全当選者465人に占める割合は14.6%で、同様に2024年の15.7%に次ぐ2番目の高さだった。
ただ、依然として世界水準からみて低い状況だ。
今回の衆院選では、小選挙区で28人、比例区では40人の女性候補が当選。
政党別に見ると、自民党39人、中道改革連合8人、国民民主党8人、参政党8人、共産党2人、チームみらい2人、日本維新の会1人。
一方、今回の衆院選の候補者に占める女性比率は過去最高だった。
313人の女性が立候補し、全候補者1284人の24.4%を占めた。
参政党やれいわ新選組、共産党の候補者の女性比率がそれぞれ約4割で全体を押し上げた。
自民は12.8%だった。
国際的な議員交流団体のIPU(列国議会同盟)が185ヶ国を調査した2025年の報告書によると、世界の下院または一院制議会の女性割合は27.2%。
これに比べ、日本は半分程度にとどまる。
朝日新聞、2026年2月9日 17時39分
衆院選で女性候補68人当選、過去2番目の多さ
当選者の14.6%
https://digital.asahi.com/articles/ASV290J48V29UTFK00VM.html
※ 女性参政権(旧:婦人参政権)
1945年11月21日には、まず勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められる。
1945年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められる(地方参政権は翌年1946年9月27日の地方制度改正により実現)。
1946年4月10日の戦後初(かつ帝国議会最後)の衆議院選挙(第22回衆議院議員総選挙)の結果、日本初の女性議員39名が誕生する。
1946年5月16日召集の第90特別議会での審議を経て、10月7日に大日本帝国憲法の全面改正案が成立し、第14条の「法の下の平等」で女性参政権が明確に保障された日本国憲法が1946年11月3日公布、1947年5月3日に施行された。
2005年の第44回衆議院議員総選挙で43人が当選するまで22回、59年間にわたって1946年総選挙の39人を超えることはできなかった。
日本の女性が戦後初めて参政権を得て、およそ80年がたつ。
自民党総裁選で高市早苗新総裁が選出され、初の女性首相の誕生が現実味を帯びてきた。
これは、女性参政権の成果なのか。
女性学の第一人者、上野千鶴子(1948年生まれ富山県出身)・東大名誉教授に尋ねると、はっきりと「ノー」という答えが返ってきた。
「女性なら誰でもよい、という時代は終わりました。女性の利益になる政治を期待できませんから」
上野さんは2025年10月5日、自身のX(ツイッター)に「初の女性首相が誕生するかもしれない、と聞いてもうれしくない」と投稿し、反響を呼んだ。
なぜ「高市首相」に期待できないのか、その真意は――。
「『日本はいつ男女平等になりますか』と聞かれたら、あなたが生きている間は無理でしょう、と返します。全世界が変化する中で取り残されているのが日本です」
世界経済フォーラムが各国の男女平等度をランキングで示す2025年の「ジェンダーギャップ指数」で、日本は前年と同じ118位に沈んだ。
その要因の一つが女性議員の割合が低いことだ。
列国議会同盟(Inter-Parliamentary Union、 IPU)の2025年1月の発表によると、下院の女性議員比率は183ヶ国中142位(衆院の女性比率15・7%)。
先進国最低レベルだ。
女性参政権は、政治を変えられなかったのか。
「女性票は家族票の一部として動き、戦後長く続いた自民一党支配を支えました。1989年のマドンナ旋風まで、女性参政権は政治を変えなかったというのが政治学の結論です」
潮目が変わったのは1980年代だ。
1986年、社会党の土井たか子(1928-2014)氏が女性で初めての政党党首となり、89年参院選で社会党の女性候補11人が当選する「マドンナ旋風」が起きた。
「当時メディアは『女で闘う』と表現したことに、私たちは怒りました。どうして『女が闘う』ではないのか、と。このとき初めて、女性票が個人票として動く兆しが見えました」
背景には、既婚女性の就労率の上昇がある。
夫や家族ではなく、自分の意向で投票する女性が増えたことがマドンナ旋風を生んだ。
「男性以上に男性」の女性議員
1980〜1990年代は世界的に、女性の人権保障や社会進出に関する法整備が大きく進んだ時代でもある。
法制審議会が選択的夫婦別姓を含む民法改正案を答申したのは1996年だった。
しかし、2000年代には自民党の安倍晋三政権下でジェンダー平等や性教育への反動(バックラッシュ)が本格化した。
2009〜2012年の民主党政権を除き、現在に至るまで自公政権が定着している。
別姓導入の民法改正案は自民党の反対で国会提出が見送られ、たなざらしのままだ。
女性の政治参加に関する研究では、女性政治家はジェンダー政策よりも、政党の方針を優先する傾向が明らかになっているという。
「男性中心の組織に女性が食い込もうとすると、男性以上に男性らしく振る舞うことが生き残り戦略になる。男性の利益を守る女性という指定席を与えられるからです」
その象徴が、選択的夫婦別姓反対論や外国人への強硬姿勢で知られる、自民党の高市総裁や杉田水脈元衆院議員だと指摘する。
女性の貧困は「人災」
「女性の学歴も就業率も向上しましたが、結局のところ女性が家父長制的な構造のもとで男性の劣位に置かれている点は、全く変わりませんでした」
女性の弱者性は、経済格差にあらわれていると指摘する。
上野さんは「夫が死亡した際の遺族年金や法定相続分といった既婚女性の権利は拡張しましたが、これは女性の人権保障ではない。“妻の座”権の保障であり、つまるところ夫のみとり保障です」と喝破する。
日本は高度成長期を経て、男性が稼ぎ主、女性が専業主婦となる標準世帯モデルが定着した。
1986年施行の男女雇用機会均等法も、「男性並み」に働くか、子どもを育て「家計補助」的に働くか、という「女性の分断」を生む結果になった、とみる。
「女性には就労機会がない、昇進がない、賃金が安い。かつて結婚は永久就職と言われました。『男に依存しないと食えない』という男性稼ぎ主モデルを維持しました。女性の低賃金、不安定雇用は明らかな人災です」
家父長的構造への反発
上野さんが女性学研究を志したのは、家父長制に「うんざりした」からだ。
「フェミニズムは誤解されがちですが、男のようになりたいという思想ではありません。この社会では、それは支配者・差別者・抑圧者になることと同じだからです。弱者が強者になる必要がない、そのままで尊重される社会を目指したいのです」
富山県の開業医の家庭で、ワンマンの父、専業主婦の母のもとで育った。
夫の顔色をうかがい「子どもがいるから離婚できない」とこぼす母に、「夫を替えてもあなたの不幸は変わらない」と反発した。
1967年に進学した京都大では、学生運動の中で女性差別に遭遇した。
「マイクを握って演説するのはすべて男、女は全員バックヤードです。男たちは首から上はリベラルだけど、首から下は家父長制。散々イヤな思いをしました」
1960年代後半、ベトナム戦争反対や大学改革を掲げる学生運動での女性蔑視は、世界共通の現象だった。
「あらゆる革命は、女性にとって『裏切られた革命』でした」
失望した女性たちは世界中で「ウーマン・リブ」運動を展開した。
日本でも1970年代から田中美津(1943-2024)さんらがけん引。
国連が初めて女性を巡る問題をテーマとした1975年の第1回世界女性会議(World Conference on Women)開催につながっていく(1975年は国際婦人年 International Women's Year)。
「家事は不払い労働」定着に半世紀
上野さんは「政治にしてやられた」と失望する一方で、フェミニズムは社会に無視できない変化をもたらした、とも指摘する。
「フェミニズムが登場したころの社会の反応は、無視、黙殺、やゆ、でした。バックラッシュが起きたのは影響力が無視できなくなったからです」
成果の一つは「家事は不払い労働である」と定義したことだ。
「かつて専業主婦は『三食昼寝付き』と言われていたんです。冗談でしょう? 朝から晩までコマネズミみたいに働くのに。私はそれを不払い労働と定義しました」
この考え方には、当事者の主婦すら当初は反発したという。
「『私がやっているのは愛の行為で、お金に換算できない』と言われました。もう一つは、マルクス経済学者から『お前たちは経済学に無知だからそんなことを言うんだ』と。大変でした」
しかし2016年放送のTBS系ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ(逃げ恥)」の大ヒットで、「家事は不払い労働という認識は半世紀かけてようやく定着した」と実感したという。
「逃げ恥」は、「雇用主と家事労働者」という関係から始まった男女が恋愛結婚へ至るストーリーを描く。
もともとは家事労働の対価として給料が支払われていたのに、結婚した途端に無償労働になる。
主人公の女性は雇い主の男性に「愛の搾取です」と訴えたのだ。
「無位無冠の女」が日本を変えた
また、「セクシュアルハラスメント」「ドメスティックバイオレンス(DV)」という概念も、画期的な変化をもたらした。
「セクハラはかつて、からかいやいたずら、DVはお仕置きや痴話げんか、と呼ばれていました。しかしあれは不当な人権侵害だった、とモヤモヤした思いに定義を与えられた。そこで何が起きるかというと、怒りが湧くんです。女性が暴力に我慢しなくなった、許容しなくなった。女性の中にも自尊心や人権意識が定着しました」
こうした経験の再定義こそが、社会の変化を生んだ。
政治の変化は遅々として進まない中で、社会を変えてきたのは「無位無冠の女たち」だと強調する。
「これだけ変わってきただけでも上等です。怒りの声を上げる草の根の女性たちが日本を支えてきたのです。無視されて都合のよい女になるより、面倒くさい女になった方がいい。あなたはそう思いませんか?」
[写真‐1]自民党の総裁室の椅子に座る高市早苗新総裁=同党本部で2025年10月4日午後7時2分
[写真‐2]2025年6月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は148カ国中118位に沈んだ=内閣府男女共同参画局ホームページから
[写真‐3]参院選の開票が進み、党本部で当選者名の上に赤いバラを付ける社会党の土井たか子委員長(当時、中央右)=東京都千代田区で1989年7月23日
[写真‐4]改造後の初閣議を終え、記念写真におさまる(前列左から)安倍晋三首相、麻生太郎副総理兼財務・金融相、(後列右から)稲田朋美防衛相、高市早苗総務相=首相官邸で2016年8月3日午後7時53分
[写真‐5]可決された男女雇用平等法案に反対し、ゆうれい姿でデモをする約200人の女性たち=東京・六本木で1984年7月24日撮影
[写真‐6]夕方の買い物をする主婦ら=大阪府豊中市のダイエー庄内店で1971年10月16日撮影
[写真‐7]優生保護法改正に反対を訴える母親たち=東京都新宿区の戸塚公園で1973年5月13日撮影
毎日新聞、2025/10/20 15:13
なぜ「高市首相」は喜べないか
上野千鶴子氏が見た女性参政権80年
(山本萌)
https://mainichi.jp/articles/20251009/k00/00m/010/038000c
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