2011年09月30日

塚原卜伝

皆さん、すでにご存知かと思いますが、主演は堺雅人さんです!堺さんと言えば、大河ドラマ「篤姫」の将軍・徳川家定役が印象に残っている人が多いかもしれませんが…今回は打って変わって、戦国時代の剣豪・塚原卜伝を演じます(「卜伝」=「ぼくでん」です…念のため)!!
 塚原卜伝は、現在の茨城県鹿嶋市生まれ。真剣勝負では傷一つ負わなかったと伝えられる生涯無敗の剣聖です。
 気になるドラマ第1回は10月2日(日)18:45〜19:58(第1回は73分の拡大版です。第2回以降は18;45〜19:28の43分間になります)。
 BSプレミアムにて放送です!どうぞお楽しみにー!

(BS時代劇「塚原卜伝」…http://nhk.jp/bokuden)
http://www.nhk.or.jp/drama-blog/1230/

 塚原卜伝は、1489-1571年といいますから、16世紀の剣豪です。
 人口に膾炙されているふたつのエピソードがウイキに紹介されていますので、以下に転記:

★ 琵琶湖の船中で若い剣士と乗り合いになり、相手が塚原卜伝だと知ったその若者が決闘を挑んでくる。卜伝はのらりくらりとかわそうとするが、血気にはやる若者は卜伝が臆病風に吹かれて決闘から逃れようとしているのだと思いこみ、ますます調子に乗って卜伝を罵倒する。
 周囲に迷惑がかかることを気にした卜伝は、船を降りて決闘を受けることを告げ、若者と二人で小舟に乗り移る。そのまま卜伝は近傍の小島に船を寄せると、若者が船を飛び降りるや否や櫂を漕いで島から離れてしまう。
 取り残されたことに気付いた若者が大声で卜伝を罵倒するが、卜伝は「戦わずして勝つ、これが無手勝流だ」と言って高笑いしながら去ってしまうというものである。これは『甲陽軍鑑』にある話。
★ 若い頃の宮本武蔵が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込んだ際、囲炉裏の鍋の蓋を盾にしたとする逸話があるが、塚原の死後に宮本武蔵は誕生しており、これは史実ではない。

 ところで9月25日日曜日、新宿高速BTから山歩クラブを乗せた飛騨高山行き濃飛バスは、釜トンネル手前で左折し、阿房トンネル方面にむかいます。ここ、ここにあるのが「卜伝の湯」なのです。指を差して身を乗り出して、カッシーちゃんに説明します:
http://www.nakanoyu-onsen.jp/spa/

 この「卜伝の湯」は「中の湯温泉旅館」の管理地、そしてなんとこの旅館が、活火山の焼岳へのベースキャンプで、登山口から中の湯新道(頂までコースタイム3時間15分)で登ることができるのです。
 
 ほかに「うちのペンション」の中尾高原からの道(頂までコースタイム4時間40分)があって、これは古道。天保年間に開通し、飛騨と信州を結ぶ飛州新道です。

 よく知られている登山道は、上高地帝国ホテルから梓川を田代橋で渡って、西穂登山口から登る(頂までコースタイム3時間半)のがあって、と、まあ〜、ですので三っつほどあるんだよね、とまあ〜、こんなことをカッシーちゃんに、口角に泡を溜めながら、一生懸命お話しになっていたヤッホー君!

 で、あさっての日曜日、10月2日から始まるドラマ「塚原卜伝」と中の湯温泉の「卜伝の湯」はどう切り結ぶのか、興味深々。
 「中の湯温泉旅館」は1915(大正5)年に創業した旧安曇野村にある山合いの一軒宿。
 過日の日記でも紹介しましたが、安房トンネル工事が原因で水蒸気爆発がおこります。そのときに旅館は、安房峠途中の現在地へ移転をします。1998年のことです。
 この移転前の場所にいまだに貸切岩窟温泉があるのです。

 どうして「卜伝の湯」?
昔、卜伝が追手に追われた時に、この洞窟に隠れて敵をやり過ごしたと言い伝えられているからです。
 塚原卜伝の話、これで終わりかと思いきや、、、まだ本当に話したいことはまだ書いていないので、
まだ続きます

(上高地の若女将が綴る老舗旅館の広報日誌、より)
http://ameblo.jp/nakanoyu-onsen/entry-10973964640.html

 まだ、未完のまま、書かれていないようで。
 若女将にもお会いしたいし、思い切って直接聞きに泊まりに行ってみましょうか…

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2011年09月29日

観光客の激減

 観光客の激減!
 岐阜県奥飛騨温泉郷だけではありません。思い出すのは田部井淳子さんに肩を押されるようにして山歩クラブがゴンドラも止まっていた安達太良山を歩き、その帰りに汗を流しに寄った福島県、岳温泉。
 ここのいで湯は、坂上田村麻呂が東征の折に発見したといわれる温泉です。安達太良連峰の麓、海抜600mに位置する高原の温泉郷。古く水戸黄門もその効能を激賞したと言われています。
 山歩クラブがお邪魔したとき止まっていた「あだたらエクスプレス」もいまは営業再開、2011年7月16日から11月15日までは、毎日営業しています。
 ぜひ東北の秋の紅葉を目当てに訪れてください:
http://www.dakeonsen.or.jp/

 しかし、福島県、土湯温泉では…
秋の行楽シーズンを迎える中、福島県の温泉地の旅館やホテルが苦しんでいる。
 震災後受け入れてきた避難者が仮設住宅などに移り、風評被害で観光客数も落ち込んだまま。
 経営破綻する旅館も出ており、客足を呼び戻そうと業界や県は工夫をこらす…
 土湯温泉観光協会の池田和也事務局長は「観光バスはほとんど見なくなった」と話す。
 「福島といえば放射能と言われ、観光、ましてや温泉に入りに来る人はそういない」と嘆く。
 同温泉に22あった旅館・ホテルのうち、震災後、5軒が廃業に追い込まれた。
 直後に2軒、9月に入ってさらに3軒。
 比較的大きな旅館が持ちこたえられないケースが多く、ほかの温泉街でも廃業した施設がある。
 614施設が加盟する福島県旅館ホテル生活衛生同業組合によると、県内の宿泊可能人数は1日約5万人。
 震災後は、最も多い時で約1万8千人の避難者を受け入れてきたが、県内の避難所が原則8月末で閉鎖され、旅館やホテルも今月下旬の受け入れ数は約2500人まで減少した…』

(2011年9月28日14時43分更新朝日新聞福島版「温泉地、苦境 受け入れ避難者減少・客足戻らず」)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201109270233.html

 福島県旅館ホテル生活衛生同業組合も困っています、怒っています:

観光業の風評被害は、福島・茨城・栃木・群馬の4県が損害賠償の対象ですが、東京電力は、原発事故以外に震災の影響も被害に含まれるとして、売り上げ減少の20%分を賠償額から一律に差し引く基準を示しています。
 これについて、福島県内の600余りの旅館などが加盟する「福島県旅館ホテル生活衛生同業組合」は、「この賠償基準は実態を反映しておらず、不当だ」とする要求書を9月29日木曜日、東京電力に送りました…
 組合の菅野豊理事長は「一方的な基準の提示に憤りを感じている」と話していて、東京電力から回答があるまでは、賠償の手続きを進めないよう呼びかけています。
 東京電力は「国が示した賠償の中間指針でも観光業の減収は原発事故以外の要因があると認められており、阪神・淡路大震災の際の観光業への影響を参考にしている」と話しています

(9月29日16時32分更新NHKニュース「福島の旅館組合“賠償見直しを”」)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110929/t10015931771000.html

 困っています、怒っています、のは福島県の観光業だけではありません、どさくさまぎれに火事場泥棒のような奴等が横行するこの国の選民に警告を発しております。貧民、庶民、土民の皆さま、耳を傾けて自分のあたまで考えてみませんか。なんか変な動きがあるようです:

福島民報(2011年9月20日)によれば、福島県と福島県立医大は、総事業費約1千億円で330床を有する放射線医学県民健康管理センターなど5施設を、5年以内に新設しようと計画しています。
 これを、東日本大震災の復興計画として、国の第三次補正予算案に盛り込むよう求めています。
 「復興」とは、被災者の生活が再建されることです。
 私は、東北大学による東北メディカル・メガバンク構想に対する批判で、復興予算を使うことを正当化するための4条件を提案しました。
(「東北メディカル・メガバンク構想の倫理的欠陥」
http://medg.jp/mt/2011/09/vol268.html#more)

1.地元の被災者の生活の維持と再建に直結すること
2.被災者の雇用に直結すること
3.被災者を多数雇用する地元企業にお金が落ちること
4.被災地を後にした被災者の再就職と生活再建に直結すること

 福島県立医大の計画は、東北メディカル・メガバンク構想と同様、被災者の生活再建とは無縁です。
 復興予算の受益者は、福島県立医大ではなく、浜通りの被災者であるべきです。
 日本では、火事場泥棒のような予算要求がこれまでも横行し、実際に認められ、発展を阻害してきました。
 日本を腐らせてきたと表現する方が適切かもしれません。
 大震災を機に、この悪しき習慣を廃するべきです

(2011年9月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 小松秀樹「福島県の横暴、福島県立医大の悲劇」)
http://medg.jp

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2011年09月28日

奥飛騨温泉郷

今年2011年の岐阜県の県内基準地価が9月20日発表され、住宅地、商業地、工業地のいずれも19年連続で下落した。
 住宅地は3年連続で下落幅が拡大。
 高山市奥飛騨温泉郷栃尾字沖野の住宅地は、17.2%下がって全国最大の下落率となった。
 県内の地点が全国最大の下落率になったのは、記録が残る1983年以降初めて。
 調査を担当した不動産鑑定士は「2008年のリーマン・ショックから立ち直りを見せていたが、景気低迷や震災の大きな影響を受けた」と指摘している…
 全国最大の下落率となった高山市奥飛騨温泉郷栃尾字沖野の住宅地は、周辺が旅館を営むなどの観光エリアに位置する。
 東海北陸自動車道の開通や東日本大震災の影響で宿泊する観光客が激減しており、6月の安房トンネルの無料化実験の終了も打撃となった

(2011年9月21日付け毎日新聞地方版
「基準地価:19年連続で下落 高山・奥飛騨温泉郷は全国最大/岐阜」)

 この「打撃」を与えたというのは何かな…?

★ 「東海北陸自動車道」は、北陸道・小矢部砺波JCT―名神高速道路・一宮JCT間の全長184.8キロ。
 1972年に着工し、中日本高速道路(名古屋市)は2008年4月16日、全線開通を同年7月5日にすると発表。
 1986年3月から一部供用が始まっていた。

★ 無料化実験が終わった「安房トンネル」とは:
福井市から高山市を経て松本市を結ぶ国道158号線は岐阜・長野県境で安房(あぼう)峠を越える。
 ここは交通の要所でありながら難所であったため、トンネルで貫く工事が1983(昭和58)年 から調査抗掘削で始められ、1995(平成7)年に本抗が貫通した。
 現在、岐阜県側の平湯温泉と長野県側の中ノ湯温泉をつないで約4.3kmの距離を車で簡単に通過してしまうが、岐阜県側では焼岳火山群の1つであるアカンダナ火山の一角を、長野県側では美濃帯堆積岩類中の高地熱地帯をそれぞれ貫き、湧水や高温熱水に阻まれながらも12年かけて掘られた。
 必ずしも火山体の中心部を貫いたわけではなかったこともあるが、幸いにもトンネル工事で火山活動にかかわるような事故が起きずに完成した。
 しかし、1995年2月11日に中ノ湯温泉付近の取付け道路の工事現場で水蒸気爆発が起こり、4名の犠牲者が出た。
 火山体の近くでは紙一重のところにまで火山活動の一端が接近していることになり、かなり危険な状況下でトンネル掘削が行なわれたと考えてよい

(岐阜大学教育学部理科教育講座地学教室)
http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/chisitsu/gifunochigaku/volcanos/

★ 「東日本大震災の影響」
☆ 「うちP」
 3月11日の東日本大震災の影響で、ココ奥飛騨も結構揺れた。
 そのおかげで、我が家の露天風呂に亀裂が入ったらしく、八分目までしかお湯が溜まらなんだ。
 キャンセルが相次いだもんで、日曜日の本日は朝から修復作戦!
 1日も早く直して、うちP露天風呂のファンの皆さんに喜んでもらいたい!
 買い置きのセメント調べたら、1袋しかない。
 1袋じゃ全然足りんで、セメント買いに走るところからスタート。
 買いに行ったら、知っとる顔を数名見た。
 多分同じ作業しんならんに違いない( ̄ー ̄)ニヤリ
 露天風呂に亀裂が入った宿は、うちP以外にも数件あるよ〜や。
 セメント買いに走っとる間、お湯を抜いた露天風呂では、原因の穴探し…。
 晴天にも恵まれ、午後3時過ぎ作業終了。
 後は一晩乾かせば完了!!
 明日お湯を溜めるのが、非常に楽しみや( ̄ー ̄)ニヤリ
 ど〜か溜まりますよ〜にm(_ _)m

(2011年3月13日17:34更新「日記」露天風呂の修復作戦!)
http://nakaonosyun.dreamlog.jp/archives/2011-03.html?p=5

☆ 「西穂山荘」
 3月11日に発生した東北関東大震災。
 ここ西穂高でも強い揺れを感じる程で、登山道にいた山荘スタッフは周辺の木々からの落雪で一瞬ホワイトアウトになるほどでした。
 遠く離れた北アルプスにまであのような揺れがやってきたことに驚くと同時に、いったいどれ程の被害がでるのだろう、と大きな不安に包まれました…。
 また、未だ危機的な状況を脱していない福島第一原子力発電所の事故は、日本はおろか世界中の人びとを不安な気持ちにさせています。
 「西穂山荘として、何か少しでもお役に立てることはないのか?」 義援金を募ることは決まりましたが、私たちならではの貢献の仕方があるはずです。
 そこで、北アルプスで唯一通年営業を行う山小屋らしく、白銀の山なみを背に元気な応援メッセージを送らせていただくことになりました。
 「がんばれ日本!! 被災地のみなさまを応援しています」
 短いメッセージかも知れませんが、社長・現場スタッフ・事務所スタッフ、西穂山荘全員が気持ちを一つにしてお送りします。
 また、今後も皆様の心が癒されるような画像をお届けできるよう、心がけていきたいと思っています。
 当ホームページが配信するメッセージや画像の数々が、被災され頑張っていらっしゃる皆様をはじめ、ご覧いただいている大ぜいの山を愛する皆様に少しでも元気と安らぎをお届けできれば、これ程の喜びはありません。
 こんな苦しいときだからこそ、山が、自然が与えてくれる“癒し”というものは人を救ってくれる気がします…

(3月28月曜日 西穂山荘一同)
≪小屋番日記≫より
http://www.nishiho.com/koyaban.htm

 さ、冬合宿も奥飛騨温泉郷「うちらのペンション」でスノーシュウをしようかな…提案しよおうっと…


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2011年09月27日

西穂丸山

HP1.jpg

 9月25日日曜日夜、われわれは「うちのペンション」、略して「うちP」とか、「うちらのペンション」とか呼んでいますが、毎年おじゃましている山歩クラブのペンションで、山歩クラブ秋の収穫祭、秋祭り、お天気祭り。
 え〜と、場所はと言いますと、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷中尾283-1(バスだと「中尾高原足湯」前で下りたら徒歩1,2分)のところ、予約お問い合わせはTel 0578-89-2694
http://www.okuhida-dsl.com/ucchi-/

大型台風が過ぎ去ったら、朝晩本当に冷え込みが厳しくなりました。
 昨日は、乗鞍で初氷がお目見えして、先日は穂高岳で雪が舞ったらしいです。(>.<)
 標高1100mある中尾も、連日思いっきり気温が下がるので、うちPでは床暖房始めました。
 因みに、今朝の気温は6℃です

(25日朝6:38更新の日記からでした:
「床暖房始めました」)
http://nakaonosyun.dreamlog.jp/

 そのお天気祭りで、オーナーの北飛山岳遭難救助隊の元隊長さまは、ヤッホー君の姿格好、年恰好、禿げ格好を舐めるように見て、地酒をすすめて、注ぎながら、こうおっしゃいました:

『独標までは無理だから、はじめっから丸山どまりにしてたらいいよ、帰りの新宿行きバスに間に合うように、行動するんだよ』

 ヤッホー君は、薦められた地酒を舐めながら、帰りの時間から逆算した行動をとろうね、だから行けるところまで!とかねてより「うちの隊長」、カッシーちゃんと打ち合わせしていた通り、その覚悟を固めました。

 ヤッホー君は流木(とうへんぼく)ですけど、オーナーは流石(さすが)でございました。だって結果はその通りなんだもん!

 翌26日、8時にはペンションをでて、一番の二階建て新穂高ロープウエイ(岐阜県高山市奥飛騨温泉郷新穂高 Tel 0578-89-2252)」のゴンドラに乗り、コースタイム通りにがんばって登って、「西穂山荘(予約問合せは西穂山荘事務所 Tel 0263-36-7052)」までたどりついたのですが、丸山どまり。

 写真の道標「丸山」を隠して修整しようよ、そしたら「西穂」だけだから、ピラミッドピークにジャンヌダルクにジャンダルムも越えて(?)、西穂高岳2909mに登ったんだよって、手前勝手に思うことにして、ピストンでまた戻ったのです。
 いえ、本当は独標方向はガスがかかっていたので、岩峰を登っても眺望は得られない、とこういう判断をしたので、穂高彷徨を断腸の思いで断念したのが、噂の真相でござりまする。

 でもオーナーの言う通り、これがぎりぎり!
 平湯温泉「ひらゆの森(岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯763-1 Tel 0578-89-3338)で立ち寄り湯することもなく、せいぜいバスターミナル近くの「山菜喰処よし本(岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯温泉637 Tel 0578-89-2171)」で打ち上げの盃を傾けて、渋滞もない平日の夜の上りの中央道をまっしぐら、新宿を目指して帰ってきた、とまあ、こういう山旅だったのです。

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2011年09月25日

初冠雪

甲府地方気象台は9月24日午前、富士山で今季の初冠雪を観測したと発表した。平年より6日早く、昨年より1日早い。
 初冠雪は、富士山頂の平均気温が1年のうちで最も高かった日以降に、甲府市の同気象台から職員が目視で確認して、山に雪やひょうなどが積もって白く見える状態を指す。
 富士山頂では、上空に流れ込んだ寒気や気圧の谷の影響で雨雲が発生し、23日未明から同日午前にかけて雪が降ったとみられる。山頂の気温は24日午前6時現在、氷点下5.3度だった

(2011年9月24日付け東京新聞夕刊「冨士山 初冠雪」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011092402000183.html

 9月25日日曜日早朝。ヤッホー君はこれから山旅です。
 向かうのは、ザンネン、東北でなく奥飛騨、でござんす。
 仲間たちと新穂高から西穂山荘経由独標、西穂なんですが、台風15号のあと、穂高の峰々はどんな姿を見せてくれることでしょう。楽しみです。
 ご報告は火曜日となります。



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2011年09月24日

斗南藩


 9月24日土曜日は、白虎隊慰霊祭の日。
 今日、戊辰戦争に散った白虎隊の霊を慰めるため、飯盛山の白虎隊士墓前で、慰霊祭と会津高校生徒による「白虎隊剣舞」の奉納が行われました。
http://www.aizukanko.com/event/110/

 ところで戊辰戦争でなく、3.11! あれから3ヶ月ほど経つ6月の青森は、と言いますと:
『「4.9反核燃の日」全国集会(青森県反核実行委員会など主催)が2011年6月4日、青森市の青い森公園で開かれ、約1300人の参加者が使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)の本格稼働中止や脱原発を訴えた。
 実行委の渡辺英彦委員長らは「核と人類は共存できない。原発のない日本をつくるべきだ」と強調。
 福島県平和運動フォーラムの竹中柳一代表は「福島県民は震災以来、原発で何が起こっているのかも知らされぬまま、放射性物質を浴び続けてきた。重荷を背負った福島から脱原発を叫び続けたい」と決意を述べた。
 参加者は、市中心部をデモ行進し「放射能から子どもたちを守れ」などとシュプレヒコールを上げた』

(2011年6月5日日曜日付け河北新報)

 しかし、…
 それから3ヶ月後、3.11から半年も経つと、原発推進派の攻勢、といってもすべて通過儀礼だけ、手順さえ踏めばいいみたいに、ポーズをとりながら、着実に安全確認、再開、再稼動へのロードマップを進んでいるようです:
福島第1原発事故を受け、青森県の原子力施設の安全対策を第三者が検証する「県原子力安全対策検証委員会」の7回目の会合が9月17日、東京都内であり、三村申吾知事に提出する報告書の素案を議論した。
 検証結果の部分は結論が出ず、次回会合で各委員が意見を持ち寄った上で集約を目指すことを決めた。
 素案には東北電力東通原発1号機(東通村)と日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(六ケ所村)、電源開発大間原発(大間町)の安全対策に関し「現時点で対応すべき対策は取られている」などと記され、この日は異論は出なかった。
 最終的に対策が容認される公算が大きいが、東通1号機の再稼働の是非を盛り込むかどうかなどの点で委員の考えが異なっており、集約が難航する可能性もある。
 次回は東通1号機を含む原発に国が実施を指示した「安全評価」について、検証委がどう取り扱うかについても協議する。次回会合の日程は未定。
 三村知事は再稼働などの可否を判断する際、検証委の結論を尊重する意向を示している。
 検証委が対策を認めれば、東通1号機は再稼働に向けて前進するものの安全評価終了のめどは立っておらず、再稼働の時期は不透明となっている

(2011年9月18日日曜日付け河北新報)

 万単位で人が叫ぶ集会があっても、聞き届けられることはなく、民意は反映されず、反映できる政治党派もないまま、事態はあたかも何事もなかったかのように、着々と、淡々と、粛々と事が運んでおります。
 
 この青森県の三村申吾知事(1956年生まれ、東京大学文学部から新潮社に入社)は、今年2011年の選挙で、民主党などが推薦した候補が原子力発電などに関して明確な対立軸を打ち出せなかったこともあり、圧勝で3選を果たしている(ウイキ)、つまり地元住民、子どもを持つ親、有権者から選出され、支持され、支援を受けているわけです。

 さらに、この核燃料再処理施設は、青森県の先々代の北村正哉県知事(1916-2004年、1979年から知事、1995年2月の選挙で5選を目指すも敗退)の時代に、誘致に力を入れ、1985年に六ケ所村への核燃施設受け入れを決定しています。なお知事は、上北郡三沢村(現、三沢市)で、「斗南藩」の末裔である、とのことです(ウイキ)。

 「斗南藩」って何? 青森県にあったの?
 「斗南藩」とは、会津藩が会津戦争で焦土と化したときに、下北半島の火山灰地に追いやられてできた藩のことです。廃藩置県は 1871年8月29日(明治4年7月14日)ですので、その前。
 詳しくは会津若松市のウエブサイト、歴史・文化・地勢、つまり「市の紹介」頁から下↓を参照:
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/yukari/rekishi/tonami.html

明治3年5月の半ば、準備成りて新領地に移る。佐幕の南部藩より処罰として陸奥国二戸、三戸、北の三郡を割き、これを旧会津藩に与えたるものにて、斗南藩と名付く
…石光真人『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(中公新書、1971年)

 そして北村正哉の述懐も:
あの戦いで日本は敗れたわけですが、親父やお袋は会津が負けたときは、こんなもんじゃない、もっとひどかったそうだと言っていました。
 親父やお袋が会津戦争を直接体験したわけではないのですが、親から聞いて育ったわけです。
 会津は国破れて山河なしになったのですから。
 会津は斗南に移封され、食べるものがなかった。
 ガダルカナルやインパールと同じじゃなかったかな

…星亮一『会津藩、斗南へ』(三修社;新装版、2009年)

 以上の2点は次からの孫引きになります:
…佐高信『西郷隆盛伝説』(角川学芸出版、2007年)94-95頁

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2011年09月23日

白虎隊

 秋分の日の9月23日金曜日の夜は、石原詢子(1968年生まれ)が、2004年に歌った「白虎隊」(島田磐也作詩、古賀政男作曲)の歌声に酔いしれることにしましょう。
 いや、酔わずには耳を傾けることができません、特に詩吟をうなるところ。
 朝敵となって官軍との戦いに敗れ、鶴ヶ城の北、飯盛山にたどりついた白虎士中二番隊の19名が次々に切腹して果てていきます。
http://www.youtube.com/watch?v=MUX0WjJYbBwkahoku

占領軍(薩長軍)は犯罪者という理由で、会津藩兵の遺体の埋葬を禁じた。
 このためあちこちに放置された遺体は狐や狸、野犬に食いちぎられ、鳶や鳥につつかれ、腐乱が進み、一部は白骨化し、城下とその周辺は、死臭ただよう地獄と化し、人びとは鼻をふさいで歩いた。
 飯盛山で自刃した白虎隊士の遺体も同じだった

(星亮一『会津落城-戊辰戦争最大の悲劇』(中公新書、2003)
…著者の星亮一は1935(昭和10)年、仙台市生まれ。東北大学文学部国史学科卒業、日本大学大学院修了。作家、東北福祉大学兼任講師。著書に『奥羽越列藩同盟』(中公新書、1996年度福島民報出版文化賞)など。

 この白虎隊は今日も昨日もニュースになるんです:
『河北新報・福島のニュース「白虎隊の義」刻む 自刃の地・飯盛山に説明板 会津若松」
 戊辰戦争で白虎隊が集団自刃した福島県会津若松市の飯盛山で9月22日、自刃の経緯を紹介する新たな説明板の除幕式が行われた。
 自刃の理由はこれまで主に「若松城(鶴ケ城)周辺が炎上しているのを見て、城が落城したと思った」と説明されてきた。
 新たな説明板には、最近見つかった史料を基に「炎上する城下を前に、同意した上の自刃だった」などと記した。
 説明板を設けたのは白虎隊の調査、研究を取り組む「白虎隊の会」(東京)。
 今春除幕する予定だったが、東日本大震災の影響で延期していた。
 自刃までの経緯について「炎上する城下を前に、玉砕か帰城かをめぐって激論を交わした」「敵に捕らえられ屈辱を受ければ主君(松平容保)に申し訳ない。潔く自刃し武士の本分を明らかにすべきだとの結論に達し、全員が同意の上で自刃した」と説明している。
 白虎隊の会事務局長で、隊士のうち唯一生き残った飯沼貞吉(1854-1931、後に貞雄と改名)の孫に当たる東京都の会社社長飯沼一元さん(68)=仙台市出身=は「ようやく設置できてうれしい。義を重んじた白虎隊士の思いが、多くの人に伝わってほしい」と話した。
 自刃の理由について「落城誤認説」を疑問視した飯沼さんは、貞雄が関わって書かれた史料を3年前に発見。その中には、隊士同士で「敵軍に突入して玉砕」「城に戻り戦う」などの激論が交わされたと記されていたという

(2011年9月23日金曜日)

『河北新報・福島のニュース「白虎隊・飯沼貞吉と養育の長州藩士の子孫が対面 京都」
 戊辰戦争(1868-1869)で敗れ、集団自刃した会津藩の白虎隊で唯一生き残った飯沼貞吉の孫と、貞吉を養育したとされる長州藩士のひ孫が9月18日、京都市で対面した。
 対面したのは、貞吉の孫の会社社長一元さん(68)=東京都世田谷区=と、貞吉を会津から連れ帰り育てたとされる長州藩士楢崎頼三のひ孫、松葉玲子さん(76)=東京都中野区=。
 一元さんが、京都守護職だった会津藩主松平容保の屋敷跡がある京都府庁で講演することを知り松葉さんが駆け付けた。
 対面に先立ち、一元さんは「自刃に失敗し、心に傷を負った貞吉は楢崎家で養育されるなかで回生のきっかけをつかんだのではないか」と講演。
 松葉さんは一元さんと笑顔で対面し、「長州と会津の友好をつくる一人になりたい」と話した。
 楢崎家の奉公人の口伝によると、頼三は1868年、山口県美祢市に帰郷した際、命を取り留めた貞吉を連れており、屋敷で養育したとされる

(2011年9月19日月曜日)

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2011年09月22日

質素之生活 高遠之理想

佐賀県の玄海原発2、3号機の再稼働をめぐり、佐賀県庁に侵入し抗議活動したとして建造物侵入などの疑いで、俳優の山本太郎さん(36)ら数人を京都市の行政書士の男性(27)が告発、佐賀地検が受理したことが21日、地検などへの取材で分かった。
 山本さんらは7月11日午後、反原発団体のメンバーら約150人と佐賀県庁を訪れ、「人の命を犠牲にする電力なら使いたくない」と再稼働への抗議活動を展開。県庁内に入って古川康知事との面会を求めたが、会えないまま職員に請願書を手渡し立ち去った。
 告発状では「バリケードを乗り越えるなどして県庁に入っている」などと指摘

(東京新聞、2011年9月21日19時40分更新『原発抗議で俳優山本太郎さん告発 佐賀県庁侵入容疑』)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011092101000895.html

 ね、ね、ねえ、おととい、たったのおとといですよ、9月20日火曜日の日記『さようなら原発6万人集会』で紹介したサイト、クリックすると見れた動画ですが、もう削除されているよっていうんですね。知らせてくれた大ぜいの友人、知人、仲間に感謝!
 でもそれだけ、他者を監視・尾行し、ウエにリポートし、削除・排除・処分する、他者の侵入を権威で規制する高圧的なこの国の伝統的な姿勢は、いまでも、ますます濃厚になってきてるってことですね。

 この告訴した人物は、「京都党」だったいうんですから、謎は深まるばかり。
 だってさ、佐賀県庁が訴えるならまだわかりますが、全く関係のないその抗議活動の場にもいなかった京都に住む「京都党」に所属する党員で、職業は行政書士である芦田祐介という27歳の若者だそうで…。
 山本太郎氏も、小沢一郎(1942年生まれ)みたいな、最近では松本龍(1951年生まれ)とか、鉢呂吉雄(1948年生まれ)とか舌禍事件をでっちあげられ蹴落とされてしまった先達のようなことがなければいいのですが。
 しかし、すでに芦田祐介のブログも用心してなのか、自信がないのか、小心者なのか、削除して読めませんし、「京都党」は、党が公式に「一切関係ございません」のコメントが載っているだけです。

平成23年9月21日より各社にて報道されております、「山本太郎氏告発」の記事でございますが、本党は一切関与しておりません。告発者が主宰する「京都党をまじめに考える会」における、各コメント等につきましても本党は一切関与していない事を重ねてお知らせ致します
http://www.kyoto-party.com/report/2011_09/20110922_report.html

 片方の人物は、本当のことを言うと舌禍事件化し、謎は深まり真相は闇に葬られ、モウ片方の人物は何を言うても拍手喝采される、というのがこの国の言論の自由度の状況なのですが、秋分の日を前に、多分、ヤッホー君が選ぶ今年度第一位の著作、井口隆史『阿部磯雄』も「あとがきにかえて」です:

振り返れば私は、本書の執筆に丸4年以上を費やしてしまったことになる…
 この間、政権交替があり、期待や失望がめまぐるしく入れ替わった。
 しかし、書斎のなかで阿部磯雄の生涯と向き合っていると、その日その日のニュースに揺れる心が、不思議と鎮まる思いがしたものである。
 高い理想を目指し、その実現の夢がどんなに遠のこうとも倦むことなく、フェアな姿勢、悠楊迫らぬ足取りを変えず、現実を踏みしめながら歩む−そんな美しい巨人の姿を、執筆の日々、伴侶とすることができたからである…
 東日本に未曽有の大震災が襲った。
 千年に一度といわれる巨大地震に、原発事故という途方もない災厄が加わって、これからの日本が復興に向かうためには厳しい難路を歩まなくてはならない。
 私たちひとりひとりの生き方が問われることにもなるだろう。
 私は私なりに、阿部磯雄の愛した「質素之生活 高遠之理想」という言葉を心に刻みながら、ペンを措くことにする

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2011年09月21日

台風15号

 今日も最初っから動画でまいります:
http://www.news24.jp/player/wm/300k.html?m_url=20110921_0110

 そうなんですよ。今日も空き菅拾い、台風15号だからなおさら稼ぎはでっかい、と思い都内をあちこち。そして、台風が来たんでこりゃあ、やばすぎない? と行動を自粛したのですが、自宅に帰る術は…??

首都圏の私鉄では、小田急線全線、京王線全線、西武線全線、東急全線、東京メトロ副都心線、東西線、千代田線などで運転を見合わせている
(毎日新聞、毎日jp編集部)

 3.11同様、またしても帰宅困難者となってしまったようで。

いまようやく渋谷から半蔵門線に乗りました。渋谷から押上の折り返し運転です。
 道玄坂は強風で樹木がたおれて道をふさぎ、パトカーが道路を塞ぐように停まっていて、通行止め。
 傘は風で役にたたず、壊れた傘が道路上にあちこち散乱しています。ビニール傘は無論のこと、普通の黒い傘も。どうやって掃除するのか、しないのか、明朝が楽しみです。
 駅構内は、渋谷から先の東急・田園都市線が動くのを待つ人でごった返し、帰宅困難者で溢れています。
 台風はいまどこですか。外出しないでください!危ないです


お疲れさまです。
 台風は速度を増して、いま関東北部、宇都宮です。
 でも 暴風域では まだ厳重警戒です。
 半蔵門線に乗れたなら良かったです。気をつけて お帰りください


なんとかいま、ご帰館あそばされました。
 ビールビールの美味しいこと、美味しいこと、生きて帰ってきた実感を心から味わっています


お疲れさまでした。
 渋谷の街路樹が倒れたニュースをみました。都心も被害が大きかったんですね。
 ひとつの台風に日本がこんなにいじめられるなんて……日本は狭いなぁなんて思っていました



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2011年09月20日

さようなら原発6万人集会

 今日は最初っから動画でまいります:
http://www.youtube.com/watch?v=vWPr81wI0CA

 そうなんです。昨日の日記の最後に綴ったように、われわれ皆んな、トウデンフクシマゲンパツジコから、声をあげるようになって少しは変わったと言っていいのかな。

東京都内で9月19日月曜日、午後開かれた原発依存からの脱却を求める「さようなら原発5万人集会」やパレードには多くの市民が参加した。故郷の福島を離れて避難している人や、事故をきっかけに初めて問題意識を持った人も目立った。
 福島県南相馬市を離れ、川崎市に妻と娘、孫の4人で避難している元教師の山崎健一さん(65)は「福島に暮らしている人以外にも、原発問題にもっともっと関心を持ってほしい。原発政策、脱原発を日本全体で考えてほしい」との思いで集会に参加した。南相馬に戻りたいが「1歳の孫を思うと、除染が完全に終わらない限り安心して暮らせないので戻れない」と訴える。
 同県飯舘村から避難し、福島市の借り上げ住宅で暮らす女性(40)もバスで東京に駆け付け、パレードに参加。飯舘村で生まれ育ったが、第1原発のことは「小学生か中学生のころに社会科見学で行ったことがあるが、その後の日常生活で意識することは全然なかった」と振り返る。
 原発事故後、夫と一緒に勤めていた村内の会社を「100%安全と言い切れない場所では働けない」と夫婦そろって退社。「原発に無関心だった自分への戒めの意味もあってデモに参加した。悔しさをぶつける場所はどこにもないが、せめて今日は大声で<原発はもういらない>と叫びたい」と話した。
 同県郡山市から近所の主婦仲間と訪れた女性(72)は「街から子供の姿が消えた。公園や校庭に子供の元気な声が響く街に戻ってほしい」と参加。「国も東電も信じられない。都合の悪い情報をまだ隠しているのではないかと思える。こんなにも大勢の人が集まったのは、不信感の表れだと思う」と話した。
 一方、東京都練馬区のパート、小川美樹さん(40)は「行動しないのが一番悪い」と思い、初めて参加した。実家は静岡県富士市で、浜岡原発は身近な問題。3月11日以降「原発は安全というのはうそだった」と不信感を募らせた

【長野宏美、山田奈緒】さようなら原発集会:参加の市民「日本全体で考えて」(毎日新聞2011年9月20日10時31分最終更新)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110920k0000m040129000c.html

 毎日新聞のこの記事だって、いつ抹消、削除されてしまうか、分かったもんでないので長いけど全文転載しております。この毎日新聞の上空から集会への参加者の塊を撮った写真がすごい、とのことです。また下は、いつものロンドンのガーディアン紙から:

"Tens of thousands of people marched in Tokyo on Monday in the biggest show of public opposition to nuclear power since the start of the Fukushima Daiichi crisis in March.

The protesters, who included residents of Fukushima prefecture, called for the immediate closure of all of Japan's nuclear reactors and a new energy policy centred on renewables.

The demonstration was the biggest the country has seen in years. Police said 20,000 people had taken part, while media reports put the number as high as 60,000.

Among the protesters were the Nobel literature laureate Kenzaburo Oe, musician Ryuichi Sakamoto and actor Taro Yamamoto, who was forced to leave his production company earlier this year because of his opposition to nuclear power"

"Justin McCurry in Tokyo, Monday 19 September 2011 13.48 BST"
http://www.guardian.co.uk/world/2011/sep/19/fukushima-protesters-japan-nuclear-power

 しかし、受信料を払って支えている公共放送のはずのNHKに怒っている方々もたくさんおられました。
★ 今日(19日)のNHKの19時のニュースは,万単位の集会を完全無視した…9時のニュースではチョッと出たが,まさにNHKニュースお得意のアリバイ報道。大勢が集まっているシーンはなし…
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2011-09-19

★ 以下NHKへ送ったメールです;
『昨日の7時のニュースと9時のニュースでさようなら原発5万人集会を報じなかったのは何故ですか? ノーベル賞受賞者などが呼びかけた集会で、原発事故後最大規模の集会となり、プライムタイムに流すニュース性は十分あったと思います。海外でも大きく報道されている本集会を報道しなかった貴協会のお考えをお聞かせ下さい』

http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-a445.html


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2011年09月19日

社会民主党

 社会民主党の宣言書、ヤッホー君は全面的に賛意を表するものです。
 特に「軍備全廃」は国際政治哲学のリアリズムとして、あれもこれもと盛りだくさんに盛り込んで自縄自縛に陥るのでなく、現実的な組織論としても掲げるべき第一のテーマであるからです。
 いまの二大政党論って、けっこうこの国には無理があります。それよりも多党分裂し、そして連帯できる政党同士がテーマごとに政治課題を共通項として、その解決に心血を注ぐ、とすべきだろうと提案します。
 
 この阿部磯雄の起案になる宣言書ですが大賛成!
 こんな薄皮饅頭に住んでいる者としては、戦争でなく対話、殺人でなく助け合い、兵器開発でなく宇宙開発、軍閥財閥学閥でなく汗血を絞る平民が主導権を持つ社会がのぞましいからです。

 阿部は、牛決弁天町で執筆に没頭して1901(明治34)年5月15日に開かれた最後の結党準備会に提出、一同の承認を得て、5月18日を結党結成としました。

 結社届けは、5月19日の日曜日、神田警察署に届け出ることとしました。同時に宣言書は、全国の各新聞社に同日中に届くよう、これも郵送の段取りを整えました。

 こうして迎えたのが5月19日の日曜日だったのです。
 阿部は惟一館でユニテリアン協会の日曜演説を行ないました。その会場に、神楽坂警察署の署長の姿があり、別室でこう言われた、そうです:

社会主義は近年ドイツにおいて盛んになってきている。
 ドイツ皇帝は極力これを排斥しているから、わが国も同一方針を取るのが適当であると思う。
 日本において社会主義を宣伝するのは時期尚早である


 一方、同19日の日曜日、木下尚江は神田警察署に結党届けを出しましたが、翌20日の月曜日に、呼び出しを受け、警視総監からの次の文書を渡された、とのことです:

社会民主党は安寧秩序に妨害ありと認むるを以て治安警察法により、その結社を禁止する旨、内務大臣より達せられたり
 
 こうして日本初の社会民主主義政党の結党は、≪まぼろし≫に終わるのです。

 さらに、仲間割れも…

今のようではないほんとうに少数でしたけれど、初めの社会主義者の皆さんはたいそう親密に往き来して、「平民新聞」(創刊は1903年11月15日号、1904年2月14日号の社説では日露「戦争すでに来るの今日といへども、吾人の口あり吾人の筆あり紙ある限りは戦争反対を絶叫すべし」と書くも、1905年1月29日号の第64号をもって終刊号となった)中心の活動が、数年続いたように思います。
 ところがそのうち、一部のお方に意見の相違がだんだん眼に立ってきましたようで、それと阿部が大変憂えましたのは、気風のみだれで、堺さんに婦人関係のことにつき、忠告しなければならないことになりました。
 忠告の結果は「婦人の問題に干渉するな」ということで絶交になりました。
 まことに淋しい結末でした』

(阿部こまお「私の遭遇したさまざまの場合・巣鴨、高田町時代」【婦人之友】1953年6月号)
(145頁)

 絆とか縁とか強調されれば、されるほどに、絶縁も分裂も容易なこの国に住む人びと、逆に言うと、絶交や分裂が容易だからこそ、絆とか縁を求め、大連立を求める、とでも言えるのでしょうか。
 この国の人びとにはこうした現実があるからこそ、聖徳太子の時代からすでに「和」を以て、理想として追い求めてきたのでしょう。

 「思想の自由」とも「表現の自由」とも、まして「結社の自由」とも縁遠い、ムラのなかに生息してきたんでしょうね、きっと。
 でも、トウデンフクシマゲンパツジコで思い知らされたことだし、これからは違いますよね、きっと!

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2011年09月18日

宇宙の渚

国際宇宙ステーションから古川聡宇宙飛行士が「オーロラ」「流星」「日本列島の夜景」などのスペクタクルを中継で伝える。
 NHKが新開発した「宇宙用超高感度カメラ」を使い、これまで宇宙飛行士しか見られなかった夜の地球の絶景を、初めてお茶の間へ。
 どれも世界初の映像だ。
“宇宙の渚(なぎさ)”とは、地球と宇宙の境目のこと。
 地上の渚に波が寄せては返すように、宇宙からさまざまなものが押し寄せ、スペクタクルを起こす

http://www.nhk.or.jp/space/
 
 アンジェラアキのテーマ曲 "One Family" の歌声も:
http://www.nhk.or.jp/space/nagisa/
 
 補講弟四講。
 地面からたったの3Kmですよ、ちょっと登るだけで空気(酸素)が薄くなり高山病に罹りやすくなり、人間は日常生活を営むのに困難を覚えます。 3Kmたったら平面に勘定して、ヤッホー君の自宅から隅田川にかかる清洲橋を越えて東京駅八重洲口まででしかありません。
 水面下ですと、10mにつき、1気圧増加しますから、大気圧を加えると、2気圧にもなり人間は日常生活を送ることはできません。
 それをさらにヤッホー君の自宅から山形駅まで走る距離を垂直方向に登りつめると、無重力状態になって地球をまるごと、“宇宙の渚(なぎさ)”を含めて、まるごと漆黒の宇宙に浮かぶ青い星の全体像を眺めることができるのです。
 そんな奇跡的な薄皮饅頭みたいなところで、生きているのがわれわれなわけでしょう。

 トウデンフクシマゲンパツジコの使用済み燃料棒を自然に還すのに10万年って、どこに置くのか分かりませんけど、青森県なのかなあ…、モンゴルなのかなあ…、いまの祖先のホモサピエンスとかクロマニョン人とか誕生したのと同じくらいの時間軸を置いて、あとはよろしくね、なんてさ、なんなのでしょう。
 
 9.11の犯人だ、と裁判にもかけずに殺処分する大国の傲慢さ、12.8ハワイ急襲の見せしめだ、と地元の反対を無視して占領し続ける大国の勝手さ、それに、はいはい、と後方支援だと、トチもヒトもカネも差し出す器の大きな、背の低い、にやにや顔の、額が脂ぎってる小太りたちの思いってさ、なんなのでしょう。

 それに比べて、日本初の本格的社会主義政党、社会民主党の宣言書、これは阿部磯雄の起草になるのですが、その理想綱領の8ヶ条を読んでみましょう(伝記、129頁):

(1) 人種の差別、政治の異同に拘わらず、人類は皆同胞なりとの主義を拡張すること
(2) 万国の平和を来す為には先づ軍備を全廃すること
(3) 階級制度を全廃すること
(4) 生産機関として必要なる土地及び資本を悉く公有とすること
(5) 鉄道、船舶、運河、橋梁の如き交通機関は悉くこれを公有とすること
(6) 財冨の分配を公平にすること
(7) 人民をして平等に政権を得せしむること
(8) 人民をして平等に教育を受けしむる為に、国家は全く教育の費用を負担すべきこと


 1901(明治34)年5月のことでした。110年も前のこと、ですね。木下尚江、当時31歳は、当時30歳の光徳秋水(土佐・中村の出身で中江兆民の弟子)、『萬朝報』で名文記者としてその名を轟かせていた光徳を薦めたが遠慮し、社会主義協会を率いてきた衆望ある安部、このとき36歳、を推挙したのだそうです。

 110年後、この理想綱領を引き継ぐ政党はあるのでしょうか…。
 ころころ、180度も変わって投票所に足を運んだ選挙民を裏切るの当たり前みたいな、ちゃちなマニフェストとかいう横文字とはまるで違います!
 
 そして1910(明治43)年、6月幸徳秋水は逮捕(翌年1月、処刑)、7月阿部は早大野球部を率いてハワイ遠征、8月韓国を併合、阿部の帰国後4日後に、丸山千里の伴侶となる六女で末っ子の夏が生まれます。阿部は幸徳秋水や堺利彦と絶縁状態であったので、この一大冤罪事件に連座し、不当逮捕されることはなかった、と言われています。

 ぜひ、ぜひヤッホー君のブログ、9月10日の日記『秋の歌』で紹介した、日本弁護士連合会の声明文『大逆事件死刑執行100年の慰霊祭に当たっての会長談話』も再読くださいね。

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愚徹

 ところで、びっくり、再来年のNHKドラマの主人公は、この阿部磯雄の先生の奥様となった…』って前後の文脈が判断できないんだけど、教えて問い合わせが来ましたので、補講第三回目:

 阿部磯雄伝を書いた井口隆史が本名、井口民樹で出版した伝記ものに『愚徹のひと 丸山千里、「丸山ワクチンの苦難と栄光」』(1994、文藝春秋)があると言いました。
 この本のタイトル、≪愚徹≫ってさ、あれだよね、ヤッホー君は愚かな禿げ、≪愚禿≫と自称しているけど、このヤッホー君のブログ、今年1月25日の日記『横川国民学校』で記した書家井上有一の造語だよねと思っていたところ、案の定:

書名についてひとこと一言説明しておく。
 「愚徹」という言葉は実は辞書にはない。清貧に徹したことで有名な書家の故、井上有一氏が1957年、サンパウロのビエンナーレ展に招待出品したときに書かれた文字である。
 私の畏友で、書家の池田風動(清彦)氏が、障害を持つ不自由な両手で「愚徹」の二文字を何枚も、何枚も"合掌書き"しているところに居合わせ、この言葉を知った。
 これぞ、丸山博士の貫いた生涯にぴったりの言葉ではないかと思い、借用することにしたのである

(1993年12月)』
(391頁)

 麻布小学校、麻布郵便局そば(麻布台小学校を過ぎて側道、行合坂を下り、坂を下り切ったところで右折して落合坂へ。左手3軒目のレンガ壁のマンション)の「ウナックサロン(UNAC TOKYO、港区麻布台1-1-20麻布台ユニハウス112 Tel 3585-7069)」では、今も(9月30日まで)井上有一の書展を開いております。
 秋のウナックサロン、井上有一『鳥』大作4点
 午前10時〜午後6時(土日祝休)、1Fロビーからインタフォンで呼んでくださいって。入館ドアが開きます。
http://www.unac.co.jp/index.html
 
 このウエブサイトから井上有一のウエブサイトに入れますので、ぜひ訪れてみてください:
http://www.unac.co.jp/yu-ichi/whatsnew/index.html

 井口民樹の前で「愚徹」を何枚も何枚も書いていた合掌書家、池田風動には本があります:

『ペンを持てない、硬直した右手の指の間に筆を差し込んで、どこに動くかわからぬその手を左手で包み込み、合掌の型で字を刻み、線に祈りを込める…。3回に及ぶ脳出血で言葉を失った著者からのエール』
(池田清彦『字を刻む』1999年、池田出版)

 井口民樹が井口隆史というペンネームで書いた阿部磯雄伝、このサブタイトルは、「質素之生活 高遠之理想」でした。

 この言葉の由来は『愚徹のひと 丸山千里』でこう述べられていました。

丸山は岳父阿部磯雄の影響を多分に受けていると、彼をよく知る人の多くがそう言う。
 丸山が結婚式などに呼ばれてスピーチを行なうとき、必ず口にするのが、「質素な生活、高遠なる理想」という言葉だった。…
 この言葉は、実は阿部磯雄の座右の銘であった。
 人から色紙に揮毫を頼まれたときは、いつも「質素之生活 高遠之理想」と書いた。
 もとは19世紀のアメリカの思想家、エマソンの言葉で、阿部がアメリカの神学校に留学していたときに知ったのだろう。
 しかも阿部には早大野球部の父、社会主義者といったいろんな顔があるが、終始一貫して「質素之生活 高遠之理想」を実践した理想主義者であった。…
 このアメリカで、彼は自治の精神を学び、人道主義を信奉する。
 社会主義に目覚めたのも、ニューヨークで貧民の生活に触れたのがきっかけであった。
 テニスに熱中したのもこの時期だ

(70−71頁)

 Ralph Waldo Emerson (1803-1882)は、こんな片言隻語も残していました:

Do not go where the path may lead; go instead where there is no path and leave a trail.

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2011年09月17日

海音寺潮五郎記念館

『ところで、びっくり、再来年のNHKドラマの主人公は、この阿部磯雄の先生の奥様となった…』って前後の文脈が判断できないんだけど、教えて問い合わせが来ましたので、補講第二回目:

 吸い殻集めから空き菅拾いに商売換えしたヤッホー君、実は木曜日、背をかがめ、頬っかむりして、俯いて歩いていたのが世田谷区経堂です。

 ここに「(財)海音寺潮五郎記念館」があったのです。世田谷区経堂2-12-9(Tel 3429-1338)です。

 ちょっと長いけど、欧米紙を読んでいるような署名記事です。じっくり読んでください:

『司馬遼太郎の才能を最初に見いだしたのは海音寺潮五郎であった。
 1956年、司馬が講談倶楽部賞を受賞してデビューしたとき、さらに4年後に直木賞を受賞したとき、ともに海音寺が選考委員を務めていた。司馬の候補作を強く推薦したという。
 その司馬が西郷隆盛と大久保利通を主人公にした新聞小説「翔ぶが如く」を連載していた1975年10月、文芸評論家の磯貝勝太郎さん(71)=東京都=は海音寺宅を訪ねた。司馬の新聞小説が話題に上り、海音寺が漏らした言葉を磯貝さんは覚えている。
「朝刊が来るのが楽しみだが、司馬君でさえ西郷が書けてない」
 海音寺は司馬を「天才」と評価していた。その上での感想である。
「やはり自分が書くしかないと思っている」
「西郷隆盛」の執筆を進めていた海音寺は言葉を継いだ。司馬の描く西郷のどこに満足しなかったのか具体的には語らなかったという。
「司馬さんは関西の人。薩摩人気質は、鹿児島出身で西郷を敬愛している自分しか書けないと思ったのでは」。磯貝さんはそう推測する。
 海音寺にとって、西郷は単なる同郷の偉人ではない。海音寺が生まれたのは、西南戦争に敗れた西郷が城山(鹿児島市)で切腹してから、わずか24年後。生地の鹿児島県大口市は西南戦争の激戦地である。海音寺が物心ついたとき、西郷と接し西南戦争を経験した人がまだ存命だった。海音寺は、そんな人びとから西郷の話を聞いて育った。西郷は身近な英雄だったのだ。

 「西郷隆盛」は歴史小説家の海音寺が後半生をかけた大著である。1961年から新聞小説で約500回連載したが終わらず、その後は大半を書き下ろし、単行本9巻にまとまっている。
 小説ではない。史伝という。小説が作家の想像力を駆使するのに対して、それを排し、史実や史料をもとに書いた歴史文学を指す。
 随所にこんな表現がみられる。(小説でないこの文章では、これ以上のことは書けない)(精写するのは小説の領分だ)などとして、創作を退けている。必要な場合は(…に相違いない)(…であったろう)と、想像である旨をことわる注意深さだ。
 史伝は歴史書に近いものと言えるが、海音寺のそれには堅苦しさがない。想像力の代わりに手紙、日記、伝承などあらゆる史料を駆使してディテールを書き込み、さらに登場人物の評価、現代への警句なども織り交ぜる。
 例えばこんな具合に。
 西郷の為政者としての徳目を記した部分では(愛情を欠いた為政者をぼくは信ずることが出来ない)と述べ、現在の国会議員のぜいたくぶりに言及。(国民の苦しみを自分の苦しみとして感ずる心を失わないことこそ、政治家や官僚の第一資格であろうと言いたいのだ)と苦言を呈する。
 別の個所では(維新志士中の快男子ベスト3を選ぶとすれば、ぼくは高杉晋作、平野国臣、坂本龍馬の3人をあげたい)と、自身の人物評を披歴する。
 こうした工夫が無味乾燥になりがちな歴史記述に血肉を通わせた。
 作家の童門冬二さん(79)=東京都=は海音寺作品を敬愛する一人。「史実のとらえ方、史実の押さえ方がきちんとしている。後輩には教科書になる作品、導き手となる作家です」

 海音寺はどんな西郷像を書こうとしたのか。先述した司馬遼太郎は「翔ぶが如く」のあとがきで「主人公は要するに西郷という虚像である」と記している。つまり、周囲が作り上げた偶像に翻弄される西郷の姿を描いたのだと。対して海音寺が描こうとしたのは激動の時代に屹立した、道義国家を目指す理想主義者としての西郷の実像だったのではないか。道義とは、西洋流のロジックでは導けない信や義を重んじる東洋の伝統的考え方であり、西郷の座右の銘である「敬天愛人」に凝縮される。
 西郷の話を子守唄代わりに育った自分にしか書けないし、史実に基づいた史伝形式が最もふさわしいと、海音寺は考えたに違いない。とはいえ、これは記者の推測の域を出ない。なぜなら「西郷隆盛」は未完に終わっているからだ。
 海音寺は1969年末、新聞や雑誌の原稿依頼を受けない“引退声明”を発表する。「西郷隆盛」の執筆に専念するためだった。「当時68歳。余生の長くないことを感じていたのでしょう」と、同居していた二女の末冨明子(あきらこ、77)さん=川崎市=は述懐する。
 その明子さんが「西郷はなぜ西南戦争をし、大久保と敵になったの」と尋ねたことがある。「これから書くから、それを読め」が答えだった。だが、それはかなわなかった。
 1977年11月17日、栃木県・那須の別荘で海音寺は倒れた。意識は戻らず12月1日死去。机には書きかけの「西郷隆盛」原稿が置かれていた。

 海音寺は「西郷隆盛」以外にも多くの史伝作品を手掛けた。同じ史伝作品の「武将列伝」あとがきで書いている。(歴史が一般の人に結縁し、人生の知恵になるのは、こういう史書によるとも、ぼくは思っている。ぼくが好んで史書を書き、史伝を書く理由の一つはここにある)
 「結縁(けちえん)」という言葉が印象的だ。また「歴史と断絶してこの世に存在するのは、自信が持てず、頼りなく寂しい」という主旨の文章もある。海音寺は「西郷隆盛」を通して、現代につながる転換点となった幕末・維新の歴史と読者とを結縁させたかったのだ。さらには歴史と結縁しながら今を生き、将来を見通すことの大切さも訴えたかったろう。
 今年後半、高校で歴史系教科を中心にした未履修問題が噴き出した。歴史の軽視。私たちの社会は、海音寺の願いからずいぶん遠い場所へ、迷いこんでしまったのではないだろうか』

(2006年12月17日西日本新聞『九州の100冊』文=文化部・西山宏)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2006/12/post_47.shtml

(この稿続く)



 




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阿部磯雄

『ところで、びっくり、再来年のNHKドラマの主人公は、この阿部磯雄の先生の奥様となった…』って前後の文脈が判断できないんだけど、教えて問い合わせが来ましたので、補講第一回目:

 まず、ノンフィクション作家、井口隆史について。
『1934年12月、大分県に生まれ、和歌山県で育つ。早稲田大学第一文学部英文科卒。産業経済新聞東京本社から、フリーに。著書に本名、井口民樹による丸山ワクチンの生みの親である丸山千里博士、元日本医科大学学長、1901-1992)の伝記、『愚徹のひと丸山千里(1994、文藝春秋)、1983年にミスターシービーで常識外れと言われた追い込み戦法でクラシックの皐月賞、東京優駿、菊花賞を連覇し、中央競馬史上3頭目の三冠馬へと導いた騎手吉永(1941-2006)が引退した年に発表した『三冠旗手吉永正人(1986、朝日出版社)』など多数。

 今年出版した本が、阿部磯雄(1865-1949)の伝記『阿部磯雄の生涯−質素之生活 高遠之理想』。

 産経ニュース2011年8月21日07:58更新ウエブ版に書評があります:

安部磯雄を日本の野球の父と呼ぶ人は多い。
 早稲田大学に野球部を創設し、1905(明治38)年、部員を引率してアメリカに遠征するなど学生野球の育成に努め、殿堂入り。
 これは一端にすぎない。
 激動の明治、大正、昭和を清冽に、多彩に生き抜いた安部とそれを支えた妻、駒尾の軌跡が詳細に語られている。
 安部はキリスト教の洗礼を受け、アメリカなどに留学。
 1899(明治32)年、東京専門学校(早稲田大学の前身)の講師、のち教授となった。
 日本の社会主義者の先駆けとして平和主義を貫く。
 1928(昭和3)年、社会民衆党から立候補、代議士に当選。
 質素の生活、高遠の理想を信条とし実践した。
 著者は、いま見直されるべきだと説く


 この阿部磯雄が60代のとき、こんな言葉を残しているそうです:

私は死んで新島襄先生に会ったときに、「阿部さん、よくやったね」と言われたいだけです。

 阿部が社会民衆党の党首だった時代に、イギリスでは労働党党首のJ・ラムゼイ・マクドナルド首班の挙国一致内閣が誕生した。
 阿部が新聞記者から、「日本のマグドナルドをめざしているのですか」と問われた際に答えた有名な言葉である。
 彼が生涯で最も強い影響を受け、最大の尊敬を捧げていたのが、同志社の新島襄であった

(30-31頁)
 
 阿部磯雄、1879年15歳時から1884年の20歳まで、この多感な時代を新島襄(1843-1890)の同志社で過ごすのです。

 阿部磯雄71歳のとき、1935(昭和10)年夏、次女、京の娘婿中村正雄とその子(ですので阿部磯雄の孫)ふたり、俊一、雄二やその他で初めて冨士山登山をします。

 その同じ年の1月に末っ子の六女、夏は四女、愛が嫁いだ東京帝国大学医学部にいた松原正香の実弟、あの丸山ワクチンの丸山千里と結ばれます。
 丸山千里は当時、母校、日本医学専門学校(後に学長になる日本医科大学)の皮膚科泌尿器科教室に助手でつとめ、「淋菌の補体結合反応」の研究に取り組んでいた頃だったそうです。翌年、東京帝大より博士号を取得。
 二人は義兄、松原正香・愛夫婦と、義姉忠とその夫松原馨(松原正香の養父でもあった、信州岡谷の医師)としばらく高田の馬場で三世帯同居します。
 それを次女の中村京は、大連にいた三女の赤木静に『まるで目に見えるような筆致で詳しく書き送ってい』ます:

せめて4、5日でも旅行になってもらいたいと私共も考えましたのですけれど、
「そんな無駄な費用は、東北の冷害地にでも寄付したほうがよい」
と云うお母さんの意見で、とりやめとなり、夏の避暑地のように、唐紙一枚で、三夫婦同居と云ったわけになりました

(386頁)

 音声の出ない下↓の動画では、早慶戦でご挨拶しております:
http://www.youtube.com/watch?v=SscDb9r-a_M

(この稿続く)

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2011年09月16日

古代ローマの円形劇場

 9月定例山行は草津白根を15人で11日の日曜日に元気に歩いたわけですが、とても楽しかったです。

 お昼は正午前に展望所でとり、リュックはデポし空身で探勝歩道最高点を往復し、さ、下山、と深田久弥が「古代ローマの円形劇場(コロシウム)を思わせる」という火口に沿って歩きだしたとき、珍しく、本当に珍しくケイタイが鳴りました。

 その知人Kさんとは本日9月16日金曜日の午後、5日も6日も経ってもまだケイタイのやりとりが続いていました:

『今朝、玄関をでるときになって、急に悲しくもないのに、涙が止まらなく、けっきょく午前中、事務所を休んでしまいました。
 自分では気が付かないうちにメンタルがかなりやられているようです。
 事務所に出て仕事を初めてしまえば、忙しく作業できるので考える暇もあまりないので、大丈夫なのですが…
 3時から計画達成に向けての所内での話しあいがあります。
 それのせいかもしれません
 仕事は仕事で、分けて考えないといけないと思うのですが…』


『でしょうね。
 だからこそ週末はパートナーとツーリングを、転地療法、気分転換を、と。
 自然のなかでのびのび体をほぐして、立ち寄り湯でゆったり、のんびりくつろいで…今晩はそんな夢みながら寝てください。
 秩父?草津?諏訪湖?沼津?鬼怒川?霧降高原?戦場が原?松本城?…』

 前夜、木曜日の深夜は知人Kさんにこんなメールを:

『新島襄は、単にキリスト教の宣教を行なうのではなく、社会科学、人文科学、自然科学を教え、全寮制を基本とすることで、青年の人格を涵養することをめざしていた。彼は同志社設立の目標のひとつとして、こう述べている:

「一国を維持するのは、決して2、3の英雄の力ではない。実に一国を形成する、教育があり、知識があり、品性の高い人たちの力によらなければならない。
 これらの人たちは<一国の良心>とも言うべき人たちである。
 そして私たちはこの<一国の良心>とも言うべき人たちを養成したいと思う」
(現代語で読む新島襄編集委員会編『現代語で読む新島襄』(丸善出版)』


 これは、井口隆史『阿部磯雄の生涯』(2011年、早稲田大学出版部)。
 寝床の枕代わり、枕頭の書はいま、この阿部磯雄の物語なのです。

 ところで、びっくり、再来年のNHKドラマの主人公は、この阿部磯雄の先生の奥様となったそうでごさいます:

★ NHK大河ドラマの次年度2012年版は平清盛。松山ケンイチ演じる清盛。その妻、平時子役には深田恭子、清盛の側室で、源義経の母でもある常盤御前役は武井咲に決まっております:
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/

★ そして再来年、2013年は、というと…:

女らしく、という母親の願いをよそに、男まさりに育った少女は、戊辰戦争の落日、会津・鶴ヶ城に500人の女たちと立て篭もり、銃を持って戦った。
 その姿は後に讃えられる、「幕末のジャンヌ・ダルク」と。
 その名は、新島八重。
「ならぬことはならぬのです」
 たとえ「悪妻」と呼ばれようが、"不義には生きない"会津の頑固女!!

 維新後、アメリカ帰りの夫・新島襄の妻となった八重は、男尊女卑の世情の中、時代をリードする"ハンサムウーマン"となっていく。
 そして会津の仲間とともに"日本初の篤志看護婦"として日清戦争、日露戦争に同行。
 "戦う女武士"から"日本のナイチンゲール"へ!

 国敗れてもその地で育まれた会津武士道で、生涯自分の可能性に挑み続け、すべての人の幸福を願った会津女・新島八重と、仲間たちの愛と希望の物語。
「東北・福島に根付く不屈のプライド」で日本にエールを送る!!』

http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/86512.html

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2011年09月15日

中学校学習指導要領

 2011年9月13日にこの日記『早川由紀夫』で紹介した「放射能汚染地図、四訂版」ですが、群馬大学の早川由紀夫教授(1956年1月生まれ)は、3.11より2年も前の2009年4月22日のブログで、すでに「お気をつけあそばされメッセージ」を発信しておりました;

文部科学省が公開している中学校学習指導要領解説「道徳」にすばらしい文章をみつけた。
 「人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深める」ことは、いまの日本社会にとって、とても大切なことだと思う

http://hayakawa.blog81.fc2.com/blog-entry-93.html

 愛国主義者、右翼でなくとも誰でもが日本人としてわれわれは、自分が生まれ育った美しい、麗しく、懐かしきふるさと、土地、山や川を、次世代にそのまま、残す、手渡す、引き継ぐこと、これが現役世代のせめてもの義務、任務、仕事だ、と思って止みません。
 それをなたで断ち切ったり、石で追い出したり、カネでこころまで買い占めたり、それが資本主義、市場主義、グローバリズム、自己責任というのであれば、徹底抗戦せざるを得ません。
 
 自然を敬い、畏れましょう!
 「ソウテイガイ」なんて流行り言葉を使って茶化するんじゃありません、メッ!
 馬鹿なことを言うんじゃありません!
 学校教育で、あなた方はそう教育するよう現場を『指導』しているんでしょ。子どもたちに申し訳ないと思いませんか!!

 産業界、政治ムラ、マスメディア、学者の選民たちよ、自分と自分の家族、自分の組織だけのことだけを考えるのでなく、周りを見渡し、子どもと子どもの将来と未来、さらにこの国の美しい国土、そして青い地球を第一に考え、日本と日本人を、世界とそこに生きるすべての生物を富ませるためにどうすべきか、英知を集め、考え、行動をおこしましょう。

 こんな素晴らしいメッセージを実行に移しましょうよ。
 官僚の作文だけにせず、教育界の先生任せにしないで、素晴らしい国づくりに今からすぐに、はげみませんか。
 10万年後まで知らん振りなんてことはやめて、生きとし生けるものすべて、明日もにこにこ笑って、声をかけあって、支え合って、生きていくことができるように。で終わると、「宗教」になってしまうので、日常的に額に汗し、体を動かし、実践する、と決意したヤッホー君でした。偉い!

 われわれ選民以外のその他大ぜいも、声にだして周りによびかけ、力をあわていきましょう!

平成20年7月、文部科学省、中学校学習指導要領、解説、道徳編
3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること
(1) 生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重する。
(2) 自然を愛護し、美しいものに感動する豊かな心をもち,人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深める。

 人は、自然の美しさに触れ、自然と親しむことにより自らの人生を豊かにしてきた面が強い。
 自然を愛護するということは、人間が自然の主となって保護し愛するということではなく、自然の生命を感じ取り、自然との心のつながりを見いだして共に生きようとする自然への対し方である。
 畏敬とは、「敬う」という意味での尊敬、尊重と、「畏れる」という意味での畏怖という面とが含まれている。
 自然とのかかわりを深く認識すれば、人間は様々な意味で有限なものであり、自然の中で生かされていることを自覚することができる。
 この自覚とともに、人間の力を超えたものを素直に感じとる心が深まり、これに対する畏敬の念が芽生えてくるであろう。
 また、この人間は有限なものであるという自覚は、自他の生命の大切さや尊さ、人間として生きることのすばらしさの自覚につながり、とかく独善的になりやすい人間の心を反省させ、生きとし生けるものに対する感謝と尊敬の心を生み出していくものである。
 中学生の時期は、豊かな感受性が育ってくるとともに、自然や人間の力を超えたものに対して、美しさや神秘さを感じ、自然の中で癒される自己に気付くようにもなる。
 このような時期に,美的な情操を深め,感動する心を育てることは,豊かな心を育て、人間としての成長をより確かなものにすることにつながる。
 指導に当たっては、自然や、優れた芸術作品等美しいものとの出会いを振り返り、そこでの感動や畏怖の念、不思議に思ったこと等の体験を生かして、人間と自然、あるいは美しいものとのかかわりを多面的・多角的にとらえることが大切である。
 また、自然を愛し、護ることといった環境の保全を通して、有限な人間の力を超えたものを謙虚に受け止める心を育てることが求められる。

(3) 人間には弱さや醜さを克服する強さや気高さがあることを信じて、人間として生きることに喜びを見いだすように努める。
(略)』

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2011年09月14日

NCDs

 9月5日のブログ『日記』にヤッホー君はこんなことを:
『今日は、世界に3360万人、カナダでは50万人以上といわれているアルツハイマー病、それに関連する認知症について、カナダ紙 Globe and Mail の公衆衛生担当リポーター Andre Picardさんの7月19日の署名記事をご紹介』

 10日後の今日は、同じAndre Picardさんの6月9日木曜日の署名記事をご紹介します。NCDについてであります:

"More than one billion people worldwide – including almost 100 million children – are living with a physical or mental disability, says a report that marks the first attempt in 50 years to count those with disabilities.
 Out of that one billion, almost 200 million suffer “significant difficulties,” including 13 million children, says The World Report on Disability, prepared for the World Health Organization"


 同日、世界保健機関(WHO)は350頁に及ぶ報告書をニューヨークで提出したそうです。

"It shows that the underlying cause of about two-thirds of disabilities is non-communicable disease such as cardiovascular disease, chronic obstructive pulmonary disease and cancer. Another 9 per cent is attributable to conditions resulting from infectious diseases such as measles and polio, and a similar percentage is due to injuries sustained in motor-vehicle crashes, falls and so on"

 認知症、身体障害者に深く係わるこのnon-communicable diseaseの頭文字をとってNCD、覚えておきましょうか。いまの健康診断におなじみ、「生活習慣病」とも言われていますよね。

 また世界保健機関(WHO)はこの6月に続いて、9月14日、ですから本日のことです。「WHOレポート:非感染性疾患(NCD)の世界情勢(国別)」を発表し、警告を発しています:
http://www.who.int/mediacentre/news/releases/2011/NCDs_profiles_20110914/en/index.html

『日本は2008年の死者全体の約8割に当たる計90万8700人が非伝染性疾患による死者だった。
 15歳以上の約65%が、「運動不足 physically inactive」となっていることが要因とみられる。
 中国でも、同年の死者全体の8割を超える約800万人が非伝染性疾患により死亡。
 ただ、運動不足人口は3割にとどまっている。
 世界全体では、同年の死者全体の63%、3610万人が非伝染性疾患により死亡した』

(日本「運動不足」65%、WHO、慢性疾患の原因に、東京新聞2011年9月14日9時21分更新の記事)

 ムカシは生活習慣病は先進国に特徴的な死の病で、途上国は伝染病やエイズだ、と言われてきましたが、どうもそのようでなないな、というわけで、国連では来週、大事なサミットを開きます:

"In 2011 a UN High-Level Summit will be held in New York on September 16-19 to raise the profile of NCDs. This meeting has been likened to the 2001 UN conference on HIV/AIDS that sparked the formation of the Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria, which raised nearly $10bn"
(ガーディアン紙 Why non-communicable diseases hit the developing world so hard)
Maddy French, guardian, Wednesday 29 June 2011 15.35 BST

 「山歩きを通していつまでもこころもからだも健やかに、山歩クラブ!」と称してきたわれわれなわけですが、「運動不足」にもならない有酸素運動だし、山の清々しい空気をいっぱい吸って、自然を敬い、畏れ、山域に湧き出る温泉で汗を流し、その郷土料理や地酒をいただいて下町に帰る、こんな贅沢なことを毎月、毎月実行して10年、会員は、心疾患や脳卒中、慢性呼吸器疾患、がん、糖尿病などとは縁遠いところで生きながらえております。

 山はいいですね、ってお話しでした。

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2011年09月13日

早川由紀夫

 ≪記録≫として残っている『草津白根山の噴火記録は、1882年8月6日に湯釜で起こった噴火(M2.7)のそれがもっとも古い。
 それ以前の草津白根山は長い間静穏だったようだ。
 1882年から1994年まで、噴火があった年は18年を数える。
 1930年代にはとくによく噴火した。
 1932年10月1日の噴火(M1.8)では、硫黄鉱山で働いていた工夫2人が泥流に飲み込まれて死亡した。
 有毒火山ガスによるスキーヤーの死亡事故と学校登山中の死亡事故が1970年代に連発したため、危険地帯にガス警報装置が設置されて効果をあげている。
 最近の噴火は、1982-1983年に何度か起こった爆発(M1.0)である。
 このような小さな噴火でも、直径10cmの岩塊が山頂駐車場を直撃した。
 噴火がいったん始まれば、山頂域だけでなく、湯釜から3km以内の距離にある殺生河原・万座温泉・渋峠も投出岩塊の射程範囲内にあることを、観光客を含めてすべての関係者が、知っておくべきである。
 また、1902年には志賀草津道路の南側の弓池のほとりで爆発(M1.7)が起こって小火口を形成しているから、噴火口が開くのは湯釜周辺に限らないことも知っておくべきである』

(草津白根火山の災害実績)
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/volcanoes/kusatsu/kusatsu-fact.html

 これは早川由紀夫・群馬大学教育学部教授の研究によるものです。
 ところで…、教授はいま、火山だけでなく、トウデンフクシマダイイチゲンパツジコに伴う放射能汚染マップづくりにも市民側に貢献なさっておりますのでご紹介します。
 
この地図は、2011年3月に地表に落ちた放射性物質がそのままの状態で保存されている場所の現在の放射線量を示しています。
 芝生などの草地で測定される数値に相当します。
 アスファルト道路は、放射性物質が雨で流されたため、この地図に示した数値の4割程度が測られるのが普通です。
 一方、流された放射性物質が集積している雨どい・軒下・側溝などではこの地図より何倍も高い数値が観測されます

(早川由紀夫の火山ブログ、9月11日付け「放射能汚染地図四訂板」)
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-418.html

 教授のツイッターには、いろんな方のいろんな意見が、噴火のように噴出し飛び交っています。
 こんな意見も:

『朝日が鉢呂氏放射能発言報道を検証しているが、最初にフジテレビが報じたことが分かるだけ。
 なぜあの異常な報道に至ったかは不明。
 記者がその場にいたと明らかにしているのは、朝日、NHK、毎日、共同のみ。
 産経、東京、テレ東、時事は不在。日テレ、TBS、テレ朝、フジは現場にいたか明らかにせず』

(ドキッ)

 このマスメディアによる世論誘導、情報操作に関してこれまでヤッホー君、何度も何度も繰り返して言ってきましたが、前夜の11時半ころ新任大臣を取り囲んだおしゃべりの内容を、朝刊トップに据えるという、そのジャーナリストの根性、心根、記者魂が分かりません。
 こんな『居酒屋政談』まで飛び出しています:

『さて鉢呂前経産相が舌禍で辞任しましたが、これは一部の人には地雷なんだろうなあと思って見てみたところ、案の定「前経産相が原発をゼロにすると言ったので東電の息のかかったマスコミが罠にかけた」とかいった陰謀論があちこち出ていて、火薬の匂いがぷんぷんと漂っておりますな(笑)。
 鉢呂氏はTPPにも慎重ですし、そちらの方面の受けはいいのかなあとは思うのですが、しかし踏むもの踏みますねえ。
 失言を誘発してはそれを騒ぎ立てて辞任だ辞任だと言い募るマスコミの体質に対する批判も多いようで、こちらについては私も同感するものがなくはありません。
 実際、「死の町」のほうは前後の文脈をみればそれほど非難する気にもなりませんし、「つけてやろうか」も気楽な軽口で、本当にご自身は定かな記憶はないのかもしれません(まあ言ってないと言い張れば記者もテープを出してくるでしょうが)』


 なん、なんですかねえ。ま、拝金主義の輩がブンヤの世界にまで拡散してしまったってことでしょうが、早川教授は3.11に漏れた放射能はこんなふうに拡散してしまいましたよって警告表示:

『放射能汚染地図は、火山学が専門の早川教授が、自らの研究手法を応用。
 福島第一原発からの放射性物質の拡散の様子を、風の流れを考慮してまとめた。
 本県では川場村や沼田市などを中心に放射能の“吹きだまり”のような地域があると明記。
 実際に、県が7月21日に観測した川場村の空間放射線量(地上1m)は1時間当たり0.53マイクロシーベルトで、前橋市(同0.125マイクロシーベルト)の約4倍に上る。
 公開授業では、福島第一原発事故について「旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と比較して、汚染の面積は半分だが、汚染人口は2〜4倍と推定される」と警鐘を鳴らした』

(正確な知識でリスクと向き合う「放射能汚染地図」作製 早川・群大教授が公開授業)

 以上、東京新聞の記事はもう削除されていますので、【save child】のこちらのウエブサイトから:
http://savechild.net/archives/5706.html

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2011年09月12日

湯釜

 山歩クラブが下見でなく公式行事、えっへん、月例お山歩会で草津白根山に向かったのは、2004年のことでした。23名を乗せたバスで7月18日日曜日に歩いています。
 そのときと違うのは、「湯釜」。
 ムカシは駐車場から中央登山道を展望台までまっすぐ行けたのに、今は通行禁止:

草津白根山は、群馬県北西部に位置し、山頂火口付近(湯釜)は標高2160mに達する活動中の火山です。
 火山活動は現在、「噴火警戒レベル1(平常な状態)」を保っておりますが、2010(平成22)年4月8日開催の「草津白根山防災会議協議会」において、東京工業大学や気象庁の観測結果から、「熱活動」及び「新たな噴気」が湯釜火口内北側湖岸に出現したため、活動が活発な傾向にあることから、第一次規制(湯釜より半径500m以内立入禁止)は継続して実施し、例年実施されていました第1次規制内の一部緩和措置(中央登山道・展望台に限り規制緩和。図面参照)は、防災上安全面を考慮し当面見合わせることとしました


(草津町、草津白根山入山規制について)
http://www.town.kusatsu.gunma.jp/www/contents/1239702267454/index.html

『あなたもこれから山ガール…
 近頃「山ガール」という言葉が生まれるほど、若い女性の間で登山やトレッキングの人気が高まっています。
 そこで、登山初心者を対象に「山の安全な登り方」や「登山やトレッキングでの自然の楽しみ方」を優しく丁寧にレクチャー。
 「山ガールファッション」のポイントもお教えします!』

(NHK番組 チャレンジ・ホビー)
http://www.nhk.or.jp/kurashi/hobby/#box_comingup

 『講師は登山ガイド・橋谷晃さん。生徒は女優・村井美樹さん。
 第5回は草津白根山に登る。
 湿原を歩き、火山特有の自然を体感。
 山小屋にも初めて泊まる。
 山ガール初心者向けの、設備が整った快適な施設を紹介。
 山小屋に泊まるときのルールやマナーも伝授


(放送日: 2011年8月29日月曜日、放送時間: 午後10:00〜午後10:25(25分)

 昨日の9月11日日曜日の山歩クラブの車中にも大ぜいの山ガールが。そして手には皆さん、番組のテキストを。
 そうなんです、皆さん予習までしてきて、テキストご持参でいらっしゃいました。
 このエメラルドグリーンの湯釜をご覧になろうと。
 ところが向かった先はどういう風の吹き回しか、弓池の展望台だったのでございます。


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2011年09月11日

秋色に移ろう本白根


秋色の弓池.jpg

 本日9月11日日曜日は、ちょっとバスで遠出。
 本白根へのお山歩会でした。
 関越道を走っているあいだも雲が低く垂れ込めていたり、
 吾妻渓谷に沿って八ツ場ダム工事現場を走る長野街道、日本ロマンチック街道を通るあいだも道路が雨で濡れていたり、
 たまにワイパーが左右に振ったり、と思うと青空がのぞいたり…、
と空模様がとても忙しく、山行中のお天気が心配顔のヤッホー君…。

 終わりよければすべて良し。
 暑からず寒からず、一瞬見せてくれる饒舌な自然の雄大さ、美しさ、尊さに、『山ってほんとに、良いよね〜』と皆んなでこころから頷いた月例山行でございました。
 9月中旬だし、もうお仕舞いね、と思っていたコマクサともご対面、ホシブトガラスもグエイグエイとお出迎え、満足、満足、とても満ち足りた気分になりました。
 山路にはゴゼンタチバナの赤い実が、コケモモが、紫色のリンドウが、咲き乱れ、足の疲れを癒してくれます。
 それよりも、もう山全体が秋色にお化粧替えするとき、ナナカマドが真っ赤に色づきはじめ、下町にいるとなかなか気づかぬ季節の移ろい、皆んなでうっとりとたたずんで、天然カラーの鑑賞に浸ってきました。

『今日は大変ありがとうございました。
 天候も良く大自然の中での一日は身も心もリフレッシュされますし、またお仲間の皆さんの元気にあやかり、明日からの生活に元気をいっぱい、いただいて帰ることができました』


 そんな写真を一葉、添付して今日の日記は、終わりにします。
 場所は山歩きを終え、最後に一本つけたところで、弓池展望台から「弓池」。

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2011年09月10日

秋の歌

 「さようなら、あまりに短かかりしわれらが夏のきらめきよ」

 Verlaine の Chanson d'automne を Léo Ferré が歌っています。シャンソンっていいですねえ。ぜひ、ご覧下さい:
http://www.youtube.com/watch?v=_iq43Vs8CEw&feature=related

 でも違うような…、これは誰の詩句を引いたのかって、気になったヤッホー君。
 田舎の書庫には鬼婆と結託した弟(新宿西口に本社ビルを構える某大手損保会社の部長で高級取り)の許可なく、もう故郷の山形には戻れぬヤッホー君。
 ≪橋下妙見≫とムラ社会には名前を換えざるを得なかったヤッホー君。
 何を言いたいのか、つまり、あの、この、その、はるちゃんご存知の学生時代、竹橋の毎日新聞社で印刷できたばっかりのインクの匂いをかぎながら、深夜労働に勤(いそ)しんで、その労働の対価で神保町の古書店、田村書店に息せき切ってかけこんで買い求めたボードレールのプレイヤッド版 (Baudelaire: Œuvres complètes, Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard) は田舎の蔵のなか。
 でも原文と注釈を引用したいのですが、蔵に立ち入ることが阻まれており、もうヤッホー君には生涯、『故郷を追われた者』『故郷との絆を鉈で断たれた者』として、もう不可能なのであります。

 祖父、父亡き後、適当に始末したあなたたちに破衣徒(ほいと)となって末代まで祟ってやる、呪ってやると、決意したヤッホー君。

 「さようなら」の原語がAdieu なのか Au revoir なのか、しかしもうチェックの仕様がありません。

 これは、ボードレール(1821-1867)の『悪の華』再販(1861)所収の「秋の歌 Chant d'automne」から加藤周一が引いた詩句だったのです。

 Adieu か Au revoir か、耳を傾けましょう…
http://www.youtube.com/watch?v=Y8M3L-RHE_o

 ボードレールは1867年8月31日、46歳で死去します。

長い苦しみの末、ボードレールは終油の秘蹟を授けられた後、母の胸に抱かれて死去する』のだそうです。
彼を埋葬所に入れようとした丁度その時、一日中重く圧しかかっていた空に雷鳴が轟き、創世記の大洪水の時のような雨になった』そうです(ベルレーヌの書簡?…これも確認する術がヤッホー君にはもうありません。
…阿部良雄編『ボードレールの世界(1976年、青土社)』所収杉本紀子「ボードレール詳細年譜」より)

 ところでこの「秋の歌」、これは、1859年11月30日号『同時代評論』が初出だった、と言います。詩人38歳のとき、オンフルールといって母の別宅に滞在するときがしばしばあったときです。『悪の華』初版は1857年、そしてフローベールが小説だとすれば、詩の部門で体制側、官憲により世の秩序を乱す反逆人として告訴されてもいるのです。

 今夏、こんなふうに大川端を歩き、このブログでも『朝キン』を報告してきたヤッホー君、いまどっか大学で研究して博士論文をあげろ、と言われたら、多感な自分とは違った視点から論文を仕上げることがきっとできるでしょうね。ね、はるちゃん。

 ボードレールが死ぬ年、1867年とはこの国でいうと、大政奉還の年にあたるんですねえ。
 それから4年後の1871年6月25日のこと、27歳になったばかりの一人のアメリカ人青年が横浜港に到着した、という面白い本がありますので、ご紹介。ぜひお買い求めの上、お子さまにもお話し下さいね:

チャールズ・アップルトン・ロングフェロー著(山田久美子訳)
『ロングフェロー日本滞在記−明治初年、アメリカ青年の見たニッポン』
(平凡社、2004年)


 トウデンフクシマダイイチゲンパツジコから半年、ニューヨークの摩天楼に飛行機が突っ込んで10年、そして、大逆事件から100年、明日は、山歩クラブ、草津白根山へのお山歩会です。

 お休みになる前、ぜひ、日本弁護士連合会の声明文『大逆事件死刑執行100年の慰霊祭に当たっての会長談話』を噛み締めて、それから安眠しましょうね;
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2011/110907.html

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羊の歌

 夏の終わり、は窓から差し込む朝日の光がたたみに及んでくるその長さによって見当がつく、これがヤッホー君の季節感だそうです。
 のろのろ雨台風がようやく消え去ったね、と大ぜいの犠牲者に想いを馳せながら、そういえば、少し長くなりました…と感慨深けに、夏を振り返る9月10日土曜日の朝のことです。
 たたみに寝そべって、相変わらずの「盆寝て、暑うっす」気分。夏の得意技は、たたみに寝っころがって大川から吹き渡ってくる風を受けながら、本の頁をくくることでして、風たちぬ、じゃない、ない、まだ秋の風、立たず、なんて。
 「盆寝て、暑うっす」って夏のご挨拶、しかもフランス語なんですよ Bon été à tous!
 
 今朝、手元において掲げ持つに手ごろな本は、『高原好日』と『羊の歌』。

 後者は、1966年10月から翌年3月まで、『朝日ジャーナル』に連載し、1968年の夏、岩波新書に収められた、そうな。
 ヤッホー君にも多感な時代があったそうで、この連載を読むために『朝日ジャーナル』を定期購読し、岩波新書も買い求めた記憶がある、とのことです。
 
 しかし、記憶にまだ残滓として残っているのが、たったの二ヶ所だけ、とは悲しい、だから、この程度の一生で終わるのかも知れませんけど…

 「さようなら、あまりに短かかりしわれらが夏のきらめきよ」
…「高原牧歌」にでてくるエピソードです。
 妹が「もう秋ね」と呟くと、兄はこの句を不図思い出し、妹はもう東京へ帰りたいと思っているのかもしれないと考える、というなんと妹想いの兄なんだろう、と感慨に耽ったあのころの自分を思い出すのだそうです。

 もう一ヶ所。
何か事件がおこると、その事件について夕食のときにそれなりの意見を述べた。
 その意見は家族の他に聞く者がなかったので、そういう検閲や社会的圧力にも考慮せず、父の考えを自由にあらわしたものにちがなかった。
 しかし、意見の材料になったのは、新聞と放送が、検閲と自己検閲を通し、報道の自由のないところで、選択し提供した情報にかぎられていた。
 おそらく大部分の日本人と同じように、父は南京陥落についてその感想を自由に語ったときに、南京大虐殺の事実を知る自由を全くもっていなかった

…「2.26事件」にでてくるエピソードです。
 これは、あの当時の多感なヤッホー君、食事時の父や祖父のいた時分の家族の会話に思いを馳せたのだそうです。
 そして、それを書く書き手のレトリックの巧妙さとテクニックの高度さに感服したそうです。

 それほどの高度な技術もパースぺクティブ(USDP)もないし、だったら山の高度さ狙いで…
 しかしこれも無理、無理。日本一高い冨士の高嶺も仰ぎ見て感服しているくらいなので、まあ、やっぱり、ほどほどの人生だったねと、つらつら考える晩夏の朝日が差し込むたたみでの読後感でした。
 うつらうつらしてきました。
 羊の歌ならぬ、やっぱり山羊のめえめえが聞こえてきたようですので、朝日のあたる部屋からはこの辺で。
http://www.youtube.com/watch?v=fUAzD23QPo8&feature=related

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2011年09月09日

星菫派

私は戦時中から戦後にかけて、一方に「詩と真実」を、他方に「戦争と偽り」を対置して、世の中の移り変わりを考えていた。
 その立場からみると、詩を語りながら - 戦争中はひそかに、戦後には公然と -、他方で戦争を賛美または容認する人びとが首尾一貫せず、不誠実に思われた。
 「芸術は政治に係わらない」という主張は、政治的現状の容認にすぎない。
 そこで戦後、言論の自由が恢復されると私は彼らを「星菫派」と呼んで弾劾した。
 そして長い間、宇佐見栄治を「星菫派」とは決して考えなかったが、「星菫派」を容認する者とみなしていたように思う。
 私が彼に近づくことを求めなかった理由のひとつである


 これは加藤周一(1919-2008)『高原好日』所収「宇佐見英治」より(2009年ちくま文庫版、もとは2004年信濃毎日新聞社より刊行)

 ね、でました、宇佐見英治(1918-2002)!
 ところが宇佐見英治と「邂逅」を果たせた(えっ?!)場所は、といえば、軽井沢…

10月中旬のある日の夕方、軽井沢旧道の「テニスコート」に近い路地は、人気なく静まりかえっていた…
 その短い路地の曲がり角に、思いもかけず、鳥打帽をかぶって少しまえかがみに宇佐見英治があらわれるのを−見たはずはないが、ほとんど見たかのように感じた


 異論、反論、いろんな思い、うん、『人生には親しい交際があって当然の、しかし実際には交際の機会がきわめて稀であった友人があるものだ。宇佐見は、私にとってそういう人物の一人であった

 ね、加藤周一を生前の宇佐見英治にもっと頻繁にひきあわせてやりたかったね、と思う晩夏の宵にたたずむヤッホー君。
 そうなんですう、自分は変わらなくてもいい、間に入ることで、ただ相手が変わればいいとだけ思い込んでいるヤッホー君。
 自分を触媒、便所バエではありません、ショクバエと思い込んでしまっているヤッホー君。
 リンゴ園の園主と本の出版を相談する宇佐見、『九条の会』の発足メンバーでもある加藤、いまごろ二人、宇宙(ヘブン)で、けんけんがくかく、わいわいがやがや話し合って、意気投合しているかもしれない、と思っていますけど。
 これがきっと、加藤周一の言う USDP(アップサイドダウンパースペクテフィブもしくは米国防衛政策)かな?

…「漁業の町にハエ大発生 手作りわなで退治」
http://www.youtube.com/watch?v=gT_rD7ay0Lo
 
 ここで、大事なことは自己批判できる加藤周一の姿勢です:

彼の晩年の文章は、時が経つほどよくなった。
 あれほど見事な文章が、反戦の志の一貫性を前提としないで成り立つであろうか、という疑問は、彼に会っていよいよ強くなったのである。
 まちがっていたのは私の方だ

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2011年09月08日

言論の自由

 異論につき、再論。
 
東京電力は8月30日、福島第1原発の復旧作業に当たっていた40代の男性作業員が急性白血病で死亡したと発表した。この作業員の被曝線量は0.5ミリシーベルトで、東電は「医師の診断によると作業と死亡の因果関係はない」と説明している。
 東電によると、男性は8月上旬から1週間、放射線管理などの業務に従事。体調不良を訴え診察を受けたが、その後死亡した。内部被曝はゼロだった。就労前の健康診断では問題がなかったという。16日に元請け企業から東電に連絡があった。
 東電によると、急性白血病に関する厚生労働省の労災認定基準は年間5ミリシーベルト以上の被曝、1年間の潜伏期間などがある。この男性の福島第1原発での作業は、基準に達しないという。
 同原発の作業に従事する以前の職歴については分かっていないが、東電は「これ以上調査する予定はない」としている

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110830/dms1108301611011-n1.htm

 無智なヤッホー君にはこの記事を書く人のこころ模様がよく分からないのです。これがジャーナリスムを志望して記事を公表する、エリート養成校を出た人間の姿なのか、と。ネクタイを締め、ドッグタグをぶらさげたサラリーマンばかりじゃあ、ござりませぬか、と。
 お偉いさんのところで、記者会見があり、その実況中継があると、変な音がぱたぱた聞こえてきません? いっせいにパソコンを叩く音です。締め切りがあり、それに間に合わないといけない(労働の対価である給料が貰えない)というのは分かりますが、それで会社に送った記事がそのまんま読者に届けられる、お金を払って情報を仕入れる方は、『東電は「医師の診断によると作業と死亡の因果関係はない」と説明している』、『東電は「これ以上調査する予定はない」としている』で終わる…。
 本当のジャーナリストの仕事って、実はここからの話しではないのでしょうか。
 5W1Hで正確に読者に情報を届ける、ということ。
 東電によると、で終わる情報の垂れ流し、ダダ漏れって、だからヤッホー君は≪大本営発表≫とどこが違うのか、とくち酸っぱく言い募っているわけでございます。
 そんなわけで、記事の内容は、どのマスメディアを読んでも、ですので同んなじ内容、異論どころではありません。

 唯一、疑問点を発表したところがあります。日本弁護士連合会の会長、宇都宮健児先生名で出されたメッセージだけです:
十分な調査を経ているとはいい難い中で、本件作業と男性の急性白血病との因果関係を断定的に否定することは性急に過ぎ、相当ではない…
 したがって、当連合会としては、東京電力に対し、男性の職歴、生活歴、それから予想される被ばく線量を徹底的に調査し、男性の原子力発電所での作業と事故後の生活に基づく被ばくを併せて考慮し、急性白血病との関係を慎重に検討した上で、プライバシーに配慮しつつその検討結果を公開することによって、原子力発電所労働者の休憩時を含む労働環境の適正さを確保することを求める

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2011/110902_2.html

 同じように、こんな事例もありました。
 まずは、昨日、東京新聞2011年9月7日付け夕刊:
読売テレビ(大阪市)が9月4日に放送した番組で、中部大の武田邦彦教授が岩手県一関市の放射線量の数値を示し、東北地方の野菜や牛肉について「健康を害するから捨ててもらいたい」と発言し、勝部修一関市長が教授に抗議のメールを送ったことが7日、市への取材で分かった。
 番組は「たかじんのそこまで言って委員会」。「東北の野菜や牛肉を食べたらどうなるのか」との子どもの質問に答える形で、武田教授は健康を害するとしたほか「いま(東北地方で農作物を)生産するのが間違い」と発言。放射性物質を有毒物になぞらえ「畑に青酸カリがまかれた。のけてから植えてください」と述べた。放射線量の数値が高い場所として一関市を挙げ「ここには海を通って放射性物質が落ち、0.5マイクロシーベルトになりました」と話した…
 勝部市長は「地元自治体の首長として強く抗議する。発言を取り消す考えはないのか確認した上で今後の対応を考える」と武田教授にメールで伝達


 これも、「東北の野菜捨てて、武田教授発言に賛否両論」的な≪面白さ(センセーショナルな内容)≫で、情報を購入した読者を手繰り寄せる、引き寄せる記事で終わり、発言の背景や、なんで青酸カリ? という喩えなの? どうして? というところまで、両者に喰らいつき、聞き出し、掘り下げた論調で食い下がった記事はまだ見ておりません。
 異論あり、と唱えると、逆に表面的な、表層的、印象的な、魔女狩りでないけど、言葉狩りで終わってしまうのです。
 武田教授自身の論を読んでみませんか、皆の衆:

テレビで発言するにあたり、できるだけわかりやすく、しかも科学的に間違いの無いように配慮しました。
 放射性セシウム137の{成人、経口}での50%致死量は0.1ミリグラム程度です。これに対して青酸カリは{成人、経口}で50%致死量が200ミリグラム程度ですから、青酸カリの方が約2000倍ほど毒性が低いという関係にあります…
 以上、私の見解を書かせていただきました。
 一関市を預かっておられる市長さんとはご意見が異なるかも知れませんが、私は日本国憲法が保証している学者としての学問の自由と国民としての言論の自由のもとに発言しております

http://takedanet.com/2011/09/post_d44c.html

 異論を言うのに、日本国憲法で保障された「学問の自由」と「言論の自由」まで持ちださないと、放射性セシウム137と青酸カリの毒性比較も口に出してはいかん、ということになるの?
 じゃあ、いま、憲法改正論まで「国会ムラ」では言われはじめている折り、このいまの日本国憲法が亡くなったら、いったいどうなるんでしょうか、ね。あ〜あ、恐ろしや、恐ろしや…

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2011年09月07日

明るさの神秘

 宝剣山荘、ふたたび。
 いえ、なにね、なぜ、口角泡を飛ばして激論する、あるいは提案者に「それは間違っている」と言うべきところ、「それは正しい」と言って、その場をやりすごし、かりそめの平安と落としどころの笑いばかりを追い求めるようになってしまったのか、に関わることなのです。
 いま急速に進む「ムラ社会化」とも絡んでくるテーマだと思いました。
 昨日、日記を書きながら宝剣山荘でのワンシーンを思い出してしまうヤッホー君です。

 8月22日月曜日朝、小屋を出る前、干していた雨具や靴下、山靴をとりに行ったはずの、小屋の奥のストーブのある一角でしたが、ヤッホー君は座り込んでしまい、さかんにノートに書き写していました。
 そのコーナーにある本棚に、『アルプ』誌が…、しかもその一冊だけがちょこんと座っていて、ヤッホー君をおいでおいで、と手招きをしていたというのです。

 『アルプ』は1958(昭和33)年3月に、串田孫一責任編集で創文社から創刊され、1983(昭和58)年2月の300号まで25年間、発行されていた伝説の山の雑誌です。
 ヤッホー君が手にとった一冊だけの『アルプ』とは1970年3巻第145号でした。
 すかさず手にとって、ぱらぱらめくっていると宇佐美英治の文章と遭遇し、思わず引き込まれてしまったそうなのです。
 山から帰った後の宇佐美英治は、神保町で、騒然とした学生デモとも遭遇します。その描写まででてきます。多分、当時は明治大学のフランス語教師だったのではないのでしょうか。
 
 こんなことを言います:
テレヴィジョンによる視像の強制とマスコミュニケーションによる知識の一様化(かならずしも一般化ではない)が、彼らに、夢想する力を失わせてしまった。
 最大の不幸は、想像力の欠如にある…
 教諭や教授たちは、字義や文脈の解釈のみを教え、文学をつねにもう出来上がったもの、変更不能のものとして教えこむ。
 いわば、想像力をもっとも涵養すべきところで、彼らは想像力を圧殺するのだ。
 いたずらに議論をする者、よだれをたらしつづける者、原子の位置を移動させるのみで、世界を富ますことなしにただ騒がせる者、言葉を摩滅させる者に禍いあれ。
 されど、かかる人たちにもいつの日か目覚めがおとずれ、戦いの平安が生れんことを


 宇佐見英治は詩人です。ウイキ等によりますと、1918年大阪生まれと言いますので、1970年とは52歳のときですか。へぇ〜。2002年9月14日午前、老衰のため東京都多摩市の病院で死去、享年84歳。

 なお、喪主は長男森吉(しんきち、現、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授)。
http://www.imc.hokudai.ac.jp/imcts/teacher/?cmd=dt&id=12

 暴力でなく、異論が飛び交う風土は、これから可能なのでしょうか。
 異論を考えることができる夢と想像力と言葉、これらの蘇生を望み、願い、祈るだけです。

 宇佐見英治には、こんなエピソードもあったとのことです。齢70歳のときです;

1988年5月、池袋の西武美術館でタゴールの大絵画展が開かれた。
 初日の午後、会場の入口近くで傍を歩いていた人から、失礼ですが宇佐見先生ではありませんか、と声をかけられた。
 そうですと答えて足をとめると、その人は自分は小平範男といって、先生の本の読者ですが、新聞の写真などからそうではないかと思って声をかけましたといい添えた。
 それから小平氏は岩手県水沢市で林檎園をやっていること、タゴールの展覧会をみるために、今朝水沢を発って、いまここにいること等を語った。
 小平氏は40歳前後、中背で、屈強に見えた…。
 これが本書の発行人小平範男氏との最初の出会いである。
 その年の10月、水沢のその林檎園からジョナ・ゴールドが送られてきた。
 太陽と雲、疾風と大気のやわらかさ、星の夢と大地、それが果汁となって私の体内を、対外をうるおす。なんというさわやかな芬り。
 1992年8月、私は小平林檎園を訪れた。
 奥さんの運転するワゴン車に同乗して、多年念願の種山ヶ原に登り、五輪峠に立った。 
 その頃から夫妻の手で私の著書を発行したいという話が持ち上り、それが漸く本書となって実現した。
 この書は発行所が出版社でないので、どんな本になるのか多少心配であったが、友人たちのおかげで立派な本になりそうだ。
 私の著書をこのようなかたちで出版することを企図された小平夫妻に衷心無尽の謝意を申し述べる。 林檎園から自分の本がでるなんて、老年の今日までどうして私に想像できたろう。
 数日雨がつづいた。
 今日は青い空が林檎畑の上にひろがっていることだろう。
 この秋も紅玉や、私の好きなジョナ・ゴールドがゆたかに稔らんことを


 1997年秋、みすず書房から出版された『明るさの神秘』の誕生秘話でした。

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2011年09月06日

国語の時間

 新田次郎『聖職の碑』。
 作者がこの建碑の陰の人と考えついたのは、赤羽長重が校長先生だった中箕輪尋常高等小学校の26名の教師の一人、有賀喜一でした。
 小説のなかで、校長は有賀の授業参観をするシーンが出てまいります。
 小説では有賀は32歳です(有賀は記念碑の除幕式の翌日、33歳で持病の結核が過労により悪化した咽頭結核で亡くなります)。
 国語の授業です。
 教材はガリ版刷りのプリントです。

『「自分はちっぽけな調和はいやだ。
 それよりは大きい不調和を欲する。
 自分は、計画され、予測された調和はいやだ。
 すべてのものが行くところまで行って、自ずとできた調和でなければいやだ」
 生徒は一気に読み上げた。
 「よし、今読んだところの意味を話して見ろ」
 生徒はしばらく、話の糸口を探しているようだったが間もなく話し出した。 
 「例えば植木鉢に赤い花を咲かせて、白いカーテンを引いた窓の前に置くような、そんなちっぽけな調和はいやだ。
 そんなことをするくらいなら草葺き屋根ばっかりの村の真中に、洋館が建てられたような大きな不調和のほうがまだましだ。
 自分は、はじめっから、こうすればこうなるだろうと考えて仕組んだ調和は嫌いだ。…」
 「ようし、今云ったことについてなにか異論がある者があったら、手を上げて云って見ろ」
 有賀が云った。あっちこっちから手が上った。有賀がその一人を指した。
 「だいたいそれでぢたいいと思いますが…萱葺き屋根ばっかりの村の真中に洋館を建てれば、大きな不調和どころか、かえって調和が取れた景色が生れるのではないかと思います」
 その生徒の発言に対してどっと笑いが起こった。…
 赤羽は「白樺」に載っている一文を用いての有賀の教育法を驚きの目で見ていた。
 生徒たちが調和というものがなんであるかを完全に理解した上で議論しているのにも少なからず衝撃を受けた』


 ヤッホー君の驚きは「白樺派の理想主義教育」という抽象的な言葉でくくられる前の「現場」の空気を分かってほしいんです。
 まず最初の生徒の「しばらく」という間、それを辛抱良く待つ教師と、考える教室のほかの生徒。
 そして授業のテーマが≪調和≫という語の正しい理解だ、とすればそれを教壇の上から教師が生徒に伝授する、教授する、暗記させるのでなく、≪異論≫を誘うこと。
 怪鳥は飛びません。誘い水に飛んでくる蛍のように、あっちこっちから手が上がる教室の風景。
 そして、「どっと」笑いが起こる風景。
 
 この風景、というのは「小説の世界」だから起こるのであって、「現実の世界」ではそうはうまく「ことが運ばない」…と嘆くのが現代人のオチ?
 いいえ、けっしてそんなことはなく、明日から、と言わず今からできることなのでないのでしょうか。

 ディベートとは、なんてハウツーものが流行っていますが、講師に(セミナーを開催する会社に高額の謝礼金を支出せずとも)、教室でも職場でも会議でも、どこでも誰とでも、どんなことについてでも、できることなのでないのか、と。
 これが、他者に依存しない、親からのあたまを使う "stimulate the brain" の自然な姿なのではないか、と。もしくは、いまそんな言葉を使うのかわからないけど「ブレーンストーミング」とか。
 場の主催者、出席者を問わず。

 ところが、「切れる」人が増えていませんか、まわりに。
 我人を後生大事に守って、その守備範囲からは一切、踏み込ませない、ですので、一番のミッションは、他と肩を組む状況をかもし出すことなのにできない、出身校とか名刺の肩書きとか、自我をかかえこんで、目の前の人を呼ぶのに勝手に「おまえ」とか「あんた」とか呼び捨てにし、あるいは罵詈雑言を浴びせて、あるいは信頼を裏切り、自分だけの束の間の優越感を味わう、というプライドだけが、過剰に旺盛な輩が増えていませんか、まわりに。

 山歩クラブには組織文化があります;
 「けんけんがくがく、わいわいがやがや、最後は大っきな笑顔」でこれからも行きます!
 だって仲間づくり、コミュニティづくりが、ミッションなんだもん… 
 

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2011年09月05日

ヘブンでなくセブン

 8月の最終日の日記は、“mails from outside country”でした。
 覚えていらっしゃいましょうか。
 ロンドンっ子の友は、お母さまの“dementia”に翻弄されていましたね。けっして人事ではないのです。いや自分だっていつなんどきそんなふうになるとも限らないのです。
 今日は、世界に3360万人、カナダでは50万人以上といわれているアルツハイマー病、それに関連する認知症について、カナダ紙 Globe and Mail の公衆衛生担当リポーター Andre Picardさんの7月19日の署名記事をご紹介。

 なお、この国の情況については以下↓参照。dementiaをどう訳すのか、だってさ、「認知症」だって、痴呆じゃあ、いくらなんでも、と変えた「行政用語」なんです:
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/disease_detail/1_07_02recog.html

 この以下のお話しは、医学雑誌"Lancet Neutrology"の同日7月19日火曜日号にも公開、皆さん読めるし、また同日7月19日の火曜日、フランスはパリで開催された"Alzheimer's Association"の International Conference でも発表されたそうです。

 誰が、何をかっていうと、引用しますので、辞書を引いてでも読む価値はあると思います。

 面倒くさがらずに、いつもこころに興味と関心をもって、辞書とか鉛筆、消しゴムをもって、ノートを開いて、つまり手先を動かして、何かなあ〜なんて自分のあたまで考えて、自分のあたまで言葉を見つけて書いてみること、これは、山歩きと同んなじように、「呆け帽子」探しにつながるはずです。
これをリポーターは、記者は "stimulating the brain" と言っています。せっかく親からいただいたあたまを他人任せにしないで、自分で使ってみる、使い続ける、ということなんでしょうね。

 山路も、石ころごろごろ、枯葉の下に浮き石、滑る岩もあるし、一歩一歩、一歩二歩山歩、どこにアシを踏み出してどこに着地するのか、あとどのくらいなのか、いつもきょろきょろ、あたりを見回して、自分で判断して進まないといけませんよね。

Half of Alzheimer’s cases worldwide can be traced to seven common risk factors, a new study shows.
The findings also suggest that by tackling those underlying issues – which range from lack of education to obesity – the rising tide of dementia could be slowed considerably.
“We are assuming that when you change the risk factor, then you change the risk,” said Deborah Barnes, an associate professor of psychiatry at the University of California, San Francisco, and lead author of the study.


 ここまでは前触れ。でも、リスクコントロールの糸筋が見えてはきませんか。たったの七つで、しかも難しいことはないような気がするんですけど、ヤッホー君には。

* Low education: “Use it or lose it” is an important credo in Alzheimer’s prevention. Schooling is key because stimulating the brain builds neural networks and the more education a person has the more likely they are to engage in stimulating brain activity. Yet, worldwide, 40 per cent of the population has a primary school education or less. The researchers estimated that low education was associated with 19.1 per cent of Alzheimer’s cases, or 6.4 million cases globally.
* Smoking: Among other things, smoking weakens blood vessels and it affects blood flow to the brain. But almost one-third of adults in the world still smoke. The research estimates 13.9 per cent of Alzheimer’s cases are linked to smoking.
* Physical inactivity: Studies show that people who are physically active have better cognitive abilities and are less likely to develop dementia. Worldwide about one in six people are inactive. The new study found that 12.7 per cent of Alzheimer’s cases were likely due to inactivity.
* Depression: People who suffer from depression have more than double the risk of developing dementia. About one in seven people in the world will suffer from serious depression. Researchers calculated that about 10.6 per cent of Alzheimer’s cases could be traced to depression.
* High blood pressure: About one in nine people in the world have hypertension in middle age. The study estimated that poorly-controlled blood pressure accounts for 5.1 per cent of Alzheimer’s cases.
* Diabetes: Research shows patients with type 2 diabetes have a significantly higher risk of developing Alzheimer’s. Globally, almost seven per cent of adults have diabetes. The research team found it could be responsible for about 2.4 per cent of Alzheimer’s cases.
* Obesity: Women and men who are obese at middle age have an increased risk of dementia later in life. Worldwide about 3.5 per cent of the population is both obese and middle-aged. The study found that obesity is associated with about two per cent of Alzheimer’s cases.


 この20年でダブルスコアで増えてしまった認知症ですけど、この七つの要因の危険因子を減らせば、1720万の症例は防止できるはずと、デボラ・バーンズ先生は、おっしゃっているとのこと。

http://www.theglobeandmail.com/life/health/new-health/health-news/seven-health-risks-that-could-lead-to-alzheimers/article2102783/

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2011年09月04日

ヘブンアーティスト我人

 いえ、ね、銀座の次、今日9月4日日曜日のお散歩は新宿まで、というわけでして、そうしましたらね、西口広場イベントコーナーでは、「高校生と著名人の人権メッセージ展」が。
 なんでも「人権フォーラム in 2011 みんなで築こう 人権の世紀〜考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心〜」の一環、とのことでした。
 主催は、東京都人権啓発活動ネットワーク協議会。
 資料・パネル展示は、同和問題、拉致問題、HIV感染者・ハンセン病患者等の人権、アイヌ文化、女性の人権、犯罪被害者等の人権など、でした。
 ほかにも、東日本大震災写真パネル展やハローキティ・レッドリボンキャンペーンが。
 また、アイヌ古式舞踊、「ヘブンアーティスト」演技、ジャズ演奏、物産販売、クラフト教室など多彩に繰り広げられていました。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/EVENT/2011/07/21l7s200.htm
 
 ヤッホー君の亡き父は聖職を定年退職して、その頃から不治の緑内障になり、視力が失われていくなかで、「人権擁護委員」をボランティアですが、公職として拝命し、一生懸命だったな、そんな亡き父の宇宙(ヘブン)からの呼びかけだな、と思い、ちょっとだけでも立ち寄ることにしたのだそうです。

 「人権擁護委員」の職務って、ウイキによると以下の通りだそうで(法11条):
1.自由人権思想に関する啓もう及び宣伝をなすこと。
2.民間における人権擁護運動の助長に努めること。
3.人権侵犯事件につき、その救済のため、調査及び情報の収集をなし、法務大臣への報告、関係機関への勧告等適切な処置を講ずること。
4.貧困者に対し訴訟援助その他その人権擁護のため適切な救済方法を講ずること。
5.その他人権の擁護に努めること。

 また法務省には公式サイトもあります:
http://www.moj.go.jp/JINKEN/index.html

 そんななかで突然、「ヘブンアーティスト」演技が。
 まず、「ヘブンアーティスト」ってなぁ〜んだ? ってところから。
 立て札に「我人」という隣に、そう書いてあったもんだから、グループ名につける「かがみ」かなと、一瞬思いましたが、知りませんでした、行政用語でした:
「ヘブンアーティスト」は、2002年に東京都の石原慎太郎都知事により創設された大道芸人公認制度のことである。
 またそのライセンス保持者を「ヘブンアーティスト」と言う。
 「TOKYOアートタウン計画」の一環。
 「ヘブンアーティスト事業」は、東京都が実施する審査会に合格したアーティストに公共施設や民間施設などを活動場所として開放し、都民が気軽に芸術文化に触れる機会を提供していくことを目的としています

http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/bunka/heavenartist/index.html

 へえ〜、そうですか、じゃあ、となりの「我人」ってなんて呼ぶんだ? なんて読むんだ? と。
 「おらんど」だって、そうですか。
 ごあいさつで茨城県東海村生まれとおっしゃっていましたので、廣原武美(1977年生まれ)さんたちのグループで、公式サイトもお持ちです。
http://www.shamisen.jp/orand/top.html
 2002年に、「全国津軽三味線コンクール大阪大会」で初代優勝を飾っております。
 そうなんです、おふたりで太棹の津軽三味線が鳴りだしたのです。素晴らしい演奏でした。

 以下に「ヘブン」アーティストではないのですが、「ストリート」アーティスト竹内獅士丸さんの青森駅前での演奏もご披露しておきます:
竹内獅士丸さんは現-在、札幌を活動拠点に演奏だけでなく、ラジオパーソナリティ、舞-台(演劇)出演など多彩な活動をされています。
 本業の合間に3.-11以後、大通り公園などでストリート義捐金ライブも続けている-、この動画そのままにパワフルな三味線演奏家です

http://www.youtube.com/watch?v=eX3bd5FO9xo&feature=related

 新宿駅にいながら青森駅に遊んでいるような。
 そんな三味を聴いたら、やはりこの歌で酔わないと…
http://www.youtube.com/watch?v=EB_xQLyigmE&feature=related

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霧積温泉

『「われわれは劍岳の山頂に三等三角点を設けるために来たのであって、山岳会と登頂競争をするために来たのではない。出発に先だってこれだけのことを云って置く。よく心得ていて貰いたい」
 その夜柴崎は焚火を囲んで明日の行程の打ち合わせが済んだ時に、やや緊張した顔で云った。
 そうは口で云っているが、それは飽くまでも測量官としての立て前であって、ほんとうはなんとかして劍岳登頂競争には勝ちたいと思っていた。
 「相手は素人だ。負けるものか」
 生田が云った。
 柴崎が登頂競争ではないと云ったその直後の発言であった。
 座はしんとなった。
 男たちは黙って、遠くの山に鳴る風の音を聞いていた』

(新田次郎、『劍岳 ≪点の記>』1977年、第三章 測量旗)

 木村大作監督の映画で、この測夫、生田信を演じていたのが松田龍平(1983年生まれ)。
 松田龍平は、ロケ中のエピソードを次のようにインタビュウで応えています:
http://www.jsurvey.jp/tsurugidake/matsudaryuuhei.pdf

 また、松田龍平は2009年7月30日に木村監督と舞台挨拶に立っています :
7月30日、映画の観客動員200万人突破御礼の舞台あいさつに登場。
 第1子の女児が誕生したことを報道陣から祝福されると、はにかみながら軽く頭を下げただけだったが、隣の木村監督が「うれしいに決まってるじゃないか!」と怒鳴り声?で答えていた。
 香川照之さんは、「監督が唯一、松田さんを≪先生≫と呼んでいた。≪先生、お願いします≫って。最後には(松田さんの父の名の)≪優作さん≫と呼んでました。監督は松田さんのこと気に入ってたんで、(次回作は)松田さん主演になると思う」と明かした

(2009年7月30日付け毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/geinou/graph/200907/30_3/

 そうなんです、龍平は優作の子どもだったのですが、父の松田優作の20回忌特別企画の再放送(初回放送は2008年10月25日)を昨夜、BSジャパンでまたまた観てしまったのでした。
 そして、再度、松田優作はまだこころのなかに生きている! と再確認した次第:

2008年11月6日に20回忌を迎えた伝説の俳優・松田優作。
 これを機にカメラマン渡邉俊夫による写真集が出版された。
 写真嫌いで有名な優作だが、渡邉にだけはプライベートも含め、写真を撮ることを許していた。
 「俺の魂を撮れ」と言われた渡邉が追いかけ、見つめ続けた膨大な写真。
 その優作の「魂」をモチーフに、数々の映画人や関係者の証言をも併せ、新たな側面からの「松田優作物語」を構築

http://www.bs-j.co.jp/yusaku/

 新田次郎の『劍岳 ≪点の記>』が1977年の作品とすれば、同年角川映画で上映されたのが『人間の証明』でした。
 動画で予告編だけでも観ましょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=wAr6EEsImB4&feature=related
 この映画の主題歌を歌ったジョー山中氏も肺がんのため、先月7日の朝、亡くなっていました。
 享年64歳。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110807-816916.html

 山歩クラブでは、西条八十の詩集を携えて、あの麦藁帽子を探しにキスミー、ごめんなさい、霧積温泉に下見にでかけたことがありました。
 あれは、2003年10月25日(土)の紅葉狩り山行、「鼻曲山」1655mへの下見でした。
 ですので、もう8年も前になるのでしょうか、ちょうど今頃。
http://www.youtube.com/watch?v=DG_Sz3E1gGY 
 
 でも頭のなかにあったもやもやがあの詩文の書いてある立て札を見つけ、すっかり解消、山ん中はいいですね。
 しかし肝心の行程表づくりは再び霧ん中。
 だってさ、登り2時間半はきつい、最後の急峻な登りも落伍者がでる、とのご意見で、この素晴らしいコースはあきらめ、軽井沢からの「乙女コース」のピストンに変えたことがあったっけねぇ…

 あぁ〜、懐かしき映画俳優に、あの秋の山並みの風情、そしてあの霧積の秘湯。

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2011年09月03日

台風12号

 大型の台風12号は、9月3日土曜日午前10時前に高知県東部に上陸し、正午には徳島県三好市付近をゆっくりとした速さで北へ進んでいるって。
 大粒の雨が突然降ってきたかと思えば晴れ間がのぞいたり、朝から忙しい空模様です。
 隅田の流れも黄褐色に染まっています。
 
 昨夜、北海道の仲間より西駒での夏山合宿山行の写真が送られてきました。
 そのとき、ちょうどヤッホー君はBSプレミアムで新日本風土記「遠野」午後8:00〜午後8:58(58分)を観ている最中でした:

百年前、柳田国男の「遠野物語」は、妖怪や山の神を信じて暮らす人々がいることを世に知らしめ衝撃を与えた。
 明治の人々を驚かせた暮らしと信仰は、実は今も失われてはいない。ここには廃校になった学校から、座敷わらしを家に連れ帰ったと言う女性がいる。家の守り神「オシラサマ」が田植えを手伝ってくれたと語り伝えるお年寄りもいる。沢でカッパを見たという人もいる。お盆になると、山から下りてくる亡くなった人々を迎える「トオロギ」を高く上げ、しし踊りで丁重にもてなす。
 死者はいつまでも故郷を離れることができないと柳田が記した生活は、遠い昔、蝦夷と呼ばれた文化の痕跡を今に伝えるものでもある。
 さらにこの土地では、山から切り出した木を運ぶのに今も馬を使い、馬と人とが顔を合わせて暮らす「曲がり屋」と言う家も残されている。
 観光に訪れるだけでは触れることの難しい、素朴な信仰に抱かれた暮らし。そこから生まれた世界観、いわば日本人にとっての原風景を映像で伝える

http://www.nhk.or.jp/fudoki/

 北海道の仲間は、TBS系列が独占放送する「世界陸上韓国テグ」の番組をみていました:
国際陸連は8月22日、韓国の大邱(テグ)で理事会を開き、8月27日土曜日に開幕する世界選手権に過去最多となる202カ国・地域、1945選手の予備エントリーがあったと報告した。北朝鮮は全種目でエントリーしなかった
http://www.tbs.co.jp/seriku/

 ヤッホー君はお礼に観終わってから返信を:
『メールをありがとうございました。メールが4通あって、写真のダブりもありました関係で、写真を3葉、確かに受け取りました。だんだん「7」に慣れてきますね。
 先ほどはテレビをついつい観てしまい、返事が遅れ申し訳ありませんでした。

 実は夢の山域はいろいろあれど、どういうわけかいま、岩手。
 宮沢賢治の花巻、高村光太郎が戦後、引っ込んだ山小屋、そして柳田国男の遠野、山は早池峰、なんですね。
 メールでも叫んでましたが、元気なうちにぜひお誘いください、連れてってください!

 西駒リベンジは、ロープウエイを使わずに中学生も挑戦する「聖職の碑」コースで山頂へ、そしてもうひとつはこまくさの湯から空木岳、南駒ケ岳、百越山を2泊3日かけて、中央アルプスをすこし時間をかけて、ふもとの宮田高原も含め、歩いてみたいと思っています。また、よろしく!

 なんかますますピークハンティングはどうでも良くなってきていて、それよりもっと山の気に、出来るだけ、長ぁ〜く浸っていたいヤッホー君です!
 良い週末を!』

 今朝土曜日、返ってきたメールを拝読:
おはようございます!
 今日は32度になるとか…東京より暑いとは?地域の特徴がなくなった気象ですね!!
 すみません!4通も迷惑メ−ルが行って…送信トレイに残っているので。「7」に慣れるまでご容赦くださいませ!
 ヤッホー君の希望は、≪山と文学≫に根ざした場所ですかねぇ…早池峰山も歴史と伝統ある霊山の感ありで、声かけますね!(^^)!
 遠野はまだですが…観光地化しているのでは…?
 お元気でご活躍を!


 「7」に慣れるまでって、どういうこと?これは、パソコンのOS(オペレーティングシステム)なんですね、Windows 2000、Windows XP、Windows Vistaに続く後継として、7番目に開発されたシステムで、2009年10月に販売されはじめたようですね。
 ヤッホー君のOSって何? (      ) … なんかいま、怪鳥が豚だようですので:
http://www.youtube.com/watch?v=zpsnj3LmJ2w
 
 モウ一本、入ってきましたのでご案内:
ヤッホー君には、驚きでしょうから、転送いたします:

 山のトイレを考える会からのお知らせです。
 今年も山のトイレデーが近づいて参りました。
 関心ある数人が集まり手弁当で始めた活動も12年目に入っています。
 毎週楽しませてもらっている北海道の山の素晴らしさを次世代に引き継ぐのが我々現役世代の責務と心得ています。
 参加申し込みが9月5日です。
 参加要綱を読み、多くの皆さんの参加をお待ちしています。

〜北海道の山をいつまでも楽しむために〜
2011 全道一斉 山のトイレデー
さあ、あなたもきれいな山のために勇気ある一歩を!


http://www.yamatoilet.jp/


 ラッキーセブンかセブンイレブンか、仲間の送ってきてくれた「宝剣山荘」前の集合写真を、ここでご紹介:
宝剣山荘.jpg


 
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2011年09月02日

ソースかつ丼

『一日の来館者3,000人。日本唯一の地域総合専門館です。お菓子、乳製品、調味料、乾物、豆腐、納豆、果物、麺、米、飲料水、昔ながらのふるさとの技術が活きた品々が約1,300種類。毎日の生活から、ご贈答まで、広くご利用いただけます』
(「むらからまちから館」10:30〜19:30、日・祭日は19:00まで、つまり年末年始を除いて年中無休、JR有楽町駅前、東京交通会館1F、Tel 5208-1521)
http://murakara.shokokai.or.jp/

 いえ、ね、今日9月2日金曜日のお散歩は銀座まで、そう、そう、気になっていたのが「ソース」、だったのです。
 そこで、ふらっと入った交通会館。2階に「長野県観光情報センター」。
 ここには「明治亭のソース」が大好評、もう一本しか残っていませんでした。すご〜い、大、大、大人気!
 カウンターのお姉さまから、
『デパートやナチュラルローソンでもお求めになれますよ。
 もし違うソース屋さんのものでも良ければ、この1階にある「むらからまちから館」に行かれれば、お求めになれますよ』
 そこで、すっからかん、とんちんかんとか、あきかんとか、毎日、毎日、やんなっちゃうくらい、かん拾いばっかりしているヤッホー君、でもなんとか、そのお店までたどり着くことができたと、こういうわけでございます;

★ 明治亭のソース:
『駒ヶ根「四季処 明治亭」の職人が、長年に渡りお客様の声を聞きながら労を重ね生み出したソースかつ丼用のソースです。
 黄色のラベルのソース(明治亭オリジナル)は、スタンダードソースをベースにさらに12種類の材料を追加し、長時間に渡りうまみを引出して使用し、上級な味わい深いソースに仕上がっています。
 スタンダードの食後のサッパり感をそのままに、肉料理特有のまったりとした重量感や、胃がもたれるようなしつこさは無く、食後のアッサリ感が特長。
 黄色のラベル』

http://www.meijitei.com/takeout.html#tk_sauce

★ 創業は1952(昭和27)年という、ヤマツル(株)さんのソース: 
『「信州駒ヶ根名物ソースかつ丼」を研究しつくして作られた、駒ヶ根ソースかつ丼会認定の、食品添加物(カラメル色素、増粘剤、 化学調味料、甘味料)を加えていないオリジナルソースです。
 あつあつご飯にシャキシャキの千切りキャベツを山盛りに、揚げたてのとんかつを、たっぷりの「ソースかつ丼旨味ソース」にくぐらせて載せれば、美味しい「ソースかつ丼」のできあがりです。
 B級ご当地グルメの祭典出場の実力をお確かめください』

http://www.yamaturu.co.jp/shop.php

 つまり、まあ、ムカシのことですけど、8月21日日曜日、サムライ7人でどっこおでかけした、とかこの日記でも取り上げて、ヤッホー君が書いていたことがあったような、なかったような、ゴホン、ロッポン木、ニッポン、え〜、富士宮市の「焼きそば」のあと、駒ヶ根市にほら、「ソースカツ丼」を食べにいった、とま、こういうことでございまして、詳しくは、いっしょに行った仲間のブログが報告してくれておりますので、さ〜てお立会い、ご用とお急ぎのない方はゆっくりとお話を聞いてくだしゃんせ:

『これがですねえ。
ロースかつが上手にカリッとあがっていることと、
ソースがよくあってる。
なにより、信州産の豚ロースがおいしい!
ビールにとっても合う。
ペロッといただいて。
体重が・・・(すみません)

http://popontapon.blog21.fc2.com/
(『作って、食べて、ちょっとだけ飲んで、思考と感性を鍛えるのだ! 毎日出会うお料理、スイーツやいただきもの、作ったものや食べたもの。私の食シーンの記録』
8月24日付けのブログに「ソースカツ丼」が載っております)

posted by fom_club at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする