2011年06月30日

JICA二本松

昨日6月29日水曜日は、ありがとうございました。
 お世話になりました。
 ホントの空は見えませんでしたが きれいな花々が楽しませてくれました。
 エクスプレスがおやすみで、かえって良かったのかも知れません。
 運転 お疲れさまでした!


 まだ昨日の百名山山行の余韻にひたっているヤッホー君です。

 岳温泉からエクスプレス発着所までの山道の途中に、独法・国際協力機構(JICA)「二本松青年海外協力隊訓練所」がありました。
 ヤッホー君がマレーシア・ペナンで国際NGOに勤めていたとき、東マレーシア(ボルネオ)で活動していたボランティアの方が休暇を見つけてはペナンによく遊びに来ては泊まっていかれましたが、帰国後、研修所に勤めるのだ、と話ししていた施設だったのです。
 
 ところがいまは、協力隊派遣前訓練や海外技術研修員の受入などの事業は一時、中断して、震災による被災者やトウデンフクシマゲンパツジコ避難者の支援活動に入っているようです。

 そのニュースレター6月臨時号から、です:

このたびの東日本大震災により亡くなられた方々へご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 JICA二本松では、通常JICAボランティアの派遣前訓練を行なっていますが、福島県からの要請に基づき、3月14日より避難所として開放し、避難者の方々の生活をサポートしています。
 福島県庁及び関西広域連合の一環として、滋賀県庁の各職員が行政サービスを提供し、JICAはこれを支援する体制で運営しています。
 また、JICAとして職員のほか、チュニジア、エジプト、シリア、ブルキナファソ等の政情不安地域より、日本へ一時退避中のJICAボランティアから希望者を募り、2週間交代で活動しています。

(事例)*ふれあい喫茶*
 JICAボランティアの大嶽郁美さん(チュニジア派遣待機中)が中心となり、施設内食堂付近の通路スペースに「ふれあい喫茶」が登場しました。
 ニットデザインの仕事をしていた大嶽さんは、かぎ編みで作ることのできるコースターやアクリルたわし、帽子やシュシュを紹介し、作り方を教えながら、みんなで和気あいあいと集まっておしゃべりできる場所を作りました。
 喫茶という名前のごとく、お茶やコーヒーも用意され、通りがかる人たちが立ち寄って、お茶を飲みながらおしゃべりすることができます。
 大嶽さんによると「散歩帰りのおばあちゃん達が立ち寄ってくれました。だんだん若いお母さんたちも輪に入ってくるようになり、男性も参加されたんですよ」とのことです。
 参加者が一つ作品を仕上げると、大嶽さんが写真を撮って付近の柱に掲示します。
 これにより、誰がどんなものを作ったかが一目でわかり、作った本人から記念として喜ばれるとともに、新たに人を呼び込む宣伝になっていました。
 参加者の一人は、「ここにきて編み物を習うとは思わなかった。自分で用具を買って、引越ししてからも続けたい」と話してくれました

http://www.jica.go.jp/nihonmatsu/office/pdf/news2011_02b.pdf

 さらに、「伝統の登山、変更も」ですって:
葛飾区教育委員会は、区立中学校2年生の伝統行事となっている林間学校の行き先変更を検討している。
 30年以上、福島県あだたら高原の区宿泊施設を利用していたが、同県の福島第一原発事故の収束見通しが立たない中、子どもたちへの放射線の影響を心配する保護者らの声を考慮した。
 7月中の区教委定例会で結論を出す方針。

 区は1977、福島県二本松市に宿泊施設「あだたら高原学園」を開業。
 あだたら高原での林間学校は同年から一部の区立中が始め、後に全区立中2年が実施。
 夏は安達太良山1700m登山、冬はスキー教室を中心行事に2泊3日で訪れている。
 しかし原発事故後、二本松市教委は子どもへの放射線の影響を抑えるため、地元中学生の屋外活動を一日3時間以内とするよう指導している。
 安達太良山登山には途中のゴンドラ乗車時間も含め約6時間かかる。
 地元教委の指針を基準に考えると、従来通りの登山は難しい状況という。
 同学園の空中放射線量は4月22日の調査で、学園内山林で0.00054ミリシーベルトを測定。
 葛飾区内より高く、中学生を持つ保護者からは「行き先を振り替えてほしい」などといった要望が相次いでいる。
 行き先変更の検討対象は24校で、2学期以降に行く予定。
 このうち15校は1学期に予定していたが、同学園に福島県飯舘村の人たちが8月末まで避難しており、すでに延期を決めた。
 区教委は「生徒の健康を第一に慎重に判断したい」としている

(東京新聞6月28日付けウエブ版)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20110628/CK2011062802000036.html

 たしかに、『あだたら高原学園は、東北地方太平洋沖地震の被害を受けた避難者の受入施設として使用するため、5月中旬から8月下旬までの利用を中止いたします』
(2011年5月9日)
http://www.city.katsushika.lg.jp/2885/2893/003304.html

 葛飾区だけでなく、墨田区も:
『墨田区は3月21日、福島第1原発周辺からの避難住民計430人を、区の3施設で3月22日から31日まで受け入れることを決めた。3施設は、旧曳舟中学校の体育館、すみだセミナーハウス、あわの自然学園(栃木県鹿沼市)。問い合わせは同区、電話5608-1111』(2011年3月21日21:09共同通信配信)
 
 一連の都内23区の施設利用状況の更新は、特別区の区長会の次のウエブサイトで確認できるようです:
『「東日本大震災」への特別区の支援事業等の概要を更新しました(2011年6月24日)』
http://www.tokyo23city-kuchokai.jp/news.html



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2011年06月29日

安達太良山

 6月29日水曜日、歩いてきました、安達太良山1700m。
 二本松ICは、避難者、支援物資運搬車両、中型車以上の三種類は無料のゲート、ヤッホー君のクルマはETCゲートと高速道の出口側道から混雑しておりました。
 ちょうど前の車両が道路右に寄ったり、左に寄ったり、千鳥足です。
 われわれは、小さいときから「前へならえ」ができなかった子が大人になってクルマを運転するとああなる、なんて大笑いしていましたが、実は、このがらがらに空いているETCゲートを早く通過したい、ただそれだけで右往左往しているんだ、ということが分かり、ごめんちゃい、しました。
 朝の8時半ころでしたので、てっきり通勤ラッシュだ、とばっかり思っていましたが、「東日本大震災に伴う東北地方の高速道路の無料措置通行方法について」という6月8日付け東日本高速道路(株)のプレスリリースの実施に伴う料金所の混雑でありました:
http://www.e-nexco.co.jp/pressroom/press_release/head_office/h23/0608b/

被災者の車両と中型以上の自動車を対象とした高速道路の無料化制度がスタートし初めての週末となった25、26の両日、福島県内各地で料金所が混雑した。
 東北自動車道福島西料金所によると、福島西インターチェンジは26日午後8時ごろに出口料金所から約1キロ渋滞した。
 特に夕方以降、断続的に車列ができ、数十分間、本線脇の路側帯に並んだ車も

(福島民報2011年6月27日月曜日10:26更新ウエブ版)
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&mode=0&classId=&blockId=9860158&newsMode=article

 山は、「あだたらエクスプレス」がお休みでした。

ゴンドラやリフトについては、点検等を実施した結果、安全が確認されましたので、2011年4月29日よりグリーンシーズンのゴンドラリフト営業を再開しております。
 安達太良山の大自然と眺望を満喫することで心身をリフレッシュして頂ければ幸いです。
 スタッフ一同ご来場を心よりお待ち申し上げます。
 ※2011年7月15日までは、諸事情により土曜日・日曜日のみの営業となります。
 なお、7月16日からは、毎日営業いたします。
 【お問い合わせ】あだたら高原リゾート Tel 0243-24-2141

http://www.adatara-resort.com/green/express.stm

 ゴンドラを使わずに奥岳登山口945mより歩いてウラジロヨウラクやドウダンツツジ満開の花のトンネルをくぐって登りました。
 従いましてゴンドラを使った場合の「くろがね小屋」を経由する一周コースを取りやめ、五葉松平、ハクサンシャクナゲの咲く薬師岳1355m経由の安達太良山往復としました。
 写真は薬師岳山頂に立つ「この上の空がほんとの空です」。
 智恵子抄.jpg
 
 天気は曇り、山頂は突風吹きすさび濃霧で視界悪く、下山途中2時半ころ小雨、帰京のためクルマが東北道を走っていた6時半ころ、栃木県内ですさまじいゲリラ豪雨と遭遇。
 しかし概ね順調。山はサイコウ!

お疲れさまで〜す。またまた参加し、良かったで〜す。ありがとうございました。今、洗濯終え、これから、休みます。もう一度、ありがとうございました。おやすみなさい
 
 立ち寄り湯の「やすらぎの宿、ヘルシーパルあだたら(二本松市岳温泉1-274-3 Tel 0243-24-2234)」では55人もの浪江町からのトウデンフクシマゲンパツジコ難民者を受け入れており、交流してきました!
http://www.healthy-pal.com/ 

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2011年06月28日

福島県観光物産交流協会

佐藤雄平知事は27日、県議会で「本県は原子力に依存しない社会を目指すべきであるとの思いを強く持つに至った」と述べ、7月末に県が決定する復興ビジョンで「原発依存からの脱却」を基本理念に盛り込む考えを示した。
 県の復興ビジョン検討委員会は県への提言の原案で「原子力に依存しない持続的に発展可能な社会づくり」を基本理念に掲げており、「脱原発」が県の復興策の柱となる見通し


 これは、福島民友ニュースの本日6月28日火曜日の午前8時半更新の記事、『「脱原発」の姿勢表明、知事、立地前提の政策転換』からでした。
http://www.minyu-net.com/news/news/0628/news1.html

 なぜ、今日の出来事の冒頭に記すかというと、日曜日の6月26日午後、ヤッホー君は露払いのモク拾いに東京駅まで、上野駅ではないんですよ、うん、東京駅周辺を闊歩していたわけです。
 そうしたら外堀通りに偶然にも、「福島県八重洲観光交流館(中央区八重洲2-6-21三徳八重洲ビル1F、Tel 3275-0855」を見つけました。
 館内はちょうど、「二本松市観光物産フェア」で賑わっていました。
http://www.tif.ne.jp/jp/sp/yaesu

 なかに入ったら、塙町で酪農業を営んでいるお兄ちゃんでしたが、「福島県農業青年クラブ連絡協議会」の会員でもありますが、そのお兄ちゃんとお話しする機会がもてたのです。
 このクラブは、1951(昭和26)年に結成。県内全域に7つの地方協議会をもち、会員数は100名、ほとんどが20代、30代という歴史は旧いが組員は若い組織なのです。
 風評被害にあって(風評なのか事実なのか、いや事実を知るのが恐ろしくノーチェックなんだろうな、と思いましたが)、種牛の価格が暴落しいま、35万だって言うんですね。どういう支援があるか、ってアンケートにお答え下さい、と言われたヤッホー君、三っつだけ書いてきました:
 @ 脱原発
 A 都民は福島県に行って、福島にすんでいる人と話し合うこと、福島に住んでいる人と同じものを食べること、お土産をたくさん買って帰京すること
 B 県民の皆さんは、姉妹都市だったり友好関係にある町に行ってお話ししてくること、福島産のものを売ってくること、注文とること、福島においで、と誘うこと

 こんな顔と顔が見える交流ができるといいですね。いや、お互い、そういう交流をつくっていきましょうよ!

 ところで、この「福島県八重洲観光交流館」はどこが運営しているのだろうってみたら、「(財)福島県観光物産交流協会」でした。
 ここは2008年4月、(財)物産プラザふくしま、(財)福島県観光開発公社及び(社)福島県観光連盟の三つの団体が統合して発足した団体で、ミッションは、「福島県の観光・物産振興の中核的機関として、ふくしまの優れた歴史や文化、豊かな自然によって育まれた“ほんものの旅”と“こだわりの味・匠の技”を国内外にPRすることでした。

 さらに、『くろがね小屋(Tel 090-8780-0302、標高約1400m)』まで経営していました。ここは:
安達太良山(標高1700m)の中腹にある公共の山小屋で、名のとおり軒先に吊るされた「黒い鐘」がシンボル。
 温泉付きの山小屋として親しまれています。
 小屋の南面には、周囲の自然に配慮した太陽光発電のためのパネルが設置され、自家用発電機との併用で小屋に電気を供給しています。
 また、厳しい冬には懐かしいダルマストーブが登山者を温かく迎えて入れてくれます


レンゲツツジ、オノエラン、タニウツギ、ミネズオウ、ウラジロヨウラク、ベニサラサドウタン、イワカガミ、ナナカマドの花も咲いています。
 登山の途中に、さがしてみてください。
 ハクサンシャクナゲは、登山口で少しずつ咲き始めましたが、7月上旬から見頃になるかと思います。
 くろがね小屋は小屋入口付近 0.23マイクロシーベルト、小屋の中は0.09マイクロシーベルトでした

http://www.tif.ne.jp/soumu/kurogane.htm

 山歩クラブでは急遽、その福島県安達太良山へ明日6月29日水曜日、出かけていって、歩いてくることにしました。

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お日さまのエネルギー

 センサーで歌いだす歌碑、ソーラー発電ではありませんが、田部井さんの話に戻ります:

今でも年に5〜6回は海外の山に登っているという田部井さん。健康の秘訣は何なのだろう。

「元気で長生きするためには食生活が大切です。
 だから、気を使っていますよ。
 三食すべて自分で作ります。
 朝は必ずリンゴ、ニンジン、レモン、ショウガを皮ごとジューサーにかけて、生ジュースを飲む。そして発酵食品は欠かさない。毎日納豆とお豆腐は食べます。
 塩分控えめで野菜中心の食生活。
 完全に和食党。パンだって、米粉のパンだもの」
と笑う。

「私は太陽の光に当たったものが好きなの。
 干し柿や干し芋は大好きだし、登山のときにも重宝しています。
 魚なら干物。お日さまのエネルギーをいっぱい浴びたものを食べると元気が出る」

 味噌も醤油も、地元である福島県在住の友達が送ってくれた手作りのものだそうだ

(農水省のビジュアル広報誌「aff(あふ)」2010年4月号からでした)
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1004/interview.html

 ところで、「シャリバテ」って知っていますか?
登山には気をつけなければならないトラブルもあります。
 そのトラブルの一つとして、登山者達が口にする言葉に「シャリバテ」というのがあるのをご存知でしょうか?
 シャリとは、寿司なんかでよく言うシャリ〜つまり、お米のことです。
 登山弁当ではもちろん必須のメインディッシュ!!
 シャリが足りなくなることで登山途中にバテてしまう、ということを指して、「シャリバテ」というそうで、運動不足や体力不足で呼吸器や循環器機能が追い付かなかったりして起きる単なる「バテ」とは区別されています。
 同じような現象は、やはり長時間の有酸素運動であるマラソンや自転車、クロスカントリースキーなど長距離のスポーツで起こりやすく、こちらでは「ハンガー・ノック」と呼ばれています。
 空腹でノックアウトされちゃう、といった感じの言葉ですね。

 体重60kgの人が4時間の登山をした場合、普段より1200kcal多いカロリーを消費するといわれています。食事2回分位のカロリーが消費されるんです。
 エネルギーが足りなくなって、足元がふらついたり、重くなったりするのも当然かと。

 このシャリバテの対処方法は、必然的に「低血糖処置」ということになります。
 すなわち、食べて10〜15分で消化吸収され、すぐに糖エネルギーにかわる「炭水化物(糖質)」をとること。
 炭水化物(糖質)そのものが、人間の身体にとっての燃料として優れている、ということがあります。
 糖は、少量(脂肪の約100分の1の容量)でより大きなパワー(脂肪の約2倍のパワー)を得られるんです。
 さらに、同じ量のエネルギーを生み出すのに、脂肪よりも少ない(約10%)の酸素ですみます。

 シャリバテの予防方法は「補食」ということになります。
 この補食が、登山でいう「行動食」ということになります

(熊本市九品寺にある糖尿病専門医療機関“陣内病院”(じんのうちびょういん)のブログからでした)
http://jinnouchihp.blog121.fc2.com/blog-entry-126.html

 田部井さんは「東京新聞フォーラム」で、こんなことも:
「干し柿や干し芋は手がべたべたしますよね、だからね、青じそで包むのよ。青じそは塩を振って冷蔵庫で冷凍しておいて、それもザックに入れて持ってくる、軽いし、登山に必要な塩分もとれるし」
 干し柿の青じそ巻き!
 ところで青じそってスーパーで売ってる「大葉」のこと?同んなじなのかなあ、違うのかなあ〜…

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2011年06月27日

塩屋岬

 6月26日日曜日午後6:45〜午後9:00(135分)、NHKBSプレミアムで、『よみがえる美空ひばり』という番組がありました。そのなかで船村徹が、目頭にハンケチを当てながら語った印象的なお話しがありましたので、日記に書きとめておきます。
 それは3.11で亡くなった人、被災者、トウデンフクシマゲンパツジコの避難者、困っているフクシマ県民がいま大ぜい、いるのに、なんていうことでしょう、同じ被災地で、美空ひばりが3.11にも負けず、ゲンパツでなくソーラー電力なので電源も無事で、センサーで感知することができ、人が近づいてくると歌う美空ひばりが建っている、というのです。このコントラストをご自分で報告しながら、思わず感極まって涙されていたのです。
 
 美空ひばりの「みだれ髪」(詞、星野哲郎:曲、船村徹)は福島県いわき市の塩屋岬を舞台につくられ、そのゆかりの地に、ひばりの遺影碑と石像が建てられています。
 人が近づくと歌声が流れる仕掛けですが、3.11のあと、いまも地震にも、津波にも耐えて、歌っている、というのです。
http://www.ahatk.net/YTmusic/MidareGami_HibariMisora/MidareGami_HibariMisora.html

 「ひばりの歌碑無事、いわきに響く歌声」というスポーツニッポン2011年3月27日日曜日8時37分更新の記事がありました。もう3ヶ月も前の記事になりますね:
震災で大きな被害を受けた福島県いわき市にある故美空ひばりさん(享年52)の歌碑群や銅像が、ほぼ無傷の状態で残っていたことが26日、分かった。
 歌碑から数百メートル離れた薄磯海岸地区は大津波で壊滅状態。
 同地区から歌碑に至るまで海岸線を走る道路が約420m続くが、その「ひばりロード」には大きな亀裂が走っていた。津波で流されたいすや布団などが散乱。車両は通行止めになっており、地元の関係者にも被害状況は不明だった。
 歌碑や銅像は同地区より約1.5〜2m高台にあるが、わずかな海抜差が命運を分けた。
 塩屋埼灯台を背に太平洋を見つめる「永遠のひばり像」は、少し傾いて見えたがしっかり立っていた。
 太陽光発電を電源として作動。
 像の前に立つとセンサーが働き、「悲しき口笛」「塩屋崎」の歌声が響き渡った。
 壊滅状態の薄磯海岸一帯の住宅地では、水道、電気などのライフラインは断絶。
 永遠に残るようにと建立されたひばり像はまさに不死鳥のように立ち続け、歌い続けている

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110327-753409.html

 そして、四国新聞6月24日金曜日付けコラムでは、『美空ひばりの命日』です。なぜ四国で? とお思いの方も読めばお分かりになっていただけます:
きょう24日は「林檎忌」。といってもピンとくる人は少ないだろうが昭和の大歌手、美空ひばりの命日。初期の大ヒット曲「リンゴ追分」にちなんで名付けられた。
 足跡をたどると、美空和枝という芸名だった1947年、初めての地方巡業の四国で、運命的な出来事が起こる。現在の高知県大豊町で、移動中のバスがトラックと激突し横転したが、路肩下の桜にバスの前部が引っかかり九死に一生を得る。
 1カ月半の療養後、町内の日本一の大杉に「日本一の歌手になれるように」と願をかけたという。帰京後、芸名を美空ひばりに変え、文字通り日本一の歌手への道を歩む。
 敗戦に打ちひしがれた国民に希望の光を与えたひばりが、昭和の終えんとともに逝って22年。彼女の生きた時代も随分遠くなったが、あの歌声はいまだに日本人の心に深く刻まれている。宗教学者の山折哲雄氏は<美空ひばりと日本人>で「ご詠歌の底に流れている哀調をおびた無常感は、美空ひばりの節回しの中にも流れているのでは」と書いている。
 晩年の大病後、復帰作となった「みだれ髪」の舞台が、東日本大震災の被災地である福島県いわき市の塩屋岬。周辺は大津波で壊滅的な被害を受けたが、塩屋埼灯台近くに立つ「みだれ髪」の歌碑や遺影碑は奇跡的に助かった。
 復興のシンボルになっているという遺影碑からは
「暗や 涯(はて)なや 塩屋の岬 見えぬ心を 照らしておくれ〜」。
 被災者に光をともす歌声がちゃんと流れてくる

http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/column/20110624000138

 山歩クラブが塩屋岬を訪れたのは、もう4年も経つのですか、でもまだ昨日のようです、2007年4月30日の早朝のことでした。
P4300115.jpg
最終日早朝。ほら、鳴っている間に並ばないとまた音が鳴るよ!だって「みだれ髪」の歌に合わせてヤッホー君はもう、2回も踊ってたんだよ。
 帰京しがたく、まずは早朝ドライブで塩屋埼へ。
 灯台下の「喜びも悲しみも幾年月(1957年松竹映画)」の歌碑前にて主題歌を全員で歌いました。灯台は9時まで入れず、美空ひばり記念碑も見当たらず、灯台前の柵のところで「みだれ髪」も全員で合唱し終え、もう帰ろうかと言い合っていたところ、仲間のひとりが見つけてくれました、歌碑。
 その碑から1.5m以内に近づくとセンサーによって自動的に歌が流れる仕掛け。
 そうとも知らず、2度も朝から鳴らしてしまいました、というわけでした


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2011年06月26日

山で元気に

 田部井さんは2009年夏にルー大柴さんを生徒にNHK趣味悠々で『山で元気に! 田部井淳子の登山入門』という番組もつくりました。全10回の放送でした。

 ヤッホー君がテレビ学習したのは、次のふたつの番組でした:
★ 1996年7月4日〜9月26日(全13回)、文部省登山研修所(当時、現在は『独法 日本スポーツ振興センター国立登山研修所』)が協力したNHK趣味百科の『中高年のための登山学(講師は岩崎元郎)』
★ 1999年7月〜9月(全13回)、NHK趣味悠々『日帰り登山で基本を学ぶ(講師は岩崎元郎)』

 ゆうに10年はたったわけですね。
「10年ひとムカシ」と言いますから、たしかにこの10年で、山を歩く人は変わってきたな、と言えるかも知れません。これまでは、そこのけ、そこのけ、と中高年のグループ登山が多かったのですが、最近は若いカップルやおともだち同士の小グループ、お年寄りのカップル、それに何といっても「山ガール」が大ぜい目撃されるようになってきたわけです。

 田部井さんは、初回の高尾山の放送の収録時までは、ルーさんというくらいだから外人さんだろうと思いこんでいたらしいのです。そうしたらお会いしたときに、『やぶからストックに、オワットおっしゃるのですか』と聞かれ、また格好が、ジーンズ履いてジョギングシューズ、という姿に『おわっと』びっくりなさったそうです。

 それで、生徒さんに、まずは、ね、山へでかける前に、登山の準備をしよう!用具選びと山行計画という番組につなげていって、ついにはこれもふたりで冨士山まで登ってしまう番組でした:

 田部井さんが登山でもっとも重視するものは次の3点です。ヤッホー君が言うのと、同んなじでした(ほっ)。これを山歩クラブでは「三種の神器」と言い習わしてきました:
★ 登山靴
★ ザック
★ 雨具

 田部井さんによります用具選びのコツは;
『一番大切なのは登山靴です。専門店でシューフィッターに相談して選びます。ザックは自分の背丈に合ったものを選ぶこと。雨具は登山には必携です。雨具は高価でもしっかり防水がしてあって、撥水がよくて雨がしみこまないものを選ぶこと。良い雨具は防寒具にもなるし、霧のときも身を守ってくれます(下着もそうですよって)』

 計画は、余裕のある計画を立てることがポイントですって。けっして、山の地図に記載されているコースタイムを基準にしないで下さい、と。
 ひとつの目安とすれば気持ちも穏やかになるし、時間を気にするよりも、山の花や、ちょっとたたずんで山の景色を眺めるとか、それに花や草を採ってはいけないけど写真を撮る、そんなこころにも余裕ができる、だから余裕のある山歩きを楽しめるよう計画してください、と。

 生徒のルー大柴さん(1954年東京生まれ47歳)、どんな成長を遂げたのでしょうか?

ラストイヤー(昨年)、NHK趣味悠々「山で元気に!」のプログラム(全10回シリーズ)で御一緒して、今までマウンテン(山)にクライムしたことのない私に、ビギナー(初心者)のマウンテン・ウォーク(山歩き)をティーチ(教える)して頂きました。
 高尾山から始まり、金時山、谷川岳、木曾駒ヶ岳、燕岳、そしてラストはあこがれのマウント富士にクライム、8合目でルック(見る)した御来光は壮大で、眼下に広がるクラウド(雲)の彼方からサン(太陽)がクライムしてくると、そのワンダフルなシルエットにエモーション(感動)、アイズ(目)がホット になりました

(2010年1月27日19:05記オフィシャルブログ「TOGETHER」)

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2011年06月25日

NHK グレートサミット エベレスト

  この田部井さんとウッチーとの23日間、一日も下界に下りることなく、雨の日も風の日も歩き通した北アルプス縦走だったそうですが、カメラクルーは何と3班もいたんだそうです。前、後のほかに、一日前の行程を先に歩いているクルーです。だから遠くから、歩いてくるふたりを盗撮でなく、遠撮できたんですよって。
 おまけは、ジャンヌダルク? ジャンダルム? どっちでしたっけ、昨日ご紹介申しあげましたウッチーの絵文字で「サイコウ」としてあった岩峰に立ったときはヘリによる空撮まであったんだそうです。山小屋、たって皆さん、一泊2食付き9000円で弁当お願いしたら1万円の宿代がかかりますよね。だから23日、と言うと単純計算で23万円は一人少なくともかかってしまいます。予算、工程表(ロードマップ)と制作現場の熱意、それにNHKの理解がないとできないわけですが、大ぜいの視聴者に感動を与えたし、いまでも与えていて、「もう一度見たい番組」の第三位なんですよ、って。第一位は紅白、第二は大河ドラマ、ね、その次なんですよ、皆さん! って。
 
 このときの撮影クルーは、なんと、なんと先月、5月です、エベレスト登頂にも成功しているのですって!!登山隊5人のうち4人がNHKカメラマン、しかもハイビジョン撮影のための思い機材をもって…すご〜い!
 もうひとりのウッチー、竹内秀樹がつぶさに報告してくれています:
http://www.nhk.or.jp/greatsummits/

 やったね、田部井さん。東京新聞フォーラムの壇上で、右手を開いて見せながら、こんなことを語ってくれました。
 撮影隊兼登山隊に言ったことはね、親指と人指し指があるでしょ、つまりエベレスト登頂の最後の難関は、8000mから最後の800m、いったん下って、ここからの登り返し、これにつきるのです、この急坂をヒラリーステップ、と言います。その最後の稜線の映像を撮ってくるといい、と。登山者は無酸素に近い中で、登るのに精一杯、だからこれまでその景色や眺望は、だれも…しかしそんな…、この前代未聞の偉業をNHKのカメラマンたちがやってのけたんです。

 「世界の名峰 グレートサミッツ エベレスト 世界最高峰に挑む」は皆さん、夏のお盆のお休みのとき放映されます。
 8月13日の土曜日夜7時から、です!ぜひ綺麗な映像、手に汗を握る映像をハイビジョンでご覧ください。見ることのできない仲間のために、録画もお願いします。

5月25日にNHKの取材チームがエベレストに登頂し、8848メートルの頂上から撮影したハイビジョン映像を紹介する
(6月22日水曜日のNHK放送総局長の会見からです)

ついでといっては何ですが、我々山岳班の紹介をここで少ししたいと思います。
 NHKの報道カメラマンの中で、山岳班メンバーは50名ほどです。
 基本的には、学生時代に山岳やワンダーフォーゲル、探検などの部やサークルに所属していた経験者が中心ですが、社会人になってから始めた人もいます。
 国内の山はもちろん海外の山もそのときに経験していて中にはエベレスト登頂をしている者もいます。
 これらの山岳班のメンバーは東京をはじめ、南は沖縄から北は北海道まで各地に赴任していて、それぞれの地域で通常のニュース取材や番組取材を行いながら、山の取材を独自にしています。
 そして取材したものを今回のような5分ほどのリポートとして放送したり、時には番組に展開したりしています。
 研修も年2回ほど定期的に行っていて各自のスキルアップを図っています。
 秋には岩場を主体にロープを使っての登下降訓練を、冬には雪上歩行訓練や氷壁登はん訓練を行なっていますが、それと同時に山岳地域でどのように放送の電波を発信してゆくかについての訓練も実施しています。
 こうした体制で取り組んでいる我々NHKの山岳カメラマンは、民間放送のカメラマンの方々より山での出現率は高いと思われ、このサイトをお読みいただいている皆様と山の中でお会いすることが多いかと思います。
 その時、もしかしたら忙しそうな雰囲気を醸し出しているかもしれませんが、決してそんなことはありませんので、お気軽に声をかけていただき一緒に山の話ができればうれしいと思います。

(山岳班デスク 竹内秀樹)
http://www.nhk.or.jp/ecochan-blog/400/53436.html

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2011年06月24日

元祖山ガール

 さすが元祖山ガールだけありまして、もう話しが次から次へと山座同定しているように首が回っていきます。
 まずは、田部井さんが最近歩いた「御在所岳」…これってどこにあるの?

鈴鹿山脈の主峰をなす山で、山麓には「湯の山温泉」があり、世界的規模を誇るロープウエイが山頂に通じすばらしい山岳公園となっています。
 この山の地質は花崗岩で、ロッククライミングで有名な藤内壁をはじめとする岩場が多く、渓流にはいくつもの滝を持っています。
 また、江戸時代から「菰野(こもの)山」として植物の豊富なことで知られ、山麓には日本各地の多種多様な植物が観察される珍しい自然環境を有しています。標高1212mでたくさんの登山コースがあり一年を通して多くの登山客で賑わいます

 
 三重県でした。名古屋駅から湯の山温泉駅間に、夏限定のヘッドマークを掲出した臨時特急列車『湯の山温泉サマーライナー』が運転されるようです。
 この夏、市街地よりも10℃も涼しい避暑地「湯の山温泉(菰野町)」へぜひお越しください、とのことですので、夏はぜひ、出かけてみる価値の高い山域です。詳しくは、下↓参照;
http://www.kanko-komono.com/index.html

 ところでこの「御在所岳」に、NHKのウッチーこと、内多勝康アナ(1963年東京生まれ、48歳)と登って、6月10日金曜日ですから、今日からちょうど2週間前に、中部7県向けにだけNHKから夜の8:00〜8:43、放送された番組がございます。これが「金とく」です。
山旅のススメ〜花かおる御在所岳へ〜』です。
 東京新聞フォーラムでは田部井さんみづからアナウンスしまして、この番組があまりにも好評につき、何と皆さん、2011年6月28日火曜日午後3:15〜3:59、「ろーかる直送便」で総合NHKテレビで全国放送されることになったそうです。
 ぜひ見てくださいね、そして仕事やなんかで見ることができない仲間のためにも録画をお願いします!

新緑芽吹き、色とりどりの花が咲き誇る御在所岳(標高1212m)を、登山家の田部井淳子さんと内多アナウンサーが登ります。
 初心者からベテランまで楽しめる登山道には、不思議な形の岩がいっぱい。
 落ちそうで落ちない岩の形から受験生が願掛けをする「地蔵岩」など、パワースポットとしても人気の場所をめぐります。
 山頂には満開のアカヤシオの絶景が広がっています。
 元祖“山ガール”田部井さん直伝の安全な登山のコツやグッズ情報も紹介します

http://www.nhk.or.jp/nagoya/kintoku/archives/2011/20110610/index.html#top

 このウッチーとの出会いは、「夏の北アルプス、あぁ絶景! 雲上のアドベンチャー」の2009年でした!
 田部井さんと共に、二人は夏の北アルプスを3週間かけて60Kmを縦走します。その模様を描いた紀行番組はDVDにもなっています!
 これは、ウッチーのブログより:

2009年8月14日、午前10時。
 遂にジャンダルム登頂に成功しました!
 昨日は雨が降り続いて、穂高岳山荘に一日カンヅメ状態…。
 ところが夜中の3時半頃、ふと目を覚まして外を見てみると、信じられないような素晴らしい星空が広がっていました!
 天気は最後の最後に味方してくれたんですね。
 張り切って朝からご飯を3杯も食べ、いざ出発しましたが、奥穂高岳からジャンダルムへの道のりは、ひとたび足を踏み外すと滑落事故となる難コースの連続。
 慎重に慎重に歩を進め、最後は頂きに向かってほぼ垂直に岩を登るルートにアタックしました。
 ガイドさんとロープで繋がっているとはいえ、正直ここは恐ろしかった…。
 そして縦走開始から22日目で、念願のピークへ!
 頂上からは、これまで一歩一歩を刻んできた幾つもの山々の姿を遠くに見渡すことができて、思わず叫んでしまいました!
「北アルプス、最高!」\(^O^)/

http://www.nhk.or.jp/nagoya/kintoku/alps_blog.html

 田部井さんは言いました:『一歩はせいぜい40cmくらいでしょ。ウッチーはこの一歩一歩を積み重ねて3週間、最後にサイコウ!と叫ぶことができたのよね』
 山から力をもらった、と素直に喜ぶ姿を見せてくれるウッチーに田部井さんは感動するのですが、人が喜ぶすぐその隣に自分がいられることに田部井さん自身も感動するのだそうです。良いですね、本当に良いお話しですね。

 こんな縦走できるんだったら何でもできる、とウッチーは介護福祉士にチャレンジするのだそうです。たしか試験が終わったばかりですが、受かったかどうかはまだ聞いていませんって、東京新聞フォーラムに出席した皆さんを笑わせ、会場を大いに沸かしていました。

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2011年06月23日

田部井淳子

 昨日、『東京からHAT-Jの、東北応援チームのメンバー』って引用しましたが、「CAPは知ってるけど、HAT-Jって何?」
 いつも読んでくださって励ましてくれる読者より、問合せのメールが。
 ここで、田部井さんのプロフィールをご紹介:
『1939年 福島県生まれ。
 1962年 昭和女子大学卒業。
 1969年 「女子だけで海外遠征を」を合言葉に女子登攀クラブを設立。
 1975年 エベレスト日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として、女性ではじめてエベレスト登頂に成功。
 1992年 女性初の7大陸最高峰登頂者となる。
 2000年 九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程修了。研究テーマは「エベレストのゴミ問題」。
 現在、年5〜6回海外登山に出かけ、59ヶ国の最高峰、最高地点を登頂。
 山岳環境保護団体・日本ヒマラヤ・アドベンチャー・トラスト(HAT-J)代表、日本テレッキング協会会長などを務める。
 受賞多数。
 ラジオやテレビでの分かりやすい語り口も人気を呼ぶ。
 著書に『日本人なら冨士山に登ろう!』(アスキー新書)、『田部井淳子のはじめる!山ガール』(NHK
出版)(監修)』


 これは、東京新聞フォーラムのあとになりますか、6月25日土曜日夜6時半〜8時半、昭和女子大グリーンホールで開かれる「東日本応援フォーラム」(毎日新聞とHAT-J)の案内チラシからです(参加無料)。
http://www.hat-j.jp/eve/tohoku0625a.pdf

 これで、なんで、昭和女子大で開くのかなあ、とかHAT-Jってなんだろうな、とかの疑問が解けたかと思います。
 ここでも田部井さんは、「ふるさと福島に寄せる思い」を語ります!
 昭和女子大キャンパスは、世田谷区太子堂1-7にあります。東急田園都市線(半蔵門線直通)「三軒茶屋」駅南出口より徒歩7分のR246に面しているので、すぐ分かります。ぜひ行って聞いてきてくださいね。
 震源地に最も近い牡鹿半島の金華山で震災に遭い、大津波をまじかに目撃した山岳カメラマン(元・NHK報道カメラマン)の東野良さんもいっしょに、その時の体験や東北の美しい自然について語ってくれます。
 参加申し込みはインターネットから!
https://www.mainichi-ks.co.jp/form/mt1106/

 まだ日記を閉じてはいけないそうでして…
@ 田部井さんのご苦労話も読まなくっちゃいけないと;
 ひとつは、ですね。毎日新聞の朝刊に連載記事が掲載されていました。2010年11月9日〜11月20日までの朝刊に『時代を駆ける』というコーナーに毎日、全10回の連載記事があります。
『…山登りを理解してくれたのは山男でもある夫の政伸(69-ふたつ年下-)です。出会いは昭和女子大を卒業した3年目の1964年5月。私は日本物理学会(東京・新橋、当時東大構内)に勤め、論文編集の仕事をしながら、週末は山登りに明け暮れていました。谷川岳一ノ倉沢南稜を登り切った直後、別パーティーの男性から氷小豆をごちそうになりました。それが夫となる人でした…』
 
 もうひとつは、2002年10月27日放送されたテレビ朝日『グレートマザー物語、田部井淳子の母、はがれおちた母の地球儀
『…無事に生還できるかわからない挑戦。相談を受けた夫・政伸は賛成したが、一つだけ淳子に提案する。「君の子供がほしい」万が一を思うと、夫を一人には出来ない。淳子は女の子を出産する。それから3年後、エベレストへ出発する淳子にとって、日本に残す娘がなによりも心配だった。長期の遠征中、娘のために絵手紙を書いて送り、母を感じさせていた。一方で淳子は、一人の娘として母の優しさを感じることがあった。それは、母が漬けてくれた梅干し。エベレスト登山隊の中でそれは「キヨ梅」と呼ばれ、大変喜ばれていた。母の味をかみしめ、頂上を目指していた淳子達を大雪崩が襲う。様々な困難を乗り越え1975年5月16日、田部井淳子はエベレストの頂上に立った…』
http://www.tv-asahi.co.jp/mother/contents/100/backnumber/030/index.html

A 田部井さんのロッジって何?
沼尻高原ロッジ」です(耶麻郡猪苗代町蚕養字沼尻山甲2855 Tel 0242-64-3722)。
 マネージャーの田部井裕美さんも、ガイドの田部井進也さんも田部井さんのお子さま。
 お母さんが昭和女子大で講演なさっているときふたりで、6月25日(土)〜6月26日(日)、黄色い絨毯の雄国沼ハイキングと花の楽園鬼面山に登る1泊2日イベントを開催予定です。ぜひお申し込みを:
http://www.junko-tabei.jp/lodge/facilities/index.html

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2011年06月22日

福島県三春町

6月の第1週は毎年上高地でウェストン祭が開かれます。今年は、その時に話しをして下さいと頼まれ新緑の上高地に行ってきました。いつ行っても上高地はいい所だな、とつくづく思いますね!今まで、ちょっと忙しかった、自分へのご褒美に夫と徳澤園に行って泊まることにしました。徳澤園も本当に素晴らしいです。今、ニリン草が最高。森の中が白くなるほど咲いていました。穂高もきれいに見れて、新緑の上高地は、オススメです。ぜひ、行って泊まって下さい
(2011年06月06日付け田部井淳子日記13時49分更新)

国会議員で福島担当の長島一由先生のご紹介で会津の芦ノ牧観光協会にお世話になり、楢葉町から芦ノ牧温泉に避難されている人たちと、昨日、裏磐梯五色沼探索道を歩いてきました。東京からHAT-Jの、東北応援チームのメンバーや知人も駆けつけて下さり、19名で歩いてきました。幸い天気も良く沼の色が美しく、皆さん大喜びでした。79歳の方もいらっしゃいましたが、無事終わりました。緑の中の歩きは本当に気持ちいいですね。私のロッジから手作りのおにぎりを持ってゆきましたが、沢の側で食べて大好評。横浜の老舗パン屋さんから桜あんぱんの差し入れもあり、これも美味しかったですね。別れる時に、参加者の方が、私に、携帯のストラップのお土産を買ってくれて、びっくりしました。歩いた後の顔がイキイキしていて嬉しかったです
(2011年6月14日付け田部井淳子日記16時2分更新)

(※長島一由とは1967年生まれの民主党議員。元フジテレビの報道記者・ディレクター。 フジテレビ時代は報道センター政経部記者、ニュースJAPANのディレクターなどを経て、1998年に神奈川県逗子市長に就任(当選当時は31歳で、全国最年少の市長)。
 2006年12月に退任するまでの8年間で、逗子市を日本経済新聞社の透明度ランキング全国1位(2002年、2006年)、効率化・活性化度ランキング全国1位(2004年)にした)

 田部井淳子、元気ですね、若いですね、良いですね、良いですね。いずれの上記文章は下のブログ「日記」にて読むことが出来ます。ぜひヤッホー君のこのブログ「日記」とあわせお気に入りに:
http://smcb.jp/_ps01?post_id=3291947&oid=3707

 65回目になるそうです、ウエストン(1861-1940)、彼の功績を讃えるウエストン祭(主催:日本山岳会信濃支部)に出席し、徳澤園に宿泊しニリンソウを楽しみ、さらにふるさとに戻って、トウデンフクシマゲンパツジコで家に戻れない楢葉町からの避難者とともに裏磐梯を歩いたそうです。
 「五色沼の素晴らしい新緑を映す湖面、山路を彩るオオカメノキなどの花々、緑の力、山の力で人は元気になれる」とおしゃっていました。だから、ぜひフクシマへ!と。 
 東京新聞フォーラムは、田部井淳子によるこんな言葉から、基調報告がはじまったのでした。

4重苦(地震、津波、原発に風評被害)にあえいでいるフクシマと、フクシマに住んでいる人びとのためにも、ぜひフクシマ県の山々、特に磐梯山、安達太良山、吾妻山に行ってあげてください。
 ぜひ、現地で県民の人びとと触れ合い、接して、お話して、山の麓に泊まって、地場産の肉、野菜を食べて、帰りは必ずお土産を買って帰京してください

と、故郷のフクシマを応援していました。

 フクシマ県三春町ご出身なのです!

http://blogs.dion.ne.jp/fom_club/archives/10047800.html

 と言えば、ヤッホー君のブログ、3月20日付け日記「玄侑宗久」でも紹介したあの作家でもある坊さん、玄侑宗久も現場でがんばっておられます:

東日本大震災復興構想会議委員を務める作家の玄侑宗久氏(55)=三春町、福聚寺住職=が提言した医療、福祉と研究の分野で世界最高水準の施設、研究者を集積するため規制を緩和する「医療・福祉・研究特区構想」が、同会議の第1次提言骨子に盛り込まれたことが6月19日、関係者への取材で分かった。
 ただ、骨子では「効率最優先、市場経済主義、集約的システム」から脱却し、スローライフの価値観で研究に取り組むことができる魅力の創出に向け、社会的価値観の転換を目指す意味を込めた「リゾート」の視点が漏れた。
 玄侑氏は福島民友新聞社に対し
「温泉旅館など観光業も風評被害で壊滅的な打撃を受けた。
 製造業も同様で先が見えない。
 最悪から最高水準に再生するには大転換が必要」
として、県の賛同を得てリゾートを第1次提言に盛り込むよう求める考えを示した

(2011年6月20日 福島民友・地震関連ニュース)
http://www.minyu-net.com/news/topic/0620/topic1.html

東京電力福島第1原発事故を受け、三春町と東北大の有志、地域ボランティアらでつくる任意団体「三春”実生(みしょう)”プロジェクト」は20日、同町で設立総会を開き、放射線が健康に及ぼす影響の長期的な調査をスタートさせた。
 町内の小中学生から希望者を募り、早ければ夏休み前にも、被ばく量を測るバッジ式線量計を配る。
 義務教育過程中に継続した調査を実施、蓄積したデータを分析する。
 対象は小中学生約1700人を見込む。
 バッジ式線量計の読み取り機を自前で導入、個人積算量のデータを集める。
 個人や空間、土壌の放射線量の測定結果の医学的な解釈については東北大の有志が医療関係者らに協力を要請している。
 総会には委員10人のうち8人が出席。
 代表に鈴木義孝町長、副代表に東日本大震災復興構想会議委員を務める作家の玄侑宗久氏(福聚寺住職)を選出した

(2011年6月21日福島民友ニュース)
https://blog.dion.ne.jp/pages/my/blog/article/regist/input

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2011年06月21日

東京新聞フォーラム

 今日は午前中、深川資料館商店街通りにあるクリーニング屋さん「アサヒ(Tel 3641-2430)」にズボン1点だけをお願いしに行き、480円払って、「すみません、しょっちゅうクリーニング屋さんにこれなくなって」と謝ってきました。
 それからクルマで大好きなOK牧場に行きまして、買い物をしました。フクシマの地酒がありました、皆んなでフクシマの酒を飲みましょう、今晩はフクシマの地酒を飲む「スローフードと山の会」です;

榮川酒造は福島県の復興のお力になれるよう、また、私どもを応援して下さる皆様の思いを復興につなげてゆくことができる一つの方法として、微力ではございますが、2011年4月から9月までの半年間の収益の一部を義援金として福島県へ贈らせて頂くことと致しました。
 不安な毎日ですが、明るい未来を信じて。小さな一歩ではありますが、着実に前へ

http://www.eisen.jp/top.html
 
 そして、11時前には家を出まして、両国は「江戸東京博物館(墨田区横網1-4-1 Tel 03-3626-9974)」を目指しました。
 寄り道、道草、道迷いしたところは以下です:

★ 回向院、鼠小僧のお墓
★ 両国公園、勝海舟生誕地碑
★ 両国小学校、芥川龍之介文学之碑
★ 時津風部屋
★ 相撲写真資料館
★ 吉良邸跡
★ 河村(洋食)

 実は、今日、東京江戸博物館で午後1時〜4時、「夏山の魅力と安心登山」という東京新聞フォーラムが開催され、山歩クラブは4人が抽選に当って聴講券をゲットできたからなのです。
 基調講演は、田部井淳子「夏山の魅力と健康法」
 パネル討論は、田部井さんに金邦夫(元警視庁山岳救助隊副隊長)、柏澄子(山岳フリーライター)が加わり、永田秀樹(東京新聞岳人別冊編集長)がコーディネーターになって「初めての安心登山のすすめ」についてお話し合いをするパネル討論があるからなのです。

 会場は満席、皆さんのお話もとても良く、ヤッホー君はとても満足した有意義な半日を過ごすことができました。その報告は、明日以降、ということで。。。

 なんで? いま聞きたい…。

 う〜ん、ヤッホー君は会場で服部文祥『百年前の山を旅する』(2010年、東京新聞)を買ったからね、読まなきゃなんないし、あの後、ヤッホー君宅で「夏山プランニングコミティ」を開催したからでした。

 ヤッホー君は会議の成果もあったし、平田印刷(墨田区横網1-4-1 Tel 03-3626-9974)にも立ち寄りちょっとだけお茶をいただきました。
http://homepage3.nifty.com/hirata-p/

 そこで、仲間からの差し入れ、珍しい「にごりマンゴー酒」をいただいて、もう眠い、らしいのです。
マンゴーの中でも高級品種で香りの良い「アルフォンソ・マンゴー」を1.8Lには約7個(720mlには約3個)分、贅沢に使用しました。
 ロックグラス1杯(90ml)で約1/3個のマンゴーを存分にお楽しみいただけます。
「にごりマンゴー酒」は、口に含むと濃厚な味わいと豊かな甘みが広がり、喉もとを過ぎるときには酸味がバランス良く感じられ、果実を食べているような幸福感を感じていただけます。
 他社製に比べ、本品は濃厚な甘みと香りを持たせながらも、後口がもたつかないのが特長です。
 マンゴーは、ビタミンAとβカロチンも豊富で、美容・健康にも良いとされている果実です

http://www.shumurie.co.jp/

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2011年06月20日

OK牧場

 昨日、ヤッホー君が自転車に鞭うち、手綱をしめ、拍車をかけて向かった先は、OKコラル (!?)。

 ここであった「OK牧場の決闘 Gunfight at the O.K. Corral」は、130年前の1881年10月26日、アリゾナ州トゥームストーンの路上で実際にあった銃撃戦。
 ワイアット・アープらを始めとする市保安官たちと、クラントン兄弟をはじめとするカウボーイズが撃ち合ったのです。
 これを題材にした西部劇映画は、1957年パラマウント作品で監督は荒野の七人や大脱走のジョン・スタージェス(1910-1992)。
 バート・ランカスター(1913-1994)がワイアット・アープを、カーク・ダグラス(1916-)がドク・ホリデイを演じました。
http://www.youtube.com/watch?v=vRjwkAa5-Wc

 というはずがないのですが、ここはアメリカではなく日本 ! ですので<OKストア>だったのですが、畳の上にねっころがって牛さんの反芻のように、5月の鎌倉山行をかみなおしているヤッホー君 !

 実は逗子駅にむかって歩いているときに急に立ち止まって、低い声で「あっ」と声をあげたのもヤッホー君。

「どうしたのですか」、とカッシーが顔を覗きこんで聞いていました。
「そこの電柱に<額田病院>と広告があったよね。そこで亡くなった人がいたんだ」
「それはご愁傷さまでしたね。いつだったんですか? 最近?」
「2月4日でした」
「では100ヶ日ですね」

…これは37年も前の1974(昭和49)年の2月4日のこと、亡くなったのは詩人の尾崎喜八だったのです。

 『山の絵本』(岩波文庫、緑140-1、1993年第1刷)の335頁に自画像(美ヶ原にて著者撮影)が載っています。ぜひご覧下さい。
 マウンテンギア、つまりルックサックも脚絆(ゲートル)も、いま時とは大分違います。それに何よりも背広を着こんでいます。

 尾崎喜八の「美ヶ原溶岩台地」は、1942(昭和17)年青木書店から出た『高原詩抄』のなかに載っています。解説があります:

松本市の東方、松本平と諏訪や小県(ちいさがた)との堺に盛り上がる海抜2000mの溶岩台地美ヶ原は、そのゆるやかな起伏をもつ高原性牧草地の広がりと、四周に開ける雄大な展望で知られるが、また、霧が多くて、人をも牛をも迷わせやすいことで知られる。
 それでその一郭に鐘をつるした展望塔を建てて目じるしにしたが、その壁面に選ばれて刻まれたのがこの詩だ


…『日本の詩歌第17巻(堀口大学、四条八十、村山塊多、尾崎喜八)』(1979年6月20日、新改訂版)
 

 尾崎喜八の『山の絵本』に戻ってみましょうか。「山への断片」からです。
尾崎さん、あなたはなぜそんなことをくどくどといわなくてはならないのですか。
 われわれの心の奥底に大切に秘めて置いてはじめて美しいそれらのものを、何のために外には出して、妙味も陰影も気品もないものにしてしまうのですか。

 私にとっては、暗い、熱い地底にある根こそ一大事です。
 それが分かって初めて枝や葉や花のことが一層よく理解されるでしょう


 初出は昭和9年、というから77年前の日本語で考えていた日本人の言葉です。

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2011年06月19日

LED電球(続)

 6月19日日曜日午後、ヤッホー君はディスカウントスーパーマーケット「オーケー南砂・尾高橋店(南砂1-8-1 Tel 5617-5640)」にショッピングに出かけました。

 ここは5月8日の山歩クラブ月例山行で歩いた北鎌倉駅から逗子駅への帰路、目指す打ち上げ会場の中華料理屋に向かう途中で見つけた「オーケー逗子店(逗子1-2-22 Tel 046-873-3223)」で地酒を仕入れようとしたのですが、生ビールを馬ニンジンに歩いて、もう喉がからからに渇いて、寄る時間がもったいないと素通りしたのですが、カッシーが皆さんに、江東区にもあるよって教えてくれたのです:

昨日話題になっていたOKストアは、スポーツ会館の南(清洲橋通りを越えたところ)、アリオ北砂の南西といった位置です。ご参考まで
…はやばやと、5月9日付け(14:41)メールです。

 今日、買い物に行こうと思ったのは、いつも通っていた「カズン」常盤店が閉店してしまい、買い物が不便になったことと、LED電球の買い増しのためでした。だって、ウエブサイトにはこんなメッセージが:

東日本大震災が発生、地震と大津波、これに原発の放射能漏れも加わり、正に国難となって日本に襲い掛かっております。
「災い転じて福となす」の心構えで、如何にして この国難を乗り切るか、輝かしい日本の未来を切り開くために、今、私たちは何をしなければならないのか、出来ることから着実に進め、次第に大きな波となり、世の中の流れが変われば幸いと存じます。

 以下の通り節電に取り組みます。
 少し店内が暗くなりますが、店内照度1000ルックスを500ルックスに引き下げて消費電力を50%節電します。
 その上で直管形LEDに交換すると、消費電力は蛍光灯の約半分ですから、更に50%節電することが出来ます。
 その結果、消費電力は50%×50%=25%となり、計約75%の節電になります。
 店全体の使用電力量の中に占める照明の構成比は約20%ですから、店全体としては、20%×75%=15%の節電です。 
 冷蔵冷凍設備・空調・昇降機等の節電も積極的に実施し、併せて25%の節電を目指します。

 LED化に必要な資金は約10億円、節約可能電気料は年3億円弱です。
 60Wの一般電球(消費電力54W)をLED電球(9.4W)に変更すると83%の節電になります。
 ご家庭でのLED化は電球が主流、電気料低減は80%超が期待され、早期交換がお得です。
 LED電球は量産効果が出ていないので価格が割高ですが、出来るだけお安く販売します。
 販売対象商品は、日本メーカーの商品で、交換がし易い商品、性能等を吟味して選択しています。
 どうぞお買いあげくださいますようお願い申し上げます。
 
 日本中の官公庁は勿論、全企業・全家庭がLED化を推進すると、電力不足は間違いなく解消、結果としてLEDの量産は一挙に進みます。
 量産により日本のLED産業は国際競争力を獲得し、世界最強になって、明日の日本を支えることになります。
世界に勝てる産業が次々と育てば、日本経済は発展し成長し続けます

http://www.ok-corporation.co.jp/

 このメッセージははやばやと5月2日にはもう更新されてアップされています。どんな社長なのでしょうか?
 飯田紋次郎の三男・飯田勧で、長男、飯田博は酒卸問屋、岡永の会長兼「日本名門酒会」最高顧問。次男、飯田保は居酒屋チェーン「天狗」のテンアライドの最高顧問、末子の五男、飯田亮はセコムの最高顧問だって。オーケーは、1958年6月に第1号店を上板橋に開店、1967年に株式会社を設立していました。

 自身のことをこんなふうに:
私は、1928(昭和3)年3月、日本橋の酒問屋の三男として生まれました。父は商売柄ですか、お酒が好きで晩酌の時は子供達を集めて、いろいろな話を聞かせてくれました。
「木綿問屋は長続きするよ。薄利だから生活が質素なんだよ。
 利幅の大きい商売をしていると、どうしても気が大きくなって贅沢になるもんだ」
「おまえ達がこうやって不自由のない生活が出来るのは、みんなご先祖のお陰だよ。
 積善の家には必ず余慶あり、善行を積むように心掛けるんだよ」
…』

 ほか、テレビ東京、毎週木曜日10時からの村上龍×経済人「カンブリア宮殿」にも出演、2009年8月3日に放送されていますので、必見でした!
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20090803.html

 こうして購入したLED電球は一個1480円(税別、アイリスオーヤマ、電球色、Made in China)!

この会社も凄い、宮城県仙台市青葉区です。
http://www.irisohyama.co.jp/

 代表取締役社長の大山健太郎(1945年東大阪市生まれ)は、2011年6月7日火曜日に行なわれた「復興ニッポン・シンポジウム」(日経BP社主催)で講演し、東日本大震災からの早期復旧を果たした“舞台裏”を明らかにしています。
 現場の情報を把握・共有し、トップ自ら明確な方針を示すことが重要なカギだといっています。
 また大山氏は、不況や災害を乗り越えるための方針として、「人と同じことをしない」ことを挙げています。

『「当社は常に新製品を出し続け、需要を開拓してきた。
 新しい市場を狙って他社が価格競争を仕掛けてくるが、それを叩くのではなく、次の市場を目指すことによって成長してきた。
 新製品を出し続けている限り、どんな不況や災害が起きても生き残れる」(同氏)。

 例えばアイリスオーヤマが現在手掛けているLED照明は、原子力発電所の事故に端を発する電力危機を受け、市場が急成長している。
 「震災前は不況業種といわれていた土木・建築産業がいまや好況業種となったように、ピンチをチャンスとみることが大事」と同氏は語る』

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20110615/192611/
 東北大学新聞の次のウエブサイトも:
http://www.ton-press.jp/mtt/archives/2006/12/post_406.html

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2011年06月18日

ビーナスライン三峰展望台

山歩クラブの今年の山行のなかで最初で最後の参加です。
 「美ヶ原」は30年位もムカシ、家族で歩きました。
 娘がパンプスを履いてきて足を痛め、救急車もなく困ったことを覚えています。
 前回2005年の山歩クラブの山行では、濃霧の「美ヶ原」でした。
 前の人の後姿を見ながら、ひたすら歩いたのを想い出します。
 私が生まれたときに、お産を手伝ってくれたのは伯母だったそうですが、因島に在住しているその伯母も昨夜、亡くなったと知らせがありました。
 今日の「美ヶ原」を断念しようかと思いましたが、明日、始発のフライトで葬儀に参加しようと思い立って、今日はこの思い出いっぱいの「美ヶ原」山行に出席しています。
 だから北アルプスは全〜ん部、見たいのです


 バスが6月12日日曜日、和田峠を越えてぐるぐる車道を登って、三峰山1887.4mを見はるかしながら、なおも走って、「三峰大展望台」につくまでの車中で、光さんが回してくれたメモでした。
 仲間の皆んなのために読み上げてその思いを共有したのでした。

 車窓から見る空は鈍色の雲が垂れ込め、「美ヶ原」は雲のなかに突入するか、雲のうえに飛び出るか…。
 もちろん、ヤッホー君は、雲の上に飛び出す、そう確信していましたけど。
 大展望台から見える諏訪冨士をはじめとする山並みの写真も紹介されてありますのでご堪能あれ:
http://www5.airnet.ne.jp/knos/yama04/nagano-mitsumine1.htm

 光さん、「最後」なんていっちゃ駄目、また「平らかな山路」の山行プランを皆んなで練るから、また来て、いや、ず〜っと来てください、ってヤッホー君は一生懸命、口説いていました…

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2011年06月17日

2011黄色い百合の花

メールをありがとうございました。
 当日6月12日、男性の後期高齢者の特別会員がいらっしゃるのです、光さんです。
 先輩は「美ヶ原」は平らだから、と山歩クラブの月例山行に参加してこられました。
 ところがお昼近く、もうフィナーレに近いのに、山頂の「王が頭」から「王が鼻」に向かう下りの急坂が怖くて、降りられませんでした。
 足が強張って、身体が固まっていました。
 手を引くから大丈夫、と大好きな大先輩の肩をたたいて励ましても、「王が頭ホテル」という知る人ぞ知るリゾート施設があるのですが、そこで待っている、という素振りで手を振りほどきました。
 瀬戸内の因島の高校教師時代から、長い休みのたびに、通ったアルプスの山々。
 多分、その山並みを紅茶かコーヒーか、椅子に深々と座って、いただきながら、じっくり、ゆっくり眺めていたいんだろうな。
 あるいは目を瞑って、若かりし頃の自分の姿に想いを馳せたいんだろうな。
 …きっと感慨にふけりたいのだろうな。
 先輩を思いやったヤッホー君。
 光さんが想い出にこころを通わせるたたずまいに自分を重ねあわせるようにしていたい、とヤッホー君は、泣きながら、もう涙がぽろぽろ、はらはらと頬を伝って流れてきました。
 自分だったらきっと歩くかも知れない、歩きたいかも知れない。そんなとき、若いカッシーや篠ちゃんに身を預けても、連れて行ってくれ、と頼み込むかもしれないな、なんて…
 あるいは身を預けられる人がそばにいてくれるんだろうか、などと背筋が凍りつくような想いをしながら…、
 でも見栄っ張りだから、そんな思いも、素振りも他に悟られないように、かまわず仲間の皆んなのあとを追いました。
 こうして、光さんのおかげだったのでしょうか、奇蹟の光景と出合うことができたのです!
 雨が降らなくっとも霧で何も見えない、美ヶ原、霧が峰なのに、こうして北アルプス、南アルプス、八ヶ岳と、日本の主だった山並みを遥かに見渡すことができたのです。
 われわれが「王が鼻」でゆっくりと過ごした昼食会は、サイコウでした!
 おかずの分かち合い、お互いの近況報告と顔を見合わせながら、笑い合い、山々と仲間と景色とが織り成す至福のひとときを味合うことができたのです。

 今夏の山小屋泊の合宿山行についても、そろそろ皆んなと梅雨払いを兼ねてお会いして、計画を練らねば、と思いつつ、6月、ヤッホー君は超多忙な業務の日々に追われ、本当言うとまだ何もできていません。
 でもこうやって、進展の都度、交信をかさねていきたく思っています。
 綺麗な山の花もありがとうございました! 
 昨年のブログでは6月19日付け日記「黄色い百合の花」のようでしたが、ことしもベランダの百合が咲きました、ご報告しておきます』

11ゆり.jpg

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2011年06月16日

美ヶ原熔岩台地

渡島半島南西部では最高峰の大千軒岳(1072m)があります。
 この山の頂きからは、駒ヶ岳、函館山をはじめ、日本海に浮かぶ奥尻島や渡島大島、津軽海峡、さらには、青森県の八甲田山、岩木山までもが一望できるなど、素晴らしい景色が眼下に広がります

(北海道松前藩観光奉行)
http://www.asobube.com/kankouspot.cgi
 
 ここは渡島冨士、駒ケ岳があるところ、ムカシ山歩クラブが駒ちゃん踏破を目指していた頃、北海道にも駒ちゃんがいる! というので行ってみたいと研究した山域でした。

 でもさ、まず「渡島半島」と書いて何と読む?いやあ、奥が深いのです。
 まずは以下のウエブサイトで北海道の地理と自然の勉強から:
http://www.oshima.pref.hokkaido.jp/os-ksktu/kuma/sizen/index.html

 でもさ、なんで、今日は「渡島半島」なんですか?
 それは、ね、北海道の仲間からこんな嬉しい便りが:

会長様、「美ヶ原」は楽しい山行のようでしたね!!
 同じ日、私は大千軒岳登山、低気圧のせいで鼻からガスで眺望がなく、花だけの山行でしたが、シラネアオイやハクサンイチゲ、アズマギクなど賑やかで花園でした。
 今日6月16日木曜日は快晴なんで、雪渓が残っていて、さぞや綺麗な眺望を楽しめている人もいるでしょう…。
 夏の合宿山行、中央アルプスへは、気心しれた良い仲間で楽しみ!です。
 友人のアドバイスでは宝剣の下の小屋が眺望が最高と言ってました。
 空木岳の小屋からは眺望はないそうです…。
 ところで、会長の今夏の登山予定は?
 私は立山3山と剣へ挑戦したいと考えているのですが…
 1年でも早くと思い、いま物色中。
 剣沢小屋で撤退するかも…。
 出来たら仲間が欲しいです

 
 と、このメッセージに大千軒岳での「ミヤマオダマキ」の写真が添付されておりました:
DSC06662_1.JPG

 そうでした、山歩クラブの6月12日日曜日の「美ヶ原」山行、それは尾崎喜八の詩歌の碑との出会い旅でもありました。
 ご心配なく! ハルちゃんがしっかり大きな声で読んでくれました、ありがとう:
登りついて不意に開けた眼前の風景に
 しばらくは世界の天井が抜けたかと思う
 やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら
 此の高さにおける此の広がりの把握に
 尚もくるしむ
 無制限な おおどかな
 荒っぽくて 新鮮な
 此の風景の情緒はたゞ身にしみるように本源的で
 尋常の尺度には まるで桁がはずれている
 秋が雲の砲煙をどんどん上げて
 空は青と白との目も覚めるだんだら
 物見石の準平原から和田峠の方へ
 一羽の鷲が流れ矢のように落ちていった

(この詩は昭和10年ごろ、尾崎喜八が百曲がりから初めて登ったときの印象を詠んだ『美ヶ原熔岩台地』でした)

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2011年06月15日

松本哉

 昨日ご指摘申しあげました「集団ヒステリー」って、そんなこと言われたくありません!

 6月11日土曜日、っていうから山歩クラブが「美ヶ原」に向かう前日だったんですねぇ〜、新宿で脱原発の集まりがありました。
http://611shinjuku.tumblr.com/
http://www.youtube.com/watch?v=i8_AkPck9MU

震災&原発事故から3ヶ月の節目ということで、いよいよ3.11以来、最初の山場がやってくる!
 4月10日の高円寺デモ、5月7日の渋谷デモに続き、今回は新宿デモ!!
 西新宿の新宿中央公園から、新宿中心部に向かうかなりいいコースだ。
 さらに、今回は、「素人の乱」呼びかけの一連のデモだけにとどまらず、これまで原発に反対してきたいろんなグループや団体などが、一斉にデモを行うということになっている!!!!
 それどころか、全世界でも連携してデモが発生するとのことで、まさに地球上がデモだらけになってしまうってことだ…。
 うひゃー、これはもうここ数十年で一番巨大な動きになることはほぼ間違いない!!

http://ameblo.jp/tsukiji14/entry-10922190163.html
http://www.youtube.com/watch?v=TpiwKqzSNEo&feature=related

 「素人の乱」って何? これは松本哉(まつもと・はじめ)って古着屋「素人の乱」5号店の店主で1974年東京生まれ。1994年に法政大学入学後、「法政の貧乏くささを守る会」を結成し、学費値上げやキャンパス再開発への反対運動として、キャンパスの一角にコタツを出しての「鍋集会」などのパフォーマンスを展開。2005年、東京・高円寺にリサイクルショップ「素人の乱」をオープン。著書に『貧乏人の逆襲!タダで生きる方法』(筑摩書房)、『貧乏人大反乱』(アスペクト)、編著に『素人の乱』(河出書房新社)など。

 ヤッホー君の知っている松本哉って、いま読んでいる『幸田露伴と明治の東京』(2004年、PHP新書282)の著者。この方は1943年神戸市生まれ。神戸大学理学部物理学科卒業。河出書房新社などで18年間編集者生活の後、1985年独立。

 ところで若いほうの松本哉のデモでは、お二方の参加感想がありましたのでこれもぜひ見て読んでください。

 ひとりは雨宮処凛(あまみや・かりん、1975年北海道生まれ。作家・プレカリアート活動家)。
近くにいた若い男性は携帯で友達に電話しながら「すげーよ!日本じゃないよここ!新宿じゃないよ!早く来いよ!戦後最大!戦後最大!」と興奮しまくっていた。
 聞くと、大学生だという彼はわざわざ今日のデモのために沼津からやってきたのだという。
 大学生はとにかく感動しまくり、「俺は一人じゃない!俺は一人じゃない!」と声が枯れるほど叫んでいた。
 そう、「原発いらない」と普段の生活ではなかなか言えない人でも、そんな話ができる人がいないという人でも、絶対に一人じゃない。
 「おかしい」、「変えたい」、「原発とめたい」と思っている人は大ぜいいる。
 少なくとも、この日、新宿には2万人が集まったのだ

http://www.magazine9.jp/karin/110615/

 もうひとりは弁護士高山俊吉先生(1940年東京都生まれ):
私は大学1年の時に樺美智子さんが警察官に殺された翌日の学内集会を思い起こしました。
 あのときも私の頭に一瞬にスイッチがはいってしまい、おとなしい俊吉青年が学友に「彼女の死を自分の問題として考えきろう」と思わず口走ってしまった。
 しゃべる内容よりも、まずしゃべってしまったですね。
 51年ぶりです

http://no-saiban-in.org/news/2011/06/51611.html

 極めつけは、村上春樹の「反原発スピーチ」です。バルセロナでのカタルーニャ国際賞受賞演説です:
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210610054.html
 全文が毎日新聞に載っています。本日2011年6月15日の東京夕刊は全三回の「中」になります:
http://mainichi.jp/select/world/news/20110615dde018040009000c.html

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2011年06月14日

美ヶ原

牛.jpg

美ヶ原の放牧の歴史は古く、平安時代末期に馬の放牧に利用されていたとの記録があります。
 現在、約400ヘクタールの広大なエリアに350〜400頭の牛が、春から秋にかけ放牧されます。
 古来から人の手が入り、牛が歩き、草を食べることにより美ヶ原の草原景観が保たれています

(信州・長和町観光協会、「第3回美ヶ原牧場放牧祭りが開催されます」のご案内からです。
 5月29日日曜日午前11時から美ヶ原高原の美しの塔・塩くれ場で執り行われました)
http://www.nagawa.info/modules/d3blog/details.php?bid=8

 どんな牛たちが放牧されていたかと言うと、これがまあ、美男美女ばかりで。足が長くて、スマートで、毛並みが良くって、まるでヤッホー君の生まれ変わりとか、皆さん仲間うちでお話しされていました。ほらっ。

 ところで今日は、牛さんたちのニュースが相次いだのをご存知ですか?

福島県相馬市の50代の酪農業の男性が「原発さえなければ。仕事する気力をなくした」と書き残し、首をつった状態で死亡していたことが14日、同市や捜査関係者への取材で分かった。
 自殺とみられる。
 市によると、男性は11日に自宅近くの小屋の中で発見された。
 壁に「原発さえなければ。残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください」などと記されていた。
 男性は福島第1原発事故後、妻の故郷であるフィリピンに妻と2人の子どもとともにいったん避難したが、単身で相馬市に戻っていた。原乳は3月に出荷制限を受けたため、男性は搾乳した分を廃棄していたという

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011061401000287.html

 フクシマでなくトチギでも:
東日本大震災から6月11日で3カ月。
 那須塩原市などで、牧草から検出される放射性物質の量が国の暫定規制値以下にならず、酪農家が牛に牧草を与えたり放牧したりできない状況が続いている。
 代わりの飼料代がかさむ(月150万円!)のに加えて牛の健康悪化も懸念され、酪農家は「経営危機に陥りかねない」と先行きに不安を募らせている。
「80日以上も牛舎から出られず、足がむくんだ牛が増えている」と話す臼井さん=那須塩原市で

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20110611/CK2011061102000072.html

 一方、イタリアでは、ご存知のように国民投票が…。
 これをカナダ紙は次のように論評しております。この首相は74歳であります:
《Italy’s nuclear revival is officially dead and the “no” vote seems likely to accelerate the meltdown of Prime Minister Silvio Berlusconi’s career》
ERIC REGULY、ROME− From Tuesday's Globe and Mail、Last updated Monday, Jun. 13, 2011 9:00PM EDT

 他方、この国の政治家は脱原発は「集団ヒステリー」だと言ってのけたので、ヤッホー君は卒倒しかけたわけです。

自民党の石原伸晃幹事長は14日の記者会見で、東京電力福島第1原発事故を踏まえた原子力政策の見直しについて「あれだけ大きなアクシデントがあったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べた
(毎日新聞、6月14日付け電子版)

 毎朝、牛の乳を搾り、搾った牛乳は引き取り手がないからどぶに捨てざるを得ない、しかし牛ちゃんには休みなんてないのです、だから毎朝せっせと乳搾って餌を与え、牛舎もきれいに世話しなければならない、一日5万円の食事代の補填はどこからもでない、家族同然の牛を見殺しにはできない、と額に汗を流して懸命に働いている現地の酪農家のことって、政治家はどれだけ分かっているのか。
 こうした想像力のない政治家には、退場を願いたい、あるいは酪農家といっしょになって、糞尿にまみれて農家研修をしてきなさい、と言いたいのです。
 くりかえします。
 政治家という選良は、美しいこの国土の生きとし生けるすべてのものを守るのが仕事でしょう。
 特攻隊のお兄ちゃんも、そう信じて、敵艦目指して飛び込んでいったのでないのでしょうか。
 なにが「集団ヒステリー」ですか。
 今すぐ辞任か辞職か解任すべきです!
 初心不可忘、モウ〜有権者の声に耳を傾けるところから、モウ一度出直すべきです!


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2011年06月13日

霧の子孫たち

JR上諏訪駅から並木通りを行くと、横板を張り巡らした、和洋折衷の古い2階建ての建物がある。
 1922年に建築された青木産婦人科医院だ。
 60年代から70年代にかけて、地元では観光道路「ビーナスライン」建設反対運動が盛り上がっていた。
 当時の院長、青木正博さんは、運動の中心人物の一人。
 この建物は、考古学者の藤森栄一さん、新聞記者だった市川一雄さん(74)ら、運動の推進役が出入りするたまり場でもあった。
 運動のさなかの68年10月、新田次郎(1912年6月6日諏訪市角間新田に生まれる。本名は藤原寛人-1980年2月15日)は、市川さんが下諏訪町内で発行していたミニコミ紙に寄稿している。
「旧御射山(もとみさやま)が有料道路(ビーナスライン)によって切られることを聞いて、僕は体がふるえるような怒りを感じている。
(中略)観光とは自然や文化をいかに守るかということに帰結する」
 青木さんらは、県に陳情書を提出したり署名を集めたりして運動を繰り広げた。
 信仰の場だったとされる霧ヶ峰の旧御射山遺跡を貫き、八島ヶ原湿原のすぐ脇を通るはずだったルートを、迂回させたが、建設自体は覆らなかった。
 新田は、その経緯に脚色を加え小説「霧の子孫たち(文藝春秋、1970年)」を書いた

(2010年2月13日付け読売新聞電子版)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/feature/nagano1263557978843_02/news/20100215-OYT8T00856.htm

 昨日の日曜日、6月12日、山歩クラブを乗せたバスが美ヶ原散策を終えて、ビーナスラインを下って向かう先は、「青木産婦人科医院(諏訪市大手1-18-5 Tel 0266-52-0649)」のはずでした。
 だって、新年度が開けて、初めての「バスは行く」ですよ、美しいこの国の山河や国民を守るべき国家機関について意義や意味を激しく問うお山歩会のはずだったからです。
 新田次郎は1977(昭和52)年、『鷲ヶ峰物語』を発表するのですが、その執筆にあたっての動機は、観光道路「ビーナスライン」が建設され、貴重な自然が壊されたことに対する怒りだったのです。
 そのあとがきでこう記しています:
自然を守るべき国家機関が、全く意味がない自然破壊に何故、手をかそうとするのだろうか

 ところがバスは素通りして、500mも違わないその先、「Shop Cella MASUMI(諏訪市元町1-16、Tel 0266-58-3131)に着いてしまったのです。
 え〜っ?
 『ご試飲は300円でショットグラスをご購入いただき、その時々のお勧め5〜6種類をお試しいただくというシステムです。
 お求めに応じて社員がていねいな商品説明をさせていただいています

http://www.cellamasumi.jp/tasting.html

 男性陣はさっそく大吟醸酒からお酢まで、さまざまなお神酒を試されておりました。
 車中にて宴会を張るべく、求めた一升瓶は『信州米仕込み、辛口ゴールド真澄』。

 皆さんで今日の日本百名山、2000mを越す山へのチャレンジの労をねぎらい、日頃の行いの義を讃え、われわれを歓迎しようとお姿を見せてくれた名だたる山々の山並みに御礼を申しあげ、乾杯したのでした。
 だって3日に一度は、霧に覆われる山塊だったのです!

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2011年06月12日

今日はお山歩会

 今日の美ヶ原高原の写真です。冨士山(双葉SA展望台からは雲を従えたお顔を仰ぐことができました)、妙高、浅間を除いて、北アの槍から南アの北岳、諏訪冨士・蓼科山から八つまで日本百名山が全山、揃い踏みでした。
王が頭.jpg
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2011年06月11日

明日はお山歩会

 これまで3月の月例山行中止以来、バスで仲間揃ってお山歩会に出かけることを自粛していました。
 3.11から3ヶ月経ちます。もうそろそろ、といよいよ明日は『バスは行く』なんです。
 ちょっぴり嬉しいです。
 で、どこへ?
 「美ヶ原(うつくしがはら、王ヶ頭2034m)」にしました!

美ヶ原は山本小屋から王ヶ頭までの花の多いハイライトコースの往復です。
 山歩クラブでの第1回目は2005年5月です。
 しかしそのときには、霧でなにも見えませんでした。
 再訪は2009年8月ですが、雨で諏訪湖一周に切り替えました。
 今回は3回目のチャレンジです。
 日本の名だたる山、深田久弥の日本百名山のうち、お天気に恵まれれば、なんと41座まで見えてしまうはずの絶景が広がっているはずです。
 今回はゆっくり歩いて、高原漫歩を楽しんできましょう


 ヤッホー君の行程表からでした。下は今朝6時57分の会員宛て一斉メールからです:

おはようございます。
 東京は今日午前中いっぱい、荒れた天気ですが、今朝の天気予報では明日の信州松本地方は曇り、降雨率10%ということで、さすが山歩クラブの皆さん、日頃の行いが良いようでして。
 予定通り、バスは行く、です(女性のドライバーさんです)。
 おふたりがルールを守ってご連絡ありました、さすが、です。
 いずれもお仕事で欠席ということですが、がんばってください&また息抜きにいらしてください!
 皆んなで肩を組んで、美が原を歩きましょう!
 尾崎喜八の碑も探しに


 そうしたらさっそく返信が…

おはようございます。
 明日はまあまあの天候で良かったです。ずっと心配してました。
 尾崎喜八の詩ば図書館で調べましたが、ちょっとわかりませんでした。よろしくお願いします


 では明日、メモ帖にボールペンで書き留めてきますので、ブログ読者諸氏にもご紹介できるといいですね。おやすみなさい眠い(睡眠)

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2011年06月10日

松陰神社

 ヤッホー君はこのブログの5月26日の日記「ちちはは駆け落ち」で、こんなことを書き記していました:
 樋口一葉の父母は、『なんと1857(安政4)年陰暦4月6日、駆け落ち、大旅行しているのであります。これを「台東区立一葉記念館」で知ったヤッホー君は、その行程表を書き写すべく、1階に下りて受付けで鉛筆を借り返したら、また重要事項を書き写すのを忘れて、と何度、階段を昇り降りしたことか…』

 続いて6月3日の日記「増上寺」では:
嘉永6年7月(1853年)及び安政元年2月(1854年)に日本の開港のため米国代表として江戸湾を訪れたぺルリ提督…』

 江戸から明治へと激動の変化を遂げた日本、もう少しまとめますと:
1854(安政元)年1月16日ペリーの艦隊は再び浦賀に現れ、2月10日、横浜での第一回会見でペリーは通商条約の締結などを求めます。
 3月3日、日本とアメリカとのあいだに日米和親条約が調印されます。このとき日本はついに鎖国を解き、国を開いたのでした。

交渉にあたった林大学守復斎、井戸対馬守覚弘など外国応接係の人びとは、外交の内容、交易の性質などにたいしてほとんど知識をもっていなかったといわれる。
 彼らはなんらの予備知識もなく長い眠りを破って国を開くか否かの前代未聞の交渉にあたっていたのだ。
 「なにごとも穏当に」という建前を前面に出して交渉しているうちに、開戦を覚悟して出てきているペリーの迫力におされて、あいまいなままに開国の大事を許したのである

(…そんな馬鹿な、アホな、まるでトウデンフクシマゲンパツジコのときみたい…空き菅と一緒に自衛隊のヘリで上空を飛んだでたらめ君みたい…あ〜あ…』
(川西政明『鞍馬天狗』岩波新書851、2003年)

 1856(安政3)年7月21日、アメリカ総領事ハリスが下田に入港。
 1858(安政5)年1月12日、日米通商条約交渉は妥結した。

 この間に、「ちちはは駆け落ち」をするわけです。
 そして時代は安政の大獄、井伊直弼暗殺へと転がっていきます…、なんで今日6月10日金曜日にこんなことを記しているかといいますと、ヤッホー君の今日のお散歩は、世田谷区は世田谷線に乗ってミニミニ電車旅、松陰神社だったからです。
 といっても4時半に境内に入り、吉田松陰(天保元年1830年-安政6年1859年、享年30歳)のお墓(吉田寅次郎藤原矩方墓)のまえでひとり静かに佇んでいたら、「当社は5時で閉門となります」と、見回りにきた作務衣を召した若い社員君に言われましたので、まあ30分くらいでしたか。
http://www.shoinjinja.org/history.html

 蚊に3ヶ所も4ヶ所も腕をくわれながらも、静かな境内と、そこに咲く紫陽花の美しい、綺麗な花々にどれほどこころ慰められたことか。
 ヤッホー君のこころのなかでは、30分は3時間にも匹敵しておりました。深々とアタマを下げ、幕末の志士たちに敬意を表し、神社を後にするヤッホー君。

 6月の松陰先生の言葉は『義は勇に因りて、勇は義に因りて長ず』(安政2年 士規七則)
…『この言葉は武士の心得として有名な士規七則のなかの一文です。
 野山獄中にありながら、従弟の成人を祝い、今後どのように成長していけば良いかの指針が書かれています。
 義(実践すべき正しい道)を知ることが人生を有意義にし、志を成し遂げる原動力となるのです


 お墓の場所の鳥居の柱には、右に「大政一新之義」、左に「木戸大江考充」と彫られています。
 また、墓所は1864年「禁門の変」によって破壊されるのですが明治元年1868年、木戸考充をはじめとして修復するという挙を聞いた徳川氏は、謝罪の意を込め、石燈籠と水盤を寄進したと言われております。
 墓所は幕府側によって破壊されたからです。
 葵の紋も当時は金色であったと言われていますが、現在は風化により判別しにくくなっています。

 それほどの吉田松陰なる人物ですが、『長州藩士で号が松陰。年少より大義を唱え、松下村塾を主宰。明治維新の原動力となる有為の青年を多数、輩出した。安政の大獄により刑死。小塚原回向院より改葬
…ヤッホー君が由来を記してきたメモからでした。

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2011年06月09日

依存症のカラクリ

 トヨタ記念病院禁煙外来の内科医、磯村毅先生より本日、近著『図解でわかる依存症のカラクリ』(秀和システム、2011年3月)をお送りいただきました。ありがとうございます。

 ぜひお買い求めください。ヤッホー君の目に焼きついたのが「酒は百薬の長、というのは嘘なのでしょうか」というコラム:

そもそもこの言葉は、前漢末ごろ平帝を毒殺して実権を握り『新』を建国した王莽(おうい)が、塩、酒、鉄の三つを政府の専売にする改革を試みて、「酒は百薬の長でめでたい宴会にも欠くことができない」と酒を讃えたのがはじまりです。
 専売を行ない、税を得るために天下に下した言葉、いわばキャッチコピーなのです


 この本はこのようにやさしい言葉で、順序だてて、いろんな依存症について、それって何? について説いていきますので、読んでとてもためになります。
 この先生の書き方は、あのベトナム戦争から帰還した薬物依存者の25年にわたる追跡調査の結果を論ずるアメリカの研究を通してのことですので、筋が通っています。
 彼ら、元戦士が断薬するきっかけとして最も多かったのは、人生のどん底まで突き落とされるような泥まみれの体験ではなく、むしろ、薬物を使い続けることのメリットとデメリットを天秤にかけて、自分にとってどちらが得か冷静に判断してみること、つまり『自分の現状の再発見』だったと分かったからだった、のだそうです。

 また磯村先生は、『子どもを大麻から守るにはどうしたら良いですか?』と問うています。ぜひ、読んでくださいね。
 薬物はすぐそこまでせまっているのです。
 ヤッホー君ちの裏の相撲部屋もそうですし、大学生も。毎日新聞の記事でも、2009年4月30日〜5月8日の、ネットでの調査の結果、
1412人が回答した。
 それによると大麻を吸ったことがあるのは1%。大麻を吸っているのを見たり聞いたりしている人も10%にとどまった。
 しかし、「入手しようと思えばできる」との回答は58%に上り、大麻が身近にあることをうかがわせた。
 しかし、「吸ってみたいとは思わない」が95%に上り、大部分は大麻を拒否している

http://mainichi.jp/select/seiji/graph/20090528/

 しかし…、
あまりにもバカバカしい大相撲の大麻騒動だけど、今どき、たかがマリファナくらいで大騒ぎするのなんて、先進国の中じゃ、このクニだけだ

…先生も指摘されているように、こういう
「大麻には依存性がない」
「大麻は酒やタバコより安全」
といった赤を青と言うような誤った情報操作が口コミやインターネットを通して繰り返し、繰り返し流されているのです。
 どこのだれが栽培したのか、どこのだれが薬にしたのか、だれが売人だったのか、どこにカネが流れているのか、情報はありませんが、売人は子どもたちの財布を狙って近づいているのです。

 アメリカではあまりにも大麻が広がってしまったため、取締りを放棄しつつある地域がありますが、だから合法なんだよって、どんな人たちが、どんな環境に住んでいる人たちが吸っているのか、これも情報が与えられずに、一方的に、アメリカで、アメリカ人が、と言うだけで、クール、カッコいいとか若い世代がなびいていきます。これが嫌なのです、ヤッホー君には!

 このクニの善良なこころ優しき人びとが、ゲンパツのあと今度は、ロシアみたいにならないように。だって英国紙の6月8日水曜日に更新した「ガーディアン」電子版では、
《Russia defies growing consensus with declaration of 'total war on drugs'》
〜Russia has as many as 6 million addicts (one in 25 people). Every year 100,000 people die from using drugs〜
Tom Parfitt in Moscow, Wednesday 8 June 2011 19.18 BST


 そういう英国でも
《More than 1.2 million adults in the UK have been addicted to illegal drugs, according to research carried out by one of the country's leading authorities, DrugScope, the independent organisation》
http://www.guardian.co.uk/society/2009/jul/26/drugs-survey-dependent-adults-uk?INTCMP=SRCH

 『マレーシアでは、麻薬等違法薬物に関わる規制は非常に厳しい! 外国人も例外ではありません。
 危険薬物法(1983年改正)によれば、ヘロイン・モルヒネ15g以上、あるいはマリファナを200g以上の所持に極刑(死刑)が科せられます。
 それ未満の所持でも無期懲役等の重刑が科せられます。
 麻薬関係の違反者には外国人であっても厳しく処罰されます。
「外国人旅行者だから少しぐらいは大丈夫だろう」などという考えは絶対に通用しません。
 マレーシア入国カードにも「密売目的所持は死刑」(危険薬物法39-B条)と記載されています。
 麻薬撲滅のため、「DADAH DEATH」(麻薬=死)の表示をさまざまな公共の場所に掲げたり、テレビでも公共放映してその恐ろしさを訴えています

http://tonyjsp.com/malaysia/visa/penalty.html

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2011年06月08日

LED電球

 ビックカメラ有楽町店(Tel 5221-1111)でお買い物。3560円(ポイント発生321点)。
 何?って、節電のために、切れた電球をLEDランプにしようと。
 LED照明は、同じ程度の明るさで蛍光灯の1/2、白熱灯の1/10の電気代で済み、寿命時間は約4万時間、なんだそうです。
 「東京都環境局」ではそのウエブサイト「家庭における対策」で、
照明は白熱電球を電球形蛍光灯やLED電球に交換する」(いますぐできる節電対策メニュー例)
としてあげております。
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/climate/home/index.html

 消費者が自分たちで作りあげたコミュニティとしての消費者団体なんて、このクニにはどこを見渡してもありません。
 だからなおさらのことかもしれませんが、行政がこんな素敵なエコなライフスタイルを提案しておきながら、普通の一般の消費者に、こうした大事な日常生活における対策が、この国ではどの程度、伝わっているのか、放射線量と同んなじ、ほとんど情報が届いていません。

 LED電球って何?どこに行けばいいの?値段は?どこのメーカーのものがいいの?簡単に自分で交換できるの?…ヤッホー君も「??」をいっぱい抱えながら、とにかく量販店にいけばなんとかなるだろうと。

 売り場は買い物客でとても混んでいました。レジには長い行列まで。あんまり買い物ってしたことがないヤッホー君、40W相当で、電球色のこれがいいだろう、と TOSHIBA 製の箱を二つ抱えて並びました。二つというのは一個買ってもう一個買うと200円安くなる、という広告があったからでした。

 待って自分の番に来て店の方に商品を渡したら、これは箱だけの見本で中身はありませんでした。そして
「申し訳ございません、売り切れです、取り寄せになりますので1、2週間かかってしまいます。そしてこれは申し訳ございません、割引の対象になりません」
と言われてしまったのです。クシュン、盛り下がってしまいました。「分かりました」(トホホ↓)

 そこで気を取り直して、もう一度陳列棚に来て、箱がいっぱいあった SHARP 製の昼白色相当、電球40W形相当、全光束(明るさ)485lmというモデルDL−LA41Nを二個抱えてならびなおし、その値段を払った、つまり2個以上の割引もなければ(なんか狐につままれたようで、ヘンでした)、一個1780円もするLED電球だったわけです。

 高かったのか安かったのか、情報がないだけに、ビックカメラだからというネームバリュウだけで信頼してお金を払ったわけです。

 ところが、読売新聞電子版6月3日付けでは:
980円LED電球、ノジマが発売…普及加速か
 節電意識の高まりで注目されているLED電球値下がりが加速してきた。
 家電量販店のノジマ(横浜市)は3日、プライベートブランド(PB)のLED電球を980円で売り出した。
 8月末までの期間限定だが、市場平均の半値を切る。
 5月下旬には全国の家電量販店でのLED電球の売り上げが初めて白熱電球を上回っており、価格下落で普及に拍車がかかりそうだ。
 ノジマが発売したLED電球「ELSONIC(エルソニック)」の本来の価格は1480円だが、消費者の節電意識の高まりに応えるため、発売当初は利益を削って買いやすい価格設定にしたという。
 調査会社GfKジャパンによると、家電量販店の5月第4週(23〜29日)のLED電球の販売個数は前年同期比で約2.9倍に達した。
 電球全体の4割超を占め、白熱電球を上回った

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110603-OYT1T00854.htm?from=main2

 『ノジマ』は江東区に2店あるようですよ:
(1) アリオ北砂店〒136-0073 東京都江東区北砂2丁目17-1 アリオ北砂店内 2F
(2) 豊洲店〒135-0061 東京都江東区豊洲3-4-8スーパービバホーム豊洲店2F

 さらに行政から補助まで:
★ 日経の本日6月8日水曜日電子版では:
東京の葛飾・足立区、家庭のLED電球購入に補助
 東京都葛飾区と足立区は家庭用の発光ダイオード(LED)電球の購入費を一部補助する。
 ともに購入金額が計5千円以上の場合が対象。
 白熱電球と比べLEDの消費電力は7分の1程度とされる。
 東日本大震災に伴う電力不足で求められる家庭の節電を後押しする。
 葛飾区では区内の電気店で計5千円以上のLED電球を購入して区内の自宅に設置する場合、購入費用の2分の1まで、最大5千円を補助する。
 購入が確認できる領収書やレシートを申請書に添付して区役所に郵送または持参してもらう。
 受け付けは7月から9月中旬まで。申請は1世帯1回に限り、計1万世帯以上の申し込みを見込む。事業費5600万円を6月議会に提出する補正予算案に計上する。
 一方、足立区は区内で使える商品券3千円分を支給する形で購入費を補助する。
 葛飾区と同様の方式で今月1日から受け付けを始めており、既に1800件の申請がある。
 当初4月に開始の予定だったが、震災の影響でずれ込んだ

★ 本日の東京新聞電子版では、福岡県でも:
小川洋知事は8日の記者会見で、7〜9月の電気使用量を前年同時期より減らした県内の家庭に、抽選で県特産品などを贈る「ふくおか省エネ・節電県民運動」を行なうと発表した。
 九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の運転再開が不透明で、夏の電力不足が懸念される中、各家庭に節電を促すのが狙い。
 県によると、節電に取り組む家庭にプレゼントを贈る自治体の事業は、全国でも珍しいという。
 県民運動に参加する家庭は
「冷房の室温を28度にする」や
「テレビを見る時間を1時間減らす」
などの節電計画を県に提出。
 計画通りに節電できれば、抽選でLED電球などの省エネ関連商品や県産米などの特産品をプレゼントする

★ ヤッホー君の住んでいる江東区もよろしく補助をお願いします。
 選挙で投票して選挙民の支持を得て職を全うしているはず。
 区長さま、区議会議員の皆さま、全国に先駆けて報道され、住民はますます、自分の住んでいる土地に誇りと愛着を感じ、さすが区民の声を吸い上げてくれる行政体、議会だ、と実感させてくださいますようよろしくお願い申し上げます。

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2011年06月07日

黒田慶子

 まずは歌、「青春サイクリング」。この歌で小坂一也(1935-1997)はNHK第8回紅白歌合戦(1957年、東京宝塚劇場)に出場しています:
http://www.youtube.com/watch?v=eHed0y9-oyI

 ヤッホー君、政治批判、政治ネタを最近、ブログで書くことが多くなっています。
 そんなことは評論家に任せて、もうすこし山行にしぼって書くと、もう少し読者も増えるでしょうし、会員となってくれる仲間も増えるのに惜しい、と友よりコメントをいただきました。
 でも、ね、若いときあちこち海外を旅してきて、こんな美しい山並み、そこに息づく山野草や小動物、そしてそこで暮らしている土地の人びとの優しさに接するなんてアメリカに行ってもフランスに行っても、スエーデンを歩いてもインドを歩いても、経験がないんです。
 ましてや、そこに湧き出る温泉や、山の水を使って米のお酒まで供してくれるなんて自然の贈り物の素晴らしさは、おそらく例外的に日本なのです。
 カナダ紙 The Globe and mail では、こんな記事まで。
 《Is it safe to travel in Japan? I'd like to take a hiking trip》
 Karan Smith、From Saturday's Globe and Mail、Last updated Friday, Jun. 03, 2011 2:48PM EDT

 
 この美しい日本をわれわれの後に続く未来に渡し、われわれは今を楽しむ、この楽しみを壊すようなどんな事象もヤッホー君は見つけたら、すぐ知らせる、これがこのブログの役割なんではないのかな、と考えているのです、ふけだらけのアタマをぼりぼりかきむしりながら。
 
 他者、他人に考えることを任せていて、気がついたら自分はとんでもないところに立たされていた、ふるさとを追われていた、難民となっていた、なんてやっぱり嫌!
 一葉が明治29年5月30日、こんなことを孤蝶宛書簡に記しています(菅聡子先生の前掲書より):
『おもしろしと思ふ事もなし、筆とりて物いはんといふやうな力を入るることもなし』
 これは亡くなる半年前のことです。
 多分、ヤッホー君もそこまでの境地に達したならば擱筆もしようというもの。
 
 美しい日本の風景を維持していくことは、大変な人手、工夫、理解、努力が求められている…、これは昨日のブログで紹介した京都府立大学の小林正秀先生の決意、熱意をご覧になってお分かりになったことと思います。

ナラ枯れの被害拡大を食い止めるため、京都市の門川大作市長は9日の定例会見で、所有者の同意がない場合でも被害木を市の権限で伐採できるよう、国が募集している総合特区に提案する考えを明らかにした。
 ナラ枯れは、カシノナガキクイムシが木に穴を開け持ち込むカビが原因。
 被害木を伐採し薬剤を散布する対策が有効。
 しかし所有者が特定できない木は国や都道府県が森林病害虫防除法に基づく手続きを経るしかない。
 京都市の提案は、都道府県などと同様の権限を持ち対策を取る狙いがある。
 京都市は大文字山などの山林1万2000ヘクタールで1万5000〜2万本の被害を把握している


 この記事は毎日新聞の昨年、2010年9月10日付け大阪版の朝刊で田辺佑介記者の手になる書名記事『ナラ枯れ:被害拡大止めろ、所有者同意なしOKの伐採特区、京都市提案へ』からです:
http://mainichi.jp/life/food/nouandsyoku/archive/news/2010/09/20100910ddn002040023000c.html
 
 なぜ、小林正秀先生を紹介したのか、山歩クラブでも、秋でもないのに山が真っ赤に染まっていた昨年2010年9月、苗場山までの登山口まで乗ったタクシーの運ちゃんに、今年は紅葉が早いですね、と聞いたら、違うんだよ、と教えられたそのときから、話題(トピック)として取り上げてきました。ほぼ毎月、特に9月6日、9月7日、10月11日、10月14日、11月12日とか日記をひっくり返し、お読みになっていただければ、と思います。
 
 山も皆んなが入って楽しめる公共の場所と思っていたら、個人の所有地なんですね。だから山林も森林も外国資本にまで売却する自由があるわけですけど、それこそ税金で買い上げて「ナショナルトラスト」として『新しい公共』の場所にすべきです。

 ナラ枯れ、についてはさらに以下のウエブも紹介しますので、皆んなで知恵を出し合って考え、皆んなで協力しあって、皆んなで額に汗してからだを動かして森を守る『新しい美しき、麗しき日本の国づくり』元年にしてみませんか:
★ ひとつは小林正秀先生の研究によるところの多い「三重県の樹木医』のウエブサイト:
http://www.jumokui-mie.com/kashinaga/index.html
★ もうひとつは神戸大学大学院農学研究科教授の黒田慶子先生のウエブサイト:
http://www2.kobe-u.ac.jp/~kurodak/Top.html

♪ 青い峠も 花咲く丘も
  ちょいとペダルで 一越えすれば
  旅のつばめも ついてくる ついてくる 
  ヤッホー ヤッホー ヤッホー ヤッホー ♪

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2011年06月06日

小林正秀

『八ッ場(やんば)ダム建設の根拠となっている利根川の最大流量(基本高水)を検証する有識者会議が6月1日、東京都内で開催された。
 国土交通省は、検証作業の最大の焦点となっている1947年のカスリーン台風並みの雨が降った場合の最大流量について「新たな手法で再計算しても、従来の値とほとんど変わらない」との試算を提示。
 検証内容が、ダム建設の是非に影響しないとの立場を強くにじませた』
(東京新聞ウエブ版2011年6月2日付け「八ッ場ダム基本高水検証、建設是非に影響せず」の記事です)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20110602/CK2011060202000143.html

 ヤッホー君はけしてひとりよがりの自己主張じゃないよ、と引用したウエブサイトはカナラズご報告しているつもりですが、「有料」つまり視聴舎の懐をねらっているマスゴミは売れる情報、と判断したらすぐ削除し、クリックしても読めないなんてことがありますので、ご用心。
 でもこれは当分、公開しているウエブが削除されないと思います。だって意味不明だもん。

 これは、とても重要な意味をもつとヤッホー君は考えます。ひとつ、八ッ場(やんば)ダム建設は促進される、このクニの人びとが楽しめる景観が札束攻勢、カネの代わりに失われる、ということと、その理論的根拠を想定し、計算し、結果を選民、市民、県民や都民(つまり流域の住民)に、「科学的、理知的、客観的」に説明したということです。あとは何が起こっても、「想定外」。
 もうひとつは、この検証を終えたことで建設にあたっての、いま流行の言葉で言うと、リスクコミュニケーションとかパブリックアクセプタンスとか横文字を使いますが、合意形成をつつがなく終えたということ、です。少数意見がでれば、「検討させていただきます、コウリョします」の一言でおしまい!

 ゲンパツと同んなじです。ところで、思い出しません?あのにやけ面の鰻が大好きな、前のコッコウ省大臣がいたことを。アメリカやカンリョウの影に脅える、いや違います、クリントンに尻尾をふる飼い犬、いや、そうした御方が、馬菅の後継者になるんでしょうね、きっと。いやあ、大したもんです。政治の世界は。

民主党は2009年の総選挙のマニフェストで八ッ場ダム中止を掲げましたが、自民党が実権を握る関係都県やダム予定地の反発を受け、政権発足の1ヵ月後には前原誠司国交大臣が全国のダム事業と共に八ッ場ダムの検証を行なうという方向に舵を切りました。
 この時、前原大臣の私的諮問機関として設置された有識者会議は、これまでダムに疑問を抱いてきた有識者が排除されるという、問題の多いものでした。
 こうして民主党政権下のダム検証は、それまでのダム行政を踏襲するものとなってしまいました。
 今や民主党政権下で、全国の問題の多いダム事業が改めて承認され、推進されつつあります

(昨6月5日「八ッ場ダムニュース」より)
http://yamba-net.org/modules/news/index.php?page=article&storyid=1241

 どうして有権者の支持があったマニフェスト通りにできないのか、できないのはこういうわけだ、と情報公開、悩みも含めたメッセージが届けば有権者は理解を示せるのに、そうしないのはなぜなんだろう? それほど、「新しい公共」の場から遠ざかり、政権の座という甘い蜜の味に惹かれちまったんでしょうか。
 被災地の牛は飼い主がいなくなって飼料もなくやせ細っているのにアメリカ産ステーキは食べ放題、海に垂れ流しにされた汚染水で、雨で山に下りた放射能で川魚まで放射能にまみれている魚が泳いでいるのに、琵琶湖かタイワンか分かりませんが、うなぎが食べ放題!

 市民派首相であったはずの馬菅が脱原発、ライフスタイルのチェンジもサミットで宣言できず退場、京都から次期後継総理がねえ、これじゃあ、鞍馬天狗も泣くって。。。

こういう時に何が動き出すのかは、関東大震災や歴史の教訓からわかるのではないかと、大学で興している「日本意識プロジェクト」では、「捏造された国難」研究が、早くも動き出している。
 関東大震災では朝鮮人虐殺、社会主義者たちの虐殺、中国人留学生・王希天の虐殺などが相次ぎ、すでに企図されていた治安維持法は震災時に発令され、間もなく法律になった。
 災害はしたたかに立ち回る野心によって「国難」と名付けられて少数者排除の理由にされ、戦争の国難を準備したのである


 「大連立」構想なんてこのクニをムラ社会化するだけですので、ヤッホー君は強く反対します。引用したのは、昨日の日曜日朝のTBS「サンデーモーニング(司会:関口宏)で、
他の大ぜいのお母さんとともにこのクニの指導者は脱原発を宣言すべきです
とはっきりおっしゃった法政大学田中優子教授の文です。
…『週刊金曜日』2011年6月3日号

 でも京都にも力強い方がおられました。
 昨日の夕方のTBSを見た方はおられましたでしょうか:
2000年以降、全国に急速に被害が拡大し続ける「ナラ枯れ」。
 去年までに29の都道府県で被害が報告された。
 その枯れゆく森を救うために、一人の大学講師が立ち上がった。
 小林正秀、45歳。 
 木が枯れるのは、これまで酸性雨や地球温暖化等が原因とされてきた。
 しかし、最近では、わずか5mmの小さな虫「カシナガ」が、その原因とされ、小林は、そのカシナガの生態と被害拡大のメカニズムを発見した。
 そして、その驚異は今、京都の世界遺産、下鴨神社のご神木をも呑み込もうとしている。
 6年前では、京都市周辺で、65本だったナラ枯れは、去年で実に1万7000本と急激に広まった。
 やむなくチェーンソーで、世界遺産のご神木を切り倒すという苦汁の決断。
 森と人間との共生を夢見る小林は、さらなる被害をくいとめようと、猛威をふるうカシナガを相手に、さまざまな作戦を試みる。
 今年、被害はさらなるピークを迎えるともいわれる中で、小林が救世主となるのか...。
 小林の夢は、幼少期、野山を駆け回った地元・美山町が、昔ながらの姿を、もう一度、取り戻すこと。
 人が、森と共生していたあの時代へと…

http://www.tbs.co.jp/yumetobi-plus/backnumber/20110605.html

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2011年06月05日

磯村毅

磯村です。早速の返信ありがとうございます。
 山歩クラブのブログを見てみました。
 「メルパルク東京」のまわりのお寺の話も出てきて、びっくりしました。
 私も講演の前は、メルパルクあたりを散歩していました。
 それにしても、毎日、密度の濃い内容で、感心しました。
 「続く人」なのですね。

> 新たに依存症にはまりそうな人(特に子ども)を守っていけるよう、職場で地域でみんなに先生の本を紹介して、力を合わせていきたく思います。
>
 ぜひ、お互いに、がんばっていきましょう。

 近日中には、「依存症のカラクリ」(秀和システム、2011年3月刊)が手配できると思います。
 それでは、お楽しみに


 ヤッホー君が急に何を言いだしたのか、、、わかんない!
 そうなんです。金曜日の増上寺お散歩のあと向かった「メルパルク東京」ですが、総会後の講演会に内科医、磯村先生が来られてお話をしていただいのですが、これが、ヤッホー君にはとても面白くってためになって、このブログでもこれから取り上げていくことになるんだろうと思います。

 磯村毅先生は、1963年愛知県生まれ。
 ヤッホー君の叔父、このブログでも父の死に際し詠んだ歌をいくつか、紹介しましたが、その叔父(開業医)と同じく名古屋大学医学部を卒業し、これも一緒、トヨタ記念病院で研修医。
 先生は現在、トヨタ記念病院禁煙外来にお勤めですが、リセット禁煙研究会・予防医療研究所を主宰し、(財)生涯学習開発財団認定コーチ、メディカルコーチでもいらっしゃいます。
 ウエブサイトもありますのでぜひ下↓を参照:
http://cleanair.air-nifty.com/private/2009/09/post-7424.html

 著書はたくさんありますが、そのなかでも『リセット禁煙のすすめ』(東京六法出版)はお薦めです。
 初版2004年ですが、毎年版を重ね、ヤッホー君が手にしているのは、2006年9月第3版です。

 まだ、分かんないよお〜。
 ドクター磯村先生のお話しは、禁煙したくとも禁煙できないな、ニコチンテープもガムも試みたけど駄目だったし、意志薄弱だもん、なんて悩んでいる方向けのとっておきのお話でしたが、タバコには縁のないヤッホー君は、もっと広く「依存症」という観点からお話しを聞いておりました。

 思いがけなくもかたじけなくも、磯村先生から6月4日土曜日の夜にいただいたメールには、先生ご自身の感想が載っておりました:

『昨日6月3日は、講演会に参加くださりありがとうございました。
 私の冗談にも笑いの漏れる暖かい雰囲気の中、リラックスして話すことができました。
 質疑応答や、アンケートの内容より、私自身にも気づきがあり感謝しています。いくつか紹介しますね。
● 「タバコ吸ってストレス解消って言うけど、解消できるストレスは、ニコチン切れのストレスだけ」
● おかげさまで、ハマッていることを科学的に伝えて、禁煙チャレンジャーを支援できるようになりたいと思いました。ありがとうございました。
● CMの裏のねらいを読む(気づく)べき。
● なぜ、先輩や仲間(と思わせる輩)からの誘いをことわれないのか?それは、客の弱みを握れる、客からお金を吸い込むことができるから。
● 「簡単に止められるよ!はまらなきゃいいんだよ!」にも裏があり、勘違いしやすい!
● はまる=依存、を科学することの意味
● うつ病と喫煙がつながっていたのにはびっくりしました。確かに、アルコール依存症の人がギャンブルもうつもタバコもやっている人があるので、なるほどと思いました…』


 そうなんですよね。ここでとっておきの動画紹介: 
http://www.youtube.com/user/HirotadaIwazaki

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2011年06月04日

丸千千代田水産

 法然上人800年忌祭の芝、増上寺。
 ヤッホー君はさらに歩を進めます。
 昨日6月3日金曜日真昼の12時ころ。
 まずは「水盤舎」。本来なら、口をすすぎ、手を洗い、心身を清めるところでしょうが、知らん振りして素通りしていきます。
 左に出てまいりました石碑。書き写しますと:
池の水 ひとのこころは 似たりけり
にごり すむこと さだめなければ

 千代田水産(株)石橋敏弘平成5年1月10日開創600年法然御忌

 この会社はブッシュ槙のそばに「魚供養の碑」も建立しておりました:
魚がしに会社を起こし、水産物を商って37年、ひたすら業界の発展と社会への貢献を志し、困難を克服して現在に至った足跡を顧みるとき、感慨ひとしお無量なるものがある。
 今日あるは、水産物とりわけ魚類のおかげであることに思いをいたし、深い感謝をこめて、ここに
魚供養碑を建立するものである。
 願わくは、生業を同じくする人々よ、しばし歩みをここにとどめ、彼らのために感謝の祈りを捧げられんことを

…昭和60年3月8日 東京都中央卸売市場築地市場 卸売業者 千代田水産株式会社 代表取締役社長 石橋祥夫
 
 Chernobylの1年前のことです。
 この「千代田水産」は、マルセンとして通用していますが、「笑顔が素敵な人」を大募集中!
 会社概要のリクルートのウエブサイトがあります。
 ぜひお魚かお肴に興味のある学生諸君、応募してみてくださいね。
 会社は、中央区築地5-2-1 東京都中央卸売市場内A1棟2階本社事務所 丸千千代田水産(株) 総務人事課 Tel 3546-2877 ウエブサイトは下↓参照:
http://www.marusen.co.jp/recruit/index.html

 さ、「大殿」へ、と階段を登っていきます。
 25の階段があります。
 観世音菩薩と言うと聞いたことがあると思いますが、阿弥陀さまの脇侍で、世の人びとの願いを自由自在に観じて救済していただける菩薩さまです。
 このようにほかにも臨終の際には、極楽浄土から阿弥陀如来とともに迎えに来る菩薩の一団、25菩薩を、この階段の数が表象しているというのでびっくりしました。

 そればかりではありません。
 「大門」から「三門」まで、ムカシの松原の距離は、約108間。
 この数はご存知ですよね。つまり三門をくぐれば、108の煩悩から解脱する、と。
 しかし、ヤッホー君、途中で、ぺルリ提督と会ってしまったので、煩悩からの解脱はならず、108の煩悩どころか、3つの煩悩も抱えたままのようで、まあ、ボンボンだから、仕様がないですね。

 「大殿」のなか、線香の芳しき匂いのなか、瞑想に耽っておられるのか居眠りしておられるのか、善男善女がたくさんおられました。
 右の柱には「がんばれ、東北!がんばれ、日本」、左の柱には「がんばろう、東北!がんばろう、日本!」のスローガンが。

 さ、階段を下りて、ヤッホー君は、港区の保存樹ケヤキの下に座ります。
 釈迦の悟りの木は菩提樹、ヤッホー君はケヤキか、と思いましたが、何を勘違いしたのか、弁当を広げ始めました。
 ダンゴの幟のところ、「芝縁(しえん)」では、「さばの味噌煮定食」や、からだにやさしい「おばんさい定食」など800円で食べられるのに…。
 でもこころやさしいヤッホー君、寄ってくるすずめたちといっしょにお昼をとったのです。

 さあ、もう「メルパルク東京」に戻らなくっちゃ。
 「三門」に向かって今度は左手を歩いて行きますと、また法然の詩を刻んだ「千代田水産」の石碑が。こんどは:
月かげのいたらぬ里はなけれども
ながむる人の心にぞすむ

 観無量寿教に説く、光明は遠く十方世界を照らして念仏の衆生を摂取して捨てたまわず、という浄土宗の宗歌。

 さらに下れば、梵鐘が:

『江戸三大名鐘のひとつ。
 東日本では最大級。高さ1丈(約3m)重さ4千貫(約15トン)。
 「今鳴るは芝か(増上寺)、上野か(寛永寺)、浅草か(浅草寺)」
 「江戸7分ほどは聞こえる芝の鐘」
 「西国の果てまで響く芝の鐘」』


 こんな説明書きを熱心に書き写していたヤッホー君の姿に、何人かご高齢の御方たちが近づいてきます。
 ま、素知らぬ顔をしてノートに書いていましたら、そのなかのお爺ちゃまが、
『ムカシ、戦争中はカナモノというカナモノは供出したので、この鐘も本まもんか、分からんな』
と、まあ、鋭いご指摘をして立ち去りました。
 その背に向かい。「もし、今日はどちらから」「今日で何度目なのでしょうか」とお声をかけたのですが、無視、シカトとされました。5月28日土曜日、鹿肉の食べすぎかな? ン?

http://www.zojoji.or.jp/index.html



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2011年06月03日

増上寺

 今日のお散歩は芝、増上寺。
 5月13日金曜日は、メルパルク東京(港区芝公園2-5-20 Tel 3433-7210)にて健康保険委員会定期総会の日にあたっており、毎年来ていながら、増上寺への立ち寄り、って考えてもみたことがなかったのでした。
 今日はそれだけに朝からそわそわ、足がむずむずしていたのです。
 安藤広重の『江戸名所芝増上寺』にもある通り、大ムカシ、「芝大門」の交差点から山門までのこの辺り一帯には松原がひろがっていたそうですが、いま、公園になっている一角になんと、『ぺルリ提督の像』、そして、『万延元年遣米使節記念碑』があったのでびっくり。

 「ぺルリ提督の像」ってペリー、日米和親条約締結のために黒船に乗って威圧しにやってきたあのペリーのこと?

『嘉永6年7月(1853年)及び安政元年2月(1854年)に日本の開港のため米国代表として江戸湾を訪れたぺルリ提督の出生地であり、また当時日本の訪問の出港地である米国ロードアイランド州ニューポート市が親善のしるしに東京都に送られたものである。米国人フェリックス・ド・ウエルドン作』
(東京都)


 その反対側には「万延元年遣米使節記念碑 The memorial Monument of the Mission to America in 1860」が。

『西暦1860年2月9日(万延元年正月18日)新見豊前守正興一行は日米修好通商条約批准書交換の使命をおびて江戸竹芝より米艦ポーハタンに搭乗、初の使節として米国に赴いた。
 副使村垣淡路守範正の詠にいう、
竹芝の 浦波遠く こぎ出でて
世に珍しき 舟出なりけり

 遣米使節渡航より百周年にあたり、日米両国民の友好親善の基礎を築いたその壮途をここに記念するものである』
(1960年6月、日米修好通商百年記念行事運営会)


 アメリカの影がなんとまあ、濃いんだろう、と気づき、不思議がっていました。
 さらに歩を進め、「増上寺前」の信号を渡りますと、山門前の赤い三角ポールに「地震のため倒壊、瓦の落下等の危険があります。通過をお控え下さい。大本山増上寺」と、警告表示が。

 この山門は正しくは『三解脱門』と言われています。

『三つの煩悩、貪欲(どんよく、むさぼり)、瞋恚(しんい、いかり)、愚痴(ぐち、おろかさ)の三悪を解脱する悟りの境地を表わしています。
 大きさ、間口十間余(約19m)奥行五間(約9m)、高さ7丈(約21m)の二重建構造。
 上層の内部には中央に釈迦三尊像、脇壇に16羅漢像が安置されています』


 解脱するには、下血が必要かな、なんてこと思いながら、門をくぐって入るとまたしてもアメリカの影が。
 ヤッホー君は脅えてしまいました。
 どうして千代田区に据えつけないで港区?

 まずは、『グラント松』…。
General Grant the eighteenth president of the United States planted this Himalayan cedar when he visited Zojoji temple as a national guest in 1879.
(米国第18代大統領グラント将軍は1879(明治12)年7月国賓として日本を訪れ、増上寺に参詣し記念としてこの樹を植えました)


 そして、『ブッシュ槙』までもが…。
This tree was planted by the forty first president GEORGE H.W.BUSH of the United States in memory of his visit to Zojoji temple in 1982 when he was a vice president.
(米国第41代ブッシュ大統領が副大統領として1982(昭和57)年4月24日来日の際、増上寺に参詣し、記念としてこの樹(コウヤマキ)をお手植されました)


 ヤッホー君が大好きだった祖父も父も、帰依していた宗教は浄土宗でなく、浄土真宗でした。

 もし親鸞聖人と縁のある寺にも、こうしたアメリカの影があったら、きっとヤッホー君、あれほどこのブログで、自分のこころにも親鸞のこころのひとかけらでも共にあったら大事に育てて生きたい、なんて思っていましたが、今晩、棄教か、と絶望の淵に立たされていたことでしょう、きっと。

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2011年06月02日

ミニ鹿園

 鹿、しかし、鹿なのです。
 山歩クラブでは、2009年1月18日(日)、2009年の新年山行として大野山723mを歩きました。
 そこで、出会ったのが『共和鹿飼育研究会(ミニ鹿園)』の鹿たちでした。
http://www.youtube.com/watch?v=X6XYfGBGrXk

 日テレでも2009年1月10日に放送されています(所番地は非公開。Tel 0465-76-3296)。
http://www.ntv.co.jp/burari/contents/detail_2684.html
 
 今年、2011(平成23)年10月下旬には、「大野山フェスティバル」が開かれると神奈川県山北町の公式ウエブサイトで予告されていますが、この『ミニ鹿園』にもちょっとだけ言及されています。
http://www.town.yamakita.kanagawa.jp/contents_detail.php?frmId=532

 ちょっと、そのときの山行記を読んでみましょう。

8時20分に歩き始め、共和小学校、富士見通り、地蔵岩を通り、最後は踏ん張って階段登りをしました。
 上りきったら、雪がまだ残っていました。
 アイゼンを持って来られた方は、装着すべきか、ままよ、歩け、どうしようかと迷いました。
 山頂着は10時20分。
 頭だけちょっと覗かせている冨士山を楽しみ、下は丹沢湖、さらに反対側には相模湾、と開放感のある景色を満喫しました。
 そこから「まきば館」まで下り、お昼。
 職員の米持さんに牧場を紹介していただきました。
 11時30分には失礼して、牛舎で、牛ちゃんにごあいさつして下山開始。
 下りすぎましたので登り返すのも辛いのでそのまま、ミニ鹿牧場方面へ。
 ここはこの間、1月10日(土)の日テレ「ぶらり途中下車の旅」でも紹介されたところでした。
 ここで鹿や、さらに進んでムツゴロウから来たポニーと触れ合い、頼朝桜(「かながわの古道50選」に選定された「奥山家(おくやまが)古道」)に到着。
 お風呂は1時15分着。
 山北町の「さくらの湯(Tel 0465-75-0819)」で汗をおとし、農産物直売場「とれたて山ちゃん(Tel 0465-75-3026)」で新鮮な野菜を仕入れ、忘年会を「カーニバルブッフェ大井松田店(Tel 0465-85-1280)」で!(山歩クラブ恒例の宴会会場、アサヒビール園(Tel 0465-70-5251)は当日、全館貸し切り状態で不可だったのです)。
 新しい年2009年の無事の山行と心身の健康と家内安全を12人、皆んなで誓いあってきました


 かわいい鳴き声をあげる鹿たち、そのつぶらな瞳と間近で見つめ合うと、なかなか鹿の肉を食べちゃうというのはなかなか、なのです。
 仏教徒です。
 ご飯ひとつぶひとつぶにも、山の恵み、海の恵みにも感謝しないと、なかなか箸をつけることができないヤッホー君、考えこんでしまいます。

 シカの捕獲数は確実に右肩あがりです(政府発表「狩猟及び有害捕獲等による主な鳥獣の捕獲数」によります:
 1970年度  14600頭
 1995年度  81800頭
 2003年度  160100頭
 2008年度  250600頭(暫定数)

 一方で政府発表「年齢別狩猟免許所持者数(人)」です:
      1970年度 1995年度 2004年度 2008年度(暫定数)
20〜29歳   95000   4000   2000 2000
30〜39歳   178000  16000   9000   9000
40〜49歳   142000   75000    21000   18000
50〜59歳  62000   77000    71000   58000
60歳以上  54000  74000  96000   134000
  計     531000   246000  198000   222000

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2011年06月01日

鹿肉

 ヤッホー君のこの日記、昨年のことです。
 たとえば7月19日付け「山ヒル」、8月29日「群馬県みなかみ町大峰山」で記したヤマビルのことです。
 江東区清澄ではなく、房総の清澄周辺は鹿の蔓延のためにヤマビルの天国と化していますし、奈良公園の春日大社付近にも鹿が多いためヤマビルがいて、人にも被害があるそうです。
 どうしてかと言いますと、ヤマビルは主に鹿が宿主となって広がるため、鹿がいる地域に棲息するからなのだそうです。
 だったら、鹿肉をもっと食べれば、鹿が少なくなるんでは、と土曜日の午後、ヤッホー君がおっしゃっていましたが、そうは簡単にはいかないようで。

鹿肉の消費量ないし供給量などの正確な統計はないそうですが、年間300〜400トンの鹿肉が消費されているのではないかということです。
 一方、その他の一般的な食肉の年間供給量はどうかというと、2003(平成15)年度の政府統計によると牛肉で78万トン、豚肉で147万トン、鶏肉で128万トンです。
 つまり、おおざっぱにいって日本人は鹿肉を牛肉や豚肉、鶏肉の数千分の1しか食べていないということがいえます。
 さて現在、エゾシカは増えすぎて、農林業被害や交通事故などが大きな社会問題になっています。
 北海道ではシカの数を減らすために、狩猟の規制緩和や有害駆除の奨励などを行ってきました。
 ここ数年は年間5万〜7万頭ものシカを捕獲していますが、その肉は殆どが流通にのらず、多くは廃棄すらされているのが現状です。
 仮に年間5万頭のエゾシカを食肉として利用することを想定してみましょう。
 1頭から平均30Kgの肉が取れるとすると、1500トンの鹿肉が生まれます。
 これを道民の人口568万人で割ってみると、264gとなります。
 つまり、道民みんなで年間たったの300gの鹿肉を食べれば、いま捕獲されているシカの肉を完全に消費することができるのです。
 ちなみに政府統計によると国民一人当たりの年間供給量は、牛肉で6Kg、豚肉で12Kg、鶏肉で10Kgとなっています。
 さらに、1Kgの鹿肉が3000円で売れるとすれば、1500トンのエゾシカ肉は45億円の価値を潜在していることになります

 これは、北海道の紋別空港(東京から便もあります)からクルマで1時間のところにある西興部村(にしおこっぺむら)の「西おこっぺEネット夢民」に連載されている西興部村猟区管理協会研究員伊吾田宏正によるエゾシカについてのお話からです。
 西興部村は、オホーツク海から内陸へ25km入ったところに位置する酪農と林業の村です。
 人口およそ1250人、面積30812ha、総面積の89%を森林が占めています。
http://www.vill.nishiokoppe.hokkaido.jp/Villager/Ryouku/mame12.htm

 6月19日日曜日には山開きがあります。ウエンシリ岳といって、標高1142.3m。
 ずば抜けて高い山とは言えませんが、 この山より北にこれだけの標高を有する山はないそうです。

 これはシカ一般でなく、エゾシカのお話しでした。
 だって、エゾシカにはかわいそうな歴史があるんだもん:
幕末の探検家松浦武四郎によると、当時北海道の原野には膨大な数のエゾシカが生息し、あるときなどはエゾシカの群れが視界を埋め尽くし、まるで大地が動くようだったと記録しています…
 乱獲と記録的な大雪によってエゾシカは絶滅寸前まで追い込まれ、1890(明治23)年には全道的な禁猟になります。
 明治の開拓はエゾシカにとって受難の歴史だったのかもしれません

(同上)

 まあ、エゾシカはおいといたにせよ、ホンシュウジカの肉をもう少し皆さん、食べたら、とは思うのですけど、ハードルが高いようです。まず、鹿を捕獲する人の問題や猟犬の問題があります。狩猟者の高齢化と人口減少ですって。

鳥獣による農林水産業等に係る被害については、鳥獣の生息分布域の拡大、農山漁村における過疎化や高齢化の進展による耕作放棄地の増加等に伴い、中山間地域等を中心に全国的に深刻化している。
 また、鳥獣による農林水産業等に係る被害は、農林漁業者の営農意欲の低下等を通じて、耕作放棄地の増加等をもたらし、これが更なる被害を招く悪循環を生じさせている。
 鳥獣による農林水産業等に係る被害を防止するためには、地域主体の取組を推進することが効果的であるが、近年、農林漁業者の高齢化狩猟者人口の減少が進行していること等に伴い、地域全体で被害防止対策に取り組むための体制を早急に整備することが必要となっている。
 これらを受け、2007(平成19)年12月、鳥獣による農林水産業等に係る被害の防止のための特別措置に関する法律(平成19年法律第134号)が制定されたところである

(農林水産事務次官依命通知、最終改正2010(平成22)年4月1日、昨年の春のことです)
http://www.maff.go.jp/j/seisan/tyozyu/higai/pdf/22zisi_yoko.pdf

 ベニソンとかジビエとか、肉食系ヨーロッパならいざしらず、草食系のこのクニではまだドッグフードかキャットフードでしかないようで。
 えっ、じゃあ、ヤッホー君がもりもり食べた鹿肉って、も、もしかして、ペットフード? ペットの元気と長生きのために…?

posted by fom_club at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする