囲約25Km、最大水深163m。
 日光を代表する湖で、水面の海抜高度1269mは、日本一の高さを誇る。
★ 中禅寺は、784年創建。
 世界遺産「日光山輪王寺」の別院。
 ご本尊は、桂の立木を手刻されたと伝わる「千手観音」で、「立木観音」とも呼ばれている。
★ 犬山女学校の生徒が感動したホテル生活(たった一日だけですが…)を送ったのは、たぶんこのホテル。
 現在も続いている超有名ホテル。
 1894(明治27)年4月10日に、故坂巻正太郎氏が『レーキサイトホテル』として創業。
 洋式ホテルは1873(明治6)年、日光金谷ホテル(金谷カティジイン)が最初。
 その後、箱根富士屋ホテル(1878年開業)や軽井沢万平ホテル(1894年開業)が開業する。
 中禅寺湖のリークサイドホテルはそれと並んで、歴史のあるホテル。

http://www.inuyama-h.aichi-c.ed.jp/ayumi/index27.htm

 ね、すごいでしょう!びっくりしました!!
 ひとつ、女学生は日光の先、「馬返し」から「中禅寺湖」「立木観音」まで集団登山をしております。
 今日の宿題は、この秘境の避暑地、西洋人が静養に訪れた日光、中禅寺湖畔までって、どんな足?
 ロールスロイス?ベンツ?あの有名な、「いろは坂」は?あのロープウエイは?われらが「東武」は?
 
 もうひとつ、女学生たちの修学旅行って、荷はどうしたのでしょう?
 日本橋三越で買ったお土産はちゃんと荷にあったのでしょうね。彼女たちの体力と根気、それをリードした3人の教師たちに感服!

 彼女たちの足の運びと、登る姿に感動を覚えながら、ヤッホー君は今日も重い足を引きづりながら家をでるのでした。
 あっ、ヤッホー君本人は、軽やかでリズミカルな軽快なフットワークと、どこにでも飛んでいける「現場主義」、問題解決は現場で、という尻の軽さを自慢にしとるそうで申し訳ございません。
 お詫びして、二度とヤッホー君をおちょくったり、からかったり、揶揄したりしないことをお誓い申しあげますが、はたしてはたから見ると、アシガル?短足で、いつも嘆息ばかり…

 いえ、ね、チャールズAロングフェロー(山田久美子訳)『ロングフェロー日本滞在記』(2004年、平凡社)を紹介したことがありましたが、今般、今年度ヤッホー君が選ぶ書籍ベスト10入りは間違いないこんな書物を手にしているからなのであります:

チャールズ・ホーム(菅靖子、門田園子訳)『チャールズ・ホームの日本旅行記、日本美術愛好家の見た明治』(2011年、彩流社)

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2011年10月09日

大江戸神輿まつり

 山歩きのヤッホー君は、「黒山」となるとどんな山って気になってご飯も喉を通りません。
 黒山の人だかりとなった10月9日日曜日の木場公園、ついついオリンパスのデジカメを首からぶらさげ、駄馬でも野次馬でもありません、愛車を飛ばしてでかけてしまいました。

西暦2003年江戸開府400年の記念事業より始まり、本年で9年目(9回目)を迎えるイべントです。
 都内はもとより関東一円から結集した200団体2000人以上の神輿同好会が、各会自慢の著名大神輿12体とともに会場にて行われるコンテストに参加、神輿の担ぎ振り、掛け声、祭衣装、などを競い、クライマックスの一斉担ぎ上げでは、会場は粋でいなせな担ぎ手の興奮のるつぼと化します!
 また、本年は3月の東日本大震災に罹災された方々の復興支援をスローガンに掲げ開催いたします。
 第5回フォトコンテストも同時開催し、名実ともに『見て』『聴いて』『肌で感じて』をコンセプトに、広く都民に楽しんでいただけるイベントとなりました!』

http://www.kanko.metro.tokyo.jp/kanko/koto/event/mikoshimaturi.html

 そうなんですう、大江戸神輿まつりでした!

みこし祭り.jpg

 写真の向かって右奥にはなんとスカイツリーまでも、江戸ですねえ、下町ですねえ〜。
 1年前の「日本神輿協会創立30周年記念祝賀会」での「締めの木遣り」はこちら↓で:
http://www.youtube.com/watch?v=xgtWF0t0dm0

 と申しますのも、10月15日(土)、16日(日)は、同じく木場公園を舞台に「第29回江東区民まつり」が開かれます。
 都教育委員会後援による「民俗芸能大会」では16日(日)11時〜12時半、「木場の角乗」も第1会場・入口広場」で行なわれます。
 詳しくは江東区報」10月5日号もしくは江東区の公式ホームページから:
http://www.city.koto.lg.jp/profile/kuho/63194/63394/file/100501.pdf

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日光レイクサイドホテル

 ここで、女子校生31名と3人の先生による修学旅行を振り返ってみましょうか。
 
 1931年4月22日午後7時半に愛知県犬山をでて、夜行列車に乗り込みます。
 静岡、沼津、御殿場を通り、翌4月23日午前5時05分、藤沢駅に到着します(この時点でもう2日目です)。

 4月23日は、江ノ電に乗り換えて、江ノ島へ。鎌倉の大仏、鎌倉八幡宮へ。お昼をとってすぐに東京へ。電車なんてなかった時分、「汽車」で向かいます!

『「さらば鎌倉」とつきせぬ名残りの中に汽車は一途東京へ…。
 車中で、次から次へと思ひやられる帝都の様子!
 空想は雲のやう。
 間もなく「東京々々」と如何にも江戸ッ子らしい言ひぶりを耳にしたかと思ふと、汽車の軋る音』


 東京駅、これを取り巻く丸ノ内ビルディング街、日本帝国の首都に感動し、二重橋にてご皇居を拝し、次いで「七生報国の誠をあらはし、幾久しく君国を護らんとする楠公の銅像に最大の敬意を払ひつつ、櫻田門を経て、市街地へ」、旅舎三芳館(本郷かな?)へと向っています。
 まだ終わりません。夜の7時半より浅草に出かけています。
 「地下鉄道」、すなわち1927(昭和2)にできた日本で最初の、いやアジア・オセアニア地域でも最初の地下鉄に乗っていくのです。
 「旅舎」にご帰館なされたのは夜の10時、っていいます。
 これで長い2日目が終わるのです。
 
 3日目4月24日は昨日のヤッホー君のブログで紹介。
 関東大震災で無念にも焼け死にたえた被災者たちに思いを馳せ、さめざめ、しくしく、すすりなく彼女たち。しかし、泣いてばかりではございません。
 補足するとすれば、しっかり1時間の自由時間を使って、「三越日本橋本店」で、修学旅行に出してくれた愛知県のご両親にお土産物を買っております。
 だって、…
昭和7年の卒業生は56名という記録が残っていますので、行かなかった、あるいは行けなかった女学生もいたはずです
 この日、夜のお散歩はなかったようです。

 明けて4日目です。
 4月25日、元気いっぱい、あっちゃこっちゃ動きまわる彼女たちはどこへ向かうのでしょうか。
 どうやら「帝都」を離れるようです。

4月25日第3日目(正確には第4日目のことですよね)、「日光」行きの朝となった。
 私たちは身支度をし、眠い目をこすりながら洗面して、すぐにご飯を頂いて、一同、三芳館を出て上野駅に着く。
 今日一日は汽車の旅。
 広い田野の真ん中を日光目指して走り行く。
 午前10時50分、日光着。
 直ちにバスで東照宮に向ふ。
 
 ホテルに帰って、洋式風呂でゆっくり今日一日の疲労を医し、ベッドに横たわった。
 生まれて初めてホテル生活、まるで別天地の如く、一生の深き思ひ出であらう


 すごぉ〜ぉい!。がんばりやさん、ですよねえ〜。
 いまの山ガールたちの元気の源は、昭和のはじめの彼女たちにあったのかぁ〜、とヤッホー君はひとり拍手喝采しておりました。

 ホテル? あっ、そうそう、もうひとつ補足しておかなくっちゃ。
 ヤッホー君がこの間、1週間前の日曜日10月2日に立ち寄り湯してきたのが、そのぉ〜、彼女たちと同じホテルだったのです。
 日光レイクサイドホテル内「湖畔の湯」。
 あの「歌が浜」の船着場のお姉さま、ご推薦のところ。
 いえ、いえ、遊覧船もホテルもぉ同んなじ東武系列でした、なんてことけっして思ってもいませんし、申しあげません。
 下町の住民としてはスカイツリーも含めまして、東武の大ファンですから、乞御安心。
http://www.tobuhotel.co.jp/nikkolake/

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2011年10月08日

昭和6年の修学旅行

 ジョブズ氏の成仏をお祈りし、次にびっくりしたことを報告しなければなりません。10月8日土曜日のこと。
 それは、愛知県立犬山高等学校です(犬山市大字犬山字北首塚2番地 Tel 0568-61-0236)。
 犬山高校は昨年2010(平成22)年に創立100周年を迎えておりました。
 現在も伝統校にふさわしい品位品格のある生徒を育成し、地域に愛され信頼される学校を目指していますのは当然であります。
 その歴史が100年もおありになると、学校の歴史は宝物です。それが蔵にしまわれっぱなしでなく(そうしたら死蔵ですもん)、一般にウエブサイトで公開し、後世に引継ごうとしている学校の姿勢がすばらしい、と思います。
 記録の公表に携わったであろう先生や、父兄、生徒の皆さんのご苦労が偲ばれます。
 それを目にした者の役割としても広めねばいけない、それがたすきがけのように、愛知県に住んでいなくっともこの国に住むものとしての絆の確認であり、つながり、むすびつきを強めていくことなんだろうと。
 公式ウエブサイトはこちら↓から:
http://www.inuyama-h.aichi-c.ed.jp/

時に午後3時頃、天我等に幸せずか、雨雲の来往街路の人の如く繁く、かなり心配させたが、怯まず、本所被服廠跡の震災紀念堂を訪ねるため、途を隅田川にとり、渡船に乗って、魚河岸を左手に浅野セメント工場その他煙突の林立する工場地帯を右にして、土木の粋を極めた永代橋その他諸橋梁をくぐり、遂に目的地に達して上陸する。
 堂に至って礼拝し、堂の欄干に掲げたる当時の有様を写した絵画を仰げば、今更ながら音に聞く凄惨なりし模様を目の当たりに覚え、唯すすり泣くのみでした


 これは、と言いますと、1931(昭和6)年の修学旅行3日目のこと、学校が高等女学校時代のとき、4年生の4月のときのことです。

関東方面。東海道は電化されていませんでしたから、汽車に乗っての修学旅行です。
 日程は驚くなかれ、4月22日出発、4月27日着、5泊6日です。
 この驚くべき修学旅行について、今回紹介します。
 なお、報告は、第4学年加藤あきさん、同じく玉置みつゑさん、同じく森本静子さんです

http://www.inuyama-h.aichi-c.ed.jp/ayumi/index26.htm

 ですから、雨にたたられながらも隅田川を渡っているのは1931年4月24日、となりますでせうか。。。
 ヤッホー君がびくっとしたのは、「浅野セメント工場」でした。だって、ヤッホー君ん家の近くなんだもん(正確には、太平洋セメント(株)のグループ企業であるアサノコンクリート(株)深川工場になるのでしょうか):

下の絵は「中州付近の景」(山本松谷画)。
 隅田川の対岸で煙を上げているのは、深川区清住町の浅野セメントの工場。
 もともと工部省の直営工場であったが、1883(明治16)年に浅野総一郎に払い下げとなり、浅野セメントとなる。
 江東地区は工場地帯として発展した。
 鐘淵紡績、東京瓦斯紡績、石川島造船などがその代表的な工場で、煙突が毎日煙を上げていたことだろう。
 浅野セメントは、現太平洋セメント(セメント業界最大手です)。
 最近の調査で、なぜ、9月1日に避難訓練をするのか、しらない生徒が多いようで、震災の風化を思います。 伊勢湾台風もそうです

http://www.inuyama-h.aichi-c.ed.jp/ayumi/index27.htm
 ウエブサイト製作者のコメントでした。

 でも、船でなく陸路で完成したばっかりの清洲橋を渡って横網町に出てほしかったな、なんて。でも清洲橋の下を通ったのかな。
 清洲橋は、隅田川河口から約3.2キロメートル上流に架かり、優美な外観を保っていますが、これは、関東大震災後の帝都復興事業の一環として、内務省復興局の設計指導により、1928(昭和3)年3月に竣工したんですよ。そして、永代橋や勝鬨橋とともに、2007(平成19)年、国の重要文化財に指定されたのです(都道府県の道路橋として初の指定)。
 
 突然、「9月1日」と日付けがでてくるのはなぜ?
 1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生しています。1959(昭和34)年9月に伊勢湾台風が襲来。その翌年の1960(昭和35)年に9月1日を「防災の日」にしようと内閣の閣議了解により制定されたのでした。そして1961年には「災害対策基本法」が制定される、とこういう一連のつながりがあったのでした。

 それで、修学旅行の乙女たちが船を下りて向かった先が、いまの「横網町公園(墨田区横網2-3-25)」だったのです。
 
この公園は「横網町公園」という名のほか「被服廠跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」とも呼ばれていますが、そのいずれもが、この公園の歴史を物語っています。
 1922(大正11)年、東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていましたが、その最中に発生したのが関東大震災で、その時この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの風速17メートルの強風に燃え広がり、多数の焼死者が出ました。
 遭難者の霊を供養し、さらに東京を復興させた当時の大事業を記念するため、公園内に東京都慰霊堂(昭和5年)と復興記念館(昭和6年)を建てました。
 その後、東京大空襲の犠牲者である一般戦災者の霊も安置することになりました。
 また東京空襲犠牲者を追悼し、平和を祈念する碑を新たに建設しました

http://www.tokyoireikyoukai.or.jp/

 さらに修学旅行の旅は続きますが、それは次回に…

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2011年10月07日

Steve Jobs

In public, Steve Jobs was polished, steady-as-a-rock and, in his trademark blue jeans and black turtleneck, nearly always the perfect computer geek.
But his family history reveals a man who lived a life of tangled relationships, was estranged from his birth parents and who himself fathered a love child whom he at first rejected.

("Steve Jobs’s family life a complex tangle of close relationships and deep rifts" by Anita Elash, Globe and Mail, Last updated Thursday, Oct. 06, 2011 11:01PM EDT)
http://www.theglobeandmail.com/news/world/steve-jobss-family-life-a-complex-tangle-of-close-relationships-and-deep-rifts/article2193933/

Also the following would be interesting for us if we will think about his personal history:
"Steve Jobs: from parents' garage to world power, Highlights from the life of pioneering inventor and Apple co-founder who has died aged 56" by David Batty, guardian.co.uk, Thursday 6 October 2011 02.00 BST
http://www.guardian.co.uk/technology/2011/oct/06/steve-jobs-timeline-apple?INTCMP=ILCNETTXT3487

After the death, they will publish the book of his autobiography and in his case the book seems to stand best seller before publishing:
"The authorised biography Steve Jobs is written by Walter Isaacson, the former managing editor of Time magazine. Customer pre-purchases have already made it the number one bestseller at Amazon"

And the more important thing is: "The print edition is due for release at the end of October, with a portion of the profits from both issues going to the American Cancer Society"
http://www.guardian.co.uk/technology/2011/oct/07/steve-jobs-biography-official-release

Yes, we should think about his way of thinking refering to his thought watching the folowing video:
http://www.guardian.co.uk/technology/video/2011/oct/06/steve-jobs-life-career-video

He is talking about his own view for thinking beyond the famous phrase "think dfferent":
Jobs simplified complicated things by making the customer's needs paramount, bringing cutting edge technology into globally popular consumer products 

Now it is a time for us to read carefully and voluntarily his message left to us:
On life
"Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything - all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart."
– Stanford commencement speech 2005

On motivation
"That's been one of my mantras − focus and simplicity. Simple can be harder than complex: You have to work hard to get your thinking clean to make it simple. But it's worth it in the end because once you get there, you can move mountains."
– Business Week 1998

On money
Being the richest man in the cemetery doesn't matter to me … Going to bed at night saying we've done something wonderful … that's what matters to me."
– Wall Street Journal 1993

On work
Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don't settle."
– Stanford commencement speech 2005

http://www.guardian.co.uk/technology/2011/oct/06/steve-jobs-quotes

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2011年10月06日

スティーブ・ジョブズ

 今日10月6日木曜日のこと、皆が口を開けるのではなく、口を押さえたニュースというのは次だったことでしょう。下↓の動画を参照:

http://www.theglobeandmail.com/news/technology/technology-video/video-fans-friends-react-to-steve-jobss-death/article2192722/?from=2192664

 ヤッホー君にとって文章になっている記事を、となると次になります:

Steve Jobs managed to live more than seven years with a rare form of pancreatic cancer that grows more slowly than the common kind. But his need for a liver transplant two years ago was a bad sign that his troubles with the disease probably were not over.

The Apple co-founder long kept information on his illness behind a firewall, and no new details emerged immediately after his death.

Medical experts say cancer finally caught up with Steve Jobs, San Francisco, The Associated Press (Last updated Thursday, Oct. 06, 2011 5:16AM EDT)

 そして、

In billions of song downloads, finger swipes and sleek white headphones, Steve Jobs lives on.

The man who brought the world its most popular phone, tablet and virtual record store died on Wednesday at the age of 56. But the legacy Mr. Jobs leaves behind – that of a man whose vision ended up disrupting almost every creative and commercial industry on Earth – is easily comparable to the titans of the modern business world, alongside the likes of Edison and Ford.

Steve Jobs: the man who changed your world, Thursday's Globe and Mail (Last updated Thursday, Oct. 06, 2011 5:59AM EDT)

 日本でも、孫社長が追悼コメントを出しております(2011年10月6日14時04分): 
『Apple前CEOのスティーブ・ジョブズ氏が死去したことを受け、ソフトバンクが孫正義社長のコメントを発表した。
とても悲しい。スティーブ・ジョブズは、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才だった。数百年後の人々は、彼とレオナルド・ダ・ヴィンチを並び称する事であろう。彼の偉業は、永遠に輝き続ける
 孫氏とジョブズ氏は以前から深い親交があった。日本でしばらく続いたソフトバンクモバイルによるiPhone独占販売は、両者の個人的な関係に支えられていたとも言われている』
http://news.livedoor.com/article/detail/5916976/

 ジョブズ氏の財産は?孫氏が大震災に寄付した額は?ジョブズ氏がCEOのときの給料は?退任したときの額は?それに引き換え、この国は、いつのまに、こんな国に成り下がってしまったのか、とあくびが口から漏れてしまうような…
★ 武田邦彦教授
事故も起こすべきではありませんでしたが、起こってしまったことは受け入れざるを得ません。でもその被害を最小限にすることは私たちの責務です。
 相変わらず東電は事故後に退任した社長に2億円の退職金を出し、ヨウ素131やセシウム137といった猛毒をまいた人の家の掃除にも来ないという状態です。政府も6ヶ月を経て福島の除染にまったく人手を出していません。東電は解散、政府は転覆しなければならないでしょう

毒を飲ませず、毒を除いて植えることを求めたい
(10月5日付けブログ「毒を飲ませず、毒を除いて植えることを求めたい」)
http://takedanet.com/2011/10/post_76b1.html

★ 小林よしのり
そういうネトウヨ系のヤツは、強硬なことを言っときさえすれば保守なんだ、愛国者なんだ、と思ってるから、「原発推進だ!」とか簡単に言うけれども、だったらもう、お前たち経団連の思うままに操られるだけだよっていうことであって。左翼と一緒になって「原発反対!」って言ったほうが、世の中それこそすっかり変わるんじゃない?と思いますけどね。
 しかも、君たち年収200万円以下の下層でしょ?っていう。それでいいわけ?と。自分が選んでるんだよそれをって。お前らもう30、40(代)になってるだろ、ほんとはよっていう。匿名でやってるけども若くはねんだぞっていう。結婚もできないっていうような身分に置かれてそれで満足してるわけ?って。全然何に対して怒ってるのか全くわからない。怒らなければいけないのは、違うところにあるんじゃないかっていう。自分の立場に対して満足してないって、そこをちゃんと怒れよって言いたくなるよね

(10月3日11時15分更新BLOGOS編集部記事「もう国家論やめたくなった。わしだってもっといろんな表現をしたいよ」)
http://news.livedoor.com/article/detail/5902626/?p=7

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2011年10月05日

気嵐

 10月2日日曜日、日光・中禅寺湖クルージング(運航期間は2011年4月9日から11月30日まで)の「立木観音」前の「歌が浜」船着場のお姉さまにお聞きしていました。
 だって、びっくりしたのです。
 「阿世潟」から歩いて午後2時頃フィニッシュとした湖岸で見た中禅寺湖!
 湖面にざわざわと白い霧が立ち込め、千手が浜のほうに動いているのです。
 竜巻、すなわち龍が昇ろうとしているのか、はたまた、湖水からきっと霧に乗った勝道上人様が現れ湖面を歩くのか、観光客も皆さん、立ちすくんでこの光景を見ていました。
 立木のようにかたまったヤッホー君、地元の人はなんと理解しているのだろう、とお聞きしたかったのです。
 切符売り場まで駈けだしていきました。

『すみません、あれは、水蒸気ですか?噴火ですか?竜巻ですか?いつも見られるのですか?どうしてこんなことがおこるのですか?』

 早口に立て続けに聞いてしまったヤッホー君にお姉さまは、ていねいにお答えしてくれました。

あれは、いろは坂、華厳の滝にぶつかった冷たい空気が湖に昇ってきて、暖かい湖の空気に触れてできる霧なんですよ。
 タイミングがよければ、こんなふうにいつでも見ることができます。

(…朝だから、とか、秋だから、とかないみたいだねえ…)
 霧が濃いと、何も見えなくなります
(…遊覧船はどうするのかなあ?航行できるのだろうか?…)』

 へえ〜。
 そんなわけで、あわてていたヤッホー君、自慢のオリンパスのデジカメをクルマにおいたまんま、口をぽかんと開いたまんま、眺めやっておりました。
 お見せできる画像がありません、ごめんちゃい。

 こんな動画がありましたのでご紹介:

『2011年2月12日、夜明け前に<中禅寺湖の菖蒲が浜>へ。
 連山に霧が流れて。日の出が登る前の光で明るくなった頃に湖面から霧が発生。
 典型的な「けあらし(気嵐)」状態になりました。
 ※「けあらし」の発生は、大気温度が低い日(当日は-12℃)、湖水温が高い時に霧が発生する…』

(みんなのデジブック広場-「けあらしの朝」-中禅寺湖「菖蒲が浜」より)
…www.digibook.net/d/ec14a593805f923424a0c5f5066f8bf5/

 へえ〜。
「けあらし」というのかあ…
 
 この「けあらし」をすてきに撮りつづけブログで紹介なさってくれているnikkinさんがおられますのでご紹介:

★ 2011年10月4日、つまり昨日の13:41に投稿なさっています「錦秋の竜とけあらし」
http://nikkodayori.blog.so-net.ne.jp/2011-10-04

★ そして2009年の大晦日、12月31日の05:00に投稿なさっている「中禅寺湖の気嵐と回文年賀状」では、「中禅寺湖の霧は、いろは坂にぶつかった雲が張り出してきたものがほとんどである
…ほらね、お姉さまの言う通りでしたねえ:
http://nikkodayori.blog.so-net.ne.jp/2009-12-28

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スイセンプロジェクト

 10月に入って、あんなに暑かった今夏も一気に秋めいてきたと思うヤッホー君。
 ヤッホー君のこのブログ、9月25日付け日記「初冠雪」で冨士山の紹介をしたところ、ぞくぞくと東北の山の初冠雪のニュースが入ってきます:

 東北地方は10月3日、上空を寒気が通過したため、各地で10月中旬から11月中旬並みの冷え込みとなった、そうです。
 そのため、朝日岳(山形県)は、平年より19日、昨年より24日早く、月山(山形県)は平年より15日、昨年より26日早く、吾妻山(福島県)は平年より20日、昨年より24日早く、初冠雪が観測された、そうです。
 
 そして今朝の河北新報のニュースから:
東北地方は10月4日、冬型の気圧配置に強い寒気が入り込み、160観測地点のうち101地点で、この秋の最低気温を記録した。
 蔵王(宮城、山形両県)では1940年に統計を取り始めてから、最も早い初冠雪を観測した、初冠雪は平年より20日、昨年より23日早い

(2011年10月5日水曜日付け「東北・今季一番の冷え込み。蔵王≪最速≫初冠雪」)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111005t75011.htm
 
 ヤッホー君の家のベランダを見たら、なんと日本水仙の緑色の茎が鮮やかにまっすぐ、勢いよくもう10cmほど伸びてきています。
 えっ、咲くのは12月だから、まだ早いんじゃない、と言ってあげましたが、日本水仙は≪自然の摂理≫とかいっておりました。

 水仙といえば、スイセンプロジェクトがサイバースペースではいま、大輪を開かせています:

スイセンが好きだ。
 まだ寒い早春、グワット落ち葉を持ち上げ芽吹くスイセンを見てると元気が出てくる。
 あの香りをかぐとサッパリと冬と決別できる。
 僕はこの黄色い花に「再生」「復活」のイメージがどうしても重なるんだよね

(4月28日付け。そして今は下↓参照)
http://suisen-project.com/author/shingo/
 
 呼びかけた人は柳生真吾さんでした。
 お父さんの柳生博さんの「雑木林の手入れ」について、以前、山歩クラブで紹介しました。どこだったか、今日一日かけて探してみようっと。
 その息子さんの柳生真吾さんは、1968年3月3日のひな祭りに生まれていますが、こんな方です:

『僕の自然観は常に「人の心」が中心にあるような気がします。
 自然ありきじゃなく人の心ありき。
 花や紅葉や蝶が美しいのは当たり前ですよね。
 それを「きれいだ!」と思う「人の心」の美しさに僕はひかれるんです。

 里山はいつだって人が主役。
 だからきっとこの「八ヶ岳倶楽部」が好きなんだ。
 自然といい感じの人間になりたい!
 そんな人と友達になりたい!』

http://www.kanshin.com/user/yagyushingo

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2011年10月04日

塚原哲

東日本大震災による地震保険金の支払額が損害保険業界全体で1兆2000億円と阪神大震災の15倍に達する見通しとなった。
 日本損害保険協会が9月9日、仙台市内で開いた記者会見で明らかにした。
 今回の震災は被害が広範にわたったことに加え、地震保険の加入率が阪神大震災のころに比べて上がっているため支払額が膨らんだ。
 8月末の支払額は日本全体で1兆1343億円。保険金請求を受けたが、まだ支払っていない分が申請件数の2%残っている。
 未請求分も考慮すると最終的に1兆2000億円程度になる。
 損保協会は「保険金の支払い対象なのに、まだ請求していない契約者に申請を呼び掛ける」(栗山泰史常務理事)としている。
 被害が大きかった岩手、宮城、福島の3県での支払額が8月末時点で7350億円と全体の65%を占めた。
 特に宮城県は全体の約半分に当たる5328億円と突出している。
 宮城県は仙台市や石巻市など主要都市が津波被害に遭ったことに加え、地震保険の世帯加入率が34%と全都道府県のうち愛知県に次いで2番目に高いことが影響した。
 地震保険は民間の損保会社と政府が共同で運営する仕組み。
 地震保険の保険金支払いが増えたことで、民間の積立金が急減。
 政府は2011年度第1次補正予算で、民間の負担を約5000億円肩代わりする手当てをした

(2011/9/9 19:10更新 日経ニュースより、「地震保険金支払い、東日本大震災は阪神の15倍に。 損保協見通し 1兆2000億円」)

 10月4日火曜日、ヤッホー君は「地震保障」のお勉強をしていました。
 ヤッホー君の住んでいるお家はどうなっているのだろう、マンションだと専有部分と共用部分があってマンションだとどうなるのだろう、商品も地震保険、特約地震保険、建更、共済団体の自然災害共済等々あって、どれがどう違って、どう比較するんだろう、なんてこれまでよく分かんないやって思っていた事柄、できれば考えるのを先延ばししたい事柄として、机の引き出しに入れたまんまにしていたものでした。

 いやあ、山歩クラブの皆さまが講師としてヤッホー君を呼んでくれたなら、喜んでお話しをしてあげたいところ。
 だって、講師の先生が良かったんだな、うん。
 その受け売りになるのだろうけど…。それで先生はいい、って。
 自分で説明することで、次はもっとうまく説明しようと、自分がもっと勉強していけるんだからって…。
 
 先生は塚原哲と申しまして、1970年東京都生まれ。ですから塚原卜伝ではございません。いや、現代の塚原卜伝かな?
 1993年早稲田大学理工学部を卒業し、エプソンという精密機器メーカー入社と同時に子会社のソフトハウスに出向しました。
 ソフトウェアエンジニアとして家計簿ソフトを企画・開発する過程で、FP資格を取得。
 1998年精密機器メーカーの労働組合役員に就任しています。ここで会社が「利潤の最大化」を目指すのが存在意義だとするならば、労働組合は「組合員の可処分所得の最大化」を目的とすべき、としたのですね。
 そこでライフサポート活動を立ち上げ、執行委員、書記局のFP組織化に貢献。
 2000年、CFPR資格を取得、日本FP協会長野支部・幹事就任。2001年に労働組合専門のシンクタンク「生活経済研究所長野」を設立し、事務局長となっています。

 例えば、こんなふうに上手に、面倒くさいことをていねいに分かりやすく説明してくれるのです:
まず、いつまで保険料を支払うのかをチェックしましょう。
 「保険料が一生変わらない」という宣伝に、無邪気なまでに「良い保険」と思う方がいます。
 しかし、言い換えれば「保険料の支払いも一生」であり、総額の負担は決して少なくはありません。
 例えば、60歳の男性の保険料(入院給付日額5000円)を毎月約6000円とすると、78歳(男性平均余命)までの総支払額は129万6000円にもなります。
 一回の入院で何日まで保障してくれるのか?ということです。
 たとえば「1入院につき60日、通算最高1000日」という保険を、「1000日も出るから長い!」と思われた方は要注意です。
 気にしてほしいのは「1入院につき60日」の表現。
 単純に入院日数を足して、通算日数の範囲内であればすべてに保険が支払われるという訳ではないからです。
 例えば、2回以上入院したとしても、原因が同じ場合は退院日の翌日から180日以内の再入院は1入院とみなされます。
 慢性疾患などで入退院を繰り返した場合、60日しかもらえないという結果にもなります。
 最高1000日分をもらうためには、原因の異なる60日の入院を17回繰り返すという理屈になりますが、そんなアクロバティックな入院は滅多にありません。
 中には「1入院につき30日」の保険もありますのでよくよく確認したいものです

(CFP塚原哲の賢い生活者へのグッドアドヴァイス「終身医療保険について」、2005年9月16日「ながの労福協」第231号、長野県労働者福祉協議会)
http://www.rofuku.net/network/activity_img/nagano20051005092105.pdf

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2011年10月03日

禁煙

 山歩クラブには喫煙者、愛煙者はいないようですが、以下を読んでよろしければ、明日11時までに緊急アンケートにお答え下さい。
 このブログ「日記」の愛読者にはご協力していただけるものと確信しております。
 以前にも(2011年6月5日前後〜)、このブログでも紹介した磯村毅先生より、インドネシアの赤ちゃんのスモーキングを紹介した記事(10月1日付け"toddler smoker in Indonesia")にコメントがあったのです。
 ありがとうございました。

 磯村毅先生をもう一度紹介しましょう。
 先生は、「リセット禁煙研究会・予防医療研究所」を主宰し、トヨタ記念病院禁煙外来の先生で、動機付け面接トレーナーの資格もお持ちです。

 こんなメッセージが:
リセット禁煙研究会・予防医療研究所の磯村毅です。
 インドネシアの子どもの映像、ご存知でしたか!
 これは、本当にひどいことになっています。
 人間も動物の一種。
 見せられるだけで、真似してしまうものなのですね。
 やはり、教育と、行政による規制、もしくは価格による統制が必要なのだと思います…
 産経新聞にてタバコ増税に関するアンケートが行われています。
 期限が、10月4日(火)午前11時までと迫っていますが、JT側も組織的にやらせメールを動員していることは確実です。
 5分もかかりませんので、今すぐ、下記をクリックしてみてください

http://sankei.jp.msn.com/life/topics/life-15004-t1.htm

 でクリックすると:
小宮山洋子厚労相が9月、たばこの増税に触れ、「(1箱当たりの価格を)700円台ぐらいまでは少なくとも何とかたどり着きたい」と述べました。
 一方で、政府・民主党は東日本大震災の復興財源を賄うことを決めましたが、価格の上昇で税収が減るのではとの慎重論も出ました。
 そこで
(1) たばこ増税に賛成ですか
(2) 1箱「700円」は妥当ですか
(3) たばこの大幅値上げが、税収増につながると思いますか

について、あなたの意見をお聞かせください。意見は10月4日午前11時までにお願いします


 また先生からは、リセッター研修会のお知らせも届いております:
2011年12月4日(日) 10:00−16:30 (10:00−12:30 内容A-1/13:30−16:30 内容A-2)
 会場 東京都内(未定) 
 講師 磯村毅
 定員 各10名
 会費 各7000円
 お申し込み、お問い合わせ 東京六法出版 川上登志子(Tel 03-3354-5411 Fax 03-3354-5413  …Mail t.kawakami@vega.ocn.ne.jp
■内容A-1
 5分しかないあなたに。(リセ禁イントロ編)
 リセット禁煙の概説をしたのち、スモーカーに禁煙を本気で考えてもらうためのイントロ部分を学びます。
<扱うスキルなど>
*行動変容のパターン *脱却型行動変容 *言い訳的状況説明 *ラポール *ノンバーバルコミュニケーション *差異を求める質問 *共感のスキル@(話がとまらない人に) *いろいろなタイプわけ
■内容A-2
 10分あるあなたに。(リセ禁『春』編)
 A-1を受けて、さらにコミュケーションのスキルを高めます。
 さまざまなたとえ話を用いて効果的に、気づきの連鎖を起こす技法を学びます。
<扱うスキルなど>
*計算されたわかりにくさ *キスップクエスチョン *隠されたアイコンタクト *シナリオ化された面接@ *第3者の視点 *フィードバック *共感のスキルA


 磯村毅先生は、9月のはじめに、イギリスで「動機付け面接」のトレーナーとなる研修を受けてきたばっかりです。
 「動機付け面接」というのは、もともとは、アルコールや薬物依存症の人が、警察などに捕まって、強制的にカウンセリングを受ける、というような場面で普及してきた方法だそうです。
 こういう人たちは、反抗的で、ふてくされていることが多く、従来の方法では、なかなかうまくいかなかったのですが、そこを何とかする、というものだそうです。

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2011年10月02日

社山

男体山.jpg

 10月2日日曜日、やっぱり愛車を駆って山を歩いてきました。5時半には高速に乗っておりました。どこに向かってたかって? それは、ですね、ずっと気になっていた日光・社山(しゃざん)!

 クルマを置いたのは2時間ちょっと経った後の「歌が浜」。「歌が浜」の由来が公衆トイレの前に書かれていました:

江戸中期に編集された当時の日光案内本ともいえる「日光山誌」によれば、この名前の由来を「上世勝道尊師、茲の汀浜を遊覧し修行せられし時、天人下りて歌詠讃嘆せしといへり。依つて夫より此所を歌浜と称する由。其旧跡、今花供行者の籠る所を宿と称するあり。是其旧跡なりといへり。」と書かれ、中禅寺湖を中心とした勝道上人の遺蹟のひとつである

 そして、2000(平成12)年10月1日と言いますから、ちょうど11年前に開園した「イタリア大使館別荘記念公園」へ。
奥日光・中禅寺湖畔は明治以降、欧米各国の外交官たちが避暑に訪れるようになり、外国大使館の別荘地が立ち並ぶ避暑地として発展した。
 イタリア大使館別荘記念公園は、かつてイタリア大使が利用していた別荘跡で、中禅寺湖畔の豊かな自然や国際避暑地の歴史とのふれあいが楽しめる公園です。
 園内の建物は、昭和3年にイタリア大使館の別荘として建てられ、平成9年まで歴代の大使が使用していたものです。
 実際に使用されていた建物を栃木県が譲り受け、改築して公開している。
 本邸は、床板や建具・家具などをできる限り再利用して復原し、副邸は、往時の歴史を紹介する「国際避暑地歴史館」として整備されました。
 副邸の「国際避暑地歴史館」には家具や調度品が展示され、明治中期から昭和初期まで避暑地として賑わいを見せた往時を偲ぶことができる。
 建物の美しさを引き立たせる周辺の森の美しさや、中禅寺湖の静かな波の音など、豊かな自然に調和した環境の中で、ゆったりとした時間を過ごすことができる

(栃木県観光物産協会)
http://www.tochigiji.or.jp/index.html

 そして、日大講師・ライター、工藤隆雄「社山(栃木県)湖畔にそびえる三角形」(東京新聞2011年7月22日)に誘われるように、阿世潟(あぜがた)、阿世潟峠、社山のピストンとしてきたのでした。
 8時前からスタートし、フィニッシュは2時、と6時間、ゆったり、たっぷり、ゆっくり日光の山のなか! 山肌は初秋、ちょうど色づき始めておりました。その紅葉、黄葉の木々のあいだから、中禅寺湖を見下ろし、湖越しに堂々とした男体山を眺め、草もみじの戦場ヶ原を遠くに臨み、いやあ、実に優雅で風雅な10月最初の日曜日となりました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/amuse/hike/CK2011072202000110.html#print

 下見なんて実に久々! しかも季節は秋! 山は良いです!
 本番は山だったら半月山(1753m)〜社山(1827m)の縦走、あるいは中禅寺湖周回線歩道を竜頭の滝までの一周24Kmコースもいいな、と夢が膨らみました。
 ヤッホー君、仲間たちにさっそく提案してみることにしたってさ…

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2011年10月01日

toddler smoker in Indonesia

 マスメディアでは話題にもとりあげてくれませんでした国連でのNCDs(生活習慣病)対策。小宮山厚労省大臣って出席したのかな?出席して、交流できるおトモダチをたくさんつくって、エイズだけでなく世界の死因についてお勉強してきていただきたかったと思うヤッホー君です。

 2011年9月28日水曜日、BS1「ワールドWaveトゥナイト」で、「タバコを吸う赤ちゃん」で話題になった喫煙国インドネシアの衝撃の状況を報告する、という番組がありました。
 このお話しは、CNNでも昨年、取り上げられ全世界に衝撃が走りましたが、規制する側の選民たちもスモーカーで、肝心の政治家もタバコ依存症、おまけにタバコ会社からの政治献金で懐が潤っている、だから校門のすぐぞばの店では一本売りも可、街角にはカウボーイのマルボロマンが格好よく看板にでかでか、というのではどこぞの国のゲンパツと同んなじ。依存症ってこわ〜いですね。
http://articles.cnn.com/2010-05-31/world/indonesia.smoking.baby_1_aldi-anti-smoking-measures-smoke?_s=PM:WORLD 

 国連のNCDハイレベル会合では、こうしたタバコやアルコールの貿易規制にも触れていますが、クスリだって国際価格だから、途上国にとっては、病気になったら家計に響くし、病気で休業したら収入が途絶えてしまいます。
 ヤッホー君がマレーシアに勤めていたころ、マレーシアではよく生活習慣病を"Life Style Diseases"とマハティールさんがさかんに欧米流のライフスタイルを真似するんじゃないと言っていたことを思い出しておりました。

 蚊が媒介したり、不衛生だったり、雑排水で河川が汚されていたり、インフラ整備によって感染症退治も大事なわけですが、こうした儲けようと狙ってくる多国籍企業の売らんかな企業戦略にどう対抗するんだろう、とか心配していたヤッホー君でしたが、国際社会、国際機関、公衆衛生の専門家との協力体制によって、非感染症の生活習慣病とも対峙してもらいたいものです。

 だって簡単なことなんだもん。一に食事、二に運動、三に禁煙、四に断酒。これだけなんだもん。あっ、ゼロに健診で自分の体、自分の健康上の弱点を知っておく、これも大事ですよねえ。

『今年9月の国連総会は、パレスチナ加盟や原子力安全問題が注目を集めて多くの報道がなされましたが、そのかげでは、「ミレニアム開発目標」や「アフリカの角」の干ばつ問題などに加えて、健康テーマとしてはエイズ問題以来のハイレベル会合となるNCD(非感染性疾患)に関する話し合いなども行われ、政治宣言が採択されています。
 世界が協調して取り組まなければならない病気といえば感染症だというのが常識だった時代から、心血管系疾患、がん、慢性呼吸器疾患、糖尿病といった所謂生活習慣病にも目を向けて国際連携した対策に踏み出そうとする保健医療の大きな潮流変化がおこっていることを認識しておく必要があるのではないでしょうか。

★ 国連総会 NCDハイレベル会合 NCDについて分りやすくまとめたビデオはYoutubeのこちら(英文)
http://www.youtube.com/watch?v=-i_3nonEq0E&feature=youtu.be

★ NCDハイレベル会合についてはWHOホーム頁のこちら(英文)
http://www.who.int/nmh/events/un_ncd_summit2011/en/index.html

(2011年9月28日 社団法人 日本WHO協会 事務局)
http://www.japan-who.or.jp/event/2011/AUTO_UPDATE/1109-6.html

 山歩クラブのこの日記では、9月14日付け「NCDs」で綴っていますのでご参照ください。

 「運動」のため、有酸素運動のため明日の日曜日も山に入ろうかな、季節もいいし。しかし仲間に連絡すると、また? とか急すぎる! とか、煙たがれるかな…禁煙してもう、うん十年経つというのに、ね。

posted by fom_club at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする