2019年12月08日

光るソラ蒼く

K - 光るソラ蒼く
https://www.youtube.com/watch?v=-N4r57pNwps

夜空に描いた
この哀しみに
どんな名前をつけたらいい?
歩道橋の上
風の匂いに
ふと懐かしくなる
なぜだろう?
あなたを想い出した
いつか わかるはず わかるから
言い聞かせた
傘に隠れてる
強がりの僕が
涙の理由を問いただしてる
今を生きてゆく 生きている
まだ知らない 夜明けが 静かに近づいている
光るソラ
蒼く
写真なら捨てた
忘れたいから
でも忘れられない
同じ夢を何度も見てしまうよ
いつか 叶うから 叶えるから
言い聞かせた
胸の奥にある
鮮やかな景色
あきらめることも出来ないまま
今を生きてゆく 生きている
まだ知らない 夜明けが 静かに近づいている
見えるかな
あなたに
光るソラ
蒼く


映画『ディア・ドクター』エンディング曲「笑う花」
https://www.youtube.com/watch?v=nprKaLsk4jY

僕が死んだら
ハイになって笑う花を
咲かせましょう
そのとき君が
今のままならきっと僕だと
気付いてくれるでしょう

振り返れば
地図も持たぬまま幾つかの時代を
横目に歩いた
思惑違いも
多々あれどそれが人生と
言うものなのでしょう

遠まわり
遠わまりするのさ
どんな道草にも
花は咲く
やぶれかぶれて
浮き草となってままならぬまま
風の吹くまま思惑違いも
数々あれどそれがうたうたいと言うものでしょう

遠まわり
遠わまりするのさ
どんな道草にも
花は咲く

遠まわり
遠わまりするのさ
どんな道草にも
花は咲く

遠まわり
遠わまりするのさ

遠まわり
遠わまりするのさ

遠まわり
遠わまりするのさ

遠まわり
遠わまりするのさ
どんな道草にも
花は咲く


いつでも夢を/吉永小百合・橋幸夫
https://www.youtube.com/watch?v=_9pewaS3Dhs

星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる
声が聞こえる 淋しい胸に
涙に濡れた この胸に
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる

歩いて歩いて 悲しい夜更けも
あの娘の声は 流れ来る
すすり泣いてる この顔上げて
きいてる歌の 懐かしさ
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
歩いて歩いて 悲しい夜更けも
あの娘の声は 流れ来る

言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
はかない涙を うれしい涙に
あの娘はかえる 歌声で



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2019年12月07日

映画「閉鎖病棟」撮影場所ロケ地

 落語家としての長年の功績が認められ、大衆芸能部門で2018年度芸術選奨の文部科学大臣賞を受賞した笑福亭鶴瓶(1951年生まれ)。
 役者としても絶好調。
 作家・帚木蓬生(1947年生まれ)原作(新潮社、1994年、1997年新潮文庫)の『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(平山秀幸監督、2019年11月公開)で主演を務めます。
 しかも精神科病院を舞台にした本作を、実際の国立の精神科病棟を使用して撮影するというじゃないですか。
 調べたらそこは、元陸軍の結核治療研究機関だったという歴史が!
 この機会を逃してはなるまいと、長野県小諸市に向かいました。


[写真-1]
入院患者として出会い、親交を深めていく(写真左から)秀丸(笑福亭鶴瓶)、チュウさん(綾野剛)、由紀(小松菜奈)

真田幸村、浅間山……いざ「ろくもん」に乗って小諸へ!


 2019年1月中旬。
 東京から北陸新幹線で軽井沢駅まで行き、そこから「しなの鉄道」に乗り換えて小諸へ。
 ここはせっかくなので、長野県上田を舞台にした細田守監督『サマーウォーズ』(2009)の息吹を感じられる、戦国武将・真田幸村の甲冑の色や家紋がデザインされた観光列車 「ろくもん」で参りましょう。


[写真-2]
小諸へは、しなの鉄道が誇る観光列車「ろくもん」でGO

 沿線には冬の澄んだ沿線には冬の澄んだ空気でくっきりとした姿を表している浅間山が見えます。
 その名を聞くと思い出すのは、1972年に起きたあさま山荘事件。
『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002)や『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』(2008)など映画にもなりました。


[写真-3]
「ろくもん」からの浅間山

「ろくもん」車内を探検していたら、あっという間に小諸駅。
 駅舎と駅前のロータリーは整備され、小諸を舞台にしたオリジナルテレビアニメーションの 「あの夏で待ってる」(2012)のキャラクター看板がお出迎えしてくれました。


[写真-4]
小諸はアニメ「あの夏で待ってる」の舞台。8ミリカメラで自主映画を撮る高校生たちの青春物語

撮影現場に張り詰める緊張感

『閉鎖病棟―それぞれの朝―』のロケ地である 「小諸高原病院」は、小諸駅から国道131号線峰の茶屋小諸線を浅間山方面に車で進むこと約15分の山腹にあります(黒斑山の登山口である車坂峠に行く道の途中から右に曲がった先にあります)。
 人里離れ、豊かな自然に囲まれた病院は、ここがかつて結核治療研究機関であった名残りを感じさせます。


[写真-5]
正式名称は「独立行政法人国立病院機構 小諸高原病院」もともとは陸軍の結核治療研究機関だった

 独立行政法人国立病院機構へと移行したのは2004年で、現在は精神科の専門医療施設です。
 日本国内で国立の精神科病棟が、ドキュメンタリー映画を除いて精神科病棟を描いた映画の撮影に使用されるのは初めての試みとか。
 ただし利用している患者さんたちに配慮し、大声を出すのは厳禁です。
 しかしこの張り詰めた緊張感が、気合の入った撮影現場に来ているんだと実感し、取材する側も身が引き締まります。


[写真-6]
病棟を借りて撮影を行う平山秀幸監督(左)と綾野剛

「賞があってもいいと思う」鶴瓶師匠もロケ地を絶賛


 なぜなら『閉鎖病棟―それぞれの朝―』は、キラキラ映画や“泣ける”をウリにする作品が多い昨今の日本映画界において、なかなかの勝負作。
 主人公は、笑福亭鶴瓶演じる死刑執行に失敗して生きながらえてしまった死刑囚の秀丸(笑福亭鶴瓶)。
 彼を中心にさまざまな過去やトラウマを背負って生きる精神科病棟の患者たちは、俗世界から離れて生きることで心の平穏を取り戻そうとします。
 しかし院内で起きた殺人事件によって、運命は大きく変わり……。
 同病院での撮影は2週間にわたって行われ、病室も使用しています。


[写真-7]
外来診療棟の玄関前で撮影を行うスタッフたち。左端は綾野剛

「僕は、映画は本職ではないんですけど、(トーク番組の)『A-Studio』のMCをやっているからゲストが出演するいろいろな映画を観るでしょう。そうするとロケ場所をどう抑えるかで映画の流れが決まってくるように思うんです。普通、こんな病院貸してもらえないですよ。この(病院を使えるように交渉し)苦労をしはった人に、賞があってもいいと思う」

 そう語ったのは鶴瓶師匠です。
 師匠が主演した映画『ディア・ドクター』(2009)のリアリティは、まさにロケ地となった茨城県常陸太田市の景観あってこそ。
 師匠の言葉には、重みがあります。


[写真-8]
小諸高原病院の案内図。一直線の廊下があり、圧巻!

 ちなみに同病院は近々改修が予定されているということで、本作は1943年に建設された当時の姿を捉えた貴重な映像記録となりそうです。

goo映画、2019/04/26 12:00
国立の精神科病棟が初のロケ地に
『閉鎖病棟―それぞれの朝―』の現場を行く

(中山治美)
https://movie.goo.ne.jp/archives/3106

※ 『ディア・ドクター』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=P4GqLmw5VXc

 個人的には、私がいつも行く「やき鳥屋」でカウンター越しに女将さん(60代前半)に、今度「閉鎖病棟」の舞台挨拶見に行くとチラッと話をしたら、「うわ〜〜、私、その映画見たかったのぉぉぉ!いつ? もうやってるの? いつから?」と、いつもはあんまりまともに注文でさえ聞いてくれないのに、その日はやや興奮ぎみに、がぶりつきの好対応。

 また当日、チケット売り場のあたりをウロウロしていると、いつもお世話になっている近所の叔母さん(60代後半)に偶然会って本人曰く「今日、本当は南木さん(地元出身の作家:南木圭士さん)の映画を見に来たんだけど、まだしばらくやっているようだし、・・・いいの、いいの(シルバー割引の対象にならないけど)閉鎖病棟の方、見ることにしちゃったの!」とちょっとはしゃいだ様子。

 2つの偶然が重なり、この映画の人気度を身をもって実感しながらの入館となります。

 そして、私も厳かに鑑賞させて頂きました。

・・・ネタバレになってもいけないので、内容についての言及は避けさせて頂きますが、

 うーーーん、最近忘れていた感情が蘇ると言いますか、なんだか「心がとても痛い」です。
 小説が書かれた時代を再現しているせいで「ちょっと昔の日本」みたいな感じもあるんですが、そういった雰囲気とか寂しさが後押ししているところもあるんですが、とても心が揺さぶられます(どうにかしたいけど、どうにもできない感じってこんな感じなんだろうなあ)。
 つまりは王道中の王道「映画らしい映画」という感想です。

 もうちょっと詳しく解説すると、
・「心が揺さぶられる」=どの出演者の方もとても演技がうまいので、問題なくストーリーに集中できました。
・「もの悲しい」=我が故郷周辺の景色を(映画用に)寂しくも、ただしっかりと美しく撮って頂いておりました。
・「心が痛い」=映画独特の簡単に言葉にできない感情が沸き上がります。

 どの出演者さんもよかったのですが、私的には、看護師長役の小林聡美さんの演技にがっつりハマりました〜。
 舞台挨拶で平山監督があえて「患者さんに優しくしないで」とお願いしたとおっしゃっていたのですが、その演出通りに、院内での存在感、患者さんとの距離の取り方、感情を抑えたセリフ回し、そして綾野剛さん演じるチュウさんと別れるときの決めセリフ、震えるくらい良かったです。

 1つ、たった1つだけちょっと気になったのは、用意されていたセットの机や出演者の方が着ていた洋服がほぼピカピカだったこと、、、ですかね(ただ綾野剛さんとか小松菜奈さんに薄汚れた服は着せられないですよね)。

 ちょっとほっとするエンディングを迎え、上演終了後ほどなくして今回のメインイベント、平山秀幸(1950年生まれ)監督の舞台挨拶がありました。

 撮影にあたっての裏話など色々お話頂いたのですが、何よりも心に残ったの以下のお言葉とそのお人柄。

「今回の映画の中で公園でのシーンがあったと思うのですが、あのシーンのために私たちも、ずっと千曲川添いをロケハンしたんですよね。いい場所がないかと色々見て回ったんです。で、今回の台風、そしてその災害、本当にびっくりしました。放送で小諸とか佐久というキーワードが出てくるとドキッとするというか、自分のことのようにとても気になりました。以来、現在もとても心痛めております」
と大変この地元のことを気遣って頂いておりました。

 また出演者さん、原作者さん、どんな方とのエピソードでも必ず最後に、
「・・・で(出演者さんなどと)、一緒に美味しいお酒を飲みました〜」とお酒の話で嬉しそうに笑って話しを締めるのも、
「あれ?普通のおじさん?」的な(偉い監督さんなのに)ちょっと不思議な感じ。

 そのお人柄を反映してか予想通り、舞台挨拶後のサイン会には長蛇の列ができておりました。

 鶴瓶さんのファンの方、綾野剛さんのファンの方、小松菜奈さんのファンの方、もちろん必見ですが、ただ私たちの地元を心から気にかけて頂いている平山監督さんには、
「小諸でやってよかったな」
「この映画をやってよかったな」とちょっとでも喜んで頂きたく、(私どもでできることは本当に少ないですけど)私の友人、やき鳥屋カウンターの紳士淑女、親しくさせて頂いている方々には自信を持って推薦させて頂こうと考えております。

 また、たまたまこの記事を読んで頂いたユーザーの方もぜひ宜しくお願いします。
「軽井沢ナビ」編集部がおススメの(小諸がロケ地の)「閉鎖病棟 それぞれの朝」ぜひ一度ご覧頂ければと思います。


軽井沢ナビ、2019.11.05
話題の映画『閉鎖病棟』監督舞台挨拶に行ってきました。
(佐久アムシネマ、長野県佐久市長土呂125-1 Tel 0267-66-1650)
(軽井沢ナビ編集部)
https://www.slow-style.com/report/165/

上田市の海野町商店街

 ちなみに海野町商店街にある「富士アイス」さんでは、じまん焼きが超人気らしいですよ。
 1個80円であんことカスタード味があります。
住所:長野県上田市中央2丁目10−14
http://unnomachi.naganoblog.jp/e1300145.html

上田市の上田女子短期大学

 こちらの上田女子短期大学(JR上田駅より上田電鉄別所線「大学前駅」下車 徒歩6分)も、映画「閉鎖病棟」の撮影場所ロケ地に選ばれていますが、映画内ではどのシーンで登場するのでしょうか。
住所:長野県上田市下之郷乙620
http://www.uedawjc.ac.jp/

上田市の上田城跡公園児童遊園

 予告編にて、石垣の近くにあるベンチ付近で4人(梶木秀丸、チュウさん、由紀、昭八)が仲良くこちらを見ているシーンが撮影された場所になります。
 公園では紅梅が咲き、動物コーナーもありクジャクやインコ、うさぎがいるそうです。
 ちなみに上田城は、大河ドラマ「真田丸」にも登場していましたね。
 上田駅から徒歩15分くらいの場所に位置していますので、上田氏を訪れた際には足を運んでみてはいかがでしょうか?
住所:長野県上田市二の丸4−6
http://www.city.ueda.nagano.jp/koen/tanoshimu/koen/uedajoseki/park.html

おまけ:平塚市の平塚海岸展望休憩所

 平塚海岸からは富士山を見ることもでき、サーファーやビーチバレー、ビーチサッカーを楽しむ方が訪れています。
 映画内では、石田サナエ役を演じる木野 花さん(1948年生まれ)が、普段あまり聞くことができない歌声を披露されているみたいです。
 いったいどんなシーンで登場されるのか、実際に映画を見て確かめてみましょう。
住所:(高浜台)神奈川県平塚市高浜台33、(袖ケ浜)神奈川県平塚市袖ケ浜20


平塚海岸.jpg
☝ 平塚海岸

kossy-no-movie-log、2019年10月29日
映画「閉鎖病棟」撮影場所ロケ地は?病院や橋、商店街はココ!綾野剛主演!
https://kossynolog.com/movie-heisabyoto-locations-hospital-bridge-shoppingstreet/

posted by fom_club at 18:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鶴瓶が死刑執行が失敗し今は精神科病棟にいる主人公!

 地下鉄サリン事件など、オウム真理教の一連の事件で死刑が確定、麻原彰晃元死刑囚ら教団幹部7人の死刑が執行されて1週間が経過した。
 麻原はじめ、元死刑囚らの執行時の様子が次第に明らかになってきた。

「死刑執行の2、3週間前から『刑場の清掃がはじまった』という話が聞こえてきました。死刑がある前には、必ず念入りに数回、清掃があるのです。そして『テストもやっている』という声も入りました。テストというのは、死刑執行の装置、踏み台などが正常に作動して落ちるのかなど、確認作業をすることです。拘置所の職員の間では、正直、自分たちが担当になるかならないか、緊張感がありましたね。今回はオウム真理教の死刑囚であることは、容易に想定できましたから」
(大阪拘置所関係者)

 死刑執行された2018年7月6日、麻原元死刑囚は、毎朝7時の起床に合わせて、東京拘置所の独居房で目を覚ましたという。
 その後、朝食をすべて食べて食器を戻してほどなく、刑務官から
「出房」
という声がかかった。

 日常、運動も拒否し、独居房から出ることがない麻原元死刑囚。
 刑務官の声にも、ほとんど反応しなかった。
 だが、この日は複数の刑務官が麻原元死刑囚の独居房に入り、
「連行」
と声をかけ、連れ出した。

 通常、収容者が使用しない通路を通って、麻原元死刑囚は刑場へと向かったという。
 そこには「万が一」に備えて、複数の刑務官が通路に立ち、警戒していたそうだ。
 その時、麻原元死刑囚はさしたる反応がなかったという。

 刑場の前にある「教誨室」で椅子に座るように促された、麻原元死刑囚。
「今日、お別れの日がきました。教誨、どうしますか」
 教誨とは、死刑執行前に、僧侶や牧師から講話を受けること。
 そう聞かれたが、無反応で何も語らない麻原元死刑囚。
 設置されている、仏壇に手を合わせることもなかったという。
 何度も、同じことを聞かれたが、何も答えなかったという。
 遺書を書くかと聞かれたが、それにも
「……」
と返事はなかった。

「麻原元死刑囚は、普段は一日中、独居房の壁にもたれかかり、うつろな顔でボーっとしているだけ。しかし、3度の食事は食べます。この日、教誨室で死刑執行を知った時は、本当か?という感じで、キョトンとして信じられないという表情だったそうです」
(法務省関係者)

 そして、遺体や遺品の引き取りについて尋ねられたが、そこでも答えはなし。
 そこで、刑務官が妻や長女ら、家族を具体的にあげて聞いた。
「四女」
 そう麻原元死刑囚は、話したという。

 ハッキリ聞こえなかったので、再度、刑務官が
「四女でいいのか?」
「四女なんだな?」
と何度か確認すると、うなずいたという。

 そして、刑務官が両脇を抱えるようにして、麻原元死刑囚を刑場の前にある「前室」に連れて行く。
 線香がたかれ、そのにおいが充満した「前室」で拘置所の所長が麻原元死刑囚に指揮書を読み上げて、死刑執行を告げた。

「麻原元死刑囚は、暴れたり、声を発することはなかった。だが、前室で目隠しをされ、両足を固定されたときには死刑が現実のものとわかったのか、顔がやや紅潮してみえたそうです」
(前出・法務省関係者)

 そして、麻原元死刑囚は刑場へと消えたという。

 この日、東京拘置所では麻原元死刑囚だけではなく、遠藤誠一元死刑囚と土谷正実元死刑囚も執行された。

「通常、死刑執行は1日に2人まで。3人というのは異例です。麻原元死刑囚の執行の間に次の準備に取り掛かかり、とても慌ただしい状態でした。土谷元死刑囚は、執行前から精神的に安定しない日々で、執行を告げられてかなり驚いていたそうです」
(前出・法務省関係者)

 大阪拘置所では、井上嘉浩元死刑囚と新実智光元死刑囚の死刑が執行された。

「井上元死刑囚は死刑執行が近いと思っていたのか、独居房でもせかせかした感じでいろいろノートに書いていましたね。新実元死刑囚は大阪拘置所に移送された後、毎日、獄中結婚した妻が面会に来てくれるのを心待ちにしていた。面会室では新婚のカップルのようにみえたという。だが、新実元死刑囚は精神的には、落ち着かない日々で、ソワソワしていて、『どうなるのだろう』とこぼすこともあった。東京拘置所では、独居房で瞑想したそうだが、大阪拘置所ではそんな余裕もなかったようだ」
(大阪拘置所関係者)

 井上元死刑囚は、死刑執行の直前、最後の言葉として、自分の両親に
「心配しないでと伝えてください」
「ありがとうございました」
と述べた。
「こんなことになるとは思っていなかった」
 その言葉の意味が、オウム真理教に入信し、麻原元死刑囚と行動をともにしたことのなのか、それとも最近になって再審請求をしたので、まだ死刑執行はないと思い込んでいたのか、詳細はわからない。
 そして、2人の刑務官にはさまれるようにして、自ら刑場に歩を進めたという。

 その遺体は、両親に引き取られて、故郷で荼毘に付されたという。

 死刑執行には、検察庁の幹部が立ち会う。
 一般的には、高等検察庁の部長クラスが選ばれるという。

「死刑当日、執行に立ち会った幹部は検察庁に戻るなり、足元に塩をまかれてお清め。すぐ自宅に帰ったそうです。さすがに、そのまま仕事はできませんよね」
(ある検察庁の幹部)

 残る6人のオウム死刑囚の執行は年内とされている。

※ 週刊朝日オンライン限定記事


dot.asahi、2018.7.15 13:04
オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間
「その後、仕事できず」と検察幹部

https://dot.asahi.com/wa/2018071500004.html

 2017年7月13日午前、2人の死刑囚の死刑執行を発表した。

 住田紘一死刑囚(34)は2011年、元同僚の女性(当時27)を殺害し、現金などを奪った強盗殺人の罪などに問われ、2013年に死刑が確定。
 西川正勝死刑囚(61)は1991年から1992年にかけスナックの女性経営者ら4人を殺害した罪などに問われ、2005年に死刑が確定していた。
 執行後の会見で金田法務大臣は「今回の2件につきましては、誠に身勝手な理由から被害者の尊い人命を奪うなどした、きわめて残忍な事案だ」と説明した。

 関係者によると、西川死刑囚は再審請求をしており、その中での執行は異例だという。
 金田大臣は一般論だと断った上で「再審請求を行っているから執行しないという考えは採っていない。死刑というものは人の命を絶つ、生命を絶つ極めて重大な刑罰であり、その執行に際しては慎重な態度で臨む必要があるものと考えている」とコメントした。

 死刑執行の日、拘置所では何が起こっているのか。
 閉ざされた刑場では、どのような時が流れるのか。
 AbemaTV『AbemaPrime』では一度だけ死刑執行に関わった元刑務官にインタビューを行った。

■ 遺族の仇をとってやらにゃいかんという使命感に燃えました

 インタビューに応じたのは、33年間にわたり刑務官を務め、大阪拘置所勤務時代に死刑執行に関わった藤田公彦氏(70)。
 今回死刑を執行した刑務官にかけたい言葉は何かと尋ねると「辛いけれども職務として自信をもって臨んで、また、今後に尾を引かないよう頑張って欲しい」と話す。

「刑務官」とは、刑務所や拘置所の受刑者たちを更生させるために指導や監督などを行う国家公務員だ。
 藤田氏が死刑執行に携わったのは「まだ末端の若い看守」だったときのことだという。

「夜勤明けのときのことでした。通常は朝の8時に集合して解散なのですが、その日は『今から呼ぶ者5名は、待機所で待機』という命令が出ました。居残りの場合は、『今から誰と誰は裁判所に行け』などと言われるのですがが、"待機"というのは一体何だろうと。まさか、という気持ちでおりました。待機室で『どうも執行ではないか』と噂をしておりましたら、30分後くらいに管理部長室に一人ずつ呼ばれ『(死刑執行ボタンを押す)執行係を命ずる』と言われました。みんな下を向いて、沈黙していましたよ」

 死刑執行が近づくと刑場の清掃が行われるため、刑務官たちの間に"近いうちにあるのではないか"という噂も流れていたという。
 しかし当時、自分にその役目が回ってくるとは思っていなかったという。

「当時は、勤務成績の悪い者がペナルティとして執行係をやるのが相場だったんです。私は真面目だったので(笑)、自分がやることはないだろうと変な自惚れがありました。ところがその前の執行担当者のなかに、ボタンを押さなかった職員がいたそうです。同じ形のボタンが5つあり、5人の係が一斉にそのボタンを押すことで、誰のボタンが絞首台につながっているのか分からない仕組みにしてあるのですが、踏み板が落ちなかったので発覚したのです。ただ、途中で執行を止めることはありません。刑場には故障などに備えた非常用のハンドルがあり、万が一の場合はそれを動かすと踏み板が外れるようになっています。そういうことがあって、しっかりした真面目な者を選べということになったと聞きました」

 刑務官を拝命して間もない頃で、死刑囚に接触したこともなかったという藤田氏。
 執行の意味を考えるため、自ら犯行記録に目を通したという。

「その死刑囚はすでに70歳を超えていました。なぜ年老いた人を執行しなければいけないのか、そのまま老衰で死なせてやってもいいのではないかという思いもありましたので、自分を納得させるために記録を読みました。仮出所した際、お寺の住職さんが身元引受人になり、自宅に下宿させ仕事まで見つけてくれたそうです。その恩を仇で返すように、奥さんと娘さんを強姦・殺したのです。これは許せん、被害者遺族に代わって敵を討ってやらにゃいかんという使命感に燃えました。そういう正義感から躊躇なく押すと決意したことを覚えています。だから一切躊躇することはなかったです」

■ 死刑囚は『お世話になりました!』と泣いていました

 藤田氏によると、当時の大阪拘置所での執行までの流れはこのようになる。

「まず屈強な職員が選抜され、監督者と合せた5名くらいで死刑囚が生活している独居房に迎えに行きます。ドアを開けて『おい、出てこい』だけです。『なんですか?』『いいから、出てこい』と連れ出します。執行するとは言いません。いつも独居房を出るときは右側の中央廊下に行くんですが、死刑執行のときは左折して西側廊下に向かいます。そして執行を言い渡す所長が待つ2回の調べ室に向かいます。そこで所長が『お別れの時が来ました。今から死刑を執行します』という主旨のことを言い渡し、『連行!』という命令で刑場へと向かいます。刑場は建物の一番端にあり、廊下には万が一に備えて5メートルおきに職員が立ちっています」

 藤田氏が執行した死刑囚はもう高齢だったので、素直に連行に応じたという。
 しかし刑場の直前、で藤田氏は死刑囚の涙を見た。

「(刑場に向かう廊下では)1分1秒でも生きながらえたいという人間的本能で、世話になった職員、顔見知りの職員を見つけると走り寄っていって『先生お世話になりました』とひとりひとりに挨拶していくわけです。ところが職員はどう答えていいのかわからないんです。『元気にやれよ』とは言えません。『しっかりやれよ』とも言えません。泣きながら手を取られると、職員も辛いんです。返す言葉がないんです。だから『前へ進め!』と促して進んでいきます。私が執行した時も、『○○部長さん、お世話になりました!』と泣いていました。私は刑場の前で待機していましたが、いたたまれず、ボタンを押すのが自分だと知られるのも嫌で、逃げるようにして部屋に入ったと記憶しています」

 刑場の中は、ごく普通の会議室のような雰囲気だったという。
 一番奥には祭壇があり、教誨師と"最後のおつとめ"を行う。
 祭壇は仏教、キリスト教と、本人の信仰に合わせて切り替えられるようになっている。
 しかし、刑場の方を向いてロープが見えると動揺してしまうため、執行直前まで蛇腹のカーテンのようなもので死刑囚からは見えないようにされていたという。

「蛇腹を開けて、1メートル四方の踏み板まで連行し、後ろ手にして手錠をかけ、足も手錠かひもで縛り、目隠しをして、ロープを首に掛けます。それで準備は完了します。そして指揮官が『最後に言い残すことはないか』と確認します。死刑囚によって違いますが、『課長、オレはびびってませんで!目隠しなんかいりませんわ』という者もいれば、震えて声にならない者もいます」

 死刑囚の話が終わったあとに合図があり、死刑執行ボタンはそこで押されるのだという。

「話が終わった瞬間に、指揮官から『押せ』という命令が出て、5人が待機している部屋に赤いランプが点灯します。一斉にボタンを押すと、刑場の中に『プシューッ』というエアブレーキのような音が広がり、死刑囚の乗った床が『ドン』と外れるわけです。死刑囚は地下に落ちていって、自分の体重で首が締まります。ボタンを押すのは死刑囚が最後の言葉を話し終わったのを確認してからです。これが大事なんです。話している途中に執行してしまうと、舌を噛んで流血し、非常に残虐になってしまうからです」

 刑場の下で、落ちてきた死刑囚の体を受け止める役の刑務官もいるという。

「落ちてきたまま放置してしまうと、死刑囚の体がバウンドして左右に振れてしまい、その様子が残虐だからです。大変難しい役目です。私が執行した際は、先輩が受け止め役を命じられました。先輩は管理部長に対して『今後は勘弁してください。今まで10回くらいやりました。もう孫ができる歳になりますから』と、盛んに断っておられたのが印象に残っています」

 死刑が執行された後、ボタンを押した5人の刑務官たちは、下に降りて遺体の回収にも携わった。

「医師が脈を測っていますが、だいたい12分は吊るしたままです。体重が重い方が早く亡くなります。死亡が確認されると、5人で遺体を抱えて、上にいる職員にロープを緩めてもらい、棺桶に入れます。役所が準備した花をちぎって棺に入れ、蓋をし、簡易な遺体安置所まで移動させて、私たちの役目は終わりです。遺体は火葬場に運ぶ霊柩車の到着を待ちます」

「死の尊厳」に対する敬意を抱いた

 任務から解放された刑務官たちは、会食をした。

「当時のお金で3000円の手当が出ました。ただ、みんなほとんど会話せず、黙々と食べていましたね。官舎に帰って女房に『おい、塩もってこい』と言い、体に塩を振りかけて家に上がったのを記憶しています。女房は『あんた何かあったん?』と聞きましたけどね、私は何も答えませんでした。それ以後、このことに関しては一言も喋ったことはありませんし、質問も受けたこともありません。それはどういう理由かというと、いわゆる"死の尊厳"に対する敬意だと思います。軽々に喋ったりできない、"無言の教え"があったと記憶しています。他の刑務官たちともそういうことは一切話しませんでしたし、『あの時大変だったな』というような思い出話も一切出ませんでした」

 藤田氏によると、かつては執行を前日に言い渡していた時代もあるという。

「執行を前日に言い渡し、親族にお別れをしていた時代もありました。追い詰められて自ら命を絶つ恐れもありますので、翌朝まで独居房の前で刑務官が監視していました。でも、死刑囚と将棋を指しながら、刑務官は何も会話ができない。『お前、元気にやれよ』と言うんですか?『そろそろ寝ろよ』と言うんですか?あと余命が何時間で、寝てしまったら生きてる実感がないじゃないですか。死刑囚は眠れないですよね。職員も声のかけようがない、たまらない状況なんですよ。そういうことで即日執行に変わっていきました」

 刑務官の職務とはいえ、誰にも共有すること無く背負っていかなければならない厳しい体験。
 苦しみや孤独に苛まれたことはないのだろうか。

「壮絶な場面を見たので、苦しいというよりも、後から気がついたのはやはり死の尊厳への敬意です。その人の性格にもよると思いますが。私には苦しみということは無かったと思います。もちろん、トラウマになる刑務官もいると思います。それは否定しません。もう何十年も経ちましたが、私もその場面を全て鮮明に覚えていますし、嫌だったなというのは確かに残っています」

■ 死を持って償うのが死刑ですから、反省は求めません

 想像を超える体験を経て、藤田氏は死刑の是非についてどう考えているのだろうか。

「死刑囚というのは、生きるか死ぬかの恐怖で極限の精神状況におかれていますから、廊下を歩く刑務官の足音の違いにもビクビクしています。死の恐怖から逃れるために宗教に救いを求めて、ある意味での悟りを得て、素直に執行に従う人もいますが、中には脱獄を試みたり、自殺したりする人もいる。それほど神経を研ぎ澄ませる中で、改心するゆとりはないわけです。反省など机上の空論、理想論です。死を持って償うのが死刑ですから、反省は求めません。死刑になるだけの残虐な犯罪をやる人というのは、通常の精神や性格ではありません。教科書のような反省、悔悟というものを求める方が酷で非現実的なことだと私は思います」

 その上で藤田氏は、こんなエピソードも明かした。 

「死刑廃止論者の弁護士さんが唆して、精神病を装って執行を免れようとしていた人もいました。いよいよ執行の日、心配して見ておりましたら、本人は『執行か、そうかわかった』と、素直に応じたんですね。こんなこと言ったら申し訳ないですが、朝から晩まで精神病を装っていたあの姿は何だったんだろうかと、可哀想に思いました。彼は何も抵抗せず、堂々と逝きましたよ」

 藤田氏の生々しい体験談に、日経ビジネスの柳瀬博一氏は「先進国では日本とアメリカ以外、死刑を執行しなくなっている。どういう理由があるにせよ、戦争以外で国家が人を殺めることに対する否定的な見方が社会通念になってい」と指摘した上で、「藤田さんのお話しを伺って、自分の死以外に罪を贖うことが許されないという、死刑制度の持っている酷薄さを感じた」とコメントした。


AbemaTV、2017.07.14 22:00
「何十年も経ちましたが、全て鮮明に覚えています」
元刑務官が語った死刑執行の瞬間

https://times.abema.tv/posts/2660403

 笑福亭鶴瓶が主演し、綾野剛、小松菜奈共演で映画化される『閉鎖病棟―それぞれの朝―』のメイキング映像と新キャストが解禁となった。

 原作は、精神科医をつとめながら珠玉の人間ドラマを生み出してきた帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)の山本周五郎賞受賞作「閉鎖病棟」(新潮文庫刊)。
 1995年に発売され、丸善お茶の水店に掲げられた「感動のあまりむせび泣きました…」というPOPが起爆剤となり、累計85万部を超すベストセラーとなったこの作品が、『愛を乞うひと』『エヴェレスト 神々の山嶺』の平山秀幸監督・脚本で映画化される。

 鶴瓶が演じるのは、死刑囚でありながら、刑の執行が失敗し今は精神科病棟にいる梶木秀丸役。
『ディア・ドクター』以来、10年ぶりの主演作となる本作では、炭水化物をとらない食事制限や腹部にサランラップを巻くといった方法で、約10日間で7キロもの減量を成功させ、難しい役どころに挑戦。
 その秀丸と心を通わせる患者チュウさん役を綾野剛、父親からDVを受け精神科病院に入院する女子高生・由紀役を小松菜奈が演じる。

 解禁となったメイキング映像には、7キロ減量し、いつもと雰囲気が違う鶴瓶が「わしは、世間に出たらアカン人間や。ここは不思議なとこでな、段々、患者という生き物になってきよる」と話すシーンから幕開け。
 続いて「精神科病棟を舞台に、心通い合う仲間たちが見せる、本当の愛とやさしさの物語」というナレーションが流れ、登場人物や撮影風景が映し出されていく。

「事情を抱えていない人間なんていないからね」という綾野。
 その姿とかぶさるかのように、この病院での日常風景が流れていく。
 だが、次の瞬間「その矢先、院内で起こったひとつの事件」というナレーションが読み上げられ、次いで「コラァ!」と怒鳴る鶴瓶の姿が映し出される。
 いったい何が起こったのか?


[動画]
鶴瓶7キロ減量!精神病棟舞台に綾野剛、小松菜奈と共演/映画『閉鎖病棟−それぞれの朝−』メイキング
https://www.youtube.com/watch?v=tQ9yp83vsCc

Movie Collection、2019年 6月 18日
鶴瓶が死刑執行が失敗し今は精神科病棟にいる主人公!
『閉鎖病棟』メイキング映像解禁

https://www.moviecollection.jp/news/detail.html?p=14304

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2019年12月06日

「正義」とは人の命を守ること、それが憲法

アフガニスタンの大干ばつの現状。──そこに人が生きうる場所を作ること

ー アフガニスタンの現状についてお話を伺いたいと思います。2000年頃から干ばつがものすごく酷くなったというのは話に聞いていましたが、それが今かつてなく酷くなっており、人々が生活出来なくなっているほどであるのことでした。

中村: 酷い干ばつは、今も進んでいます。大きなニュースにならない理由は、復興支援や軍事援助で外貨がたくさん入って来て、国外から食糧を買っているからです。その結果、餓死者は減っているものの、飢餓線上の人が増えています。JICAや国連関係の調査によると、アフガニスタンの灌漑地の面積が減少しています。明らかに農地の乾燥化が進んでいます。飢餓人口も2000年には400万人と言われていたのが、今や760万人。ところが日本では、政治的な事件しか報道されないものですから、背景にある人々の困窮が伝わらない。

ー それは、地球規模での温暖化と関係しているということでしょうか。

中村: 確実にそうだと思います。私は山をずっと見てきました。最初にヒンドゥークシュ山脈に行った1978年には、雪線(夏に残る万年雪の線)が、確か3100だとか3200mだった。今は3600m以上です。この30年で、雪線が数百メートルも上がっている。これは大変なことです。温暖化によるものだというのは確実でしょう。

ー 雨の降らないアフガニスタンでは、水の供給源として夏に溶け出る山の万年雪が人々の命を繋ぐということで、「金がなくても食ってはいけるが、雪がなくては食ってはいけない。」ということわざがあると講演でもおっしゃっていましたが、その水をもたらす生命線となる雪もなくなってしまっているんですね。

中村: その通りです。温暖化の影響は春の急激な雪解けとなって、しばしば洪水を起こします。そして秋に解けだす雪がなくなると、今度は突然河川の水量が落ちます。洪水と渇水の同居です。地下水も下がります。雨水と地下水利用の灌漑地は東部アフガンでほぼ全滅に近く、大河川では取水が困難になって灌漑ができないという恐るべき状態です。
 従来の取水技術では歯が立たなくなっています。だから、「激しい水位差でも取水できる方法」が必要となった。近世日本で確立された方法が多くの人たちを救いました。それを今、広げる活動をしています。たとえCO2が下がるにしても、元に戻るにはおそらく50年、100年と長い時間がかかるでしょう。その間とりあえずどう生きたらいいのか、我々は考えます。

みんな同じ水を飲んでいる──共に生きることの「デモクラシー」

ー これまで我々は一度も『テロリスト』の標的とされたことはなかった、というお話をされていたことがあったと思います。逆にペシャワール会の活動が現地の人々の生活を守る活動をしていることが知られているからこそ、時に「テロリスト」と言われる人たちからも活動が守られてきたというのは、やはり地元の人々との信頼を作ってきたからなのでしょうか。

中村: そうですね。水は生命の源です。「テロリスト」であろうが、泥棒であろうが、毎日ご飯を食べ、水を飲む。善悪を超えて、水は生きる絶対条件です。狂信的な集団が政治的信条に基づいて行動しているのはその通りだけれども、事情の伝わり方が、少し違う。日本でも、同じ職場やクラスで、共産党だから自民党だからといって、反目し合うことはないじゃないですか。例えばクラス会の時に会ったら、そこは別にして、和やかにやっている。それと似ているんですよ。その地域に入ると、同じ家族から出稼ぎで国軍兵士にもなり、タリバンの傭兵にもなる。もちろん村全体として特定の勢力に対するシンパシーはあるけれど、中に入れば、敵対関係は存在しない。

ー 人を何かのカテゴリーで分けないで、村の一員である、というところで共有する視点があるということでしょうか。

中村: そういうことです。平和運動をやっている人にも時々「官僚というやつは」と言うタイプの人がいる。しかし、官僚として働いている人の中にも、決して今の体制がいいと思っている人ばかりではない。むしろ変えるべきだと思っている人も、たくさんいるわけです。そういう人まで色分けして、「あいつらは」と言うと、カチンとくるわけですね。そこで対話の糸が切れてしまう。

ー そうやって分けた瞬間に、対話の糸口が見つけられなくなってしまうんですね。気づかされるのが、テロ事件がある時にアメリカ政府、そして日本の政府は「テロに対して、毅然とした態度をとる」と言います。以前オバマ大統領は、「テロリスト」は、人類そのものの敵だという旨の発言をしていました。そこには同じ人間であるという視点はなく、対話することがそもそも出来ない相手であると最初からみなしているような気がします。

中村: 全くおっしゃる通りです。はじめから敵を作り上げている。そういう悪循環を強めることにしかなっていない。

ー その悪循環をどうやって抜け出すのか、ペシャワール会の活動の、一緒に生きる基盤を共有して作り上げることで、何とか生きられる状況をつくっていくことが大きなヒントだと感じます。

中村: そうです。昔から「共に生きる」と言います。100人の人間が居れば100人の性格があり、一人一人個性がある。違っていても、一緒に生活できますよという基盤を作っていく。それが僕は、本来の「デモクラシー」なのではないかと思います。

改憲が変える、現地の支援活動への影響

ー これから7月に参議院選挙が待っているわけですが、新聞の報道によると、三分の二以上を与党が取る可能性が高いとのことでした。そのことによって自民党改憲草案による改憲が現実のものとなれば、9条だけでなく、日本国憲法の平和主義の理念が、変わるかもしれない分岐点にいます。11月には南スーダンへの派兵も決まっています。そうした状況の中で、ペシャワール会の方々の現地の活動に何か変化は起きるのでしょうか。(注:2016年6月22日 収録)

中村: 直ぐにはなくとも、やっぱり微妙に影響してくると思います。有事に自衛隊が出動するのは、過去にアフガニスタンにNATO軍が出動したと同じような状況です。前例がすでにあります。あれをやると、かなり確実に影響があると思います。

ー アフガニスタンにNATO軍が支援活動として出動した時に、現地の人々によるNATOの国々から来た救援隊への信頼は勝ち取れなかったのですか。

中村: 信頼どころか、ボロボロです。敵意を煽っただけです。だいたい、殺しながら「助ける」という法はない。うちでも、一人誘拐されて犠牲者が出てしまいました。もしあの状況で自衛隊が来たら、犠牲者が増えたでしょう。
 軍事行動に消極的なことで、私たちは助かってきたのです。自衛隊が駆けつけ救護に行くとなっても、それをどのように指揮するかというのも、現地の人の必要に即して出来るのかというと疑問が残ります。

「正義」とは人の命を守ることである──憲法の理念

中村: 君たちは西部劇というものを見たことがありますか。

ー マカロニウエスタンとか。

中村: マカロニウエスタンはまだマシです(笑)。アメリカの西部劇はだいたい決まったパターンで、白人が野蛮なインディアンを征服する物語です。野蛮人の巣窟に砦があり、勇敢な騎兵隊が出撃してインディアンを懲らしめ、危険に陥った白人を救出して砦に連れ帰る。このパターンです。今と大して変わりがありません。

ー なるほど、そうしたある種のフィクションというか、物語に沿って複雑な状況が単純に理解されてしまう。「悪くて、野蛮なインディアンを懲らしめる」という物語に沿えばあたかも全てが許されるような。

中村: 全くフィクションです。

ー しかし今無自覚にメディアを見ていると、そうした見方だけしか出来なくなって、そのある種の物語に沿わない報道に対しては逆に疑問を持ってしまうようなことが起きてしまっているかもしれません。そうした時に、「正しさ」や「正義」とはなんだろう?という疑問が出てきてしまいます。

中村:「正義」というのは人の命を尊重すること。それが、憲法です。

ー「国が守るべき、根本のルール」という言葉の本当の意味での「憲法」ですね。人の命を尊重すること。その意味で言えば、敵を倒した者が正義なのではなくて、「敵」を敵ではない者に変えることが出来る可能性を持つのが、本当の日本の平和憲法の価値なのかなと思っています。

中村: うん、そうだと思います。

ー 中村さんが講演でも「丸腰が一番強い」というお話をされていました。

中村: それも語弊があるんですけどね。見方を変えれば、現地の我々は「武装集団の一つ」とも言える。兵農未分化ですから。千人が我々と一緒に働いているとして、いざというときにはその千人は一緒に戦えるのです。日本人ワーカーがいた時も、見えない武装警護は常にあったのです。その意味では丸腰というのは語弊があります。

ー「丸腰」というのは、「こちらからは攻撃しない」ということですね。

中村: そういうことです。誰とでも仲良くする。あるいは、諍いがあっても、武力を使わずに、交渉でなるべく解決するということです。

本当の意味で憲法9条はまだ、守られたことがない。

ー 平和憲法を守る、集団的自衛権は必要ないと言うと、「攻撃されても何もしない」ことだと誤解する人が多かったです。攻撃を受け、守るため自衛の行動を取るのが個別的自衛権と、他の国が攻撃を受けた時に、その防衛に加わるのが集団的自衛権ですが、その辺りを誤解している人が多い印象でした。

中村: そうですね。戦争の現実を知らずに勇ましいものに憧れる。好きなんですね。本当に故郷や家族を守るために戦うというならば、みんな狙撃の練習をして、ゲリラ戦に備えるくらいの覚悟がなくてはいけない。それがあるのか。私は敗戦直後に育ちました。当時はまだ戦地の生き残りが社会の中堅に沢山居ました。「わしらはお国の命令で戦った。御上がそう言ったから、自由を手放してまで戦地に行った。しかし、もうこりごりだ」という、実体験に根差した心情と、国家の戦争に対する懐疑が、憲法9条成立の背景にあった。
 その後本当の意味では、私は憲法9条というのは、まだ守られたことがないと思います。いっぺん日本国憲法を守る努力をして、それから議論するべきです。
 保安隊ができたり、警察予備隊ができたり、その都度の国際情勢で、言葉だけいじりながら、なんとかやってきた。しかし敵対条件をつくらないというのが憲法の精神で、それが一番いいんですよ。我々は誰とでも仲良くする。来ればどんな「テロリスト」とでも交渉しますよ。

ー 中村さんの講演の中で、「どんな人にもある良心と手をつないでいく」という言葉がありました。

中村: そうだと思いますよ。だから、同じことの裏返しでしてね。ある政治的主張だとか、グループの属性でその人を判断しないということです。

未来にどんな社会を望むのか。

ー 中村哲さんの活動は、実は少なくない若い人に知られています。ASIAN KUNG-FU GENERATIONという有名なロックバンドの後藤正文さんという方が、中村哲さんの活動を知って、憲法と言ったものの理念を知ることができたということを発言されていました。SEALDsの中にも、それで中村哲さんを知ったという人が多いんです。

中村: そうですか、私はその方面に詳しくなくて。(笑)

ー そうした中で、もし今日本の若い人に何かメッセージがあるとしたら、何を伝えられるでしょうか?

中村: まず、年寄りの戯言には付き合わない。(一同:笑)

中村: 君たちは、年寄りの後始末を担わされている。今まで成長、成長でやってきて、羽振りが良いことを至上の価値とした結末を知るべきです。
 経済成長を続ければ何とかなると思ってはいけない。とんでもないことが待っているんだということだけは、訴えたい。別のベクトルを見つけ出して、より人間らしい健全な方向へ向かっていく方がいい。それでは企業収入が減るだとか、羽振りが悪くなるだとか、あるでしょうけれども、私はもっと別の生き方があるような気がしています。それを、「原発の電気を止めたらエアコンが使えず、年寄りが死ぬ」だとか、「他国が攻めてきたら黙って殺されるのか」とか、すぐそういう目先の議論にすり替えるから駄目なのです。「富国強兵」は、さんざん犠牲者を出した末に、もう賞味期限切れなのです。それとは異なる別のベクトル──人と人、人と自然が調和する世界をひらくことを目指し、徐々に社会が変わっていくことを期待すべきです。

ー 最初は何もなかったアフガニスタンの砂漠に、3、4年の年月水路を作ろうとすることで実際に水が通り、木が生え、緑地になり収穫出来るまでになる、ということが現実に行われているのだということを知ると、社会が変わるということも本当に可能なのだと思わされます。

中村: そうなんですよ。基礎がしっかりしていれば、例え始めはしょぼい木で、こんなもの本当に実がつくのかと思っていたものが、だんだん成長して行って、今はもうあの木は、15mですよ。

ー それは、何年ぐらい経って?

中村: 6年。

ー 6年でですか!そこまでに至る道は想像するだけでも簡単ではないことがわかりますが、それを現実のものとして来られて、まだ先を見据えて行動をされている。本当にすごいことです。

未だ本当には試されていない「平和憲法」が示すもの

ー SEALDsのメンバーは全員平成生まれで、バブルが弾けてもうこれから、上向きになることは何にもないと言われ続けた世代に生まれています。そんな中で、何かの活動をすることは無力なのかと思うことも多いのですが、しかし、文字通り砂漠に水を通し、緑を生んでいるペシャワール会の活動を考えると、まだまだ多くのことが可能なんだと気付かされます。

中村: 平成はバブル真っ盛りの時代でした。自分は殆ど日本に居ませんでしたが、拝金主義の最盛期でした。バブル後、せっかく健全な世界に向かおうとした時代に、架空の富を失った人びとが嘆いていただけです。あの頃を考えると、なんで悲しんでいるのか、弾けて良かったのではないかと思う。少なくとも、この日本の豊かな自然──こんな豊かなところ、世界中にないです。この国土さえきちんと守り、我々が気立ての良い人びとであれば、絶対に生き延びることができる。「気立てが良い」という意味は、人と喧嘩せず、殺しをせず、盗まないということです。金を使い、武器を使い、人を殺し、欺いてでも会社の羽振りよくする・・・・。そんな忙しいことしなくたって生きていく道がある。経済、医学、農業、全ての分野が変わらざるをえない時代が、きっとそのうちくると思います。

ー そのベクトルを示してくれるのは、本当の意味での憲法の理念なのかもしれません。そこには他者と共に生きて、平和を創りだすということが、ベクトルとして示されています。

中村: まだそれは、本気で試されたことがない。いきなり、あまりに理想論だとか、アメリカが作ったとかの話になる。真面目にやってみて、どうしてもダメでという、そういう段階でもないじゃないですか。警察予備隊から保安隊になり、自衛隊になり、ついに、防衛庁から防衛省に格が上がった。今までやましいところがあるから、言葉で騙しながら来た。しかし、そのやましいという気持ちさえ捨ててしまうと、大変なことになります。

関心を持つことからはじまる

ー 次の一歩、ということのヒントでは、講演会の時に若い人から「自分は何かをしたいんですけれども、何をしたら良いですか?」というかなり大掴みな質問がありましたけれども、中村さんはそれに対して、「何もしないのではなくて、何かに対して関心を持ち続けることです」、それがはじまりの一歩になるということをおっしゃっていました。何かに対して関心を持ち続けて、調べてみたり、人に話を聞いてみたりすることが道を切り開く一歩になるという。

中村: その通りですね。だいたい我々でも、そうではないですか。これを勉強したいと思って、資料を買ったりしますよね。だいたいほったらかしにされています(笑)。しかしある時、自分がこれをしなくてはいけないと開いてみる。こういうことから始まるというのは、割と普通にあるのではないかと思います。やっぱり関心があれば、いつか花ひらくことになる

ー 面白かったのは、中村さんも、もともとは昆虫学をやりたいと思われていたけれども、医学部に進まれて、その後昆虫への関心から、アフガニスタンにたどりつかれて、いまこうして医療活動、人道支援活動をされているということでした。そのように繋がっていくということなんですね。

中村哲さんの学生時代の運動──暴力ではない道を

ー 中村さんは学生時代、1968年米軍の原子力潜水艦エンタープライズ号が佐世保に入港して、それが核の持ち込みであることや、佐世保からベトナム戦争へ加担することになるとして反対運動が起こった時に、その活動に関わられていたとお聞きしました。こうした当時の学生運動と、私たちの活動はよく比較されたりすることがあるのですが、中村さんが関わっていた活動はどのようなものだったのでしょうか。

中村: 話せば長くなりますが、似た点と違う点があります。あの頃、原子力潜水艦がアメリカ政府の政策で、長崎の佐世保港に寄港しました。意図的に「日本人の核アレルギーを取る」と、堂々と宣言していた。その頃までは、長崎の原爆の余韻が人びとの記憶に鮮やかでした。原子力と聞くと、みんな「なんてことを」というムードがあった。長崎の人は当然怒りますよね。日本政府はそれに対して、沈黙していました。賛成だと言えば、暴動も起きかねなかったからです。一般的な市民の感覚としては、当然猛反対です。あの当時私は、学生自治会の役員で指揮を執る立場でした。反対運動をする人たちを佐世保に送り込むのが任務でしたが、国鉄、今のJRが佐世保線をタダで乗せてくれました。その後、1968年6月2日、米軍のジェット機が九州大学の構内に落ちたことがありました。

ー 2004年の沖縄国際大学での米軍ヘリコプター墜落事件を思わされます。

中村: この事件で校内では意見が分かれました。ジェット機は何と、建設中の電算機センターの上に落ちて、宙づりになったのです。そのジェット機の残骸を工学部は、「早く降ろして建て直さないと九大は他よりも十年遅れをとる」と言い、文学部の方は「悪しき記念塔として、末代まで語り継ぐ」という意見でした。
 学生の多数が文学部の意見に賛同し、私たちは実力で「記念塔」を守っていました。そうした流れの中で、ごたごたがあった。しかし、賛否を超えて、それなりに筋の通った論議だった思いますよ。科学技術の本質、暴力の是非、学問の意味など、本質的なことがずいぶん討議されました。ただその後、非常に先鋭な思想を持つ人たちが思想集団を形成して行き、「これは日本革命のきっかけだ」と言うようになっていた。そのへんが、私はついていけなかった。そのために内部で暴力抗争をし、教授を閉じこめて吊し上げる。自分たち古い日本人の感覚からすると、先生を吊し上げることなど、まずありえなかった。奪回すると「反革命だ」と言われる。それで、これは違った人種だと、距離を置くようになった。そういうことはありましたね。

ー 何かおかしいことをおかしいというのは正しいことだけれども、それで暴力になるというのは…

中村: 国家の暴力=戦争と同じです。目的が暴力という手段を正当化するということはないと思います。

痛みに耳を傾けて、必要とされる支援をすること。

ー その後、先生は医学部を卒業された後、最初に医師として活動されたのは精神科医としてということでした。

中村: そうです、精神科医です。

ー その精神科医としての経験が、中村さんが現地の人の心を理解しようとして、あくまでそこに生きる人々が必要とする支援をするという姿勢に繋がっているのかなと思いました。

中村: それは大きかった。精神病患者の妄想は、事実とかけ離れた思い込みです。しかしそれを「おかしい」と決めつけると、対話が途切れてしまいます。おかしいとは思っても、それを聞くということでしか治療は成り立ちません。この経験は大きかったと思います。ある主張を頑と述べられても、それがその人の100%全てかというと、決してそうじゃない。その人の中にはそれに反対する気持ちもある。身の回りを気にするとか、追い詰められた気分とか、色々なことがあって、その時々に応じて、ある一つの主張が出てくるわけです。だから、背景を知った上で総合的に人を理解するという精神科医の訓練には、ずいぶん影響されました。

ー その人がなぜ、どのように苦しいのかをしっかりと聞くこと、それからその人が必要としている支えをする。その支えも、決して頭ごなしに一時的な答えを押し付けるのではなく、どうしたらその人自身が生きやすいようになっていくかをまず考えていくんですね。

中村: そうです。それはあらゆることに通じると思っています。

時間をかけて共に生きる「政治」を作ること

ー まだまだ色々な事をお聞きしたかったのですが、最後の質問をさせて頂きます。今、日本では投票率が52%ほどだと言われています。この数字を見ると、人々の間で政治というものは、政治家の人に任せるものという感覚があるのかと思います。しかし、中村さんの話を聞くと、「政治」とは人任せに出来るような狭いものではなく、自分たちの生きる場所をちゃんと作っていくということ、誰かと共に生きることが出来るようすることだと思えます。そこで、中村哲さんが今の日本をめぐる政治の状況について、お考えになっていることをお聞かせ頂ければ幸いです。

中村: 後の時代になって正しいと思うことをした人は、いつも少数です。大抵の人は中間に居て、雲行きを見ている。白黒をつけられずに、灰色の中で暮らさざるを得ない人の方が圧倒的に多い。正しい者が天下を取るとは限らず、正しいが故に滅亡するということもあります。逆に正しかった者が後で暴君になるということもある。たとえ少数であっても、良いことは良いとして実行することですが、そうした中でも違う意見を聞き、誰とも仲良くしていく。これが大事だと思うね。一般的に言われている「テロリスト」だって言い分はあります。紳士の顔をして「テロリスト」以下のことをやっている国、政権だってあります。投票率が低いと言うけれど、まあ徳川の幕藩体制からまだ二世紀くらいしか経っていないわけで、いわゆる、良い意味の「個人」が確立するまでには、まだまだ時間がかかるのではないかと思います。そのつもりで、鷹揚にしていたほうがいい。「負けたからどうする」と言い出すと、つい過激な考えや乱暴な行動が出てしまう。

ー 長い時間がかかるけれども、そして今は少数かもしれないけれども、正しいと思ったことをやり続けていく。そうすると次の世代になった時に育って、砂漠にさえ木が生え育っていく。

中村: 要するに、みんな気が短いんだ。「すぐに再起動」と、となっているね。

ー なるほど、長い目で考える、強い勇気をもらいました。今日は本当に、ありがとうございました。

中村: はい。みんな、がんばってやってください。

※ 2019年12月5日 追記

 2019年12月4日、35年にわたり、アフガニスタン・パキスタンで医療・灌漑・農業などの活動をされて来たペシャワール会の中村哲さんが亡くなられました。
 用水路の工事現場へ行く途中、銃撃されたとのこと、やりきれない深い悲しみをいだいております。
 ペシャワール会の活動が成し遂げていること、その活動を貫き支えた中村哲さんの「ことば」は、これからも私たちに力を吹き込み、この世界の荒廃を緑に変えていくと信じます。


POST編集部一同
ペシャワール会 中村哲医師に聞く(後編)。
http://sealdspost.com/archives/5543

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中村哲医師「共に生きるための憲法と人道支援」

亡くなった中村哲医師悼み、現地で悲しみの集会
https://www.youtube.com/watch?v=hakBxznbwTw

 平和憲法のもとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった。
 アフガニスタンで長年、人道支援に取り組んだ医師中村哲さんが現地で襲撃され死亡した。
 志半ばの死を深く悼む。

 紛争地アフガニスタンでの30年近くに及ぶ活動の中で、戦争放棄の憲法九条の重みを感じていた人だった。
 軍事に頼らない日本の戦後復興は現地では好意を持って受け止められていたという。

 政府が人道復興支援を名目に、自衛隊を派遣するためのイラク特措法を成立させた後は、活動用車両から日の丸を取り外した。
 米国を支援したことで、テロの標的になるという判断だった。
 現地での活動は続けた。

「活動できるのは、日本の軍人が戦闘に参加しないから。九条はまだ辛うじて力を放ち、自分を守ってくれている」

 2013年、本紙の取材にそう語っている。

 その後も集団的自衛権の行使容認や安保法制など、憲法の理念をないがしろにして自衛隊の海外派遣を拡大しようとする政府の姿勢を苦々しい思いで見つめていた。

 安倍晋三首相が掲げた「積極的平和主義」を「言葉だけで、平和の反対だと思う」と批判していた中村さんは、真の平和につながる道は「日常の中で、目の前の一人を救うことの積み重ね」と考えていた。

 ハンセン病患者などの治療のため1984年にパキスタン入りし、1991年からアフガニスタンでも活動を始めた。
「対テロ戦争」を名目とした米英軍の空爆や武装勢力の衝突など戦火は絶えず、大干ばつも地域を襲う。
 中村さんの目の前には常に不条理な死と苦しむ人びとがいた。

 2018年には、アフガニスタンから、日本の民間人としては異例の勲章を受けた。
 緑化のための用水路建設や、長年の医療活動が高く評価された。
 国連難民高等弁務官として難民支援に貢献し、先日亡くなった緒方貞子さんとともに、日本が目指すべき国際貢献の姿として、その光を長く記憶にとどめたい。

 今、政府は中東海域への自衛隊派遣の年内決定を目指している。
 米国が主導する「有志連合」への参加は見送ったものの、派遣の必要性や根拠に乏しい。
 米軍などの軍事行動と一体化していると見られる懸念は消えない。

 軍事的貢献に傾いていく今の姿を認めてしまってよいのか。
 中村さんの志を無駄にしないためにも、立ち止まって考えたい。


東京新聞・社説、2019年12月5日
中村哲さん死亡
憲法の理念を体現した

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019120502000166.html

現地で活動を続けさせたもの

ー 私が小学生の頃、いわゆる「イラク戦争」(2003年〜)が始まり、それをニュースで見て初めて「中東」という世界を意識しました。それでも、やはり自分とはすごく遠いところというイメージがありました。中村哲さんがパキスタン、アフガニスタンという土地に行かれたきっかけとは、どういうものだったのでしょうか?

中村: いきさつですか。あまり大した理由はないんですよ。私は1978年、ヒンズークッシュ遠征隊の山岳隊員として現地に行きました。山や昆虫に興味があったのです。それが初めてでしたが、何年かして、たまたまそこで働いてくれないかという話があって、喜んで乗ったのです。山登りがきっかけで、あの地域が気に入ったということです。その時は「人道支援」なんて大きなことは考えていなかった。1983年当時発足した「ハンセン病コントロール計画」への協力が主な任務でした。初めはあそこで働いてみたいという単純な動機でしたが、次から次へといろんな出来事があって、帰るに帰られず、つい活動が長くなってしまったのです。

ー 帰りたいと思うことはありませんでしたか。

中村:もちろんあります。5人の子どもがいて、その教育のことや生活もある。そういうことを考えると帰りたいと思うのが人情で、何度もあります。しかしその都度、帰れない事情が発生して長くなっていったのです。

ー そこで困っている人を見つけたということですか?

中村:困っている人ならどこでも居ます。それだけではありません。こうした活動は、続けたいと思っても、出来ない場合の方が多い。自分の生活が成り立たない、資金がない、周囲が反対する、協力者がいないとか、色々な事情で続けられないのです。自分の場合、恵まれているのか、損しているのかは別として、そうした条件が揃っていました。だからこそ、続けられたのです。気持ち一つで何もかもが決まる訳ではありません。似たような思いを持って、それが果たせずに過ごしている人は沢山いると思います。

ー そうだったんですね。中村さんの本や、講演を聞いて感銘を受けて来たことは「ハンセン病」といった病気を個別に治すだけでは根本的なことは変えることができないということで、ならばその場で生きる条件を整えるために、水路を作るようになったということです。

中村: いや、ハンセン病治療だけでも十分意味はあります。問題になったのは、飢餓が蔓延する中、赤痢やコレラなどの腸管感染症による小児の死亡です。医療関係者なら、行けばわかります。日本のように恵まれた診療は、逆立ちしてもできない。ものがない、お金がない、電気がない、ないないづくしで極貧の状態です。限られた資金で効果を上げようとすれば、病気にかからないようにする方が早いのです。

向こう側に立って見る

ー 少量の高価な薬での診療よりも、井戸や水路を作り、綺麗な水の確保を選択した理由は何だったのですか?

中村: 現地は感染症で亡くなるケースが非常に多い。子供の死因の6・7割はおそらく感染症です。そして、その背後に栄養失調による抵抗力の低下がある。要するに餓死です。殆どが自給自足の農民ですから、水がないということは、食べ物が作れず、飢餓を意味します。綺麗な飲み水と農業用水を確保するだけでも、かなりの人が助かります。

ー それまで砂漠だったところが、中村さんたちが水路を作った後に緑地、森と言っていいような木があって、水がさわさわと流れている。その経過を写した写真を見た時には講演会でもどよめきが起きていました。あの水路は、中村さんの故郷、九州の筑後川で水を治めるために使われている山田堰の技術を用いていらっしゃるそうですね。近代的な機械を用いてコンクリートで固めて水路を作るのではなく、柳の木を用いるような日本の江戸時代頃からの古い技術を使おうと思われたきっかけを知りたいです。

中村: コンクリートが決して悪いわけではありません。現地の人の立場をよく理解することです。日本と異なり、行政を頼りにできない自治社会です。水利施設の管理も自分たちでやります。使うのも現地の人々だし、維持するのも現地の人たちです。日本だと、この種の土木工事は国家の手にゆだねられています。豊富な財政と最新の技術で施工され、住民が直接関与することはありません。それを我々は普通と思っている。しかしアフガニスタンにはその国家組織が実質的にありません。しかも収入が極端に少ない。それに対して実情に合ったアプローチをしなければ、助けにならないということです。それがこうした伝統的な技術でした。「国際支援」一般に足りないものは、この現地から見る視点です。おそらく医療でもそうですし、農業、灌漑でもそうです。

ー 支援の後でも、そこにいる人たちが自分たちで使えて、自分たちで管理できるようにしなくてはならないということですね。

中村: そうです。日本にいると、自分たちの社会システムが当然で、全世界にあって当然だという錯覚を持ちやすい。しかしそうではない世界もある。また、そうした「遅れている・進んでいる」とか、「技術が高い・低い」という考え方もおかしい。それはそれぞれの地域と時代でずいぶん違うと思います。一般に日本人や欧米人の考えは、自分たちの生活が進んでいて、他を見るときに「かわいそうに、遅れて」と考えがちです。

ー そうなると「〜支援」というのも、ある種の押し付けになってしまって、実際にそこにいる人の生活と、かけ離れたような支援になっている構造になってしまう。

中村: 以前、国連の団体がトイレを作る運動していたことがありました。動機は決して悪い訳じゃない。子どもの病気を減らしたい、だから清潔なトイレを備えて感染症を減らそうというのです。しかしそれが実際に現地で役立つかとなれば、別の話です。昔の日本のように、尿も便も貴重な肥料です。お金をかけてトイレを沢山作っても、業者が喜ぶだけで、人びとの間に広がりません。似たようなことが、他の支援でもあるんじゃないかと思います。

ー 的外れかもしれませんが、そうした視点には中村さんの山登りの経験が生きているのかと思いました。何もない場所や状況の中で、自分でどうにかする自立の精神のようなものが活きているのかなと、ふと思いました。

中村: それもあるかも知れませんが、「時代」に鍛えられました。物のない時代に育ち、工夫しないと欲しいものが手に入らなかった。それに今よりは寛容な環境でした。最近のように、あらゆることにお膳立てとマニュアルが整っている状態ではなかった。例えばJRのアナウンスです。「ホームと電車の間に隙間がありますから、小さいお子様連れの方は手をつないでお降りください」とか、当たり前のことをしゃべりすぎます。(笑)事故があると周囲から責められるので、対策を講じたという一応の実績を言葉で作る。その結果マニュアルがやたらに生産される。君たちはかわいそうにマニュアルだらけでしょう?(笑)昔はもうちょっと自由だった。「若気の至り」という言葉もあって、「若いもんは先があるから、少しの過ちくらいは・・・」で済んでいたことが、最近はマニュアルから外れると、寄ってたかって責める。等質であることが強制されるのです。そういう意味ではね、昔の方が自由にものを考える余地があったのかなと思います。

ー 私がちょうど大学四年生の時、就職するか、進学するかに迷っていた時期に、中村先生の講演会を中野でお聴きした時のことを思い出しました。その時、私と同じように就職に悩んでいるらしい人がこう質問していたんです。「自分は海外に行って、ボランティアをしたい。世界を見て回りたい」、「けれど、もし今行ってしまったら、もう生きていけないんじゃないかと、悩んでいます。」みたいな質問をしていました。すると中村さんがその時にも、「それではまず働いてみて『あ、こんなもんか』って思って、それでもやろうと思えばやればいいんじゃないの?昔は、『若気の至り』っていう言葉があってね…」という話をされていました。その言葉を聞いて、なんというか私はすごく救われたというか、「学問を続けてみよう」と思えたんです。

中村: 前もって決めすぎるんですね。個人の定めはそんな先まで分からないと思いますよ。そんなに先の先まで考えて決める必要はないと思いますね。

ー しかし、そういうお話をされながらも、ペシャワール会のアフガニスタンでの活動では、大干ばつが始まる中、水源を確保し、砂漠だった地を2020年までに緑地化するという、遠くまで先を見る「2020年の緑の大地計画」があります。

中村: あれは個人の心情や生き方を超える問題です。「意義を感じないから止める」では済まないのです。一度手をつけた時点で、否が応でも継続性が求められます。そうでなければ無責任で終わります。

ー 2000年ごろから現地で大干ばつが始まった後、水を確保するために2002年から計画され、着実に砂漠を緑地に変え、用水路を引くことで農地を作り15万人もの難民となった人々が帰還されたと聞きました。また2010年にはそこに生きる人々の拠り所となるようなモスクやマドラサ(イスラム社会の伝統的な寺子屋教育機関)を建てられたということも、本当にただただ凄いことだと思います。それでも中村さんの本を読むと、計画を進める上で数々の難所があったことも知りました。「計画を立てるのは、ものすごく簡単である。それをやり遂げるのは難しい」と言いながらも、それを実行する時の困難というのは、どういうものなのでしょう。

中村: まあ、色々ですね。最良の理解者は、中小企業の経営者でしょう。資金の調達から、そこで働く人の確保、そして当然のことながら現地が自分たちでやっていける工夫、人育てまで配慮します。理念だけでは皆生活できませんから、「その人たちがこの仕事で食べていける道」をつける事も考えます。

ー「食べていける」というのは。

中村: 生活できることです。話は日本ほどややこしくない。現地はほとんどが農民ですから、土地と水さえあれば確実に自活できる。お金がなくなったら、昔の「屯田兵制」でやれます。

我々の仕事は「平和運動」ではない

ー なるほど。そうした活動を聞くと、そこに生きる人々やその次の世代がしっかりと生きていける状況を作れば、そこに平和が訪れるのだと強く思います。ただ、今日本でアフガニスタンと聞いた時に、一般的に思い浮かぶのは悲しいことに、「テロリスト」といったような言葉です。しかし、なぜ「テロリスト」になってしまう人が出て来てしまうのか?という視点は欠けてしまっている気がします。

中村: 自分の命まで捨てるとは、よっぽど思い詰めた人達ですから、やはり、その人たちがどうしてそうなったかを見ないと、僕は片手落ちだと思います。

ー そこで生きられる状況や、自分の土地を耕し食べていけるという仕事があれば攻撃に向かうのではないという方向が見えてくるんじゃないかと思わされます。

中村: 三度の食事が得られること、自分のふるさとで家族仲良く暮らせること、この二つを叶えてやれば、戦はなくなると言います。私ではなくて、アフガニスタンの人びとの言葉です。十人が十人、口をそろえて。

ー なるほど。それを可能にすることこそが本当の「人道支援」なんだと思います。「安全保障」と言った時に、武力によって、もめごとが飛び火する前に叩き潰しておこうという発想に至りがちですが、本来の「安全保障」のあり方は、彼らは彼らで生きていけるようにする。私たちは、私たちで生きていけるようにする。そういうことなのではないかと、中村さんの活動を見ていて、思います。

中村: 全くその通りです。そういった上からの乱暴な目線が、この頃ますます強くなっている。以前からその傾向はありましたけれども、今ほどひどくなかった。「所かわれば品かわる。世の中広い。」くらいで済んでいました。現地の生活スタイルまで全部を変えないと、その人たちが幸せになれないというような傲慢さは、今より薄かった。山岳会でインドやパキスタンの僻地に行くと、全然自分と違う文化を持った人びとがいます。「世界は広い」という感想だけあり、政治宗教を語るのはタブーで、「郷に入っては郷に従え」というのが流儀でした。それぐらいで済んでいたわけですよ。女の人が顔を見せない習慣にしても、「なんか理由があるのだろう」「美人が多いせいで、男たちが妬くんじゃないか」とかね。(笑)ところが最近は、「被り物を取らないと彼女らは幸せにならない」と断定し、無理にやめさせようとする。「本人たちが嫌がるから、お節介はやめて下さい」と言いたくなります。

ー 今は自分と異なる他者を排除しよう、同化させようという方向が強くなって、「安全保障」とか言った言葉で使われてしまってると思うんですが、そうではない方向性もきっとあるはずで、それを中村さんやペシャワール会の方々が実践されていると思います。

中村: 私たちの仕事は「平和運動」ではありません。もっと日常の差し迫ったものです。医療の続きで、いわば救命活動です。しかし、結果として平和に通じるものはあると思います。

インスタントになるほど分からなくなる

ー お話を聞いてて思ったのですが、中村さんは、相手に合わせるというか、あくまで現地の環境や文化を尊重した上で付き合って内側から見ようとするということをとても大切にされています。そういう知恵は、どこで得られたのでしょうか。

中村: それは自分も分かりません。少し話がそれますが、気になることがある。日本人は、ますます性急で気が短くなっている。これも他者の理解を阻んでいる理由の一つではないかと感じています。最近の通信・交通手段の発達に支えられ、どこでも、いつでも、さっと行ける。より早く、より大量に輸送できる。昔は、そうでもなかった。私が最初に山岳会に参加した時は、福岡からパキスタンのカラチまで船か飛行機かでした。船で行けば、一か月以上かかる。そこから陸揚げして、山のふもとに着くまでにまた一か月かかる。登山活動は、三か月か四か月。だから全部で最低半年ぐらい掛けて、登山に行ったんです。しかし、今のトレッキングツアーは、「ヒマラヤ一週間コース」だとかになっている。(笑)そうやってインスタントになればなるほど、現地理解が浅くなりやすい。分かったつもりの分だけ、分からないよりも害が大きい。幸いというべきか、僕の場合は、社会全体がテンポの遅い時代からの関わりだったので、現地事情にじっくり触れやすかったと思います。

日本という国

ー 現地で活動する時に、「日本人であること」を意識することっていうのはあるんでしょうか?

中村: ありますね。本当に驚きでした。パキスタンやアフガニスタンは親日家が非常に多かった。普通の欧米人が来ても、門前払いを食らわすのに、日本人というだけで態度が変わるのです。当然、日本人というだけで何故?という疑問が湧いてきます。やはり意識せざるを得ない。

ー 何故なんでしょうか。

中村: 一つは敵の敵に対する親近感です。日露戦争や太平洋戦争など、欧米と干戈を交えた(戦争した)のはアジアの中で日本だけだった。彼らはイギリスの支配に随分苦しめられた時代があって、日本という国に親近感を抱くようになった。日露戦争もそうです。アフガニスタンの場合は、1800年代後半、南下するロシアと北上する英国、その狭間の中で生き抜いてきたという国際環境が日本と似ています。アフガニスタンは険しい山岳という自然条件、日本は極東という遠距離によって、かろうじて独立を維持してきた。英国とは三回も戦争して撃退しています。もう一つは、「ヒロシマ・ナガサキ」を必ず連想するそうです。その悲劇に対する同情、そして戦後廃墟の中から復興した「平和国家・日本」は称賛の的でした。

ー なるほど。僕はエジプトやヨルダンといった中東の国々に行った時に「日本人」であると言った時に本当に優しく接してもらったことがしばしばで、とても驚いたことがありました。ある時、何故なのかと聞いてみると、電化製品や車、そしてアニメといった文化からの親近感などもあったのですが「日本人は一度もアラブの仲間を武力で傷つけたことがないからだ」と言ってことを思い出しました。それを聞いてとても嬉しかったんですけれど、最近のニュースを見ている時に、胸が痛むんです。安保法案が通り、これから中東という地域に日本人が傷つけに行かざるを得ないかもしれない状況が起きてしまった時に、彼らにどういう風に話ができるのかなと思ってしまう。「イラク戦争」で自衛隊派遣で揺れていた2004年頃の中村さんのインタビューでは、「あの大きかった親日感情も翳りを見せている」とおっしゃっていました。では2016年になった今、現地での日本への感情はどのように変わってきているんでしょうか。

中村: うん、前ほどは芳しくないですね。ただ、古い世代がまだ生きている。強い好感を持ってくれていた世代です。しかしもう新しい世代になると、欧米の一員くらいにしか見ない者が増えています。ただ、アフガニスタンには軍服を着た日本の兵隊は来なかった、そのことは大きかった。日本だけは違うんだ。至らない点は多々あるにしても、民生支援を中心にやっているんだ。という意識はまだ強いです。

ー なるほど。そこに来た人というのは、軍人ではなく支援をしてくれた人だったと。

中村: 軍隊をくり出して人を殺めなかったことは、非常に大きかったのです。誤解から親日感情が湧いたにしても、その感情を踏みにじらなかったことが、好印象を与えたのでしょう。

ー 日本という国が、色々あるけれども、武力は行使しない国であることを現地の人は知っているということですね。

中村: うん。敏感ですよ。自分たちはどちらかというと、作業員の人々と接する中で、下々と言っては失礼ですけれども、社会の大部分を占める底辺の階層がそう見ている。それは感じます。

ー 日本にはルールというか、憲法で武力は使わないと決められているということを、なんとなくは知っているということでしょうか。

中村: 彼らは憲法9条のことなんか知らないですよ。ただ、そういう国是があるのだとは感じていると思います。

ー それが今もしかしたら、変化してしまうかもしれないことは知っているんでしょうか。

中村: 漠然とは感じているでしょう。現地の人びとは日本人以上に国際情勢に関心が強い。BBCニュースを聞くのは日常です。去年日本人がシリアで捕まりましたよね。あんなニュースもすぐ作業現場で話題になります。

ー なるほど。日本の状況はBBCといったニュースを介して、よく知られているということなんですね。


[写真-1]
ペシャワール会ホームページ 現地報告写真展〜人・水・命 30年のあゆみ〜より

[写真-2]
2010年3月、ガンベリ砂漠が、いまでは全長約25キロメートルの用水路として、1万6,500ヘクタールの緑の大地に生まれ変わった。これによって65万人もの難民たちが用水路の流域に帰農し、定住するようになった。ここで稲や麦、イモやオレンジが収穫されている

[写真-3]
山田堰の技術、柳で作った蛇籠で護岸した用水路。17万本以上の柳を植樹している。ペシャワール会ホームページ 中村医師報告書「ここにこそ動かぬ平和がある」より

INTERVIEW、May.03.2017
ペシャワール会 中村哲医師に聞く(前編)。
共に生きるための憲法と人道支援
(2016年6月22日 収録)

(インタビュー・記事構成:神宮司博基、是恒香琳。写真:七田人比古)
http://sealdspost.com/archives/5388

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2019年12月05日

[追悼]中村哲医師

 12月4日、アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた「ペシャワール会」代表で医師の中村哲さんが、現地で何者かに銃撃されて亡くなった。
 享年73歳、志半ばでの悲報だった。
 追悼のため、中村さんの歩みを記した「週刊文春」2016年9月1日号の記事を再編集の上、公開する。
 なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のものです。

◆ ◆ ◆

 私が子供の頃に暮らしていた福岡県若松市(現・北九州市)は、父と母の双方が生まれ育った土地でした。
 若松は遠賀川(おんががわ)の河口にあって、石炭の積み出しで栄えた町です。
 母方の祖父である玉井金五郎は、港湾労働者を取り仕切る玉井組の組長。
 父親は戦前、その下請けとして中村組を立ち上げ、戦後は沈没船のサルベージなどを生業(なりわい)にしていました。

 ちなみに、玉井組の二代目は作家の火野葦平です。
 彼は私の伯父にあたる人でしてね。
 彼が一族の歴史を描いた小説『花と龍』は、小学生の頃に映画化もされました。
 私は玉井家の実家にいることが多かったので、文筆業で一家を支えていた和服姿の伯父の姿をよく覚えています。



 アフガニスタン東部のジャララバードを拠点に、国際貢献活動を行う医師の中村哲さんは1946年生まれ。
 港湾労働者を組織した一族の中で、多くの人たちが出入りする家に育った。

◆ 自宅には借金取りがしょっちゅう来た

 生活の中心だった玉井の家は大きな邸宅でした。
 普段から労働者や流れ者風の男たちが行き交い、子供がうじゃうじゃといました。
 例えば私が兄だと思っていた兄弟が、よくよく聞いてみると従兄弟(いとこ)だった、なんてことも珍しくない。
 三世代、四世代が入り乱れて住んでいましたね。

 若松の家にいたのは、ほんの数年のことでした。
 私が6歳のとき、福岡市の近くの古賀町(現・古賀市)に引っ越したからです。
 後に聞いた話では、中村組の従業員が沈没船引き上げの際に亡くなる事故があったそうです。
 父は保証人倒れも重なり事業に失敗し、空き家になっていた昔の家に戻った。
 私はそこで大学を卒業するまで過ごしました。

 古賀町の家は瓦屋根の平屋で、中庭に鯉の泳ぐ池がありました。
 津屋崎(つやざき)の海岸から運ばせたという庭石が置かれ、事業に失敗して極貧に落ちた、という感じが全くないのは不思議でしたね。
 とはいえ、借金取りはしょっちゅう来て、強面(こわもて)の男たちが、家具に白墨で差し押さえの金額を書いていく。
 勉強机にも金額が書かれ、子供心に不安になったのを覚えています。

 ところが、酒豪の両親は心配するより酒でも飲もうと言うばかり。
 結局、親がクヨクヨしていなければ、子供もクヨクヨしないもので、どこにも悲壮感はありませんでした。

 しばらくして、父は家を二階建てに増築し、借金を返すために旅館業を始めました。
「ひかり荘」という旅館の名前は、伯父が付けてくれたものです。
 部屋は15ほどあり、建設業関係の客が多かったです。
 土木工事が近くであると、何か月も部屋を借りて出勤するわけです。
 考えてみれば、私はアフガンで用水路づくりの土木工事をしているので、いまもそうした人たちに囲まれて働いている。
 何とも不思議な気がします。
 宴会客のドンチャン騒ぎから避難して近所の姉の家で受験勉強をしていた

 ただ、子供の頃はそれでも良かったのですが、高校時代は辟易(へきえき)とすることもありました。
 私の狭い部屋は壁ひとつ向こうが宴会場で、試験の前日でも夜遅くまでドンチャン騒ぎが続くんですよ。

 当時の労働者には命からがら戦地から復員してきた世代が多く、彼らは酔うと盛大に軍歌をうたい始める。
 手や茶碗を叩き、踊り、大いに羽目を外すものですから、大学受験の時は近所に嫁いだ姉の家に机を置かせてもらい、勉強をしていました。



 一浪の後、九州大学の医学部に入学。
 1973年に卒業してからは、佐賀県にある国立肥前療養所(現・肥前精神医療センター)の精神神経科にまず勤務した。



 子供の頃、私は虫や蝶の観察が好きだったので、本当は農学部の昆虫学科に行ってファーブル先生のような生活をするのが夢でした。
 しかし、固い父親からすれば、昆虫学といってもただの遊びにしか聞こえなかったでしょう。

 医学部に進んだのは、医師になりたいと言えばその父の許しが得られると思ったからでした。
 その頃、ちょうど地方の無医地区の問題がクローズアップされていましてね。
 自分は医師になって日本国のために尽くしたい。
 そう言えば表向きは立派です。
 それでも昆虫学者の夢が諦めきれなければ、後から農学部に転部すればいいと考えたわけです。

 しかし実際に医学部に入ると、国立大学とはいえ高価な医学書を何冊も買わなければなりません。
 それを父が借金をして買ってくれるのを見ているうち、転部の気持ちはなくなっていきました。
 親から受けた義理、恩を立てないと親不孝になる。
 そう思い、医学部を出ようとはっきり心に決めたんです。

 最初、神経科に入ったのは、人間の精神現象に興味があったからです。
 実は高校の頃の私は極度のあがり症で、教師に当てられただけで汗がわっと吹き出し顔が赤くなる。
 女性が前に座っていると自然に振る舞えなくなり、固まって動けなくなるくらいでした。
 そのことでずいぶん悩み、それで哲学の世界を齧(かじ)り始め、読書に没頭していった過去のいきさつもありました。

 一人暮らしを始めたのは、そうして国立肥前療養所に勤務するようになってからです。
 病院は佐賀の山中にあり、周辺には空き家の百姓家が多かった。
 そのうちの一軒を借りていました。
 家は人が住まないと傷むということで、家賃はなし。
 食事は病院で食べていたので、帰ってきて寝るだけの場所でしたけれど。

 あの頃はうつ病や統合失調症の患者の話を、とにかく聞き続ける日々。
 カウンセリングでは相手の世界をそのまま受け入れ、会話するのが鉄則です。
 相手に寄り添うようにして、ただただその人の気持ちを理解しようと努める。

 その経験から私は多くを学んだと感じています。
 後にアフガニスタンで文化も風習も異なる人たちと接する際、大切なのは彼らの生きる世界を受け入れ、自分の価値観を押し付けないことです。
 単に違いであるものに対して、勝手に白黒をつけてしまうことがさまざまな問題を生む。
 そう考える癖がつきました。

ペシャワル赴任の打診を受けて

 中村さんが初めてパキスタンを訪れたのは1978年。
 以前から趣味の登山で付き合いのあった福岡登高会から、ヒンズークシュ山脈への登山に医師としての同行を依頼された。
 それがきっかけで同地に縁ができ、福岡県大牟田(おおむた)市の労災病院などに勤務した後、日本キリスト教海外医療協力会からペシャワル赴任の打診を受ける。



 福岡登高会からの依頼は、二つ返事で応じました。
 登山の期間中、医師はベースキャンプに何か月も滞在します。
 そのあいだに自然の観察ができるのが魅力だったからです。

 ヒンズークシュ山脈周辺はモンシロチョウの原産地と言われ、はるか氷河期の遺物とされるパルナシウスという蝶も生息しています。
 あの高山に本当にモンシロチョウが居るのかを、自分の目で確かめてみたかった。
 実際にベースキャンプでは充分に蝶の観察ができました。
 だから、現地赴任を打診された時も、もともと好きな地域だったので心惹かれるものがあったんです。

 結婚したのも同じ頃です。家内は当時勤務していた病院の看護師でした。



 1984年、前年にロンドンのリバプールで医療活動の準備をした後、ペシャワルのミッション病院へ妻と幼い子供を連れて赴任した。
 同時に彼の活動を日本から支援する「ペシャワール会」も設立された。



 同地での仕事はハンセン病の治療を行い、その根絶のプロジェクトを進めることです。
 ですが、私が赴任を決めた背景には、医療の他にもう一つの理由がありました。

 実はその2年前に父が亡くなったんです。
 父が生きていたら、私は老いた両親を残したままペシャワルに行こうとは考えなかったはずです。
 昔の親父というのは恐ろしい存在で、生きているうちは自分に自由がないような気持ちがするんですね。
 だから、あの厳しかった父が死んだとき、寂しいという気持ちは当然ありつつも、それにも増して「これで俺は自由になった」という思いを抱いたのです。
 人生における重しが消え、これからは自分の思い通りの人生を歩んでいくことになる。
 そんな思いが私をペシャワルへと押しやったのでしょう。

 さて、私たちが暮らしたのは、ミッション病院の敷地内にある邸宅でした。
 場所はダブガリという旧市街。以前は英国軍の宿舎や兵舎があった英国支配の本拠地で、病棟は兵舎を改築した建物でした。
 敷地内にムガール王朝時代の廟もある歴史ある街です。

家族と住んだ大きなイギリス軍将校の元宿舎

 私たちの家も以前は将校のためのもので、600坪ほどの敷地が壁に囲まれた英国風のレンガ造りの建物でした。
 建坪は200坪くらい。
 浴室も複数。
 部屋にはカーペットを敷き詰め、畳に見立てていました。
 ちなみに英国の影響を受けているパキスタン人は平気で土足で上がってくる。
 一方でアフガン人は日本人に似ていて、玄関でしっかり靴を脱ぐという文化の違いがある。
 なので、パキスタン人の来客の際、靴を脱いでもらうのに苦労した思い出があります。

 家族5人、私たちは広さだけはあるその家で、小さく生活していたということになります。
 大変なのはイギリス風の庭園で、雨がほとんど降らない土地柄ですから、水やりをしなければ芝生も花壇の花もすぐに枯れてしまう。
 これは自分たちでは維持ができず、病院が雇ってくれた庭師に手入れを頼みました。
 あと、洋式トイレにはいまもなじめませんですね。

 80年代はアフガン難民の支援のために、欧米各国の援助団体が増えた時期です。
 そのため、アメリカが出資したインターナショナルスクールがあり、私たちも子供を通わせました。
 妙な言い方ですが、当時のペシャワルは国際的な援助で活気があったんです。



 ミッション病院でハンセン病の治療を続けながら、中村さんの活動は徐々に広がりを見せていく。
 1986年からは新たな支援団体を設立し、難民キャンプでの活動も開始。
 無医地区での診療や診療所建設に尽力した。活動が大きな節目を迎えるのは2000年のことだ。



 私の活動がハンセン病の治療に留まらなかったのは、現地ではハンセン病だけを見る診療所が成り立たないからです。
 ハンセン病の多い地域は、結核やマラリア、腸チフス、デング熱、あらゆる感染症の巣窟です。
 マラリアで死にかけている患者に、ここは科が違うから帰ってくれとは言えない。
 あらゆる疾患を診察するようになる中で、ミッション病院を出て独自の活動が始まったわけです。
 そうして診療所を建てる活動を通して、アフガンの人びととの付き合いを深めていった。

 赴任から15年後、ハンセン病については国際的にコントロール達成宣言が出されました。
 その後、一斉に援助が引き上げられていきましたが、一方、アフガンでの感染症の患者は増え続けていました。
 そこで日本側からの援助が続く限り患者を診(み)続けようと、現地に活動の拠点となる新たな病院を設立したのです。

 そのタイミングで起きたのが、2000年の大旱魃(かんばつ)でした。
 当時、WHOが発表した被害は、国民の半分以上が被災し、飢餓線上にある者が400万人、餓死線上が100万人という凄まじいもので、そのとき現地で飢え、死んでいった犠牲者のほとんどは子供でした。
 水がないために作物が実らず、汚い水を飲むので赤痢や腸チフスにかかる。
 飢えと渇きは薬では治せません。
 抗生物質や立派な薬をどれだけ与えても命が救えない状況に、私は医師として虚しさを覚えました。
 そして医療活動の延長として開始したのが、診療所の周りの枯れた井戸の再生でした。

「家」と呼べるようなものはないに等しい

 3年後、中村さんは「百の診療所よりも一本の用水路」を掛け声に、大河川から水を引く灌漑用水路の整備事業も始める。
 現在、10年以上かけて完成した水路の全長は27キロメートル。3500ヘクタールを潤す。
 周辺地域の取水設備も手掛け、2020年までに計1万6500ヘクタール、65万人の農民に水を行き渡らせる計画を進めている。



 いま、私はアフガン人スタッフや時々来る日本人有志とともに、現地の宿舎で暮らしています。
 ガードを含めると15人ほどの共同生活です。
 家族はミッション病院を出る際、家内の実家である大牟田に戻りました。

 我々のようにアフガニスタンで活動する国際団体は、お金持ちの別荘のような建物を借り受けて、そこを宿舎や事務所にするのが一般的です。
 私たちも同様で、ジャララバードの宿舎では一室を私専用の部屋にしてもらっています。
 六畳くらいの部屋に机が一つ、ベッドが一つ。
 それだけの部屋です。
 夜は電気がないため、10時くらいまではソーラーパネルで明かりを付けて消灯。
 日中は用水路工事の現場にいることが多いですね。

 そのようなわけで、家族と離れてからの私には、「家」と呼べるようなものはないに等しいのですが、ただ唯一のこだわりが風呂です。
 アフガンには湯船に浸かる習慣がありません。
 しかし、1日が終わって「ああ、良い湯だな」という瞬間だけは欲しい。
 そこでイスラマバードのバザールで風呂桶を探し、宿舎のシャワー室に設置しました。
 これが現地での唯一の贅沢です。

 長年の紛争で疲弊したアフガニスタンでの工事には、時間と忍耐が必要です。
 最初はシャベルとツルハシしかありませんでしたが、土地の人びとの故郷に戻りたいという気持ちに支えられながら、工事を進めてきました。

 この事業を続けていると、水の力のすごさが分かります。
 旱魃以後、多くの村が土漠と化し、全村が難民化した村もありました。
 しかし、あるとき用水路が完成すると、噂を聞いたもとの村人が数週間後には現れ、しばらくして荒れた村にテントが並び始める。
 いずれ村長が帰村し、畑の境界線や村の秩序が以前の状態に復元されるのです。

 そのような村々の様子を見ていると、私はときおり郷愁に誘われることがあります。

 用水路が完成した流域には、緑が文字通りに戻ってきます。
 水路にはドジョウやフナが泳ぎ、鳥がやってくる。
 そして、あの稲作の様子や四季の移ろい……。
 それが日本の何でもない昔の農村風景に非常によく似ている。

 彼らの社会は8割が農民ですから、田植えや稲刈りの季節になれば、それこそ村が総出で農事を手伝う。
 農業を中心とした共同体の中で、お年寄りが大切にされているのも、生まれ育った若松市や古賀町を思い出させます。

 そして土木作業を行うスタッフと暮らしていると、あの玉井家や実家での日々が胸に甦ってくるのです。
 その意味で私にとって、アフガニスタンは懐かしい場所でもあるのかもしれません。

※ 稲泉 連/週刊文春 2016年9月1日号

文春オンライン2019/12/05 12:05
[追悼]中村哲医師
ペシャワールに赴任したきっかけは、原始のモンシロチョウを見たから

(稲泉 連)
https://bunshun.jp/articles/-/16860

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Dr Tetsu Nakamura, 73

The head of a Japanese aid agency and five other people have been killed in an ambush in eastern Afghanistan

Among the victims was Tetsu Nakamura, 73, the respected physician and head of Peace Japan Medical Services, who had recently been granted honorary Afghan citizenship for his decades of humanitarian work in the country.

“I am shocked that he had to die in this way,” Japan’s prime minister, Shinzo Abe, told a news conference in Tokyo after news of Nakamura’s death alongside five Afghan colleagues was disclosed. “He risked his life in a dangerous environment to do various work, and the people of Afghanistan were very grateful to him.”

Hundreds of Afghans posted photographs of Nakamura on their social media pages, condemning the killing and underscoring the esteem in which he was held.

The gunmen fled the scene and police have launched a search operation to arrest them, Sohrab Qaderi, a member of the governing council in the province of Nangarhar, told Reuters, adding that he believed Nakamura had been targeted for his work.

“Dr Nakamura has been doing great work in the reconstruction of Afghanistan, especially in irrigation and agriculture,” he said.

Among those killed in the attack on Wednesday were the doctor’s bodyguards, a driver and a passenger, a hospital spokesman said.

According to reports, Nakamura and team members were traveling to the provincial capital, Jalalabad, at about 8am. The Taliban denied responsibility for the attack.

Nakamura, who was seriously wounded in the chest, died shortly after, while being airlifted to the Bagram airfield hospital in the capital, Kabul, said Gulzada Sanger, the hospital spokesman.

Nakamura had headed Peace Medical Services, a Japanese charity based in Nangarhar, since 2008. He came to Afghanistan after a Japanese colleague, Kazuya Ito, was abducted and killed.

In April, the Afghan president, Ashraf Ghani, granted Nakamura honorary citizenship of Afghanistan.

Nakamura had worked in the region since 1984, initially providing aid in Peshawar, in north-west Pakistan, before opening a clinic in Afghanistan in 1991.

No one immediately claimed responsibility for the attack, the second in as many weeks targeting aid workers in Afghanistan.

In late November, an American working for the UN mission in Afghanistan was killed and five Afghans, including two staff members of the mission, were wounded when a grenade hit a UN vehicle in Kabul.

On Monday, a gunman opened fire on a vehicle in Kabul, killing two intelligence officials and wounding three others. No one claimed responsibility for that attack, but both the Taliban and the Islamic State affiliate have been behind such attacks.


[photo]
Tetsu Nakamura, who died alongside his bodyguards, driver and one other passenger when his car was attacked in east Afghanistan, is seen at a November 2018 meeting in Japan.

The Guardian, Last modified on Wed 4 Dec 2019 18.55 GMT
Japanese aid chief among six dead in Afghanistan attack
Japanese prime minister among those to pay tribute after Tetsu Nakamura is killed in deadly ambush on car

By Peter Beaumont
https://www.theguardian.com/global-development/2019/dec/04/japanese-aid-chief-among-six-dead-in-afghanistan-attack-tetsu-nakamura

A Japanese doctor who devoted his career to improving the lives of Afghans has died, after being injured in an attack in eastern Afghanistan.

Gunmen shot Tetsu Nakamura, 73, while he was travelling in a car to monitor a project, officials say.

Five Afghans were also killed in the attack, which happened in the city of Jalalabad.

Dr Nakamura headed a Japanese charity focused on improving irrigation in the country.

In October this year, he was awarded honorary citizenship from the Afghan government for his humanitarian work.

No-one has yet said they carried out the attack and the motive remains unclear.

Japanese Prime Minister Shinzo Abe said he was "shocked" by the death of Dr Nakamura while the US embassy in Kabul condemned the shooting, saying "aid workers are not targets".

The United Nations Assistance Mission in Afghanistan (UNAMA) expressed its "revulsion" over the killing.
UNAMA News
UN in #Afghanistan condemns and expresses its revulsion at the killing today of respected Japanese aid worker Dr. Tetsu Nakamura in #Jalalabad. A senseless act of violence against a man who dedicated much of his life to helping most vulnerable Afghans #NotATarget
5:17 PM - Dec 4, 2019

Attacks of this kind are fairly common in Afghanistan.

Last week, a US national working for the UN in Afghanistan was killed in a blast targeting a UN vehicle.

Research by the BBC found an average of 74 men, women and children were killed every day in Afghanistan in the month of August alone.

How did the attack unfold?

Dr Nakamura was travelling in a vehicle in Jalalabad city in the eastern province of Nangarhar on Wednesday morning when he came under attack.

He was shot on the right side of his chest and was in the process of being transferred to a hospital near the capital Kabul when he died at Jalalabad airport, officials told AFP news agency.

His three security guards, a driver and one of his colleagues were also killed, said Attuallah Khogyani, a spokesman for Nangarhar's governor.

Photos from the scene showed a white pickup truck with at least three bullet holes in its windscreen.

Who was Tetsu Nakamura?

He was born in the Japanese city of Fukuoka in 1946.

After qualifying as a doctor he moved to Pakistan in 1984 to treat patients with leprosy.

Two years later, he headed to Afghanistan, where he opened his first clinic in a remote village in Nangarhar and established a non-governmental organisation, Peace Japan Medical Services (PMS).

At its peak, PMS operated 10 clinics providing help for leprosy patients and refugees amongst others.

Dr Nakamura had also heavily been involved in the construction of wells and irrigation in villages where many suffered from cholera and other diseases because of a lack of clean water.

In 2003, he won the Ramon Magsaysay Awards, widely regarded as the Asian equivalent of the Nobel Prize.

In 2014, Dr Nakamura told news outlet the Japan Times he had taken a different route to work each day to ensure his safety.

However, he also added that the best precaution he could take was to "befriend everyone".

"I've tried to make no enemies... The best way is to befriend everyone, even if that makes people think I lack principles. Because the people are the only thing I can depend on there," he said.

"And that's surprisingly more effective than carrying a gun."

What has the reaction been?

A spokesman for Afghan President Ashraf Ghani said the government strongly condemned "the heinous and cowardly attack" on Afghanistan's "greatest friend".

"Dr Nakamura dedicated all his life to change the lives of Afghans, working on water management, dams and improving traditional agriculture," Sediq Sediqqi wrote on Twitter.

The Dutch ambassador in Kabul, Ernst Noorman, called the killing "senseless", saying Dr Nakamura had dedicated his life to the "peace and development of Afghanistan".

The governor of Nangarhar province, Shah Mahmood Meyakhail, said "all the people of Nangarhar" were saddened by Dr Nakamura's death and were thankful for the many years he spent helping the people, Tolo News reports.


[photo-1]
Dr Nakamura headed a Japanese charity and served in rural areas of Afghanistan

[photo-2]
Bullet holes are seen in the window of the vehicle

[photo-3]
The victims were in a white pickup truck

[photo-4]
Dr Nakamura has been recognised for his work

[video]
The BBC was given exclusive access to spend a week with ambulance workers in Afghanistan.

BBC, Published: 4 December 2019
Tetsu Nakamura: Japanese doctor among six dead in Afghan gun attack
https://www.bbc.com/news/world-asia-50654985

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「アフガニスタン 用水路が運ぶ恵みと平和」

 ヤッホーくんのこのブログ、読者諸氏にはもう何度も出会っておられることとは思いますが再度、「日記」を再掲しておきます:

☆ 2010年12月30日「飯盛山」
☆ 2010年12月31日「年納め」
☆ 2014年06月26日「ドーナツ外交」
☆ 2016年03月04日「慈響の調べ」
☆ 2019年06月14日「爆弾よりも食料を」
☆ 2019年10月10日「中村哲医師、アフガン名誉国民に」
☆ 同日、ふたたび中村哲医師「アフガニスタンに生命の水を」

 今日、ふたたび中村哲医師・・・

『アフガニスタン 用水路が運ぶ恵みと平和』予告編
 朗読:吉永小百合/収録時間:30分+35分
 ¥2,700円(+税)/2016-11発売
 企画:ペシャワール会/制作:(株)日本電波ニュース社
 アフガニスタンは、本来は豊かな国であった。
 2000年に大干ばつが起こるまでは、穀物自給率93パーセント、国の8割は農民であった。
 1979年末の旧ソビエト軍の侵攻によるアフガン戦争、2001年の9.11テロ事件への欧米軍による報復戦争。
 戦乱と干ばつの続く中で、中村医師とアフガン人スタッフは、「緑の大地計画」を企図して1,600本の井戸を掘り、更に独自の灌漑方式で長大な農業用水路を建設。
 砂漠化し荒廃した土地16,000ha以上を緑に甦らせたプロジェクトを、さらにアフガニスタン全土に拡大できるよう、日々奮闘し続けている。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=2rzxrCtvcys&feature=emb_logo
 アフガニスタンの大地から水が消え、多くの命が奪われていきました。
 それから15年、大地はよみがえり、再び人びとの営みが始まっています。
 それを支えた一本の用水路は、現地の農民と日本人の手で作られました。
 完成を前に、アフガニスタンから届いたメッセージです。
 遠く離れた私たちとアフガニスタンの人びと、その間に見えた一つの輝きとはどのようなものだったのでしょうか。

 幕開けは、吉永小百合さんの朗読でした。
 中村哲医師のたたかいを伝える新しいDVDです。
『アフガニスタン 用水路が運ぶ恵みと平和』、通算3作目の記録動画になります。

 2001年、米英などのアフガン空爆の下で決死の食糧支援に取り組んだ中村医師らは、その後、農業の再建に全力を集中していきます。
 鍵となるのは「用水路」。
 乾き切った大地に大河クナールから水を引き入れる。
 激流に堰を積み上げ、荒れた砂漠に長大な水路を築く。
 一見して無謀。
 なにしろ率いるのは、土木にはシロウトの日本人医師。
 重機も、コンクリートも、鋼も、専門的な技術者すらも用意できない中で、どうして用水路を造ることができるのか。
 しかし、崩壊する農業の再建がなければ、飢饉と戦乱から命を守り平和を取り戻すことはできない、そんな固い信念で中村医師とペシャワール会、そしてアフガンの農民たちの格闘が始まります。
 名付けて《緑の大地計画》。
 今回のDVDは、灌漑(用水路建設)事業に焦点を当てながら、この緑の大地計画に取り組んできた15年近い日々を振り返るものです。

 それにしても、この15年は何という闘いだったことか。
 ガンベリ砂漠に広がる豊かな緑とたわわな実りは、圧倒的です。

 DVDは、「本編・緑の大地計画の記録」と「技術編・PMSの灌漑方式」に分かれています。
 あえて技術編を置いたところに、もしかしたらこの作品に込められた意図、思いがよく現れているのかもしれません。
 今回の作品は、現地の格闘の記録を総括すると同時に、それが次の時代、アフガンの人々自身の自立した力と努力に受け継がれるべきことを強く意識して作られたものです。

 どんな思いも、どんな熱意も、どんな覚悟も、地に足の着いた技術に支えられなければ、農業を、暮らしと命を支えることはできない。
 強い倫理観と固い使命感に支えられた中村医師の実践の根っこに、技術への強い関心と信頼があることを改めて知らされます。
 “哲さん”の頭の中ではある種の技術論、技術史が形を取りつつあるのではないかとさえ、感じます。
 ただしそれは、自然を征服しようとするのではなく、自然の前に謙虚に折り合いをつけ、権力や特権を支えるのではなく、人びとの自治と結びつくことのできる、流行りの言葉でいえば持続可能な技術です。

 ぜひご覧になってみてください。
➡前2作を紹介したこのブログの記事
・『アフガニスタン 干ばつの大地に用水路を拓く』
・『アフガンに命の水を ペシャワール会26年の闘い』
https://ikejiri.exblog.jp/11480719/


練馬区議会議員(市民の声ねりま)池尻成二
https://ikejiriseiji.jp/『アフガニスタン%E3%80%80用水路が運ぶ恵みと平和』%E3%80%80/

 アフガニスタンやパキスタンで人道支援活動に長年取り組んできた中村哲医師(73)が4日、銃撃されて亡くなった。

 現地の報道などによると、中村さんは現地時間4日朝、アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードを車で移動中、何者かに襲われ銃弾を受けた。
 病院に運ばれいったんは回復に向かったが、容体が悪化し息を引き取った。
 同乗していた運転手や警備員らも死亡したという。

 中村さんは福岡県出身で九州大学医学部卒。
「麦と兵隊」「花と龍」などで知られる作家火野葦平のおいでもある。
 NGO「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表と、ピース・ジャパン・メディカル・サービスの総院長などを務めていた。

 アフガニスタンやパキスタンで30年以上にわたって、医療や農業用水路の建設などに携わってきた。
 その活動は国際的に評価され、2003年には「アジアのノーベル賞」ともいわれるフィリピンのマグサイサイ賞を受賞。
 国内でも菊池寛賞やイーハトーブ賞などを受けている。
 今年10月にはアフガニスタンのガニ大統領から名誉市民証を授与された。

 アフガニスタン大使館はホームページに次のようなコメントを掲載した。

「中村医師はアフガニスタンの偉大な友人であり、その生涯をアフガニスタンの国民の生活を変えるためにささげてくださいました。彼の献身と不断の努力により、灌漑システムが改善され、東アフガニスタンの伝統的農業が変わりました」

 中村さんは9月にいったん帰国し、用水路建設に取り組む現地職員らと農業関連施設を訪れたり、講演会をしたりした。
 その後、再び現地に入っていた。

 中村さんは1984年にパキスタンでハンセン病などの医療支援を開始。
 アフガニスタンに活動の場を移し、「飢えや渇きは薬では治せない。100の診療所よりも1本の用水路が必要だ」などとして、水利事業や農業支援に力を入れてきた。

 本誌記者もかつて中村さんを取材したことがある。
 対テロ戦争の名目で武力行使が続いていることが、アフガニスタンを混乱させていると訴えていた。

「現地は危険だと言われるが、いくら武器を持っていても安全にはなりません。現地の人たちに信頼してもらうことが大切です」

 2008年には「ペシャワール会」の男性が武装グループに殺害される事件も起きた。
 中村さんは警備員をつけるなど安全確保に注意しつつ、現地の人たちと直接ふれ合うことを続けてきた。

「診療するうちに、待合室で亡くなる貧しい子どもの姿を何人も見てきました。大干ばつに襲われ栄養状態が悪い子どもたちを救うには、医療だけでは足りません。用水路をつくって農業を支援する必要があったのです」

 アフガニスタン東部で「マルワリード用水路」の建設に2003年に着手。
 建設資材の不足などに悩まされながらも、全長25キロ超の用水路を10年に完成させた。
「緑の大地計画」としてさらに農地を復活させるべく、活動を続けていたところだった。

 70歳を超え体調も万全ではなかったが、最後まで自ら現地で動くことにこだわった。

「私は日本では邪険にされることもありますが、現地の人たちはとても優しくしてくれます。日本よりもお年寄りを大事にしているからです。あと20年は活動を続けていきたいですね」

 取材では、心配をかけてきた妻や子どもら家族に感謝する言葉もあった。

「帰国した時にお茶漬けを食べたり、風呂に入ったりすると安心します。日本に残して苦労をさせてきた家族に、罪滅ぼしをしたいと思うこともあります」

 妻の尚子さんは4日報道陣に、「今日みたいな日が来ないことだけを祈っていました」と答えたという。

 ペシャワール会は、「事業を継続するのが中村さんの意志でもある」として、人道支援活動を続けていく方針だ。


※ 週刊朝日オンライン限定記事

[写真-1]
アフガニスタンの干ばつ被害について説明する中村哲さん=2018年

[写真-2]
アフガニスタンで活動する中村哲さん=2012年

[写真-3]
中村哲さんらが乗っていたとみられる車

dot.asahi、2019.12.4 22:03
銃撃された中村哲医師 が生前、本誌に語っていた夢
「現地では優しくしてもらっている」

(週刊朝日・池田正史、多田敏男)
https://dot.asahi.com/wa/2019120400098.html

 NGO「ペシャワール会」現地代表の中村哲医師(73)が2019年12月4日、突然の銃弾に倒れた。
 苦しむ人たちに向き合い、医師の役割を超えて農業支援にも活動を広げていった中村さん。
 現地・アフガニスタンでも高く評価されていただけに、交流があった人たちは「なぜ」と言葉を失った。

 福岡市のペシャワール会事務局で4日、記者会見した広報担当理事の福元満治さん(71)は悲痛な面持ちで「正直、信じられない。無念でしかたない。この事業は中村哲という人物でなければできなかった」と語った。

 干ばつにあえぐ大地に用水路を造り、1万6500ヘクタールの農地を潤した。
 現地の住民は中村さんに「畏敬(いけい)の念を持っていた」という。

「30年以上やって現地の信頼が一番のセキュリティーだった。(事件は)アフガンのことを思うとありえないこと」

 今後の活動については、「あくまで続けるのが中村医師の遺志であると思っている」としながらも、「事業を拡大していくのはなかなか難しいのではないか」とも話した。

 中村さんは「自分は好きで勝手なことをしているので、家族には迷惑をかけたくない」と周囲に話していたという。
 妻の尚子さんは報道陣の取材に「いつも家にいてほしかったが、本人はこの仕事にかけていた。いつもサラッと帰ってきては、またサラッと出かけていく感じでした。こういうことはいつかありうるとは思っていたが、本当に悲しいばかりです」と話した。

「あまりに大きな損失」

 中村さんの生き方に感銘を受けてきた多くの人たちからは、突然の死を惜しむ声があがった。

「えっ、亡くなったんですか」

 アフガニスタンなどで人道支援をする国際NGO「JEN」(東京都新宿区)の木山啓子事務局長は絶句した。

「世界にとってあまりに大きな損失です」

 現地の人々の健康を考えるなら、医療だけではなく穀物の栽培や灌漑(かんがい)など持続可能な解決策が大切だと、日本で会った時にアドバイスされた。

「素晴らしい人をこんな形で失うなんて」

 福岡県朝倉市の徳永哲也さん(72)は、中村さんが地元の取水堰(ぜき)「山田堰」の近くに座り込み、何時間もながめていたのを覚えている。
 中村さんは同じような堰をアフガンにつくり、農地の再生を目指した。
 徳永さんは今秋、地元の土地改良区の理事長を退任。
 会の活動に協力するつもりで、4月には中村さんとアフガンの農地を視察していた。
 中村さんには武装した政府の警護者が常に付き、渋滞で止まった車をどかせるなど厳重にガードしていた。
「政府がいかに中村先生を大事にしていたか。こういう状況の中での銃撃など信じられない」と絶句した。

「活動がどうなるのか、影響は計り知れない。混乱して今は何も考えられない」

 上智大学の東大作(ひがしだいさく)教授は、2009年から1年間、国連アフガニスタン支援ミッションの政務官を務めた。
「日本人に好意を持つアフガン人が多いのも、中村医師の活動が広く知られているから。一緒に働いた若者はみんな誇りに感じていた」と話す。

 2001年の米同時多発テロ後、米英軍はアフガンを空爆した。
 タリバーン勢力は2005年ごろから息を吹き返し、2008年には国土の7割が「政府ですら危なくて行けない地域」だったという。
 干ばつも進み、水がなくても育つケシに頼るようになり、麻薬産業だけで生きる若者も増えていった。

「その中で、中村さんは灌漑事業がいかに重要かを、村長、市民、時には反政府勢力を1人ずつ説得し、進めていった。他の人にはまねできないこと」と言う。

 先日は国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんが亡くなった。

「アフガニスタンをいかに良くすべきか考えていた2人を同時期に失った。大きな損失だ」

 中村さんの著書『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る ― アフガンとの約束』(岩波書店、2010年2月)の聞き手を務めたノンフィクション作家の澤地久枝さんは、
「足元から震えがのぼってきます。東京から、できるだけのサポートをしたいと思ってきましたが何と残念なことでしょう。私自身の気持ちの整理がつかず、言葉もないというのはこのことです。でも、中村先生が何より残念でいらっしゃるでしょう」とコメントを寄せた。


※ ペシャワール会 http://www.peshawar-pms.com/index.html
※ 国際協力NGO「ジェン(JEN)」https://www.jen-npo.org/

[写真]
アフガニスタン東部ジャララバードで4日朝に銃撃された車両。日本の人道支援NGO「ペシャワール会」の現地代表で、医師の中村哲さんらが乗っていた(現地住民提供)

朝日新聞、2019年12月5日06時00分
中村医師の妻
「いつかありうるとは思っていたが…」

https://digital.asahi.com/articles/ASMD456YQMD4TIPE01V.html

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中村哲医師「アフガンの地で」

 我々(われわれ)の「緑の大地計画」はアフガニスタン東部の中心地・ジャララバード北部農村を潤し、2020年、その最終段階に入る。
 大部分がヒンズークシ山脈を源流とするクナール川流域で、村落は大小の険峻(けんしゅん)な峡谷に散在する。
 辺鄙(へんぴ)で孤立した村も少なくない。

 比較的大きな半平野部は人口が多く、公的事業も行われるが、小さな村はしばしば関心をひかず、昔と変わらぬ生活を送っていることが少なくない。
 我々の灌漑(かんがい)計画もそうで、「経済効果」を考えて後回しにしてきた村もある。
 こうした村は旧来の文化風習を堅持する傾向が強く、過激な宗教主義の温床ともなる。
 当然、治安当局が警戒し、外国人はもちろん、政府関係者でさえも恐れて近寄らない。

● 忠誠集める英雄

 ゴレークはそうした村の一つで、人口約5千人、耕地面積は200ヘクタールに満たない。
 これまで、日本の非政府組織(NGO)である日本国際ボランティアセンターが診療所を運営したことがあるだけで、まともな事業は行われたことがなかった。
 PMS(平和医療団・日本)としては、計画の完成に当たり、このような例を拾い上げ、計画地域全体に恩恵を行き渡らせる方針を立てている。

 同村はジャララバード市内から半日、クナール川対岸のダラエヌールから筏(いかだ)で渡るか、我々が3年前から工事中の村から遡行(そこう)する。
 周辺と交流の少ない村で、地域では特異な存在だ。
 圧倒的多数のパシュトゥン民族の中にあって、唯一パシャイ族の一支族で構成され、家父長的な封建秩序の下にある。

 パシャイはヌーリスタン族と並ぶ東部の山岳民族で、同村の指導者はカカ・マリク・ジャンダール。
 伝説的な英雄で、村民は彼への忠誠で結束が成り立っている。
 他部族にも聞こえ、同村には手を出さない。

 10月中旬、我々は予備調査を兼ねて、初の訪問を行った。
 クナール川をはさんで対岸にPMSが作った堰(せき)があり、年々の河道変化で取水困難に陥っていた。
 ゴレーク側からも工事を行わないと回復の見通しが立たない。
 ゴレークの方でも取水口が働かず、度重なる鉄砲水にも脅かされ、耕地は荒れ放題である。
 この際、一挙に工事を進め、両岸の問題を解決しようとした。

 最初に通されたのは村のゲストハウスで、各家長約200名が集まって我々を歓待した。
 他で見かける山の集落とさして変わらないが、貧困にもかかわらず、こざっぱりしていて、惨めな様子は少しも感ぜられなかった。

 ジャンダールは年齢80歳、村を代表して応対した。
 彼と対面するのは初めてで、厳(いか)めしい偉丈夫を想像していたが、意外に小柄で人懐っこく、温厚な紳士だ。
 威あって猛からず、周囲の者を目配せ一つで動かす。

 PMSの仕事はよく知られていた。
 同村上下流は、既に計画完了間際で、ここだけが残されていたからである。

「水や収穫のことで、困ったことはありませんか」

「専門家の諸君にお任せします。諸君の誠実を信じます。お迎えできたことだけで、村はうれしいのです」

● 終末的世相の中

 こんな言葉はめったに聞けない。
 彼らは神と人を信じることでしか、この厳しい世界を生きられないのだ。
 かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都市部の民心の変化を思い浮かべていた−−
 約18年前(01年)の軍事介入とその後の近代化は、結末が明らかになり始めている。
 アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの信義だのは時代遅れとする風潮が台頭している。

 近代化と民主化はしばしば同義である。
 巨大都市カブールでは、上流層の間で東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。
 見たこともない交通ラッシュ、霞(かすみ)のように街路を覆う排ガス。
 人権は叫ばれても、街路にうずくまる行倒れや流民たちへの温かい視線は薄れた。
 泡立つカブール川の汚濁はもはや川とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。

 国土を省みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ−−
 終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。
 見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方(かなた)を見つめる。


× × ×

「アフガンの地で」は、アフガニスタンで復興支援活動を続ける「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表でPMS総院長の中村哲医師(73)によるリポートです。次回は来年3月掲載予定。


[写真-1]
ゴレーク村の指導者カカ・マリク・ジャルダーン(左から3人目)と中村哲さん(右から2人目)たち(写真はPMS提供)

[写真-2]
ゴレーク村の対岸のシギ堰の改修工事。川幅1キロ。近年、クナール川の洪水は激しく、河道が変化し、シギ堰への取水が困難となっている(写真はPMS提供)

[写真-3]
ゴレーク村の予備調査のための交渉。中村哲さんたちが村人にクナール川でのPMSの活動の経緯を話し、洪水被害を減らし安定した灌漑ができるようにするための調査であることを説明した=10月16日(写真はPMS提供)

[写真-4]
ゴレーク村下流域のPMS作業地。マルワリードU堰と、現在も工事中の護岸工事(右側)によって安定した灌漑が可能となったベラ村農村の農業牧畜風景=11月4日(写真はPMS提供)

[写真-5]
ゴレーク村の地図

[写真-6]
中村哲医師

西日本新聞、2019/12/2 11:49
[アフガンの地で 中村哲医師からの報告]
信じて生きる山の民

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/564486/

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2019年12月03日

平塚正幸「東京カカオプロジェクト」

 東京・小笠原諸島で栽培されたカカオを使ったチョコレートが誕生した。
 その名も「TOKYO CACAO」だ。
 埼玉県草加市の平塚製菓が、国産カカオチョコの夢を16年かけ実現させた。
 2019年10月24〜30日、東京都渋谷区の渋谷ヒカリエ(渋谷ヒカリエ ShinQs/B2フードステージ/渋谷区渋谷2-21-1-B2階ShinQs Food内)で限定販売する。

 開発のきっかけは2003年。
 同社の平塚正幸社長(69)がアフリカ・ガーナを訪れ、幹にぶら下がる立派なカカオの実に感動したことだった。
「メード・イン・トーキョー」の発信力と高温の気候から、小笠原を挑戦の地に選んだ。

 2010年に初めて種を千粒植えたが、全滅。
 諦めかけた時、母島でレモンなどの栽培を手掛ける「折田農園」と出合った。
 協力して栽培方法を研究し、日照が調整できるビニールハウスも整備した。

 こうした取り組みが結実し、3年後にカカオの収穫に成功。
 実から取り出した豆の発酵や乾燥の方法も試行錯誤し、2015年にチョコが完成した。
 現在は500本の木を育て、商品化に必要な年間1トンの豆を確保できるようになった。

 チョコは少し酸味が効いたフルーティーな味わい。
 来年以降も秋に販売する計画で、平塚さんは「さらに収穫量を増やし、おいしさを追求していきたい」と話している。

 一箱二枚入りで3000円(税別)。
 二万箱限定で、一人十箱まで購入できる。
 特設サイトで予約も受け付けている。
 問い合わせは、平塚製菓=埼玉県草加市八幡町628、フリーダイヤル(0120)553550=へ。


[写真]
「TOKYO CACAO」と、小笠原産カカオの実を手にする平塚さん=埼玉県草加市で

東京新聞・朝刊、2019年10月22日
できた!夢の東京産カカオチョコ
10月24日から限定販売

(近藤統義)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201910/CK2019102202000140.html

interview(平塚製菓株式会社 平塚 正幸)

夢見ることの大切さを伝えたい

 東京カカオプロジェクトは、チョコレート屋のおやじの夢なんです。
 カカオを日本で育ててみたい、そのカカオでチョコレートをつくってみたいという、いわば私のわがまま。
 私は経営者ですから、普段は会社の利益率や現場の効率に頭をめぐらせています。
 でもそれだけでは正直つまらない。
 夢がなくちゃいけません。
 まわりからどれだけ無謀だと言われても、夢見たことのために工夫し努力する。
 そうすることで、視野は広がり、知見は深まり、新しい人間関係も生まれます。
 そして何より、できなかったことができるようになるわくわく感。
 若い人にもこの感覚を伝えていきたいなと思います。
 このプロジェクトを通じて、私の夢はさらにひろがっています。
 東京産カカオでつくったチョコレートは、きっと新しい「日本らしさ」になる。
 引き続き国内一貫生産で世界に恥じない品質を追求していきます。


カカオを日本で育ててみたい、というシンプルな想い。

 平塚製菓の社長である平塚正幸は、カカオ農園の視察のため2003年にガーナを訪問しています。
 カカオの実が幹から直接鈴なりになっている様に驚き、日本ではほとんど知られていない果物に興味を持ちます。
 最初は「うちの庭に1本あったら」と考える程度。
 でも日本でカカオを育てるには?と調べたり考えたりするうちに、興味は具体的なプロジェクトへとふくらみました。
 2006年にはベトナムのカカオ農園を訪問。
 生産者としての立場と視点での視察でした。

Made in TOKYOのチョコレートなら、きっと世界が驚く。

 通常、カカオは赤道を挟んで南北緯20度以内の地域で栽培されます。
 国内でも平均気温の高い地域がいくつか候補にあがる中、栽培地として選んだのは小笠原諸島。
 成功すれば、Made in TOKYO として世界に日本産カカオを発信できます。
 社長自ら小笠原諸島の役場を訪ね、共に栽培に取り組んでくれる地元の農家さんを探しました。
 プロジェクトに興味を持ったり、協力してくれる人が増え、国産カカオの夢はより具体的に進んでいきます。

最初の大きな挫折

 まずは種が必要です。
 そのため生のカカオを手に入れる必要がありましたが、輸入の前例がありません。
 輸入許可を得るため検疫などの各種手続きや申請に奔走し、やっと生カカオを入手。
 そこから種を取り出し、1,000粒以上を畑に植えました。
 発芽したのは167本。
 好スタートと思っていたのですが、すべて枯れてしまいます
 気候条件はクリアしていたため、原因は不明。
 日本でのカカオ栽培は、やはり簡単なものではありませんでした。

折田農園との出会い

 プロジェクト存続の危機に直面していたとき、折田農園さんに出会います。
 母島で初めてマンゴーの栽培に成功した折田さんは、小笠原の気候を知り尽くしているとともに、困難を乗り越えるチャレンジ精神にあふれた人でした。
 改めて折田さんとともにインドネシアのカカオ農園を視察し、栽培計画を再構築。
 東京カカオプロジェクトは大きな推進力を得て再始動しました。

土壌の徹底的な整備とハウス建設

 カカオにとって最適な土壌をいちからつくり直すことに。
 本土からショベルカーなどの重機を輸送し、開墾とともに水はけのよい土壌を整えます。
 また台風が多く海風も強い小笠原では屋外での栽培は難しいと判断し、ハウスを建設。
 直射日光に弱いカカオのために可動式の屋根を備えたもので、通常よりも背が高い特注品。水
 やりや温度調節など試行錯誤しながら、新しい土壌とハウスで苗は順調に育ち、木もどんどん太く大きくなっていきます。

いよいよカカオの実をチョコレートに

 2013年10月に初めてカカオの実が収穫でき、その後少しずつ収穫量が増えたため、カカオをチョコレートへと加工する工程に取り組むことに。
 そもそもカカオは、中の種を発酵・乾燥させた状態で輸入するのが当たり前でしたから、国内には発酵・乾燥の事例や資料がほとんどありません。
 どのような菌で発酵するのか、どのくらいの温度で発酵するのか、すべて試しながら、研究しながら進めることになります。
 何度も何度も試す中で、ようやく納得できる発酵にたどり着いたのは、研究開始から2年後のこと。

他のチョコレートにはない東京カカオらしい風味を実現

 収穫されたカカオの実は、毎週小笠原諸島からの船便を使ってTOKYO CACAO専用の加工場へと運ばれてきます。
 そしてすぐに新鮮な種を取り出し、発酵・乾燥させ、焙煎、ミリングなどを経てチョコレートに。
 とれたてのフルーツのような豊かな風味と酸味は、まさに東京カカオならではのもの。
 土壌を整え、種から育て、花が咲き、実が大きくなり、ひとつひとつの収穫から、発酵・乾燥の加工まで、すべてを一貫して国内で実現したかけがえのないチョコレートが誕生しました。


https://tokyo-cacao.com/

 11月14日(木曜日)に、史上初となる東京産カカオを使用したチョコレート「TOKYO CACAO」の販売を開始した平塚製菓株式会社の皆さんが、表敬訪問に訪れました。

 平塚製菓株式会社は、戦後にチョコレートの製造をはじめ、1936(昭和11)年には、現在地である草加市八幡町に自社工場を構えました。
 自社工場では、チョコレートやクッキーなどの洋菓子のOEM製造をされているほか、併設のファクトリーショップには期間限定スイーツや、訳あり品、お得な商品など工場直売店でしか買えない商品がラインアップされています。

 11月1日から2万個限定で販売が始まった「TOKYO CACAO」は、「東京産チョコレート作ってみたい」という平塚正幸代表取締役の夢を9年越しに実現したもの。
 東京都小笠原村(小笠原諸島母島)で栽培しているカカオを使用していることから、その名がつけられています。

 近年のチョコレート界のトレンド、「Bean to Bar(単一産地のカカオ豆から作る板チョコ」を超える商品を目指そうと、カカオの栽培から実の発酵・乾燥・焙煎、チョコレートの製品化までを全て国内で手掛ける「Soil to Bar」を目指した「TOKYO CACAO」は、平塚製菓株式会社の夢と作り手のこだわりがつまった、今しか味わえないこだわりの逸品。

 販売開始に当たり、平塚正幸代表取締役は「見よう見まねから始めたカカオ栽培がようやく実を結び、永年の夢だった純国産・東京産のチョコレートを販売することができました。全てを自分たちの手で手掛けた『TOKYO CACAO』の風味を楽しんでもらいたい。」と笑顔で挨拶されました。

 浅井昌志草加市長は、「平塚製菓さんにしか作れない、大人の味のチョコレートです。苦難を乗り越えて夢を実現されたことに敬服の思いです。夢を持ちながら頑張るそのマインドを多くの人びとにも伝えてもらいたいと思います」とお祝いの言葉を述べました。


[写真ー1]
写真左から平塚製菓株式会社 平塚正幸代表取締役、浅井昌志草加市長、同社 平塚みどり常務取締役

[写真‐2]
小笠原諸島母島で生産されたカカオから限定生産される「TOKYO CACAO」。カカオ70%配合で、力強い果実の香りとマイルドな風味が特徴

埼玉県草加市公式サイト、2019年11月22日
史上初!東京産カカオを使用したチョコレート平塚製菓「TOKYO CACAO」販売開始
http://www.city.soka.saitama.jp/cont/s1002/010/010/090/PAGE000000000000062533.html

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The strange tale of Japan’s prime minister

TOKYO − The guest list for a controversial state-funded party? Shredded.

Lists of visitors to the prime minister’s office? Shredded.

Journals showing the dangers encountered by Japan’s Self-Defense Forces on duty in Sudan and Iraq? Initially said to have been shredded, although they were later rediscovered.

Important papers relating to a school scandal that threatened to bring down the administration of Prime Minister Shinzo Abe? Some falsified, some shredded.

The Abe administration’s secretive approach to government papers − and an industrial-size shredder that can dispose of 1,000 pages of official documents in a single load − is dominating the headlines in Japan this week, as the opposition and media cry foul.

Abe became Japan’s longest-serving prime minister last week, but his approval ratings are falling on accusations that he used an annual state-funded party over the cherry blossom season to invite hundreds of his supporters and cronies.

On Monday, a group of opposition politicians tried unsuccessfully to gain access to the Cabinet Office to see a massive shredder, reportedly the Nakabayashi NSC-7510 Mark III, that has become the symbol of government coverup in Japan.

Initially turned away, they came back on Tuesday to test the machine and discovered that it could shred an 800-page guest list in just over 30 seconds. On its website, Nakabayashi boasts that the shredder can dispose of 550 kilograms (1,200 pounds) of paper in an hour.

Smaller shredders exist in each department of the Cabinet Office, officials say.

“One wonders just how many pages of official documents are being fed into those machines every day in Kasumigaseki, the seat of Japanese bureaucracy,” the Asahi Shimbun newspaper said in a scathing front-page commentary. “Whenever a scandal surfaces, the bureaucrats’ go-to excuse is that all pertinent documents have been ‘discarded’ or ‘cannot be located.’ Perhaps this is what they have to say to survive under the Abe administration.”

Opposition politicians argue that the guest list for an annual party held by the prime minister to observe cherry blossoms in Tokyo’s Shinjuku Gyoen National Garden in April had grown to an unsustainable size, with 15,000 people invited at a total cost of 55 million yen ($500,000) and with members of the ruling Liberal Democratic Party being rewarded with tickets.

They alleged that members of organized crime groups have been invited − as well as a businessman whose former company has been accused of defrauding the elderly through an investment scheme − to mix with politicians, diplomats, celebrities and other public figures under the blossom-laded trees. Concerns also have been raised about a reception held at a Tokyo hotel on the eve of the outdoor party.

On May 9, Japanese Communist Party member Toru Miyamoto requested that the guest list for the party be released, only to be told that it had already been destroyed to protect the privacy of the invitees.

Now, it has emerged that the 800-page document was shredded on May 9, the same day Miyamoto asked for it, with the electronic record deleted before that day.

Pure coincidence, the government insists: The shredder has to be booked in advance and simply cannot be used at a moment’s notice.

“If we can confirm the guests include people who are not qualified, there is a possibility that such an act could be illegal. In that sense, the list is part of evidence,” said Takahiro Kuroiwa of the Constitutional Democratic Party of Japan, who is part of an opposition team investigating the issue.
In the United States, the Presidential Records Act stipulates that all papers touched by the president have to be preserved as historical records and sent to the National Archives. But there is a different problem in Washington: President Trump’s enduring habit of ripping up papers and throwing them in the trash, according to Politico, which reported that a team of people is tasked with piecing the fragments back together.

Japan has long lagged behind other Western democracies such as the United States in terms of freedom of information, but it did pass a “Law Concerning Access to Information Held by Administrative Organs” in 1999.

The problem, critics say, is that the Abe administration has been systematically breaking those rules and rolling back the law’s provisions since he took office in 2012.

“It seems to be a recurring pattern of tampering with and destroying documents to hide inconvenient facts,” said Koichi Nakano, a professor of political science at Sophia University in Tokyo.

“Also, they seem to have been changing the rules in the other direction, pushing back the clock and also trying to find ways to get away with not being so forthcoming about public records,” he said. “And so this is a mixture of rule-breaking and also rule-changing.”

Nakano said this is partly a result of the personalized control of the government and bureaucracy that Abe is able to exert after more than seven years in power. But it is also a function of the prime minister’s personality, one that just becomes more apparent the longer he stays in power, he said.

“It is a sign of the prime minister’s hubris,” Kuroiwa said.

Although Japanese law stipulates that, in principle, government documents should be kept for at least a year, it allows bureaucrats discretion to destroy them before that date if deemed appropriate. That is one of the problems for the opposition, Kuroiwa said.

Earlier this month, Abe abruptly announced that the cherry blossom viewing party would be suspended next year pending a review. But that announcement has apparently not restored public trust.


The Washington Post, November 27, 2019 at 8:13 p.m. GMT+9
The strange tale of Japan’s prime minister, official documents and a very large shredder
By Simon Denyer and Akiko Kashiwagi
https://www.washingtonpost.com/world/asia-pacific/the-strange-tale-of-japans-prime-minister-official-documents-and-a-very-large-shredder/2019/11/27/f5cf5276-10e8-11ea-924c-b34d09bbc948_story.html

 国の税金を使って、首相が主催する「桜を見る会」をめぐる疑惑が深刻化している。

 政権幹部らの後援者を大量に招待して「私物化しているのではないか」という問題に加え、マルチ商法で知られる「ジャパンライフ」の元会長が招待されたり、反社会的勢力の関係者が参加したりしていた疑惑まで浮上している。

 政府は、公文書である招待者名簿を廃棄したことを盾に説明を拒んでいるが、税金の使われ方は、民主主義の根幹にかかわる。
 政府は、国民から預かった税金を公正に使用していることを説明する責任を負っており、今の政府の姿勢はその責任を放棄していることにほかならない。
 政府は、電子データの復元などあらゆる手段を講じて、国民・市民の疑問に答えるべきである。

 とりわけ、主催者であり、多くの招待客を招いている首相の説明責任は重い。

 安倍首相は11月15日に記者団のぶら下がり取材に応じ、「桜を見る会」前夜に行われた後援会の懇親会費について、政治資金収支報告書に記載のないことは「政治資金規正法上の違反には当たらない」と主張した。
 しかし、明細書などの合理的な裏付けは示されず、その後、記者団が投げかけている追加の質問にもほぼ応じていない。

 また、15日に官邸で行われたぶら下がり取材は、開始のわずか約10分前に官邸記者クラブに通知されたものだった。
 今回の問題を取材している社会部記者や、ネットメディア、フリーランスなどの記者の多くは参加することが困難で、公正さを欠く取材設定だった。

 新聞労連は2010年3月に「記者会見の全面開放宣言」を出している。
 そのなかで示した「質問をする機会はすべての取材者に与えられるべきだ」との原則に基づく記者会見を開き、説明責任を果たすことを求める。
 記者クラブが主催する記者会見の進行を官邸側が取り仕切ることによる問題が近年相次いでいる。
 公権力側が特定の取材者にだけ質問を認めたり、一方的に会見を打ち切ったりするなどの、恣意的な運用のない状態で、オープンな首相の記者会見を行うべきである。

 また、多岐にわたる疑惑を確認するには、十分な質疑時間の確保も必要だ。
 報道機関の対応にも厳しい視線が注がれており、報道各社は結束して、オープンで十分な時間を確保した首相記者会見の実現に全力を尽くすべきだ。

 2011年に民主党政権の菅直人内閣が平日に官邸で行われていたぶら下がり取材を中止して以降、首相に対する日常的な記者の質問の機会がなくなった。
 記者会見の回数も減少している。
 官邸の権限が増大する一方で、説明の場が失われたままという現状は、民主主義の健全な発展を阻害する。
 国民・市民の疑問への十分な説明を尽くすと共に、今回の事態を契機に、首相に対する日常的な質問機会を復活するよう求める。

2019年12月2日 
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 南  彰

新聞労連(日本新聞労働組合連合) 、2019年12月2日
労連声明:オープンな首相記者会見を求める
http://shimbunroren.or.jp/20191202-statement/

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2019年12月02日

永田公彦「日本の劣化が止まらない」

昨今日本でも、非人道的な暴力事件が目立つこともあり、人の心や社会の状態が悪くなっていると感じる人が多いといいます。
確かにこうした劣化を示すデータは多くあります。
その背景にあるのが格差の拡大です。
格差は、人と社会の健康を蝕みます。
そして今世界各地で見られているように社会の分断、暴動、革命、戦争に発展します。
既に劣化の段階に入っている日本…このファクトを認識し、格差是正に向けた国民的議論が期待されます。
(Nagata Global Partners代表パートナー、パリ第9大学非常勤講師 永田公彦)

所得格差の大きさと社会問題の発生は正比例する

「所得格差」と「人と社会の健康状態」の相関関係を示した調査研究は多くあります。
 その中で本稿では、体系的かつ国際的なものとして、英国の経済学者で公衆衛生学者でもあるリチャード・ウィルキンソンの研究を示します。
 すでにご存じの方もいると思いますが、図1は、2009年に彼のチームが発表したデータです。

健康と社会問題指数に含む統計指標.jpg
 横軸は、所得格差で、右に行くほど格差が大きい国です。
 縦軸は人と社会の健康状態で、上に行くほど悪く、社会問題が深刻な国です(枠線内のさまざまな指標を用い総合的に算出)。
 これを見ると、「所得格差」と「社会問題」が見事に正比例していることがわかります。
 調査対象国中、最も格差が少なく人の健康も社会の状態も良いのが日本、その正反対にあるのがアメリカです。

小格差国から中格差国へ、そして超格差国の仲間入り?

 図2は、図1の所得格差(横軸)を対象国別にならべたものです。

所得上位20%の人.jpg

 上位20%の富裕層の平均所得を下位20%の貧困層の平均所得で割った所得倍率です。
 情報源は、国連開発計画・人間開発報告書で示された2003〜06年のデータです(ウィルキンソン氏に確認済み)。
 そこで、筆者が同じ情報源にある最新データ(2010〜17年)を用いて、所得格差を国際比較したのが図3です。

図3.jpg

 日本は3.4倍から5.6倍と、10年たらずで格差が広がり、右側の高格差国に仲間入りしていることがわかります。

格差拡大で日本の劣化が進んでいる

 ウィルキンソン氏の研究結果に従うと、日本では格差が拡大した分、人の健康も社会問題も悪化しているはずです。
 これを同氏が当時使った統計データの最新版で確かめたいところです。
 しかし残念ながら継続的にとられていないデータも多く、変化を正しく捉えられないため、別のデータに目を向けてみることにしましょう。

 すると、確かに昨今の日本の劣化を示すものは多くあります。
 例えば、精神疾患による患者数は、2002年の約258万人から2017年には419万人に(厚生労働省・患者調査)、肥満率も、1997年の男性23.3%・女性20.9%から2017年には男性30.7%・女性21.9%と増えています(厚生労働省・国民健康栄養調査)。

 ここ20年間(1996年〜2016年)の刑法犯の認知件数を見ると、戦後最多を記録した2002年以降は全般的に減少傾向にあるものの、犯罪別では悪化しているものが多くあります。
・ 傷害は約1万8000件から約2万4000件に、
・ 暴行は約6500件から約3万2000件に、
・ 脅迫は約1000件から約4000件に、
・ 強制わいせつが約4000件から約6000件に、
・ 公務執行妨害が約1400件から約2500件に、
・ 住居侵入が約1万2000件から約1万6000件に、
・ 器物損壊が約4万件から約10万件に、
それぞれ増加しています。

 また2013年あたりから振り込め詐欺の増加に伴い、詐欺事件が約3万8000件から約4万3000件に増えています(法務省・犯罪白書)。

 こうした犯罪の増加も影響してか、他人を信用する割合も、2000年の40%から2010年には36%に低下しています(World Values Survey)。
 さらに、日本人の国語力や数学力の低下を指摘する調査や文献も多くでてきています。

格差はやがて社会の分断、暴動、革命に発展

 格差の拡大は、人々の倫理観の低下を招き、犯罪、暴力やハラスメント事件を増やし、ストレスと心の病を持つ人を増やします。
 それに伴い、社会全体が他人を信用しない、冷たくギスギスしたものになることは前述したとおりです。
 また、格差が人の幸福感を低くするという研究もあります(Alesina et al 2004, Tachibanaki & Sakoda 2016等) 。

 さらに格差が、社会の分断、暴動や革命を引き起こすことを示す歴史上の事実は多くあります。
 例えばフランス革命です。
 国民のわずか2%の権力者(王室家系、高僧、貴族)が国の富と権力を握り続けたあげくに起きた、社会のあり方を大きく転換させた歴史的な出来事です。

 また所得格差が異なる宗教、民族、地域アイデンティティ、政治的イデオロギーと重なるとさらに厄介です。
 紛争が起きる可能性、そのパワーや社会へのインパクトが、一気に高まるからです(オスロ国際平和研究所調査2017)。

 例えば、今の香港はその典型例です。
 一昨年には過去45年間で格差が最大に広がっています(所得格差を表す指標の1つジニ係数が、アメリカの0.411を超え0.539まで拡大)。
 これに、地域アイデンティティ(香港人と中国人)、政治的イデオロギー(自由民主主義と一党独裁社会主義)という2つの要素が重なるため、問題が根深いのです。

 この点では、日本も他人事ではいられません。

 個人間の格差は前述の通り短期間で拡がっています。
 また、
・ 「大都市圏と地方」、
・ 「正規と非正規雇用者」、
などグループ間格差も顕著になっています。
 もしこれが日本以外の国ならば、暴動や革命が起きてもおかしくない状態です。

 今こそ、こうした格差と社会の劣化を客観的かつ真剣に捉え、国民的議論を起こすべきではないでしょうか。
 なぜならば、民主主義社会における変革は、国民的議論と意思表示が出発点になるからです。


Daiamond Online、2019.12.2 4:35
日本の劣化が止まらない、「所得格差」が人の心と社会を破壊する
永田公彦:Nagata Global Partners代表パートナー、パリ第9大学非常勤講師
https://diamond.jp/articles/-/221985

 正規雇用労働者が9割を占め、「同一労働・同一待遇」も保障されるフランスに対し、日本では非正規雇用労働者の割合がついに4割を超え、正規・非正規間の格差問題が深刻化しています。
 そこで有効な格差是正策を講ずるためには、その背後にある日本人社会の文化特性を考慮する必要があります。
 今回は日本の「周りに流される」「個人の権利より組織に対する義務」という2つの文化に着目します。

正規雇用を死守するフランス

 図1は、フランスで、雇用形態別の構成比が30年間でどう推移したかを示したものです。

フランスにおける雇用形態別構成比.jpg

 黄色の無期限雇用契約(CDI = Contrat à Durée Indéterminée)が日本の正規雇用、左の有期限雇用契約(CDD = Contrat à Durée Déterminée)が非正規雇用の契約社員やパートに近いものです(なお、近いといっても基本的に異なる点も多く、これらについては後述します)。

非正規増加の背後にある
日本人社会の文化特性


 一方、総務省「労働力調査」によると、日本の正規雇用労働者の割合は、同じ30年間で、85%から62%へと右肩下がりで、逆に、非正規雇用労働者は右肩上がりに増え続け、その割合はついに4割を超えています。
 正規雇用を何とか死守するフランスに対し、日本では、国や大多数の事業主(企業、官公庁等)そして社会全体が、この正規から非正規へのシフト、両者間の待遇格差、その結果生じる日本社会の二分化と二極化を、あたかも容認してきたかのようです。


 では、なぜ日本では、わずか30年の間に、このように正規雇用が減り非正規雇用が増えたのでしょうか?

 その理由については、これまでさまざまな機関から多くの研究報告が出されています。
 しかし、その多くは、
・ 経済面(国内景気の長期低迷、市場のグローバル化による国際競争の激化や情報通信技術の高度化による人件費抑制圧力)、
・ 労働政策面(派遣労働法改正による労働規制緩和等)、
・ 社会面(若者を中心にした働き方に関する多様化、高齢労働者の増加、長時間労働など日本的労働慣行の弊害等)
からの考察です。

 こうした経済・産業・社会の構造変化とこれに対する政策面からの分析結果はどれも理があり否定するものではありませんが、筆者は、あえて文化面から、この現象をとらえたいと思います。

 日本人社会には、世界から称賛される素晴らしい文化価値観が多くあります。
 筆者は、著書「日本人こそ見直したい、世界が恋する日本の美徳 (ディスカヴァー携書、2012年12月)」でも、こうした文化価値観をさまざまな世界の声を代弁するかたちで紹介しています。
 しかし、こうした美徳の中には、場面や状況に応じて、社会に対しネガティブな結果をもたらすものもあります。
 今回はそのうちの2つに着目します。

周りに流される日本人

 この30年間、日本社会の二分化と二極化を助長してきたものとして挙げられるのが「周りに流される」文化です。

「周り」とは、世の中で広く言われていること、場の空気、社会のルール、マスコミ報道、組織の権力者、上司や同僚、競合他社の動きなど、自分の身の周りにいる人物、情報や雰囲気です。
「流される」とは、自分の信念、主義、主張や考えを持たず(または持っていても表に出さず)、周りに盲目的に(または意図的に)従うことです。
 この文化特性は、状況に応じ「付和雷同」「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」「横並び発想」「同じて和ぜず」等の言葉に置き換えることもできるでしょう。
 ここで補足しておくと、こうした言葉にはネガティブな印象があるため、日本人を批判しているとお叱りを受けるかもしれませんが、筆者は決して全ての日本人がそうだと言うものではありません(現に「周りに流されない人」を筆者は多く知っています)。

 しかし、海外から外国製の眼鏡をかけて日本人社会を見ると、欧米を中心とした民主主義国といわれる国々と比べ、日本には、こうした周りに流される人たちや場面が多いと強く感じます。
 また、「赤信号皆で渡れば怖くない」的に、周りに流された結果、社会に迷惑をかける、又は集団犯罪に至るケースも多々あります。
・「ライブドア事件」
・「オリンパス事件」
・「東芝事件」
等はその好例です。
 このように、筆者は、30年もの間、日本で非正規雇用労働者が増え続け、正規と非正規の労働者間格差が是正されずにきたのは、国や大多数の事業主(企業、官公庁等)そして社会全体が、この状況に対し、良心の呵責や怒りを覚えつつも、「周りに流され続けてきた」からであると思えてなりません。

「個人の権利」より「組織に対する義務」の日本

多くの日本人は、良くも悪くも、自分が持つ権利をあからさまに主張したり、新たな権利の獲得に向け自ら動こうとしません。
 それよりも、自分が所属する、または関係する組織(国、地域、職場、お客様企業等)から与えられた義務を、定められたルールに従順にしたがい、きちんと果たすことを優先します。
 たとえその義務を果たすことで、自分の権利が侵されるリスクを感じていても、その義務が不公正、差別的、理不尽、無意味なものと感じていてもです。
 さらに人によっては、その義務が違法なものとわかっていても、となるでしょう。

 このように日本人社会には、良かれ悪しかれ「個人の権利」より「組織に対する義務」を優先する文化特性があります。
 これが現れる典型例が、有給休暇の未消化、サービス残業の実施、前述の集団企業犯罪などです。
 また、「同一労働・格差待遇」もその典型例の1つです。
 正規雇用と非正規雇用の労働者が、同じような仕事を行う多くのケースで、こうした文化特性が現れます。

 非正規雇用労働者の多くが、賃金、各種手当、福利厚生等で正規雇用労働者より恵まれていない状況にありながら、同等の権利を要求することなく頑張って仕事をします。
 仮に、「正社員になりたい」「昇給・昇格したい」と願う人がいたとしても、こうした場面で、直接口に出して「公正な扱いではないから、正社員にしてほしい」とか「正社員と同じ待遇にしてほしい」と権利を主張せず、まずは、その与えられた組織の義務を果たし、その頑張りとか組織への献身度(組織に心・時間・エネルギーを捧げる程度)を認めてもらうことで、権利を得ようとします。

「組織に対する義務」より「個人の権利」のフランス

 これが「個人の権利」が「組織に対する義務」と対等、または状況により優先する文化にある多くの欧州諸国では、事情が大きく異なります。例えば、フランスです。

 同国の雇用形態には大きく無期限雇用契約(CDI)と有期限雇用契約(CDD)があると前に示しました。
 また、前者が日本の正規雇用、後者が非正規雇用(契約社員やかパート)に近いと示しましたが、下記のように基本的に異なる点も複数あります。

(1)無期限雇用契約(CDI)・有期限雇用契約(CDD)ともに、フルタイムとパートタイム契約がある
(パートの勤務時間要件は、一部例外を除き週24時間以上35時間未満)

(2)事業主は、一時的に発生する特別な業務や産休等で一時的に休暇をとる従業員の代替えケースでしか、有期限雇用契約(CDD)を結んではならない。
 また、その契約期間は1回の更新も含めて18ヵ月以内でなければならない(一部例外を除く)。

(3)事業主は、無期限雇用契約(CDI)と有期限雇用契約(CDD)との間で、各種手当、休暇、福利厚生、教育研修機会に関する権利について差別してはならない。

(4)事業主は、無期限雇用契約(CDI)と有期限雇用契約(CDD)との間で、「同一労働・同一賃金」の義務を負う

(5)事業主は、有期限雇用契約(CDD)の従業員に対し、雇用が不安定であることに対する手当として、契約期間中に得た額面給与総額の10%を、契約終了時(退職時)に、支払う義務を負う
(つまり、同一労働ケースでは、無期限雇用契約[CDI]よりも有期限雇用契約[CDD]の従業員の方が賃金が高くなる)

 以上のように、フランスでは、無期限雇用契約(CDI)と有期限雇用契約(CDD)等に関する権利が法的に整備され保障されています。
 これは長い歴史の中で、労働者側が主張し勝ち取ってきた権利なので、従業員が放棄することは基本的にありません。
 たとえば、「同一労働・格差待遇」の状況で働こうとはしません。
 仮に、事業主がこうした状況で従業員を働かせていたら、これは違法行為にあたります。
 従って、従業員側は、自分の権利を侵されたと告発するか、仕事を受ける代償として昇給や昇格を要求します。

 以上、今回は、日本の正規・非正規問題の背景にある、日本人社会の2つの文化特性を取り上げ、フランスの状況と比較することで、これらを浮き彫りにしました。


Diamond Online、2016.5.18 5:02
正規雇用9割のフランスと非正規4割の日本は何が違うのか
永田公彦:Nagata Global Partners代表パートナー、パリ第9大学非常勤講師
https://diamond.jp/articles/-/91321

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2019年12月01日

不沈空母

 中曽根康弘は日本へ原子力や新自由主義を導入した政治家である。
「右翼」と見なされているが、アメリカの支配層と深く結びついていた。

 東京帝国大学を卒業した後、中曽根は1941年に内務省へ入省したが、それから間もなくして海軍経理学校へ入学、海軍主計少佐として敗戦を迎えている。
 1945年10月に内務省へ戻り、翌年9月には警視庁警視に昇進するが、その年の12月に依願退職。
 1947年4月には衆議院議員選挙に出馬、当選して政界入りを果たした。

 政治家となった中曽根は河野一郎の配下に入り、そこで児玉誉士夫と知り合う。
 中曽根は児玉の子分になったと言う人もいる。
 その児玉は右翼の大物として知られていたが、ロッキード事件の際にCIAの手先だったことが判明している。
 この事件では中曽根の名前も出たが、検察は動かなかった。

 中曽根と児玉との関係を浮き上がらせる事件が1972年にあった。
 中曽根と旧制静岡高校からの友人だった東郷民安が創業した殖産住宅の株式が上場を巡るスキャンダルだ。
 この上場を利用して中曽根は一儲けを目論み、児玉が絡んでくる。
 このふたりが東郷を破滅へと導くことになった。

 その頃、中曽根は政治家の中でも「大物」になっていたが、彼が権力の階段を登り始めるのはMRA(道徳再武装運動)と関係するようになってからだ。
 この団体はCIAとの関係が深い疑似宗教団体で、岸信介や三井高維も参加。
 そこで中曽根はヘンリー・キッシンジャーを含むCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合い、1950年6月にはスイスで開かれるMRA世界大会へ出席している。

 ちなみに、その3年後、内閣調査室の初代室長だった村井順がMRAの大会へ出席するためにスイスへ向かっている。
 村井はボンでアレン・ダレスCIA長官と会い、できて間もない内閣調査室に関する助言を得ることになっていたと言われている。

 しかし、ボン空港に到着すると村井はイギリスの情報機関員と思われる人物につきまとわれ、ロンドンの税関では腹巻きの中に隠していた闇ドルを発見されてニュースになった。

 ところで、中曽根は1953年にキッシンジャーが責任者だった「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加している。
 このセミナーはロックフェラー財団やフォード財団をスポンサーにしていたが、CIAともつながっていた。

 その当時、キッシンジャーはハーバード大学の大学院で学んでいた。
 1954年に博士号を取得、その翌年にネルソン・ロックフェラーがスポンサーについたキッシンジャーはCFRの核兵器・外交政策研究グループの責任者に選ばれる。

 キッシンジャーが支配層に取り立てられる切っ掛けは1942年にアメリカ陸軍でフリッツ・グスタフ・アントン・クレーマーという人物に目をかけられたことにある。
 ドライバー兼ドイツ語の通訳を探していた第82歩兵師団のアレキサンダー・ボーリング司令官にクレーマーはキッシンジャーを紹介した。

 ほどなくしてキッシンジャーは情報分隊(後の対敵諜報部/CIC)に配属され、1946年までそこに所属。
 そこでアレン・ダレスに誘われ、創設の準備段階だった極秘の破壊工作機関OPCで働くようになる。
 最初の仕事はハーバード大学で新組織のために働く外国人学生をリクルートすることだった。
 彼が「ハーバード国際セミナー」の責任者になった理由のひとつはそこにあるのだろう。

 一方、1954年3月に中曽根は国会に原子力予算を提出し、修正を経て予算案は4月に可決された。
 その背景には、1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。

 中曽根は1982年から内閣総理大臣を務めることになった。
 1976年に逮捕された後も政界で大きな影響力を持っていた田中角栄の懐刀、後藤田正晴が内閣官房長官になったこともあり、マスコミは「田中曽根」と揶揄していたが、その実態は「岸影内閣」だとジャーナリストの山川暁夫は看破していた。
 後藤田は中曽根のブレーキ役だった。
 実際、後藤田の追い落としを狙ったと思われるスキャンダルが浮上している。

 首相になった中曽根が目論んだのは新自由主義の導入だった。
 私有化の促進と規制緩和だ。

 その象徴が国鉄の分割と私有化。
 最強の労働組合を潰すことだけでなく、国の運営を国家機関から私的権力へ移そうというわけだ。
 その後、支配層が目論んだ通りに日本の労働環境は急速に悪化、貧富の差が拡大していくのだが、同時に日本経済の地盤も崩れていく。
 それは社会の崩壊でもあった。
 その新自由主義的な政策を引き継いだのが小泉純一郎、菅直人、野田佳彦、安倍晋三たちだ。


櫻井ジャーナル、2019.11.30 05:28:12
中曽根康弘とキッシンジャー
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201911290000/

 中曽根康弘が内閣総理大臣に就任してから1年後の1983年11月、ロナルド・レーガン政権は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツに配備した。
 NATOがこのミサイルを西ヨーロッパに配備すると決めたのは1979年12月であり、ソ連は警戒を強めていた。

 ソ連は西側が先制核攻撃を準備していると疑い、1981年5月にソ連はKGB(国家保安委員会)とGRU(参謀本部情報総局)は合同してRYAN(核ミサイル攻撃)作戦を始動させる。

 そうした中、内閣総理大臣となった中曽根は1983年1月にアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙のインタビューで日本を「巨大空母」と表現して問題になる。

 同紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。

 この「不沈空母」という表現を誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。
 中曽根は日本をアメリカの空母、つまりソ連を攻撃する拠点にするという宣言したのだ。
 その時にソ連はアメリカからの攻撃に神経をとがらせていた。
 そうした情勢を知らなかったとするならば、日本政府に情報を収集する能力がないことを意味し、もし知っていたそうした発言をしたなら戦争を始めるつもりだったということになる。

 中曽根の挑発的な発言から3ヶ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。
 この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加した。
 3空母の終結は尋常でない。

 演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したともされている。

 米ソ両軍は一触即発の状態になったのだが、この演習を日本のマスコミは無視した。
 後に筆者は著名な「軍事評論家」にこの演習について質問したのだが、その演習について質問することは「政治的だ」として回答を拒否された経験がある。

 この艦隊演習の4ヶ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯している。
 NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。

 その後、航空機はカムチャツカを横切るのだが、その直前にアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行したと言われている。
 カムチャツカではソ連側の重要な軍事基地の上を飛行したが、ソ連側の交信記録によると、カムチャツカを横断する際に機影が一時レーダーから消えている。

 さらに領空侵犯機はソ連側の警告を無視して飛び続けした末にサハリン沖で撃墜されたとされている。
 通信の傍受記録を読むと、ターゲットになった航空機はモネロン島の上空で右へ旋回しながら降下したと戦闘機のパイロットから報告されているのだが、レーダーの記録を見ると左へ旋回している。
 この撃墜を利用してレーガン政権は大々的な反ソ連キャンペーンを展開した。

 軍事的な緊張はその後、さらに高まる。
 その年の11月にNATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていたのだが、これをKGBは「偽装演習」だと疑い、ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒したのだ。
 ソ連側は応戦の準備を始めた。

 この時期、アメリカはソ連に対する攻勢を強めていたが、その始まりは1979年7月にエルサレムで開かれた会議だと考える人もいる。
 出席したのはアメリカとイスラエルの情報機関に関係した人びとだ。

 会議の主催者はイスラエルのシンクタンクで情報機関との関係が深いとされているジョナサン研究所だが、その名称は1976年7月、ウガンダのエンテベ空港襲撃の際に死亡したイスラエルの特殊部隊員、ヨナタン・ネタニアフに由来している。

 ちなみに、ヨナタンの弟は現在の首相、ベンヤミン・ネタニヤフ。
 ふたりの父親であるベンシオンはウラジミール・ジャボチンスキーの秘書だった人物である。

 その会議が開かれた頃、ジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンで秘密工作を始めていた。
 アフガニスタンを不安定化させ、ソ連軍を誘い込み、そのソ連軍をサウジアラビアやパキスタンの協力で編成したジハード傭兵と戦わせようとしたのだ。
 その目論見通り、1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻した。

 こうしたアメリカの戦争に中曽根は日本を引きずり込もうとしたのだ。
 核戦争が始まらなかったのは運が良かったからにすぎない。


櫻井ジャーナル、2019.12.01 00:34:28
中曽根康弘が首相に就任した頃、米国とソ連は全面核戦争の寸前だった
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201911290000/

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2019年11月30日

「国労が崩壊すれば、総評も崩壊する」「土人女を集め慰安所開設」

 2019年11月29日に101歳で死去した中曽根康弘元首相が取り組んだ政策の一つが国鉄の分割民営化だった。
 1987年にJRが誕生した際、国鉄労働組合(国労)の組合員らはJR各社から不採用とされ、1990年に国鉄清算事業団も解雇された。
 当事者は、中曽根氏の死去に何を思うのか。

「国労所属による採用差別があった」として、約20年にわたり職場復帰を訴え続けた神宮義秋・元国労闘争団全国連絡会議議長(71)は29日正午、母の介護を終え、福岡の自宅に戻る車中、ラジオで中曽根氏の死去を知った。

あの人にはやられっぱなしだったけれど、生前の憲法改悪だけはさせんかった

 神宮さんにとって、国鉄改革は「国の形」を変える壮大な仕掛けの原点だったと映る。雑誌に載った中曽根氏の発言が忘れられない。

国労が崩壊すれば、総評(日本労働組合総評議会)も崩壊するということを明確に意識してやった

総評、社会党をつぶして改憲へという大戦略を描いていたことが分かる。そのために、最強の戦闘力を誇った国労を狙い撃ちした
と神宮さんは考える。

 国の形の一つとして、労使関係も変わった。
 労使協調が社会の主流になった。
 その端緒も国鉄改革だったように思う。

国策に徹底的に反対した国労への視線は、労働界でも『やりすぎ』と冷ややかだった。その後の郵政改革、省庁再編などで官公労はおしなべて沈黙。国労つぶしの見せしめ効果は絶大だった
と振り返った。


[写真]
東京のJR東日本本社前で行われた清算事業団職員に対する解雇に抗議する国労の抗議デモ。国労組合員ら約JR2000人が出て、すわり込みの抗議行動を行った=1990年、東京都千代田区

朝日新聞、2019年11月29日16時38分
中曽根氏の国鉄改革、「国労つぶしと改憲」
当事者はいま

(藤生明)
https://digital.asahi.com/articles/ASMCY535FMCYULZU00B.html

 中曽根康弘元首相が、101歳で死去した。
 メディアでは、国鉄民営化や日米安保体制強化などを功績として振り返っているが、負の側面も非常に大きい政治家ある。

 たとえば、現在の日本社会にもつながる右傾化・歴史修正主義の台頭や新自由主義路線の端緒となり、日本の戦後民主主義政治を歪めた張本人だ。
 こうした功罪の罪の部分も検証されるべきだが、なかでも本人が一度は告白しながら途中からダンマリを貫いたこの問題はきっちり検証するべきだろう。

 そう、日本軍の従軍慰安婦問題だ。

 中曽根元首相が戦時中、海軍主計士官(将校)の地位にあったことは有名だが、その当時、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたことを、戦後に自分の“手記”の中で自ら書いているのだ。

 しかも、これは中曽根元首相の思い違いでも妄想でもない。
 防衛省にも中曽根元首相の“慰安所づくり”証言を裏付ける戦時資料が存在している。

 本サイトでは、2014年夏、朝日新聞の慰安婦記事バッシングが盛り上がり勢いづいた右派の、慰安婦の存在や日本軍の関与までなかったことにしようという歴史修正主義の動きに抵抗するため、この中曽根“慰安所づくり”証言とそれを裏付ける戦時資料について詳しく報じた。
(ちなみに、フジ産経グループの総帥だった鹿内信隆にも中曽根元首相と同様に、慰安所づくりへの関与発言があり、やはり本サイトが記事にしている
https://lite-ra.com/2014/09/post-440.html)。

 中曽根元首相の証言は、従軍慰安婦に日本軍が組織的に関与していたことを物語る重大な証言だったが、手記出版から30年ほど経ってからこの記述がクローズアップされると、中曽根元首相は一転否定、その後ダンマリを通してきた。

 中曽根元首相には、従軍慰安婦問題とりわけ日本軍の関与について、自らの口で明らかにする歴史的責任があったはずだが、それはかなわなくなってしまった。

 中曽根“慰安所づくり”証言とそれを裏付ける戦時資料から、従軍慰安婦の存在と日本軍関与が事実であることを報じた記事を再録する。
「慰安婦は存在しなかった」というデマが大手を振って罷り通るいま、あらためてご一読いただきたい。
(編集部)

************

● 中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が

 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。
「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。
 また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。
 それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。
 それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

中曽根が手記で「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と自慢

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。
 中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。
 そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設

 まず、“手記”の話からいこう。
 中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。
 同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

 タイトルは「23歳で3000人の総指揮官」。
 当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。
3000人からの大部隊だ。
 やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。
 そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。
 かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。
 卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。
 そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである

 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。
 その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。
 2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

防衛省に、中曽根「慰安所づくり」証言を裏付ける客観的証拠が!

 このとき、中曽根元首相は、
「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」
「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」
「具体的なことは知らない」
と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。
 そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。
 だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。
 第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。
 同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。

 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。
 すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。
 そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。
 バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約2ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり

 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

インドネシアで民家だった場所を、日本軍が接収し慰安所に作り変え!

 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日〜同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。
 バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。

 そして2つの地図を見比べてみると、“ある変化”があることに気づく。
「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。
 さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。

 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 

 もはや言い逃れのしようはないだろう。
「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」
という記載。
 それを裏付ける地図。
 中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。

 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。
 そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
 つまり、中曽根首相がこうした“強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。

 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。
 さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。

 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。
 一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。


[写真]
左・中曽根元首相の“手記”が収録されている『終りなき海軍』(文化放送開発センター)/
右・中曽根元首相が慰安所を設置させたことを示す資料


リテラ、2019.11.29 07:39
中曽根康弘死去であらためて振り返る従軍慰安婦
中曽根の「慰安所つくった」証言と「土人女を集め慰安所開設」防衛省文書

(エンジョウトオル)
https://lite-ra.com/2019/11/post-5119.html

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国鉄改革に政治生命をかけた中曽根康弘

 国鉄が解体し、7社のJRが発足して30年。
 株式上場を機に、脱テツドウにシフトする会社があれば、お先真っ暗な未来にアタマを抱える会社あり。現在のリストラなど働く人たちの労働環境悪化は、国鉄解体に原点があるとの指摘も。
「電車の進化」などさまざまな切り口で30年を検証していく。
 AERA4月10日号では「国鉄とJR」を大特集。

 国鉄解体前夜、何があったのか。
 国鉄OBたちの証言をもとに、鉄道員の人生を翻弄したその実態に迫る。

* * *

 国鉄という組織ほど、政治に翻弄(ほんろう)された公営企業はなかった。

 戦前は鉄道省に属し、終戦直前に新設の運輸省鉄道総局に移管された国鉄。
 1949年6月に公共企業体としてスタートし、高度経済成長で輸送力を飛躍的に伸ばした。
 だが、自動車と航空機の時代の到来で、1964年には赤字に転落。
 借金漬けの構造から抜け出せぬまま、問題を先送りするだけの再建計画が繰り返し作られた。
 組織内の危機感は薄かった。

 国鉄当局は1970年、生産性向上運動、いわゆる「マル生運動」を導入する。
 労使が協調し経営を立て直すものだったが、当局側が現場管理職を通じ、組合脱退を強要していた事実が明るみに出る。
 翌1971年10月、磯崎叡総裁(当時)が不当労働行為を認めて陳謝すると、現場の力関係は組合側に大きく傾いた。

 国鉄時代、東京南鉄道管理局人事課に勤めていた丸山祐樹さん(70)=交通道徳協会理事=は、連日のように各労働組合と団体交渉をしていたと振り返る。

「徹夜交渉はしょっちゅう。やるかやられるかの世界でした」

● 闘う労組は国労だけ

 当時国鉄には、主要組合として国鉄労働組合(国労、組合員約24万人)、国鉄動力車労働組合(動労、約4万3千人)、鉄道労働組合(鉄労、約4万3千人)の三つがあった。
 このうち国労と動労は総評(社会党)系で分割民営化に反対、鉄労は同盟(民社党)系で労使協調路線。
 しかし1986年1月、「鬼の動労」の異名をとった動労が突然、雇用確保と組織温存のため民営化賛成へと方針を転換。
 動労は「牙が抜けた」と評され、「闘う組合」は、国労だけとなった。
 反対姿勢を貫く国労によって、職場の規律は崩壊した。
 首都圏の貨物職場で働いていた国鉄OB(60代)は言う。

「70年代半ばごろにはトラック輸送に押され貨物の仕事が減ってきました。半面、勤務時間内の作業手待ち時間が増えてきたので、国労の職員たちが何を始めたかというと、チンチロリンとかマージャン。お金はもちろん賭けていた」

 国鉄で在来線の運転士をしていたJR職員(50代)も、勤務時間中に飲酒をしていた運転士を目撃している。
 たがが外れ、現場に悪慣行がはびこっていた。
 この点について、現在も約1万人の組合員を抱える国労はこうコメントを寄せた。

「中には『好ましからざる行為』を行っていた職員もいたことは事実です。しかし、一部国鉄職員の行為があたかも国鉄職員全体の行為であるかのように恣意的にゆがめられ、悪意に満ちた喧伝や報道が行われたことが異常でした」
(国労本部書記長の唐澤武臣さん)

● クビ切りは組合で選ぶ

 そこに国鉄の不祥事が追い打ちをかけた。
 ヤミ手当の受給に、機関士の酒気帯び運転……。
 マスコミは国鉄の批判キャンペーンを展開。
 分割民営化に世論もなびいた。
 一方、国鉄では毎年1兆円の赤字が出て、出血が止まらない。
 こうして国鉄はついに解体されることになった。

 誰を国鉄に残し、誰に転職を促すか──。
 国鉄内で「選別」が始まり、水面下で「リスト」作りが行われた。

 民営化前、関西で列車乗務の仕事をしていた男性は、「50歳以上は会社を辞めてほしい」と圧力をかけられた、と振り返る。
 彼は辞め、残った同僚もすぐにJRを去った。
 最近、その理由を教えてくれたという。

「乗務が終わって職場に戻ったら、上司になった後輩から『ぼちぼち辞めたらどうや』と毎日言われる。みじめやった、と振り返っていました」

 国鉄の内部事情に詳しい国鉄OB(60代)はこう証言した。

「社員を選別する際、その一つにどの労働組合に所属しているかが重要な要素だった」

 このOBによれば、管理部門の人事担当には「K、D、T」という隠語があったという。Kは国労、Dは動労、Tは鉄労の意。
 隠語は元々、駅長や助役など現場責任者や管理者が使っていた。
 組合への直接介入は、不当労働行為に当たるからだ。
 声に出して言えない時は、指で“影絵のキツネ”を作った。逆にすると「K」に見えた。

「分割民営化の1年くらい前から『〇〇はKだ』『△△はDだ』という言葉が人事担当者間で露骨に飛び交ってた。なぜ労働組合で選別するかって? それが一番分かりやすいからですよ」

 また別の国鉄OB(70代)はこう言った。

「優秀な社員と組合運動ばかりしている人だったら、どっちを残しますか」

● 総評つぶしが狙い

 国鉄改革は、何のための「改革」だったのか。

 首相として国鉄改革に政治生命をかけた中曽根康弘氏は、国鉄解体の狙いをかつて本誌でこう語った。

「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」
(1996年12月30日号)


 ルポライターで、1986年に『国鉄処分』の著書を出した鎌田慧さん(78)は、国鉄解体の本質は
(1)民活(民間活力)
(2)国労つぶし
──この2点にあったと指摘する。

「『民活』という名で公共性をなくし、大企業が国鉄財産を乗っ取ることを考えた。そのためには、国労という最強の抵抗勢力であった労働組合が邪魔だった。そこで楔を打ち込み、壊滅を図ったのです」

 国鉄当局は1986年7月、全国に「人材活用センター」を設置。
 余剰人員と見なされた1万5千人の職員を送り込むと、草刈りやペンキ塗りなど本業とは関係のない仕事をさせた。
 センターは「首切りセンター」とも呼ばれ、将来への不安を抱いた職員が何人も自殺した。
 JRが発足すると、7628人を「清算事業団」に回し、3年後、最後までJR復帰を訴えた1047人のクビを切った。
 うち、国労組合員は966人を占めた。

 北海道名寄市の佐久間誠さん(62)は、JRに不採用となりクビを切られた一人だ。

「自分を全否定された気がしました」

 地元の高校を出て19歳で国鉄に入社、名寄保線区に配属となった。
 当時、鉄道の街と言われた名寄駅には140人近い職員がいた。
 全員が国労。
 佐久間さんも自然の成り行きで国労に入り、仕事を真面目にこなし、ごく普通の組合運動をしてきた。
 それが、理由も明らかにされず、1986年7月に「人材活用センター」に入れられ、結局、採用拒否にあった。

● 労働者の人権を軽視

 どうしても不採用に納得がいかず、1990年4月、同じくクビになった職場の仲間36人で名寄闘争団を組織した。
 慣れない建設現場で日雇いアルバイトなどをしながら生計を立てた。
 闘争団は各自の稼ぎや寄せられたカンパをプールし、再分配する仕組みを作った。
 月収は10万円程度。
 4歳と2歳の2人の子どもがいて生活は大変だったが、郵便局で働く妻が応援してくれた。

「こいつら赤旗を立てると言われ、アルバイト先を探すのも大変でした。この先どう生きていこうか、精神的に追い込まれていきました」

 それでも歯を食いしばって最後まで頑張れたのは、いわれなき差別に対する闘いでもあったからだ。
 JR不採用問題は2011年7月、国労が闘争終結を決定し、24年間に及んだ闘争に終止符を打った。
 2015年に名寄市議に初当選し、街の活性化と生活インフラの充実を訴える佐久間さんは、こう振り返った。

「失ったものは歳月だよね。労働者として一番の働き盛りに闘争の人生を歩んできたから」

 先の鎌田さんは言う。

「国鉄解体は、いまのリストラの原点。国鉄解体後、組合の力は弱くなり、働く者の生活や人権が顧みられなくなった。その結果、労働者のクビ切りが簡単に行われるようになった」

 鉄道員の人生をもてあそび、多くの犠牲から生まれたJR。
 今後どのような軌跡を描くのか。


※ AERA 2017年4月10日号

dot.asahi、2017.4.5 16:00
国鉄の解体はリストラの原点だ
(編集部・野村昌二)
https://dot.asahi.com/aera/2017040400051.html

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2019年11月29日

吉田徹×西山隆行×石神圭子×河村真実

はじめに:「白人労働者」への注目

吉田徹: ゲスト『新たなマイノリティの誕生』は、アメリカのオハイオ州とイギリスのイーストロンドンの白人男性労働者層のエスノグラフィであり、彼らの政治意識を調査した本です。帯に書かれたコピーにもあるように、彼らこそがトランプ大統領とブレグジットを現実のものとしたわけですが、著者は、こうした事象が生じる前から長期にわたって現地での調査を行ってきました。
 なぜ、こうした層が一見すると極端な主張に惹かれ、投票に至ったのか――。本書は、マスメディアの報道からはなかなか見えず、アメリカで「ホワイト・トラッシュ」、イギリスでは「チャヴ」などと蔑まれてきた人たちの生の声を拾い、そこから浮かび上がった意識を計量的に把握した労作でもあります。
 白人男性労働者層が、なぜ剥奪感を抱くに至ったのか、なぜレイシズム的な意識を持つようになったのか、既存の政治制度がそれにどのような影響を与えているのか、政治的なラディカリズムがどのように生まれていったのか。本では実際には様々な論点が網羅されていますが、まずは訳者各々が注目する点をあげていきたいと思います。

西山隆行: 私は、この「新たなマイノリティ(The New Minority)」というタイトルが面白いと思ったんです。というのも、アメリカのマイノリティ研究といえば黒人、ネイティブ・アメリカン、移民などを中心に語るのが主で、「白人=マジョリティ」というのが当然の前提とされてきたからです。「サイレント・マジョリティ」と言われることはあっても、彼らを「マイノリティ」と呼ぶ視点はありませんでした。
 実態としても、2040年代のいずれかの時点で白人が人口の点でマイノリティになるというのはわかっているわけですし、新生児の数ではすでに白人の方が少なくなっています(2010年の人口統計調査)。なのに、オバマ政権が誕生した時に黒人や民族文化的マイノリティといった人たちに注目が集まったようには、白人の話が出てくることはなかった。
 そういう中で、白人と黒人との間で一種の非対称性、不平等といったことが見出されるわけです。たとえばオバマが「アメリカン・ドリーム」を語り「アメリカは偉大な国だ」と言えば、それは素晴らしいことだと高く評価されるのに、白人の政治家がそういうことを言えば「あいつはレイシストだ」と批判される。こうした中で、白人の人たちはさぞ居心地が悪かろうと思っていました。

石神圭子: たしかに、「マイノリティとしての白人」というのは新鮮でした。一昔前に「白人性=whiteness」をめぐる議論がありましたが、それらは白人の「特権性」やバリエーションを扱っていても、この本に出てくるようないわば「剥奪感」や「不平等感」を抱く白人という視角はない。本書でのヤングスタウンの白人の意識をみていくと、その根底にあるのはむしろ、アメリカとは最も縁遠いはずの非常に露骨な「差別」です。
 彼らにとって「エリート」や「金持ち」は自分たちのリアリティとはあまりにかけ離れすぎている。超エリートで子供にジャンクフードなんか食べさせないオバマやオバマ夫人なんかは、嫌悪の対象でしかないんですね。

河村真実: 白人を「マイノリティ」として扱うことは、多文化主義の理論においても新鮮だと思います。これまで多文化主義の主な理論的関心は、先住民や移民など民族文化的マイノリティの権利にありました。民族文化的マイノリティに特権を与えることによって、白人というマジョリティと民族文化的マイノリティの間の不平等をどのように是正するかということが、最大の争点だったんです。
 こうした議論では、主流派社会の中で民族文化的マイノリティはつねに脆弱であり、そうした文化的な脆弱性が経済的格差と深く関わっていると考えられています。だから、白人は裕福で、民族文化的マイノリティは貧困だという前提が成り立っていました。つまり、これまでは文化的分断線と経済的分断線が重なっていたんです。
 しかし、本書にもある通り、実際には文化的分断線と経済的分断線は必ずしも重なっているわけではなくて、つねに白人が優位に立っているという前提は崩れ始めています。その点に着目する本書は、これまでの前提を覆しうるという意味でも斬新だと思います。

白人労働者たちを突き動かす「剥奪感」

西山: 本書では、ポピュリズムを読み解く鍵として「剥奪感」に注目しています。膨大なインタビューやアンケート調査によって、人々の「剥奪感」の様々なバリエーションを示しているわけですが、本書のこうした道具立ては、巷にはびこる単純な見方を戒めてくれるところがある。
 たとえば、本書の原著が出た2016年のアメリカ大統領選挙の際、「トランプ現象」と「サンダース旋風」が両方とも「ポピュリズム」だということで、「サンダースの支持者の人たちは(同じ民主党の大統領候補である)ヒラリー・クリントンではなく、トランプに投票するはずだ」といったことが日本の報道でも言われていました。でも、実際はそんな単純な話ではなかった。
 なぜこういう「誤解」が起こるかといえば――いずれも本書で論じられていることですが――剥奪感、福祉に対する考え方、黒人に対する思い、といったことについて、じつは有権者の中にも様々なバリエーションがあるからで、そのことをおそらく見落としていたから。本書は、そのバリエーションに注目しているというわけです。

石神: 一口に「剥奪感」と言っても、なかなか一筋縄ではいかないと思わされました。「獲得」があるからこそ「剥奪」があるわけですが、「獲得」する黒人や民族文化的マイノリティとその陰で「剥奪」感を抱いてきた白人という、二つの並行した線がある。本書が言っているのは、たんなる剥奪感ではなくて、いわば相対的な剥奪感ですよね。

吉田: 剥奪感というのは、いつの時代も相対的なものです。だから、単純に頭数や人口比だけではなくて、人々の意識に着目をしないといけない。日本で言えば、在特会の活動なんかもさることながら、社会保険料を納めていない中国人が社会保険制度を使って治療を受けるといったことが、数としては本当に微々たるものであるにもかかわらず、週刊誌で批判的に取り上げられたりします。こうした相対的な剥奪感をインタビューとサーヴェイデータで明らかにしているのが本書『新たなマイノリティの誕生』が持っている強みで、そのアプローチ自体がすごく勉強になります。
 いま先進国を取り巻くいろいろな難題を、たんに「不平等」や「格差」で片付けてしまうのは正しくない。じつはみんなが、何となく相対的な剥奪感を抱いている。本でも言及されていますが、ゲストの前著で扱われた白人労働者たちの「敵」として描かれている移民もやはり剥奪感を抱いている。いまや「誰もがマイノリティである」という、社会の内面意識にまで踏み込んで議論しているところに、本書の面白さがあります。

誰もが「マイノリティ」である

吉田: 踏み込んで言うと、「マジョリティ中のマジョリティ」だった白人男性の、しかも雇用が安定していた製造業の労働者層すらも「マイノリティ」になっている。本書が問うのは、誰もマジョリティであり得なくなってしまった「マジョリティなき社会」の展望と言ってもよいかもしれません。

西山: 一昔前に流行った「エレファント・カーブ」(世界各国の家計所得の変化を示した曲線)によれば、途上国のミドルクラス(中間層)や先進国の富裕層の所得はすごく上がっている一方で、先進国の労働者階級あるいはミドルクラス(中間層)のそれは、横ばいなんです。じつは落ちているわけではなくて横ばいなわけですが、他が上がっているがゆえに、「自分たちは落ちている」と思い込んでしまっているというわけです。
 彼らは、こうしたことを社会の変化とかグローバル化のせいだとした上で、「自分たちを守ってほしい」「昔は良かった」というような思いを抱く。それで、アメリカで言うとこれまでリベラルな民主党に投票してきた彼ら労働者階級が、「Make America Great Again(アメリカを再び偉大な国にしよう)」という懐古的なメッセージを出すトランプなんかに惹かれる。国境の壁なんかも、自分たちを守ってくれるものと思ってしまうわけです。そういう心情が、本書第4章のヤングスタウンでのインタビューでは象徴的に表れています。

吉田: 剥奪感の話とも関係しますが、「マジョリティ」というのは、量的のみならず質的な定義にも関わってきます。何らかの「文化的な規範」、あるいは「社会の価値観」を占有しているのが、マジョリティとされることもある。本書には勤労や勤勉といった、労働文化や教育の価値観の話も出てきます。
 白人労働者というマジョリティの労働文化は、「頑張れば報われる」というものでした。そうした社会が約束されていたはずなのに、その前提がグローバル化の中で、あるいは製造業の衰退の中で崩れていっていく。こうして白人労働者の文化的ヘゲモニーが揺らいでいるために、さらに危機意識や剥奪感が強まる。これは、本書のようなエスノグラフィ的手法ならではの気づきです。

西山: そういう主観的な問題は重要で、アメリカでは「真面目に働けば成功を収められる」、つまりアメリカン・ドリーム的なことがよく言われるわけです。能力主義によってアメリカ社会は機能し、なおかつ発展していくんだ、そこで頑張れば豊かになれるし、仮に自分が豊かになれなくても子どもは豊かになれるんだ、という幻想があったわけです。しかしじつはやはり幻想にすぎなくて、昔から実態としてそうであったわけでもないんですよね。
 ジェニファー・ホックシールドが明らかにしたところによると、じつは白人は最近、アメリカン・ドリームというものをあまり信じておらず、白人よりもむしろ黒人の方がアメリカン・ドリームを信じている。民族文化的マイノリティが上昇への期待を持っている一方、白人はそういう意識を持っていないというわけです。こうしたポイントをかなり具体的に記しているところが、本書の面白いところだと思います。

ポピュリズムを動かすのは経済か、文化か

吉田: 日本の報道でも「誰が」トランプを支持し、「誰が」ブレグジットに投票したのかについて、盛んに言及されるようになりました。アメリカでも当初は、トランプに投票したのは貧しい人たち、つまり社会の「下流」の人たちだったという論評が出されました。つまり、経済的な問題からトランプは勝利したのだと。
 ところが、よくよく調査をしてみたら必ずしもそうではなくて、ヒラリー・クリントンに投票する富裕層もいれば、トランプに投票する富裕層もいた。そして一番コアな層というのはじつは「中の下」くらいの人たちだ、ということがわかってきました。そうすると、今度は経済的な理由ではなくて、文化的な理由、すなわち、レイシズムやナショナリズムに駆られた層からの支持がトランプ勝利の要因だったとされるようになった。
 トランプやEU離脱への投票は、はたして経済的な動機だったのか、文化的な動機だったのかという議論が学界では続いていますが、ややミスリードな問題設定であるように思います。まず、文化というと、移民への差別・排斥意識やゼノフォビアとして解釈されますが、本書に出てくる白人労働者は、自分たちがレイシストだとは絶対に認めない。かつての黒人差別とかカリブ海出身移民への差別とは違って、肌の色に基づくレイシズムではありません。
 むしろ本書が示唆するのは、それまでの戦後の工業化社会が労働を通じて作り上げてきた文化的な規範を共有しない人たちが来ることに対する、ある種の恐怖感です。エーリッヒ・フロムの、16世紀の中産階級の特徴として、貴族層に加えて教会の権威という、経済と文化の両方に敵対的だったとの指摘とも通じ合います。
 だから経済か文化で分けること自体がナンセンスで、両者が強固に結びついていたことが戦後の本質でもあった。それが瓦解すれば、剥奪感が生まれるのは当然です。本の中ですごく印象的だった言い方を借りれば、白人労働者というのは「移民に職を奪われる」と言えばレイシスト呼ばわりされて、「競争が激しい」と言えば怠け者と言われる。行き場がないわけです。

西山: 行き場のなさ、やるせなさは、ヤングスタウンやイーストロンドンのような地方政治で顕現します。不満の原因となっている雇用や経済的不平等の問題は、主として国家単位で対応すべき問題です。そして、経済政策を担当している中央政府、とくに議会に対する不満はあって、アメリカの場合連邦議会に対する支持率は2016年の段階でたったの15%です。
 でも、連邦議会選挙をすると、再選を目指している議員の9割以上が再選してしまって、議会の構成は変わらない。そこで彼らはトランプのような連邦政界のアウトサイダーに期待して投票した、ということだと思います。もっとも、実際の問題への対応は地方政府が行わなければならないのですが、地方政府にはそのようなことをする人的資源も財源もありません。

石神: 地方政府には人の移動を制限する権限はないのですから、本来ならばオハイオ州で人生が挫折しても他の州で人生をやり直すという選択肢は個人がもっているはずです。移動の自由と人生の再出発というのは、アメリカン・ドリームの重要な要素です。
 しかし、現実的にはそうした選択ができるのは市場に対応したスキルと学歴を持ち、一定程度の競争力がある人たちに限られている。そういう人たちは、もうすでにヤングスタウンから脱出しています。要するに、衰退する製造業にしがみつくしかない白人労働者層には、実質的にやり直しの機会が開かれていない。彼らには、移動や再出発に必要な最低限のカネやコネすらないのですから。

河村: そういう行き場のない白人労働者たちは、自分たちが労働によって作り上げてきた社会では自分たちに自律的な決定権があるはずなのに、その自分たちの社会が移民によって壊されているように感じているのかもしれません。そうした白人労働者たちの感情が、移民の入国に制限をかけるべきだという議論に表れているように思われます。
 ただ、白人たちの不満の原因は移民の存在そのものではなくて、移民流入による雇用不足や移民のマナーに関するものであるわけです。なので、彼らとどのように共存するのかということについて議論する余地は、なお残されているように思います。

労働組合はいま

西山: 労働者階級の白人とポピュリズムの関係を理解する上では、労働組合の位置づけについて考える必要があります。イギリスの場合は階級社会が前提になっていることもあって、労働組合もまだ一定の存在感を示していると言えますが、アメリカの場合、労働組合の評判はじつはかなり悪いですよね。かつては2004年のジョン・エドワーズのように民主党の副大統領候補に労働組合の代弁者が選ばれることがあったわけですけれども、今はそんなことはあり得ないわけです。
 私の印象では、アメリカだと労働組合というのは既得権益者であり、白人のための組織なんだというイメージがある。人種差別が残っていた時代に現在の労働組合の基礎が作られたためで、だから黒人なんかとは切り離されているのです。
 先ほどブレグジットやトランプを支持したのは「下」ではなくて「中の下」くらいの人たちだと吉田さんはおっしゃいましたよね。アメリカの場合は、経済社会的地位が「下」の人たちというのは黒人であったり、伝統的な民族文化的マイノリティであったりする。そして、それよりは「上」の、かつて労働組合で活動していたような人たちというのが、ある種のキーなんだと思います。

石神: アメリカだと労働組合というのはもう、ほとんど機能していません。民主党の支持基盤とはもはや言えないと思いますね。そういう意味では今や求心力も組織力もありません。

西山: ヤングスタウンの白人労働者階級の人たちは、労働組合からも見捨てられたといった意識を持っているのでしょうか。最近、アメリカの労働組合が移民を取り込もうとしはじめましたよね。

石神: そっち(移民の取り込み)に行っているというのが今の労働組合の実像ですよね。つまり不法移民の保護とか、場合によっては彼らも組合に入れてしまおう、という。ヒスパニックも全然入れていい、というようなラディカルな流れの方が、今は求心力があるかもしれません。最賃運動――最低賃金を15ドルに上げる運動――が州レベルで実現してきているわけですが、それを引っ張っているのがつまり、従来の労働組合つまり白人労働者を基盤としたものではなくて、移民ベースのそれだということです。

吉田: 裏から見ると、この本はリベラル層と労働組合に包摂されていた労働者層との離別のプロセスを描くものです。ポスト冷戦時代になって、社民政党がグローバル化と多文化主義に舵を切って、経済的リベラリズムと社会的ダイバーシティの方向へと価値観をシフトさせます。本書の中でも描かれていましたが、そういった流れの中で、アメリカの民主党やイギリスの労働党が手を焼き、戦略に乗ってくれない労働者層が取り残されていった。
 それでも、労働者層は歴史的な社民の支持者層であった、方向転換しても彼らは付いてきてくれるだろうというふうにナメていた。しかし、白人労働者層の剥奪感が高まっていったために墓穴を掘ってしまったというストーリーでもあります。社民政党がリベラルになりすぎたために、伝統的な支持基盤だった白人労働者層に、そっぽを向かれるようになってしまった。
 競合政党(共和党や保守党)に政権を獲られるくらいだったら労働党ないし民主党に投票する、最悪でも棄権するという投票行動だったのが、そこに楔を打ち込むポピュリスト勢力――トランプやUKIP(英独立党)――が参入するようになると、この白人労働者層は大きな波乱要因になる。だから、いわゆる極右ポピュリスト政党の伸びしろがあるのは、どこの国でも労働者層なんですね。保守政党も左派政党も、誰もそれをグリップしていなかったためです。そして、そのニッチ市場を開拓していったのがトランプでありUKIPでした。

白人労働者層の貧困と福祉、コミュニティ

石神: 本書で描かれている白人たちというのは、おそらく貧困層に近いところにいますよね。貧困への対応に関しては様々な財団や基金がありますが、クリーヴランドでソーシャルワーカーをやっていた友人に聞くと、彼らの多くはリベラルなので、黒人あるいは民族文化的マイノリティに対する資金提供に理解はあるけれども、白人労働者層をターゲットにした助成というのは、これまであまり見受けられなかったそうです。
 そういうものは自分たちには来ない、という思いが、おそらくヤングスタウンみたいなところにはかなり激しいんじゃないでしょうか。こうしたことも剥奪感につながっている可能性がありますよね。またその友人曰く、彼らは肉体労働に伴う疼痛や精神的な苦痛を抑えるためにオピオイドを常用していて、今まではどちらかというと都市の課題であったドラッグの課題が郊外で蔓延し、中毒で亡くなる方が増えるという異常な状況だそうです。

西山: 貧困と福祉ということで言うと、本書で面白かったのは、アメリカの白人労働者層の人たちは福祉を嫌う、というくだりです。これは、黒人の人たちが福祉を(乱用的に)享受している――いわゆるウェルフェア・クイーンのような形で――ことへの非難という形で現れている、と書かれています。実態としては黒人が福祉を乱用しているわけではないのですが、白人労働者層が福祉システムをどのように位置づけているのかというのは、興味深い問題ですよね。
 それから先ほど石神さんがおっしゃった、貧困問題に関わる様々な財団・基金は民族文化的マイノリティへの資金は出すけれども白人にはなかなか出さないという話は、そういう中間団体のレベルでもそういった白人に対する思い込み、ステロタイプみたいなものがあることを示しているのでしょうか。

石神: それは、多文化主義の問題とかなり密接につながっていますよね。

河村: 多文化主義においては、基本的に白人というマジョリティが民族文化的マイノリティを抑圧してきたということを前提に議論が進んでいる部分があると思います。たとえば、黒人奴隷問題や植民地問題などの歴史的不正義は、その最たるものです。白人にはこうした歴史の中で行ってきた正義に反する行為に対する責任があるという考え方が、白人が補償政策の対象から外されてきた一因と考えることもできます。このように考えると、民主党やNPOが白人を補償政策の対象として取り込んでこなかったことも、自然なことのように思われます。

西山: このあたりは面白いですよね。アメリカの中間団体って、教会をベースにやっている共和党系のNPOとか、篤志家の富裕層がバックについているような昔ながらの慈善団体、リベラル派と結びついているようなNPOなんかもあったり、本当に色々ありますよね。富裕層は二大政党の両方と結びついているし、レッドネックと言われる農家の人たちや福音派の人たちは、共和党と結びついている。
 これに対して、本書で出てきている白人労働者階級の人たちというのは、こういう密接な結びつきがなくなっているという、ある意味残酷な状態に置かれてしまっている。それは国のレベルでも政党のレベルでもそうだし、またNPOのような中間団体のレベルにおいてもそのように言える、ということなのかもしれません。

吉田: イギリスだと、本では住民の自治会とかソーシャルクラブがその役割を果たしているとされている。ただ、それを通じて民主的な活動をしている熱心な住民はいても、数的には減少している上に、一部の人たちが一生懸命やっているために、裾野が広がらないし、下の世代もついてこない。横の広がりも――移民系が多くなっているので――ない。だから、頑張っている人は「こんなに頑張っているのに」「誰も見向きもしてくれない」というような剥奪感をむしろ、ますます高めることになる。ジレンマですよね。

西山: そうすると、社会資本というものをいかにして築いていくかというのが、一つの重要な視点になるのかもしれません。そういう点からすると、コミュニティの問題というのはやはり重要な意味を持つのかなと思います。この点、黒人を中心としたコミュニティの再生運動を熱心にやろうとする動きがあるというのはよく聞くのですが、白人たちの間でもそういう試みはあるのでしょうか。

石神: 正直に言って、組織しようとしている側が白人で、組織される側が民族文化的マイノリティであるというように、階級性という側面はまだあるんじゃないかと思います。ただ、最賃(最低賃金)運動なんかは白人も黒人も一緒にやっている――もっとも、これはサーヴィス業従事者を中心とした運動ですが――。これに関しては白人労働者もそこそこ入っているし、教会も労働組合も加わっていますね。最賃運動に関しては結構、多様なアソシエーションが一緒になってやっている。

西山: なるほど。そうすると最賃運動なんかが上手くいくのは、「最低賃金をある程度高く設定しなければいけない」というようなコンセンサスがある場合、ということになりますね。逆にいえば、たとえば「賃金がすごく低くてもいいから職をよこせ」というような声がある場合には、上手くいかないというわけですね。これは移民や不法移民の問題とも関わってきます。
 だとすると、どういうコミュニティであれば、白人たちも巻き込む形で社会的な一体感、ソーシャルキャピタルのようなものを築き上げられる可能性が出てくるのか、という問いにつながりますね。

石神: 現場の人たちは、白人労働者層のような人たちを受け入れる、あるいは見つけようとはしていますが、彼らが民族文化的マイノリティの人たちと一緒に上手くやれるのか、という問題はありますよね。

吉田: 職場もダメ、組合もあてにならない、コミュニティはスカスカになっている。そうするとどうしても、非公式的なネットワーク――本書でもマフィアの話が出てきますけれども――が頭を覗かせる。でも、そうしたダークな社会資本が個人を救済するわけでは決してなくて、むしろ搾取されてしまうわけです。ジレンマは相変わらず解消されない。
 だから、アイデンティティ政治ではなく、最低賃金のように、経済的な再分配で新たなコアリション(政治的連合)を作ろうという戦略になる。ただ、古くはデュボイスが指摘しているように、あるいはこの本で指摘されているように、それまで中心的な地位にあった人々が周辺的な人間と共闘できるかといえば、そこには経済や文化といった異なる分断線が走っていて、簡単ではない。
 それこそヨーロッパ各国の社民政党が一所懸命探っているところですが、全体のシステムにダメージを与えないコアリションが可能なのかという観点から政策を考える必要性が求められています。

ダイバーシティと移民の時代に

吉田: このことは日本も例外ではありません。リベラルと労働者層の離別というのはもう日本でもかなり進んでいて、組合の調査を見ても、若年層になるほど自民党支持の方が高くなっている。組織率も長期的には低下傾向にある。日本の社民的立場にある立憲民主党・国民民主党・社会民主党は、労組に依存していても勝てないし、依存しなければ勝てないという二律背反に陥っています。

西山: 自民党というのは右から左までいますからね。自民党の中にもリベラルな人はいるし、かつての民主党もじつは右から左までいて、純粋なリベラルとは言えなかった。だから日本の場合、リベラルと労働者層の離別というのをどう考えるかはなかなか難しい。

吉田: ただ、たとえば立憲民主党は、経済のグローバル化については曖昧ですが、社会のダイバーシティを強調する方向に舵を切っています。夫婦別姓などについても、自民との一番の差異になっているといってもいい。簡単に訴求力を得ることができるからです。労組が空洞化していくことが避けられないのであれば、文化的にリベラル化していくというのは、日本でも同じかもしれません。
 だから、アメリカの民主党とイギリスの労働党、それからヨーロッパ大陸の社民政党がいま反省しているところを、日本の立憲民主党なんかが二周遅れで追っている、と言えなくもない。ただ、欧米と日本の社会的状況も、社会構造も大きく違うので、どういう経路を辿るかはあまり定かではありませんけれども。

西山: ダイバーシティをどう考えるかというのもじつは結構難しい話で、イギリスの場合は移民が問題になっていますけれども、アメリカの場合、じつは移民はさほど問題になっていなくて、問題は不法移民なんですよね。そういう点では日本とかなり違う。
 それともう一つ、アメリカの場合は移民も不法移民もほとんど社会サービスを受けられないわけですね。伝染病なんかが流行った時なんかの予防接種は受けられますけれども、そもそも憲法に生存権みたいな規定がないので、なにせアメリカ国民であっても年金さえ十年以上働かないともらえない。公的扶助なんかも、移民の段階では絶対もらえないわけですよね。つまりアメリカは「受け入れるけれども、あとは自分たちで頑張りなさいよ」というシステムになっているからこそ、それなりに移民を受け入れられるところがあるわけです。
 でも、日本だとそうはいかないですよね。にもかかわらず、「もし移民を受け入れた場合に、彼らに対してどういうサービスを提供するのか」という議論は、日本の場合かなり抜け落ちています。入管政策に関して、入り口と出口しか議論しない。真ん中の議論がすっぽり抜けてしまっているんです。
 イギリスの場合も日本と同じく、アメリカのように「あとは自分たちで頑張りなさいよ」とはいかないところがある。だからこそ、本書でも強調されるように、イギリスの白人労働者層の人たちというのは、出生とそれに基づくエンタイトルメント(受給権)が重要なんだという議論になる。国によって事情が異なるわけです。では、日本の場合はどのように制度設計するのか。

吉田: そこは誰も考えていない。結局、エンタイトルメントの根拠をどこに求めるのか、という話に行き着きます。そうした観点からは、生活保護バッシングと移民排斥というのは根っこは全く同じです。「僕らには資格があるが、彼らにはない。なぜなら僕らはその資格を得るための努力をしてきた、彼らはそれをしていない。なのに、なぜその権利を持っているのか」――。その感覚が「剥奪感」につながり、結果としてナショナルなもの――受給権を保障する主体であり、かつ参入障壁が高いもの――が台頭することになるわけです。
 だから、誰かに何らかの権利を新たに付与する場合、あるいはそれを新たに得られるような人が出てきた場合は、「それであなたが損をするわけではない」というメッセージがセットになっていなければならない。移民に雇用を奪われるといった声に対しても、それをレイシズムとして論難するのではなく、「彼らは納税者になるし、彼らによって新しいサービスや産業も生まれる」という指摘を含む議論をしないと、結局は文化闘争に終わってしまうでしょう。

ポピュリズムのゆくえ:アメリカ、イギリスと日本

石神: ところで、この記事を読んだ人は、2020年のアメリカ大統領選挙も「またトランプが勝つの?」という印象を受けるかもしれませんね。

西山: おそらく、いま民主党は良くない方向に行っています。民族文化的マイノリティや性的マイノリティを取り込む方向にばかり行ってしまって、白人労働者層の人たちを取り込むことに成功していない。ただその一方で、トランプ支持というものもだんだんと綻びてきているところはあると思います。トランプが白人労働者層の人たちに対して何をしたのかというと、結局のところ何もしていないんですね。
 トランプがやった(と言っている)ことが何か自分たちの生活にプラスになっていたかどうかについて、それが幻想だったということに今後みんなが気づいていく可能性は、あるかもしれない。そこのところを民主党がどのようにして指摘していくか。実際全然プラスになっていないということを言っている人たちはいるし、そういうデータもたくさんあるわけです。
 でも、メディアが分極化してしまっているせいで、保守的な人たちはそういうことを言っているメディア、たとえばCNNやMSNBCは観ない。観るのは「トランプ万歳」のFOXだけ。それが今でもトランプ支持が強固であることの背景にあるわけですが、民主党やリベラル派の今後の働きかけいかんでは、本書で取り上げられているような人たちが、トランプもじつは仲間じゃなかったということに気付く可能性はあるだろうと思います。
 それにおそらく、長期的に見ると、共和党も民族文化的マイノリティの支持獲得の方向にいずれ舵を切ると思うんですよね。2016年の選挙の時にもじつは、あれだけトランプが差別的な発言をしていたにもかかわらず、中南米系の人たちの30パーセントくらいがトランプに投票しているわけです。これが共和党にとっては微妙な問題で、次の選挙ぐらいまではトランプ路線で行くと思いますが、そのさらに4年後となると、このメカニズムも働かなくなるかもしれません。

吉田: トランプがやっているのは「あおり運転政治」です。期待値をずっとせり上げ続けている限り何とか持つから、つねにあおっていないといけない。その破綻のタイミングがどこで来るかにもよるのではないでしょうか。

西山: 民主党にとっては、トランプの支持がなくなるのに期待するというのは一か八かの賭けです。それよりも、2016年の選挙にサンダース支持者がヒラリー・クリントンに投票しなかったというようなことを繰り返してはいけないという話ですね。今回の候補者選びは、中道寄りのバイデン氏と、左側の人々との戦いが軸になっていますが、予備選挙が終わった段階でうまく団結できるかどうかですね。
 あと、今回の民主党候補者同士の討論会なんかを見ていると、「左派が頑張ればアメリカは良くなってトランプをやっつけられるんだ」というような、何か幻想めいたものにすがっているところがある。左派の人たちは労働者が重要だと言うけれども、それはどうも高みからものを言っているという印象が拭えないんですよね。

吉田: それも世界共通の現象ですね。本にも出てきますが、リベラルがいつの間にかエリートの集団になってしまった。イギリスの労働党も同じ話で、左傾化が止まらずジェレミー・コービンが党首になった。でも、それで政権が獲れるかと言ったら、必ずしもそうではない。
 では、残る中道を保守党が抑えているかといえば、そういう状況でもない。保革の既成政党が有権者に対するグリップを失っていて、それゆえにわかりやすい票田に依存し、だからこそ広範な政治的コアリションを作れなくなるという悪循環に陥ってしまっている。
 たとえば5月のイギリスの欧州議会選では、ブレグジット党に次いで自由民主党が得票率2位になりました。2010年に保守党と連立を組んで埋没し、もう次はないと言われていた小政党が、とりわけ若年層の、環境意識の高い、高学歴の人たちの票を集めることになりました。ただイギリスの自民党が国政選挙で躍進できるかといえば、そういう構造にもなっていない。それゆえに政治空白の余地がどんどん広がっていくということになる。
 先ほどの労働組合の話でもそうでしたが、もはや安定的な顧客に基づいて政治をするというのは無理になってきている。強固な支持構造と組織を作り上げてきたヨーロッパ大陸ですらタガが緩んでいる。そうすると、ある種の長期的な党派性に基づいて安定性とか実効性のある政治をやっていくというのは、ますます難しい。そうした環境下で最先端を行っているのがトランプであり、西欧のポピュリスト政党ということになるでしょう。

西山: それは日本でも同じですよね。強いて言えば農協くらいでしょうか。そうすると、その場その場での「あおり運転」的なことをやるか、あるいはその場しのぎ的ではない形でできる政治といったら、何か怪しげな方向に行くしかないわけですよね。

吉田: イギリスではEU離脱強硬派のボリス・ジョンソンが就いて、コービンもしばらく労働党党首の座にいるでしょうから、イギリスでもやはり左右の分極化という方向は止まらないでしょう。

西山: 左右の分極化について言えば、アメリカでもイギリスでも顕著であるにもかかわらず、日本の場合はそうなっていないというのが不思議ですよね。社会のレベルでは左右の分極化というのは結構進んでいるのでしょうか。

吉田: 有権者意識に関する調査では、日本の有権者の中道志向は90年代から変わっていません。ただ、東京大学=朝日新聞の調査では、むしろ政治家の方が両極化していっています。これは、無党派層が多数を占める中で、瞬間風速的に得票率の最大化を求める選挙制度の影響が大きいように思います。

「みんながマイノリティ」の時代に民主主義は可能か

石神: 本書で強調されているのは、「新たなマイノリティ」の人々の、民主制において政治的に代表されていないという意識です。だとすると、政治的な代表性を回復しようというような話にならないのでしょうか。「怒りの感情をどちらが獲るのか」みたいな話だけではなくて、白人労働者層の人たちをまとめるとか、この人たちの代表を出すとかといったような話になってもいいのではないでしょうか。

西山: 白人労働者層をまとめるやり方として、怒りを掻き立てるという手法に行ってしまうのが問題ですよね。そうではない手法を確立しないといけない。だからポピュリズムというのは必ずしも右派・左派である必要はないというか、中道に訴えかけるという形でのポピュリズムがあるのかもしれないですよね。
 じつはトランプは、一貫して右派的な発言をしているわけではないんですよね。むしろ予備選では「オバマケアは意外と良かったけれども、自分ならもっと上手くできる」みたいなことを言っていたわけですよね。それである種の支持も得たわけです。勝ってしまった後はそんなことは言わなくなりましたが。それがどれだけ有権者に効いていたのかというのは面白いポイントですよね。
 代表性と言っても、組織された人を動員するのは簡単です。でも、そうではないバラバラなものをどうやって盛り上げていくか、そのための工夫をどのようにして行うか。政治家の技量が問われています。

河村: これだけ多様化が進む中で、もはや白人、黒人、移民といった民族・人種別のニーズに訴えかけることに限界があるように思います。民族文化的な括りではなく、先ほど話題に上った最賃運動のように、利益を共有している集団をターゲットにするような手法であれば、代表性も少しはうまく機能するのではないでしょうか。
 かつては、既存の社会制度が白人のためのものだという前提のもとで、議会における民族文化的マイノリティの議席数の確保などを通して、文化的衝突の解決を図ろうとしていたわけですが、いまやこうした民族ごとの代表性には限界があるのかもしれません。

吉田: もしかしたら、誰もがマイノリティである社会、マジョリティなき社会で代表性民主主義が機能することは、もはやあり得ないのかもしれません。その回路以外で、いかに代表性を獲得していくかを考えないとならないでしょう。

西山: 民主主義というのは、様々な人々の利益や立場を取り入れて、皆を幸せにするシステムだと、一般的にイメージされています。でも、あらゆる社会はじつは多元的なわけですよね。民主政治といえども、最終的には一つの決定に導くわけですから、じつは多くの人々の利益や立場を結果的に切り捨てている。
 だとすれば、「切り捨てている」のではなくて「まとめている」んだ、というように有権者に説得する、思わせるというのが政治家の技術であり、これは社会のあり方というか成熟の問題であったりするんだと思うんですよ。経済成長が進んでパイが大きくなっていて多くの人々に利益や権利を与えていくことが可能な時代ならば、こういうことがある程度容易でした。

吉田: つまり、代表制民主主義は、ペイオフが何らかの形でできないと機能しない?

西山: はい。でも今はそういう状態じゃないわけですよね。低成長かマイナス成長、つまり成長するとは限らず落ちていくかもしれない状況だと、どういう方法があり得るのか。他の国と争うということ以外のやり方があり得るのか。グローバル化に抗する以外に何かあり得るのか。おそらく、新たな構想が求められるんでしょうね。

吉田: ディズニー映画やマーヴェル作品を観ていても、何らかの代表性を表現するのがますます難しくなっているように思います。昔の作品であれば、主人公の王子様がいて、お姫様を助けたり幸せにしたりすることが定番だったのが、たとえば『アナと雪の女王』ではお姫様が主人公になった。それでも飽き足らず、今では白人、黒人、アジア人、ヒスパニック、善人と等価な悪人まで全部が揃わないと、誰も観てくれない。ただ、それで「みんなが平等」という以外のナラティヴ(物語)が本当に出来上がるのかどうか。
 つまり、みんなが自分の見たいものをそこに見出すだけで、全体的に代表されるものが何かというのは、すごく難しくなっている。そういう時代に、代表制民主主義なんて機能するわけがない。

西山: そうですよね。たとえば『スパイダーマン』なんかでも、白人ばかりが主役を演じていてそれが問題だというようなことが言われましたが、そういう声を受けて『スパイダー・バース』という作品を作ったわけですよね。じつは黒人や女性のスパイダーマンもいた、というものなんですが、ああいうふうになってくると、もう勧善懲悪と愛の話になるしかないわけですよね(笑)。

吉田: 政治では、有権者は自分を投影させる何かを求めるわけですが、その「何か」がもう存在しない。あるいは、先ほどのペイオフの話のように、他のものに代表してもらうことで得られる利益も、もう無い。そうしたら残るのは、政治不信しかないということになる。
 この政治不信とは、具体的には――本書の調査にも出てきますが――、政治は自分たちのことを顧みてくれていない、という感覚です。最近の調査だと、主な先進国では6割程度の人が「政治家に顧みられていない」と感じています。だから、やはり政治に頼らない形で、様々なリソースを保全・調達できるような、半径数キロぐらいのコミュニティを手厚くしていくというのが大事になってきています。

西山: 難しいですね。それよりは戦争でもして略奪したほうが簡単だ、という話になりかねない気がしますね……。

吉田: アメリカはそれができるかもしれませんが、日本はできない。コミュニティを手厚くしていくのが難しいとして、もう一つの処方箋は、教育や職業訓練など、人に投資していって社会的モビリティをどんどん高めていくくらいしかありません。
 それでみんなが幸せになれるかどうかはわからないけれど、少なくとも剥奪感が最小限で済む、あるいは持ったとして、それをこじらせないような構造を作っていく。そのためにはやっぱり個人に能力をつけ、何度もトライ・アンド・エラーができるような社会システムが必要でしょう。
 そのためにはやはり国が、手厚く教育・職業訓練の制度作りをしていかないといけない。そうでなければ「新たなマイノリティ」は、ずっと再生産されていくことになるでしょうね。

(2019年6月26日、北海道大学にて収録)

シノドス、2019.10.23 Wed
「みんながマイノリティ」の時代に民主主義は可能か
吉田徹×西山隆行×石神圭子×河村真実
https://synodos.jp/international/22986/

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なぜ、これまで当たり前だった福祉の水準を切り下げることを人びとが受け入れるのか

 米国のトランプ政権や英国のEU離脱を支持する白人労働者層の声を丹念に分析することで、彼らをそれまでの中流階級から少数派の立場に追いやられた「新たなマイノリティ」と位置づけたジャスティン・ゲストの『新たなマイノリティの誕生』〈1〉。
 その訳者4人が米英以外の事例にも触れながら状況を考察した座談会〈2〉は、いま世界中で起きている「分断」を理解するヒントに満ちている。

 訳者の一人で政治学者の吉田徹は、分断の背景にあるのは「不平等」や「格差」よりも、誰もが相対的な「剥奪(はくだつ)感」を抱くようになったことで「マイノリティ化」したことにあると指摘する。
 キーワードは「剥奪感」だ。

* * *

 深刻なのは、その剥奪感を悪用して、民主主義の制度や価値観を塗り替えようとする国家が現れてきていることだ。
 ハンガリーの中央ヨーロッパ大学(CEU)ジェンダー研究科で教鞭(きょうべん)を執るアンドレア・ペトは、今年2019年6月に日本で行われた緊急シンポジウムで、ハンガリーで起きている学問の自由やジェンダー研究に対する政府からの攻撃を報告した〈3〉。
 ハンガリーは冷戦後自由主義経済に移行し、都市エリートと熟練労働者や農村部の住人の間で社会格差が顕在化した。
 このことが政府への不満を高め、剥奪感を抱える層が、権威主義的な現オルバーン政権を支持する構図になっている。

 この事象を新自由主義下における財政緊縮策の観点で読み解いたのが足立眞理子だ〈4〉。
 足立は財政緊縮策の真の狙いは「人間が生きて活動し、より根源的に民主的で多様な生存・生活のあり方を希望し、それらを自らの力によって再生産していく力能・ケイパビリティを(中略)削(そ)ぎ落とすこと」にあると見る。
 誰もが剥奪されていると感じる社会では、これまで当たり前のように人間が享受してきた福祉の水準を切り下げることを人びとが受け入れ、内面化する現象が起きる。
 足立によれば「人びとが一度獲得し、自由な意思決定の基礎としたものを縮減させ切り下げるためには、恣意(しい)的な選別とその恣意性を覆い隠す差別的なイデオロギーが必要となる」という。
 そこで利用されるのが「税金の有効活用」という論理だ。
 新自由主義的な財政緊縮策は一見「合理的」に見え、剥奪感を抱える人びとに受け入れられやすい。
 女性の社会進出のせいで、難民や移民流入のせいで、障害者保護が手厚いせいで自分たちはいつまで経っても報われない。
「保護されるべきマイノリティ」になれないのなら、すべてを同等に緊縮すればいい――本来国家がなすべきマイノリティへの社会包摂を“なさない”ことが、「新たなマイノリティ」となった元多数派にとっては「社会包摂」に感じられる。
 そんな転倒が起きていると解釈できる。
 結果、日本を含む多くの先進諸国ではジェンダー研究への攻撃や、教育における伝統の強調、国策に反対する者を「国家の敵」とみなし、オンライン・ハラスメントの対象になるよう仕向ける論法が跋扈(ばっこ)するようになった。
「新たなマイノリティ」がナショナリズムと結託するのは必然だ。

* * *

 国家の変容は若いエリートの意識にも影響を与える。
 新鋭のAI研究者として注目を集める東京大学の大澤昇平特任准教授が、自身のツイッターに差別的な投稿を行い、波紋を呼んだ件はその典型だろう〈5〉。
「資本主義の文脈において、パフォーマンスの低い労働者は差別されて然(しか)るべきです」という大澤の投稿は、いかにも新自由主義的だ。
 明戸隆浩はこの発言を「AIの研究者が自身の研究に基づいた専門的知見であるかのような形で統計的差別の肯定を行うことは、一見した信ぴょう性が高い分、そうでない立場からの発言に比べてより悪質」と指弾した〈6〉。
 いくら「統計的」で「合理的」な差別であっても「差別」は「差別」であり、それを肯定することはできないはずだが「新たなマイノリティ」たちは、その「合理的差別」こそ格差是正の機会として肯定的に捉える。
 このねじれが大澤発言の悪びれなさの理由ではないか。

 大澤は9月に発売した『AI救国論』で福島県の「中流のやや貧困層より」の家庭で育った生い立ちに触れ、そのことが「お金を無駄にする活動は、大体時間も無駄になる。そのため、小学校時代から図書館にこもってひたすら勉強していた。(中略)苦手なことで時間を無駄にしないよう徹底的に取捨選択」する価値観を作ったと述懐している〈7〉。
 苦労人が社会的な弱者に連帯の感情を持てず「合理的」に切り捨てる側に回ってしまったことの意味を我々は考えなければならない。

 この厄介な時代に処方箋(せん)はあるのか。

 河村真実は人種や移民といった括(くく)りではなく、最低賃金運動のように経済的利益を共有する集団をターゲットにする手法が必要であると主張する〈2〉。
 世界屈指の経済学者ダロン・アセモグルも同様のことを述べている〈8〉。
 アセモグルは社会をより良く変えていくための鍵として経済成長を掲げ、「持続可能な形で経済を成長させ、その果実を皆で分け合おう」と訴えた方が、現実的でより広い支持を得られるだろうと提案した。

 世界中で起きているマイノリティ同士の分断は、文化や階層の衝突という側面より、過度な新自由主義の進展がもたらした「経済問題」が主因であると仮定すれば、経済学でこの問題を解決する道筋も見えてくるはずだ。
 経済学と社会学を横断し、「剥奪感」を最小限に抑え込む具体的政策がいま求められている。

* * *

〈1〉ジャスティン・ゲスト『新たなマイノリティの誕生』(弘文堂、2019年6月刊)

〈2〉吉田徹、西山隆行、石神圭子、河村真実「『みんながマイノリティ』の時代に民主主義は可能か」(SYNDOS、10月23日、https://synodos.jp/international/22986

〈3〉アンドレア・ペト「学問の自由とジェンダー研究」(『世界』12月号)

〈4〉足立眞理子「排除と過剰包摂のポリティクス」(同)

〈5〉「東大の特任准教授『中国人採用せぬ』 ツイッターに」(朝日新聞東京本社版11月25日付夕刊、https://www.asahi.com/articles/DA3S14270515.html

〈6〉明戸隆浩「東大情報学環大澤昇平氏の差別発言について」(11月24日、
https://researchmap.jp/jo34y74lc-1820559/#_1820559

〈7〉大澤昇平『AI救国論』(新潮新書、2019年9月刊)

〈8〉ダロン・アセモグル「若き環境活動家たちへ 経済成長は敵でなく味方だ」(週刊東洋経済11月23日号)

◇ ◇

※ 津田大介(つだ・だいすけ、1973年生まれ)
早稲田大学教授。著書に『情報戦争を生き抜く』『情報の呼吸法』『動員の革命』など。

朝日新聞・論壇時評、2019年11月28日05時00分
新マイノリティ
みんなが抱える「剥奪感」

(ジャーナリスト・津田大介)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14273906.html

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2019年11月28日

ローマ教皇「平和の巡礼者として」

[動画]
ローマ教皇が長崎を訪問

[写真-1]
チャーター機で来日したローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月23日午後5時44分、羽田空港

[写真-2]
雨の中、車で移動するフランシスコ教皇を歓迎する人たち=2019年11月24日午前9時36分、長崎県大村市

[写真-3]
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が訪問する爆心地公園に設置された「焼き場に立つ少年」の写真パネル=2019年11月24日午前8時17分、長崎市の爆心地公園

[写真-4]
「核兵器に関するメッセージ」を述べるローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月24日午前10時28分、長崎市の爆心地公園

[写真-5]
日本二十六聖人記念碑の前で話すローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月24日午前10時58分、長崎市の西坂公園

[写真-6]
ミサの会場に専用車の「パパモービレ」に乗って入るローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月24日午後1時26分、長崎市の県営野球場

[写真-7]
ミサの会場で、専用車の「パパモービレ」から手を振るローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月24日午後1時26分、長崎市の県営野球場

[写真-8]
トヨタ MIRAI をベースにして作られた教皇専用車「パパモービレ」

[写真-9]
ファミリーマートJR長崎駅店では、急きょ仕入れたポンチョが段ボールに入れられたまま売られていた=2019年11月24日午後3時23分、長崎市大黒町

[写真-10]
西坂公園もカッパを着た人であふれていた=2019年11月24日午前9時45分、長崎市西坂町

[写真-11]
日没時間を過ぎた平和記念公園。午後6時40分から始まる「平和のための集い」を前に、参加者が続々と入場してきた=2019年11月24日午後5時10分、平和記念公園

[写真-12]
平和記念公園に到着したフランシスコ教皇=2019年11月24日午後6時48分、広島市中区の平和記念公園

[写真-13]
平和宣言をするフランシスコ教皇=2019年11月24日午後7時16分、広島市中区の平和記念公園

[写真-14]
平和のための集いを終え、被爆者の所にあいさつに行くフランシスコ教皇=2019年11月24日午後7時30分、広島市中区の平和記念公園

[写真-15]
フランシスコ教皇を出迎える天皇陛下=2019年11月25日午前11時2分、皇居・宮殿

[写真-16]
フランシスコ教皇を一目見たいと東京ドーム周辺に来たフィリピン人信者たち

[写真-17]
ミサの会場の東京ドームを専用車で回るフランシスコ教皇=2019年11月25日午後3時42分、東京都文京区

朝日新聞、2019年11月25日20時04分
[詳報]ローマ教皇「平和の巡礼者として」
被爆地訪問

https://www.asahi.com/articles/ASMCR7346MCRUEHF008.html

 日本を訪れているローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、東京ドームで5万人が集まる大規模なミサを執り行いました。

 フランシスコ教皇は25日午後3時半すぎ、ミサを執り行うため会場の東京ドームに到着しました。

 ミサには、カトリック教会の信者をはじめ、カトリックの学校に通う小学生などおよそ5万人が参加し、会場はほぼ満席の状態となりました。

 フランシスコ教皇が特別仕様のオープンカーに乗って会場に入ってくると、参加者はバチカンや日本の国旗を振って歓迎し、大きな歓声をあげていました。
 フランシスコ教皇は20分ほどかけて会場をまわり、参加者の中にいた幼い子どもにキスをしたり、笑顔で手をふってこたえたりしていました。

 ミサにはいわゆる「袴田事件」で死刑が確定し、無実を訴えている袴田巌さんも招かれました。
 袴田さんは拘置所に収容されていた際に洗礼を受け、カトリック信者になりました。

 ミサが始まるとフランシスコ教皇は参加者が聖歌を歌う中、中央に設けられた祭壇にあがり、静かに祈りをささげました。

 そして、「日本は経済的には高度に発展していますが、社会で孤立している人が少なくないことに気付きました。これを乗り越えるためには異なる宗教を信じる人も含め、すべての人と協力と対話を重ねることが大切です」と述べ、他者の理解に努めることの大切さを訴えました。


NHK、2019年11月25日 16時45分
ローマ教皇 東京ドームで大規模ミサ
5万人が参加

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191125/k10012190481000.html

ローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇によるミサが2019年11月25日、東京都文京区の東京ドームで行われ、5万人(主催者発表)が参列した。
被爆地の長崎と広島では主に核廃絶を訴えてきた教皇だが、東京では日本の格差や貧困問題を念頭に、若者が「過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされている」などと訴えた。

日の丸やバチカン国旗で出迎える

教皇の訪日は1981年2月の故ヨハネ・パウロ2世以来、約38年ぶり2回目。
 1981年の大規模ミサは、後楽園球場で行われ、約3万6000人が参列。
 その後球場は建て替えられ、1988年に東京ドームがオープンした。

教皇は2019年11月23日に来日。
 24日は長崎と広島、25日に東京都内で行事に参加した。
 教皇が「パパモービレ」と呼ばれるオープンカーに乗って東京ドームのグラウンドに登場すると、参列者からは大きな歓声が起き、日の丸やバチカンの国旗を振って教皇を出迎えた。

教皇はミサの説教で、ドームのミサに先立って参加した東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)での「青年との集い」での出来事に言及。「日本は経済的には高度に発展した社会」だとする一方で、日本社会の現状について
 社会的に孤立している人が決して少なくなく、いのちの意味が分からず、自分の存在の意味を見いだせず、社会からはみ出していると感じている。
 家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支えを見いだし、また、他者を支える場であるべきなのに、利益と効率を追求する過剰な競争意識によって、ますます傷ついている。
 多くの人が、当惑し不安を感じている。過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされている

と指摘した上で、「明日のことまで思い悩むな」(マタイによる福音書)という聖書の一節を引用しながら、
 より広い意味のある展望に心を開き、そこに自分にとってもっとも大切なことを見付け、主と同じ方向に目を向けるための余地を作るようにという励ましなのだ

などと訴えた。

 訪日前にも「過度な競争、消費をずっと続けること」指摘していた

教皇は2017年12月にローマと東京・上智大学をビデオ会議で結んで行われた高校生との対話イベントで、日本人の国民性について

理想を持った国民、非常に深い能力を持った国民。これは宗教的にもだ。そして非常に勤勉な国民だ。それから、非常に多く苦しんだ国民
とする一方で、日本が抱える問題として
過度な競争、消費をずっと続けること
を挙げ、これが続けば
自分が持っている力を失わせることになり、大きな問題になる
と指摘していた。

教皇は貧困問題に高い関心を持つことで知られており、訪日直前の11月17日には、バチカンに約1500人の貧困者やホームレスを招いたばかりだ。

教皇は11月26日に上智大学で講演し、日本を離れる予定だ。


[写真]
東京ドームで行われたミサで説教するフランシスコ教皇。日本の「過剰競争」について訴えた

J-CASTニュース、2019/11/25 19:34
日本の若者は「過剰競争で傷ついている」
ローマ教皇が5万人ミサで訴える

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)
https://www.j-cast.com/2019/11/25373560.html

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2019年11月27日

Pope Francis in Tokyo Dome

[LIVE]教皇ミサ(オリジナル音声版)POPE IN JAPAN 2019/Holy Mass、Tokyo Dome
https://www.youtube.com/watch?v=j_fLDeW2p98

https://www.youtube.com/watch?v=nLHL7SpZgl0

ローマ教皇.jpg
☝ Pope Francis kisses a child during a Holy Mass at the Tokyo Dome

APOSTOLIC JOURNEY OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS
TO THAILAND AND JAPAN
(19-26 NOVEMBER 2019)
HOLY MASS
HOMILY OF HIS HOLINESS
Tokyo Dome
Monday, 25 November 2019


The Gospel we have heard is part of Jesus’ first great sermon. We know it as the Sermon on the Mount, and it describes for us the beauty of the path we are called to take. In the Bible, the mountain is the place where God reveals himself and makes himself known. “Come up to me”, God says to Moses (cf. Ex 24:1). A mountain whose summit is not reached by willpower or social climbing, but only by attentive, patient and sensitive listening to the Master at every crossroads of life’s journey. The summit presents us with an ever new perspective on all around us, centered on the compassion of the Father. In Jesus, we encounter the summit of what it means to be human; he shows us the way that leads to a fulfillment exceeding all our hopes and expectations. In him, we encounter a new life, where we come to know the freedom of knowing that we are God’s beloved children.

Yet all of us know that along the way, the freedom of being God’s children can be repressed and weakened if we are enclosed in a vicious circle of anxiety and competition. Or if we focus all our attention and energy on the frenetic pursuit of productivity and consumerism as the sole criterion for measuring and validating our choices, or defining who we are or what we are worth. This way of measuring things slowly makes us grow impervious or insensible to the really important things, making us instead pant after things that are superfluous or ephemeral. How greatly does the eagerness to believe that everything can be produced, acquired or controlled oppress and shackle the soul!

Here in Japan, in a society with a highly developed economy, the young people I met this morning spoke to me about the many people who are socially isolated. They remain on the margins, unable to grasp the meaning of life and their own existence. Increasingly, the home, school and community, which are meant to be places where we support and help one another, are being eroded by excessive competition in the pursuit of profit and efficiency. Many people feel confused and anxious; they are overwhelmed by so many demands and worries that take away their peace and stability.

The Lord’s words act as a refreshing balm, when he tells us not to be troubled but to trust. Three times he insists: “Do not be anxious about your life… about tomorrow” (cf. Mt 6:25.31.34). This is not an encouragement to ignore what happens around us or to be irresponsible about our daily duties and responsibilities. Instead, it is an invitation to set our priorities against a broader horizon of meaning and thus find the freedom to see things his way: “Seek first the kingdom of God and his righteousness, and all these things shall be yours as well” (Mt 6:33).

The Lord is not telling us that basic necessities like food and clothing are unimportant. Rather, he invites us to re-evaluate our daily decisions and not to become trapped or isolated in the pursuit of success at any cost, including the cost of our very lives. Worldly attitudes that look only to one’s own profit or gain in this world, and a selfishness that pursues only individual happiness, in reality leave us profoundly unhappy and enslaved, and hinder the authentic development of a truly harmonious and humane society.

The opposite of an isolated, enclosed and even asphyxiated “I” can only be a “we” that is shared, celebrated and communicated (cf. General Audience, 13 February 2019). The Lord’s call reminds us that “we need to acknowledge jubilantly that our life is essentially a gift, and recognize that our freedom is a grace. This is not easy today, in a world that thinks it can keep something for itself, the fruits of its own creativity or freedom” (Gaudete et Exsultate, 55). In today’s first reading, the Bible tells us how our world, teeming with life and beauty, is above all a precious gift of the Creator: “God saw everything that he had made, and indeed, it was very good” (Gen 1:31). God offers us this beauty and goodness so that we can share it and offer it to others, not as masters or owners, but as sharers in God’s same creative dream. “Genuine care for our own lives and our relationships with nature is inseparable from fraternity, justice and faithfulness to others” (Laudato Si’, 70).

Given this reality, we are invited as a Christian community to protect all life and testify with wisdom and courage to a way of living marked by gratitude and compassion, generosity and simple listening. One capable of embracing and accepting life as it is, “with all its fragility, its simplicity, and often enough too, with its conflicts and annoyances” (Address at the Vigil of World Youth Day, Panama, 26 January 2019). We are called to be a community that can learn and teach the importance of accepting “things that are not perfect, pure or ‘distilled’, yet no less worthy of love. Is a disabled or frail person not worthy of love? Someone who happens to be a foreigner, someone who made a mistake, someone ill or in prison: is that person not worthy of love? We know what Jesus did: he embraced the leper, the blind man, the paralytic, the Pharisee and the sinner. He embraced the thief on the cross and even embraced and forgave those who crucified him” (ibid.).

The proclamation of the Gospel of Life urgently requires that we as a community become a field hospital, ready to heal wounds and to offer always a path of reconciliation and forgiveness. For the Christian, the only possible measure by which we can judge each person and situation is that of the Father’s compassion for all his children.

United to the Lord, in constant cooperation and dialogue with men and women of good will, including those of other religious convictions, we can become the prophetic leaven of a society that increasingly protects and cares for all life.

http://www.vatican.va/content/francesco/en/homilies/2019/documents/papa-francesco_20191125_messa-tokyo-omelia.html


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2019年11月26日

子供に見せたくないなあ、首相

作家の室井佑月氏は、「即位の礼」などに関する安倍首相の振る舞いについて意見する

* * *

「即位の礼」に伴い安倍首相が、“テレビジャック”をした。
 ワイドショーではこの期間、どの番組をつけても安倍首相が映っていた。

 安倍首相夫妻が主催する晩餐(ばんさん)会、首相と各国元首ら62人とのマラソン会談。
 テレビでは途中から、主役が完全に入れ替わった。

 安倍首相のことも有り難がれって? 馬鹿らしい。
 通訳も入れて10分から30分の会談になんの意味があるというのだ?
 ようするに、天皇の威を借りた(天皇の名を出して税金も使った)、安倍首相のパフォーマンスを見せられたわけだ。

 開催が11月10日に延期されたパレードには、安倍首相らまで参加するという。
 平成のパレードから、自民党本部前を通るというルートに変えて。

 だいたいパレードが延期されたのは、台風被害に遭った人を考慮してだ。
 そういうことを考えれば、ラグビーや皇室行事に絡めたお祭り騒ぎ、この人はなんなんだろうかと思う。

 というか自分たちのことを右翼、もしくは保守だといっている人たちは、天皇の威を借りてしゃしゃり出てくる安倍首相に「不敬だ」と怒らないのか?
 天皇陛下万歳といいながら、皇居の敷居を思いっきり踏んでいるあの人に。

 というか、皇室を政治に利用することは許されないことである。
 それがいつの間にか許されているかのようになっているのが恐ろしい。
 安倍首相は堂々と皇室を利用している。

 皇室の儀式を国事行為とすることが、憲法の政教分離原則違反である、などと固いことをいうつもりはない。
 ほかの宗教と皇室は、国民の捉え方もちょっと違っている。

 災害が起こった場所の避難所を陛下が訪れれば、感動の涙を流す人がいる。

 海外の要人のおもてなしは下品な政治家夫婦にやらせるより、よほど安心して見ていられる。

 しかし国民の信頼が皇室にあればこそ、時の政権が皇室を自分たちのもののように扱うことは、絶対にあってはならないことなのだ。

 先の戦争は、天皇陛下を中心とする国家神道が利用された。
 天皇は神とされ、神である天皇に国民は従うべきだ、という同調圧力がすごかった。
 そうやって国民を支配した。

 安倍首相はまたその時代に戻したいのか?
 災害が頻繁に起こるこの国、貧しくなっていくこの国。
 為政者として、「国のために我慢しろ」とだけ国民にいっていればいいなら簡単だ。
 そこで国民が文句でもいおうものなら、国に仇(あだ)なす人間、反乱分子として扱えばいい。
「非国民」という罵(ののし)り言葉を使って。

 天皇陛下や上皇さまは、その時代への逆戻りを望んでおられないと思うがね。
 お言葉の数々に、「天皇陛下万歳!」といって自分たちを利用し、改憲を進めようとする人間たちへの反発が込められている。

 いっとくが、皇室を政治に利用することへの批判は皇室批判ではない。
 皇室を利用するものはそういう話にすり替えるが。


※ 週刊朝日  2019年11月15日号

AERA dot.、2019.11.7 07:00
首相の皇室利用
(室井佑月)
https://dot.asahi.com/wa/2019110600005.html

作家の室井佑月氏は、安倍首相の「責任は私にある」発言の意味を問う。

* * *

・ ハードディスクにドリルで穴を開けてその場をしのいだ政治資金規正法違反事件での小渕優子元経済産業相、
・ うちわの配布で問題になった松島みどり元法相、
・ 補助金交付団体からの政治献金問題の西川公也元農林水産相、
・ 業者への口利き疑惑を睡眠障害を理由に逃げた甘利明元経済再生相、
・ 大震災が東北で良かった発言の今村雅弘元復興相、
・ PKO日報隠蔽(いんぺい)問題の稲田朋美元防衛相、
・ 復興より議員が大事とのたまった桜田義孝元五輪相……。

 で、ここに加わった新メンバーは、
・ 香典公職選挙法違反疑惑の菅原一秀前経産相、
・ それと妻の公職選挙法違反疑惑の河井克行前法相。

 もちろん、疑惑の類でいえばもっとたくさんの政治家が引っかかる。
 このメンバーは安倍首相が、「任命責任は私にある」といって大臣を辞めた人たち。

 首相は「責任は私にある」って言葉、たぶん違う意味で覚えてるよね。
「私からもおわび申し上げる」くらいに思ってんじゃね?
 でもって、この言葉の後、これからもこの国のため邁進(まいしん)していく、みたいな言葉で収めるんだよ。

 はぁ?
 違うんじゃね?
 手柄を上げ、褒められた後、そういうならわかるけど。
 誰か〜、彼に「責任」というところに付箋(ふせん)貼った辞書を渡してやって〜。

 出るわ出るわの大臣の不祥事。
 でも大臣を辞め、首相が「責任は私に……」と一言いえば、疑惑は帳消しになってしまう

 そりゃあ、国民を舐(な)めてかかるのも仕方ないだろう。
 みんなそれで「ふざけるな!」と怒らないんだもの。

 11月1日付の産経新聞のデジタル版に「英語試験延期 自民・世耕参院幹事長『思いやりにあふれた決断』」という記事が載っていた。

 自民党の世耕弘成参院幹事長が、萩生田光一文部科学相が大学入学共通テストに導入される英語の民間検定試験の来年度からの実施を見送ると発表したことについて、「受験生の立場に立った思いやりにあふれた決断だと思っており、高く評価したい」と述べたとか。

 この仲間内だけでやってる感じ。
 みんなは気持ち悪くないのだろうか?
 仲間内だけでやってる感じではなく、もうほんとうに仲間内だけでやっている。
 受験生の立場に立った?
 そう考えているなら、民間検定試験なんて案は出てこない。

 この制度は共通テストの採点に、民間試験の2回分が採用される。
 裕福な家の子は何度も受けられ、地方の離島などに住んでいる子は不利になる。
 萩生田大臣がテレビに出て、そのことを指摘されると「身の丈に合わせて勝負してもらえば」と正直にいってしまった。
 人には生まれによってランクがある、て文科相がいったんだ。
 そういう考え方は、お仲間主義のなせる業だろう。

 そうそう、文科省の会議には民間業者が入ってたってね(非公開)。
 彼らもお仲間?
 お仲間どうし、一般の我々を犠牲にして、美味(おい)しい思いしようとひそひそ話したのかしら?


※ 週刊朝日  2019年11月22日号

AERA dot.、2019.11.14 07:00
お仲間ルール
(室井佑月)
https://dot.asahi.com/wa/2019111300009.html

作家の室井佑月氏は、ヤジを飛ばす安倍首相にあきれ、英語民間試験の延期について言及する。

* * *

 11月7日付の毎日新聞電子版に「やまぬ安倍首相のヤジ 今年だけで不規則発言20回超『民主主義の危機』」という記事があった。

「子供に見せたくないなあ、と思ってしまった。(中略)国会のテレビ中継である」

 という言葉からはじまっている。
 でもって記事を読み進めてわかったのだが、首相が国会でヤジを飛ばすのは、今年だけでも26回なのだそうだ。

 こんな恥ずかしい首相、いまだかつていた?
 もう十分に歴史に名が残るわ。
 なので、辞めてもらって結構だ。
 この国の子供の教育をがたがたにしてしまう前に。
 子供の教育によろしくない人が、教育改革をしようとしているってどうよ?

 最近では、2020年度から開始される大学入学共通テストの英語民間試験の導入が延期になった。
 萩生田光一文部科学相の教育格差を容認する発言が叩(たた)かれて。

 ほんとうは中止にすべきだろう。
 受験生の居住地域や家庭の経済状況によって格差が生まれてしまうテストなんて。
 けど、延期じゃ。

 だって、ベネッセの関連団体に、文科省の役人や教育再生実行会議の有識者メンバーが「天下って」いたり、ベネッセの人間が政治家のパーティーにせっせと参加したり(それだけじゃないだろうが)、お友達同士でお金の流れをもう決めているから。

 子供はこの国の宝だ。
 なのに、教育を金儲(もう)けの材料として考える人間がいる。
 ほんとうの悪だと思う。

 だいたい安倍首相が教育再生実行会議を立ち上げ、真っ先にやったことは、道徳の教科化だった。
 国を愛する心を教え、点数をつけたいといっていた。
 子供の心の中に手を突っ込んで、それが正しいか決めつけ、一斉におなじ方向に向けたがった。


 そんな考えの人たちが今回、大学入試の共通テストを変えて、子供に「思考力・判断力・表現力」を身につけさせたいって矛盾してないか?

「思考力・判断力・表現力」というものは、強制されて身につくものじゃないだろう。
 むしろ、親の生活が安定し、子供が勉強をしたいならどこまでもできるという、普段の生活の余裕から生まれるものな気がする。

 親に金銭的な余裕と心の余裕があれば、子はいろいろな体験をさせてもらえる。
 親が生活の中で本を読んだりする余裕があるなら、家には本があり、子供も読むようになる。

 英語に関していえば、子供を留学させる体力がなくなっている親が増えてきていることが問題だろう。

 教師の労働環境の劣悪さも改善できない。
 大学の研究費もそれで儲かるかどうかで判断する。
 国が教育にお金かけてくれないから、教える側も子供の親もカツカツで、余裕がない。
 それがいちばんの問題じゃ。

 格差が広がり、朝も夜も働いてぎりぎりの生活をしている人がいる。
 子にとって、親はもっとも身近な大人のモデル。
 生きるのに精いっぱいで、人は「思考力・判断力・表現力」を持てるのか?


※ 週刊朝日  2019年11月29日号

AERA dot.、2019.11.21 07:00
教育に悪い大人
(室井佑月)
https://dot.asahi.com/wa/2019112000010.html

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アベを倒したい!

● テレビも映画『新聞記者』プロモーション拒否の裏にある噂が

室井佑月: 初めまして! 早速だけど映画『新聞記者』観たよ! 森友・加計問題や、伊藤詩織さんの事件とか、安倍さんが政権を握ってからの数々の悪事がてんこ盛りになっていた。内閣情報調査室の内幕も描かれていて。すごい面白かった。

東京新聞・望月衣塑子: ありがとうございます。公開から1カ月ほどですが、配給会社によると動員33万人で、興行通信社の週末観客動員ランキングも3週連続トップ10入りしたそうです。

室井: 知り合いの映画関係者も言ってた。政権を批判した社会派作品がここまで健闘するのは異例だって。でも、テレビとかあんまり取り上げてくれなかったんでしょ。プロモーションを拒否されたってリテラでも書いてあった。公開直後には公式サイトがサーバー攻撃にあったり。やっぱり、真っ向から安倍政権批判をして、官邸から睨まれている望月さんの原作だから、テレビとか完全に腰が引けたんだろうね。

望月: 今回の映画宣伝はテレビではすごく難しかったと宣伝部の人も言ってました。それに加えて、参院選前に私が選挙に出るという噂が出回って。

室井: あっ、やっぱり。私も聞いた。望月さんが選挙に出馬するんじゃないかって話。そんな噂を聞いたから最初に絶対確認しておこうと思ってたんだ。そういう話、あったの?

望月: あるわけないじゃないですか。でも、宣伝部は、テレビ局から「望月さんが選挙に出るかもしれないから、取り上げるのはちょっと……」と難色を示されたと聞きました。

室井: 映画の宣伝で露出してないなって不思議に思ってたけど、そんな事情があったのか。でも、それって宣伝を断る口実でしょ。安倍政権を批判する作品だから忖度マスコミ、特にテレビは取り上げたくなかったんだね。ただ、出馬に関しては望月さんは知名度も高くて、菅さん(菅義偉官房長官)と闘う女っていうイメージだから、野党系から結構声がかかっても不思議じゃないとは思う。もし声がかかっても、いまの立場を変えずに記者としてガンガン記事を書いて、声をあげ続けて欲しい。私も誘われたことあるけど「私、不倫するのとかなんとも思ってないんで無理です」って言って断った。逆に「出馬なんてことより先生のガールフレンドのひとりにしてください」って(笑)。

望月: ……(爆笑)。

安倍首相と会食を繰り返すマスコミ幹部の異常、菅官房長官とも

室井: でもさ、ちょっと有名になるとすぐに出馬の噂が出るのは心外だよね。私も仕事として表現者として、物を書くことを一生懸命やっているし、案外評価もされている。なのに、なぜ「議員になったらいいじゃん」とか言われなきゃいけないんだろうって。

望月: 同感です。いまの立場から発信し、発言する。それが私たちの仕事ですからね。発信といえば室井さん、最近ツイッターをやり始めたんですよね。リアルタイムで安倍政権の批判もしていて、ツイート回数も多くてがんばっているなと思いながら見ています。でも私もそうですが、かなりネガティブな反応も多いでしょう?

室井: すっごく多いです。最初はやり方から何から全然わからなくて「くだらないことを送ってこないで」っていちいち返事していたら、みんなに「ブロックとかミュートとかすればいいだけだ」って言われて。初心者なのでそんなことも知らなかった。それで炎上騒ぎもあって。あっ、望月さんは炎上の先輩だ!

望月: (笑)。私も一時期はあまりにひどいものはブロックしていたんですけど、そうするとまた炎上している感じになるから、いまはもう放置しています。

室井: でも、ツイッターにしても映画にしても、政治的なことがアウト、タブーになるなんて本当に恐ろしい世の中だよ。本当に怖い。そんななか、望月さん、そして東京新聞はうんとがんばってるよ。

望月: ありがとうございます。中日新聞が母体だから、社長と会長が名古屋市にいるというのにも助けられているかもしれません。安倍さんはあまり地方紙とは会食をしていないですからね。全国紙や大手マスコミは、軒並み安倍さんとの会食を繰り返していますが、こうしたトップ同士の関係は現場に必ず影響していると思います。東京新聞では、たしか長谷川幸洋さんがいた頃の2013年5月、彼が間に入って中日新聞の当時の社長が一度安倍首相と会食しているんです。でも、それ以降はしていないと思う。もし会食するような関係が続いていたら、現場としては、やりづらくなりますね。

室井: そうだよね。首相とマスコミのトップがベタベタの付き合いなんて先進国では考えられないし、報道機関、ジャーナリストとしてのプライドがないんじゃないかと思っちゃう。トップがそうなら現場も萎縮する。もうマスコミはすっかり安倍さんにやられて、忖度、自粛のオンパレードだもの。

望月: 今年6月に国連人権理事会でデービッド・ケイ特別報告者から日本の報道の自主性に対し危惧する報告書がまた出ました。そのなかには「日本政府当局者が彼らに批判的な質問をする記者に圧力を加えている」という文言もあって。

室井: それって望月さんのことだよね。デービットさんは2017年5月にも安倍政権による報道圧力とメディアの萎縮について是正を勧告していたけど、その後もメディア圧力は是正されないどころか、どんどんひどくなっているからね。

望月: 政権幹部とマスコミ幹部との会食がこれほど繰り返されるという状況は異常です。それだけでなく「桜を見る会」には芸能人をどんどん呼んで、メディア幹部だけでなく情報番組司会者、コメンテーターなど影響力のある人たちにも手を伸ばしはじめています。安倍政権になってからメディアの取り込みが露骨になっています。ただ、こうした会食への批判が大きくなったことも影響してか、一部テレビ局のトップが安倍首相との会食は断っていると聞きました。でも、その代わり菅官房長官と会食をしているそうです(苦笑)。何を話しているのかと言えば、民放連(日本民間放送連盟)の人事の話とか。菅氏は他のメディア幹部と会ったときも、官僚の人事話をしていたと聞きます。“官僚や政治家、メディア含め、俺があらゆる人間の人事を握っている”ということを内外に示すことが、自分の権力の源泉になるという意識があるのでしょう。

室井: 菅さんなら新聞の動静に出ないものね。

ギャラクシー賞を受賞した『報ステ』元CPを報道から追放したテレビ朝日

室井: 望月さんの菅さんとのやりとり見ていてもそうだし、望月さんの著書『新聞記者』(角川新書)を読んでも、映画を観てもそうだけど、望月さんって新聞記者であることへのプロ意識がすごく高いんだなと思いました。男の人って、“記者”としてではなく、会社の“役職”がつくことにこだわりがちだけど、望月さんはそうじゃない。私はジャーナリストでも新聞記者でもないから、そんなプロの記事を読んで「私はこの記事を読んでこう思った」ということを、賛否両論になってもいいから広げる。それが役目なのかなと思ってます。

望月: 室井さん、新聞から雑誌から書籍まで、ものすごい量を読んでますものね。テレビでの発言や週刊誌コラムなどを拝読していますが、相当読み込んでやってるなって。

室井: 私、オタクだから(笑)。

望月: 熱量のすごさを感じます。特にテレビは権力批判もできなくなり、危ないと思っているけど、室井さんやジャーナリストの青木理さんが発言しているのを見ると、「でもまだ希望があるな」と思います。ただ、最近でもすごくひどい人事がテレビ朝日であった。それがジャーナリズムの要として『報道ステーション』のチーフ・プロデューサーなどをやっていた松原文枝前経済部長が、報道局から総合ビジネス局のイベント事業戦略担当部長に異動したことです。彼女は現役の記者のなかでも、ずっとブレずに仕事を続けて。それで安倍政権になってから嫌がらせが続いても「それでもやらなきゃいけない」と発信し続けてきた。昨年4月の財務省・福田淳一事務次官(当時)のテレビ朝日社員へのセクハラ問題のとき、告発した社員の上司でもありました。それを逆手に取られ、「飛ばされるのではないか」という空気がありましたが、当時は伊藤詩織さんの#MeTooの流れがあって、この問題を『報ステ』でも小川彩佳アナ(当時)が取り上げ、反響を呼んでいました。女性記者たちが集まってできた団体「メディアで働く女性ネットワーク」(WiMN)でも、「声をあげた人たちを守ろう」と掲げていたんです。そうしたまっとうな方だったからこそ、相当前から政権に目をつけられていた。しかもいま、テレ朝は早河洋会長の体制下で、安倍首相や菅さんの応援団を自認する、幻冬舎社長の見城徹さんが放送番組審議会の委員長に入っている。(松原さんが)番組を外れる可能性は高いんじゃないかと危惧していたのですが、現実になってしまって。

室井: 彼女は古賀茂明さんが『報ステ』を降板させられたときも、最後までかばった人でもあるよね。

望月: そうです。予兆もありました。2016年6月、『報ステ』で松原さんが経済部長時代に手がけた特集「独ワイマール憲法の“教訓”」がギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞した。「ドイツの民主的なワイマール憲法下でなぜ独裁者ヒットラーが生まれたか」という日本の憲法改正の動きとの比較で深く考察されたものでした。そんな栄誉ある賞なのに、政権に批判的に取れる内容なのでテレ朝内では喜ぶどころか“なかったこと”のようだったと聞きます。しかも「贈賞式に出るな」「コメントするな」って松原さんに対して圧力もあったらしくて。異動との関連ははっきりしませんが、松原さんは、憲法改正の国民投票でのテレビのCM規制についての民放連の動きも問題視していました。これまで民放連は「CM規制をかけることも含めた議論をすべきだ」としていたのに、民放連会長や専務理事が日テレに変わった途端、「表現の自由がある」として、「CM規制をかけない」と一変させた。松原さんはそれに対し、過去の国会の議事録などを調べ上げて分析、民放連の会見でも追及していたと聞きます。誰も聞かないから聞きに行かなければという意識だったそうです。政治部デスクにことわって聞きに行っていたそうですが、これをテレ朝の幹部が、問題視していたと聞きました。

権力の肩を持ち、望月記者の足を引っ張る記者クラブに、室井が激怒

室井: 憲法改正をしたい安倍さんへの忖度と金儲けってやつか。テレ朝は小川アナを追い出したり、逆にネトウヨアナの小松靖を『ワイド!スクランブル』に起用したり。テレビも安倍さんへの忖度と、広告収入や視聴率が下がっていくなかで、どんどん変な方向へ行っている気がする。そんななかで、望月さんにして松原さんにしても、権力と対峙してる。官邸に立ち向かっている。誇りを持って仕事してるんだなってわかる。でも、いろいろ大変なんでしょ。菅さんにガンガン質問してる姿は私たちからしたら拍手喝采だけど、記者クラブで足を引っ張られてるって聞いてる。質問する望月さんの悪口言う記者までいるっていうじゃない。昨年も、辺野古の赤土について質問したら菅さんが逆上して、望月さんの質問を制限しようとしたんでしょ。しかも、そんなひどいことに対して、一部の記者が「望月さんが質問をすればするほどクラブの知る権利が阻害される」なんていうコメントを共同通信にしてさ。その上、菅さんの主張はフェイクだったじゃない。

望月: そうなんです。日本新聞労働組合連合(新聞労連)や日本ジャーナリスト会議から抗議声明も出て、東京新聞でも社説や特集記事を掲載し、官邸前でのデモなどもあったのですが、でも記者クラブに関しては室井さんの言う通りかもしれません。実際、ある大手紙記者が「なんだよあいつ、いつまで来させるんだよ」と私についてあからさまに批判していたとも聞きました。それと最近、新聞労連の新聞研究部が、ここ2年以内で官邸にいた記者を対象に官邸会見について匿名アンケートをとり、幹事業務を担う19社、33人が回答を寄せたようですが、そのなかに私の批判もあった(笑)。「パフォーマンス」「自己アピールだ」だとか「質問が長い」とか。同時に、なかには「内部で官邸と繫がっている社がある限り、記者クラブとして身動きが取れない。苦しい」というような生々しい声もありました。彼らはわかっているけど、ジレンマに陥っている。

室井: どこかの独裁国家のメディアとほとんど変わんないね。現場の人から実態を聞くと、どんどん怖くなってくる。

● 望月衣塑子が菅官房長官の会見に出て、質問を続けている理由

室井: 望月さんの話を聞いてると、つくづく恐ろしくなるけど、でもそんな状況なのに記者クラブの人って、質問をしないでパソコンに向かってひたすらカタカタやっているんでしょ。質問しないのって記者としての誇り、能力がないじゃない。記者は質問して、納得できるまで食い下がるのが仕事でしょ。質問しないで菅さんの話を垂れ流すだけだったら子どもにでもできる。しかも同業なわけじゃん? 誇りがあるなら味方しろ! 記者クラブって本来、国民の知る権利を代弁する制度だし、もし同業他社でも権力から知る権利を奪われそうになったら、タッグ組んで「妨害はやめろ」「きちんと質問に答えろ」ってやるのが役目なんじゃないの? でも、日本はそうじゃない。逆にバッシングをするって本当におかしい。しかも、権力の批判や監視をするのが新聞やジャーナリズムの役割なんだから、権力者とお友だちになってどうする! 緊張関係が必要なのに、そうじゃない。いまの記者クラブはスクープがあったとき、1社に抜かれるのが怖いからというだけのために存在してるのかと思っちゃう。それに菅さんって、記者やテレビコメンテーター、芸能人なんかと、けっこう頻繁にご飯食べてるらしいし、人たらしなんでしょ。そんな菅さんに記者はひれ伏している。安倍政権がこんな長く続いているのも、逆に言えばそのキーパーソンは菅さんってことじゃないかと思うんです。

望月: そうですね。政権存続のため、裏で彼がメディアや官僚、政治家、企業の人たちと何をやっているのかを見ることは大切なことだと思います。一連の公文書改ざん問題や森友加計問題の発言のひとつひとつを見ていると、その背後に必ず菅さんの存在がある。今回の私に対する質問妨害もそう。最初は、内閣府の長谷川榮一氏(総理補佐官兼内閣広報官)から抗議文が来たけど、もちろん菅さんなんですよね。しかも、妨害行為が国会で問題視されて、周囲から「さすがにやめたほうがいい」と言っても、菅さんは「俺はあいつが嫌いなんだ!」って全然聞く耳を持たなかったと聞いています。そういう意味で、良くも悪くも裸の王様というか、自分の思ったことは何がなんでもやる。そうした菅さんら官邸の姿勢が公文書改ざんの問題の根底にある。その危うさを感じるからこそ、会見に出て質問しているのですが。

室井: さすが“影の総理大臣”と言われるだけある。でも、裏を返せば、そんな権力の中枢に望月さんは恐れられているってことでしょ。

望月: まあ、目障りなんでしょう(笑)。それまで菅さんは突っ込んだ質問をさせない土壌をつくり、記者もそれなりに従っているふうを装ってきた。そこに私が来て。

菅官房長官がオフ懇の前に行う“儀式”を聞いて室井が「ひゃぁー怖っ」

望月: 菅さんの会見では事前通告が現在、慣例化しているとも聞きます。匿名のアンケートにも「事前通告せずに質問したら官邸側から怒られた」とありました。菅さん側から「事前に質問は全部投げてほしい」と言われると、現在のパワーバランスのなかでは、記者もそれに従わざるを得ないのでしょう。先進国や外国人特派員協会のなかではあり得ない状況です。さらに会見が終わると、裏で番記者とオフレコ懇をやります。

室井: 公の会見では記者は質問しない、菅さんは言いたいことだけ言う。なのにその裏でオフ懇をするってどういう了見なの。望月さんが菅会見に出るようになってから、オフ懇を拒否するようなこともあったんでしょ? やっても望月さんの悪口を吹き込むって聞いたことある。他の記者に望月さんを批判して、“おまえらどうにかしろ!”って。なんて姑息なんだ。自分たちに都合の悪い質問をする望月さんを排除するって。でも、それが安倍政権の本質でもあると思う。

望月: 政府見解が必要なところは、それなりに毎回、記者は聞いています。でも、官邸がクラブに貼り出した私についての抗議文について質問した記者にある官邸の記者が、こう言ったそうです。「これは、国民の知る権利を守るのか、それとも我々記者クラブの知る権利を守るのか、この闘いだ。バランスもっと考えてね」って。

室井: それって菅さんからの“伝言警告”ってことでしょ。番記者はジャーナリストじゃなくて伝書鳩だったのか!

望月: オフ懇に関しては、新聞労連の新聞研究部がここ2年以内で官邸にいた記者を対象におこなった匿名アンケートでこんな指摘もありました。菅さんへのオフ懇や夜回りに来る記者が携帯電話やICレコーダーを事前に回収袋に入れると。これはオフ懇の内容が週刊誌で報じられたことがあって、菅さんが激怒したため、その予防策として、つまり記者が菅さんに忠誠を誓う“儀式”として行われていたということのようです。その後、雑誌やネットでこの事が公にされてから、その儀式は止めたようですが。

室井: ひゃぁー怖っ。菅さんも怖いけど、それに忠誠を誓う記者も恐ろしい。

望月: 会見では質問以外にもいろいろなことがわかるんです。たとえば私の質問中、菅さんがある記者によく目配せしてるんです。その記者は野党時代から菅番をやっていて、安心できるから彼に毎度、相槌を求めているのでしょう。菅さんの会見での精神安定剤なんだなと。彼がいないと気持ちが安心できないのか、目が泳いでいるように見えます。そんな一面も垣間見れる。テレビ朝日の松原(文枝・前経済部長)さんに関しても(編集部註:詳しくは前編参照)『報ステ』で安倍政権批判をしていた時代、菅さんは「あいつ(松原さん)と食事できないかな」って周りに聞いていたらしい。でも、彼女の性格を知っている周りから、「食事しても変わらないですよ」と言われて止めたとか。そうやってまめな会食を重ね、常に現場の記者やメディア幹部を取り込んで来たのでしょう。親しくなり、自分を好いてくれれば、今後の報道も含めて、将来、心強いですからね。

望月衣塑子や室井佑月に向けられる批判の裏に「女のくせに」という差別

室井: でも、話を聞いていて思ったのが、菅さんや同業の記者が望月さんを批判するのは、女性だからという面もあるんじゃない? やっぱ男社会だし、出る杭は打たれる国だから、女性で目立つと嫉妬やバッシングが起きやすいと思う。Twitterで、私や望月さんを攻撃している人がいっぱいいて、ちょっと興味があるから調べたら、他にもすごく女の人を狙って罵詈雑言を繰り返している人だったりする。「ババアが」とかね。仕事をしていると、「女が意見を言うな」って感じの悪口もすごく多いし、そういうのってすごく感じる。女性差別もあるんじゃないかって主張すると、今度は「おまえ、自分が女だと思ってたのか」なんてことまで言われたことも。望月さんを叩いている人たちって、「女のくせに」って意識があるのは否めなくない?

望月: そうですね。それは私だけではなく政治家にも当てはまるかもしれません。稲田朋美さん、辻元清美さん、そして蓮舫さんなんかもそうだけど、与野党や政治的信念に関係なく、女性の政治家へのバッシングは男性の政治家のそれとは明らかに違う。セクシュアリティへの言及、ツッコミをしますよね。マスコミでもやはり男尊女卑の風潮も感じます。女性記者は、政治家の会見に出ている記者がそもそも少ないし、あまり積極的に質問しているように見えない。とくに#MeToo、#WeToo運動があったとき、女性記者がもっともっと政府や麻生太郎財務大臣に突っ込んで聞いてもいいと思いました。がんばって聞いている女性記者もいましたが、全体としておとなしく見えました。アメリカだったら、麻生大臣は総攻撃にあうし、「はめられたんじゃないのか」と同じ発言をしていたら辞任に追い込まれていたのではとも思います。

室井: たとえば片山さつきさんを批判するとき、主張について意見を言うのは当然だけど、そこに「ブサイクが」とか「変な髪型しやがって」とかって言うのはおかしいよね。でも悲しいかな、権力を持っている男にひれ伏し出世しようとする女性がいることも確かなんだけどね。「恥知らず!」なんて恐ろしい言葉で安倍さんを擁護する三原じゅん子さんとか、大臣就任の挨拶で「私はみなさんの妹」ですと自己紹介しちゃう丸川珠代さんとかもいる。難しいね。女性は団結しないといけないと思うんだけど。

三原じゅん子、NHK岩田明子はなぜ安倍首相に心酔するのか

室井: 三原さんはすっかり安倍さんに洗脳されているけど、昔からずるい人じゃないのよ。タレントのときから。だってハッピハッピー(元アニマル梯団のコアラ)と離婚したとき、番組で一緒になって。わたしが「こんな男いいじゃん、いらないじゃん」って言ったら、すぐに泣いちゃって。だからいますごく信じているのが安倍さんってことなんじゃないかな。純粋だから。でもそれが一番怖いと思っちゃう。信じ込んじゃうことが。

望月: 三原さんは、かつては石破茂議員支持だったと聞きますが、彼女も菅さんとの会食後、安倍さんに寝返ったとか。「菅氏に副大臣とか政務官のポストをぶら下げられたのではないか」と聞きました。NHKの岩田明子記者は、安倍さんに心底心酔しているとも聞きます。そうでもないと、あそこまであからさまに安倍さんを持ち上げられないかなとは思いますが。

室井: 安倍さんがイランを訪問したときも、安倍さんの成果を盛んに強調していたけど、なんだかクラクラしたけど、最近は逆の意味で岩田解説が楽しみになって(笑)。でも岩田さんって、安倍さんと近しい関係ということでNHK内ですごい力を持っちゃって。こういうやり方見てると、やはり女性同士ってだけで団結って難しいのかなって思っちゃう。

室井佑月が望月衣塑子の民主主義を守る覚悟に感動、共闘を宣言!

室井: もっと女同士が味方すればいいのに、なかなかそうはならない。新聞社とかテレビ局って大企業でもあるけど、男女差別はあるし、女性はそれを絶対、感じてたりするのに。そんななかで望月さんが問題意識を持ち続けられるのはなぜ? 原動力ってどんなこと?

望月: たとえば社会部の私が菅さんの会見に出ても、政治部から文句を言われることはないです。彼らには、菅さんの秘書官や他社の記者からはいろいろ言われて、迷惑をかけているはずなのに、本当に有り難いなと思っています。それに、会社にFAXや電話の投書で応援メッセージが来るんです。いまの政権はおかしいと思っている人たち、安倍さんのやり方に怒ったり疑問に思っている人がたくさんいる。そういう声を知れば、記者として疑問に思ったことを会見に出て質問するしかない。国民の知る権利に応えなくちゃならないと思うんです。そして社としてもバックアップしてくれる土壌がある。アベノミクスも公文書改ざんも、沖縄の問題も、いまの日本はおかしなことばかりです。そんななか、私たちメディアが声をあげ、報道ができなくなったら、情報がシャットアウトされて伝わらなくなる。そうなったときに何が起こるのか。民主主義は明らかに後退していく。そんな危機感があります。そして、東京新聞の読者の方々もその問題意識を共有してくれている。だから続けられるのかな。

室井: でも、本当は望月さんの言っていることって、そういう記者の当然の問題意識を安倍政権によって崩壊させられた。その罪は重いと思う。

望月: 官邸クラブにいる記者はじめ、他のさまざまな現場にいる記者でも苦しんでいる人は多いと思います。そのなかでもそれぞれが、皆できる範囲のなかでがんばっている。権力に向かってものを言おうと、立ち上がろうとしてる人たちもいる。そんな同じ思いでやっている人がいて、読者が支えてくれる。それが原動力かな。

室井: 立派だと思う。これからも応援する。すぐにバッシングされる同士、女性同士、今後も仲良く闘おうね!

リテラ、2019.08.08 11:31
室井佑月と東京新聞・望月衣塑子、闘う2人の女が語った安倍政権の圧力、ネトウヨの攻撃、忖度メディア
https://lite-ra.com/2019/08/post-4889.html

リテラ、2019.08.09 11:42
室井佑月も恐怖 望月衣塑子記者が語った菅官房長官の裏の顔! 圧力を批判されても「俺はあいつが嫌いなんだ」
https://lite-ra.com/2019/08/post-4890.html

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2019年11月25日

ローマ教皇のスピーチ

教皇のスピーチ
核兵器についてのメッセージ
長崎・爆心地公園

2019年11月24日

愛する兄弟姉妹の皆さん。

 この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。

 人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

 国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

 ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人びとの全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

 核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。

 今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

 カトリック教会としては、人びとと国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行なっています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

 核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。

 こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

 心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

 ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。

 主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
 憎しみがあるところに愛を、
 いさかいがあるところにゆるしを、
 疑いのあるところに信仰を、
 絶望があるところに希望を、
 闇に光を、
 悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

 記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

 皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。


教皇のスピーチ
広島の平和公園にて

2019年11月24日

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

 あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。

 ここで、大ぜいの人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。

 この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。

 わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人びとを思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、静かに祈るためです。とくに若者たち、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人びとはいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。

 わたしはへりくだり、声を発しても耳を貸してもらえない人びとの声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人びとの声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行なわれる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

 確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。2年前に私が言ったように、核兵器の所有も倫理に反します。これについて、わたしたちは神の裁きを受けることになります。次の世代の人びとが、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、諸国間の行動を何一つしなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪の演説という役に立たない行為をいくらかするだけで自らを正当化しながら、どうして平和について話せるでしょうか。

 平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス――地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を他者に押し付けることはいっさい正当化できません。その逆に、差の存在を認めることは、強い責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。

 実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈し、対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

 思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる真の道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても、国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。

 だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

 神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11−12)。

 主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!

 私は、君とともに平和を唱えます。


NHK、2019年11月24日 21時57分
ローマ教皇 長崎 広島でのスピーチ(全文)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189341000.html

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2019年11月24日

みどりさん、「またね。」は淋しすぎるよ

 ほんの一ヶ月前、10月23日のこと。
 ぼくは、午後2時から燐光群の舞台『なにもおきない』(坂手洋二・作)を、梅ケ丘の小さな小屋で観た。その後、6時半から映画『i−新聞記者ドキュメント−』(森達也監督)の特別試写会に行く予定だった。
 飯田橋の試写会場は初めてだった。芝居が終わってすぐに向かったら、ずいぶん早く会場に到着してしまった。さすがにまだ人影がない。小腹がすいていたので、サンドイッチでも食べようかと、近所をブラブラしていたら、「あら、こんにちは」と声がした。木内みどりさんだった。
 「なんだか時間を読み違えて、こんなに早く着いちゃったあ、ふふ」と笑っていた。「じゃあ、その辺でお茶でもしますか」とぼく。
 近所にスターバックスがあったので、ふたりでサンドイッチとコーヒー。ぼくにはあまりに合わないメニューだけれど、木内さんが選んだのだ。ぼくがおごってあげた(笑)。
 「うわあ、嬉しい。やったあ!」と、木内さんは天真爛漫。
 1時間ばかり、ふたりでいろんな話をした。これからの仕事の予定、公開中の出演映画の話、最近力を入れている「小さなラジオ」の楽しさ。
 「その髪型、なんだか落合恵子さんに似てきてません?」
 「うんうん、これがいちばん楽なのよね。落合2号でいいわ」
 「やまんばルック。落合さんも、手間がかからず気持ちいい、とおっしゃっていましたけどね」
 「落合さんって偉いわよねえ。あれだけ一生懸命市民活動に力を入れ、一方でクレヨンハウスの経営も立派にやってらっしゃる。マネできないわ」
 「いやいや、木内さんだって、演技も市民活動も両立させてらっしゃるじゃないですか」……。
 そして、市民運動の面倒くささへの、ちょっとの不満まで。
 話は尽きなかったが、時間はすぐに経ってしまう。試写会が始まる時刻になって、席を立った。
 みどりさんとの、それが最後の会話となった。
 ぼくが木内みどりさんと知り合ったのはいつだったのだろう?
 記憶を探っても、このとき、という明確な時期は浮かんでこない。なんとなく、いつの間にか……というのがほんとうのところだ。
 もちろん、芸能活動での接点はない。だから、木内さんが反原発や憲法擁護などの活動に力を入れ始めてからのことであるのは間違いない。たびたび、デモや集会の現場で顔を合わせるようになったからだろう。
 多分、鎌田慧さんか佐高信さんあたりの紹介ではなかっただろうか。それとも、落合さんだったろうか。ともかく、出会うたびに挨拶を交わすようになったのだった。
 あるときぼくは、木内さんに「実は、ぼくは『マガジン9』っていうウェブマガジンに協力しているんです。そこでインタビューを受けてくれませんか」とお願いした。木内さんは「えっ、ほんと? 私なんかでいいの?」と、たいそう喜んでくれた。
 それが、2014年6月11日の「マガ9」に載った。「『脱原発』のため、私がやれることは何でもやる」とのタイトルで、淡々と、でもとても真剣に「脱原発」についての想いを語ってくれたのだった。
 その際、「お話はとても素晴らしかったです。その想いを、今度は文章で書いてもらえませんか」と、厚かましくもお願いしてみた。お忙しいのだから、とてもムリだろうとは思っていたが、ダメモトで頼んでみたのだ。
 「うわっ、嬉しい。文章をかくのって苦手だけれど、いいのかしら、私なんかで?」と、快諾してくださったのだ。
 それで「マガ9」に、『木内みどりの「発熱中!」』というコラムが始まった。その第1回は、2014年9月3日掲載の『9月1日はわたしにとって特別な日。』である。
 ほんとうに、芸能界という色(そんなものがあるとしたら)には、まったく染まっていない方だった。
 実はぼくは、数十年前の話だが、月刊「明星」という、これぞ芸能界!というような雑誌の編集者をしていた。だから、当時の芸能界の雰囲気というものを、かなり知っている。ある意味で、常識の通じない(常識外れの)ことが罷り通る世界であることも知悉していた。
 テレビと芸能事務所がすべてを支配する世界。その中で、政治的意見をはっきり言うことなど(ときの権力者にすり寄る意見は別として)、自分の芸能人としての生命を縮めてしまうことでしかない。多分、それは当時より強まりこそすれ、弱くなっているとは到底思えない。
 そんな中で、政府の重点的な施策である「原発推進」に真っ向から抵抗して反原発集会で司会をこなし、自ら立ち上げた「小さなラジオ」でも、小出裕章さんを呼んで、反原発の旗を掲げ続ける。ぼくは、そんなみどりさんが大好きだった。
 我が「マガジン9」の事務局長だった塚田ひさこが、ある日突然「豊島区議選に立候補する」と宣言して、マガ9編集部をパニックに陥れたときも、みどりさんは塚田応援の先頭に立ち、数日間、塚田と一緒に選挙区内を練り歩いてくれたのだ(*)。
 そんなみどりさんだから、「マガ9」も、みんながみどりさんファンだったのだ。それが……。
 ぼくがみどりさんの急逝を知ったのは、ツイッター上でだった。何気なく開いたツイッター上に「水野木内みどり」といういつもの名前で、思いもかけぬ文章が載っていたのだ。

〈木内みどりが、2019年11月18日、急性心臓死により永眠いたしました。生前の本人の希望通り通常の通夜・告別式は行わず、家族のみでお別れをいたしましたことをご報告いたします。これまで応援してくださいました皆様、またお世話になりました皆様へ謹んで御礼を申し上げます。〉

 最初は悪い冗談かと思った。だって、あんなにもお元気だったみどりさんが、それも「ヒロシマの反戦・反核を訴える表現者の企画展」の準備のための広島滞在中に亡くなったというのだ。
 そのツイートを見たとき、ぼくは思わず「ウソだっ」と声をあげていた。それほど、信じられなかった。
 でも、事実だった。
 「水野木内みどり」のツイートには、薄青いゆったりした服を着て、楽しそうに両手を伸ばした写真が添付されていた。
 そして「またね。」と。

 みどりさん、「またね。」はないよ。
 淋しすぎるじゃないか……。


マガジン9、2019年11月22日
臨時便:
みどりさん、「またね。」は淋しすぎるよ……
(鈴木耕)
https://maga9.jp/191122-1/

(*)塚田ひさこ(豊島区区議会議員、豊島・生活者ネットワーク)

 誰もが目と耳を疑った、突然の木内みどりさんとのお別れ。私もしばらく事態がのみこめずにいましたが、それでも20日の夜、お連れ合いの水野誠一さんがFBに投稿されていたのを読んで、ああ、本当に木内さんは一人で旅立たれてしまったのだと、今はただ喪失感の中にあります。
 木内みどりさんとは、マガジン9のボスこと、マガ9代表の鈴木力からの紹介で、マガ9のインタビュー「この人に会いたい」に登場してくれたことがきっかけで出会いました。
 私の世代としては、「木内みどり」といえばテレビドラマでもおなじみの演技派大女優として、また「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のレギュラーとして、まさに「芸能界のどまん中にいる方」でした。3.11をきっかけに、脱原発に関する発言を公で始められてはいましたが……。
 そんな木内さんが、インタビューのためにマガジン9の事務所に来てくださることに。どうやっていらっしゃるのか、マネージャーさんもいるのかな、と思っていたら、お一人でふらりと、いらっしゃいました。えっ、大女優なのにと思っていたら、「私はいつも一人で行動しているのよ」と。
 最初はそーっと様子を伺っている感じでしたが、事務所の雰囲気をとても気に入ってくださったようで、新宿御苑が見下ろせるベランダに出ては写真を撮ったり、そこで急にツイキャス TwitCasting を始めたり。デザイナーやスタッフともフランクに会話をかわし、長い時間滞在してくださったのを、よく覚えています。
 それからマガジン9に「木内みどりの『発熱中!』」という連載コラムを持っていただくことになり、担当編集者としてやりとりをさせてもらっていました。ウェブは、わりとフレキシブルに対応ができるメディアですが、それでも「マガ9」は週に一度の更新と決めているので、木内さんからしたら、少し窮屈だったかもしれないな、と今、反省をしています。
 その後、木内さんの社会問題への関心は、脱原発や戦争のことだけでなく、「安倍政権ノー」や、れいわ新選組をはじめとする新しい政治スタイルなどへも広がっていきました。ご自身のFBやtwitter、また「木内みどりの小さなラジオ」という 「声のメディア」も作られて、積極的に発信をなさっていました。「小さなラジオ」は、入り口を今も、マガジン9のトップページに置いています。
 でも、何といっても私にとって、木内みどりさんの底力、まさにプロフェッショナルとはこういうことだという有り様や人に対しての優しさ、時に見せる女優としての気迫などを間近に見ることができたのは、この2019年4月に私が豊島区議会選挙に出馬をした際に応援にかけつけてくれたときのことでした。
 マガジン9の編集・事務局長をやっていた私が、なぜ政治の世界へ、という経緯は、こちら http://tsukada.seikatsusha.me/philosophy/ になりますが、立候補を決めたご報告をメールで伝えると、「勇気ある決断でうれしい」と。そして、私でできることは何でもしますとの言葉を添えて、返事をいただきました。
 木内さんの「私でできることは何でもします」は本当に嘘偽りのない言葉だということは、それまでのお付き合いの中でわかっていましたが、ここまでやってくださるとは、と驚くと同時に背筋の伸びることばかりでした。
 選挙戦の中では、池袋駅西口広場でマイクを握り、巣鴨の地蔵通りでも、のぼり旗のもと一緒に練り歩いてくれました。選挙カーにも乗り込み、最終日にはマイク納めギリギリの時間まで、私のことを「よろしく」と、通りを行く人たちに呼びかけていました。

「私は、女優の木内みどりです。なぜこの私が、塚田ひさこさんを応援しているかと言えば、彼女にはしがらみがないからです。まったくしがらみのない人を政治の世界におくりたい。彼女は自分の仕事や人生をいったん横において、大変な世界に飛び込む決意をした。みなさん、どうか自分の頭で政治や選挙のことを、考えてくださいね。そして投票に行ってくださいね。落選させるわけにはいかないんですよ」

 ひとときも時間を無駄にしないで、誰かのもとへ走っていっては、一人ひとりの目を見て真剣に語りかけていく。
 なぜ、こんなにも彼女は人のために、がんばる人なのか。
 選挙戦最終日の20時にマイク納めをして、選挙事務所にもどり一息ついてから、私は木内さんと駅まで二人だけで一緒に歩いて帰りました。私はその時、「やりきった」というより、もろもろの状況から「何もできなかった。結果も悪いものだろう」という不安が強くなっていて、誰に対してというわけではなく、たぶん自分に対して腹を立てていました。彼女はそんな私の様子を見て、さまざまな現場を見て歩いてきた人生の先輩として、アドバイスをしてくれました。

「どんなひどい状況におかれても、その状態を俯瞰して楽しむことよ」

 結果として、思いのほか上位当選を果たし、この春から区議会議員としての活動を始めました。
 豊島区の有権者から貴重な1票を託されいただいた機会ですから、精一杯、全力でやっています。しかし、またしても右を見ても左を見ても、茨の道は続いています。生活や仕事といった個人的なことだけでなく、今の日本社会のこの体たらくはどうなのか。世界規模でみても、絶望したくなることばかり。でも…。

「おもねるな、自分らしくやれ、負けるな、でも楽しんで!」

 愚痴っていたら、そんな木内さんの言葉が飛んできそうです。
 たくさんの木内さんからもらった言葉を今、噛み締めながら、ああ、木内さんに会ってまた相談したい。
 なのに、いない、ということに気がつき、大きな悲しみがまた襲ってくるのです。


マガジン9、2019年11月22日
木内みどりさんのこと
(塚田ひさこ)
https://maga9.jp/191122-2/

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2019年11月23日

島田雅彦「空想居酒屋」

 消費増税を受け、個人商店のみならず、チェーンのレストラン、居酒屋の閉店が加速していると聞く。
 給料が上がったのは公務員だけで、最低賃金も上がらないし、負のスパイラルから抜け出せそうな気配が全く感じられない昨今、食事や飲酒のスタイルも徐々に貧乏くさくなっている気がしてならない。
 それをある程度見越した上で、空想居酒屋の構想を練っているのだが、実際にそれが路上に出現する可能性が一気に高まったかもしれない。

 少し前まではチェーンの居酒屋や串カツ店、ファミレス、王将、日高屋、幸楽苑といった大衆中華料理店で飲むのが、長期デフレ時代の「身の丈に合った」飲み方だった。
 だが、ランチに千円払うのが痛い、ほろ酔いに二千円は出せないといった層が拡大するにつれ、チェーン飲食店の経営も厳しくなった。
 コアな客層を繋ぎ止めるためには値上げはできないし、消費増税や原料コストの高騰にも対応しなければならない。
 その結果として、賃金も上げられず、雇用を削減し、サービスが低下するという負のスパイラルに陥る。

 個人経営の居酒屋、レストラン経営の厳しさはいわずもがなである。
 何とか常連客の愛顧に応えているところは、自宅と店舗を兼ねる職住一体型ゆえテナント料がかからないか、家族経営で人件費を削減できるか、趣味と奉仕の心意気を持っているかだろう。
 まさにギリギリの攻防戦を展開しているのである。

 業界利権を貪り、下々を搾取し、富を独占する富裕層は資産の利回りだけでも優雅に暮らせる身分なので、高級寿司店や星付きの割烹、レストランで日常的に飲食している。
 こちらは震災や戦争や食糧難が起きようと何処吹く風で、「貧乏人はこんなものを食べているのか」と時々、驚くだけだろう。

 中間層は年に一度か二度、高級店に行き、普段はビブグルマン Bib Gourmand でコスパ cost performance 重視のビストロや大衆割烹か、ファミレスに行く。

 そして、貧困層は給料日にファミレスに行き、普段はコンビニで済ます。
 だが、イートイン Eat-in は軽減税率の対象外なので、貧乏人は外食するなといわれているも同然という状態だ。
 貧困は子どもにも波及し、食事を満足に取れない子どものための食堂が各地にできているが、まだ数は少ない。
 本来は、一機141億円もするポンコツ戦闘機 F35B を数機キャンセルするだけで、各地に子ども食堂を作るだけでなく、台風や地震や原発事故の被災者をケアする避難所の待遇改善もできるはずだが、政府はやる気がないので、その穴埋めをボランティアがやっているのが現状である。

 そこで私は考えた。
 空想居酒屋が現実に出現することになれば、子ども食堂を併設することもできるし、避難所のそばに臨時で作れば、被災は避難者にも食事を提供できるだろう、と。
 そのためにより具体的なマニュアルを作る必要がある。
 この秋の台風被害の際も政府の対応の遅れが問題となったが、体育館に雑魚寝という避難所のスタイルは全く改善されない。
 そのことを国会で問題視した森ゆう子議員が比較の例としてあげたのはイタリアの避難所の待遇だった。
 そこでは仮設のテントが設営され、プライバシーが確保され、ベッド、エアコン完備、食事も徐々に改善され、最後はシェフが登場し、ワイン付きのフルコースが振る舞われた、と紹介された。
 調べると、ポピュリストの代名詞ともいえるイタリアのベルルスコーニ Silvio Berlusconi がラクイラ L'Aquila 地震(2009年4月6日)の際に公費で手厚く保護することを被災者に公約したようである。
 数々のスキャンダルにまみれ、国民の軽蔑の的だったが、こうした対策を人気取りの一環として講じていた。

 空想居酒屋実現のハードルは極めて低い。
 カセットコンロとテフロン加工のフライパンがあれば、そこはもう居酒屋、というのが売り文句なので、誰でも、いつでも、何処でも始められる。
 料金を取れば、商売だが、無料にすれば、炊き出しになる。
 都内各所では曜日ごと、時間ごとにホームレス支援の団体や教会が定期的に炊き出しを行っていて、それを巡回していれば、かろうじて食べつなぎぐことができそうだ。
 例えば、月曜日の9時半に麹町の聖イグナチオ教会に行けば、礼拝の後、カレーとコーヒーが、11時半に隅田川の桜橋に行くと、うどんが、水曜日6時に新宿の虹インマヌエル教会ではハヤシライス、毎朝5時半に渋谷宮下公園の階段下に行けば、おにぎり2個の配給が受けられる。
 ほかにもカレーや味噌汁のぶっかけ、弁当、サンドイッチなどが食べられる場所もある。
 炊き出しに依存した場合、炭水化物中心の食生活になる。

 おにぎりやパンに偏るといわれる被災地の配給だが、暖かい食べ物が供されるとありがたみが倍増するはずだ。
 自衛隊の炊き出しではカレーがよく知られているが、大鍋でカレーや味噌汁を煮るのが炊き出しの基本パターンとなる。
 前回、鍋物の饗宴を提案したが、それこそカセットコンロの上に大鍋をセットし、何種類かのスープを注ぎ、野菜や肉、魚貝をセルフで煮て食べれば、何処でも巡業中の相撲部屋の食事状態になるだろう。
 鍋物は野菜も豊富に摂取でき、理想的な栄養のバランスの食事になる。
 大鍋に油を注ぎ、鶏の唐揚げや野菜の天ぷらを次々と揚げれば、大人数の食事も対応できる。
 また、大きなバーベキュー・コンロに薪や炭の火を熾しておけば、魚や肉、野菜を勝手に焼いて、食べることもできる。
 実際、客が炭火を借りてセルフでやきとりを焼く居酒屋もあるし、青森のストーブ列車では乗客がだるまストーブの上であたりめを焼いている。

 カレーといえば、在日本のインド大使館は阪神淡路大震災の時以来、大きな災害に見舞われると、カレーの炊き出しを行う。
 大使館員の中に伝統のカレー作りに長けた人も少なくないのだろう。
 私もコルカタ Kolkata(インドの西ベンガル州の州都)で屋台のカレーを食べたことがあるが、文字通り、いつでも何処でも作れるものであることを確認した。
 被災地では地面で廃材などを燃やし、土器を火にくべ、油を入れ、材料の鶏肉やタマネギやニンニク、香辛料、調味料を入れ、焦げ付かないように長い木杓子でひたすらかき混ぜる。
 油で煮る感覚である。
 屋台ではそうして作ったカレーをやはり素焼きのポットに入れてテイクアウトする。
 おにぎりとパンの食事に飽き飽きしていた被災者はこの本格インドカレーの炊き出しに行列を作った。

『聖者たちの食卓』(2011、日本では2014年公開)という映画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=NAsa5gzQROM
 インドはパンジャビ地方のシーク教徒の総本山「黄金寺院」では、そこを訪れる巡礼者や旅行者たちのために毎日十万食の無料の食事を施す。
 調理や片付けをするのは、全てボランティアで、完全なる分業制が敷かれている。
 ニンニクやタマネギを刻む係、チャパティを練る係、整形する係、焼く係、大鍋で素材を煮る係、配膳係、食器洗い係などが黙々と働く中、大講堂に続々と巡礼の老若男女たちが入ってきて、行儀よくその食事を平らげてゆく。
 映画は一切の解説もなく、ただ淡々とその圧巻の食事風景を映し出す。
 ただ、それだけの映画なのだが、妙に心を打つのはなぜだろう。
 自分もいつかその食事にあやかりたいと、思わず「黄金寺院」への行き方を調べてしまった。

 日本が最も飢餓に晒されていた時代といえば、それは終戦後の2年間であろう。
 配給制は戦時中から始まったが、戦後の食糧難は深刻で、配給食糧だけでは足りず、闇で配給切符を手に入れるか、闇市で仕入れるほかなかった。
 トンボの佃煮やゲンゴロウの天ぷら、たんぽぽのおひたし、トカゲの塩焼などを口にする人もいたらしい。
 公園の花壇には麦やキャベツが植えられ、日比谷公園は日比谷農園に変わり、川の土手や線路脇にはトウモロコシが植えられ、競馬場も広大な芋畑に変わり、庭には油を取るためのヒマワリが植えられていた。
 闇市では米軍御用達の売店や外国人専用食堂から出る栄養価の高い生ゴミの争奪戦が行われていた。
 バケツに集められた残飯から煙草の吸い殻やマッチ棒、鼻をかんだ紙なども混じっていたが、食べ残したステーキの肉片やハム、歯型のついたチーズ、鶏の皮や豚の背脂やあばら骨、魚の頭、ジャガイモの皮、リンゴの芯などが入っている。
 料理人がそれらを大鍋にぶち込み、じっくりと煮込むと、食欲をそそるシチューに再生された。
 闇市ではこうした再生シチューが定番のすいとんややきめしなどよりも人気があったらしい。

 そんな食糧難を乗り越えた私の両親の世代はすき焼や豚カツが食卓に並んでいるのを見ては、感慨深そうに「こういうものが普通に食べられるようになったんだねえ」と呟いていた。
 敗戦から25年経過し、70年代に入ると、「飽食の時代」というフレーズが登場した。
 それから30年くらいは「飽食の時代」が続いたが、世紀が変わると、にわかに粗食への回帰が謳われるようになった。

 戦時下、終戦直後の「飢餓の時代」が再び巡ってくるとは思いたくないが、政治が戦前回帰を志向しているということは、悪夢再来の危険がないとはいえない。
 その時、都内各地の炊き出しが行われているようなところには闇市の屋台が出現しているのだろうか?
 空想居酒屋が現実化し、普及すれば、自ずとそのような光景を目の当たりにすることになる。

[写真-1]
ちょい飲み・せんべろの危機との声もよく聞く
※ せんべろ、とは「1000円でべろべろに酔える」の意。

[写真-2]
ボランティアによる豚汁の炊き出しがありがたい

[写真-3]
「黄金寺院」では差別なく誰にでも食事が供される

NHK出版、Webマガジン、2019.11.15
空想居酒屋の「炊き出し」
(島田雅彦)
https://www.nhk-book.co.jp/pr/magazine/rensai/shimada_kuusou/08.html

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伊東乾「民主主義を知らない<桜を見る会>擁護者」

「桜を見る会」で自民党議員から招待された人の中には、安倍晋三との記念写真を使って相手を信用させ、詐欺を働いてカネを騙し取った反社会組織の構成員もいるらしい。
これが事実なら、もはや安倍晋三は「公選法違反」とかじゃなくて「公金を使って反社会組織に協力している共犯者」になる。

・・・きっこ、2019年11月21日

「桜を見る会」は大炎上となりました。
 現在の内閣が本件を契機に終焉を告げる可能性が高いと思います。

 政局は政局として、私がとりわけ心配しているのは、誰の目にも明らかこの重大な不正を「大したことではない」などと言い切る人がいることです。

 それ自体は民主主義も何も分かっていないくだらない話ですが、そんな意見に左右されてしまう若い人がネット上に散見されることが心配です。

「選挙で世話になった人をお礼の気持ちで招待して何が悪い。いい話じゃないか」、
「野党はそんなくだらないことではなく、国家の一大事に対処してほしい。政策のある議論を」
といった寝言にもならない書き込みを目にします。

 そこで、廊下での雑談ですが、大学の講義やゼミに出てくる東京大学教養学部の1、2年生から30代の社会人大学院生まで、東大生20人ほどに聞いてみました。

「どうして有権者を買収してはいけないの?」

 これに対して、東大生数十人の母集団でも、相当心もとない答しか返ってきませんでした。
 まあ、理系が多かったことが一因かもしれません。

 ただ、法学部生は現在教えていないのでいませんでしたが、法学部に進むはずの文科T類生であっても、かなり頼りない返事でした。

 東大生は一般常識においてはまだまともな理解が多い母集団であるのは間違いなく、だとすれば、社会全般の若者はどうかと相当心配になりました。

 皆さんは、どうお答えになりますか?

「どうして選挙の候補者は、有権者を買収してはいけないのですか?」

 国会でこうしたやり取りがあっても、有権者であるはずのティーンや20代、30代がぱっぱらぱ〜では、民意もへったくれもなくなってしまいます。

お金で票を買うと
予算と法律が滅茶苦茶になる。


 世も末の典型と映ったのが、下関市長のオフィシャルな記者会見での発言です。
 広く報道されており、読者もご存じと思います。

 安倍晋三事務所で運転手なども務めた人物だそうですが、長崎大学水産学部の出身とのこと。
 フィッシュについては勉強しても、ファッショについては学ばなかったようです。

 下関市長の発言を報道(https://access.iciclize.net/aHR0cHM6Ly9tYWluaWNoaS5qcC9hcnRpY2xlcy8yMDE5MTExOC9rMDAvMDBtLzAxMC8zMzAwMDBj)からサンプリングしてみましょう。

下関市長: 議論の軸が当日の桜を見る会から前夜祭(夕食会)に移ったりしているが、領収書などお金のやりとりは適正にやっていると本人や事務所が主張している以上、公職選挙法(違反)には当たらない。

 なるほど、適正だと主張すれば、経済産業大臣も法務大臣も辞職しなくてよかったらしい。
 警察が不要になり、平和な世の中になりそうです。

下関市長: 税金でっていう言い方するんだったら、最初に開催した昔の首相からおかしな話なんじゃないですか。

 実際、吉田茂がサンフランシスコ講和条約成立直後の昭和27年に開催した折には、在外公館員などをメインに招待して「観桜会」を再開しており、高度成長から平成ロスジェネまでの60年でゆっくり変質し始めたものが、2010年代になって急速に腐敗、崩壊したのが今回の出来事と言えるでしょう。

下関市長の変形: 立小便でっていう言い方するんだったら、最初に立小便した昔のおっさんからおかしな話なんじゃないですか?

 結果的に無罪放免になるのは、コストが見合わないからであって、人の玄関先で立小便すれば警察に逮捕される仕儀であるのは間違いありません。

(毎日新聞記者)――人選についてはどうか?
下関市長: そこらへんになるとあまり言わない方がいいね。


 終わっています。

下関市長: 私が行ってみて思うことは、やっぱり70、80歳のおじいちゃん・おばあちゃんたちがネクタイぴしっとしめて、着物着て、人生一番の大勝負で新宿御苑に向かうんですよ。
 あの時、あの喜んで行っている姿を見ると地方を元気にしてくれている会だなと思っていました。
 我々、地方の人間が新宿御苑に足を踏み入れることなんてなかなかできないんですよ。ものすごく名誉なことを受けている方が増えていくのは悪いことなんですかね。


「桜を見る会」への招待は、叙勲にも匹敵する「栄典」相当の名誉で、きちんと評価がなされ、平等に選ばれるのなら、まことに結構なことです。

 問題は、内閣総理大臣やその配偶者が、選挙地盤である下関だけに税金を使って「元気にしてくれている」ことです。

 山口4区に相当する下関・長門を中心に、総理の推薦でおよそ1000人が恣意的に招待され、またその夫人が地元で「幅広く参加希望者を募る中で」「推薦」することで、勲章にも匹敵する名誉が勝手に安売りされている。

 そうしたことに無感覚なまま、よくもまあ市長など恥ずかし気もなく続けられたものだと呆れました。

 およそ民主主義の根幹を理解していないわけですが、さらに

下関市長: 総理主催でしょ? この国は民主主義ですよ。ある程度の権限が与えられておかしくないと思いますけどね。
 逆に私たちが民主党政権の時に、一歩も踏み入れなかったのも仕方ないと思ってますもん。自分たちの政策が国民の支持を得られなかったからでしょ?
 それはジェラシーでもなく、甘んじて受け入れた。選挙で勝って主催になって、多くの方に喜んでもらえるのって悪いことですか?


 明らかに悪いことなのですが、それが本当に分かっていないらしい。
 公職にある者として、公式に謝罪が必要なことを無自覚に、息をするように発言しています。

下関市長: そういう方が地方で耐えて耐えて地方で歯食いしばって、自分が何十年も頑張って応援してきた代議士がトップを取って、招待状が届いて、やっぱり今まで応援してきてよかったなって、いいじゃないですか。
 そういうなんか、人情的な感覚というのは公金を扱ってルールにのっとって正しくやっていく中では、あまり言っちゃいけないのかもしれないけど、そういうのもあっていいんじゃないですか。


 はっきり、良くないんですね。
 憲法の条文に照らして、白黒をはっきりさせておきましょう。

なぜ有権者を買収してはいけないか?

 国会議員たるべき候補者が、有権者を買収して集票して議席を得ることは、さまざまな法に照らして有罪とされる、まぎれもない刑事犯罪です。

 しかし自治体首長の職にある者を含め、あまりに低レベルの理解水準にある日本の現実があるようです。

 事実、上の妄言と同様の主張をネットでけっこうな数、目にしました。

 また、SNSでは怖いもの知らずというか、私にすらその手のことを言ってきたケースがありました。
 鉄槌一撃で終わりにした、そのアウトラインを、憲法を引いて示しましょう。

 そもそも国会とは何をするところなのでしょうか?

日本国憲法第59条〔法律の成立〕
法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。


 衆参両院は「立法府」と言われるように、法律を作ることができます。
 分かりやすく言うと、誰かを犯罪者に仕立て上げることができる仕かけです。

 そんなものがお金で買える状態にすることを「おじいちゃん、おばあちゃんの笑顔」などで誤魔化してはいけません。

 あることが法律的に「正しい」「正義とされる」か、あるいは「不正である」「犯罪である」と決定する、ルールを作ることができるのが「立法府」のもつ「権力」です。

 法を捻じ曲げれば、あなたの財産をすべて没収しても「正義」になるでしょうし、極悪非道の犯罪人も「無罪」とされる可能性がある。

 実際その種の報道が、問題にされる場合があるのではないでしょうか?

 国会には多くの重要な役割がありますが、もう一つ決定的な仕事があります。

 国家予算の決定、つまり皆が収めた税金の使い道を決定できるという、決定的な権力が付与されています。

憲法60条 予算:衆議院の予算先議権及び予算の議決
予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。


 衆議院議員に選ばれること、さらにその衆議院で過半数を制して国政のトップに立つということは、全国民が立場に応じて平等に収める「税金」の使途を決定できる、巨大な権力を把握することを意味します。

「桜を見る会」は、そもそもは大使館員などを遇する場で、都道府県知事であっても毎年呼ばれて集中することは避けられ、文化勲章など栄典相当の功労があった人を、国家全体の予算を用いて顕彰し、その参加者名簿も10年単位で保存されるべき、素晴らしい名誉でありました、元来は。

 それを、一地方の代議士が、自分の選挙区から1000人もまとめて招待したり、その奥さんというだけで、何の信任も国民から得ていない、ただのおばさんが、勝手に推薦して遇したりするのを、メディアは「税金の私物化」と伝えます。

 しかし、この言葉も若い人たちにはピンとこない様子でした。
 国語力が本質的に低下しているのかもしれません。

 これは、要するに「特権階級気取り」、何の根拠もないのに、勝手に人さまの財産を流用し、財貨と名誉を好き勝手にもて遊ぶ、「貴族ごっこ」でしょう。

 さらに何千万、何億円というお金を浪費し、自分の選挙の地盤固めに悪用したとんでもない「泥棒」であることを、はっきり指摘する必要があります。

「私物化」だと、概念が格好よすぎて東大生にもピンとこないんですね。
 幼稚園児にも分かる言葉で、明確に示す必要があると、本郷や駒場で学生たちに尋ねて、率直に感じました。

税金を泥棒していいと思うか?

それを一部の人だけに依怙贔屓しておじいさんおばあさんが笑顔などという美辞麗句で、誤魔化せると思うか?

「いいと思う」と答えた学生はさすがにいませんでした。
 是は是、非は非とは、こういうことだと考えます。

 こうした、最低限の「公共性」の感覚を、きちんと若い世代に教育していかねばならないと思います。

 東大で教えて20年、単位を発給した学生から、公務員や代議士、裁判官も出ていますが、中にはモラルが疑われるケースも目にします。

 物事は基本をきちんとしなければなりません。


JBプレス、2019.11.22(金)
民主主義を知らない「桜を見る会」擁護者
有権者を買収してはいけない理由が分からない大学生も

(伊東 乾)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58330

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木村草太「なぜ政治家は“うちわ”を配ってはいけないのか」

だんだん麻痺してくるのは、良くないことです。
5年前の「うちわ」問題の時の木村草太さんの記事

・・・平野啓一郎、11月19日

1本の値段ではなく「総額」が問題になる

 選挙区内でウチワを配布したことについて責任を追及され、松島みどり氏が法務大臣を辞任しました。
 ネットでは「そんな些細なことで辞任までしなくてもいいのではないか」という声も聞かれました。
 しかしこれは些細なことではなく、選挙制度のあり方を問う重大な問題です。

 なぜウチワを配ってはいけないのか。
 すぐに思い浮かぶのは、「票をカネやモノで買うようなことは、絶対に許されない」という理由です。
 公職選挙法では、買収は最も悪質な選挙犯罪とされ、票を売った人も買った人も処罰されます(同法221条)。
 また、買収に関わる金品は没収されます(同法224条)。

 なぜ公職選挙法は、買収を厳しく罰するのでしょうか。
 それは、公職にふさわしい人物を選ぶには、有権者が自由な判断に基づいて投票すること(※1)がとても大切だからです 。

 議員や首長としての「ふさわしさ」は、物差しを当てればすぐにわかるような、単純なものではありません。
 政策判断能力、決断力、交渉力、勇気、優しさ、感受性、人生経験など、さまざまな要素を総合的に考慮して、ようやくわかってくるのです。
 それゆえ、選挙制度は、様々な要素を有権者が自由に比較検討できるように設計される必要があります。

 しかし、選挙で買収がなされると、「誰がいくらお金を出したか」という唯一つの要素で有権者は結論を出すことになるでしょう。
 利益誘導があったのでは、公職への「ふさわしさ」を、多様な角度から自由に検討しようという選挙の理念が台無しになってしまいます。

 松島氏が、「買収」をしたのなら、選挙の根幹を破壊した犯罪人です。
 大臣の資質を欠くのはもちろん、議員辞職もやむなしでしょう。

 しかしながら、「買収」と言えるためには、票を買う側が利益提供を申し出て、票を売る側がそれに心を動かされなくてはなりません。
 今回配られたのは、松島氏のイラスト入りウチワとのことです。
 票を買うにしてはあまりにしょぼく、これをもらったからといって、直ちに松島氏への投票に心を動かされる人はいないでしょう。
 ですから、「買収」の罪で起訴したとしても、恐らく無罪です。

 そういうわけで、今回、問題になっているのは、「買収」ではなく、「寄附」です。
「寄附」の禁止は、それで投票へと心を動かされたかどうかを問題にしません。
 財産的価値がある物品を選挙区内の人に贈れば、それだけで「寄附」になります。

 具体的な法文を見てみましょう。
 公職選挙法は、まず、「公職にある者」が当該選挙区内にある者に対し、「いかなる名義をもつてするを問わず、寄附をしてはならない」と定めています(199条の2)。
 また、これに違反すると「1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金」が科されます(249条の2)。

 もっとも、兄弟や両親に誕生日プレゼントを贈ったり、演説会の会場費を支出したりしただけで違法というのでは、さすがにやりすぎでしょう。
 そこで、親族への寄附や、政治集会での実費の負担などは例外として許されることが、明文で定められています。
 また、罰則にも例外があり、例えば、本人が出席する結婚式でのご祝儀などは「寄附」ではあるけれど、罰は科されないことになっています。

 では、心を動かされない程度の「寄附」が、なぜ禁じられなければならないのでしょうか。
 実は、「寄附」と「買収」は似ているように見えて、禁止される理由が異なっています。
 そもそも「寄附」の禁止は、「各候補者が地盤固めのために寄附を競い合い、選挙にお金がかかってしょうがない」という状況を改善するために導入された制度(※2)なのです。

 選挙にあまりにお金がかかるのでは、公職にふさわしい才能の持ち主が、「お金が無いから」という理由で立候補を諦めねばならない可能性が高まります。
 また、公職についた人が、選挙に使ったお金を取り戻そうと、自分の金銭的利益のためにばかり、活動するようになるかもしれません。
 これでは、公共のためにふさわしい人を選ぼうという選挙の目的が達成できなくなってしまいます。
 こうしたことにならないように、心を動かされない程度の「寄附」までも、法は禁止しているのです。

 たとえ些細なものであろうと、もし抜け駆け的な寄附を許せば、寄附の競争が始まり、お金のかかる選挙の再来になってしまいます。
 ですから、選挙にかかわるお金については、厳格な対応が必要です。

 ということは、今回の事件では、ウチワが1本いくらだったのか、つまり、寄附を受けた側にどのくらいの利益があったのか、ということはあまり重要ではありません。
 配ったうちわの総額がいくらなのか、つまり、寄附した側がどれだけ費用をかけているのか、ということに注目する必要があるのです。

 松島氏を告発した階猛氏(民主党副幹事長)の説明によれば、3年間で合計約150万円の支出がされています。
 刑事罰や議員辞職まで必要かどうかはともかくとして、松島氏は一定の責任をとる必要があったと言わざるを得ないでしょう

「思想」と「カネ」はわけて考えるべき

 ところで、松島氏のウチワ問題が発覚したのと同じ時期、山谷えり子国家公安委員長など数名の閣僚が、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の関係者などと写真に写っていたことが相次いで発覚しました。

「在特会」は人種差別・排外主義を公言している団体です。
 なぜこの問題の責任をとって辞任する閣僚があらわれないのでしょうか。

 人種差別・排外主義団体との関係を持つ人、あるいは、たとえ関係が無くても、そうした団体から強く支持されるような思想・信条を持つ人に閣僚たる資質があるのでしょうか。
 残念ながら閣僚の「資質」は法律で規定されていません。
 憲法は思想・信条の自由を保障していますから、閣僚の思想・信条のありようについても、法的規制の対象にするのは適切ではないのです。

「なんて法律は役に立たないんだ」と感じる人もいるでしょう。
 しかし、人種差別や排外主義の撲滅を法律に頼ったのでは、権力が濫用され、個人の自由が不当に制約される危険があります。

 こうした問題は、「法的」な責任追及ではなく、有権者や国会議員の「政治的」な批判によって解決していかねばなりません。
 国民一人ひとりが、「なぜ人種差別や排外主義がいけないのか」と実質的な批判を提起し、選挙などを通じて責任を追及していく努力が必要です。

 他方、寄附の禁止などは、選挙というレースのルールです。
 ここでは、候補者の公平性が何よりも重要とされます。
 ほんの少し人より早くスタートしただけでも、フライングはフライングであるのと同様に、「他の人がやっていない寄附を自分だけやった」という事実が、形式的に非難されます。
 先ほど紹介した階氏も、「告発状の御説明」というメディア向けの文書で、「他の議員」はやっていないウチワ配布により、松島氏が「不当な宣伝効果をあげ」た点を非難していました。

 ちなみに、蓮舫氏も選挙ビラとして、選管の証紙つきのウチワを配っていたようですが、松島氏との違いはその形状。「厚紙のウチワはOK、柄と骨組のあるウチワはNG」との認識が候補者の間にあった、との報道もあるようです。
 この問題は、馬鹿馬鹿しいほど形式的に判断してゆくことが重要なのです。

※1: 有権者が何を判断すべきかは、木村草太『憲法の創造力』(NHK出版新書、2013年)第2章参照。

※2: 安田充・荒川敦編著『逐条解説公職選挙法(下)』(ぎょうせい、2009年)1419頁参照。

PRESIDENT 2014年12月1日号


PRESIDENT Online、2014/11/13 8:30
なぜ政治家は“うちわ”を配ってはいけないのか
(木村草太、憲法学者)
https://president.jp/articles/-/13870

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木内みどりの「広島」

2019年11月17日.jpg
☝ 2019年11月17日撮影:木内みどり

「河」
 広島の青春群像。
 平和運動の原点を照らす。
 四幕。
 1973年度 小野宮吉戯曲平和賞受賞
 あの名作「河」が30年ぶりに蘇る。
 2017年12月23・24日 /全4回公演。
 @広島市横川シネマ

 画家・四國五郎さんの息子さんである四國光さん(ヤッホーくん注)から、この演劇の上演があると聞いて、即座に「観たい」とそう思い口走っていた。
「こうしたい」「行きたい」「会いたい」「食べたい」と反射的に感じてそのように動いた結果、後悔したということがない。
「〜したい直感」は、信頼できる。

 観るのは迷わず、ラスト回、12月24日15時からのステージと決めた。
 ラッキーなことに、チケット完売寸前でなんとか席を確保してもらえた。

 当日、乗りこんだ新幹線車内で落ち着いて頭を切り替えた。
「河」…。
 いったいどういう演劇なのか。

 詩人・峠三吉さんと天才画家・四國五郎さんを中心に活動されていた「反骨」の若者たちの事実を芝居にしたということだけで、詳しい情報は持っていない。
 だから、とりあえず、峠三吉『原爆詩集』をしっかり読んで客席に座ろうと思い、東京―広島間の新幹線車内で熟読した。
 文庫『原爆詩集』は、「あとがき」で解説を書いてらっしゃる詩人のアーサー・ビナードさんが扉にススっと「Arthur Binard アーサー・ビナード」とサインしてくださったもので、わたしの大切にしている一冊。
 今までも読んだことはあるけれど、数時間後には舞台上の「峠三吉さん」や「四國五郎さん」を目撃すると思うとグッと現実味を帯びてきて、感じるものが変容していく。

 まずは初めのページ。
「序」として書かれた有名な有名な詩、
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

 この本はこの詩で始まると知っていた。
 が、改めて手にして気がついた。
 この詩集、実は、「序」の前のページにこんな短い一文があるのだった。
 1945年8月6日、広島に、9日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人びとに捧ぐ。

 この一文で、わたしの心はつかまれた。
 だって「全世界の原子爆弾を憎悪する人びと」って、紛れもなくわたしもそのひとりだから。
 峠三吉さんは出版のあてもない中で、やっと、自費出版にこぎつけたこの時点でもう、後々のわたしのような者までをも心においてこの詩集を「捧げ」られていた…。
 読み続けた。

 8月6日
 死
 炎
 盲目

 目次を書き連ねるようだから遠慮しますが、それでも、書きたい。

 墓標
 呼びかけ
 その日はいつか
 希い

 四國光さんと広島駅で合流して横川シネマへ。
 チケット完売の劇場はいつだって独特の「気」に満ちている。
 スタッフもチケットを扱う方々も席に向かう人びとも高揚している。
 控え室や袖で準備している出演者はさらになお独特の時間を過ごしているはず。
 客席でフォトジャーナリスト・那須圭子さんと会いうれしかった。
 大宅賞作家・堀川惠子さん、毎日放送プロデューサー・大牟田聡さん、画家・ガタロさん、お隣には四國光さん、幕が開くまでの音楽はバッハの無伴奏チェロソナタ…と、素敵な素敵な時間はもう、始まっている。
 やがて、暗くなり「河」が進行していきました。

 ほとんどの方が土曜日曜、仕事のお休みを稽古に当て、パートパートでの練習。全員揃っての通し稽古は、本番前のゲネプロ一回だったとか。
 進行するにつれてわたしの気分は高揚どころか深く静かに潜っていきました。
 事実・真実の重みが次から次へとわたしの中に堆積されていく。
 長い芝居の途中休憩、10分間。
 誰とも口をききたくないまま、柔らかい席に埋もれるようにして沈黙するしかなかった。
 ふた幕目が始まり、原爆投下された広島の中で大きな権力に逆らい争い抗った人びとのその呼吸に自分の呼吸も同調してしまう。
 舞台上の人びとの苦悩がわたしの苦悩になり、悲しみがわたしの悲しみになってしまう。
 新幹線の席で読みこんできた詩が次から次へと登場、展開していく。

 圧巻は、イッちゃん。
 市河睦子という役をやった中山涼子さんは、普段は時事通信社の記者さんだそう。
 彼女のおばあさまをモデルにした役をやってみないかという劇作者の故・土屋清氏夫人であり主演女優であり演出家でもある土屋時子さんが誘った時、即、やりたいと思ったそう。
 
 その後、舞台出演の実際がわかり出してからは腰が引けた時期もあったようだけれど、本番を前にして中山涼子さんの心はピタッと治ったのだと思う。
 見事だった。
 完璧だった。
 神がかっていた。
 どのセリフもひとことひとことが全員の心に響いて響いて。
 客席のあちこちから嗚咽の声さえ聴こえてきた。

 素晴らしい時間が流れて「劇」の時間が終わり、拍手喝采の時間がすんでも、わたしは打ち沈んだまま。
 客席に取り残された気分だった。
 誰かと「よかったですね」「すばらしかったですね」と言い合う気力もなかった。
 打ち上げ会場に誘っていただいて参加した。
 長い長い困難な稽古と準備にみなさん疲れ果ててる。
 けれども、公演の大成功を実感してどの方も弾けて喜びを爆発していらした。
 そのしあわせな充実感の渦にまきこまれてわたしまでたのしかった。

 中山涼子さんに感想を聞かれた。
 すらすら返事ができた。
 素晴らしかった。
 見事だった。
 地球全てが自分のその両の手の中にあるって実感しませんでした?
 涼子さんが静かに二度、うなずいた。
 これを機に女優さんの道へという話もあるそうですけど、わたしはお勧めしません。
 今晩のようなことは努力して勝ち取れるものじゃないからです。
 今後二度とあり得ないようなことが今夜のあなたに起こった、そのことを宝物にして、今のお仕事の中に生かしていくほうがいいと思います。
 こうして書くとなんてエラそうなことを言いやがるって感じだけれどw、本気の感想でした。

 制作された池田正彦さん、演出主演された土屋時子さんに大きな尊敬の拍手を送ります。

***

 翌朝、ひとりで長い散歩をしました。
 1945年8月6日朝8時15分、広島中心部に落とされた原子爆弾。
 72年後の今、歩き回ることでなにを感じとれるのか。
 いつかやってみたかった散歩。
 7時30分にホテルを出て歩きはじめました。
 相生橋を渡る。
 みなさん日常の朝を迎えて歩いたり走ったりしている。
 路面電車やバス、自転車、自動車、または、子犬を連れて散歩中の方も。
 わたしはこういう光景の中にとけ込んで気ままに歩くのが好きだ。
 この頃使えるようになった iPhone で Live しながら歩く。
 もうそろそろ8時15分近い頃かなと感じた時に時計台が大きな音を立てる。
 そうなんだ、広島では毎朝8時15分の時報があるんだ。
 元安川を挟んで向こう岸の原爆ドームに向かって、峠三吉さんの詩「八月六日」を朗読した。
 2時間近く歩いているうち、だんだん腹立たしくなっていった。

 昨日見学した原爆資料館では、40年以上見学者に強烈な印象を与えてきた等身大の展示物が2017年4月25日に撤去されたと知ったし、『原爆詩集』の峠三吉さんのコーナーがないことにも驚き、原爆や戦争反対のためだけに絵を描いた天才画家・四國五郎さんの絵も詩も一枚も展示されておらず、被爆者のその後10年を記録した写真集『ピカドン』の写真家・福島菊次郎さんの写真も一枚も展示されていないし、コーナーもない!
 2002年8月に開館された「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」にはさらに驚いた。
 素晴らしい建築物だけれど、「原爆の惨禍を全世界の人びとに知らせ、その体験を後代に継承するための施設」とのことなのに、館内のコンピューターで「四國五郎」「峠 三吉」「福島菊次郎」と検索してもなにひとつ出てこなかった。
 その一生を「原爆の惨禍を全世界の人々に知らせ」るために生きたこの3人の偉大な人びとを無視してるなんて。
 広島市やこの国はこの大切な3人を歴史から消そうとしている……と書いたら過ぎるでしょうか?
 Twitter Liveしたので、お時間のある方は観てください(ただし、30分くらいありますw。デジタルな web マガジンだからアーカイブに残りさえすれば、いつの日か偏屈でへそ曲がりの頑固者、わたしのような人が見てくれる……かもしれないと夢見て載せておきます)。

マガジン9、2018年1月10日
木内みどりの「発熱中!」
第45回:「河」と広島

https://maga9.jp/180110/

(ヤッホーくん注)四國光さん

次回 2019年11月27日(水)予告

芸術と憲法を考える連続講座 第23回

やさしい視線・静かな怒り
詩画人・四國五郎が伝えたかったこと

「戦争の記憶」を伝えることを自らの使命と課し、「平和のために」絵と詩を描く人生を生涯貫いた詩画人・四國五郎(1924-2014)。

戦争とシベリア抑留、そして最愛の弟の被爆死を体験し、平和のための芸術活動に一生を捧げた四國五郎の「表現」と「生き様」を通して、今、私たちは戦争の記憶をどのように継承し、未来に伝えていくべきなのか。息子の視点から考えてみたいと思います。(四國光)

◇日時: 2019年11月27日(水)18 : 30 - 21 : 0 0 (開場18:00)
◇教室: 東京藝術大学 上野キャンパス 音楽学部 5-109
◇お話: 四國光さん(四國五郎長男)

https://www.peace-geidai.com/芸術と憲法を考える連続講座/

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2019年11月22日

幼保無償化で値上げ続々

「子どもの通っている幼稚園が、2019年10月の幼保無償化のタイミングで保育料を引き上げてきました」

 読者の疑問や困り事を取材する朝日新聞「#ニュース 4U」取材班にそんな声が寄せられた。取材を始めると、無償化に合わせて値上げした施設は全国各地にあった。値上げした園を直撃すると、園長たちが本音を語った。

「うまいことだまされた印象が消えません」

 近畿地方の私立幼稚園に子どもを通わせる30代の女性はため息をついた。幼児教育・保育の無償化は消費増税分を財源に10月から始まり、この幼稚園は保育料を月約2千円値上げした。
 自治体が保育料を決め、その保育料が無料となる公立幼稚園や認可保育所と違い、一部の私立幼稚園は各施設が保育料を決められる。このため、無償化の額には上限(月2万5700円)があり、超えた分は保護者の自己負担となるが、この幼稚園の場合は以前より負担額は少なくなった。

 保護者説明会で園の職員は開口一番、「みなさんいいですね、こんな支援(無償化)があって。私の時はなかったからうらやましい」と話したという。
 女性は「値上げの理由を聞くと、せこいみたいで何も言えなくなった」と悔しがる。「便乗値上げ」感はぬぐえず、モヤモヤ感は残ったままだという。

■ 園長「現場は疲弊し切っている」

 名古屋市内の私立幼稚園は10月から保育料を月6500円引き上げた。「使い道を理事長に聞いてもはっきり説明しない。理事長たちの私腹を肥やすのではと疑ってしまう」と、子どもを通わせる女性は憤る。
 文部科学省は無償化を機に保育料を値上げする幼稚園の有無や値上げの理由を調査。不適切な値上げがあれば指導するよう都道府県などに連絡している。全国の私立幼稚園約7500園が加盟する全日本私立幼稚園連合会も昨夏から4回にわたって、質の向上を伴わない値上げはしないよう加盟園に求めてきた。
 だが、大阪府のある私立幼稚園の園長は「幼稚園の現場は疲弊しきっている。保護者の懐を痛めないこの機会に値上げしなければ、もう限界」と打ち明ける。
 私立幼稚園は保護者からの保育料のほか、都道府県からの私学助成などで運営費を工面している。だが、働く親の増加で保育所に通う子どもが増えていることに加え、少子化で幼稚園の保育料収入は減り続けている。
 この幼稚園は園の積立金を取り崩して運営してきたが、10月から保育料を月2550円値上げした。説明会で園の経営事情も伝え、苦情はまだないという。
 福岡県内のある幼稚園も来年4月から保育料を1050円上げる。園長は「老朽化した建物の整備や、職員の残業代など処遇改善の費用にあてたい」と言う。

「便乗値上げは良くないが、無償化は保育の質を上げるチャンスだ」。同県内のある幼稚園連盟会長は管内の園長らにそう言ってきた。「保護者に負担をかけることなく保育の質を上げられる。ご理解頂けるなら応援してほしい」

 値上げは認可外保育施設でも確認されており、所管する厚生労働省は9月、理由なく値上げしている施設があれば国への報告と施設への指導を求める文書を都道府県などに出した。

■ 誰のための無償化?識者は

 一体、誰のための無償化か――。そんな疑問を取材した保護者は感じていた。識者はどう考えるのか。

 大阪府立大の吉田直哉准教授(教育学)は「無償化は保護者の負担軽減が目的。不透明な値上げで保護者の理解は得られない」と指摘する。

 一方、経済協力開発機構によると、日本は2016年時点で幼児教育に関する支出の約半分を保護者の私費負担でまかなっていた。

 加盟国の中で2番目に高く、吉田准教授は「就学前教育への公金投入は世界の潮流。無償化は『子育ては親がするもの』という日本人の意識に変化を促し、国全体で子どもを育てる当事者意識を持つきっかけになるのでは」と期待する。

「その財源は国民の税金。私学運営は本来行政の介入を受けないが、施設側は値上げにふさわしい保育・幼児教育を提供しているか、これからは全納税者からチェックされることを理解するべきだ」

※ 幼児教育・保育の無償化
 すべての3〜5歳児と、低所得世帯(住民税非課税世帯)の0〜2歳児が対象。2015年4月に始まった「子ども・子育て支援新制度」に移行した幼稚園や認可保育所は保育料が無料となり、給食費やバス代などは別に徴収される。
 新制度に移行していない幼稚園は月2万5700円まで、認可外保育施設の3〜5歳児は月3万7千円まで、低所得世帯の0〜2歳児は月4万2千円までが無償化される。財源には消費増税分の一部が充てられる。


[写真]
大阪府内の幼稚園では園児たちが帰った後、教諭らが誕生日会のイベントで使う「作り物」の制作に励んでいた

朝日新聞・ニュース 4U、2019/11/22 07:00
「だまされた感」保護者ため息 幼保無償化で値上げ続々
(山根久美子、城真弓)
https://www.asahi.com/articles/ASMBP4S3XMBPPTIL018.html

いよいよ10月から始まる「幼児教育・保育無償化」。
京都大学大学院准教授で『子育て支援が日本を救う』の著書のある柴田悠さんは、一定の意義はあるものの、デメリットも大きいと指摘する。
無償化後の日本に起こることとは――?

地方での虐待予防効果は期待できる

 10月から幼児教育・保育無償化が始まり、3〜5歳は全員無償、0〜2歳は住民税非課税世帯のみ無償になります(幼稚園と認可外保育施設は上限額まで無償化)。これには一定の意義がありますが、課題もあります。

 第1の意義は、地方で虐待予防が進むことです。
 虐待などの不適切な養育は、幼児の脳を物理的に変形させ、その後の社会生活を困難にしてしまいます。東京大学の山口慎太郎准教授らが全国調査データを分析した研究によれば、母親が高卒未満の家庭では、不適切な養育が生じやすく、子どもの社会的発達が悪化しやすいのですが、子どもが2歳半時に保育所に通っていると、不適切な養育が予防されやすく、子どもの社会的発達が健全になりやすい。
 そのため、保育所定員に余裕のある地方では、無償化によって、社会経済的に不利な家庭の保育利用が増え、虐待予防が進むと期待できるのです。

無償化で利用希望は約2割増の見込み

 第2の意義は、地方での人手不足緩和と女性活躍です。
 岡山市が2018年に行った保護者対象のアンケート調査によれば、無償化によって認可保育所(認定こども園を含む)の利用希望者数が、3歳児でも4歳児でも2割増える見込みです。とくに4歳児では幼稚園から保育所への需要の移動が見込まれます。5歳児については調査されていませんが、おそらく4歳児と同様でしょう。

 保育所を利用するには、基本的に共働きが求められますので、保育所定員に余裕のある地方では、無償化により母親の就業が増え、人手不足が緩和されたり、女性活躍が進むと期待できるのです。

高等教育費の軽減のほうが効果は大きい

 第3の意義として、育児費用が減るため、「産みたい人が産みやすくなる」という少子化対策効果を挙げることもできますが、効果は限定的でしょう。
 たしかに、全国の50歳未満有配偶女性を対象としたアンケート調査(2015年国立社会保障・人口問題研究所実施)では、「理想の子ども数を持たない理由」の第1位は「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」(56%)でした。

 しかし、全国20〜59歳男女対象のアンケート調査(2012年内閣府実施)では、「子育ての経済的負担」の第1位は「大学・専門学校などの高等教育費」(69%)、第2位は「塾などの学校外教育費」(49%)、第3位は「小・中・高の学校教育費」(47%)で、「保育所・幼稚園・認定こども園の費用」は第4位(45%)でした。
 つまり、幼保無償化によって「子育ての経済的負担感が減る」と感じる人は、子育て世代の半分弱にすぎないのです。むしろ、専門学校や大学などの高等教育費を軽減するほうが、子育て世代の7割の人々の負担感軽減につながるでしょう。
「より多くの人々にとって産みやすい環境を整える」という意味では、幼保無償化よりも高等教育費軽減のほうが効果が大きそうです。さらに、より根本的な対策としては働き方の柔軟化こそが必要でしょう。

都市部ではさらに待機児童が増える

 他方で最大の課題は、主に都市部で待機児童が増えることです。
 野村総研は、2018年に行った全国アンケート調査に基づいて、「女性の就業率が、今後国の目標どおりに上がっていくならば、保育の定員は(2018年度から2020年度末にかけて32万人分増やす政府の計画が実現してもなお)2023年には28万人分不足する」と試算しています。
 政府の計画では、「保育の申し込みをしたがかなわなかった数」(顕在的待機児童数)を基に32万人という将来需要を想定していますが、野村総研の試算は、「保育(幼稚園の預かり保育を除く)を希望していたが諦めて申し込みをしなかった数」(潜在的待機児童数)も含めて将来需要を想定しているため、「待機児童の完全解消に必要な定員数」により近いでしょう。
 そして岡山市のアンケート調査で見たように、無償化によって保育所の利用希望者はさらに増えると見込まれます。それにより、待機児童がいる都市部では待機児童がさらに増えると考えられるのです。

保育の質が低下し、子どもに悪影響の可能性

 待機児童が増えることの問題点は、第1は、保育の質が低下し、子どもの発達に悪影響が生じかねないことです(これは後述します)。
 第2は、職場復帰がかなわなかった母親で、孤立育児によるストレスが高まり、虐待リスクが高まりかねないことです。
 第3は、職場復帰できなかった母親のもつスキルが職場で活かされず、人手不足にも拍車がかかり、企業経営や経済成長に悪影響が生じることです。
 第4は、それらが総じて育児環境の悪化につながり、少子化がますます進行することです。

 以下では第1の問題に焦点を絞ります。

 待機児童が増えると、厚生労働省から自治体に対して「国の基準ギリギリにまで児童を保育所に受け入れてほしい」という要請が、これまで以上に強まる可能性があります。
 2016年、厚労省は待機児童の多い114市区町村などに対して、「人員配置や面積基準について、国の基準を上回る基準を設定している市区町村では、国の基準ギリギリまで一人でも多く児童を受け入れる」よう要請しました。
 要請された自治体はいずれも「保育の質が下がる」という懸念から要請を退けましたが、今後、無償化により待機児童が増えた場合には、同様の要請が強まり、「国の基準ギリギリまで児童を受け入れる」自治体が増える可能性があります。

日本の3〜5歳児保育基準は先進国で最悪

 日本の保育士・幼稚園教諭配置基準(1人の保育士・幼稚園教諭が児童を何人まで見てよいか)は、0〜2歳については先進16カ国平均(0〜3歳7人)よりも手厚い(0歳3人、1〜2歳6人)。
 しかし、3〜5歳については先進19カ国平均(3歳以上18人)よりもはるかに悪く、先進19カ国で最悪です(3歳20人/保育士、4〜5歳30人/保育士、3〜5歳35人/幼稚園教諭)(2012年OECD報告)。
 また保育士の学歴は、先進諸国の中で中程度ですが、もし保育所が3〜5歳児童を国の基準ギリギリまで受け入れた場合には、そこでの保育士の労働環境と保育の質は、先進諸国の中ではかなり悪いレベルになるでしょう。

子どもの発達への影響が研究で明らかに

「幼児教育・保育の質が園児の発達に与える影響」についての最新の国際比較研究によれば、そのような質の低下した保育所に子どもが通った場合には、その子どもの発達(認知能力や非認知能力の短期的・長期的発達)は、通わない場合よりも悪くなる可能性が高い(図表1参照)。
 そのため主に都市部では、無償化によって待機児童が増えることで、保育の質が低下し、子どもの発達に悪影響が生じかねないのです。

幼児教育の質.jpg

 ではどうしたらよいでしょうか。
 待機児童を減らすとともに、保育士の給与・労働環境を改善し、保育の質を守るべきです。そのための財源は、無償化の制度を一部修正すれば捻出できます。
 たとえば、幼稚園と同様に月2万5700円までを、3〜5歳保育無償化の上限額とすれば、約2000億円の財源が浮くでしょう。または、3〜5歳幼保無償化を、0〜2歳保育無償化と同様に住民税非課税世帯に限定すれば、約7000億円の財源が浮きます。
 上限額設定や所得制限は、虐待予防などの意義を大きく損なうことなく、待機児童の増加や子どもの発達の悪化を防ぐこともできます。
 政府に検討してもらえるように、私はさまざまな場でこの提言をしています。

※ 主要参考文献>
・Yamaguchi, Shintaro, Yukiko Asai and Ryo Kambayashi, 2018, “How does early childcare enrollment affect children, parents, and their interactions?” Labour Economics 55: 56-71.
・野村総合研究所、2018、「政府の女性就業率目標を達成するために、追加で整備が必要な保育の受け皿は27.9万人」(https://www.nri.com/jp/news/newsrelease/lst/2018/cc/0626、2019年9月12日閲覧)
・Huizen, Thomas van and Janneke Plantenga, 2018, “Do children benefit from universal early childhood education and care? A meta-analysis of evidence from natural experiments,” Economics of Education Review 66: 206-222.


プレジデント ウーマン、2019.09.16
保育無償化による、子供への思いがけぬ悪影響
一定の効果と引き換えに失うものは

柴田 悠(しばた・はるか、京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)
https://president.jp/articles/-/29935

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木内みどりの発熱中

 木内みどりさん。
 はやすぎる。
 寂しいじゃないですか!
 世の中が変わって行く姿を見て欲しかった。
 一銭の得にもならない、本業を考えればリスクでしかない。そのような活動にも積極的に関わってくださった。
 自由を愛する本物の表現者。
 感謝しかありません。

・・・山本太郎「住まいは権利!」

 原子力の専門家・京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんに初めてお会いしたのが去年の2013年9月1日。
 東京・日比谷公会堂で「さよなら原発1000万人集会」のイベントがあって、わたしは司会を務めていた。

 会の呼びかけ人、大江健三郎さん・澤地久枝さん・落合恵子さん・内橋克人さん・鎌田慧さんに加えて、この日のゲストが小出裕章さんで、前半に大江健三郎さんが45分講演、後半に小出裕章さんが45分の講演をしてくださった。

「日本の知性」と「日本の良心」、おふたりはこの国の「宝」だと思った。

 2011年3月11日の福島第一原子力発電所の事故以降、私はテレビ・新聞の報道を信じられなくなり、インターネット上の情報を渡り歩いて、2011年4月初めに大阪・毎日放送「たね蒔きジャーナル」の小出裕章さんの発言に辿り着いた。

 ベント、サプレッションチェンバー、タービン建屋…… 聞きなれない単語ばかりのお話に慣れていった頃、ふと、気がついた。

 小出さんの声を聴いているとそこだけ「きれいな酸素」があるようで身体がホッと安らいでいる。

 目に見えない匂わない「放射能」に怯えるばかりの毎日。
 テレビ・新聞は本当のことを知らせてくれないという不安から憂鬱を抱えた時間の中で、小出さんの声を聴く時間が増えていった。
 iPhoneに「たね蒔きジャーナル」の全部と小出さんが各地でなさった講演(主催者や参加者が講演終了後すぐにYouTubeにupしてくれる) を入れ、なんどもなんども繰り返し繰り返し聴きつづけてきた。

 小出さんのお話を初めて聴いた2011年4月から2年半経過した頃、司会を依頼された2013年9月1日の日比谷公会堂での集会、この日のゲストが小出裕章さんと聞いて、飛びあがるほどうれしかった。

 会える。

 登壇者と司会者だからご挨拶もするし簡単な打ち合わせもする…。

 当日、当たり前のようにご挨拶して、当たり前のように、司会進行させていった、冷静に。

 でも、心の中でこの方とはもうお会いできないかもしれない、これが最初で最後かも……と思い、記念にと、舞台袖の司会者じゃなければ撮れない位置から、パソコン越しの小出さんの姿を撮った。

 会が終了後、幾人かがその流れで国会前まで歩いていって短いスピーチをすることになった。
 主催スタッフ、鎌田さん落合さんに交じって小出さんもいらっしゃる。

 前になったり横になったりしながら、ふと、信号待ちで小出さんとお喋り、最高にうれしかった。
 一緒にいた友人の写真家・田村玲央奈さんが撮ってくれた1枚。

 混雑した国会前エリアではぐれそうになりながらスタッフが言いました。

「ちょっと一杯やりませんか?」

 ええぇっ!

 歩き出した先に小出さんもいらっしゃる。
 えっ、一緒っ?

 ドキドキドキドキ。

 溜池山王まで混雑の中歩いていって、小さなイタリアンレストランで小さなテーブルを囲んだ。
 ワインといろいろ。
 たのしい軽い会話が続く中、心に溢れる言葉を、ついに、言っちゃった。

「わたし、小出裕章さんオタクです。毎日毎日、聴いています。真似できるほどです」

 小出さんは少し困ったような顔をして笑っていた。

 この記念日から、1年。

 いろんなイベントの司会をやり、新聞にコラムを書いたり、脱原発を表明する候補の応援に都知事選、沖縄名護市長選、鹿児島2区衆議院議員補欠選挙と走り回り、脱原発関連ドキュメントの宣伝にナレーション。

 こんなわたしでも役に立つと思って誘ってくださってるのだからと、怖がらず参加していたら、「NUCLEAR HOTSEAT」(*1)というカリフォルニアの核廃絶グループと繋がり、ロンドンの「JANUK」(*2)というグループと繋がり、ついには、ロンドンの日本大使館前で抗議スピーチを英語でしてしまう展開に。

 こんな展開にわたし自身が驚いている。
 今は亡き父母が知ったらなんて言うかしら……。

 でも、今は、非常事態。
 できることはしなければ。

 事故は、起きた。
 人類史上初の放射性物質ばら撒き・汚染水流しっぱなしの最悪の事故。

 何が原因かわかっていない、事故現場にだれも行けない入れない、どの時点のだれの判断が良くなかったのか明らかにしない・させない。
 だれひとり責任をとらない無責任なこの国の在りように世界が怒り始めていると思う。

 ばら撒かれてしまった毒物は未来永劫、無毒化できない。
 ここからどこかに移動させても、見えなくさせてもそこには、在る。

 1年前より事態はさらに悪化、深刻になっていると思う。

 福島のあちこちに山積みされているフレコンバッグ。
 除染の名の下、集められて詰められた土の中から雑草が袋を突き破って繁っている。
 厄介なものを「ないこと」にして目の前からどけることしかしない愚かな私たち。

 誰でもみな、裸で生まれてきて裸で死んでいく、確実に。

 なにも持ってはいけない、お金も名誉も土地も家も伴侶もこどもも。
 ひとりで生まれ生きて、ひとりで死んでいく。

 だからこそ、原発・核廃絶を目指して生きて在る間に少しは役にたちたい。

 小出裕章さんは今も毎日、惜しげもなく「きれいな酸素」をくださっている。


[YouTube -1]
2013.09.01「0901日曜首相官邸前抗議」木内みどりさん〈総理官邸前〉
https://www.youtube.com/watch?v=OJgZ30BbelY

[YouTube -2]
木内みどりさん英で政府批判 「また事故起きる」(英語スピーチ)(*3)
https://www.youtube.com/watch?v=u1ps6NyVOEk

マガジン9、2014年9月3日up
「木内みどりの発熱中」
第1回
9月1日はわたしにとって
特別な記念日。

http://www.magazine9.jp/article/kiuchi/14440/

(*1)
http://nuclearhotseat.com/

(*2)
http://januk.org/english/about.html

(*3)木内みどりさん英で政府批判 「また事故起きる」
[ロンドン=石川保典] 脱原発を訴える女優の木内みどりさんが2014年4月11日、ロンドンで行われた脱原発集会でスピーチし、日本政府が同日の閣議決定で事実上、原発ゼロを撤回し、原発再稼働を進めるとした政府のエネルギー基本計画を批判した。
 木内さんは東京電力福島第一原発事故後、脱原発運動に積極的に参加。
 この日、在英日本人でつくる反原発団体や英国の反核グループが毎週金曜日に日本大使館前で行っている集会に招かれた。

 木内さんは英語で、
「私の人生は福島の事故後に完全に変わり、脱原発のためにできることはすべて行おうと決心した。誰も事故の責任を取らず、原因を追及もしない日本に対し私は怒っている」
と述べた。基本計画にも触れ、
「国民が事故のことを忘れたり、事故から逃げていてはまた事故が起きる」
と訴えた。

 木内さんは反核を訴える英国の著名なファッションデザイナー、キャサリン・ハムネットさんと31年前に日本の雑誌で対談した際にもらったという反核メッセージのTシャツを着て参加。
 ハムネットさんも集会で、
「再稼働は、日本や世界の民主主義に対する破壊行為だ」
と批判した。


東京新聞・朝刊、2014年4月12日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014041202000110.html

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2019年11月21日

木内みどりさんに聞いた

木内みどりが、2019年11月18日、急性心臓死により永眠いたしました。生前の本人の希望通り通常の通夜・告別式は行わず、家族のみでお別れをいたしましたことをご報告いたします。これまで応援してくださいました皆様、またお世話になりました皆様へ謹んで御礼を申し上げます。
https://twitter.com/kiuchi_midori

「私にも責任がある」
そう気がついて動き出した


編集部: 木内さんは、脱原発について積極的に発言をしたり、地方選で脱原発を公約に掲げる候補者の応援をしたり、さまざまな活動をされていますね。日本の芸能界では、自身の社会的スタンスや政治的スタンスを明らかにしない人が多い中で、女優である木内さんは、ご自分の考えをはっきりとおっしゃっている。そもそも、そうした発言や行動のきっかけは何だったのか、お聞かせください。

木内: きっかけは3.11です。福島第一原発事故後、何が起きているのか、原発がどうなっているのかもまったくわからなくて外出もできず、悶々としていた時期があったんですね。そのときに「たね蒔きジャーナル」(MBSラジオ)の小出裕章さんのお話を聴くようになって、そこだけおいしい酸素があるみたいに感じて、毎日聴いていたんです。iPhone にも落として、何度も何度も繰り返し聴くうちに事の次第がだんだんわかってきて、それと同時にテレビのニュースも新聞もあまり信じられなくなり、ウェブでの情報を拾うようになっていったんですね。
 そうして半年くらい経った頃でしょうか。小出さんが、原発政策は「国を挙げてやってきたことだから、騙されてもしようがないけれど、騙されたあなたにも責任がある」と。「騙されたことを認識しないと、また騙される、また事故が起きる」ということをおっしゃっていて、その言葉にハッとして「私にも責任があるんだ」というふうに自覚したんです。
 というのは、私の夫の水野誠一は、2001年の静岡県知事選に出ているんですね。私はそのときは政治のことなんか何もわからないし、最初は「絶対嫌だ!」と大反対したんですけれど。どうして彼が県知事選に出たかったかというと、彼の父親の水野成夫は、静岡県の浜岡町(現在は御前崎市の一部)の出身で、フジテレビを設立したり、産経新聞の社長をつとめたりしたのですが、1960年代に浜岡原発の誘致をするときに協力した人なんです。ところがチェルノブイリの原発事故が起きたことで、息子である水野は「浜岡だって危ないんじゃないか」と危機感を持って勉強をし出したんですね。
 県知事選出馬の話が持ち上がったのは、水野は当時、参議院議員だったので、政治がわかっていて、マーケティングがわかっていて、人柄としてもクリーンだということで、地元の学生と主婦が頼みにきたわけです。だからバックも何もなかったんですが、水野は、浜岡原発を止める「いいチャンスだ」と、せっかくチャンスがあってお願いされているのに、「僕は逃げるわけにはいかない」と言ったんですよ。それはやっぱり「人としてかっこいいな」と思ったので、私もひと夏、選挙のためにものすごく頑張ったんです。

編集部: 県知事選のときは、水野さんは浜岡原発の危険性を正面切って訴えたのですか?

木内: はい。静岡空港建設反対と浜岡原発停止を言ったんですが、浜岡の話をすると、場がシラーっとなって、人がすーっと引くのがわかるんですよ。私もそのときは原発のことをまったく理解していなかったから、側で聞いていて「また難しい話をし出した」みたいな。「ねえ、浜岡の話題はやめない?」なんて言っていたくらい、わかっていなかったんですよね。
 結局、選挙は現職にダブルスコアで負けて、そのとき身に沁みたのは、有権者のみなさんの県政への無関心ぶり。私は原発の話はしなかったけれど、福祉政策とかいっぱい訴えたんです。でも、全然手ごたえがなくて、この無関心ぶりはすごいなって。
 あと、選挙の結果が出た後で、地元の財界の人たちから「もっとうまくやれば勝たせてやったのに」みたいな話も聞いたりして、私は政治の素人ですから、そういう選挙のあり方に「なんて嫌な仕組みなんだろう」と絶望したんです。それで政治とか選挙とか、どんどん嫌いになってしまって。

編集部: それから10年後の2011年3月11日に、福島第一原発事故が起きた。

木内: 事故が起きてから「ああ、本当に起きちゃったんだ…」と。そこに小出さんの「あなたにも責任がある」という言葉が心に響いて、静岡県知事選のときに、もう少し原発の問題を理解して動いていたら、ちょっとは違っていたかもしれないという思いが、一気にわき上がってきたんですね。「私にも責任がある」って気づいてしまったんだから、「できることは全部やるぞ」と決意したのが、今やっているいろいろな活動のはじまりです。

国内外の脱原発運動に参加して

編集部: 現在は脱原発集会の司会ほか、多彩な活動をされていますね。

木内: ツイッターで発信したり、脱原発集会に参加したりしているうちに「司会をしてください」とか「官邸前抗議でスピーチをしてください」とか、そういう機会がだんだん増えていきました。
 その流れで、この2014年4月にロンドンの日本大使館前での脱原発集会で、英語でスピーチというのを大胆にもやってしまったんですけれど(笑)。その脱原発集会では、キャサリン・ハムネットという著名なデザイナーもスピーチをして。30年くらい前、彼女が来日したときに私は雑誌で対談をしているんです。そのとき彼女がプレゼントしてくれたTシャツには「WORLDWIDE NUCLEAR BAN NOW」というメッセージが大きなロゴで書いてあって、かっこいいTシャツなんですけれど、当時はそのメッセージが全然わからず、わかろうともせず着ていたんですよ。
 それで3.11後に、「あっ」と思ってTシャツを見てみたら、「全世界のすべての核を今すぐ禁止せよ」という意味だったことに気がついたんです。そこでまた、彼女がこれをくれた30年前に、今やっているように全身全霊で反対運動をしていたら、原発をめぐる状況はどうなっていただろうという思いが、ますます自分の中で強くなっていったんです。

編集部: ロンドンの脱原発集会では「私の人生は、福島の事故後に完全に変わり、脱原発のためにできることはすべてやろうと決心した」とスピーチをしていますね。

木内: だからね、3.11以前の私から見たら、もうとんでもないことをしているわけで、そういう流れになってしまっている自分に、いちばん驚いているのは自分だし、怯えているのも自分なんです。でも勇気を出してやればやれないことではない。それに、私はどこの組織にも所属していないし、自分の考えを自由に言えばいいんだから、ひとつずつやっていくと、それなりに達成感はあるんですよ。ロンドンの脱原発集会では、キャサリンがものすごく喜んでくれて「一生友だちでいよう」って言ってくれたり。
 あとはアメリカに「NUCLEAR HOTSEAT」という大きなウェブサイトがあって、これはスリーマイル島の原発事故後に立ち上がったサイトなんですね。そこが3.11の3年目に、ポッドキャストで福島特集を世界に発信するというプロジェクトを組んだんです。それで小出さんや山本太郎さんや水野の他、私も「インタビューに答えてください」と言われて、「私ごときが」とためらったのですが、自分の気持ちを喋ればいいんだと思ってお話ししました。

編集部: 木内さんの、脱原発を訴える活動は、日本国内だけでなく、世界にも広がっているんですね。

木内: でも、いろいろやらせてもらって思うのは、デモや集会のやり方ももっと考えなきゃいけない。私もデモに行ったり、座り込みに行ったり、署名したり、お金を寄付したり、お金を集めたり、やって、やって、やって、やって…。だけど、やっているうちに「なーんにも変わらないじゃない、デモを何万回やってもおんなじじゃないのーーーっ!!!」というもどかしさが大きくなっていったんですね。
「さようなら原発1000万人アクション」という集会でも、私は何回か司会をしていますが、例えばデモをするときでも、せっかくノーベル賞作家の大江健三郎さんが先頭を歩いてらっしゃるのだから、「KENZABURO OE」とプラカードを出したり、動画に英語のテロップを入れたりすれば、世界の人が見てくれるじゃないですか。デモや集会のやり方や発信の方法を変えていくことは、本当にこれからの課題だと思います。

原発や政治について、
「言えない」社会の空気


編集部: 一方で、脱原発に向けて、行動する人びとは多数派とはいえません。それは社会の中に、政治的な話をするのはタブーだというような空気が漫然とあるからではないでしょうか。原発の話題を出すと「引かれるんじゃないか」と思ってしまったり、若い人たちからも「友だちと政治の話はしにくい」という声を聞きます。

木内: たぶん、1人ひとりが自分の足で立っていないんだと思うんです。誰かが褒めてくれたり、誰かが認めてくれたり、何かの会に所属したり、支え合っていないと倒れてしまう人が多いというか。だから、原発再稼働はおかしいと思っても動けなかったり、「こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか」と気にしてなんにも言えなくなってしまうんじゃないですか。
 もともと私は1人で行動するのが好きなんですね。小学生の頃からヘソ曲がりで、学校の集団行動も大嫌いだった(笑)。3.11以降「できることは全部やる」と決めてからも、グループ活動は苦手なので、動くのはいつも1人。だから考えも誰とも似ていないと思うんですよ。知識の足りないこの自分の頭で判断しているので。その代わり、本当に知りたいことを知ってきたから、私はこの考えで最後までいこうと思っています。

編集部: 本来はそうやって組織や会に属さない、それぞれ自立した個人がつながっていくのが理想ですね。どんな運動でも人と人の結びつきが生まれますから。木内さんは、原発問題に関わるようになって、交友範囲もずいぶん変わったのではないですか?

木内: 3.11前と後では、友人はかなり入れ替わっちゃいました。「なんだかすごい頑張っているのね…」みたいな、冷やかな言い方をする友だちは「もう会ってくれなくてけっこうです」って(笑)。私のほうで、そういう人たちは色あせてしまったんですね。あれだけの事故が起きて、原発の危なさが見えたのに、全然興味を持たないでいられることが、私にはわからない。

編集部: 芸能界に限らず、私たち一般社会においても、なかなか、政治や原発の話題は出しにくいわけで…。でも、何かきっかけをつくって、話しかけていくことは大事ですね。

木内: そう、先日も友人のお誕生日会で久しぶりに会った知人がいるんです。彼女は、政治に関してしっかりとした自分の考えを持っているので、せっかくの会なのに、2人で「いや、そうじゃない!」「私はそうは思わない!」なんて、ちょっと言い合いになったんですね。でも、おたがいの意見は違うけれど、彼女は「こういう場で政治の話をするのは初めて」と言うんです。「本当はこうあるべきよね。日本の女の人はやらなさ過ぎ。そこは問題だから大いにやりましょう」と言っていました。だから、私もひるまずに、原発のことを聞いてくれそうな人がいたら、どこでもどんどん喋ろうと思うんですよ。

脱原発候補者の選挙応援に駆けつけて

編集部: 前回は、脱原発運動に関わるきっかけと、活動の内容などを伺いました。そこから2月の都知事選をはじめ、地方選で脱原発を公約とする候補者の応援もされるようになったんですね?

木内: 選挙に関しては、私はどこの党とも関係がないし、どの組織にも属していないので、はっきりしているのは、とにかく原発を止めたい。それだけなんです。原発を止められそうな人がいたら、その候補者を全力で応援する。だから都知事選のときは、脱原発を訴えて出馬した宇都宮(健児)さんの応援をすることは、早い時期に決めたんです。

編集部: 選挙期間中はあちこちの集会の司会をしたり、それこそ全力で協力されていましたね。

木内: 先にお話ししたように、脱原発集会のやり方を変えなくちゃいけないと思っていたので、選対(選挙対策本部)でも私なりに「こうしたらどうか」といろいろな考えを伝えました。
 例えば2013年の参議院選で三宅洋平さんが出てきて「選挙フェス」をやったときには、「こういう選挙のやり方があるんだ!」と目からウロコでしたよね。だから選対では、これまでの選挙の闘い方にこだわらず、「(応援演説では)政治家の話は心に響かないからやめましょう」ということも言ったんですよ。官邸前で脱原発を訴えている人たちでも、政治を自分の言葉で語れるようになった人たちがいるんだから「そういう人たちに喋ってもらいましょうよ」とかね。

編集部: 都知事選の選挙運動の途中で、沖縄の名護市長選の応援にも行かれていますね。

木内: 名護市長選が1月にあって、現職の稲嶺進さんはずっと辺野古への米軍基地建設に反対されていて、熱い思いを持った方ですよね。私は、宇都宮さんから稲嶺さんへの応援の檄文を届けに行ったんです。
 名護のみなさんは、意識が高かったですよ。石破茂さんが「(基地容認派が勝てば)500億の振興基金を出す」って言ったでしょ。でも、普通のおじいちゃん、おばあちゃんでも、沖縄戦の記憶が生々しくあるからかもしれませんが、札束でひっぱたかれても動じない。びっくりしたのは、車を運転していたら、ガソリンスタンドのスタッフの若い男の子が「名護のことは名護が決める」と書いたプラカードを掲げているんです。「かっこいい!」と思いましたね。

編集部: 都知事選の後は、4月の衆議院鹿児島2区の補欠選挙にも駆け付けていますね。

木内: 都知事選では自分なりにやれることはやったし、しばらく選挙とか政治からは離れていようと思っていたんです。そうしたら、ロンドンの脱原発集会でスピーチをしてむこうの空港にいたときに「川内原発の再稼働を阻止するチャンスだ」という電話がかかってきたんですよ。「私、ちょっと、行けないですよ!」と言いながらも「ああ、私は結局行くんだろうな」って。もうね、自分でわかるんですよね(笑)。

編集部: 木内さんが応援した有川美子さんは、山本太郎さんの「新党ひとりひとり」が擁立した候補者ですね。福祉政策と、川内原発の再稼働阻止、消費税増税反対を訴えていました。

木内: 山本太郎さんが、誰かいないかと見つけた介護福祉士の人です。この有川さんという人がすごくいい人で、東京からも太郎さんの選挙を支援した人たちがいっぱい行ったんですけれど…。1位当選した自民党の陣営は、とにかくお金を使った選挙をやっていました。2位の民主党の候補者は、30人くらい民主党の議員の秘書さんたちが応援に来ていたんですが、数人ずつに分かれて「選挙に行こう」と書いた紙を持って歩いているだけ。民主党、あれじゃ勝てるわけがない。「何やってるの?」と呆れました。
 私たちは、お金はないけれど情熱はあったと思うんですが…。

編集部: 鹿児島2区の有権者の反応はどうでしたか?

木内: この補欠選がいかに大事な選挙か、一生懸命訴えたんですけれど、届かなかったですね。「今度の選挙は全国が注目しています」と言っても、投票日も知らない方も多くて。川内原発がどれだけ危ないか伝えても、「でもねえ、原発のおかげで暮らしているしね」と言う人もいました。

編集部: 地方選こそ、生活に密着した身近な選挙なので、もっと多くの人に関心を持ってほしいですね。来年は統一地方選挙がありますし。

木内: 鹿児島2区では有川さんは5858票しかとれなくて、自民党の候補者が6万票で、民主党の候補者が4万票。だけど、有川さんのツイキャスを見たり、ツイッター、フェイスブックで追いかけて、寄付もしてくれて、応援もしてくれた人たちがいっぱいいるんです。
 だから、希望は感じています。5858票は種火なんですよ。「この種火は絶対に消えない」という感触はあるんですね。自民党の組織票に比べたら少ないかもしれないけれど、熱があるから。「この熱はいつか伝わっていくよ、フワーッと伝わったら、あるときボッと火がつくよ」と私は思うんです。それは夢見ています。
 三宅洋平さんなんかも、あちこちの地方の市長選や町長選で、熱心に支援活動をやっています。地方選では、これまで選挙に出ようなんて思わなかった人が出始めているでしょう? そういう選挙戦では、ネットの分野で活動している若い人たちも動き出しているので、小さいところから3年後、5年後、10年後を目指して、着々と地固めはできていると思うんですね。

一人ひとりが
「熱」を持って動けば変えられる


編集部: 木内さんはこの3年間、脱原発運動に尽力してこられて、そのつながりで政治や選挙にも関わるようになりました。最近の重要な問題としては、安倍政権は解釈改憲による集団的自衛権の行使容認を進めようとしていますが、そのへんはどう思われますか?

木内: 私はずっと脱原発ばっかり訴えてきたので、集団的自衛権のことは実感としてわからないんですけれど。ただ、去年の夏、報道写真家の福島菊次郎さんのドキュメンタリー映画の上映と写真展と講演が横浜であって、私もイベントに参加したんですね。そのとき菊次郎さんが、「このままじゃ戦争が始まる。今は戦前なんだ」というようなことをおっしゃっていて、あれから1年近く経って、状況は1歩、2歩、3歩、4歩、5歩くらい進んでいるのだろうから、「本当にそうなんだろうな…」とは感じます。
 イベントでは、菊次郎さんに「あなたは女優さんなんだから、あなたが読んでください」と言われて、『あたらしい憲法のはなし』という冊子をその場でいきなり渡されて朗読したんです。『あたらしい憲法のはなし』というのは、「戦争放棄」のことがわかりやすく書いてあって、素晴らしいですね。あれ、日本国憲法が公布された年に配られた中学生用の教科書らしいですね(ヤッホーくん注)。

編集部: 1947年の5月3日に憲法が施行された後、当時の文部省がつくって配布したものですね。憲法に書かれている内容を、中学生向けに分かりやすく解説してある。

木内: 横浜のイベントの後、府中でも菊次郎さんのイベントがあって、また「読んでください」とリクエストされて読んだんです。そのときはちゃんと読み込んでいって、この素晴らしい冊子を配ろうと考えたのは誰なのか知りたくなったんですね。それで「もともとの発案者を探すプロジェクトをつくろうよ」と私は言っているんですけれど。

編集部: 木内さんが感じているはがゆさのようなものを、私たちも感じています。原発再稼働を目論み、集団的自衛権の行使容認に突き進もうとしている現政権の暴走を止められないでいます。原発も憲法も、大事な局面にあるのに、世の中の大多数は、無関心だったりと。

木内: 私はね、社会と自分は同じ大きさだと思っているんですよ。だって、私が死んじゃったら自分にとっての社会もなくなってしまう。だから、大きな社会があって、その中にちっぽけな自分がいるんじゃなくて、この社会イコール自分だというふうに考えているんですね。だとしたら、こんな社会で生きるのは嫌だ、原発のない社会にしたい、戦争をしない国にしたいと思ったら、自分が動いて変えていくしかないじゃないですか。
 そのとき大切なのは、「熱」じゃないかと思うんです。脱原発の運動やいくつかの選挙戦を経験してわかったのは、どれだけ熱を持っているかで、伝わり方は全然違ってくるということ。偉い政治家が言うことよりも、普通のお母さんの言葉にふっと胸を打たれたりしますよね。権威とか、肩書とか、権力とか、武器とか、そんなもので世の中を動かすことはできない。心に伝わるあたたかいものでなければ、原発も戦争もなかなか止められないと思うんですね。
 1人ひとりが熱を持って行動すれば、きっと社会は変わります。


マガジン9「木内みどりさんに聞いた

(その1)2014年6月11日up
「脱原発」のため、私がやれることは何でもやる
http://www.magazine9.jp/article/konohito/13066/

(その2)2014年6月18日up
「熱」を持って動いていこう
http://www.magazine9.jp/article/konohito/13074/

(ヤッホーくん注)
 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください:

★ 2014年07月08日「あたらしい憲法のはなし」
★ 2018年10月31日「歌には力がある、歌を通して出来ることがいろいろある」

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祝賀資本主義 Celebration Capitalism

「桜を見る会」の問題が連日、テレビや新聞を賑(にぎ)わしている。
 ホテルオータニでの「前夜祭」において、安倍首相の地元後援会の関係者約800人が、5000円という異例の低価格で飲食をしていた点については、公職選挙法違反や政治資金規正法違反の疑いがあると指摘されている。
 SNS上では、「森友、加計問題に続く疑惑であり、3アウト、チェンジだ」という声も多数出ているが、安倍政権は今回も居座る公算が大きい。
 11月13日には突如、来年の「桜を見る会」の中止が発表され、15日には安倍首相自身が官邸で、20分以上の時間をかけて記者団に経緯の説明をするなど、政権は問題の幕引きに躍起になっている。
 
「桜を見る会」が象徴する「宴の政治」

 ここでは、「桜を見る会」そのものの問題点よりも、この会が象徴する政治のあり方について考えていきたい。

 テレビで繰り返し流された「桜を見る会」の光景こそが、安倍政権、そして今の日本の主流の政治のあり方を象徴している、と私は考えているからだ。

 それは「宴(うたげ)の政治」とでも言える政治のあり方だ。

「桜を見る会」のような祝宴は、主催者に招待された限られた人しか参加できないという性格があるが、現代の祝宴はテレビやネットを通して映像を流すことで、参加していない人にも華やかな雰囲気を伝え、その場に参列しているかのような錯覚を与えることができる。

 そして、宴の中心にいるのは主催者である権力者だ。
 この間、参列者が立ち並ぶ中、安倍首相ひとりが壇上に立って、両手を大きく広げている写真がSNSで拡散していたが、この構図こそが「宴の政治」を象徴している。

 華やかな場。
 立ち並ぶ各界の著名人と政権の支持者。
 そして、その中心にいる権力者。
 こうした映像が垂れ流されることで、「彼」が政治だけでなく、社会や文化の中心にいるかのようなイメージが刷り込まれる。

祝宴の政治的効果を最大限に活用

 お祝いムードの中、「彼」がおこなう政治の中身について議論することは「空気を読まない」行為とされ、批判の声はかき消されていく。

 どの政権も多かれ少なかれ、こうした祝宴の性格を利用するものだが、安倍首相をはじめとする近年の保守政治家は、祝宴の政治的効果を最大限活用しようとする傾向が強いと言える。
「桜を見る会」の参加者が年々増え、肥大化した一因は、そこにあるだろう。

 こうした政治のあり方を私は「宴の政治」と名づけたい。

「宴の政治」とは、地に足をつけ、格差や貧困、災害、少子高齢化など山積する社会課題に取り組むよりも、意図的に人びとの耳目を集める祝宴を作り出し、その効果を自らの権力維持のために最大限に活用することを優先する政治である。

 現代の日本では、こうした「宴の政治」が横行している。

 スポーツイベントのように主催者が政府や政治家でない場合も、政治家が便乗する形で「宴の政治」が繰り広げられる。

 今年の秋には、ラグビーのワールドカップという祝宴があった。

 9月20日、安倍首相は自身の公式Twitterアカウントで動画を投稿。
 そこでは、日本チームのラガーシャツを着込み、「トライ! ニッポン!」と言いながらラグビーボールでトライのまね事をする首相の姿があった。

 10月20日、安倍首相はラグビーの日本チームがベスト8に進出したことに触れ、「日本代表の皆さん、たくさんの感動をありがとう。夢のような一ヶ月間でした」とTwitterに書き込んだ。

 だが、その1週間前には台風19号が東日本各地で甚大な被害をもたらし、死者・行方不明者は90人を超えていた。
 10月20日時点では約4000人が避難所での生活を送っていた。

 また、9月に関東地方に襲来した台風15号の影響による千葉県の大規模停電が完全に復旧したのも10月に入ってからであった。

 SNS上では、「夢のような一ヶ月間」という表現があまりにお気楽で、被災者に対して無神経なのではないかという批判が散見されたが、「初のベスト8進出」というお祭りムードの中で批判は大きく広がらなかった。

新元号発表でつくり出された「梅」の祝宴

 今年の4月には「桜」だけでなく、「梅」の祝宴も作り出された。
 初めて和語を使った新元号「令和」の発表である。

「令和」の引用元となったのは、「万葉集」の序文に記された「梅花の宴」を詠った32首の序文である。
「梅花の宴」が開かれたとされる太宰府市の坂本八幡宮は、一躍、有名スポットとなり、観光客が押し寄せた。

 新元号の発表のあった4月1日、安倍晋三首相は記者会見を開き、首相談話を発表。
 その中で、「令和」の意味について「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました」と説明した。

 さすがに明言はしなかったものの、「一人ひとりの日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせる」という表現は、政権のスローガンである「一億総活躍社会」との類似性を強調するものであった。
 新元号の選定には官邸の意向が強く働いたとの報道もあり、新元号と政権スローガンの類似性は偶然ではなかった可能性が高い。

 この時期、改元による祝賀ムードの影響で安倍政権の支持率は10%近くアップした。
「梅」の祝宴の政治的効果は絶大であったと言えよう。

 この時は「令和」の発表役を担った菅義偉官房長官も「令和おじさん」として自らを売り込もうとしたが、野党側にも新元号を政党名(「れいわ新選組」)や選挙のキャッチコピー(立憲民主党の「令和デモクラシー」)に使うなど、「梅」の祝宴に政治的にあやかろうという動きが散見された。

 11月10日の新天皇の即位パレードの前夜に開催された「国民祭典」では、会場アナウンスによって「万歳三唱」が15回も繰り返されるなど、天皇代替わりに伴うお祝いムードをナショナリズムの強化に利用しようという動きは、現在も続いている。

問題山積の東京五輪

 来年予定されている最も大きな祝宴は、東京オリンピック・パラリンピックである。

 東京五輪は当初、「復興五輪」と呼ばれていた。
 安倍首相は五輪の誘致演説において福島第一原発の状況は「アンダーコントロール」であると述べたが、今年10月には台風19号の影響で、除染廃棄物の入ったフレコンバッグ90袋が流出。
 福島第一原発から出た汚染水の海洋流出も検討される等、放射能汚染をコントロールできない状況が続いている。

 最近では、五輪誘致に使われた海外コンサルタント費約9億円の支出を裏付ける会計書類が不明になっているという問題も報道された。
 高額の海外コンサル費が贈賄に使われたのではないかという疑惑については、フランス検察当局による捜査も継続している。

 また、この連載でも指摘してきたように、東京では五輪に伴う都市再開発により都心部で路上生活者が排除される動きも加速している。
 新国立競技場の建設の影響で取り壊しになった都営霞ヶ丘アパートでは、高齢の入居者が移転を余儀なくされた。

 オリンピックのマラソンと競歩は札幌開催になったものの、他の競技は真夏の東京で開催され、アスリートやボランティアが熱中症になるリスクは依然として高い。

 このように東京五輪についてはさまざまな問題点が指摘されているが、来年になれば、報道は歓迎ムード一色になり、「空気を読まない」批判者は無視されたり、バッシングされたりするのであろう。

 マラソンと競歩がIOCの意向により札幌開催になったのは誤算であったであろうが、安倍首相、小池都知事はそれぞれの思惑で、この祝宴の晴れ舞台を最大限、政治的に活用するであろう。

 五輪という世界規模の祝宴は、政治家だけでなく、大企業にとっても巨額の利益を上げる草刈り場となっているという指摘もある。

五輪を「祝賀資本主義」と批判

 米国のサッカー五輪代表選手という経歴を持ちながら、現在は世界各地のオリンピック反対運動をつないでいるジュールズ・ボイコフ(Jules Boykoff、1970年生まれ)パシフィック大学教授(『オリンピック秘史〜120年の覇権と利権』翻訳・中島由華、早川書房、2018年1月)は、「祝賀資本主義 Celebration Capitalism」という言葉を用いて五輪を批判している。

 同氏は、五輪が開催される各都市において、お祭りムードの中、正常なルールのもとでの政治が機能しない例外状態が発現することを指摘。
 この間に企業の営利活動のリスクを公的機関や開催都市の納税者が負担する構造ができ上がり、環境への負荷やセキュリティー強化によるプライバシー侵害、貧困層の排除といった問題が起こることを指摘している。

 東京五輪の開催費用は当初の予定の数倍に膨れ上がっており、3兆円を超えると言われている。
 最終的にその負担を税という形で背負うのは都民や国民である。
 その一方で、「宴の政治」や「祝賀資本主義」により、政治的・経済的利益を享受する人たちがいるのを忘れてはならない。

 東京五輪開催まで、あと1年を切り、五輪後の景気失速も懸念される中、その次の祝宴も続々と計画されている。
 2025年に予定されている大阪・関西万博は、その代表格だ。

 大阪での万博決定には、維新の会と安倍官邸の意向が強く働いたと言われている。

 大阪府と大阪市は万博開幕前の2024年度内にカジノを含む統合型リゾート(IR)の開業をめざしている。

 カジノについては、ギャンブル依存症患者が増えること、マネーロンダリングに悪用されること等が懸念されており、候補地となっている各都市で市民による反対運動が盛り上がっている。
 大阪では万博という祝宴と結びつけることで、批判をかわそうという意図が見え隠れする。

 このように近年の政治は、祝宴を次から次に作り出して批判を抑え、祝宴と祝宴の間の空白を短くすることで権力を維持するということが目的化しているように見える。

 その観点で振り返ってみると、第二次安倍政権の表看板であったアベノミクスも、国をあげての祝宴であったと言うことができるだろう。

祝宴に目を奪われない有権者が増えることが必要だ

 私は2012年12月に発足した安倍政権が最初に行った仕事の一つが生活保護基準の引き下げであったことを批判してきた。

 生活保護費の大半は、生活保護利用者が暮らす地域での消費に回るお金である。
 国内消費を活性化したいのであれば、生活保護基準はむしろ上げないといけないはずだが、経済学の理論を無視してまで引き下げにこだわったのは、アベノミクスという祝宴に誰を入れないのか、ということを政治的に明確にしたかったからであろう。

 野党やマスメディアの奮闘にもかかわらず、「桜を見る会」のスキャンダルは決定的な証拠が出てこない限り、沈静化してしまうのであろう。

 しかし、一部の人のみが優遇される「宴の政治」というマジックのからくりを人びとが理解するようになれば、この後に次々控える祝宴の政治的効果も薄らいでいくだろう。

 野党側にも、改元や五輪といった祝宴にあやかるパフォーマンスではなく、祝宴の影で進行している諸問題に向き合う姿勢を求めたい。

「宴の政治」に別れを告げて、地に足のついた政治を取り戻すには、祝宴に目を奪われない有権者が増えることが不可欠である。

 そのことに一縷の望みをかけていたい。

朝日新聞・論座、2019年11月21日
「宴の政治」に別れを告げる時
桜、梅、五輪、万博が隠すものは?

(稲葉剛・立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授)
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019111900001.html

posted by fom_club at 15:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国民を愚弄する「萩生田文科大臣」

「小池百合子」vs「萩生田光一」都知事選の暗闘(1/2)

 来年2020年7月5日に行われることとなった東京都知事選挙。
 どんな日程であれ小池百合子都知事の優位は揺るがないだろうが、引きずり下ろしたい自民党東京都連の萩生田光一・文科相も必死なのだ。
 が、暗闘が激化すれば彼の「脛の傷」にもスポットライトが……。

* * *

 選挙に至るまでの間、自民党都連としては小池知事のイメージダウンを図るため、あらゆる手段を講じるに違いない。
 しかし、その先頭に立つのであろう萩生田氏、そして高島直樹・都連幹事長の足元には、いつ爆発してもおかしくない地雷が埋まっている。
 実は、2人とも金がらみの疑惑を抱えているのである。

 英語民間試験導入に関する「身の丈」発言で謝罪に追い込まれたばかりの萩生田大臣。
 その疑惑の舞台となるのは、彼が代表を務める「自由民主党東京都第24選挙区支部」だ。
 2017年分の収支報告書を見ると、同支部が1年で集めた企業・団体献金はトータルで約3600万円。
 そのうち約1850万円については、衆院選が公示された10月10日から投開票日の22日までの12日間に集中的に集められている。
 その一方で、同支部は衆院が解散した9月28日から11月10日までの間に、計6回に分けて、総額1600万円を「はぎうだ光一選挙対策本部」に寄付。
 つまり、選挙期間中に集中的に集めた「企業からの選挙資金」を、政党支部を迂回して萩生田大臣が受け取っている形となっているのである。
 企業からの献金を政治家個人が受け取っていれば、政治資金規正法違反となる。

 こうした経緯は今年9月、「しんぶん赤旗」ですでに報じられているが、
「ポイントは献金した側がどう証言するか、ですね」
 と、政治資金問題に詳しい神戸学院大学教授の上脇博之氏は指摘する。

「献金を受けた政治家側はおそらく“企業側が選挙に関係なくたまたま政党支部に献金してくれて、そのお金を会計責任者が必要だと思って選対本部に移してくれた”等と抗弁することでしょう。しかし、献金した側が“選挙のために渡した”と証言するのであれば、そのお金は政党支部ではなく、政治家個人に渡したお金だったと言えます」

選挙の時は昔から…

 では、献金した企業側は何と言うか。
 選挙と関係のない時期に3万円の寄付を2回しており、衆院解散後の17年10月3日に10万円、同月11日に20万円を寄付した会社の社長に質したところ、
「選挙の時は昔から、市議会議員の頃からずっとね」
と、あっさり“選挙のため”であったことを認めた。

― ずいぶん応援しているんですね?

「選挙以外でも出して(寄付して)ますよ。普段からずーっと出していますよ」

― 普段から出しているけれど、選挙になると……。

「そりゃ、余分にお金がかかるから」

― 頑張れよって意味で。

「そりゃそうだ。当たり前だ。お金一銭もなくて選挙なんて出来るわけがない」

 選挙と関係のない時期に12万円、衆院選公示後の17年10月12日に100万円を寄付した会社にも聞いた。

― 普段は12万円なのに10月にいきなり100万円を出していますね。

「選挙の時ね」

― 選挙だから大きなお金を出している?

「そうそうそう。東京ルネッサンス21という後援会があって、その役員の人たちが出してる」

― 1800万円くらい集まった金がすぐに萩生田大臣の選対本部の方に移されているのだが?

「そういうつもりで出してますからね」

―額は決まっていない?

「決まってない」

―いわゆる「身の丈に合った」金額を?

「うん、そうそう」

萩生田大臣に問うと…

 先の上脇氏は、
「献金した側が“選挙のため”と証言しているのであれば、政治資金規正法で禁止されている違法な献金を萩生田氏が受け取ったことになります。企業側が“ずっとやってきた”と言っているのなら、より悪質性が高いと言える」
として、こう語る。

「また、本来は政治家個人に対して行われた献金を、政党支部への献金として収支報告書に記載しているので、こちらも政治資金規正法の虚偽記載罪に問われる可能性がある。その上、本来、選挙運動費用収支報告書に記載されるべき企業からの献金が記載されていないことになるので、公職選挙法の虚偽記載罪に問われる可能性もあります」

 一連の疑惑について萩生田大臣に問い質すと、

「お金の出入りのことはちょっと個人的には分からないんですけど」

― 党の支部から選対本部に寄付されて……。

「事務所の秘書に聞いてもらってもいいですか?」

 萩生田大臣の事務所に改めて取材を申し込むと、
「政治資金は法令に従い適正に処理しその収支を報告しているところです」

 真剣に答える気がないようである。


週刊新潮 2019年11月21日号掲載
萩生田光一文科相の政治資金規正法違反疑惑
献金業者が決定的証言

https://www.dailyshincho.jp/article/2019/11210802/

 他人は批判するが、自分にとって都合の悪い話になると逃げ回る――。
 それが安倍晋三という政治家の処世術だが、側近もまったく同じだ。


「政治とカネ」で野党議員に厳しい言葉をぶつけておきながら、自分への疑惑に対しては知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ萩生田光一衆議院議員が、なんと子供の“教育”を司る文部科学省の大臣になった。
 国民を愚弄するにも程がある。

■ 野党幹事長を厳しく批判

 自民党の幹事長代行だった萩生田氏は、参院選を前にした2019年7月2日、福山哲郎立憲民主党前幹事長の後援会が企業や団体から「後援会費」などとして政治資金の提供を受けていた問題に言及。
「後援会が企業からの寄附を受けられないことは政治家の一丁目一番地。野党第一党の幹事長がこういう状態を7年間も放置していたとすれば、いかがなものか」などと批判した上で、会計記録などを公表して説明責任を果たすべきとの考えを示していた。
 後援会が企業・団体からの寄附を受けられないことは、たしかに政治家の一丁目一番地。
 政治資金規正法は、企業・団体が政党及び政党支部と政党の政治資金団体以外の政治団体に寄附することを禁じており、萩生田氏の主張は間違っていない。
 だが、萩生田氏に他人のことをとやかく言う資格があるとは思えない。

■ 自らの迂回献金疑惑にはダンマリ

 萩生田氏が支部長を務める「自由民主党東京都第二十四選挙区支部」(以下、「自民支部」)が東京都選挙管理委員会に提出した平成29年分の政治資金収支報告書によれば、同支部がこの年に集めた企業・団体献金は約3,600万円。
 このうち約2,000万円は、衆議院が解散した2017年9月28日以降に集められたものだった(総選挙が公示された同年2017年10月10日から投開票日である22日までの12日間で1,770万円)。

 短期間に多額の政治資金を集めた同支部は、9月28日の100万円を皮切りに11月10日までに計6回、総額で1,600万円を「はぎうだ光一選挙対策本部」に寄附していた。
 選挙前後に自民支部で集めた多額の政治資金が「迂回」によって、そっくり選挙資金に充てられた格好だ。

 公職選挙法は、「選挙運動に関するすべての寄附及びその他の収入」を備え付けの会計帳簿に記載した上で、その内容を当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会に報告するよう求めているが、萩生田氏の選挙運動費用のうち1,600万円は、自民党の支部を迂回させることで出所を隠したもの。
 陣営として、意図的に虚偽報告を行った可能性があった。

※ 参照記事 ⇒
《自民・萩生田幹事長代行 自民支部「迂回」でふところに業者のカネ》
http://hunter-investigate.jp/news/2019/07/-271800hp-20170426.html
《安倍側近・萩生田幹事長代行の選挙費用収支に虚偽報告の疑い》
http://hunter-investigate.jp/news/2019/07/2000-1.html

 さらに、自民支部で集めた個人献金のうち、総選挙期間中の10月10日に国と契約期間中だった八王子市の建設会社「黒須建設」の役員から提供された100万円が、公職選挙法が禁じる「特定寄附」(国と請負契約を結ぶ個人や企業が国政選挙に関して行う献金)だった疑いも浮上。

※ 参照記事 ⇒
《首相側近・萩生田氏側 国との請負契約業者から選挙中に100万円》
http://hunter-investigate.jp/news/2019/08/-20170426-122000000.html

 HUNTERは萩生田氏側に、虚偽記載と特定寄附についての質問取材を行ったが、まともな答えは返ってこなかった。
(下が萩生田氏側から送られてきた文書。回答になっていない)=HUNTER URL 参照

■ 加計学園疑惑でも逃げ回る

 学校法人加計学園の獣医学部新設を巡る疑惑で主役となったのは、安倍首相と首相の「腹心の友」である加計孝太郎加計学園理事長。
 国家戦略特区を悪用した“便宜供与”が疑われる事態だったが、首相に代わって関係官庁を動かしていたのが、当時官房副長官を務めていた萩生田氏だったとみられている。

 2017年11月に開かれた国家戦略特別区域諮問会議では、議論を経ぬまま、事務方が用意した「国家戦略特区における追加の規制改革事項について(案)」を、『意義なし』の唱和によって決定。
 そこには、“加計学園の獣医学部新設”を決定付けたとされる次の一文が記されていた。
○ 先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する獣医学部の設置
・ 人獣共通感染症を始め、家畜・食料等を通じた感染症の発生が国際的に拡大する中、創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究の推進や、地域での感染症に係る水際対策など、獣医師が新たに取り組むべき分野における具体的需要に対応するため、現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う。

『広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域』というのは四国で、ここに『限る』となれば、該当するのは加計学園の獣医学部新設を特区申請した愛媛県今治市だけ。
 この時点で、同じく獣医学部新設を申請していた京都産業大学は、周辺地域に獣医師養成機関があるため失格になっていた。
 対象地が1カ所に絞られたのは、上記の一文の原案にはなかった「広域的に」「存在し」「限り」が書き入れられたためだが、加筆を指示したのが萩生田氏であったことが、文科省で共有された省内メールの記述によって明らかになっている。
(下参照。赤い書き込みはHUNTER編集部)=HUNTER URL 参照

 萩生田氏は、加計学園が運営する千葉科学大学で危機管理学部の客員教授として毎月10万円の報酬を得ていたことが分かっており、いわば加計学園の身内。
 その彼が同学園の獣医学部新設に関わったというのだから、便宜供与を疑われるのは当然だろう。
 だが、同氏はマスコミや野党から逃げ回り、一連の追及を「難癖(なんくせ)」と切って捨てていた。

 有名になった下の写真は、萩生田氏自身がブログに添付した1枚。
 安倍首相とビールを片手にポーズしている萩生田氏に挟まれているのが、加計学園の加計孝太郎理事長である。
 加計学園問題で、萩生田氏にかけられた疑惑は、決して「難癖」ではなかった。
=HUNTER URL 参照

 自分に向けられた疑惑からは逃げ回り、他者に対しては厳しい批判――。
 ご都合主義の権力者が就いたポストが、教育を司る文科省の大臣というのだから、開いた口が塞がらない。
 子供たちにみせたくない現実が、また一つ増えた。


HUNTER、2019年9月24日 09:00
国民を愚弄する「萩生田文科大臣」
http://hunter-investigate.jp/news/2019/09/-29360017701010221256110200282000-2810011101600-1600-29100-291010100.html#

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安倍首相の腰巾着

 2020年度から実施が予定されている「大学入学共通テスト」をめぐって、中高生でつくる「大学入学共通テストから学生を守る会」が2019年11月19日、記述式問題の中止を求める「緊急声明」を発表した。

採点の公平性に懸念

 大学入学共通テストは、現行のセンター試験に代わって来年度から始まる入試制度で、現在の高校2年生から適用される。
 当初の計画では、英語科目で、英検やTOEFLなどの民間試験が活用される予定だったが、受験生が住んでいる地域や家庭の経済力による「教育格差」を助長すると批判を浴び、導入が延期された。
 一方、国語や数学で導入される「記述式問題」も、採点の公平性や正確性が担保できないと懸念する声があがっている。

「高校生からの緊急声明」

「大学入学共通テストから学生を守る会」は10月25日、都内の高校に通う男子高校生2人が立ち上げ、全国の中高生約40人が参加している。
 共通テストの中止を求める署名活動を始め、11月4日までに寄せられた4万2千筆を文科省へ提出。
 10万人を目指して、現在も活動を続けている。

 11月19日に発表した「高校生からの緊急声明」では、記述式問題の問題点をこのように列挙している。

・ 一律の基準での採点が極めて難しく、採点の質が担保されない
・ 受験生による自己採点が極めて難しく、志望校選びが困難になる
・ そもそも全国統一の一次試験に導入するものとして不適切

 すでに入試まで約1年前に迫っているため、少なくとも2020年度での導入は延期するべきだと訴えている。

「受験に人生を賭ける思いで」

 特に、採点の公平性と正確性の問題については、1万人規模とされる採点者が同じ判断基準を共有して、受験生50万人の記述回答を正確に採点することは、極めて困難だと主張。
 また、採点者の中にはアルバイトの大学院生なども含まれる予定だという報道も踏まえ、採点者の適正にも不安があるとして、こう訴えている。
 私たち高校生は、人生をかけて1枚の答案を仕上げます。
 たった1点で大学に落ちることもあります。
 一問一問に必死で取り組みます。

 その、私たちの人生をかけた答案を、能力が担保されていない人が、公平かどうかも分からないような基準で、不透明なまま「採点」することに怒りを覚えざるを得ません。

 同会によると、文部科学省の担当者は声明を受け取った際、「しっかり読ませていただきます」「記述式に問題点が存在することは認識しています」と回答したという。
 代表の男子高校生は「これから改善します、解決策を検討しますというのではもう遅い。すでに入試は1年後に迫っており、すでにタイムリミットは来ている。まずは2020年度での導入は即刻延期して、それからじっくり考え直せばいいと思っています」と訴えた。

 声明の全文はこちら(https://twitter.com/protest_test/status/1196720682207342594)から(*)。


Buzzfeed、2019/11/19 20:23
高校生が発表した“緊急声明”に書かれていたこと
「受験生は1枚の答案に人生を賭けている」
2020年度から実施が予定されている「大学入学共通テスト」。その最初の受験生となる高校生たちが、記述式問題の中止を求める緊急声明を発表した。

(伊吹早織 BuzzFeed News Reporter)
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/protest-kyotsutest-2

(*)
https://drive.google.com/file/d/1H6cwTPywyjBZVByOqo2oabmPyvgfuASt/view

 おととし2018年、「大学入学共通テスト」の課題を探る「プレテスト」が行われた際、採点を委託された業者が、みずから採点業者であることをうたって、自社の模試などを宣伝する資料を、高校の教諭に配布していたことがわかり、萩生田文部科学大臣は厳重に抗議する考えを示しました。
 再来年2021年1月から始まる「大学入学共通テスト」で、初めて導入される記述式問題の採点は、ベネッセ(*)の関連会社に委託されることになっていて、ベネッセはおととし文部科学省が行った「プレテスト」の記述式問題の採点関連業務も担当しました。

 2019年11月20日の衆議院文部科学委員会で、国民民主党の城井崇議員は、ベネッセが、その当時行った首都圏の高校の教諭向けの研究会で、みずから採点業者であることをうたって、自社の模試などを宣伝する資料を配布していたと指摘しました。

 これについて、萩生田文部科学大臣は「ベネッセに確認したところ、資料の配付は事実であることが確認できた。学校現場に、このような資料を配付することは、記述式問題の採点業務の中立性、信頼性に疑念を招くものであり厳重に抗議し、是正を促していきいたい」と述べました。


NHK、2019年11月20日 19時36分
文科相 「大学入学共通テスト」採点の委託業者に厳重抗議へ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191120/k10012184521000.html

(*)
ヤッホーくんのこのブログ、2019年11月09日付け日記「深まるばかりのこの国の病理」をお読みください。

「萩生田? もちろん覚えてますよ、怖い人だったから。“中ラン” と “ズンドウ” 姿で、よく喧嘩してましたね。陸上部にいましたが、すぐ退部して “帰宅部” になっていました」

 そう語るのは、萩生田光一文部科学大臣(56)の、早稲田実業高校時代の同級生だ。

 萩生田文科相といえば、大学入学共通テストの英語試験に、TOEFLなどの民間試験を導入するに際して、不公平を懸念する声に「自分の身の丈に合わせて、頑張ってもらえれば」と発言して大炎上。
 全国の受験生の怒りを買い、国会で野党の集中砲火を浴びた張本人である。

 下の写真は、カメラにガンを飛ばす「3年A組の萩生田くん」だ。
 “剃り” まで入ったリーゼントは、番長そのもの。
 同校の先輩は、こう振り返る。

「他校生にやられた後輩の仕返しとか、“大義” がある喧嘩しかしなかった。
 自分から仕掛けることはなかったな。
 挨拶もしっかりするし、言葉遣いも丁寧。
 先輩に目をつけられるタイプではなく、むしろかわいがられてたね。
 たしか、卒業パーティのパーティ券を売りさばいていたことと、他校との乱闘で2度、停学処分を食らっていた」

『ビー・バップ・ハイスクール』を地でいく、“人情派” 番長が、なぜ政治の道を志したのだろうか。
 前出の同級生は、こんなエピソードを明かす。

「授業で先生が、『自宅が “ボットントイレ” の生徒はいるか』と聞いたとき、手を挙げたのは萩生田だけ。
 相当ショックを受けたらしく、『俺が大人になったら、八王子の家は全部水洗トイレにする!』って宣言したんです。
 本人によれば、それが政治を志すきっかけになったそうですよ」

 早実から1浪して、明治大学商学部に入学。
 大学を卒業した萩生田氏は、まずは八王子市議の秘書として、政治活動を開始する。
 当時を知る八王子市政関係者は、こう語る。

「彼は学生のころに、八王子のベテラン女性市議の事務所に入りました。
 萩生田さんは、『ラーメンはデザートですよ!』なんて言いながら、市議の目の前でたくさん食べる。
『母性本能をくすぐるのがうまい人だな』と思ったものです」

 その後、萩生田氏は、27歳で八王子市議選に出馬し、当時では全国で最年少の市議に。
 そのころに出会ったのが、安倍晋三首相(65)だった。

「2人は、拉致問題の運動を通じて知り合った。
 萩生田が2001年に都議選に打って出たとき、安倍さんは頼まれてもいないのに、萩生田の応援に来た。
 萩生田は、それをとても恩義に感じて、忠誠を誓うようになった」
(ベテラン秘書)

 “叩き上げ” の萩生田氏は、世襲や官僚出身者が多い安倍首相の側近のなかで、「異例の厚遇を受けてきた存在」だという。
 政治ジャーナリストの角谷浩一氏は、こう指摘する。

「ほかに側近議員とされる、世耕弘成参院幹事長や西村康稔経済再生相と違い、萩生田氏は理屈をこねるより黙って行動するタイプです。
 安倍首相にとっては、使い勝手がいいんでしょう。
 同郷でもなく、世代も違うのに、官房副長官などの要職に据えられてきたのは、異色な存在といえます」

「加計学園問題」では、黙って忖度したことが、裏目に出た。

「岡山理科大学の獣医学部新設を、文科省や内閣府に働きかけたという『萩生田メモ』が、安倍首相の考えを代弁したようなものだとして批判を集めた。
 また、萩生田氏が落選中に、加計学園グループの千葉科学大学の名誉客員教授を務めていたことも、火に油を注ぐことになった」
(政治部デスク)

 萩生田氏の “腰巾着” ぶりの評判は、当然芳しくない。

「何かにつけて、『総理がこう言っている』と、居丈高に指示を飛ばす。
 毎朝、総理から電話がかかってくるのを、自慢していましたね。
『機種変更するときに、数年ぶんの着信履歴を移行して保存した』と誇らしげでした」
(自民党中堅議員)

 二階俊博幹事長、菅義偉官房長官といった政権の重鎮からの不興も聞こえてくる。

「2017年に総理は、『二階さんのお目付役』として、萩生田を幹事長代行につけた。
 二階さんは、『あいつは、小便にもついてくる』とボヤいていました。
 菅さんも、放言の尻ぬぐいに呆れていて、いまでは閣議で目も合わさない」
(自民党幹部)

 主君に忠誠を尽くすあまり、周囲が見えないのか。
 前出の同級生は、悲しそうに語る。

「萩生田はいじめを見つけるたび、いじめっ子をやっつけていた。
 正義感の強い男だったんです。
 彼に救われた奴は多かったんですがね……」

 心優しき番長は、いつしか姿を変えていた。
 己の「身の丈」を打ち破ろうと奮闘した若き日々を、忘れてしまったのか――。

※ 週刊FLASH 2019年11月26日号


SmartFLASH、2019.11.17 06:00
安倍首相の腰巾着「萩生田光一」のリーゼント番長時代
https://smart-flash.jp/sociopolitics/85958

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武器見本市はいらない

 国内初の防衛装備の総合見本市「DSEI Japan」が2019年11月18日、幕張メッセ(千葉市)で開幕した。
 日英両政府が支援し、防衛分野での日本企業の国際競争力強化などにつなげる狙いがある。
 陸海空に加え、宇宙やサイバーなど防衛技術が新たな分野に広がる中、アジアでの需要拡大を見込む日米欧の大手企業などが各国の防衛当局者らに最新装備を売り込む。

 DSEIは英国で2年に1回開かれる世界最大級の見本市で、英国外での開催は今回が初めて。防衛装備庁は陸上自衛隊の10式戦車などを展示した。
 防衛産業には技術革新の波が押し寄せている。「新領域」と呼ばれる「宇宙」、「サイバー」、「電磁波」の3分野やドローンなどの新技術の台頭だ。
 これを背景に多くの企業がビジネスチャンスが広がるとみており、見本市には三菱重工業や川崎重工業などの国内防衛産業大手や、米国のロッキード・マーチン、レイセオン、英BAEシステムズ、欧州エアバスなど内外から154社が参加。日本企業の出展は61社にも上った。

 この手のイベントには反対派の抗議が付き物で、今回も例外ではない。
 何も「闇の武器商人」になろうという訳ではない。
 正規軍ではないが、日本を防衛するための組織である自衛隊がある限り、当然ながら国内に防衛産業も存在する。
 産業である限りビジネスになることは、自然の摂理である。
 商談がまとまれば、莫大な外貨が日本にもたらされるのだ。

 世界中で行われいる兵器見本市を、綺麗事ばかり言って遠ざけていては、日本の国体が弱体化する。

 小学生でも分かるように説明すると、警察官は拳銃を所持しています。
 それが抑止力となって、ある程度犯罪の発生を抑えていることは理解できると思う。
 それでも中には、警官の拳銃を奪おうとする犯罪が起きます。
 そんな報道を見た時にほとんどの人は、早く捕まってほしいと思うだろう。
 その時あなたは拳銃を持った犯人に対して、警察官に拳銃を持たずに「丸腰」て捕まえろと言いますか?
 身近な範囲で考えるとこれが正常な感覚だと思う。
 それが国家単位になった途端、武器を持つことを反対と訴えていることに、気づいてほしいと思う。

 今の日本の周りには、そんな法を無視するような無法国家が、犇めいている事を理解するべきである。
 もしあなたに子供がいれば、親として当然のように外敵から我が子を守ろうとするだろう。
 それが人の親として自然な行動だ。
 国民の生命と財産を国家が守るとう言うことと、一体どこが違うというのか。
 無法国家が武装して侵略してきた時、「丸腰」では国民を守ることができない。

 えっ、「憲法9条があるから侵略されることはない」って?
 世間では、そう考える人を「お花畑」と言うのだ…
 続きは動画の中で・・・


【DSEI 2019】日本初、防衛装備見本市が開幕!陸自の最新戦車からサイバー対策まで【一方外では】
https://www.youtube.com/watch?v=kEWmHAFRjGs

 国内で初めて、陸海空にまたがる総合的な武器見本市「DSEI JAPAN」が千葉市の幕張メッセで2019年11月20日まで開かれた。
 もともとは英国で開かれてきたが、初の日本開催となった。
 いったい何が展示されたのか。
 なぜ日本で?

■ 銃や装甲車ずらり

 会場でまず目に飛び込んできたのは、銃や装甲車、暗視スコープなどが整然と並んだ光景だ。
 出展したのは、イギリスやアメリカ、インドなど20ヶ国以上の154社。
 ひときわ明るく、広いのが日本ブースだ。
 IHIや三菱重工など61社が参加した。

 爆風を防ぐタイル、危険なドローンを捕獲する装置……。
 国内外のブースでは、実演しながらの説明があった。

「どれだけ殴られても、蹴られても、こすれても平気だ。もちろん命も守る」

 ドイツからの出展者は、下着のような薄さの白い防弾チョッキを着たまま匍匐(ほふく)前進を披露した。

 銃を試している背広姿の男性がいた。

「軽いっすね」

 赤い照準レーザーを的に照らしながらつぶやく。
 出展者は「スコープも人工知能を使って性能が良くなっている。枠の材質も良くなって軽量になりました」と満足げだった。

 ブースごとにコーヒーや軽食も用意され、陸海空の制服姿の自衛官や勲章をつけた各国の軍関係者が装甲車やミサイルを前に、和やかに懇談していた。
 軍事ヘリコプターなどは模型で展示され、興味があれば会場から見えない商談室で交渉するのだという。

■ 日本市場「金の卵」

 DSEIは1999年から、ロンドンで2年に1度、開かれてきた。
 主催者の一つ、クラリオン・イベンツ社によると、アジアでも開いてほしいという声が大きくなったのだという。
 防衛省は2020年度の概算要求で5兆3223億円を掲げており、7年連続の増加だ。
 同社の担当者は「日本の防衛予算は増え続け、世界から注目されている。アジア太平洋の防衛市場への参入ルートを探す企業が増えている」と話した。

 実際、暗視スコープのブースを設けた英企業は「日本の市場は未開拓で金の卵に見える。きょうは、多くの自衛隊員がブースに来てくれた」と話した。

「災害時技術」強調

 一方、見本市は日本側にとって別の意味がある。
 今回は、防衛省や外務省、経済産業省も後援し、いわば国を挙げた一大イベントだ。
 主催者の一つ「クライシスインテリジェンス」の浅利真代表は「海外バイヤーに日本の技術力を見せる機会になる」と語った。

 日本の「防衛装備品」は欧米からの調達が多く、国内では防衛事業から撤退する企業も出ている。
 政府は2014年に「武器輸出三原則」を改め、一定条件を満たせば輸出できるようにしたが、国際競争に勝てず、国内開発の航空機などの輸出は進んでいない。
 浅利氏は「北朝鮮や中国の軍事力が高まる中、賛否はあると思うが、日本も世界の武器市場の中でネットワークを作っていくべきだ」と話す。

 出展の意義を日本企業にも尋ねたが、口ごもるケースがほとんどだった。
 海外出展者とは異なり、展示品が「災害時や日常にも使える技術」であると強調していた。

 憲法で戦争放棄を掲げる日本で、和やかに武器売買の交渉が進む。
 会場の外では、見本市に反対する団体が抗議活動をした。

 DSEIは、今後も2年ごとに日本で開催するという。


[写真]
こんなものが展示されていた/防衛費の推移

朝日新聞、2019年11月21日05時00分
武器の見本市、戦争放棄の日本でなぜ?
(江戸川夏樹)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14264808.html

 総合的な防衛装備品の見本市「DSEI JAPAN 2019」が2019年11月18日、千葉市美浜区の幕張メッセで開かれ、日本企業や海外企業約150社が出展した。
 2014年に安倍政権は「武器輸出三原則」を撤廃し、原則解禁する「防衛装備移転三原則」を閣議決定してから、武器輸出の動きは加速。
「平和国家」を標榜(ひょうぼう)する国で繰り返される武器見本市に、批判が上がっている。

 見本市の会場入り口ではこの日、約410人の市民らが集まり「武器はいらない」と訴えた。

 呼び掛けたのは市民団体「幕張メッセでの武器見本市に反対する会」と「安保関連法に反対するママの会@ちば」。
 会場最寄りのJR海浜幕張駅南口前でも「武器見本市はいらない」と書かれた横断幕を掲げた。
 20日までの開催期間中、抗議活動を続けるという。

 見本市は、英国・ロンドンで2年に1度開催される世界最大級の武器見本市で、英国外での開催は今回初となる。

 日英両政府が支援し、三菱重工業や川崎重工業などの国内メーカーも参加。
 開催前に学者や市民らが反対の共同声明も発表していた。
 ママの会メンバーの金光理恵さん(56)=千葉県船橋市=は、抗議活動で「憲法の平和主義の精神に照らし合わせ、いかなる武器の売買も日本国内で行われてほしくない。『死の商人』はいらない」と語った。

 海浜幕張駅を通りかかった船橋市の会社員三橋和夫さん(63)も「武器見本市が最近になり、なぜ何度も開かれるのか。日本の防衛装備庁も出展しているというが、もっと暮らしに寄り添った税金の使い方をしてほしい」と疑問を投げ掛ける。

 幕張メッセが武器見本市の会場となるのは、2017年と今年2019年6月に「MAST ASIA」が開かれたのに続き3回目。
 ママの会と反対する会は、施設を所有する県に対しても、貸し出し中止を求める署名を提出。
 県の担当者は「公の施設は正当な拒む理由がない限り貸し出す。(武器見本市の開催は)県の設置管理条例に違反していない」としている。

(山口登史、中谷秀樹)

[写真]
「武器見本市はいらない」と書かれた横断幕を掲げる市民団体のメンバーら=18日、千葉市美浜区のJR海浜幕張駅前で

◆ 産業強化狙い禁断の領域に

 日本の武器等の輸出を巡る方針は第二次安倍晋三政権の発足以降、大きな転換を見せてきた。

 1967年、当時の佐藤栄作首相が、共産圏や国連決議により輸出が禁止されている国、国際紛争の当事国などへの武器輸出を認めない「武器輸出三原則」を表明。
 厳しい制約を課してきた。

 だが、安倍首相が政権に復帰した後の2014年に新たな「防衛装備移転三原則」を策定。
 移転を禁止する場合の明確化や、認める場合の限定や情報公開などをうたったものの、輸出を原則解禁。
 当初もくろんだオーストラリアへの潜水艦輸出は実現しなかったものの、2017年にフィリピン海軍に海上自衛隊が使用した練習機「TC90」を貸与している。
 2015年に横浜で武器展示会が開かれるなど、国内での武器見本市の開催も活発化している。

 こうした動きの背景には、供給先が国内に限られる防衛産業界の意向があるようだ。
 経団連は2015年、防衛装備品の海外移転を「国家戦略として推進すべきだ」と提言している。
 河野太郎防衛相は先月2019年10月、都内で開かれた防衛政策などを議論する経団連の会合に出席。

 その後の記者会見で河野氏は「海外からも情報提供の要望があるようなものについては、装備品の移転ということも視野にきちんと入れていく必要がある」と理解を示した。

 金子勝・立教大大学院特任教授(財政学)は「国際的な産業競争力の低下が深刻になり、禁断の領域に手を突っ込んだ印象。ただ、武器輸出の分野だけ競争力があるわけではない。日本の産業の現状はもっと厳しく、政府の思考そのものが遅れている」と、武器輸出に前のめりな姿勢を危ぶんだ。

(荘加卓嗣、布施谷航)

[写真]
政府が支援する防衛装備の見本市では防衛装備庁が陸上自衛隊の10式戦車も出展=18日、千葉市で

東京新聞・朝刊、2019年11月19日
幕張で武器見本市
「死の商人 日本にいらない」
市民ら抗議の声

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019111902000148.html

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2019年11月20日

G7で2番目に高い日本の相対的貧困率

 日本は、貧困国でしょうか。

「貧困」と聞いて大ぜいの人がイメージするのは、アフリカの貧困国のように、極端に背が低くガリガリに痩せ細った子どもたちの姿かもしれません。
 しかしGDP規模が米国、中国に次ぐ第3位の日本において、そのような光景を目の当たりにすればそれは「事件」です。

 そうした貧困は「絶対的貧困」と呼ばれ、世界銀行では「1日1.90米ドル(約200円)未満で生活する人びと」と定義されています。

 2015年には全世界で約7.36億人いると試算されています。

米国に次いで高い日本の「相対的貧困率」

 貧困にはもう1種類、「相対的貧困」と呼ばれる指標があります。
 その国の文化・生活水準と比較して困窮した状態を指し、具体的には「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人びと」と定義されています。

 日本の相対的貧困率は、12年は16.1%、16年は15.7%もありました。
 約6人に1人は「相対的貧困」なのです。
「OECD経済審査報告書(2017年)」には、国別の相対的貧困率が掲載されています。
 日米欧主要7カ国(G7)のうち、日本は米国に次いで2番目に高い比率になっています。
 日本は、貧困国でしょうか。


[グラフ]
日本の相対的貧困率はG7の中で米国に次いで高い

「昔はもっと貧しかった」と主張される方もいます。
 では、ご自身の学生時代を江戸時代と比較して「あなたは昔に比べて裕福だった」と言われたら、どのような気分になるでしょうか。
 それと一緒で、成長を続ける現代において昔との比較は意味がありません。

 相対的貧困とは、あくまで相対的なものであり、概念であり、目で見えにくい。
 だからこそあまり注目を集めず、今も苦しんでいる人たちがいます。
 ちなみに国立社会保障・人口問題研究所が2017年7月に実施した「生活と支え合いに関する調査」によれば、「ひとり親世帯(二世代)」の約36%が食料の困窮経験について「あった」と回答しています。

[グラフ]
食料の困窮経験が「あった」世帯の比率

 持続可能な社会を目指すなら、相対的貧困は低い方が良いといわれています。
 実際、SDGs(持続可能な開発目標)では、「目標1」として「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」と掲げるだけでなく、「目標10」に「各国内および各国間の不平等を是正する」と掲げ、相対的貧困層の減少を訴えています。

 それは、なぜでしょうか?

「相対的貧困層」は若者、老人、ひとり親の家庭に多い

 まず、相対的貧困層とはどのような人たちが多いかを調べてみます。

 貧困に関する研究の第一人者である阿部彩先生(首都大学東京教授)の「貧困統計ホームページ」に、詳細な分析結果が掲載されています。

[グラフ]
出典:阿部彩(2018)「日本の相対的貧困率の動態:2012から2015年」科学研究費助成事業(科学研究費補助金)(基盤研究(B))「『貧困学』のフロンティアを構築する研究」報告書

 この結果から、主に10代後半〜20代前半の若者と70代以上の高齢者の相対的貧困率が高いと分かります。
 70代後半の女性の4人に1人が相対的貧困というのは、なかなか衝撃的な結果です。

 少し違った角度で見てみましょう。
 20〜64歳における世帯構造別・男女別の相対的貧困率は以下の通りです。

[グラフ]
出典:前掲、阿部彩(2018)

 母子・父子家庭を意味する「ひとり親と未婚子のみ」の相対的貧困率が他世帯構造と比べて高いと分かります。
 もちろん、その家庭で暮らす子どもも「相対的貧困」に含まれます。

 子どもの貧困率(子ども全体に占める貧困線に満たない子どもの割合)は「平成28年国民生活基礎調査」によると13.9%、実に7人に1人の子どもが貧困だと分かりました。
 ひとり親の場合、貧困率は50%を超えます。

 10代後半〜20代前半の若者、70代以上の老人、そして母子・父子家庭(子ども含む)。
 この3つの層に、相対的貧困が多くいると言えるでしょう。


「相対的貧困」家庭の子どもは相対的貧困に陥りやすくなる

 20歳未満の若者・子どもが、相対的貧困の場合、それはどのような影響を及ぼすでしょうか?

 「全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等)の平成29年度追加分析報告書」に、家庭の「社会経済的背景(SES)」と小学6年生、中学3年生の学力の関係を分析した結果が掲載されています。

※ 社会経済的背景(Socio-Economic-Status、SES):
子どもたちの育つ家庭環境の諸要素(特に保護者の学歴・年収・職業など)のこと。ただし固定的な定義があるわけでなく、調査によって定義や分類に使われるデータは異なる

 この調査では、家庭の社会経済的背景(SES)を「Lowest」「Lower middle」「Upper middle」「Highest」の4階層に分け、それぞれの家庭収入、父親の学歴、母親の学歴について以下のようにまとめています。

[表]
出典:文部科学省「全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等)の平成29年度追加分析報告書」

 この中では、Lowestが相対的貧困層に比較的近いのではないかと考えます。

 家庭の社会経済的背景(SES)別の小学校6年生の平均正答率は、以下のようになっています。
 棒グラフは平均正答率、丸い円が変動係数(標準偏差を平均値で割った値で高いほど正答率にばらつきがある)を意味しています。

[グラフ]
小学6年生におけるSES別の平均正答率と変動係数

 どの科目も、家庭の社会経済的背景(SES)が高いほど平均正答率が高まり、変動係数は低くなるという結果でした。
 では、中学校3年生の平均正答率も見てみましょう。

[グラフ]
中学3年生におけるSES別の平均正答率と変動係数

 同じような結果を示しました。
 家庭の社会経済的背景(SES)が平均正答率と何らかの関係があるとうかがわせます。

 もっとも、この結果だけでは「両親の学歴が低い・年収が低いから、子どものテストの点数も悪くなる」と言えません。
 なぜならLowestの変動係数が相対的に見て高いということは、高い学力水準を持つ生徒もいると言えるからです。
 あくまで「平均正答率の平均値が低い」だけしか分かりません。

 ただ、平均正答率の平均値が低ければ、大学に入学せず就職したり、職場でも単純労働に従事したりするなど、その後の生涯収入に影響を及ぼす可能性があります。

 2009年公表と、少し古いデータになりますが、東京大学の大学経営・政策研究センター「高校生の進路と親の年収の関連について」によると、両親の年収別の高校卒業後の進路は以下の通りでした。
 年収が高まるほど大学に進学するか浪人する比率が高まり、かつ就職する率が低くなります。

[グラフ]
両親年収別の高校卒業後の進路

 また、2019年に発表された内閣府の子供の貧困対策「子供の貧困に関する現状」によると、子どもの大学(専修学校等含む)進学率の推移は、ひとり親家庭、生活保護世帯など金銭的な問題が考えられる世帯は、全世帯に比べて相対的に低い結果となりました。

[グラフ]
子どもの大学(専修学校等含む)進学率の推移

 本人が自らの意志で「大学に行かない」と選んだならともかく、「大学に行けない」と言わざるを得なかった。
「学ぶ環境」が無く、適切に学業を修められなかった。
・・・これこそが貧困が与える影響でしょう。
 その結果、その家庭に生まれた子どもも相対的貧困に陥りやすくなる。
 結果、貧困は連鎖し、再生産されてしまう。

 これこそが「持続可能性が無い社会」なのでしょう。
 こうした状況を「学ばないおまえが悪い」と斬って捨てるほどの自己責任論者にはなれません。
 このような状況を放っておいてよいはずがありません。

捕捉率の把握を目的とした継続的な統計データは無い

 貧困から抜け出すための手段の1つは生活保護です。
 しかし日本は海外に比べて捕捉率(生活保護を利用する資格がある人のうち実際に利用している人の割合)が低い
といわれています。

 日本弁護士連合会(日弁連)が作成したリーフレットでは、日本の捕捉率は15.3〜18%としています。
 一方でドイツは64.6%、フランスは91.6%と高水準とされています。
 しかし少なくとも日本の数値は推測であり、真の実態は不明です。
 実は、捕捉率の把握を目的とした継続的な統計データは無いのです。

 旧民主党政権下の10年4月に、厚生労働省に「ナショナルミニマム研究会」が開催され、初めて生活保護の捕捉率の推計が公表されました。
 ただし「国民生活基礎調査」(2007年)を用いた類推です。
 ちなみに、政権交代の影響か以降の捕捉率は公表されていません。

 生活保護を受給するには、「収入要件」や「貯蓄要件」(貯蓄残高が生活保護基準の1カ月分未満)のほかに、「就労要件」(働けるか否か)、家族による扶養義務者の有無(家族の中で扶養してくれる人がいるか否か)など、さまざまな要件をクリアする必要があります。
 これらのうち後者2つは「国民生活基礎調査」からは分かりません。

 研究会の資料によると、所得が生活保護の「収入要件」より低い低所得世帯は、全4802万世帯中597万世帯(12.4%)でした。

 一方、「貯蓄が保護基準の1カ月未満で住宅ローン無し」という生活保護の「貯蓄要件」に当てはまる世代は229万世帯(4.8%)となりました。

 当時の生活保護世帯は108万世帯ですから、所得要件のみで判定すると、捕捉率は15.3%(108万人/108万人+597万人)となります。
 資産要件のみで判定した捕捉率は32.1%(108万人/108万人+229万人)となります。
 これではいろいろな要件を加味した実際の捕捉率は分かりません。

貧困率が下がると捕捉率も下がる不思議

 そんな中で、学術研究の一環として就業構造基本調査の「オーダーメード集計」を用いて、都道府県別の貧困率、ワーキングプア率、子どもの貧困率、生活保護の捕捉率を集計した論文を発表されたのが山形大学の戸室健作准教授です(*)。

※「オーダーメード集計」:
既存の統計調査で得られた調査票データを活用して、調査実施機関等が申し出者からの委託を受けて、そのオーダーに基づいた新たな統計を集計・作成し、提供するもの

 論文によると、全国の捕捉率(所得のみ)は1992年14.9%、1997年13.1%、2002年11.6%、2007年14.3%、2012年15.5%と推移しています。
 10%台前半で推移というデータは日弁連が作成したリーフレットともだいたい合っています。

 論文の中に掲載された都道府県別の貧困率と捕捉率で散布図を作製すると意外なことが分かります。

[図]
都道府県別の貧困率と捕捉率の散布図

 都道府県別に見て、貧困率も捕捉率もこんなに散らばっています。
 貧困率が高くてもしっかり捕捉している大阪に対して、ほぼ同じ貧困率なのに捕捉できていない宮崎。
 この差はいったいどこにあるのでしょう?

 また、貧困率が低いと、捕捉率が低くなる傾向にあるのも気になります。
 捕捉率は「生活保護が必要な世帯に保護が行きわたっているか」を表す指標なので、本来はこの2つの指標は無相関になってもおかしくありません。
 それなのに、貧困率が低いと補足率が低くなる(貧困なのにそう見なされていない人が多くなる)のはなぜでしょうか。
 貧困率が低いことに安住して、捕捉率を高める自治体の努力がおろそかになるなら問題です。
 予算をかけて早急に改善すべきではないでしょうか。

 さらにいえば、「どこに住んでいるか」によって捕捉率が異なるなら、所得だけでなく場所ですら「貧困を生む要因」になりかねません。
「私は〇〇県だったから生活保護ももらえず貧しい人生を過ごす羽目になった」なんて、絶対にあってはならないことです。

 数字を見えないままにしておくと、あるはずの現実も無いことになってしまいます。
 それが生活保護を巡る現状です。貧困の実態は3年に1回の国民生活基礎調査(厚生労働省)と、5年に1回の全国消費実態調査(総務省)のデータを加工しないと分からないのが現状です。
 こうした状況でよいのでしょうか?
 これは、行政を動かす政治家の仕事です。

日経ビジネス、2019年11月19日
G7で2番目に高い日本の相対的貧困率。そこで何が起きている?
(松本 健太郎、株式会社デコム データサイエンティスト)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00067/111200016/

(*)山形大学の戸室健作准教授
しんぶん赤旗、2016年3月15日(火)
貧困世帯、1992年から20年で2.5倍
山形大・戸室氏の研究で明らかに
都道府県別の実態示す

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-15/2016031501_03_1.html

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民間試験導入だけでなく、小学校英語教科化も

 大学入試への英語民間試験導入は、制度設計の杜撰さもさることながら、決定プロセスにも大きな問題があったことは関係者の間では有名である(*)。
 この点は長らく関係者内だけでの「公然の秘密」であったが、最近になってようやく一般のメディアも報じるようになった。

 実は、小学校英語教科化(2020年4月〜)にもまったく同じ状況があった。
 しかし、一般にはほとんど知られていないように思うので、その点について説明したい。

官邸主導の英語民間試験導入

 小学校英語の話の前に、民間試験導入の決定プロセスを簡単に確認しよう。

 以下のデイリー新潮の記事を引用する。
☆ 英語民間試験ごり推しの裏に「ベネッセ」の教育利権…高校も大学も逆らえない
(デイリー新潮)
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/11130558/
 京都工芸繊維大の羽藤由美教授は、
「今回の入試改革をさかのぼれば、安倍内閣のもとで13年、教育再生実行会議が第4次提言を公表したことに端を発します。このときの文科相は下村さんで、それ以来、すべては“民間ありき”でズルズルと話が進んでいきました」
…中略…
「13年6月、“大学の英語入試への民間検定試験の活用をめざす”という内容が盛り込まれた、第2期教育振興基本計画が閣議決定されました。ただ、そこに至るまでの前段があります。13年2月、楽天の三木谷浩史会長兼社長が、自民党の教育再生実行本部で“英語ができないため日本企業が内向きになって、世界の流れに逆行している”と指摘、大学入試にTOEFLを導入することを提言しました」
 すると、それを受けるかたちで翌3月に、
「遠藤本部長の下、実行本部がまとめた教育改革案に“TOEFLを大学入試に活用する”という内容が組み込まれました。続いて5月には、教育再生実行会議が、“TOEFLなどの民間試験の活用”などを含む提言を安倍総理に提出し、翌月の閣議決定につながっていきます」

 以上を要約すると、次の通り。
・ 2013年2月 自民党教育再生実行本部で委員が提案
 ↓
・ 同年5月 教育再生実行会議(首相の私的諮問機関)で提言
 ↓
・ 同年6月 第2期教育振興基本計画を閣議決定

 2013年に一部の委員の熱烈アピールによって検討が始まり、結果、ごく短期間の間に官邸主導の形で――要するに、各所との総合調整なしで――導入が決まった。

小学校英語教科化はどうか?

 小学校英語の教科化も上とかなり近い。
 2013年6月に、上述の第2期教育振興基本計画(閣議決定)に、官邸主導で盛り込まれたからである。

 実はその2ヶ月前の4月、文科省の審議会である中央教育審議会(中教審)が第2期教育振興基本計画について答申を出している。
 そこには教科化の「きょ」の字もなかった。

 この中教審の有識者(および文科省)が示した結論を尊重するのであれば、首相はその答申で示されたプランをそのまま第2期教育振興基本計画として閣議決定することになる。
 しかし、安倍内閣はそうせず、むしろ教科化を新たに付け加えた。
 わずか2ヶ月の間に、重大な変更を行ったのである。

 以下の画像は、4月の中教審答申と、6月の閣議決定を比較したものである(画像:略)。
 閣議決定の「主な取り組み」の部分に、以下の教科化提言が新たに追加されていることがわかる。
 また、小学校における英語教育実施学年の早期化、指導時間増、教科化、指導体制の在り方等や、中学校における英語による英語授業の実施について、検討を開始し、逐次必要な見直しを行う。

(余談ながら「TOEFL等」の文字列も閣議決定で新たに書き込まれたことがわかる)

トップダウンのツケ

 教科化はたった2ヶ月の間に官邸主導で決定されたわけである。

 とはいえ、短期間だったとしても、それに見合うだけの濃い議論を経たのならまだ納得がいく。
 しかし、筆者が関係会議の議事録(および報道記事)をいくら調べても実際には詳しく審議をした形跡は出てこなかった。
 たとえば、教育再生実行会議では教科化に関する議論がほとんどなされていない(そもそもこの頃の同会議の主たるテーマは大学教育改革であり、小学校教育は周辺的なテーマだった)。

 端的に言えば、教科化は「拙速な決定」以外の何物でもなかったと言えよう。

 筆者が以前からヤフーニュース(個人)で指摘してきたことだが、小学校英語は大変な苦境に直面している。
 そうした苦境に対する考慮は一切なく、ただ誰かが思いついた教科化プランをを、トップダウンで押し付けた格好である。

 たとえ、トップダウンだったとしても、最終決定に至るまでに相当の熟議を経ているのならまだわかる。

 小学校教育が直面する課題について綿密に調査し、それをもとに徹底的な議論を行い、それでも教科化をすることに意義があると考えたのなら、首相が自身の責任をかけて決断する。
 その当然の帰結として、関係機関・関係者には予算措置をはじめとして相応の配慮を行う。それが本来の「健全なトップダウン」のはずである。

 しかし、教科化はその対極である。

 思いつき、拙速な議論、総合調整の欠如という、トップダウンの悪い面だけを凝縮したような決定過程であった。


[参考]
☆ 働き方改革を阻む小学校英語(寺沢拓敬)
https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20171128-00078674/
☆ 図解:小学校英語になぜ予算がつかないのか(寺沢拓敬)
https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20170221-00067950/

Yahoo ! News Japan、2019/11/18(月) 7:00
民間試験導入だけでなく、小学校英語教科化も、安倍内閣による官邸主導
寺沢拓敬、関西学院大学社会学部准教授
https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20191118-00151312/

(*)大学入試への英語民間試験導入
立憲民主党・枝野幸男代表(発言録)
(延期が決まった英語民間試験について)なぜ、こんなおかしな制度を作ることになったのか。
 私の承知する限りでは、一番の原動力になったのは、(教育再生実行会議のメンバーだった)下村(博文)元文部科学大臣ではないかと思っている。
 下村元大臣が(英語民間試験を)導入しようとしたいきさつ、これが一番本質的な問題ではないか。
 しっかりと問いただしていきたい。
(4日、福島県いわき市で)


[写真]
立憲民主党の枝野幸男代表=4日午前10時59分、福島県いわき市

朝日新聞、2019年11月4日13時59分
枝野氏
英語試験「下村元大臣の導入のいきさつが本質」

https://www.asahi.com/articles/ASMC44FPQMC4UTFK006.html

 今月導入が延期された英語の民間試験について、東京大学は去年2018年4月、それまでの慎重な姿勢を転換し、活用へとかじを切りました。

 今回、NHKは、その直前に開かれた自民党の会議の音声データを入手しました。
 そこでは大臣経験者が、東京大学に民間試験を活用するよう、文部科学省に指導を求める発言などをしていたことが分かりました。
 専門家は「大学が萎縮する発言だ」と指摘しています。
 これについて、東京大学は外部からの影響はなかったとしているほか、大臣経験者は「発言は当たり前で議院内閣制の意味も無くなる」と話しています。

自民党 教育再生実行本部の会合で

 大学入学共通テストの英語の民間試験について、文部科学省は今月2019年11月、導入の延期を決めましたが、その決定過程などが不透明だと批判されています。

 NHKは、去年4月13日に開かれた自民党の教育再生実行本部の音声データを入手しました。
 この会合には、自民党の国会議員に加えて、文部科学省の幹部や、大学の関係者なども呼ばれ、英語の民間試験をテーマに意見が交わされました。
 当時、文部科学省は、民間試験を大学入学共通テストに導入すると公表していましたが、多くの大学はそれを活用するか、態度を表明せず、東京大学が去年3月に、現時点では入試に活用することは拙速だと会見で表明したことが注目を集めました。
 会合では、主査を務めた遠藤利明元オリンピック・パラリンピック担当大臣が、東京大学の五神真学長らが訪ねてきて、会見の内容を説明したと報告しています。

 さらに、下村博文元文部科学大臣が、東京大学の名前を挙げて、「間違ったメッセージを国民や他大学に対して、与えている。文部科学省は、よく東大に指導していただきたい」などと発言していました。

 東京大学は会合の2週間後に、民間試験の活用を検討すると方針を転換しました。

 大学入試の方法や内容は、憲法が保障する学問の自由に基づいて、大学の権限で、決めることになっています。

 取材に対して、東京大学は、「文部科学省や政治家からの指導や問い合わせはありません」と回答しました。

英語民間試験 判断揺れた東大

 文部科学省は、2020年度にスタートする大学入学共通テストの大きな柱として、2017年7月に英語の民間試験導入を決めました。
 しかし、大学側がどこまで活用するかは未知数でした。

 大学がどのような入試を行うかは国公立、私立を問わずに、憲法が保障する学問の自由により大学が決めることになっているためです。

 そんな中、全国の国立大学で作る「国立大学協会」は、同じ年の11月、この民間試験を活用すると公表しました。

 しかし、各大学は、民間試験への不安などを理由にその活用方針を明らかにせず、国立大学、なかでも、東京大学の判断に注目が集まっていました。

 こうした中、東京大学は去年3月、記者会見で現時点で入試に用いるのは拙速だとして、民間試験の活用に消極的な考えを示しました。

 しかし、翌月の4月27日になって、突如、方針を転換し、国立大学協会の指針に沿って、民間試験の活用を検討すると声明を出しました。

 そして、去年9月、最初の年は、出願資格として活用することを公表していました。
<
strong>東大元副学長「学問の自由への政治介入には抵抗がある」

 下村元文部科学大臣の発言について、東京大学の元副学長で、民間試験を検討する作業部会で、座長を務めた石井洋二郎名誉教授は、「非常に残念な発言だ。当時は、多くの課題が未解決のまま民間試験の活用に走り出すことに危惧を覚えていた。大学の方針転換は誰もが疑問を感じ、内部の関係者もよくわからなかった。学問の自由に政治が介入することには抵抗がある」と指摘してします。

 一方で、「大学にも、予算的な懸念から政府と対立しないほうがいいという雰囲気が浸透してきている。大学は国民のものであり、国にただ従っているだけでは矜持を失ったと言われても仕方ない」と懸念を示しています。

下村元文部科学相「与党として当たり前の話」

 自民党の下村元文部科学大臣は、NHKの取材に対し、「『東京大学は象徴的な大学なので、文部科学省から導入してもらえるよう働きかけたらいいのではないか』というニュアンスのことを言ったと思う。いいものは使うべきだ。国立大学の多くが『導入する』と言っている中で、『導入してもらえるよう働きかけたらいいのではないか』と言うのは、当たり前の話ではないか」と述べました。

 その上で、「民間試験の導入を進めるべきだという立場にも関わらず、文部科学省に任せて一切何も言ってはいけないという指摘があるとすれば、逆に政治的な恣意を感じる。偏向だ。全て役人に任せて、役人の言う通りにやればいいというのであれば、与党の意味はなく、そもそも、議院内閣制の意味もなくなる」と述べました。

文部科学省「個別会議受け東大指導した事実ない」

 文部科学省は「国立大学協会を通じて、すべての国立大学に英語4技能の評価実施を働きかけてきたが、個別の会議を受けて東京大学を呼び出したり、指導したりした事実はない」としています。

高等教育学会元会長「大学が萎縮する発言だ」

 日本高等教育学会の元会長で筑波大学の金子元久特命教授は「かなりあからさまに言っていることに驚いた。国立大学は国の財政負担の上に成り立っており、国民が求める声にも、耳を傾けなければいけないが、国会議員が具体的に指示するのはおかしい。大学や教育の現場では政治家が強圧的な発言することはあってはならない。大学が萎縮する発言だ」と話しています。

行政学の専門家「『不当な要求』で大学自治を阻害」

 行政学が専門の東京大学先端科学技術研究センターの牧原出教授は、「政治家がこうした発言をすること自体は法的に問われるものではない。しかし結果的に、民間試験に不備があり延期になって混乱したことを考慮すると、今回の発言は、ある種の『不当な要求』と言える。東京大学の決定が他大学に与える影響を踏まえると、大学を萎縮させる発言だ。大学の自治を阻害するもので問題だと思う」と指摘しています。

 その上で、「文部科学省にも責任はあるが、役所ができないことを政治が推し進めてきたことは問題だ。下村元文部科学大臣は当初から導入に関与した立場であり、混乱を招いた結果責任は重いと思う」と話しています。

教育政策の専門家「一線を越えた発言だ」

 教育政策に詳しい名古屋大学大学院の中嶋哲彦教授は「与党にせよ野党にせよ、政治家が教育政策を文科省に伝えること自体は許されないものではない。しかし、入試は大学にとって教育の根幹に関わる命ともいえるものだ。教育基本法は、行政機関や政府が大学に介入する、不当な支配を禁じる規定がある。今回は与党の会議で強い影響力を持つ文科大臣経験者が文科省の担当者を集めて、事実上の指示をしているわけで大学に対する介入と受け取れる一線を越えた発言だ。政治家は行政機関に対して強い影響力を持っていると自覚した上での行動が求められるし、大学側も、国民、とりわけ受験生に対して大学自治の担い手として行動しなければならない」と指摘しています。

憲法は大学の自治を認める しかし形骸化の指摘も

 憲法や教育基本法は、学問の自由に基づき、大学が、外部からの介入や干渉を受けないとする、大学の自治を認めています。

 これは戦前に、京都帝国大学で起きた滝川事件や、東京帝国大学の、美濃部達吉の天皇機関説への攻撃など、学問の自由が侵された歴史の反省にたったものとされています。

 一方、大学自体もその閉鎖性から象牙の塔と称されるなど、改革を求める声は上がり続け、1960年代には、各地で大学紛争が相次ぎました。国も大学改革に力を入れ、2004年には、国立大学がそれぞれ法人化され、国が財政面に責任を負いつつ、大学の自立性は保つという今の形ができあがります。

 しかし、国が国立大学への予算となる「運営費交付金」を削減し続けるなか、もはや、「大学のことは大学が決める」という大学の自治そのものが形骸化していると指摘する専門家もいます。


NHK、2019年11月19日 18時42分
英語民間試験
下村氏「東大に活用するよう指導を」党内会議で

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191119/k10012183121000.html

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2019年11月19日

連合発足30年

 労働組合の総元締である連合が発足して2019年11月21日で30周年を迎える。
 この間、非自民政権の樹立を後押しするなど、存在感を示した局面もあったが、近年は目立った成果を出せずにいる。
 組織内で「労働環境の改善を加速するには、政権と手を組むのが現実的だ」との声を聞くことがある。
 労組イコール左翼の図式で語られることが多いが、自民党の支持団体になる日はそう遠くないのではなかろうか。

 連合の正式名称は、日本労働組合総連合会である。
 その名前の通り、旧社会党系の日本労働組合総評議会(総評)と、旧民社党系の全日本労働総同盟(同盟)が連合して生まれた。
 組織率が低下する中で、発言力を維持するには大同団結した方が得策との思惑で一致したからだ。
 連合を接着剤にする形で、旧社会党系と旧民社党系を含む非自民勢力は1993年と2009年の2回、政権交代を実現した。

 だが、官公労中心の旧総評と民間労組の旧同盟との溝は埋まらなかった。
 親方日の丸的な体質の旧総評系の労組は、目先の待遇改善より自民党政権の批判に軸足を置く。
 他方、民間労組からなる旧同盟系の労組はイデオロギー闘争よりも、日々の暮らしを重視しており、安倍政権が力を入れる賃上げと親和性がある。

 両者の溝があらわになった出来事が2017年にあった。
 安倍晋三首相が打ち出した働き方改革の目玉だった「脱時間給」の扱い。
 連合がいったんは容認したのに、最終的にはその方針を撤回したのだ。
 容認を主導した旧同盟系の逢見直人事務局長(当時)は「政権と連携」派の代表格で、その2年前には安倍首相と密会したのが明るみに出たことがあった。
 脱時間給を「残業代ゼロ」と批判してきた旧総評系が猛反発し、次期会長とみられてきた逢見氏は会長代行にとどめられた。

 だが、労組単位での自民党支持の動きは徐々に進んでいる。
 騒動に先立つ2016年には化学メーカーでつくる全国化学労働組合総連合(化学総連)が連合を脱退。
 化学総連は否定したが、当時、幹部が自民党の茂木敏充政調会長(当時)と接触したと取り沙汰された。
 与野党対決型だった2018年の新潟県知事選では、連合としては野党統一候補を推したものの、反原発色が濃いことを嫌った電力総連は自民党候補を事実上支援した。

 自民党も労組との距離を縮めようと積極的に動いている。
 旧民主党出身の国会議員の引き抜きというと、知名度のある細野豪志氏や長島昭久氏のことが話題になることが多いが、それよりもはるかに重要な引き抜きが今年3月にあった。
 衆院新潟2区の鷲尾英一郎氏だ。
 細野氏や長島氏はもともと保守志向で、連合とは距離があった。
 他方、鷲尾氏は選挙区に東京電力柏崎刈羽原子力発電所があり、電力総連と二人三脚で選挙を戦ってきた。
 知事選での自民党候補支援にも当然かんでいた。

 これをきっかけに、電力総連に支えられている各地の野党議員が雪崩を打って自民党入りするのではないか。
 鷲尾氏はそのオルグ役を務めているのではないか。
 与野党は動向を注視している。
 9月には東北電力のお膝元の宮城県選出の桜井充参院議員が国民民主党を離党した。
 自民党入りも選択肢という趣旨の発言もしている。

 旧同盟系労組に支えられた国会議員らでつくる民社協会という集まりがある。
 旧民社党のOB会的な役割も担っていて、関係者に会うと往事の思い出話になることが多い。
 旧社会党とつくった1980年の連合政権構想、自民党と一緒に成立させた1992年の国連平和維持活動(PKO)協力法。
 そのとき、必ず出る愚痴がある。

「社公民のときも、自公民のときも公明党と一緒だった。なんで公明党が与党で、我々はずっと野党なのだろう」

 今年7月の参院選で自民党は議席を減らし、いわゆる改憲勢力は国民投票の発議に必要な3分の2を4議席、下回った。
 自民党は憲法改正に向けた個別の引き抜き工作と並行して、旧同盟系労組に支えられる国民民主党のまるごと取り込みも視野に入れている。
 影響力が低下しているとはいえ、700万人もの人がいる組織はそうそうない。

「安倍総理もオーケーしたんだ」

 先日、永田町で話題になった発言があった。
 しゃべったのは2017年に国会議員を退いた亀井静香氏。
 何をオーケーしたのかといえば、国民民主党との連立だ。
 発言の真偽を問われた玉木雄一郎代表は「政治は一寸先は闇であり光だ」とはぐらかした。
 安倍晋三首相と最終合意していたのかどうかはともかく、自民党との接触はあったのだろう。

 国民民主党は結局、次期衆院選を戦うには野党でいた方がよいと判断し、衆参両院で立憲民主党と統一会派を組む方を選んだ。
 ならば、連合も一体化の方向で進むのか。
 どうも答えはノーのようだ。
 永田町の情報通に聞くと、自民党と国民民主党が連立するソフトランディング型の政権入りを志向してきた旧同盟系労組はあてが外れ、じかに自民党と連携する方策を模索し始めているという。

 鉄鋼、造船重機、非鉄、建設などの産業別労組「基幹労連」が2016年に実施した組合員アンケートで支持政党を尋ねたら、自民党(23%)が当時の民進党(18%)を上回っていた。
 航空連合が2017年の衆院選の際、組合員にどの党に投票したのかを聞いたら、自民党が50%を超えた。
 第2の化学総連を出したくないならば、連合の神津里季生会長は安倍政権との距離を縮める方向に動かざるを得まい。
 だが、そうすれば今度は旧総評系は黙っていないだろう。
 右からぼろぼろと崩れていくのか、左から大分裂するのか。
 連合がいまのまま40年、50年と続いていく姿は想像できない。

 連合30周年に先立ち記者会見した神津会長はこれからの連合についてこう語った。

「右も左も広げて、幅広の道を真っすぐ行く。真ん中でいることが大切だ」

[写真-1]
「幅広の道を真っすぐ行く」と語る連合の神津里季生会長

[写真-2]
脱時間給の扱いを巡っては、組織内の足並みの乱れを露呈した

[写真-3]
大内啓伍民社党委員長(左)と田辺誠社会党委員長(右)の間に立つ山岸章連合会長(1992年当時)

日本経済新聞 Nikkei Views、2019/11/18 5:00
連合発足30年の岐路
労働組合が自民党を支持する日

(大石格、編集委員)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52151050U9A111C1I00000/

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桜を見る会

「桜を見る会」をめぐり、政界がざわついています。
 招待者の選考基準のあいまいさ、予算の膨張が問題となるや、突如、中止が決定されましたが、今なお疑念が晴れたとはいえず、安倍晋三総理の後援会会員を対象とした「夕食会」をはじめ、多くの問題が議論を呼んでいます。
 すでに多くの論者によって論じられているところではありますが、「桜を見る会」の一体、何が問題なのか。
@「桜を見る会」の前夜に行われた安倍晋三後援会の「夕食会」、
A「桜を見る会」自体、
の二つに分けて、私見を述べたいと思います。

前夜の「夕食会」について総理の説明は

 まず安倍晋三後援会の「夕食会」について論じます。
 この「夕食会」については「ホテル・ニューオータニで1人あたり会費5000円のパーティーが可能か否か」が世間の注目を集めると同時に、2013年から昨年まで安倍総理関連の後援会の政治資金収支報告書にこの「夕食会」の記載がないことが、政治資金規正法に反するのではないかという疑いが提起されています。
 これに対して安倍総理は、記者会見で次のように説明しています。

「夕食会の価格設定が安過ぎるのではないかという指摘がございます。そういう報道もありますが、参加者1人5000円という会費については、これはまさに大多数が当該ホテルの宿泊者であるという事情等を踏まえ、ホテル側が設定した価格である、との報告を受けております。以上、以前すでに行った国会での私の説明を、正確に補足させていただいたところでございます」

「収支報告書への記載は、収支が発生して初めてそれは発生するんです。公職選挙法を見ていただければ明らかなんですが、それは政治資金規正法上、収支が発生して初めて記入義務が生じます。いま申し上げましたように、交通費、宿泊費等について、直接代理店に支払っていれば、これは後援会に収支は発生しません。前夜祭についても、ホテルが領収書を出し、そしてそこで入ったお金をそのままホテルに渡していれば、収支は発生しないわけでありますから、政治資金規正法上の違反にはまったく当たらないということであります。その際、事務所の者がそこで受付をするということは、これは問題ないということでございます」
(首相官邸HP参照)

 これは本当でしょうか。

「夕食会」について確定している「事実」

 まず、「安倍晋三後援会(複数の後援会が存在しますがそれらを総称して)に収支は発生していない」という点を考えます。
 本年の「夕食会」について、確定している「事実」は以下の通りです。

(1)  2019年2月 安倍晋三事務所から後援会員に、「桜を見る会」の申込案内が出された(締切2月20日締切)。この案内には4月20日19時よりホテルニューオータニの鳳凰の間で会費5000円で夕食会が開かれる事が明記され、会費は当日会場で払う事となっていた。

(2) 2019年4月20日、推定800人参加で夕食会が開催された。
(朝日新聞デジタル2019年11月13日)

 さらに総理は11月18日、記者から問われて、夕食会の総額を示す明細書はないと答えています。
(朝日新聞デジタル2019年11月18日)

総理の説明から「推定」した「事実関係」

 これらの「事実」と安倍総理の説明に従って「事実関係」を「推定」すると、以下の通りとなります。

 まず、(1)についてです。

@ 2019年2月にニューオータニと安倍晋三事務所との間で「1人5000円」という値段がニューオータニの提示で決まった。

A この時、ニューオータニと安倍晋三事務所は「総額」を固定せず、「費用は5000円×来場者」と定めた(「総額」を固定すると、見込み人数と実人数が食い違った時に安倍晋三後援会に収支が発生します)。この取り決めについて、文書が作成されたか否かは不明。

B 手付等がまったく支払われないまま、ニューオータニは「鳳凰の間」を抑えた(手付等を支払うと安倍晋三後援会に収支が発生します)。

 次に(2)についてです。

@ 2019年4月20日、「夕食会」開催前に、ニューオータニは、代金を1円も受け取っていないにもかかわらず(見込みで代金を支払っていたなら安倍晋三後援会に収支が発生します)、来場見込みの800人+α分の、1枚5000円で宛名が白紙のニューオータニ名義の領収書を安倍晋三事務所職員に手交した(正確に800人と分かっているわけではないし、予備も必要です)。

A「夕食会」開始前の18時〜20時程度の間に参加者が其々1人5000円を支払って入場し、宛名が白紙のニューオータニ名義の領収書を得た。

B 入場を締め切った時点で初めて全来場者数が確定し、これにより、代金総額が決まった。安倍晋三事務所職員が代金総額全額をニューオータニに支払い、これにより支払いは終了した(この時点でニューオータニの請求額と安倍晋三後援会の支払額に齟齬があると、安倍晋三後援会に収支が発生します)。

C この時、ニューオータニは、安倍晋三後援会に総額についての計算書、受取書、領収書等を一切手交しなかった。

D 安倍晋三事務所職員は、余った1枚5000円で宛名が白紙の領収書を全てニューオータニに返還した(すべて返還しないと脱税に用いられる恐れがあります)。

「推定される事実関係」の不自然な点

 この「推定される事実関係」には、普通に考えて、極めて不自然な点が複数あります。

 まず、(1)の@ですが、通常ホテルのパーティーコースは複数あり、ホテルは当然それなりの利幅のものをやろうとしますから、「1人5000円」という、後述する通り、仮に可能であったとしても、採算ラインぎりぎりか採算割れになることが必至の値段を提示するのは、考えづらいといえます。

 (1)のAも、総額を固定しないホテルのパーティープランは通常考え難いものです(追加料金等の取り決めはありうるとして)。

 さらに(1)のBも、800人×5000円は400万円であり、400万円ものパーティーについて手付等が一切ないことは通常、めったにありません。

 (1)については、まだ程度問題ですが、(2)の@に関していえば、代金を1円も受け取っていないのに、400万円分もの宛名が白紙の領収書を渡すということは、ほとんどありえないというほど考え難く、ニューオータニがこの様な対応をしていたなら、ニューオータニのコンプライアンス上、いかがなものかと思われます(より詳しくは郷原信郎弁護士の解説参照)。

 (2)のCに至っては、ニューオータニのようなホテルが、400万円もの現金を受け取って、計算書、受取書、領収書を一切交付しないという事は社会通念上、極めて考えづらく、これが「真実」であると信ずる人はいないと言って過言ではないでしょう。

 もちろん上記の「推定される事実関係」の不自然さは、あくまで不自然さに過ぎず、安倍総理があくまでこの「推定される事実関係」が真実だと主張し続けるなら(主張し続けるのでしょう)、捜査権のない私や国民が、なにかできるわけではありません。とはいえ、通常行われている商取引と比較して、上記の「推定される事実関係」はあまりに不自然かつ不合理な点が多く、それが「真実でないのではないか」という疑念は消えません。

総理にとって「不都合な真実」とは

 一方で、こうした疑念を安倍総理がはらすことは、極めて簡単です。

 もし上記の「推定される事実関係」が真実なら、通常は(1)のAの時点で見積書・契約書が作成されるか、(2)のCの時点で、総理は受け取っていないと言っていますが、万が一、仮に本当にそれが事実であったとしても、少なくともニューオータニの側では「総額」を計算しているはずであり(400万円ものお金を受け取って、何の計算もしていないとはおよそ考えられません)、総理が求めれば、計算書、受取書、領収書等、何らかの形で総額を示す書面を得る事は容易で(ニューオータニにとっては何程の手間でもありません)、首相がこれを取得して公開すれば、いとも簡単に「推定される事実関係」が「真実」であると証明することができるのです。

 にもかかわらず、安倍総理は今に至ってもそれを行っていません。その理由は何か?

 考えられることは二つ。
(A) そもそも安倍総理の説明自体が「真実」でない。
(B) 記の説明自体は真実で、従って(1)のA、(2)のCの書類は存在するか、少なくともそれを取得する事は可能だが、これを公開すると、そこには、より一層「不都合な真実」が記載されている――です。

 そして、(1)のAもしくは(2)のCに記載されているであろう「不都合な真実」が、話題となっている「ニューオータニで1人5000円のパーティーが可能か」なのです。

 (1)のA、もしくは(2)のCでこの夕食会の総額と人数が確定すると、そこから1人当たりにかかった「実費用」が計算されます。
 しこれが5000円を超えると、公職選挙法199条の2の「寄附」に該当し、一年以下の禁錮又は30万円以下の罰金となってしまうのです。

極めて難しい1人5000円のパーティー

 それでは、実際に「ニューオータニで1人5000円のパーティー」は可能でしょうか。

 この「1人5000円パーティー問題」については、立憲民主党の石川大我参議院議員が自らの事務所の宴会としてニューオータニに見積もりを依頼し、1万3127円との回答を得たと報告(石川大我議員のツイッター)しています。
 パーティーの料金はオプションの付け方によってもかわるので、この1万3127円という見積もりの値段が安倍総理の「夕食会」にそのまま当てはまるとは言えませんが、ほぼ間違いなく当てはまると考えられる項目が二つあります。それは、「ビール・ソフトドリンク」の1人1800円、「鳳凰の間」の室料275万円を800人で割った1人3438円です。

 私自身、落選中何度もこの手のパーティーを行ない、自分自身でホテル担当者と交渉しているのでよくわかりますが、ホテルは食事の値段については、官邸幹部が主張するように、「唐揚げを増やし」たり、究極「乾いたチーズとサキイカと柿ピーナッツだけを出す」などして比較的柔軟(?)に対応してくれるのですが、アルコール代と会場費だけは、まず値引きしてくれません。

 この二つを足すと1人5238円となり、それだけで5000円をオーバーしてしまいます。
 従って、いかに唐揚げを増やす“努力”をしても、食事代が上がるだけ。ホテル・ニューオータニで、1人5000円でパーティーを行うことは実際問題、極めて困難だと思われます。

安倍総理には疑いをはらす義務がある

 これについても、安倍総理があくまで「これが真実だ」と主張し続けるなら(主張し続けるんでしょう)、捜査権のない私や国民が、なにかできるわけではありません。
 しかし、いくら首相が主張し続けたところで、アルコール代と会場費だけで5000円を超えてしまう会場で、出席者が「盛大なパーティー」「料理は結構出ました」(デジタル毎日2019年11月14日)と記載するようなパーティーを開催している以上、その経費は実のところ1人5000円を超えていたのではないかと言う疑念は消えません。

 この疑念を安倍総理が晴らすこともまた、上記の通り極めて簡単で 、(1)のAの契約書、 (2)のCの計算書、受取書、領収書を、万が一仮に本当に受け取っていないなら、今からでもニューオータニから取得して公開すればいいことですが、総理は今に至ってもそれを行っていません。

 なぜか。

 これを説明する答えはただ一つ、「『1人5000円のパーティー』は事実ではなく、(1)のAもしくは(2)のCの書類には、これと異なる事実が記載されている(記載される事になる)」しか考えられません。

 繰り返しますが、「安倍晋三後援会に収支が発生していた」も「夕食会の経費は1人5000円を超えていた」も、私が提起できるのはあくまで「疑念」であって、それを立証することはできません。
 しかし、民主主義国家においては、為政者は国民から選ばれたことによって正当性を持つのであり、国民の疑念に対しては、適切に説明する義務があります。
 しかも、上記の通り、この「疑念」は社会通念上ごく自然なものであると同時に、総理の主張が真実であるなら、極めて簡単にこれをはらすことができるものです。
 私は、総理が自らの主張が「真実」であると主張するなら、早期に上記の証拠をもってその疑いをはらす義務がある
と思います。

「夕食会」が明らかにした最大の問題

 にもかかわらず、今に至るまで安倍総理はこれを行わず、与党自民党もまた、本件については安倍総理の国会での集中審議を拒否する意向と報じられています。
 それどころか上記の通り安倍総理は、この「夕食会」において、総額を示す明細書等は一切ないという社会通念上およそ真実とは信じがたい主張を堂々と行っています。
 それはすなわち、安倍総理にも与党自民党にも、国民の疑念に対して説明義務を果たす意思がないどころか、自らのつじつま合わせの為には、どれほど社会通念上およそ信じがたく、合理性・信ぴょう性が一切ない主張をしても問題ないと思っているということです。
 それは、彼らにとって「為政者は国民から選ばれたことによって正当性を持つ」のではなく、「為政者は、為政者ゆえに正当性を持つのであり、説明どころか、主張の合理性・信ぴょう性すら不要である」と考えている証左であるように、私には思えます。
 そして私は、「1人5000円」が真実でないなら公職選挙法違反であり大問題であることはもちろんですが、それと同時に、この「為政者は国民から選ばれたことによって正当性を持つ」という意識の欠如こそが、「桜を見る会」の前夜に行われた安倍晋三後援会の「夕食会」で明らかになった最大の問題であると、思います。

「桜を見る会」に招かれた時に感じた感慨

「桜を見る会」自体についても、同じことが言えます。
 桜を見る会は、1952年の吉田首相から始まり、途中災害等による中止はありましたが、以後67年間続いてきました。2006年の小泉純一郎内閣以降、参加者はおおむね1万人だったのですが、2013年の安倍総理の就任直後の会から1万2000人に増加、その後も増加の一途をたどり、直近の2019年は1万8000人になりました。
 同時に、予算は変わらないまま、実際に使った決算額が、予算額1766万円の3倍超の5518万円7000円にも膨れ上がりました。そしてそれが問題になるや、さしたる検討・議論もないまま、突如来年度の開催が中止されたのです。
 この「桜を見る会」には、私も知事就任後の2016年招待されて参加しました。落選時代が長かったこともあり、新宿御苑の入り口を入った時には、率直に言って「ああ、自分もここに招いてもらえるようになったんだ」と感慨深いものがありました。
 しかし、その感慨に浸る間もなく、私は見知った顔の「一団」に出会いました。自民党時代に地元の後援会でお世話になった方々です。きっと何かの業界団体や慈善団体の推薦だろうと思って(後援会の幹部をやるような方は基本的には地元の名士で、大体そういう団体の役員の一つや二つはやっているものです)、「皆さんお揃いで参加なんですね。何の会なんですか?」と尋ねました。尋ねられた人はなぜか少しバツが悪そうな顔をして、「いや、俺達はほら、○○先生の会でさ。大したもんじゃねぇんだよ」と言って足早に立ち去ってしまいました。
 当時は、無所属とはいえ野党系の支援を受けて当選した私と話すのは、○○先生の手前都合が悪いんだろうと思っていたのですが、今思うと、あれが「自民党議員の推薦枠」であったのだろうと思います。

「議員の推薦枠」のどこが問題か

 私は、「議員の推薦枠」の存在も、そこに自らの後援会の幹部を呼ぶことも、それ自体が悪いこととは思いません。さまざまな業界団体や慈善団体が推薦枠を持つとして、そこから漏れた「地域の縁の下の力持ち」的な人を見出し、スポットライトを当てることは、むしろ議員の仕事の一つだろうと思いますし、その際に後援会の幹部が選ばれることも、後援会の幹部をやるような人は地域で人望を集める地元の名士であることが多い以上、そうおかしなことではないからです。
 当時の私には「推薦枠」はもちろんありませんでしたが、仮に推薦枠があったとしたら、私自身、非常に高い確率で、その一つを10年の落選生活を支えてくれた後援会長と奥様に当てただろうと思います。このお二人は、私がお世話になったというそれ以上に、お世辞でもなんでもなく、さまざまな人を助けて地域に多大な貢献をしており、私がこのお二人を選んだとして、誰からも何の異論も出ないだろうと確信できたからです。
 問題はそこにあるのではなく、選ばれた人自身がバツが悪い思いで立ち去らなければならないような人選が、公然とかつ大規模に行われていたことです。前述の安倍晋三後援会では、「人選」どころか、安倍晋三後援会を経由して「申込」さえすれば、誰でも「桜を見る会」に参加できたことが、他ならぬ安倍晋三後援会から送付された案内から明らかです。
 私にはそれは、「公費で自らの支援者を饗応する」という以上に、「日本という国家は何によって正当性を持つのか」にかかわる問題であるように思われます。

「報われるべき努力」が報われることの大切さ

 万人はもちろん平等ですが、同時に人は、人から認められたいと思い、人から認められることを喜びに感じる動物です。
「人から認められる」ことは、多くの人にとって、人生をかけた努力で達成すべき目的の一つです。
 そして、その努力がより多く、より良い方向に向いた時に、社会全体もよくなると私は思います。

 だからこそ、私達の社会は「桜を見る会」や「園遊会」そして「叙勲」で、社会の人達の努力に報いるのであり、この時、どのような努力を「報われるべき努力」として選考するかは、決して大げさではなく、その社会の価値感、方向性を端的に示すものとなります。

 そして、民主主義社会の日本において「報われるべき努力」は、「国民とって有用であると、国民が認めた努力」でなければならないと、私は思います。
 もちろん実際の選考に当たっては、団体が推薦するにせよ、議員が推薦するにせよ、一定の客観的基準によるべきなのは当然なのですが、民主主義社会における国家の正当性は、国民にしかない以上、その根底には「国民にとって有用であると、国民が認めた努力」に報いるのだという理念があるべきなのです。

問われる日本という国家のあり方

 翻って、今般の「桜の会の参加者急増」問題では、前述の「安倍晋三後援会経由なら申込だけでOK」や、TVで「功労は?」とコメントされた自民党議員の親族の招待などに端的に示されたように、率直に言って、「自民党にとって有用であると、自民党が認めた努力」、もっと言えば、「安倍総理にとって有用であると、安倍総理が認めた努力」ばかりが選考され、認められたと言わざるを得ないように、私には思えます。
 そして、予算額と決算額の大幅な乖離(かいり)が5年以上放置されていたことは、「安倍総理にとって有用であると、安倍総理が認めた努力」にだけ報いる事を、「予算」という形で国民に示す必要性さえも感じていなかったことの証左であり、問題が表面化するや、さしたる検討・議論もないまま、「総理の決断」で突如、来年度の中止が決定されたことは、総理・官邸がこの行事を「総理の、総理による、総理の為の行事」と考えていた(考えている)ことを、別の方向から示す端的な証拠ではないかと、私には思えてなりません。

 この問題を「低俗な」「下らない」問題、もしくは「招かれない人の嫉妬」などとして早期に幕引きを図ろうとする声が、政権内部や政権を支持する方々から聞こえてきますが、私はそうは思いません。

 この問題は、日本という国家のあり方、日本が「為政者は国民から選ばれたことによって正当性を持ち」、「国民にとって有用であると、国民が認めた努力」に報いる民主主義国家であり続けられるかどうかの分水嶺です。

 真摯(しんし)で徹底した議論と疑念の解明が求められると思います。


[写真-1]
首相官邸で、「桜を見る会」に関する取材に応じる安倍晋三首相=2019年11月18日

[写真-2]
「桜を見る会」追及チームの会合で、内閣府や総務省の担当者ら(手前)に質問する野党議員ら(奥)=2019年11月14日、国会内

[写真-3]
「桜を見る会」に関する記者の質問に答える安倍晋三首相=2019年11月18日、首相官邸

[写真-4]
「桜を見る会」で用意された和菓子=2016年撮影

[写真-5]
今年の「桜を見る会」。安倍晋三首相(中央左)、昭恵夫人(同右)と記念撮影をする参加者=2019年4月13日、東京都新宿区

[写真-6]
今年の「桜を見る会」であいさつする安倍晋三首相(中央)=2019年4月13日、東京都新宿区

朝日新聞・論座、2019年11月18日
「桜を見る会」が日本政治に突きつけた本当の問題
「国民が認めた」努力に報いる民主主義国家であり続けるかどうかが問われている

(米山隆一・前新潟県知事。弁護士・医学博士)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019111700003.html

※ 安倍氏の「桜を見る会」前夜祭の公選法政治資金規正法違反は首相としてではなく衆院議員としての疑惑だ。ならば官邸記者クラブの政治記者しかほぼアプローチできない官邸でのぶら下がり取材ではなく社会部記者やフリーも行ける議員会館で記者会見すべきだ。やはり官邸記者だけなら追及が甘く安心なのか?
(鮫島浩氏コメント)

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2019年11月18日

金時娘との出会い旅

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をぜひお読みください:

★ 2011年06月26日「山で元気に」 
★ 2011年11月20日「雨上がりの金時山」
★ 2014年12月14日「金時山1212m」
★ 2014年12月17日「金太郎」
★ 2014年12月19日「大江山」
★ 2014年12月27日「旅する歌手」
★ 2017年03月13日「箱根外輪山」
★ 2017年03月17日「箱根丸岳1156m」

 ヤッホーくんから今日、2019年11月18日月曜日なにやら一斉報告メールが発せられたようですのでご紹介:

 こんにちは。
 昨日17日日曜日、何回目の挑戦でしょうか、何ヶ月ぶりの山歩きだったのでしょうか・・・

 異常気象に見舞われた2019年も押し迫った昨日の日曜日、バスで金時山1212m?1213mに行ってまいりました。
 参加者6名。

 仲間のおひとりから新宿駅発のバスは残席がひとつしかないよ、ってメールが前日の土曜日に入ったときはびっくり。
 あわてて電話相談、もともとの夏前の企画にたちもどって東京駅発のバスに変更。
 お知らせしてくれた仲間にも変更をお願いして、どうにかこうにか、ことなきをえました。
 参加者の仲間一人ひとりのケイタイにお電話を入れたり、お騒がせしました。
 大涌谷への立ち入り規制も解除、台風で温泉も引けなかったのがようやく、とかなんとか、もう秋の最後の行楽シーズンで、17日は天気もよさそうと観光客が殺到したハイシーズンになったのではないでしょうか、と。

 そうですか、おかげさまで帰りのバスは高速道路が渋滞にはまり、それはノロノロ運転。
 東京駅に戻ったときはもうすっかり日も暮れ、遅い時刻。
 そんじゃあ、とばかり、ヤッホーくん、待ち望んでいた「打ち上げ会」も開かず帰宅を急いでしまいました。

 金時山への山路や山頂に目立ったのは、若い人!
 金時娘の茶屋も若い人であふれていました!

 写真を添付しますが、乙女峠のバス停と展望台と山頂…
 こんなすっきりときれいなお富士さまと出会えたんは何年ぶりかのことでした。
 では次回まで、御身お大切に、ごきげんよう、ヤッホー!


[写真-1]乙女峠登山口

乙女峠バス停.JPG

[写真-2]乙女峠展望台

乙女峠展望台.JPG

[写真-3]金時山

金時山山頂.JPG

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桜を見る会夕食会弁明で法律違反を正当化

はーあ、
領収書も無エ!明細書も無エ!
議事録あんまり見たこと無エ!
メモなど無エ!名簿も無エ!
生まれてこの方記憶も無エ!

俺らこんな国いやだ〜
俺らこんな国いやだ〜 
この国変えるだこの国変えたなら
みんなさ集めて
東京で花見るだ


[これが首相?]
「桜を見る会」前日の夕食会に関して「事務所や後援会に一切入金、出金はない」各参加者が直接支払い、食事代も「領収書を発行していない」、ホテル側からの「領収証の明細もない」と。
 証拠を隠せば、何を言っても大丈夫?
 ヤジ、大嘘つき、泥棒みたいな首相。

[嘘つき泥棒の独裁国家になる]
 アベは相次ぐ閣僚辞任、格差容認の民間英語試験導入の挫折、税金「泥棒まがい」の「桜を見る会」も解明を放棄する中、アベは憲法審査会で国民投票法を採決しようとする。
 これを許せば、本当にファシズムになってしまうだろう。
 日本は滅びる。


 安倍晋三首相は2019年18日午前、首相主催の「桜を見る会」の前夜に後援会関係者らと東京・紀尾井町のホテルニューオータニで開いた今年2019年の懇親会に関して「安倍事務所や後援会に一切、入金、出金はない」と述べ、事務所には会費などの総額を示す明細書もないと明らかにした。
 官邸で記者団の質問に答えた。

 懇親会の参加者は約800人だったとした上で「参加者が直接、宿泊費、旅費を払い込んだ」と説明。
 懇親会費5000円の領収書については「ホテルが発行し、事務所の者が渡している」と述べ、事務所による領収書発行や補填(ほてん)を否定した。
 15日には、首相の事務所職員が会場で会費を集め、ホテル名義の領収書を手渡したと説明している。

 首相は、国会で自ら説明する機会を設けるよう与党に指示する考えがあるかを問われて「国会の対応は党に全て任せている」と話すにとどめた。

 一方、立憲民主党の安住淳国対委員長は、首相が明細書などはないと主張していることに、
にわかにそんなことを信じる日本国民がいるか。ホテル側が首相の後援会の前夜祭を主催するわけがない
と疑問を呈し、ホテル側に資料提出を要請する考えを示した。

 安住氏は十八日午後、自民党の森山裕国対委員長と会談し、首相が出席する衆院予算委員会の集中審議を開催するよう求める。
 

東京新聞・夕刊、2019年11月18日
「桜見る会」懇親会の明細書
首相「事務所にない」

(川田篤志)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201911/CK2019111802000257.html

 安倍首相は、墓穴を掘った――。
「桜を見る会」をめぐる自身の後援会ツアーや前夜祭のホテル夕食会について、2019年11月15日、官邸でのぶら下がり取材で釈明したが、むしろ疑惑は深まった。

 特に、5000円という破格の夕食会。
「事務所、後援会の収入、支出は一切ない」
「会費は会場受付で事務所職員が集金し、ホテル名義の領収書をその場で手交し、集金した現金をホテル側に渡す形で支払った」
という説明は、政治資金規正法違反(不記載)を自ら認めているようなものなのだ。

「会費制の会合で収入がないからといって収支報告書に記載しないのはマズい。政治資金規正法の専門の弁護士に、そう言われました」

 こう話すのは野党系の前衆院議員。
 数十人規模の支援者との懇親会を地元のホテルで開催した際、当初は、会費を会場でもらってホテル名義の領収書を出し、集めた現金をホテルに渡す形式を考えていた。
 それなら、自身の事務所は「仲介者」「幹事役」にすぎないので、報告書にも記載する必要がないと思っていたという。

 しかし、弁護士に「違法になる」と指摘されたため、結局、後援会が集金して領収書を出し、後援会としてホテルに支払う形にして、報告書にも記載した。

「収支が一致していて後援会としての収入がないため記載不要だと思っていましたが、政治資金規正法の趣旨に反するとのことです。規正法は政治家のお金の動きを透明化するのが目的で、後援会の名前で会合を催したら、収支に関係なく記載しなければならないということでした」
(前出の前衆院議員)

 会費制で収支均衡でも報告書に記載――。
 実はコレ、今や永田町では常識だ。

 昨年2018年10月、立憲民主党の近藤昭一副代表(当時)が会費制集会の不記載を指摘され、資金管理団体の収支報告書を訂正、党の役職を辞任している。
 実行委員会が主催し、申込先が近藤事務所だった「サマーパーティー」「いちご狩り」は、集めた会費をそのまま会場に支払っていたため、事務所の収入はなかった。
 しかし、規正法に抵触する恐れがあるとして、訂正申告したのだった。

収支ナシでも後援会は報告書に記載義務

 その直後の同年2018年12月、現文科相の萩生田光一自民党幹事長代行(当時)の後援会有志が企画したバス旅行の不記載が問題に。
「支援者有志の主催であり、参加者が個人で旅行会社に参加費を支払い、後援会の事業収入はないため記載しなかった」と説明したが、「今後は後援会主催にして報告書に記載する」としている。

 近藤氏と萩生田氏のケースは、安倍首相の疑惑にもバッチリ当てはまる。
 安倍事務所が支援者らに出した昨年2018年の「桜を見る会」の案内文には、夕食会の主催は「あべ晋三後援会」とハッキリ書いてある。
 後援会の収入はないから後援会は関与していないという説明は通用しない。

政治資金規正法は、お金の出入りを全て記載しなさい、という法律です。安倍首相の事務所が夕食会の参加者から会費を受け取って、ホテルに支払ったとしても、それら全てを記載しなければいけません。重要なのはどこが企画して事業を行っているか、です。後援会主催なら、政治団体が領収書を出さなければおかしい。ホテルの領収書を使っているのは、政治団体が関与していないと言うための、明らかな偽装です
(政治資金に詳しい神戸学院大教授・上脇博之氏)

 総理大臣が政治資金規正法違反を“正当化”してどうする。

 20分程度のぶら下がり取材で“幕引き”など許されない。
 安倍首相は資料を揃えて国会で説明すべきだ。


[写真-1]
夕食会もおもてなし(安倍首相と昭恵夫人)

[写真-2]
夕食会というよりパーティー(2015年、吉田真次議員のブログから)

日刊ゲンダイ、2019/11/18 15:18
安倍首相が墓穴
桜を見る会夕食会弁明で法律違反を正当化

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264891

 森友学園、加計学園の問題に続いて、安倍晋三首相側が自分に近い人たちに特別の便宜をはかった疑惑がまた浮上した。
 首相サイドは「個人情報」というキーワードを盾に解明資料の公開を拒み疑惑を隠蔽しようとしている。
 政治に対する国民の信頼を損なう背信行為だ。

◎ 大勢の地元関係者を招待

 毎年開かれる内閣総理大臣主催の「桜を見る会」の招待客をめぐって国会の論議が活発化している。
 野党側は、安倍晋三首相側が特別のはからいをして、大勢の地元後援会関係者を招待したのではないかとして徹底追及の構えだ。

 疑惑が真実だとすれば、公的行事の私物化、公私混同であり、有権者は「桜を見る会」に限らず安倍政治全般の公平、公正性に対して重大な疑問を抱かざるを得ない。

 1952年、当時の吉田茂首相が始めたこの会は、各界で功績、功労のあった人たちを慰労し、親睦を深めるのが目的とされる。
 当初は各国外交官などごく限られた人が招かれただけだったが次第に対象が拡大され、現在は幅広い分野から功績、功労のあった人たちが選ばれる。
 今年は皇族や各国大使、国会議員らのほか芸能人、スポーツ選手、議員の地元関係者なども招待された。

◎ 増え続けた招待者

 問題の第一は近年、出席者が増えて実際の費用は予算を大幅に上回っていることだ。
 今年の費用は5年前の3倍、5500余万円になった。
 予算を実態に近づけようというのか、来年度予算案ではさらに多い5700万円の概算要求が出ていた。

 問題の第二、そして野党がとりわけ厳しく追及しているのは、2012年の第二次安倍政権発足後、参加者が急増した裏に首相の後援会関係者の急増があるのではないか、という点だ。
 招待者選びの基準として「各界での功績、功労」のほかに「その他各界の代表者等」もあるが、首相の後援会関係者というだけでは該当しないことは明らかだからである。

「個人情報」と非公開に

 疑惑解明には招待者名簿の公開が欠かせないが、内閣府は「保存期間一年未満の文書として会の終了後、遅滞なく速やかに廃棄した」という。

 菅義偉官房長官は「個人情報を含んだ膨大な文書を適切に管理する必要が生じるため」(11月12日の衆院本会議答弁)、安倍首相は「個々の招待者については招待されたかどうかを含めて回答を差し控える」(11月8日の参院予算委での答弁)という。

 名簿廃棄が本当だとしても、天皇皇后主催の園遊会の招待者名簿が宮内庁では30年であることに照らしても、あまりにも早い廃棄処分にうさんくさい思惑の存在を感じざるを得ない。 

 報道によると、この会を日程に組み込んだ観光ツアーの案内文書が安倍首相の事務所名で地元関係者に送られていたという。
 前日、東京のホテルで首相夫妻同席の後援会前夜祭を開き、当日はホテルから貸し切りバスで会場の新宿御苑へ行ったという。
「桜を見る会」が後援会活動の一環に組み込まれた形になっていたわけだ。
 参加者は850人に達した、との指摘もある。

 安倍首相は「招待客のとりまとめには関与していない」というが、首相が直接関与しなくても大勢の地元関係者が参加できたのは首相の影響力が行使されたからとみて間違いはないだろう。
「個人情報」を口実に逃げることは許されない。
 公の場所で首相が主催し、酒や菓子など飲食物も提供され、その費用は税金でまかなわれる。
 そんな行事への出席情報を国民に公開しないでいいはずがない。
 たとえ形式的には「個人に関する情報」であっても「秘すべき個人情報」ではない。

◎ 根っこは首相の政治姿勢

 政府は、これ以上の追及をかわそうとして来年の「桜を見る会」を中止し、招待基準なども見直すと発表した。
 しかし、これで一件落着としてはいけない。
 この問題を単に個人情報の問題と矮小化してはいけない。

 問題は安倍首相の政治姿勢の根っこである恣意的、独善的な振る舞いの表れとみるべきだ。
 菅長官が認めたように、与党議員など政治家による推薦者を招待する特別枠があったとしても、後援者を組織的に送り込み、公的行事を自らの勢威を誇る後援会活動の場に利用した安倍首相の責任は軽減されない。

 問題は有力なライバルのいない一強態勢下のおごり、たかぶり、節度の喪失が公的行事の私物化となって現出したのだ。
 その意味でモリカケ疑惑の延長線上にある。
 前の二件と同質の問題であり、厳しく追及されなければならない。


News for the People in Japan、2019年11月18日
見逃せない公的行事の私物化
(飯室勝彦)
http://www.news-pj.net/news/85080

posted by fom_club at 17:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

予定通りのスピン逮捕劇

 夕方、人気女優の沢尻エリカ(1986年生まれ)さんが合成麻薬MDMAで逮捕とのことで衝撃が走っていますが、出張から帰ってきて、夕方のニュースを見くらべてみて愕然としましたね。
 どの局も、沢尻さんがMDMAで逮捕されたという速報的な報道だけしか打てていない状況でありながら、何故かTBSだけが、前夜の沢尻さんがお出かけする姿をカメラで捉えているんですね。
 なんでも、沢尻さんは昨晩渋谷のクラブにお出かけしていたそうなんですね。
 その映像がこちらです。

沢尻容疑者 逮捕前夜の様子、MDMA所持容疑
https://twitter.com/i/status/1195619151747801088

 沢尻さんも異変に気がついたのか?一度カメラの方を振り返っています。
 これはどう見ても不自然な映像です。
 例えば、大河ドラマの件でインタビューなどがしたいのでしたら、出てきたところでインタビューなどをするでしょうし、逆に、MDMAの噂を掴んでいたとしたら、マスコミなら決定的証拠が出てきそうなところまで潜入し、ずっとついて行って隠し撮りすると思うんですよね。
 ところが実に中途半端な映像だけを録っている。

 これはお決まりの捜査情報が事前に伝えられ、捜査の邪魔にならない範囲という約束で、スクープを狙ったとしか思えないです。

 しかも!この私、「依存症問題の正しい報道を求めるネットワーク」の事務局を務めている関係上、ありとあらゆる報道をつぶさに見て検討しているのと、ワイドショー的ネタに対する抜群の記憶力の良さと執念から覚えているのですが、清原さん逮捕の時も逮捕直後の映像をスクープしたのは、なんとTBSだったんですよね!

 そして今回も沢尻エリカさんの逮捕前夜の模様というスクープ映像がTBSから流れた。

 しかもですよ、清原さんも沢尻さんもどちらも逮捕したのは、麻取りではなく警視庁組織犯罪対策第5課(銃器・薬物取締担当)なんです。
 清原さんの時も、何故TBSだけが?とマスコミ界隈がざわつきました。
 そしてTBSは「警察24時」などで、警察の宣伝活動に貢献しているためと推測が出ました。
 組対5課は、逮捕のタイミングを入念に狙っています。
 事前にさまざまな証拠をつかんでいて、いつでも行けるようになっています。

 清原さんの時には、政界は甘利さんの疑惑で大揺れになっていました。
 現在は、桜を見る会の件で、政界が揺れています。

 あの時と、社会は同じような状況にあり、そしてあの時と同じく警視庁組対5課が逮捕し、どちらもTBSだけがスクープ。
 ただの偶然なのか、まさか裏があるのか?

 いずれにせよ、確かに言えることは、情報漏えいの疑惑は払拭できません。
 田口淳之介さんの件で、麻取りの度重なる情報漏えいがあり、現在国家公務員の守秘義務違反で刑事告発されています。
 この件は、国会で初鹿明博(立憲民主党)先生が追求し、厚生労働省は内部調査中と答えています。

 今回の件で、何故TBSが何のために沢尻さんの映像をとっていたのか?
 こういった情報漏えいが警視庁でも常態化していないのか?

 薬物事犯に対する人権侵害について、きちんと検証して頂きたいと思います。


アゴラ、2019年11月17日 06:00
沢尻エリカさん逮捕!
組対5課とTBS疑惑の報道と絶妙なタイミング

(田中 紀子)
http://agora-web.jp/archives/2042704.html

 警察の職権乱用とマスコミの暴走はもはや当たり前になってしまったということか。
 昨日2019年11月16日、沢尻エリカが合成麻薬MDMAを所持していたとして警視庁組織犯罪対策部第5課(組対5課)に逮捕された。
 例によって、昨日の夕方からマスコミは大騒ぎを繰り広げているが、警視庁がまたぞろ逮捕をマスコミに事前リークして、逮捕劇をショーにしてしまったのだ。

 逮捕の一報が報じられた約1時間後には、TBS NEWSのツイッターアカウントに、逮捕前日の15日夜21時半ごろ自宅から出かける沢尻の動画が投稿された。
 YoutubeにアップされたTBSの動画には「これだ、これだ!来た!」という現場の記者の声が入っていることから、明らかに逮捕を想定して張り込んで撮影したことがわかる。

 実際、この映像は『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS)でも流され、MCの安住紳一郎アナはこう説明した。

「これまでにも大麻使用疑惑などなどが週刊誌などで報じられていて、そして今回は非常に確度の高い情報がマスコミに一部もたらされていたということで、TBSの報道記者もこの映像を持っているということのようです」

 TBSだけではない。
「週刊文春」(文藝春秋)も、昨日21時すぎにに「[「週刊文春」記者は見た]家宅捜索3時間前、クラブで踊り明かす沢尻エリカ」と題したスクープ記事を配信。
 逮捕前夜から逮捕当日の朝方にかけて都内のクラブで過ごしていた様子を写真付きで詳細に報じていた。
 その後、ニコニコ生放送の番組『直撃!週刊文春ライブ』ではお酒を飲んだり友人とハグし合ったりしている動画も公開していた。
 しかも、記事によれば、「週刊文春」は沢尻本人がクラブに到着するより前から、記者を当該クラブに先回り入店させ、張り込んでいたという。

 ようするに、TBSも「週刊文春」も事前に逮捕情報をリークされ、前日から沢尻を張り込みしていたのだ。
 情報をリークしたのはもちろん、沢尻を逮捕した警視庁の組対5課だ。
 逮捕の瞬間を大々的に報道して、見せしめのショーにするために、映像を撮らせようと、事前に情報を流したのである。

「今回、沢尻を逮捕した組織犯罪対策部5課は、ASKA、そして清原和博を逮捕した部署。組対5課はとにかく逮捕をマスコミにアピールしたがることで有名。清原のときも、ASKAのときも同じように逮捕を事前リークして、その瞬間を実況中継させた」
(警察関係者)
。。。


リテラ、2019.11.17 11:22
沢尻エリカMDMA逮捕で警視庁組対5課がTBS、文春に露骨な事前リーク!
清原、ASKA逮捕に続き…

https://lite-ra.com/2019/11/post-5096.html

 麻薬で逮捕された某女優、逮捕の前日の夜自宅から出かける姿をテレビカメラに収められていた。
 マスコミは、この女優に何事かがすぐに起きることを知らされていたわけだ。

 松尾貴史氏が twitter で述べていたことだが、これはやはり当局から逮捕の予告がマスコミに流されていたということを意味する。

 逮捕劇の筋書きが、当局によって予め書かれている、ということ。
 その筋書き通りに動くマスコミ。

 その当局は、よりによってこの時期に逮捕することを命じている。
 それを当局に命じる、その上の存在がいることになる。
 森羅万象を司る至高存在ということか。

 犯罪は犯罪だろうが、スピン報道の筋書きが幾つか当局に用意されており、至高存在の必要とするときにそれが実行され、ワイドショーが飛びつく。
 世間の注目を惹きつける、というか至高存在にとって不都合な事実から、世間の目を逸らす。

 この状況にうすら寒いものを感じる。


ステトスコープ・チェロ・電鍵、2019/11/17 17:19
予定通りのスピン逮捕劇
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/#entry8749

※ こんなつぶやきも:

テレビ新聞の社会部警視庁担当記者は警察が芸能人を麻薬取締法違反で逮捕したことより総理大臣を公選法・政治資金規正法違反で捜査しないことを追うべきだ。警察と一体化してリークを垂れ流す大本営発表報道はもういらない。現政権の不正を放置する警察の不作為を追及するのがジャーナリズムだ。

このパターン(なぜか逮捕直前の映像をマスコミが撮ってるやつ)ちょくちょくあるけど、これが地方公務員法違反(守秘義務違反)にならない理由を教えてほしい。100歩譲って、逮捕の場面の映像はともかく、前日の自宅の出入りとかどう見ても正当化できないと思うんだけど。

1人の市民の自宅に捜索に入る情報が予め提供され、記者が前日からビデオを回し、記者が行動を監視取材して、逮捕後すぐに映像や記事が出るってかなりやばいよ。
「取材班は…逮捕当日、沢尻が「W」を訪れるという情報を得ており、深夜12時から店内で取材を進めていた」


ゴーン報道だらけの裏側では…

 日産のゴーン逮捕の後、マスコミはこの事件の報道一色になり、外国人労働者の問題はすっかり脇役に追いやられた。

 朝日新聞の朝刊を見ると、逮捕翌日の2018年11月20日以降、27日の今日まで8日間、1面トップはゴーンの記事が掲載されている。
 8日連続の1面トップは珍しい。
 今回、朝日は逮捕前に検察からリークを受け、羽田空港での逮捕時の様子を独占で撮影させてもらうという特別扱いを受けた。
 その恩返しで、おそらく検察との間での約束だろうが、小出しリークを1面トップに刷るという措置に及んでいるのだろう。

 無論、検察と朝日にそれをさせているのは官邸で、移民法(=入管法改正)を世間の関心から隠すためである。
 いわゆるスピンの政治だ。
 ゴーン逮捕はかなりの荒業に違いなく、フランス政府との外交問題にも発展しかねない問題であり、こんな重大な決定を特捜部長や検事総長の小役人が独断で出せるわけがない。
 菅義偉にお伺いを立て、杉田和博と北村滋と谷内正太郎が長官室に寄って車座で相談し、安倍晋三氏の差配で逮捕が行われている。
 そのタイミングを周到に移民法の政局に合わせた。
 ゴーン氏が逮捕された時期は、法案が委員会で審議入りする最も重要な局面だった。
。。。
 安倍晋三氏がゴーン逮捕を移民法の国会審議に合わせたのは確実だが、マスコミの側がそれに積極的に協力している点を見逃せない。
 本来、反安倍の論陣を張らなくてはいけない朝日新聞とTBSが、このスピンに熱心に協力している。


MONEY VOICE、2018年12月2日
ゴーン逮捕で「移民法」のスピン報道に成功、日本をカースト構造にする移民政策へ=世に倦む日日
https://www.mag2.com/p/money/592377

※ スピン(英語:spin)

パブリック・リレーションズ(PR)において、特定の人に有利になるような、非常に偏った事件や事態の描写を意味する、通常皮肉のこもった言葉である。 日本ではスピン報道とも。
(Wikipedia)

posted by fom_club at 07:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする